2019年10月12日

台風19号

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いや、もう、なんかとんでもないですよ。

叩きつけるような大雨と強風、おまけに地震。

テレビでは「生命を守ることを最優先してください」などと呼びかけているし、私の住む地域でも、避難指示や避難勧告が出て、隣の区では土砂くずれまで発生しているという。しかし、この荒れ狂う天気の中、外出するというのがそもそも…(最寄りの避難場所である小学校まで徒歩で10分近くかかるのだ)。

今はただ、少しでも早く台風が通り過ぎるのを待つばかりである。こういう時は、つくづく自然の猛威に対する人間の無力さを思い知らされる。
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2019年10月11日

タイガーマスク放送開始50年(2)

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原作の「タイガーマスク」には、初めて「虎の穴」の魔神像と支配者の姿が描かれた8月号の巻頭をはじめ、単行本に収録されていないページがいろいろある、それはなぜか?

――というところまで前回書いたので、今回はそのつづきを。

今一度確認すると、

『ぼくら』1969年8月号の巻頭13ページ
  同  1969年9月号の中間12ページ
  同  1969年10月号(最終号)の後半1ページ

の計26ページが単行本未収録となっている(『ぼくらマガジン』については後述の予定)。

ではその理由だが、これは割合に単純な、物理的問題であると思われる。

当時の漫画の単行本は約200ページで1巻というのが一般的で、KCコミックスにおける「タイガーマスク」も、1〜4巻までそのページ数であった。「タイガー」は連載開始当初より1回50ページだったので、計算も簡単である。すなわち、

第1巻 1968年1〜4月号連載分(悪役として日本に登場→ブラック・バイソン戦→正義派に転向)
第2巻 1968年5〜8月号連載分(ゴリラマン戦、覆面ワールドリーグ戦参戦)
第3巻 1968年9〜12月号連載分(覆面ワールドリーグ戦優勝)
第4巻 1969年1〜4月号連載分(ウルトラ・タイガー・ドロップ完成、スター・アポロン戦、アジア王座決定戦出発)

という流れで、4ヶ月分を1冊にまとめる形が常態化していた。おおよそひとつのストーリーが決着するところで1冊が終わるという感じで、単行本としてとても読みやすくまとめられていたと思う。ところがここにきて、『ぼくら』が10月号で休刊となる。同誌一番の人気作で、アニメもスタートすることになった「タイガー」の連載は、後続誌の『ぼくらマガジン』に引き継がれることは規定路線であったが、一応『ぼくら』10月号で物語は「第1部完結」という形を取っており、そうなると単行本も、ここまででひとつの区切りとしなくては収まりが悪い。ということで、これまでは4ヶ月分で1冊だったものを、5巻だけ、5〜10月の6ヶ月分(アジア王座決定戦参戦→優勝、赤き死の仮面戦)を1冊に収めるというかなり強引な編集を行うことになったのである。すべてを収録すると単純計算で300ページ。実際には各号の表紙や前回ラストとのだぶり、半ページの広告や告知等があるので、それらを抜けば20ページぐらいは減らせるが、それでもまだ280ページ近くある。そこで、せめてあと30ページ程度は減らさなければ、と、編集サイドがあれこれ知恵をしぼった結果が先ほどの26ページのカット、ということではなかったか。

8月号の未収録部分は前回ご紹介したように、「虎の穴」の本部の場面。これはたしかにインパクトも強く、ファンとしては是非とも何度も読み返したい部分だが、クールな目で作品を概観してみると、物語の進行には何ら寄与していない。すなわち、この部分がなくてもストーリーの展開上、まったく不都合はないのである。雑誌連載においては、赤き死の仮面の召還の手紙うんぬんは次の号への強烈な「引き」になるが、単行本ではその効果はない。むしろ、前振りなしでいきなりプロレス会場に「赤い悪魔」が現れた方が衝撃度が大きい。これは、当時としてはまっとうな決断だったと思う(しかし、私などは「虎の穴」の支配者がかなりのお気に入りキャラなので、かえすがえすこの未収録は残念に思う)。

では、もうひとつの大幅カットというべき、9月号の中間12ページには、一体何が描かれていたのか。やはり、物語の進行には直接関わっていないゆえに削られたと思われるが、これこそが前回の「虎の穴」魔神像と支配者の初登場、にまさるともおとらない、特筆すべきシーンなのである。

20191011_01.jpg 『ぼくら』1969年9月号


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「虎の穴」の最終兵器ともいうべき赤き死の仮面の挑戦を受けたタイガー(=伊達直人)。しかし必殺技なしで勝てる自信はなく、死をも覚悟する。ここら辺は原作もアニメも同じだが、単行本化された原作では、タイガーは割とあっさりと状況を受け入れるのに対し、アニメにおけるタイガーはかなりの時間、「生か死か」の葛藤を繰り返す(実際、1970年7月16日放送の42話「明日なき虎」はほぼ全編がそれに費やされる)。
そしてこの42話の後半に出てくる「海水浴のシーン」は、アニメオリジナルとして評価が高く、それゆえ「アニメは原作より人間ドラマとして優れている」などと喧伝される原因にもなっているのだが、私は原作の名誉のために、この場を借りて声を大にして言いたい。
「あの場面は、原作にもちゃんとあったのだ!」と。

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直人は、ひとときの心の安らぎを求めて「ちびっこハウス」に車を走らせる。ちびっこたちは水着姿で直人を迎える。今日はハウスのプール開きの日だったのだ(このプールは1年前に直人の資金提供で作られたもの。原作のみの設定でアニメには登場しない)。

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ちびっこたちは直人に一緒に水に入ろうと誘うが、直人は「プロレスできたえたごっついきんにくやすごいきずあとがばれ」るのを恐れ、泳げないと言い逃れる。そんな直人を水に突き落とすちびっこ集団。一方、ルリ子は赤系のビキニを着て現われ、ナイスなプロポーションと華麗な泳ぎを披露する。健太をのぞくちびっこたちも水遊びに興じる。

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ちびっこたちがはしゃぐ姿を一人見つめる直人。
「力およばなかったそのときは……死のう! リングで…… このみんなのよろこぶすがたをまぶたにやきつけて まんぞくして……わらって死のう」
そしてそんな直人の心中を推し量り、ルリ子もまた、
「なぜ すべてをうちあけてルリ子にも…… ルリ子にも いっしょになかせてくれないの……?」
と涙をこぼす。

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一方、こちらはアニメ版。直人、ルリ子と海にやってきたハウスの面々。はしゃぐちびっこたち(健太をのぞく)。

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「泳げない」と言う直人だが、ちびっこたちにかつぎ上げられ、

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海に落とされてしまう。

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直人を気にするルリ子に、チャッピーが「泳ぎましょうよ」と誘い、

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ルリ子はパーカーを脱いでオレンジ色のビキニを披露。

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思わず「素敵!」と声を上げるチャッピー。同感です。

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インドア派に思われたルリ子だが、意外にもアスリート体形で腹筋も凛々しい。

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すいすい海を泳ぐルリ子。ちびっこたちにビーチボールを投げかえしたりもする。

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一方の直人は砂浜で物思いにふける。
「あの子たちの笑顔を、ひとりひとりの笑顔を、(まぶたに)焼きつけておくのだ」といった心の声もほぼ原作どおり。

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水辺からその様子を見つめるルリ子。

いかがだろう。海とプールの違いはあるものの、ほとんど原作と同じではないか。
「あの海水浴はアニメだけの名シーンで、原作には存在しない」
などと吹聴していた方々には、ぜひ認識を改めていただきたいものである(まあ、単行本に収載されていれば、こういう誤認も起きなかったのだが…)。

ただし、アニメの方はこの後にまだ続きがある。

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なんと、ルリ子はおもむろに海から上がると、

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濡れた水着のままで直人に抱きつき、「赤き死の仮面との戦いはやめて」と、体を張った懇願までしてしまうのだ。

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直人ならずともびっくりの超展開である。何故なら、この時点ではまだ「直人=タイガー」だというのはルリ子の思い込みに過ぎず、決定的な証拠を彼女は何ひとつつかんでいないからだ。そんな不確かな状況でここまでやるというのは唐突すぎる。何より、ほかのちびっこも大勢いる海水浴場で、保護者的立場のルリ子が、このような常軌を逸した行動を取るとは到底考えられない。原作のように、離れた場所で涙を流す方がはるかに自然である。

ちなみにこれから約1年後、アニメ最終回間際の102話「『虎の穴』の真相」(1971年9月9日放送)において、直人はついにルリ子の前でマスクを脱ぎ、それを見たルリ子は感極まって「直人さん!」と、その胸に飛び込む(ちなみに場所は直人の宿泊するクラウンホテルの一室であった)。この場面においては、状況的にも心情的にも、ルリ子がそうすることはとても自然であり、何ら唐突さはない。しかも、互いの愛情は揺らぎがないにも関わらず、決して結ばれることが許されないという切なさもあり、アニメ版「タイガーマスク」の中でも屈指の名シーンに仕上がっている。この抱擁シーンを際立たせる意味でも、海岸での抱きつきは自重して欲しかったところである。

……と書いてみたものの、改めてアニメ42話「明日なき虎」を見返してみると、これはこれでなかなか素晴らしい。何が素晴らしいかと言って、作画がいい。「タイガー」といえば作画監督では真っ先に小松原一男が思い浮かぶが、この回を担当した森利夫も、正確なデッサンと丁寧な作画が好印象である。

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ふだん筋骨隆々のレスラーの裸ばかり描いているアニメーターにしてみたら、こういう女性の柔らかい体のラインを描くのはかなり新鮮だったのではないだろうか。森利夫は何かのインタビューで「僕は絵を描いてることが楽しいんです」と語っているが、この一連のルリ子の水着も、きっと楽しみながら描いていたのだろう(そういう絵はこちらも見ていて楽しい)。

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それにしても、改めてながめてみると、幼稚園児や小学生が見るアニメで、ここまでやっていいのだろうか、と少々心配になるアダルトな雰囲気である。辻なおきの丸っこい描線とは違うリアルなタッチのせいか、ルリ子の水着姿からは、明らかに女の色香が漂っている。

せっかくなので、ルリ子の抱きつきアクションをコマ送りで。

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徐々に目を閉じていくところが実に悩ましい。
真夏の太陽の下、いきなりこんな風に迫られたら、この時代なら間違いなく鼻血ブーとなりそうだが…

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そこは子ども番組の限界というべきか、直人は「やめてください」とだけ言ってルリ子から体を離すと、何もなかったかのようにその場から立ち去る。完全に置いてけぼりのルリ子が何とも悲しい。

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それでいて、帰りの車の中で直人の頭に浮かぶのは、ルリ子の水着姿ばかり(これじゃ事故るぞ)。

当時、このアニメを見ていたちびっこたちは、ルリ子ねえちゃんの水着姿での「ご乱行」をどう受け止めたのだろう。いささか気になるところだが、実際のところ、ほとんど関心は持たれなかったのかも知れない。私も、リアルタイムでこの回を見ていたはずだが、あまり印象には残らず、「何か2人で深刻な話をしていたな」と思った程度であった。まあ子どもたちの多くはプロレスのシーン目当てで番組を見ているわけで、それ以外の場面は割とどうでもいいのである(これが思春期以降であれば話は違うのだろうが)。

いつの間にか原作から離れ、アニメの、というかルリ子の水着ネタになってしまった。何しろルリ子さんの水着回は、後にも先にもこれだけなので……。
しかし、こうして原作とアニメのワンシーンを見比べてみると、アニメの方が人気のある理由がなんとなくわかるような気もする。原作はすべてにおいて実に牧歌的というか、どこまでも児童漫画であろうとしているのに対し、アニメは意識的にリアルなタッチを採用し、もう少し上の年齢層にまでアピールを試みている、というか。これは、購読層がかなり限定されている「雑誌」というメディアと、誰が見るかわからない「テレビ」というメディアの違いも影響しているのかも知れない。

では今回はこの辺で(気が向いたら続きを書きます)。

【おまけ情報】

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今回紹介した未収録ページは『ぼくら』1969年9月号に掲載されたものだが、同じ9月号には「100億の怪物」という16ページの読み切り漫画が掲載されている。作者は新人の「野口まさる」、後年の野口竜である。戦隊シリーズ、宇宙刑事シリーズなどで知られる野口竜のキャラクターデザインの原型が垣間見られるという点で貴重な作品だと思うが、ほかにも注目に値する理由がある。

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流星群が地球に接近し、それとともにおびただしい数の怪物が出現。実はそれらの怪物は、流星群の発した高周波の影響により人間が変身した姿で、それにより人類がパニックを起こすという、原作版「デビルマン」におけるデーモン無差別合体のようなストーリー。

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「あなたのとなりの人にきをつけましょう、怪物はすぐそばにいます」というアナウンサーの警告も「デビルマン」におけるテレビ出演時の飛鳥了の発言とダブる。

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主人公の勇は怪物化する家族の元を離れ、車で叔父のところに向かうが、途中で怪物に襲われ、同時に体に異変を覚える。

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怪物の出現とともに、怪物にはならずに超能力者(ミュータント)となる者も地球に生まれ出ていた(勇もそのひとり)。だが、普通の人間はすべて死に絶える。そして次世代の地球の覇権を競う「最終戦争」が、怪物族と超能力者族との間で繰り広げられる展開を予感させて作品は終わる。
このあたりの設定も、人類が死に絶え、デーモン軍団とデビルマン軍団が「最終戦争」に突入する「デビルマン」後半の展開と共通するものを感じる(描かれたのはこちらの方が3年以上早い)。なおこの当時、永井豪は『ぼくら』に「アラ〜くん」を連載中だったから、この「100億の怪物」を読んだ可能性はかなり高い。ここから、何かしらインスパイアされるものがあったのでは…と考えるのは飛躍のしすぎだろうか(なお、永井豪と野口竜は、デビュー前の同じ時期、石ノ森章太郎のアシスタントをしていたとのこと)。
posted by taku at 12:32| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月02日

タイガーマスク放送開始50年(1)

お久しぶりです。いつの間にやら10月ですが、すっかりブログの更新を怠っておりました。
さて、久々に、漫画・アニメネタをば。

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今回取り上げるのは、言わずと知れたプロレスアニメの最高峰「タイガーマスク」。

つい先月、NHKの某朝ドラに「キックジャガー」なる劇中アニメが登場し、その元ネタとしてスポットが当たったのは記憶に新しいところだし、東日本大震災の少し前(2010年の暮れ)には、伊達直人を名乗る人物が孤児院にランドセルを寄付し、それが一連のタイガーマスク運動につながったりと、時を超え、人びとの心に強い印象を残している作品だ(あらすじくらいはほとんどの方がご存知だと思うので、ここでは省略)。

折りしも今年は、放送開始50年。あと数時間で、第1回放送の10月2日19時を迎える。

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『ぼくら』1969年10月号

ますます快調 タイガー=マスク

「タイガー=マスク」は、毎週カラーで三十分。いま、東映動画で快調に進行中だ。
プロレスまんがは、テレビでは、はじめてなので、スタッフは、じっさいの試合をみて、うごきやわざの研究をして、製作に一生けんめい。
三十分のテレビまんがをつくるのには、やく二か月もかかる。そして、百五十人いじょうの人が、はたらいている。ふつうのテレビ映画にくらべると、十倍ちかくも、てまがかかる。


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このアニメの「タイガーマスク」は、その前年(1968年)に『ぼくら』誌上で連載が始まった漫画(原作:梶原一騎 画:辻なおき)をベースにしているのだが、現在のところ、アニメ版の方が人気が高いようで、ネットで「タイガーマスク」で画像検索すると、上位に表示されるのはアニメの画像ばかり。原作漫画は、かなりあとの方で、最終回の数ページ(伊達直人がダンプにはねられる例の場面)が上がってくる程度。「タイガー」を語るサイトやブログを読み進めても、そのほとんどは主にアニメについて言及しており、苦節21年 梶原一騎原作漫画全145タイトル完全読破しました!というサイトでさえ、

「現在『タイガーマスク』といって思い出すのはアニメや佐山等の実物タイガーの姿であって漫画のタイガーを思い浮かべる方が稀なような気がする。それくらい人々の心に残るアニメ『タイガー』はやはり不朽の名作といえよう」

と、アニメに軍配を上げている。世間一般の認識はそんなところなのだろうか。

どうして原作漫画の人気が今ひとつなのか、いろいろ考えてみたのだが、ネットなどの反応から察するに、理由はおおよそ以下の4点に集約できるようだ。

(1)辻なおきの画のタッチ(古い)
(2)ミラクル3の正体にがっかり(3人ひと役というトホホな種明かし)
(3)盛り下がる最終回にがっかり(いきなりダンプに轢かれて死亡)
(4)タイガー(伊達直人)を支える脇キャラがいない(大岩鉄平は論外)

まあ、いちいちごもっともである。これを裏返すと、アニメの優れた点ということになろうか。すなわち、

(1)ラフでありつつシャープな描線
(2)圧倒的に強いラスボス・ミラクル3(=タイガー・ザ・グレート)
(3)覆面をはがされながら、最強の敵を撃ち倒す最終回の比類なきカタルシス
(4)嵐虎之介、大門大吾、高岡拳太郎といった魅力的な脇キャラ

ただ、(1)に関していえば、当初は原作に近い絵柄にするつもりだったようだ。辻なおきのタッチを生かしたパイロットフィルムが存在しているのが証拠である(ライオンマンをウルトラ・タイガー・ドロップで仕留める場面があるので、1969年春以降に作られたものと思われる)。



まあ、これを見てしまうと、タッチを劇画調に変えて正解だったように思える。ただ、この翌年に放送された、やはり辻なおきによる「ばくはつ五郎」は原作のタッチのままだったから、いちがいに「古い」とは言えないような気もするが…。(2)から(4)については、私にも異論はない。大岩鉄平と高岡拳太郎では雲泥の差である。

たしかに、アニメの「タイガー」が歴史に残る秀作であることは間違いないだろう。だが、リアルタイムで原作漫画、アニメの双方に触れてきた1963年生まれの私にとって、やはり「タイガー」といえばまずは漫画のタイガーである。アニメも、現実のタイガーも、タイガーマスク運動も、この原作なくしては決してこの世に生まれることはなかった。オリジンは偉大である。

というわけで今回は、アニメ放送開始50年を謳いつつ、ほぼ原作漫画のタイガーについて、あまり知られていない、あるいはあまり言及されていない事象を、いくつか紹介していきたいと思う。

まずは時系列を確認していこう。

原作漫画連載期間:1968年1月号〜1969年10月号(『ぼくら』)
1970年1号〜1971年23号(『週刊ぼくらマガジン』)
1971年26号〜53号(『週刊少年マガジン』)

アニメ放映期間:1969年10月2日〜1971年9月30日

という感じで、原作は掲載誌を2回変えつつ3年、アニメは2年続いた。原作開始から約1年9ヶ月後にアニメが始まり、2年経ってアニメが終わり、その3ヶ月後に原作も終わったという流れである。その間、時代は60年代から70年代へと進み、アポロが月に行ったり、万博が開かれたり、三島由紀夫が割腹したり、公害が社会問題化したりした。そして私は、原作の連載開始時にはまだ幼稚園に上がる手前であったが、終了時には小学2年生の秋を迎えていた。年齢でいうと5歳から8歳、幼いながらかなり多感な時期であり、それだけに、そのころの記憶は今なお鮮明だ。

1967年10月、「ウルトラセブン」と「ジャイアントロボ」の放送が始まった。当然、両方を毎週見ていたが、やはり「ウルトラマン」の系統である「ウルトラセブン」への思い入れが強く、放送開始とともに、セブンのグラビアや漫画が掲載されている『ぼくら』を購読するようになる。

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これが、初めて手にした1967年10月号。セブンをミクラスとエレキングが挟む印象的なビジュアルである。なお、当時の月刊誌は1ヶ月前倒しなので、実際には9月の頭に発売。したがって、上に「放送開始とともに」と書いたのは正確ではなく、実際には放送が始まる1ヶ月前に、すでにニューヒーローの雄姿を目にしていたことになる。

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ちなみに漫画は「ウルトラマン」から継続して一峰大二が担当。第1回は、放送第2話「緑の恐怖」をベースにしたもので、この回だけセブンの目がグラサン仕様になっている(単行本収載時に修正)。

そしてその3ヶ月後、『ぼくら』1968年1月号(1967年12月発売)において、「タイガーマスク」の連載が始まるのだが、せっかくなので、その前の1967年12月号における予告を見ておこう。

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すでにマニアの間では周知の事実だが、デザインがまったく違う。しかしこれは漫画の新連載などではありがちのことで、ご愛嬌というべきか。

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ここで目を引くのは、同じ新連載作品の中に「豹マン」(桑田次郎)があること。ひとつの雑誌で、ネコ科ヒーローの漫画がふたつ同時にスタートしたというわけだ。しかも、ネコ科の顔に人間の体にマントと、ビジュアル的にかなりかぶっている。大変興味深い事象であるのだが、これについては長くなりそうなので稿を改めたい。

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さて、この12月号には、辻なおきがこれまで描いていた「ばくはつ大将」の最終回が掲載されている(先ほど出た「ばくはつ五郎」はこれをアニメ化したもの)。

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表紙を見てわかるとおり、メインキャラクターが、まんま伊達直人、若月ルリ子、若月先生である。これには当事のちびっ子も苦笑い、と言いたいところだが、当時『ぼくら』を読んでいたはずなのに、この「ばくはつ大将」については見事に記憶から抜け落ちており、今回、これを書くに当たって『ぼくら』をあらためて紐解くまで、その類似にまったく気がつかなかった(当時の自分にとって、学園青春ドラマはまったく興味の対象でなかったのだろう)。

そしてもうひとつ特筆すべきはこの最終回のラストである。

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主人公の五郎は海外留学することになり、かなりの期間日本を離れるのだが、送別会の席上、ヒロインのミッチイは「日本にかえるのはずいぶんあとね。そのころは、大将はずいぶんりっぱに……」とつぶやき、五郎も同時に「ミッチイもいいおじょうさん、いやもうこどものあるおかあさんになっているかな」と応じ、お互いの将来に思いを馳せる。

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そしてミッチイは「わたしまってるわ。大将……、あなたがかえってくるまでわたし、きっときっといつまでも」と心の中で語りかけ、窓際で人知れず涙をこぼす。そして最後は、五郎を乗せた飛行機が羽田空港から飛び立っていくシーンで終わる。

どこか似ていないだろうか。そう、直人が「おれが帰ってくるころは……」と未来を見やり、ルリ子が「早く帰ってきて……」と思いの丈を密かにささやく、アニメ版のラストに限りなく近いシチュエーションなのである。辻なおきの描いた漫画の「タイガー」は、アニメとはまったく異なる終わり方だったが、こんなところでアニメとの一致点を見つけようとは。まあ、こういうのはまったくの偶然だと思うが、五郎と直人、ミッチイとルリ子がほぼ同じ顔だけに、何とも感慨深いものがある。

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なかなか本題に進まないが、これが連載開始時の『ぼくら』1月号。

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記念すべき第1回の表紙。マスクは予告よりは整ったが、まだ完成形とはほど遠い。

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ほぼ同じ体裁の後期表紙と比べるとデザインの変遷がよくわかる(『ぼくらマガジン』1971年19号)。

連載開始から1回50ページのボリュームだったが、ゴリラマンが登場する5月号までは表紙のみオールカラーであとは1色、それがゴリラマン戦の6月号からオールカラー&2色カラーの50ページとなり、『ぼくら』の休刊までこのスタイルがつづく。1色ページに戻ったことは1度もなく、「タイガー」が同誌のフラッグシップであったことがよくわかる。

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4月号のブラック・パイソン戦(みなしごたちのために「虎の穴」を裏切ったタイガーが、初めて「虎の穴」の殺し屋レスラーと戦い、ルリ子の懇願もあって反則なしで勝利するという劇的な一戦)あたりから急速に物語のボルテージが上がってきたのは誌面から伝わっていたが、リアルタイムの読者としての印象では、「タイガー」人気に本格的に火がついたのは7月号で、ミスターX(当時はX氏)が覆面レスラー8人を率いて羽田空港に現れ、覆面ワールドリーグ戦をぶちあげたあたりではないかと思う。あの怪異のレスラーたちの雄姿に、当時のガキどもは、魂を鷲づかみにされてしまったのだ。

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いつの時代も子ども(特に男児)というのは、未知の怪獣、宇宙人、妖怪といった異形のものを好む。それが一度に大挙して現れたとすれば、もう冷静ではいられない。「コンドールマン」第1話や「超人機メタルダー」第1話における一部マニアの熱狂も、同じ要因によるものであろう(わかる人にはわかる話、多分)。

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私も、この覆面ワールドリーグ戦あたりから「タイガー」にかなりのめり込むのだが、「ウルトラセブン」の放送終了とともに親から『ぼくら』を買ってもらえなくなり、購読は1968年11月号でストップ。11月号といえば、あの「りっぱなしまうま」ことグレート・ゼブラがリーグ戦に参加を表明した、いわば物語前半のクライマックスである。続きが気になってしょうがなかったのだが、当時の『ぼくら』は月刊誌で付録が多く、店頭ではひもで縛って売られており、それゆえ立ち読みもできず、結局、ゼブラの意外な正体を知ったのは、だいぶあとになってからだった。

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今でこそ、グレート・ゼブラの正体といえば「16文キックの馬場先輩」というのは常識で、また、河崎実氏なども、その著書『タイガーマスクに土下座しろ!』で、
「この姿を見て『馬場だ!』と思わない人間がこの世に存在するだろうか……」
と書いているが、正直言って、私は当時、まったくそれに気づかず、漫画の中の観客やタイガー同様、「一体誰なんだろう?」と本気で首をかしげていたものだ(一般の読者なんていうのは案外そんなものじゃないかと思う。まだ鼻たれ小僧だし)。だから単行本でその正体と経緯を知り、尋常でない興奮と感動を覚えたものである。

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原作の梶原一騎。この時まだ32歳だが大変な貫禄。

さて、それからは、たまに遊びに行く従兄弟の家で『ぼくら』を読ませてもらい、断続的ではあるが「タイガー」の軌跡を追いかけていた。グレート・ゼブラの助力もあり、覆面ワールドリーグ戦に優勝したタイガーは、大雪山での猛特訓(1969年1月号)で、必殺技ウルトラ・タイガー・ドロップを編み出し(2月号)、強豪スター・アポロンに勝利(4月号)。日本代表として参加したアジアプロレス王座決定戦(5月号〜)では、必殺技を破られながらも「インドの太陽王」グレート・ズマをギブアップに追い込み見事優勝(7月号)、着々と正統派レスラーへの道を歩んでいた(このあたりは名エピソード揃いなので、まだの方にはぜひ一読をお薦めする)。

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そんな1969年夏、同誌の8月号で「タイガー」がアニメ化されるとの発表がなされた。
「お、ついにアニメになるのか」というときめきもさることながら、この8月号は、いろいろな意味で大変衝撃的であった。

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これまで、言葉ではさんざん出てきて恐怖をあおっておきながら、絵としてはまったく登場してこなかった「虎の穴」(漫画での表記は「とらの穴」)の本部(魔神像)、そして赤い仮面を着けた3人の支配者が初めて描かれ、インパクトに溢れたその雄姿が明らかになったのである。

このタイミングでこれらが描かれたのは、アニメ化と大いに関係があるのではないかと私は想像する。ビジュアルを重視するアニメにおいては、「虎の穴」の象徴たる本部(魔神像)や支配者の姿は不可欠なものであるため、アニメ製作サイドから原作サイドにデザイン作成の要請があり、それに応える形での「お披露目」だったのではないか。

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「タイガー」のアニメは10月2日スタートだから、この漫画が描かれた6月ごろにはアニメの製作もかなり進んでいたはずである。ドラマ中で魔神像と支配者が初めて登場するのは翌年1月1日放送の14話だが、魔神像は番組の第1回オープニングから登場する。したがってこの時期にはおそらく、魔神像のデザインが、原作サイドとアニメ製作サイドとで共有されていたのだろう。

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支配者たちは、「虎の穴」の象徴である魔神像が、裏切り者タイガーマスクのアジア大会優勝に怒り狂っていると告げ、その怒りを静める「いけにえ」として、やはり組織を裏切ったレスラー・ブルーデモンZを、魔神像の口の中にあるリングで処刑する。そしてその流れ出た血で手紙をしたため、タイガーを確実にしとめることができる「二十世紀の吸血鬼」の召還をX氏に命ずる……

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――と、おどろおどろしくも実に魅惑的なオールカラーページが続くのだが、実は、これら一連の場面は、何度か刊行された「タイガーマスク」の単行本に、ただの一度も収録されていないのである。実は「タイガーマスク」についてはほかにも単行本未収録ページがいろいろあるのだが、もっとも不可解なのがこれである。先ほども書いたように、これらは初めて「虎の穴」の魔神像と支配者の姿が描かれた記念すべきページであり、同時に「虎の穴」の残虐さ、秘密結社にありがちな呪術性などが存分に示された場面でもあるというのに、現在は一切読むことがかなわないのだ。描写のグロさが問題視されたのか?と考えることもできそうだが、「タイガーマスク」という作品にはもっとグロいシーンがいくらもあり、それが理由とも思えない。これがあればこそ、この後、召還された赤き死の仮面がタイガーに敗れ、同じように魔神像の口の中で処刑されるシーン(KCコミックスの第6巻)が生きてくるのに……。

どうしてこのような事態になったのだろうか。私なりに考察してみたのだが、かなり長くなったので今回はこの辺で。原作の「タイガーマスク」にアニメほどの支持者がいないのは重々承知しているが、せっかくの機会なので、単行本未収録ネタを中心にもう少し続けてみるつもりである。

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ちなみに前述のブルーデモンZ、わずか3ページの出番で、当然タイガーとの対戦場面なども一切ないのだが、なんと、「原作版」という触れ込みでソフビ化されている。それなりに人気キャラなのか?

※以前「パーマン」関連の記事を書いた時にもあったことなのですが、このブログから画像を持ち出して、ツイッター等で、さも自分が持っていた画像のように公開するのはなるべくご遠慮ください。もともとの著作権は漫画の作者にあり、私は著作権者ではありませんが、それなりの時間と手間を費やして原典の収集に当たっておりますので、ご配慮をいただければ幸いです。ここに記載された画像についての情報を拡散したい場合には、画像の持ち出しではなく、このブログのページそのものをリンクする形でお願いできればと思います。
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2019年08月03日

『浜の記憶』東京公開終了

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映画『浜の記憶』は、7月27日(土)に東京・新宿ケイズシネマで封切りとなり、昨日、8月2日(金)で、つつがなく公開を終了しました。
暑い中ご来場くださった皆様、本当にありがとうございました。

……というわけで、今日は久々に自宅でのんびり。昨日も、おとといも、その前も……、初日から最終日まで、日替わりでイベントを行ったので、1週間連続、いや、厳密に言うと公開日前日の7月26日も、劇場に展示パネルやプレゼント用の貝殻などを納品しに行ったので、実に8日連続で新宿に通ったことになる。いやあ、毎日暑かった!

8時までには起床し、映画を観る時は10時20分くらいまでに、観ない時は11時10分くらいまでに劇場に行くという、まるで勤め人のような毎日。それが、公開が終わった今は、自宅でまったりとYouTubeで「世界忍者戦ジライヤ」などをながめている。何の余韻もない。昨日まで映画を公開していたのが嘘のようだ。加藤茂雄さんの言葉を借りるなら、「真夏の夜の夢」から醒めた後ということになるだろうか。

こういうのは毎度経験しているので今さら驚きはないが、私が作るような比較的小規模な映画の公開というのは本当に何年かに一度のお祭りのようなもので、公開中は日常と明らかに異なる「ハレ」の時間が流れる。
連日10時30分から、52分の映画(本編)の上映。引き続き、20〜30分程度の舞台挨拶やトークなどのイベントを行い、それが終わるとロビーで、来てくれたお客様との歓談のひととき。あわただしくいろいろな人が眼前に現れ、去っていく。初めてお会いする方もいれば、懐かしい顔もある。写真撮影や、時にはサインを求められることもあり、そして、数十分もすれば、ロビーは空になる。関係者一同ひと息つき、そのまま解散か、あるいは軽く昼食を取って解散。スマホを持っていない私は、あわただしく自宅に戻ってPC前で待機、助監督の内田裕実さんらが撮影したイベント写真の圧縮データを受け取ると、それを解凍し、画像を数点選んでリサイズ。しかるのち、ツイッターでその日のイベントの報告、および翌日のイベント告知を行い明日に備える。それを約1週間繰り返す。いやあ、われながらよくがんばりました。

では、あらためて、この7日間のイベントをさくさく振り返ってみると……

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7/27は初日舞台挨拶。加藤茂雄さん、宮崎勇希さん、渡辺梓さんと私。やはり初日は緊張しますね。女優さんお二人は封切りにふさわしい艶やかな出で立ちでした。宮崎さんの若々しいきらめきと渡辺さんの成熟した美貌、どちらも目に焼きついて、もう……。

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特撮好きの私としては、やはりマジマザーとご一緒できたという喜びが大きかったです。ロビーはさながら撮影会の賑わい。

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7/28はトークショー【東宝特撮の舞台裏】。「特撮秘宝」などで健筆をふるわれているフリー編集者・友井健人さんを聞き手に、加藤茂雄さんが出演した特撮作品の舞台裏や本多猪四郎監督のエピソードなどをうかがいました。会場には何と、ひし美ゆり子さんのお姿も!

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いやあ、マジマザーの次はアンヌですよ!! やっぱり長いこと生きてるとこういうこともあるんですねえ(わからない方のために書いておくと、マジマザーは『魔法戦隊マジレンジャー』に、アンヌは『ウルトラセブン』に登場します)。

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7/29は未公開映像特別上映。宮崎勇希さんと私の生コメンタリー付きでお届け。撮影前の読み合わせ風景、まぼろしの海水浴シーン、クライマックス&エンドロールの舞台裏、クランクアップ直後の主演2人のインタビュー、等々、DVD発売にでもならない限り、もう見ることのできないマル秘映像の数々でした。

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7/30はトークショー【黒澤明監督との40年】。『生きる』『七人の侍』から『まあだだよ』までの撮影現場を振り返りつつ、加藤茂雄さんに知られざる巨匠との関わりを語っていただきました。この日は、加藤さんの半生が7ページにわたって掲載された『女性自身』も発売に。(上の写真は7/28のものです)

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7/31はトークショー【新人女優は見た!】。宮崎勇希さんが、オーディションを受けたきっかけ、加藤さんの初対面の印象、撮影現場でのエピソード、私もうなずく名言「本番は3テイクまで」など、作品を通じて素直な思いを語ってくれました。宮崎さんはこの日も、お気に入りのライトブルーの衣裳で登壇。去年の撮影時よりずいぶん大人っぽくなりましたね。

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8/1はトークショー【94歳現役俳優が語る健康長寿の秘訣】。読んで字の如くのテーマですが、加藤茂雄さんは映画の話をされたかったようで、後半は『大地の子守歌』での原田美枝子さんとのエピソードも。ちなみに就寝や起床時間は適当で、昼寝もたっぷりするそうです。

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8/2は最終日舞台挨拶。加藤茂雄さん、宮崎勇希さんと私。初日からだいぶ回数をこなしたおかげで、一番まとまりがよかったように思います。エンドロール映像が、宮崎さんのインスピレーションから生まれた、という意外な事実も明らかに。この日のロビーも、サイン書きや写真撮影などで賑わいました。

以上ですべてのイベントが終了。

最終日は、もう翌日の心配がないので、お客様を送り出したあと、軽い打ち上げを兼ねて、関係者7人(加藤さんとお嬢さん、宮崎さん、内田さん、友井さん、鎌倉市中央図書館の平田恵美さん、私)で、伊勢丹のレストラン街までおそばを食べに行く。

ひとときの解放感。連日の猛暑の影響もあってか、動員数は目標に少し届かなかったものの、ご覧になったお客様の反応はおおむね好評だったようで、関係者の表情もなごやかだった。
主演の加藤さん、ヒロインの宮崎さん、そして作品をサポートしてくれたスタッフ、協力者諸氏、本当にお疲れ様でした。

現地解散ののち、劇場スタッフに最後の御挨拶をするためケイズシネマに戻ってみると、あら不思議、すでにロビーのポスターは明日から上映の作品に貼り替えられ、さっきまで置いてあったはずのチラシも消えている。これまでのことがすべて夢だったように感じられ、現実に引き戻される瞬間だが、この、一切余韻を引かないところが、劇場公開の潔さのような気もする。

ケイズシネマで映画を公開するのは、『影たちの祭り』(2013年)、『鎌倉アカデミア 青の時代』(2017年)に続き、この『浜の記憶』で3本目となるが、いつもこんな感じだった。終わってしまうと、実にあっけない。しかし、空虚な思いにとらわれているわけではない。支配人のSさん、副支配人のIさん、No.3のNさん、そして受付や映写担当の方に至るまで、このケイズシネマは人員の入れ替えがほとんどなく、内装はリニューアルしても、スタッフの顔ぶれは10年以上、ほとんど変わっていない。受付のAさんは、「20歳も30歳もここで迎えました」と笑う。だから、ここのスタッフ諸氏の大多数とはもう3回目のお付き合いということになる。

さらに言うなら、S支配人は、今から24年前、あの中野武蔵野ホールの番組担当者で、私の長編第1作『カナカナ』の上映を決めてくれた人である。そしてその『カナカナ』を一般客として中野で観たYさんが、現在もケイズの受付で働いているという。24年前といえば、宮崎勇希さんが生まれた年である。大変な歳月である。

それで何が言いたいかと言えば、作品ひとつひとつは終わっていくが、人のつながりはどこかで続いていくということだ。もちろん、先はどうなるかわからないが、映画の製作や公開を通して、人と人とがつながり得るという事実を、昔よりは意識するようになってきたと思う。以前は、一作品終わるごとに、故意にすべてをリセットしていたのだが、それだと自分が細るだけだと、いつのころからか感じるようになってきたのだ。まあ、それだけ自分も年を取ったということだろうか。

何だかまとまりのない文章ですが、公開終了翌日の所感でした。

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撮影:内田裕実 友井健人 宮崎勇希
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2019年07月02日

『凍える鏡』復活上映!

Kogoeru0817.jpg 『凍える鏡』

『凍える鏡』がまさかの復活上映です。

【東京都:8/17上映】「凍える鏡」復活上映!!@秋葉原UDXシアター

『浜の記憶』は7/27から8/2までの公開なのですが、それから2週間後の8/17、秋葉原のUDXシアターで上映されるそうです。「夏枯れ」といわれるこの時期に作品が相次いで劇場にかかるとは、いやはや、自分でもびっくりです。

『凍える鏡』といえば、とにかく興行で苦労した思い出ばかりが鮮明で、少なくとも関東地方では、ロードショー以来、劇場で上映されることはありませんでした。それが昨年からの田中圭さんブレイクのおかげで、このような事態に…。在庫DVDは完売するし、アマゾンやFODなどネットでも配信が始まるし、10年間、土の中で眠っていた種が、ようやく芽を出して開花したという感じです。世の中、先のことはわかりませんね。

内容的には、今観てもそう古臭いテーマではないというか、むしろ、今観ていただいた方が、わかっていただけるような気もするので(自己愛とか承認欲求とか、10年前より今の方がよく耳にする言葉ですよね)、どうぞこの機会に、ご来場いただければと思います。

ちなみに、この『凍える鏡』と、『浜の記憶』は、製作は10年の隔たりがありますが、孤独な老人と居場所のない若者の出会いからドラマが始まる、という点ではかなり共通しているように思います。両方見比べてみるのも一興ではないでしょうか(などとさりげなく宣伝)。

hamano_k.jpg 『浜の記憶』
posted by taku at 16:43| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月04日

忙中閑なし!

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先週末の鎌倉での映画会は無事に、というか大盛況のうちに終わりまして、そのことはもうあっち(『浜の記憶』公式)のブログには書いたのですが、こっちのブログには書いてないので、こっちしか読んでない人にはわからないですよね。

というわけで、とりあえずあっちのブログを、是非お読みください。

□公式ブログ:映画『浜の記憶』を記録する

・映画会、盛況のうちに終了!
・映画会の写真です

で、何がいいたいかといえば、このごろにわかに『浜の記憶』公開関連で忙しくなってきまして、多分、こっちのブログは公開終了までほとんど更新できないと思います(忙しくなくても最近あまり更新してませんが)。

しかも、一応ツイッターぐらいはやっといた方がいいだろうと思い、さっき公式ツイッターまで開設したんで、もういけません。すでに何度か書いたように、私はスマホを持っておらず、ブログもツイッターもすべてパソコンからの更新です。はなはだ効率が悪いです。

□映画『浜の記憶』公式ツイッター

そんなわけで、しばらくは『浜の記憶』公式関連をのぞいてやってください。どっちも基本的には私が書いてますので。どうでもいいけど、最近左の肩甲骨周辺が異様に痛くて、どうしたらいいのか困っております。
posted by taku at 20:01| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月31日

明日、鎌倉で

明日(6/1)、13時から鎌倉・材木座の光明寺で『浜の記憶』のお披露目上映が行われます。終映後には主演の加藤茂雄さんらのトーク、そして15時からは『鎌倉アカデミア 青の時代』を、アカデミア発祥の地・光明寺で初上映いたします。是非、お誘い合わせの上、終末の鎌倉にお出かけください(詳細は以下のフライヤーをご覧ください)。

□鎌倉アカデミア映画会 フライヤー(表)
□鎌倉アカデミア映画会 フライヤー(裏)

本日、朝日新聞(神奈川版)に、記事を掲載していただきました。ネットでは読めないようなので、この場にてご紹介します。本当に手作りの映画であることがおわかりいただけるかと思います。

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posted by taku at 12:37| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年05月01日

令和最初の打ち合わせ

今日(5/1)は、『浜の記憶』の上映打ち合わせのため、午後から新宿K's cinemaへ。
記念すべき、令和最初の日の打ち合わせである。支配人のSさん、副支配人のIさんと、公開日時の確認や、チラシデザインの検討、そして想定されるターゲットやパブリシティについて話し合った。この劇場で作品をかけてもらうのは3回目だが、これまでの2作はドキュメンタリーだったため、今回はいささか趣が異なる。どうすれば少しでも多くの人に観てもらえるのか。正解のない問いかけが続く。

実はこのK's cinema、令和改元に合わせて、というわけではないが、大規模リニューアルのため、5月11日(土)〜6月7日(金)の約1ヵ月間、完全休館となる。

□休館のお知らせ|ケイズシネマ

オープンが2004年なので、15年目の大改装ということなのだそうだが、見た感じでは、ロビーも館内も全然傷んでいるように見えない。S支配人にそのことを言ったら、
「実は、メインは空調工事なんですよ。空調がだいぶくたびれてきてるもんで。その空調がスクリーンの裏にあって、スクリーンを外さないと工事ができないんですね。そうすると、その間上映はできないんで、じゃあちょうどいい機会だから、館内全体をリニューアルしようということになって。シートも、幾分へたってきてますしね」
とのこと。

したがって館内のシートは全交換、ロビーの壁紙や絨毯も交換、そして、ロビーの隅にあった喫煙コーナーもなくなるという。全体の雰囲気は大きくは変わらないということだったが、『影たちの祭り』や『鎌倉アカデミア 青の時代』の上映の際にくつろがせていただいたロビーにしばし佇み、別れを惜しんだ。

リニューアルオープンは6月8日(土)、そして『浜の記憶』はその翌月、7月27日(土)から公開と本日確定した。是非、令和元年の夏に、生まれ変わったK's cinemaでお会いしましょう!!

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ビル全体の外装工事も行われるとのことで、すでに建物には覆いが掛かっていた。
posted by taku at 19:22| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月30日

平成の終わりに

今日で平成も終わりである。節目の日でもあるので、この30年の映画製作の変遷を、個人の目線でざっくり振り返ってみたいと思う。

平成元年は1989年。今からちょうど30年前だ。当時の自分はまだ、映画製作は8mmフィルムで行っていたが、すでに8mmカメラは生産が終了しており、ハードとして過去のものになりつつあったため、そのころ台頭してきていたS-VHS-Cのビデオカメラを初めて購入したのがこの年だった。そのカメラで撮ったのが、『とおい渚』という40分の作品。鎌倉の海でロケを行った。この時もほぼノースタッフ。『浜の記憶』とあまり変わっていない。ただ、その当時のS-VHS-Cの画質はとうてい劇場で公開できるクオリティではなく、この作品も、S-VHSで完パケしたあと、ほとんど人に見せることもなく終わった。そのころ劇場で公開するには、最低でも16mmフィルムで撮影することが必要で、だから、1993年(平成5年)に撮った『カナカナ』も、1998年(平成10年)に撮った『火星のわが家』も、16mmで撮影している(『火星のわが家』は、スーパー16mmで撮影したあと35mmにブローアップ)。16mmフィルムカメラは専門性が高いので、自分がカメラを回すことは難しく、プロのカメラマンにお願いした。

ただ、この2作品のあいだ、1995年(平成7年)にソニーがDCR-VX1000というデジタルビデオカメラを発売し、これが、デジタルシネマの普及にひと役買ったように思う。自分も、1996年(平成8年)にこのカメラを購入(当時、16万円くらいだった)、同じ年に撮った作品は、ヨコシネディーアイエーでデジタルキネコ(ビデオ映像を16mmフィルムに変換すること)を行って、劇場公開の可能性を模索したりした。

2000年(平成12年)以降はもっぱらこのカメラで作品を撮り、劇場公開ではなくオリジナルビデオ作品として発表した。そのうち、世はデジタルシネマが本格化し、2007年(平成19年)の『凍える鏡』はパナソニックが開発したP2カード記録方式のハイビジョンカメラAG-HVX200で撮影している。仕上げもパソコンで行い、上映はHDカムで行った。このあたりから、フィルムで撮らない映画が増えてくる。

そして現在、映画用フィルムの国内生産は終了し、ほぼすべての映画はフィルムで撮られなくなった。自分が最近劇場で公開した『影たちの祭り』(2013・平成25年)、『鎌倉アカデミア 青の時代』(2017・平成29年)、この夏公開する『浜の記憶』は、いずれもハンディタイプのハイビジョンカメラで撮影したもので、カメラも軽く操作も簡単なため、カメラマンのお世話になることなく、すべて自分でこなしている。はるか昔、中学、高校、大学と8mmフィルムで作品を撮ったころに回帰している感じだ。

平成の30年は、映画がフィルムという記録媒体から完全に訣別した歳月だったといえると思う。メディアがフィルムからビデオへと変化したことで、パーソナル化が進み、手軽に映画作品が作れるようになったのはたしかだが、その反面、画面がどこか日常的になり、迫力や風格、虚構性が乏しくなってきた感は否めない。

明日から新しい元号が始まる。映画はこの先、どのようなメディアと混交し、いかなる変遷、発展をとげていくのだろう。

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posted by taku at 14:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月23日

追悼 川久保潔さん

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声優の川久保潔さんが16日に亡くなった。享年89。

川久保さんとの付き合いはとても長い。物心ついたころからであるから50年以上だろうか。鎌倉アカデミア演劇科の第2期生で、私の父・青江舜二郎の教え子。学校がなくなったあとも、数人の教え子たちが、年に何回かわが家に遊びに来ていて、それは青江が病気で倒れるまで続いたが、その中に川久保さんの顔もあった。川久保さんの低音の声はひときわよく通り、その笑い声が家じゅうに響きわたっていたのをよく覚えている。

当時はテレビが家庭での娯楽の王様。わが家でもゴールデンタイムはほとんどテレビ三昧だった。その時見ていたテレビのアニメや洋画の吹き替えなどで思いがけず川久保さんの声を聴くと、家族で「ああ、出た!」と、大いに盛り上がったものである。あまり特撮ものには出なかった川久保さんだが、「ロボット刑事」(1973)では敵組織・バドーの首領の声をやっている。そのころ家に遊びにきた時には、私のカセットテレコに、
「今週はスプリングマンと、ロッカーマンが出てくるよ」などと首領の声のトーンで語ってくれたこともある。

時は流れて1983年。青江が亡くなった時には通夜、葬儀ともに駆けつけ、焼き場から骨が戻った際は、
「あの青江先生が、こんなに小さくなってしまうんだからなあ…」
と、祭壇に向かってつぶやいていた姿も忘れられない。

それから10年後の1993年に私が『カナカナ』という最初の劇映画を撮った時は、ヒロインの父親役で、ノーギャラで出演してくれたり、さらに、2004年に録音した、青江の生誕100年記念のボイスドラマ『水のほとり』でも、日下武史さん、柳澤愼一さんと絶品の声の芝居を聴かせてくれた。

2015年の暮れには『鎌倉アカデミア 青の時代』にインタビュー出演という形で出ていただき、当時のエピソードを2時間以上お話ししてくださった。さらに、この映画が公開された一昨年の5月には、アフタートークのゲストとして、若林一郎さんとともにK's cinemaのステージにも登壇してくれている(上写真)。ステージでは元気を装っていらしたが、この時にはすでにお痩せになっており、終わったあと楽屋で、「実は、この間、肺がんのステージ4と宣告されてね…」と、声を落とされていた。いきなりの話でこちらも驚いたが、なんと声をかけてよいのかわからなかった。そばにいた若林さんは、「まあ、年寄りのがんは進行も遅いから…」と慰めていらしたのだが…。

令和の改元を待たずして、いろいろな人がいなくなっていく。実に淋しいものである。
謹んで、川久保潔さんのご冥福をお祈りいたします。
posted by taku at 11:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする