2018年01月26日

平成最強寒波!

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平成最強の寒波が来ているそうです。この間の大雪の後始末にも閉口しましたが、ここ2日間の朝の冷え込みといったら!

現在の住居に移って4年が経ちますが、朝、水道管が凍っていてお湯が出ないなんていうのは今回が初めてです。昼間も暖房が手放せない底冷えで、電気代の請求が恐ろしい…。

ポール星人の陰謀で、ガンダーが冷凍光線でも吐いているのでしょうか。

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ウルトラセブン 第25話「零下140度の対決」より

下のような恐ろしい物語もありましたが、最近の状況を見ていると絵空事とも思えません。少し前まで地球温暖化の危険がささやかれていましたが、実は寒冷化に向かっているのでは??

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ウルトラQ 第14話「東京氷河期」より

連日の異常低温のため、モロボシ・ダン並に寒さに弱い私の身体機能はすっかり麻痺してしまい、長めの文章は当分書けそうにありません。もう少し生き物にやさしい気温に戻るまでお休みしたいと思います。どちら様もどうぞお元気で。
posted by taku at 16:38| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月18日

パーマン原典購読(1)

年も改まってかなり経ったが、もう少し「パーマン」ネタを続けてみたい。

「大全集」の目次ページにも断り書きがあるように、F先生は単行本化の際、元の原稿に加筆修正を施すことが多かったようだ(手塚大先生の影響だろうか)。これは「パーマン」も例外ではなく、『少年サンデー』での連載第1話「パーマン誕生」や「はじめましてパー子です」、名作「パーマンはつらいよ」、ハードな展開の前後編「鉄の棺桶%ヒ破せよ」、そして最終回「スーパー星への道」などにもかなり手が加えられている。「大全集」も、一昨年出た「てんとう虫コミックス」新装版も、70年代に単行本化されたものを底本にしているということなので、雑誌に掲載された時の「完全なオリジナル」を目にすることは、もはや今日では難しいということになる。
そこで今回から2回にわたって「パーマン原典購読」と題して、『少年サンデー』掲載時のオリジナルと現行の単行本とを比較し、どういう風に加筆や修正が行われたのかを検証していきたい。

通常、こういう比較は、before、afterの順で行うことが多いと思うが、今回は、現在流通しているものが最初はこうだった、という流れでご覧いただきたいので、after、beforeの順で画像を紹介していくことにする。

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第1話「パーマン誕生」。『少年サンデー』1967年2号掲載時は14ページだが、単行本では18ページ。4ページも増えている。この見慣れた扉も加筆されたもので、

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オリジナルの扉はこちら(「大全集」1巻の表紙で使用)。

はじめの4ページはオリジナルのままで、特に変更箇所はない。しかし、『サンデー』ではキャラクター表記が「ミツ夫」「ミチ子」「カバオ」となっており、現行の「みつ夫」「みち子」「カバ夫」と微妙に異なっている。

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加筆修正が始まるのは5ページ、みつ夫とスーパーマンとの出会いの場面から。

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こちらがオリジナル。間違い探しの要領で見比べてみてほしい。

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右のスーパーマンはオリジナルだが、みつ夫と風景は加筆されたもの。

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オリジナルと比較すると、みつ夫の表情や等身の違いがよくわかる。

これら一連の加筆は、1970年の「虫コミックス」(虫プロ商事)ではなく、1976年の「ホーム・コミックス」(汐文社)の刊行時に行われたものと推測される(「大全集」1巻巻末には、虫コミックス版だけの第1話オープニングシーンが掲載されているが、それを見る限り、みつ夫の顔にそれほど大きな違いは見られないので)。

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このコマなどは、人物は元原稿のままだが、それを切り貼りして縦長にし、画面に広がりを持たせている(このパターンが結構あることに驚く)。

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元はこんな感じ。

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やたらと有名なスーパーマンの自己紹介シーンも、

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オリジナルはこんなに控えめ。

スーパーマンはともかく、みつ夫の顔は違和感ありまくりで、オリジナルで描かれたものと明らかに雰囲気が違う。

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みつ夫(1967年)

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みつ夫(1976年)

顔全体における目の面積が小さくなり、目と目の間隔も広くなったため、コミカルさが薄れ、かなり大人っぽい顔立ちになっている(こうした加筆修正は、いきなり作品の世界観が変わってしまうような気がして、あまり好みではないのだが、それについてはあらためて述べたい)。

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2段ブチ抜きのスーパー星の紹介も加筆によるもので、

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元は実にシンプル。

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微妙な言葉の変更についてはご覧のとおり。

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この件についてはこちらでさんざん書いたので今回はスルー。

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パーマンの超能力を紹介するシークエンスは、現行のものは1.75ページを使っているが、

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オリジナルでは1ページ。比較してみると、元原稿を活かしつつ、大ゴマを使ってダイナミックに表現しているのがわかる。単行本にすると紙面が雑誌よりかなり小さくなってしまうので、そうした点も考慮したのだろうか。

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また、コピーロボットの説明シーンは、現行のものにはロボットがみつ夫の顔になる過程が2段目に描きこまれているが、

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オリジナルにはそうした描写はない。また、「この脳細胞破壊銃でほんとのパーにしてやる」の元コマがかなり狭かったこともわかる。


さて、みつ夫の加筆部分については、顔を見れば容易に判断できるが、これがパーマンになると、マスクをかぶっているため、見分けるのがいささか難しい。しかし、実は顔以外にも見分ける大きなポイントがある。それは、60年代の「オバQ」「パーマン」が「4本指」で描かれているのに対し、70年代以降の「ドラえもん」「新オバQ」は「5本指」で描かれているということ。

アニメや漫画における「4本指」は、歴史的にはディズニーが発祥で、それが手塚大先生を経て藤子不二雄両先生に引き継がれたということらしいが、70年代以降は写実主義の時代に入ったからかあまり見ることはなくなる(アニメの「パーマン」も、60年代の旧作は4本指だが、80年代の新作は5本指である)。ここで紹介している加筆修正は70年代に行われたものなので、5本指になっているものが多い。

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加筆された1、2、3コマ目の人物の指はしっかり5本。

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オリジナルはあくまでシンプル。指は4本。

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2段目右のパーマンとみち子のツーショットは加筆コマだが、注意しないとわからない。

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こちらがオリジナル。コマの配置も微妙に変わっている。

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よくよく見ると、みち子の前髪の数が違う。加筆は3つだが、

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オリジナルは2つ。

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パーマン初の人命救助に出動。加筆なので指は5本。

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オリジナルは指4本。

飛行機を墜落から救う場面も、先ほどの超能力の紹介と同様、コマを大きめにして迫力を増加させているが、それほど大きな修正はないのでここでは省略。

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そしてこれ。ヒーロー物の第1回にふさわしい決意表明のシーン。
「なったからにはがんばらなくっちゃな。ぼくにできるはんいで」
などというセリフは実にF先生チックなのだが、実はこれもすべて加筆。

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オリジナルでは、飛行機を救ったすぐあとに、「さて、そろそろ家へ帰るか」となっており、あくまで日常ベースの物語という感じ。また、みち子のセリフが「子どものスーパーマンが…」になっている。

という感じで、第1回は終了。いやあ、これは思ったより時間と手間がかかる! 本当は「はじめましてパー子です」も手をつけたかったが、とても時間が足りない。しかもこれだけ労力を使っても、「パーマン」に興味のない人には、あんまり面白くないような気もするし…。今後どうするか、ちょっと考えます。
posted by taku at 18:12| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月11日

F先生まぼろしのサイン

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前回のブログに、

当時生田に住んでいた私にとって、藤子不二雄先生というのはご近所の大先生であり、小学3年の時、友人とご自宅までサインをもらいに行ったこともあります。

と書いたので、忘れないうちにその時のことを記しておこう。しかし、このことについて書くのは、正直いささか気が重い。それは、最後まで読んでいただければおわかりだと思う。

あれは小学3年の、秋だったか春先だったか、あまり暑くも寒くもないころだったと記憶している。休み時間に何人かの級友とマンガの話をしていた時、Aくんが、
「うちの近所には藤子不二雄が住んでるんだ」
と言うので、
「それじゃあ、サインをもらいに行こう」
という話になり、やはり近所のBくんも誘って、3人で学校の帰り、F先生のご自宅にうかがったことがある。

「生田に藤子不二雄が住んでいる」ということはすでに知っていたが、歩いていける距離だというのは正直意外だった。もっとも、この時期はすでに生田スタジオで「仮面ライダー」の撮影を見学したこともあったので、「マスコミで有名な存在が、手をのばせば届くところにある(いる)」ということには大して感動も驚きもなかった(今考えると、生活圏内に「仮面ライダー」と藤子不二雄両先生がいたというのはかなりすごいことだと思うのだが)。

小学校から歩いて10分もかからない静かな住宅街に、F先生のお宅はひっそりと建っていた。門柱には「藤本弘」「藤子不二雄」というふたつの表札が掲げてあったと思う。当時は新築して間もないころだったはずだが、とりたてて華美な印象はなく、子ども心にも、
「え、これがあの藤子不二雄先生の家なのか? ずいぶん普通だなあ」
と、ちょっと肩透かしを喰った気分だった。あれだけ想像力豊かなマンガを描く人だから、家ももっと非日常的な建物の方が似つかわしく思えたのだろう。

さて、今でも解けぬ謎なのが、どうしてAくんは、「黒い藤子不二雄」(A先生)ではなく「白い藤子不二雄」(F先生)のお宅に、私とBくんを案内したのかということ。誰でも知っているように、F先生宅とA先生宅はほぼ隣り同士である。そして当時はまだFとAとにわかれていなかった時期で、どちらがどの作品を描いているかは一般には知らされていなかった。それを考えると、A先生のお宅を訪ねてもおかしくなかったはずなのだが、Aくんはしっかり「小学生御用達」である「白い藤子不二雄」(F先生)のお宅の門の前に立ったのだった。

そこで、呼び鈴を押すまでに、3人してかなり躊躇したような記憶がある。いくら近所といっても、Aくんも直接の面識はなかったようだし、いきなり「サインをくれ」というのもずうずうしすぎるのではないか、と小学生の頭でもそう考えたのだ。しかし、せっかく来たのだからということで、多分Aくんが、意を決して呼び鈴を押した。少しの静寂。やがて家の中から、40代のご婦人が出てきた。F先生の奥さまだったと思う。
「…あの、ぼくたち近所の小学生なんですけど、藤子先生のファンで、是非、藤子先生のサインが欲しいんですけど」
なんてことを言ったのだと思う。すると奥さまは、
「今、主人は仕事でいないんですよ」
とおっしゃった。これは、当時のわれわれには少々意外な返事だった。何故なら、あの時代のマンガには、漫画家が自分の家でうんうんうなって執筆している様子がよく描かれていたからだ。そして私の父も作家で自宅が仕事場であったから、漫画家が昼間、「仕事でいない」というのがどうもピンとこなかったのである。
「先生はいないんですか」
「そう、お昼間は東京の仕事場でお仕事をして、帰りは遅いの」
この仕事場というのはもちろん、藤子スタジオのことを指しているわけで、この日のやりとりで、私は藤子不二雄という漫画家は家と仕事場をわけているということをはっきり知った(あらためて雑誌などのおたよりの宛先を見ても、住所は市川ビルの藤子スタジオになっていた)。

とにかく、F先生は不在だという。われわれ3人はしばし顔を見合わせた。先生がいないんじゃ、サインはあきらめるしかないのか…。そんなわれわれの心中を察したかのように、奥さまは、
「じゃあ、描いてくれるように頼んでおくから、2、3日したら取りに来てちょうだい」
とおっしゃったのである。
「え、いいんですか?」
思いがけない話に、われわれは身を乗り出した。
「絵は何がいいの? ドラえもん? オバQ?」
その当時の小学生には、学年誌に数年連載中のドラえもんがなじみ深かったが、一方、「新オバQ」もアニメが放送中で、人気は伯仲していた。しかしわれわれは期せずして3人とも、オバQをリクエストした。
「オバQね。わかりました」
われわれは奥さまに御礼を言い、その日は引き上げた。

そしてその2日後、われわれ3人は約束どおりふたたびF先生宅を訪れ、そこで奥さまから、間違いなくF先生直筆の、オバQイラスト入りサインを、頂戴したのである。手渡されたのは色紙ではなく藤子スタジオの原稿用紙で、青のサインペンでイラストのメイン部分、赤のサインペンでオバQのくちびるとサインが描かれていた。しかも3枚ともポーズが違っている!!
われわれは子どもながらにF先生の細やかな心遣いに感激し、何度も御礼を申し上げてお宅を引き上げたのであった。

こうして、アポなしの藤子不二雄宅訪問は、先生と直接お目にかかることはかなわなかったものの、念願のサインをいただくという、大変大きな収穫を得て終わった。帰り道は、AくんもBくんも私も、かなり興奮していたと思う。ポーズの異なった3枚のオバQをどうやって分配したのかは記憶にないが、多分ジャンケンでもして、勝った者から好きなのを選んだのだろう。私は、割と正面向きのポーズのものを手にすることになった。

それにしても、一面識もない近所の子どもの訪問に、嫌な顔ひとつせず対応した奥さまは本当にできた人だなあとあらためて思う。もっとも、当時の生田は新興住宅地で子どもの数がやたら多かったから、この手の不意の訪問者は日常茶飯事だったのかも知れないが…(それでもああした等身大の対応は、なかなかできることではないと思う)。

さて、こうしてめでたくサインをもらえたというのに、なぜ私はこのブログの冒頭で「いささか気が重い」などと書いたのか。それは、その時のサインが、現在、私の手元に残っていないからである。

この不始末については、あまりにも腹立たしく、本当に、何度自分の頬を張り飛ばしても足りないくらいだ。これよりもっと前の時代の「現代コミクス」などは保存してあるくせに、どうしてF先生のサインが手元にないのか?

処分したという記憶はないのに、どうしても、どこを探しても、見つからないのだ。実に悲しい。そして、取り次いでくださった奥さま、お忙しいところサインを描いてくださったF先生にも本当に申し訳ない。

しかし、こういう、やるせないこともあるのだ。これをお読みの方にも申し訳ない気持ちでいっぱいである。せめてものお詫びのしるしとして、記憶を頼りに再現してみたのがこちら。

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拙い再現ですが何卒お許し下さいますよう。青と赤の配色とサインの位置はこんな感じだったと思う(実際には縦長の原稿用紙の中央に描かれていた)。

ちなみに、最近ネットオークションなどで、人気漫画家のサイン色紙がかなり出回っているようだが、その多くは偽物で、出品者自身が描いているケースもあるらしい。安易に入札するのは避けたいものだが、私も上の再現サインを描いている時、何だか自分が偽物の製造に手を染めているような錯覚に陥り、ちょっと後ろめたい気分であった。
posted by taku at 16:32| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月09日

お宝年賀状

昨年暮れは、4回連続で藤子不二雄先生ネタを書いたということもあり、半世紀近く所蔵してきたお宝年賀状を特別に公開することにしました。昨日、実家の物置からやっとのことで見つけ出したものです。

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まずは1973年。ネットで検索してみても、70年代のものはあまり見つからなかったので、割とレア度は高いのかも知れません。「ジャングル黒べえ」の黒べえ、赤べえ、パオパオが目立つ場所に描かれていますが、これらのキャラはまったく見たことがなかったため、しきりと首を傾げたのを覚えています(「ジャングル黒べえ」は放送・連載ともこの年の3月に開始)。当時の私は小学3年生でした。

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こちらは2年後、1975年。73年の賀状はF先生のキャラがメインでしたが、こちらはキレイに左半分がF先生、右半分がA先生のキャラになっています。「プロゴルファー猿」はこの前年(1974)に連載が始まったばかりですが、キャラクター全員にゴルフクラブを持たせていることから推察して、すでにかなりの話題作だったことがうかがえます。私は小学5年生でしたが、この時期『少年サンデー』は読んでいなかったので、「プロゴルファー猿」のことはほとんど知りませんでした。

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ネットオークションなどで入手したものでない証拠として、一応表面も載せておきます。差出人は藤子スタジオで、住所は今は亡き市川ビル(ぼかしをかける必要はなかったかも…)。

小学生のころは、何度となく藤子スタジオ宛にファンレターを送っていたので、ファンサービスの一環として、こういう年賀状が送られてきたのです(ついでに言うと、当時生田に住んでいた私にとって、藤子不二雄先生というのはご近所の大先生であり、小学3年の時、友人とご自宅までサインをもらいに行ったこともあります。しかしその話はやや長くなるのでまたの機会に)。

最後に、これは藤子不二雄先生ではありませんが、やはり何度かファンレターを出した永井豪先生(ダイナミックプロ)の年賀状(1974年)。

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こちらは、左上の筆者の絵のみオリジナルで、あとはそれぞれの掲載誌の絵を転載しています。年賀状用の1枚絵を書き下ろすだけの時間的な余裕はなかったということでしょうか。上から「バイオレンスジャック」「マジンガーZ」「ドロロンえん魔くん」「キューティーハニー」。4作中3作がアニメ放映中だったというのもすごいです。ちなみに「マジンガーZ」は『少年ジャンプ』での連載を終え、『テレビマガジン』に移っていました。
posted by taku at 20:39| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月02日

謹賀新年(もうすぐブログ10周年)

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明けましておめでとうございます。

今まで、ブログで年頭のご挨拶をしたことはなかった(と記憶している)のですが、今年はこのブログを始めてちょうど10年という節目の年でもあるので、朝日の写真などあしらって、ちょっと華やかな気分を出してみました(といってもこれは一昨年の暮れに撮ったもので、今年の初日の出ではありません。撮影場所は熱海、相模湾の朝日です)。

まあ、10周年だからといって特に何かやるわけではありませんが、時の経つのは本当に早いものです。このページを立ち上げた時には45歳直前だった私が、もうすぐ55歳ですからね。それから、この10年でブログというツールそのものが、後発のSNSに押されてかなり衰退し、無料のブログサービスがずいぶん消えてなくなってしまいました。そんな中で、このseesaaブログは、よく持ちこたえていると思います。数年前に、一度すべてのページがgoogle検索から飛ばされた時には「seesaaブログも終了か?」とあせりましたが…(その時の様子はこちら)。

それから、ブログについてもうひとつ言えば、ほぼ1年前から、アクセス解析でキーワードを調べることができなくなったのが結構ショックでした。もっともこれは、GoogleやYahoo!の、「ウェブ検索ページのSSL化導入」によるものなので、ブログに限らず、ホームページに設置したアクセス解析でも同様なのですが…。この事態は、ブログやホームページ記事執筆のモチベーションに、かなりマイナスの影響を与えているように思います。2016年暮れぐらいまでは、「このページを閲覧した人は、どういう単語を検索してここにたどりついたのか」がアクセス解析を使えばわかったわけです。具体的に言うと、私のことなどまったく知らない人が、

「ナゾー様 素顔」とか、
「ウルトラ兄弟 誕生」とか、
「大船観音 シルバー仮面」とか、
「倉田室長 大平透」とか、
「樹海 死体 発見 警察」とか、

そういうキーワードを打ち込んだ結果、ここにアクセスしてきていた、ということが詳細に把握できたわけで、そんな言葉の羅列を見るのが、小さな発見、ささやかな喜びでもありました。しかし現在では、どのページがどれくらい閲覧されているかはわかっても、その経路を知ることはできません。読んでくれた方との接点がまったく失われたようで、いささか淋しい状況であります(コメント欄を設ければいいのかも知れませんが、根がズボラな私には、迅速かつ的確なコール&レスポンスは難しいのです)。

というわけで、かなり一方通行の情報発信ではありますが、今年も、気が向くままに更新していくつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。
posted by taku at 11:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月31日

2017年、年の瀬に

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今年(2017年)も、あと7時間ほどで終わる。

1年を振り返って、いろいろ思い出すことはあるが、やはり自分にとっては、10年越しの映画『鎌倉アカデミア 青の時代』を世に出せたというのが一番大きい。何と言っても最初にカメラを回したのは2006年の5月、まだビデオの基本フォーマットがHD(16:9)ではなくSD(4:3)だった時代である(したがってこの時の映像はSDでテープ収録)。このあとに、『凍える鏡』を撮って、『龍の星霜』を書いて、『影たちの祭り』を撮って、実家も改築して、その間には東日本大震災もあって…と、今年1年を振り返るはずが、いつの間にかこの10年あまりを振り返ってしまう。

そんな長大な作品がひと区切りついたということもあり、目下、完全な抜け殻状態である。「次は何を撮るんですか?」と聞かれることもあるが、まったく答えられない。ネタはあるけれど隠している、のではなく、本当に何もないのである。まあ、こういう時期はこういう時期ということで、普段見ないものを見たり、行かない場所に行ったりして、鋭気を養うべきなのだろう。

今年は『鎌倉アカデミア 青の時代』の公開に関連して、実に多くの方々のお世話になった。その方たちにあらためて感謝の意を捧げつつ、2017年を送りたいと思う。
posted by taku at 16:30| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月29日

F&A 活動開始30年

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(2点とも『週刊少年サンデー』1968年1号の新春特集ページより)

今年(2017年)は、パーマンの放送開始から50年ということで、パーマンネタを3回ほど書いてきたが、実は、今年は「2人で1人のマンガ家・藤子不二雄」がコンビ解消を発表してからちょうど30年という節目の年でもある(30年前の今ごろ、1987年12月23日の消印で、出版関係者に挨拶状が送付された)。だから、今回はパーマンをお休みしてそちらを取り上げてみたい。最初は「コンビ解消30年」というタイトルをつけてみたのだが、「解消」というと何となくマイナスのイメージが付きまとうので、藤子・F・不二雄と藤子不二雄Aという二人のマンガ家が新たに誕生した記念の年ということで、「F&A 活動開始30年」にしてみた。

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こちらは1988年1月30日の朝日新聞(クリックで拡大)。そのころの私は大学卒業間際、就職を目前に控えており、人生の中でももっとも藤子マンガと遠かった時期だと思うが、それでもこうして新聞を切り抜いていたところを見ると、やはり無関心ではいられなかったのだろう。

この記事には、「ドラえもん」「パーマン」はF先生、「忍者ハットリくん」「怪物くん」はA先生の作品であると書かれており、これは、幼年期からの藤子不二雄ファンにとっては、サンタクロースの正体をばらされたような、結構な衝撃であった。小学生時代、「まんが道」を繰り返し読んだ者としては、2人でアイデアを出し合い、2人で机を並べて執筆するというのが「藤子スタイル」だと、信じ込まされてきたからである。

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『週刊少年チャンピオン』(1971)より。最初の「まんが道」は「チャンピオンマンガ科」というマンガ入門講座のラスト2ページに「マンガ道」のタイトルで掲載されていた。

もっとも、「藤子スタイル」を喧伝したのは「まんが道」だけではない。雑誌の特集ページなどでも「藤子不二雄は2人で1人、常に合作をしている」というアピールがなされていた。

以下は、前回紹介した『週刊少年サンデー』の「週刊パーマン」より。

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「10時半ごろ、仕事場の、スタジオゼロに到着」
「さっそく、サンデーの、アイデアをふたりで相談」

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「おひるごはんは、両先生とも、奥さんのつくったお弁当」
「午後は、サンデーの絵を、フーフーいってかく」

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「夜は、テレビマンガをみて、いろいろふたりで話しあう」
「夜もふけたころ、いっしょに、家に帰る」

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一度ネタがばらされてみると、「ドラえもん」の描線と「怪物くん」の描線はたしかに違う。しかしこれはコロンブスの卵のようなもので、言われるまではっきり気づかなかった人の方が多いのではないだろうか。それは、先ほど書いた合作アピールのせいもあるが、それ以外にもうひとつ、1960年代の代表作「オバケのQ太郎」では、キャラクターを分担して、実際に共同で執筆していたという事実が大きい。

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オバQとほかのオバケ、大原パパ&ママはF先生、正ちゃん、伸一兄さん、小池さんはA先生が担当。

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また、実は「パーマン」でも、パーマン1号(みつ夫)をはじめとする主要キャラはF先生だが、パートナーであるパーマン2号といじめっ子キャラのカバ夫&サブはA先生が担当している(カバ夫の独特の目の形を見れば明らか)。

小さいころから「オバQ」や「パーマン」を読んでいた私たちの世代は、2人の微妙に異なるタッチがひとつの作品の中に自然に共存しているのを見ていたため、どちらのタッチも「藤子不二雄」として認識し、その認識が後年になっても続いていたのだろう(もっともこのころは、共作ということを意識して、両氏とも相手の作風に似せて描いていたような印象も受ける)。

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「新オバケのQ太郎」(1971〜73)のころになると、2人のタッチがかなり異なってきているのが明らかに。

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1980年代の「パーマン」。この時期の「パーマン」はパーマン2号やカバ夫、サブもすべてF先生が描いているが、「プロゴルファー猿」を意識したこのページの2号だけは、A先生が描いているようにしか見えない。

33年におよぶコンビ解消の理由については、当事者だけしかわからないことなので、詮索する気はさらさらないし、その是非を論ずるつもりもないが、上の新聞記事を読み返して「はっ」としたのが、この時の両先生が、今の私と同じ50代なかばであったこと。やはりこの年代というのは、青少年期から背負ってきた荷物を一度肩から下ろし、これまでの道のりを振り返り、自分や周囲を見つめ直す時期なのだろうか。記事のインタビューでF先生は「何か新しいことやれるのではないか」と将来に期待を寄せ、一方、A先生は「50代で初めて独り立ち。だから不安ですよ」と語る。人生の後半戦に臨むお二人の心には、文字どおり期待と不安が相半ばしていたに違いない。

「不安ですよ」と漏らしたA先生がいまだご壮健で、「新しいこと」と夢を語ったF先生がこのあとわずか8年で他界したことを思うと、人生のままならなさにため息だけがこぼれる。ともあれ、コンビ解消の後も、2人の間ではそれまでと変わらぬ友情が継続していたというのがうらやましい。多くの忘れがたい作品を世に送り出した2人で1人の「藤子不二雄」に、改めて感謝と賞賛の意を表したい。

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『週刊少年サンデー』1967年2号新春特集ページ。「無人島へいって、のんびりと、くらすのが、ボクたちの、夢と希望です」
posted by taku at 19:25| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月27日

パーマン放送開始50年(3)

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前回に続いて「パーにする」設定周辺のお話。まだまだ書きたいことがいろいろとあるので…。

「パーマンの秘密を他人に知られたら、パーにするぞ」というのが、旧「パーマン」において、スーパーマンがパーマンたちに言い渡したペナルティであった。しかし、脳細胞破壊銃をちらつかせることはあっても、スーパーマンが実際に手を下して、パーマンのうちの誰かをパーにした、という描写は、原作にもアニメにも存在しない。これはまあ、秘密がばれたことが一回もないので当然だが、夢やイメージシーンでさえ、みつ夫やパー子やパーやんがパーになってエヘラエヘラしているという場面は一度も出てこなかった。このあたりにF先生の児童マンガ家としての良心を見る気もする、と言いたいところだが、実は『週刊少年サンデー』20号に、驚くべきシーンが存在する。

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この号では「週刊パーマン」という7ページのカラー特集が組まれているのだが、その中に次のようなマンガが…。

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登場するのはオバQとパーマン2号。オバQはバナナの代償に2号からマスクとマントを借りてパーマンとなるのだが…

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その正体をカバ夫とサブに明かしてしまったところ、その瞬間パー(サブいわく「オパーQ」)になってしまうのだ!(脳細胞破壊銃を使わなくても、遠隔操作でパーにできるということか)

いくら作品中ではないといっても、れっきとした掲載誌の特集ページでのことなので、かなりのインパクトがある。一体どういう意図でこのマンガは描かれたのだろう。
これは想像だが、「パーにするぞ」と口で言うだけでは説得力がない。パーマンの秘密を知られると、実際こういう結果になるのだ、というのを読者の少年少女に知らしめたい。しかし作品中でやるのはさすがにまずい。そこで、誰でも知っているが「パーマン」のキャラクターではないオバQを使って、その状態をマンガで見せてやれ、という遊びごころがF先生の頭に去来したのかも知れない(もっともこの特集ページは、F先生自身ではなく、アシスタントのしのだひでお氏かヨシダ忠氏の筆によるものに思える)。

この「週刊パーマン」は、上記のマンガのほかにも、

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特別公開!! パーマン大探検(藤子先生の頭の中を調査)

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特別図解 パーマン本部基地

など見どころ多数。

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パーマンタイムズには、パーマン2号が6601倍のパワーを出したとか、パー子は団地に住んでいるとか、他ではお目にかかれない珍情報が満載。

どうしてこういうものが「大全集」の巻末に収載されなかったのだろう。「オパーQ」はNGとしても、ほかのページはそれほど問題はないように思えるのだが。

さて、ここからは「パーにする」というペナルティとは関係はないが、「パー」「クルクルパー」「くるう」などの表現が変えられた例を紹介していこう。

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現在「はじめましてパー子です」に収められているこの場面、もともとは小学三年生版「パー子登場」で描かれたもので、初出の『週刊少年サンデー』には載っていない。よって現物を確認することはできなかった。「弱むしけむし」を現わすのにあの指は意味不明だろう。オリジナルは「パーマンじゃなくてクルクルパーだわ」。

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小学三年生版「パー子登場」をベースにした白黒アニメ版の「パーマンくらべ」ではパー子はしっかり、

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「パーマンじゃなくてクルクルパーだわ」と身振り付きで言っている(こうでなくっちゃね)。

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「鉄の棺桶%ヒ破せよ」より。オリジナルは「にげろ!! パーやんは気がくるった!!」だが、現在は「にげろ!! パーやんはいったいなにを考えているんだ!!」に。

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「パーやん気がくるったな」とあきらめ顔の1号。これも「パーやんやっぱり変だよ」とかなりマイルドなセリフに。

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「きみはもしやパーマンでは…」という問いに「そうですねん、ぼくはパーです」とボケをかます関西人。現在では「えっ、パーマン、どこにどこに」と、まったく違うニュアンスに変えられている。

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なお、「大全集」5巻には「くるわせ屋」というエピソードが収録されているが、これもかなりセリフが変えられているようだ(初出雑誌は『小学館コミックス』で、これも現物を確認できず)。
元のセリフは「殺し屋がたのまれて人を殺すように、くるわせ屋は人をきちがいにして金をもらうんだ」というものだったらしい。それにしても「人の人生をくるわせて〜」とは、ずいぶん苦しい改変である。狂わせるのは頭だろう! そんなの小学生でもわかるぞ。

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「くるわせ屋」といえば、反射的に、現在絶賛封印中の「怪奇大作戦」第24話「狂鬼人間」が思い浮かぶが、あちらは1969年2月の放送、この「くるわせ屋」は1968年3月号掲載なので、こちらが約1年早い。パーマンのこのエピソードが、「狂鬼人間」のストーリーに何らかの影響を与えたのでは?という推測も、時系列的には成り立つわけだが…。

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もっとも、前回も書いたように、1960年代はこうした話がかなり頻繁に作られていた時代で、同時期の『週刊少年サンデー』に連載されていた「バンパイヤ」(手塚治虫)にも、人類を原始人の状態に戻す「マッドPA(パー)」という薬が登場し、それが物語後半のキーアイテムとなっている。

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マッドPA(パー)の開発者は手塚先生の友人・熱海教授なのだが、容赦なく「キチガイ」呼ばわり。ちなみに「バンパイヤ」は手塚先生自身が主役顔負けの大活躍をする快作で、作中ではマッドPA(パー)の製造まで行っている。

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また、今回この一連の記事を書くにあたり、当時の『週刊少年サンデー』をあれこれめくっていたところ、「おそ松くん」(赤塚不二夫)のこんな回を見つけた。
監督から下手くそと罵倒された俳優が、「演じる」のではなく「なり切る」という、いわゆるスタニスラフスキーシステムに則ってさまざまな役に「なり切る」訓練を重ねていく。

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行動は次第にエスカレート、本人は自分の名演に酔いしれるが、周囲からはキチガイ扱いされてしまうという話。

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もう全編「きちがい」のオンパレードで、最後は精神病院に入れられるという鉄板のオチ(この話が現在、単行本に収録されているかは不明だが、収録されているとしてもセリフはかなり修正されているだろう)。これらを見ても明らかなように、当時の『週刊少年サンデー』には、手塚・赤塚・藤子の三巨頭が、そろって「気がくるう」ネタを扱ったマンガを発表していたのである。その是非をここで論ずる気はないが、作品というのはほぼ例外なく時代の落とし子であり、その時代の雰囲気を知るためにも、セリフは発表当時の言葉のままで読むのが適当であると思う。「おことわり」を入れた上でのオリジナル表記復帰がもっと一般化して欲しいものである。

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ハイカップの宣伝のお子様も「クルクルパー」の「パー」!

後半は「パーマン」から離れてしまったが、「パーマン」ネタは多分まだつづく予定。
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2017年12月25日

パーマン放送開始50年(2)

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何とか2017年のうちに書いておかなくちゃ、と、年末も押し迫ったあわただしい中で始まったこのシリーズ、今回は、旧「パーマン」世代なら誰でも多かれ少なかれ気に留めているに違いない、カラーアニメ化にともなう設定と名称変更の問題について書いていきたい。

2号(ブービー)の住んでいるのが動物園でなくなったり、時速が91キロから119キロにアップしたり、というのはそれほど大きな問題ではなく、ここで取り上げたいのは、「パーマンの秘密を他人に知られた場合」のペナルティ、そして「スーパーマン」から「バードマン」への名称変更である。

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まずは秘密を他人に知られた場合のペナルティについて。旧作では上画像のように、スーパーマンは「脳細胞破壊銃でほんとのパーにしてやる」と言っているが、新作アニメが始まった1983年以降の書籍では、すべて「細胞変換銃で動物に変身させてやる」に変更されている。

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「……だめだ、ひみつをうちあけると、ぼくはパーになる」(→「動物にされる」に変更)

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さらに、「おじさんは精神病院から脱走してきたんだね」というセリフも、「おじさんはぼくをからかってるんだね」に変更(「映画の宣伝も大変だね」というバージョンもある)。以上は「パーマン誕生」より。

思い起こせばこのころは、映画、マンガ、テレビなどで、精神に異常をきたす描写や「気ちがい」という言葉は、かなり頻繁に登場していた(「パーマン」と同時代で有名なものとして、1967年放送の「ウルトラセブン」第8話「狙われた街」がある)。それが、1970年代の中盤以降、某団体のクレームをきっかけに、「気ちがい」「気が狂う」という表現は自粛(禁止ではない)されるようになり、また、精神に異常をきたす描写自体も、見かけることが極端に減っていった(「めくら」「つんぼ」「おし」「かたわ」といった身体的なハンディキャップを表す言葉が差別用語と見なされ、使用が控えられるようになったのもほぼ同じ時期)。すなわち、旧「パーマン」(1966〜68)は「気ちがい」という言葉や描写が頻繁に使われていた時代の作品、新「パーマン」(1983〜85)は、そうした言葉や描写が忌避されていた時代の作品なのである(しかし最近は「おことわり」を入れて、当時のままの言葉で放送、出版するケースが増えている。前述の「狙われた街」でも、「まるでキチガイ病院だ」というキリヤマ隊長のセリフは近年無修正で放送されることが多い)。

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「狙われた街」より。左が「まるでキチガイ病院だ」と言い放った直後のキリヤマ。

「パーマン」ではもともと「気ちがい」というストレートな言葉はほとんど使われていないが(「気がくるう」はたまに出てくる)、「パー」という言い回しも、「頭がおかしい」とほぼ同じ意味であるため、時代の流れにしたがって変更を余儀なくされたということだろう。しかし、その代案が「動物にする」というのはどうも釈然としない。2号はもともと動物(チンパンジー)なのでペナルティにならないではないか(2号の場合は別の動物に変えられるということのようだが…)。

もともと、秘密を知られた場合にパーにされるというのは、ペナルティと同時に口封じの意味合いも強い。たしかに動物に変えてしまえば喋れないので口封じにはなるが、あまりに突飛で、現実味に乏しい。これは前々から考えていたことなのだが、「記憶を消す」でよかったのではないだろうか。

実際、新アニメの410話「さよならパー子」(1984)では、パー子が海外留学のためパーマンをやめるとバードマンに申し出るシーンがあり、それを受けたバードマンは、脳細胞破壊銃としか思えない銃を取り出し、
「この銃は、君のパーマンであった部分の記憶をすべて消してしまう。残酷なようだが、パーマンの秘密を守るためには仕方ないのだ」
と宣告している(結局パー子はパーマンをやめず、記憶も消されないのだが)。

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「さよならパー子」より。旧パーマン世代にはびっくりの、かなり胸熱な展開。

これが普通に放送されたのなら、「記憶を消す」というペナルティはまったく問題ないことになる。実はこのエピソードは、1週間ほど前にネットでその存在を知り、数日前に初めて視聴して大いに驚いたのだが、もしかすると新アニメのスタッフも、「動物にする」というペナルティには違和感を覚えていたのかもしれない。

ただ、「パーマンであった部分の記憶を消す」だけでは、口封じにはなってもペナルティとしてはいささか弱いので、秘密を知られてしまった場合には「すべての記憶を消す」とすればいいと思う。人間が、生まれてから現在までのすべての記憶を失ってしまえば、頭の中は真っ白、パーと大差はない。しかし、いわゆる記憶喪失(全生活史健忘)は「気ちがい」とは違うので、これならクレームも発生しなかったと思うのだが…。今から30年前の設定変更について今さらああだこうだ言っても始まらないが、「脳細胞破壊銃でパーにする」というペナルティは、一見のびやかなパーマンワールドの中に潜む「黒い十字架」であり、それを背負いながら戦っている、というところに、この作品の奥深さがあるようにも思えるのだ。

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「パーマン全員集合!!」より。パーマンセット(マスクとマント)を奪われたみつ夫は、「やくそくどおりパーにする」とスーパーマンに銃口を向けられる(でも、実際は「約束」したわけではないんだけどね。初回でスーパーマンが一方的に宣告しただけ)。修正後のセリフは「やくそくどおり動物にする」。

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「クルクルパーにされちゃって、一生わけもわからずにくらすんだ」と涙ぐむみつ夫。これはホントに怖いだろう。現在は「動物にされちゃって、一生つらくくらすんだ」というセリフに変えられているが、恐怖の質がまったく違う。

私自身の小学校時代を振り返ってみても、自分が「気ちがい」になるというのは、想像するだけで底知れぬ恐怖心が沸き起こることであった。私の住んでいた生田には、その当時から精神科専門の大きな病院があったのだが、頭がおかしくなった者は「黄色い救急車」でそこに連れて来られ、鉄格子で仕切られた病室に収容されているのだと、まことしやかにささやく同級生がいて、近所にそんな施設があるのか、と恐れおののいたものである。そして同時に、自分は今は自分のことがわかっているけれど、頭を強打するなど何かのはずみで、自分で自分のことがわからない状態になることもあるのではないか、そうしたら自分もそんな病院に入れられてしまうのだろうか、などという不吉な妄想で頭がいっぱいになったこともある。少年期には、誰しもそうしたアイデンティティ崩壊の恐怖を覚えることがあるのではないだろうか。そして、「パーマン」における「脳細胞破壊銃でパーにされる」というペナルティは、そうした少年少女の潜在的な恐怖心をかなり鋭く、リアルに刺激するものだったように感じる。それだけに、「動物にする」という現実離れしたぺナルティへの変更は残念で仕方がない。「すべての記憶を消す」なら、アイデンティティは確実に崩壊するわけで、同じような恐怖心を喚起することは可能だと思うのだが…。

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「パーマンはつらいよ」より。自分がパーマンであることを家族や友人に打ち明けたいと言い出すみつ夫に「そんなことをしたらパーにする」と恫喝するスーパーマン。現在では「ぜったいにゆるさん」というセリフに変更。

もっとも、このペナルティが物語の中で取り上げられるのは、100話以上ある旧原作の中でもほんの数話であり、この改変が作品全体に大きな影響を与えているということではない。

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どちらかといえば、これから述べる「スーパーマン」から「バードマン」への名称変更の方が、いろいろと面倒を引き起こしているように思う。旧原作ではみつ夫をパーマンに任命したのは「スーパーマン」で、彼は、
「マスクやマントをつければだれでも超人的な力をもてるんだ。しかしほんもののスーパーマンにはおよばないのでこれをパーマンとよぶ」
と説明している。

つまり、

スーパーマン>パーマン>パー(秘密がばれた時)

という図式になり、呼称が短くなるにつれ、能力も落ちるというシャレになっていたわけである。しかし、1983年のカラーアニメ化の際には、権利関係で「スーパーマン」の名前が使えなかったのか、

スーパーマン→超人→鳥人→バードマン

という発想の転換(?)でバードマンに名称変更し、同時に、マスクのデザインも鳥をイメージしたものに変更されたが、バードマンとパーマンでは言葉の関連性も乏しく、旧パーマン世代にはおおむね不評のようである。もっともこれは、リアルタイムで「帰ってきたウルトラマン」を見ていた世代が、後付けの「ウルトラマンジャック」という名称に拒否反応を起こすようなものだろう。幼少期に見たものが「原型」として脳に刻印されるというのは本能的なものなのかも知れない。

とにかく83年以降は、パーマンの上司といえばバードマンで統一されていたのだが、前回も書いたように、2009年の「藤子・F・不二雄大全集」では、「バードマン」の名称を当初の「スーパーマン」に戻している。「大全集」という性質上、初出時の設定を尊重したということなのだろうが、それなら「パーにする」設定も復活させるべきで、どうにも一貫性がない。しかも、2016年のてんとう虫コミックス新装版では、原稿のスキャンデータは「大全集」のものを使いつつ、名称は「バードマン」になっており、もはやこの問題はまったく集結点が見えない。一度設定に手を加えてしまうと、どこまでも混乱が続くものなのだろうか。

しかし、以上は原作マンガに限った話であり、アニメにおいては2014年に画期的な事件が起きた。それは、言うまでもなく白黒版アニメのDVD発売で、何とこのソフトでは、「パーにする」設定も「スーパーマン」の名称も放送当時のままだったのである。

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こういう「おことわり」を入れておけばいいわけですよ。

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「パーマン誕生の巻」より。パーマンのマスクを被らされたみつ夫が「パーマン? この人パーじゃなかろか」とつぶやけば、

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スーパーマンは「もし人にきみの秘密を漏らせば、その場できみは本物のパーになる」と警告する(ご丁寧に、「クルクルパー」の指の動きまで)。

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カバ夫とサブの計略でマスクを取られたみつ夫、初回からピンチ!「顔を見られたらパーになっちゃうよ〜」とベソをかく。この第1話だけで5回「パー」と言っている。

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「パーマン全員集合!!」より。「脳細胞破壊銃だ! 約束どおりパーにするぞ!」と迫るスーパーマン。

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震え上がるみつ夫。

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「ぼくはもうダメだ! クルクルパーにされちゃって、一生わけもわからずに暮らすんだ!」と、みつ夫はパー子の目の前で泣きわめく。アニメだけあって原作より感情表現が派手。

……というわけで、マンガ版の自主規制に納得の行かないものを感じていただけに、この2作品は実に痛快だった。このままでも、まったく問題ないじゃないか!

マンガはネームを貼り替えればセリフの変更が容易にできるが、アニメは再録音が必要になり、まして50年近く前の作品ともなると、当時の声優を集めるのもひと苦労である(もっとも、そうした事例がないわけではなく、たとえば「奥さまは魔女」では、オリジナルのキャストを招聘し、差別用語に当たる言葉だけを他の言葉に変えて録音し直している。以前、ダーリンの吹替えをやっていた柳澤愼一氏に聞いたところでは、「めくら蛇におじず」などということわざも今ではNGらしい。ご本人は「いろいろ面倒くさい世の中になったねえ。40年以上も前の若いころの声と同じに喋ってくれなんて言われても、そんなのできるわけないよ」と苦笑いをしていらした)。今回はそこまで手間をかけるのは見合わないという判断だったのかも知れないが、とにかく、オリジナルのままの状態でソフト化したのは英断だと思う。と同時に、これまで長らく封印されていた「パーにする」設定と「スーパーマン」の名称を広く世に出してしまった以上、マンガもこちらに合わせて原形に戻してしまえば、すべてがすっきりすると思うのだが…。

しかし、そう考えるのは私が旧パーマン世代だからであり、1980年代の新パーマンを見て育った世代は、「動物にする」設定や「バードマン」でなければしっくり来ないのかも知れない。実に悩ましい問題である。ともあれ、2017年の現在「パーマン」という作品は、入手可能な正規のメディアにおいて、「パーにする」設定と「スーパーマン」(旧作DVD)、「動物にする」設定と「バードマン」(原作マンガと新作DVD)、「動物にする」設定と「スーパーマン」(大全集における原作マンガ)、という3パターンが存在する、何ともカオスな状態を呈しているのである。

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posted by taku at 16:49| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日

パーマン放送開始50年(1)

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昨年(2016年)来、「ウルトラマン」については、放送開始50年ということで、当ブログでも何度か取り上げてきたが、実は、今年(2017年)は、60年代のもうひとりのスーパーヒーロー、「パーマン」の放送開始50年でもある。というわけで、何とか今年のうちにと思って書き始めたのだが(遅いよ)、「パーマン」については、漫画版とアニメ版が新旧それぞれ2つあるため、名称や設定の変更など気になる点、書きたいネタが頭の中に山積しており、とても1回ではまとまりそうにない(いつものこと)。というわけで、何回かにわけて、思いつくままに記していきたいと思う。

まず、50周年についてだが、私は当初、この記事のタイトルを、「パーマン生誕50年」としていた。しかし、ネットで検索してみると、公式的には、昨年(2016年)がパーマン生誕50年のメモリアル・イヤーということらしい。ショック! これは、『小学三年生』『小学四年生』での連載が1966年の12月に始まったからで、それに合わせて、てんとう虫コミックスでは昨年6月に全7巻の新装版も発売されている。

□『パーマン』新装版 全7巻|小学館

上の事実を知ったのが今から15分前。手元にあった「藤子・F・不二雄大全集」の『パーマン』3、4巻巻末でも確認したので間違いない。…何かね、一気に書く気が萎えてしまいましたよ。すっかり時流に取り残されていたということを知って…。もう、書くのはやめた方がいいのだろうか。

いやしかし! メインの掲載誌というべき『週刊少年サンデー』での連載は1967年の2号からだし、白黒版アニメは4月2日にスタート。当時の私はアニメでパーマンを知ったクチだから、少なくとも私の中では、そして多くの当時の少年少女にとっても、今年がパーマンと出会って50年で間違いないのだ!と考え直し、タイトルも、絶対に誤りでない「パーマン放送開始50年」と改め、書き進める所存である。

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こちらが連載開始号である『週刊少年サンデー』1967年2号。表紙は白土三平の「カムイ外伝」。

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よく見ると、パーマンのデザインが『小学三年生』『小学四年生』だけに登場した初期バージョンである。

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背表紙も同じく初期バージョン。表紙の印刷は本文より早く、その時点では新デザインは未完成だったということだろうか?

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カラー扉はおなじみのパーマン。ちなみに、この号に掲載された「パーマン誕生」は、最初に単行本化された際(虫コミックス・1970年)、かなり加筆修正されており、その後、再アニメ化にともなう設定変更などもあって、現在出回っているものとはかなり違っている。「パーマン」のマスクとマントを与えるのは「スーパーマン」。

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2009年の「藤子・F・不二雄大全集」では、1983年以来「バードマン」だった名称が「スーパーマン」に戻ったが、2016年のてんとう虫コミックス新装版ではまた「バードマン」に逆戻りしている。このあたりはそろそろ統一して欲しいところなのだが…(名称や設定変更の問題については、かなり長くなりそうなので次回以降に)。

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こちらは『週刊少年サンデー』1967年16号。

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同誌に連載中の「パーマン」「キャプテンウルトラ」「仮面の忍者赤影」「冒険ガボテン島」の4作品が4月から放送開始となるため、その宣伝記事が掲載されている。

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スーパーマンの紹介に、「パーマンの親分」と書かれているのが何だがおかしい。

さて、1967年4月といえば、「ウルトラマン」が最終回を迎えた月である。当時、「ウルトラマン」は日曜7時TBSの「タケダアワー」枠、「パーマン」は同じ日曜7時半TBSの「不二家の時間」枠。そのころの多くの子どもたちが、その2枠をワンセットで見ていた。
4月2日は「ウルトラマン」が最終回ひとつ前の38話「宇宙船救助命令」で、その直後に記念すべき「パーマン」第1回(「パーマン誕生の巻」「ロボット・ママの巻」)が放送されたわけである。そして翌週、4月9日は「ウルトラマン」があの最終回「さらばウルトラマン」、「パーマン」は第2回(「マル秘パーマン2号の巻」「そうなん救助の巻」)。その翌週から「タケダアワー」枠では東映製作の「キャプテンウルトラ」が始まるので、ウルトラマンとパーマンが連続放送されたのは、わずか2週だったということになる。

以上は記録に基づく客観的事実だが、私のぼんやりとした記憶の中では、「ウルトラマン」は「パーマン」よりもだいぶ前の作品として位置づけられており、だから、わずか2週とはいえ、重なっていた時期があったのは少し意外だった。これは、ちょうどこの時期に実家の引っ越しが行われたことが関係していると思う。すでにいろいろなところで書いたが、実家が読売ランドから現在の生田に越したのが、ちょうど「ウルトラマン」が最終回を迎えた4月9日だった。それゆえ、「ウルトラマン」といえば前の実家で見た番組(=古い)、「パーマン」は現在の実家で見た番組(=新しい)、という記憶の区分けが為されたのであろう。「ウルトラマン」はその後、再三再放送やビデオなどで見返しているので、おのおののエピソードは頭にインプットされているが、リアルタイムで視聴していた記憶は大変薄いのである。

それに対し、現在の実家に移ってからの特撮やアニメは、どれも、きちんと視聴した記憶が残っている(まあ、だいたい4歳ごろから記憶は鮮明になるものだが)。「パーマン」もその例に漏れず、毎週家族で楽しみに見ていた覚えがある(「キャプテンウルトラ」より熱心に見ていた気がする)。特に印象深いのは最終回で、それまでのライトなコメディ路線はどこへやら、えらく深刻でしんみりした雰囲気だったのが忘れられない。物語はよくわからなかったが、パーマンが屋根の上でスーパーマンに何かを諭され(当時は責められているように思った)、やがてパーマンは口を結んだまま(笑顔は一切なく)空に飛び立つ。その姿がえんえん写り、結局どこまで何をしに行ったのか見せないままで終わる、という突き放したようなラストが何とも淋しく、それゆえ長年記憶にとどまっていた(下画像は、その白黒版アニメの最終回「パーマンよいつまでも」の原作にあたる「パーマンはつらいよ」。無償の善意と承認欲求との間で葛藤する人間の姿を見事に描いた傑作。今読み直しても深く考えさせられるが、未就学児童には難しかったようだ)。

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とにかく、4歳児の私は、当時かなり「パーマン」を気に入り、しっかり毎週見ていたのはたしかである。しかし「ウルトラマン」が、怪獣という強力アイテムを持っていたのに対し、「パーマン」にはそういったものがなく、また、再放送の機会も少なかったため、数年も経たず、私の中で「パーマン」は過去の番組となっていった。1983年にアニメがリメイクされた時も、まったく食指が動くことはなく、500回以上放送されたのに、見事に1回も見ていない。興味が再燃したのは割と最近のことで、2009年に刊行された「藤子・F・不二雄大全集」の『パーマン』を懐かしさ半分で手に取ってからである。
一読して大きくうなった。私はそれまで「21エモン」がF作品の中での一番のお気に入りだったのだが、その認識を改めなくてはならないと思った。「パーマン」は、学校や家庭といった日常的な場に「SF(=スコシ・フシギ)要素」(F先生が好んだ表現)が加わったことで笑いが生まれる「ほのぼのギャグマンガ」であると同時に、そのSF要素を駆使して、悪人と対決したり人命救助を行ったりという非日常的な冒険アクションが展開する「ヒーローマンガ」でもある。このふたつが無理なくスマートに融合され、この作品でしか味わえない爽快感を生み出しているのだ。みつ夫をはじめとする各パーマンのキャラクターは実に魅力的で、設定やアイテムも気が利いている(特にコピーロボットの使い方が秀逸)。ストーリーはバリエーション豊富かつスピーディーで、大いに笑い、何度か泣かされた。「これほどクオリティの高い一話完結作品を週一以上のペースで書いていたとは…」と、F先生の稀有な才能に、改めて敬意を表した次第である。
そして、2014年に長年幻とされてきた白黒版アニメのDVDが発売されたことで、47年ぶりで動画のパーマンとも再会を果たし、長年気になっていた最終回も確認することができ、やっと「パーマン」について少し語れるようになってきたという感じだ。

モノクロ版TVアニメ『パーマン』DVD BOX 上・下巻


全然本筋に入らなかったが、今回は一応ここまでにしたい。しかし、せっかくなのでお宝(?)画像をひとつ紹介しておこう。

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こちらの写真は4歳の私である。1967年の夏に実家の庭で撮影されたもので、注目すべきはTシャツ。

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不二家の「ハイカップ」(カルピスそっくりの乳酸飲料)の王冠を送って当たった景品である。

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背面はこんな感じ(ちゃんと写真を撮ってあるのがすごいと思う)。

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『週刊少年サンデー』に掲載の「ハイカップ」広告ページ。

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抽選で毎月20,000名に当たるとのこと。ずいぶん太っ腹である。

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デザインは2パターンあったようだ(何とレナウン特製!)。今でも残っていれば結構なお宝だと思うのだが…。
posted by taku at 20:33| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする