2019年02月02日

三溪園を歩く

sankeien01.jpg

先週末、横浜の三溪園にふらりと出かけてみました。神奈川県民なので、名前だけは以前から知っていましたが、訪ねたのはこれが初めて。近所でもまだまだ知らないところは多いもので…。
三溪園は、京都、和歌山、岐阜などから移築された建築物が広大な敷地に建ち並ぶ、テーマパークの元祖のような庭園。成り立ちや各建築物の説明を書くのはかなり手間がかかりそうなので、詳細は以下のサイトをご参照ください(手抜きですみません)。

□三溪園 公式サイト

sankeien02.jpg

sankeien03.jpg

sankeien04.jpg

sankeien05.jpg

すでに梅がかなり咲いていました。

sankeien07.jpg

sankeien08.jpg

sankeien09.jpg

sankeien10.jpg

sankeien11.jpg

sankeien12.jpg

こうして写真を並べてみると、京都かどこかに出かけた気分。関東にいながらにして、そこそこのトリップ感が味わえます。

若いころは、こういう庭園というものはまったく興味が沸かなかったのですが、年を重ねるうちに、じわじわ魅かれるようになるんですね。面白いものです。

sankeien13.jpg

sankeien14.jpg

花の季節はさぞや艶やかで、目を楽しませる要素も多いのでしょうが、こういう冬枯れの景色も、建物を味わうには適しているような気がします。

sankeien15.jpg

sankeien16.jpg

sankeien17.jpg

この三重塔は京都の廃寺から移築したもので、関東最古だとか。

sankeien18.jpg

sankeien19.jpg

sankeien20.jpg

2月9日から3月3日までは、春の到来を告げる「観梅会」が開かれ、この期間は「初音茶屋」で麦湯がふるまわれるとのこと(この麦湯というのは麦茶と同じものでしょうか?)。

sankeien21.jpg

お近くの方は出かけてみてはいかがでしょう。初めてだと、バス停で降りてから少し迷うかも知れませんが…。

kamenokojinja01.jpg

こちらは、帰りに見かけた亀の子石神社。

kamenokojinja02.jpg

案内板を読んでも今ひとつ由来が飲み込めません。しかしながら、昨年暮れにひどい風邪を引き、それ以来ずっと喉の調子が悪い私は、お賽銭を100円入れて、そばに置いてあった「亀の子たわし」で喉をこすってきました。どうか霊験あらたかでありますよう…。

kamenokojinja03.jpg

神社の成り立ちなどに関してはこちらをどうぞ。
posted by taku at 20:34| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月21日

さらば竜宮城

katase_enoshima01.jpg

□「90年間、ありがとう」 片瀬江ノ島駅駅舎 1月に解体開始(神奈川新聞)

昨日、上の記事をネットで見つけてビックリ。あの慣れ親しんだ竜宮城型の駅舎が、今月中に解体されてしまうとは! あわててコンデジ片手に江ノ島まで出向き、間もなく姿を消す駅舎の姿をカメラに収めてきた。

katase_enoshima02.jpg

この駅舎ができたのは1929年(昭和4年)。世界恐慌の起きた年だ。日本はすでにその前々年に金融恐慌が起きており、当時はすさまじい不景気風が吹き荒れていたはず。そんな時代によくこのような、遊び心のある駅舎が作られたものだと感心する。

katase_enoshima03.jpg

katase_enoshima04.jpg

katase_enoshima05.jpg

katase_enoshima06.jpg

竜宮城をイメージしたそうだが、もちろん実際にそれを見た者はいないので、設計者はいろいろな神社仏閣を参考にしたのだろう。

katase_enoshima07.jpg

壁に掲示されていた1971年(昭和46年)の写真。右側の建物も、駅舎を模した形状である。ちなみに1971年というのは、「仮面ライダー」の放送が始まった年で私は小学2年だった。

katase_enoshima08.jpg

1994年(平成6年)、「鉄道の日」制定を記念して選ばれた「関東の駅百選」にも名を連ねているという。

katase_enoshima09.jpg

katase_enoshima10.jpg

katase_enoshima11.jpg

katase_enoshima12.jpg

katase_enoshima13.jpg

katase_enoshima14.jpg

多少の痛みは散見されるものの、早急に建て替えが必要とは思えない。

katase_enoshima15.jpg

90年の歴史を積み上げるには、当り前のことだが90年の歳月が必要だ。1年や2年では決してできない。しかし、90年の歴史を背負った建築物を壊すのは、それこそ一瞬だ。90年という時間が、一瞬で、無に帰する。これまで多くの人たちに愛され、親しまれ、その上、現状でもまだ充分に使えるものを、目先の利得のために、躊躇なくぶち壊す。どうにも納得の行かない話である。

katase_enoshima16.jpg

katase_enoshima17.jpg

しかし、駅舎の建て替えはすでに規定路線なので、四の五の言っても始まらない。

katase_enoshima18.jpg

この張り紙や、駅係員の話によれば、1月25日(金)の初電から新しい改札口が稼動するとのことなので、それに合わせて現駅舎の解体が始まると思われる。

katase_enoshima19.jpg

左の白い建物が新しい改札口。

katase_enoshima20.jpg

katase_enoshima21.jpg

というわけで、昭和初期に誕生した竜宮城の最後の姿を見ておきたい方は、どうぞお早めに。

katase_enoshima22.jpg

昨日の江ノ島。竜宮城が破壊されることを知った竜王が怒ったのか、海は大荒れ、まっすぐ歩けないほどの強風でした。
posted by taku at 14:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月29日

著作権保護期間、70年に延長

20181229.jpg

毎月送られてくる「文藝家協会ニュース」の中ほどのページに、上画像のような記事が。

なんと、これまでは作者の死後50年だった著作権保護期間が、TPP発効により、死後70年に延長されることになったという。それが実効となるのが、明日、12月30日から。

これって、結構大きな変更だと思うのだが、みなさん、知ってました?

ネット検索してみたところ、たしかにいくつかの記事がヒットしたが、マスコミや世論がこのことで大騒ぎした形跡はまったくなかった。今回の延長により、近々パブリックドメインになるはずだった村岡花子(2019年予定)、三島由紀夫(2021年予定)、志賀直哉(2022年予定)、川端康成(2023年予定)の著作権がそれぞれプラス20年存続ということになり、これらの作家の作品の二次使用(出版、映像化など)を狙っていた各方面には、少なからずの打撃となったはずなのだが……。

もはや確定事項なので、今さらことの是非を論じても始まらないが、ここで少しばかり個人的な心情を述べたい。
私の父は青江舜二郎という劇作家で、1983年、私が20歳の時に亡くなった。その時以来、私が著作権継承者となり、過去の著作が再刊されたり、脚本を書いた映画がDVD化されたり、という時には継承者として必要な事務手続きを出版社などと行ってきた。それから35年ほどが過ぎ、あと15年、つまり私が70歳になるであろう2033年で、そういった義務からすべて解放されると考えていたので、今回の延長は、思わぬ番狂わせであった。プラス20年となれば2053年、私が90歳(生きていればだが)の時まで、青江の著作権は存続することになる。それはあまりに長い。私としては、70歳で先代の残務処理はすべて終了し、それ以降、作品は公共の著作物として、誰にでも好き勝手に使われることを密かに望んでいたのだが……。

このあたりの心情は、当事者でないとなかなかわかってもらえないかも知れない。著作権管理はそれほど煩雑なものではないので、そういう事務手続きがわずらわしいということでは決してない。では何故かといえば、「作家の家族」というのは、目には見えないが、何ともいえず重たい宿命を背負わされているところがあり、それを誇らしく思う反面、早くその重圧から逃れ、自由になりたいと思っているものなのだ。著作権の消滅は、その絶好のきっかけと考えていたのだが、ずいぶん先に遠のいてしまった。
posted by taku at 11:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月26日

「砂の香り」@TCC試写室

20181223_01.jpg

去る23日、岩内克己監督を囲む集い「砂の香り」にゲストとして参加してきた。岩内監督の教え子であるライターの高畠正人さんが主催する催しで、今回が31回。1994年以来、もう24年も続いているという。いつもがどういう形なのかよく知らないのだが、今回は新橋のTCC試写室を借りて、岩内監督が出演した『鎌倉アカデミア 青の時代』を上映、そのあとで岩内監督と私とがトークを行うという段取りだった。参加者は30人弱。TCC試写室にはこれまでずいぶん足を運んでいるが、こんなに人口密度が高いのは初めてだった気がする。

トークは50分ほどで終了。映画もトークも、大変好意的に受け取っていただいて嬉しい限り。岩内監督とお会いするのは、昨年のケイズシネマでの公開初日以来だったが、変わらずお元気なのもまた嬉しい。岩内監督と、鎌倉アカデミア同級生の加藤茂雄さんとは、ともに大正14(1925)年の生まれで93歳。大正生まれも少なくなってきたとはいえ、まだまだ健在な方も多くいらっしゃるのだ。

20181223_02.jpg

会場には、「若大将シリーズ」で長年にわたって若大将(加山雄三)の妹・照子役を演じた中真千子さんのお姿も。この照子というキャラクター、何を隠そう、結構私のお気に入りなのである。物語のクライマックスで若大将が何かの試合に出る時には、だいたいおばあちゃん(飯田蝶子)と照子が一緒に観客席で応援するのだが、その際、さりげなく年配のおばあちゃんを気遣う仕草が、演技と言うよりも本当に孫が祖母を思いやっている感じで、そういうナチュラルさが好印象であった。マネージャー江口(江原達怡)とのロマンスの進展も、微笑ましくてよかったし。余談ではあるが、若大将とヒロインの澄ちゃん(星由里子)との関係は、1作ごとにリセットされて毎回初対面の他人になってしまうのに、照子&江口のロマンスは継続していたというのも考えてみれば不思議である(まあ、メインの男女の恋愛は、常に出会いから描かないと新鮮味がないということなのだろうが…)。

さらに中さんといえば、私のような特撮愛好家にとっては、「ウルトラセブン」第2話「緑の恐怖」でのメインゲスト(箱根に向かう小田急ロマンスカーの中で、隣りに座っていた夫・石黒が突然ワイアール星人に変貌してしまうというトラウマ必至の恐怖体験をした若妻)、そして「兄弟拳バイクロッサー」での水野兄弟(金子哲、土屋歩)の母親役も忘れがたい。
「僕は当時大学生でしたけど、『バイクロッサー』結構見てたんですよ」
と、お話したら、
「そうでしたか。あれは東映の俳優センターに所属していたころで、大泉でずっと撮影していたんです。お母さん役でしたから、出番はセットが多かったかしら」
などと懐かしそうに当時のことを語ってくださった。しかしそのうち、
「……でも、あれに出ていた、中原(ひとみ)さんの息子さん、ずいぶん早く亡くなって……」
と、うつむいて淋しそうな顔をされたのではっとした。そう、弟役の土屋歩さんは、「バイクロッサー」に出演した5年後、1990年にまだ26歳の若さで亡くなったのだ。
劇中の中さんは、先程の照子と同じように、どこからどうみても水野兄弟のよき母親といった趣だった。私生活では独身を貫いた中さんだが、「自分にもし男の子がいたらこんな感じなのかな?」とイメージをふくらませつつ、撮影中は本当の母親のように土屋さんたちに接していたのだろう。それだけに、土屋さんが亡くなった時には、まるで自分の息子が亡くなったような淋しさを味わったのではないのだろうか。……などと想像をたくましくしてしまった。いずれにせよ、ご壮健なお姿を拝することができ、大変に嬉しいひとときだった。

20181223_03.jpg

これは「砂の香り」の参加者のみに配布される豪華パンフレット。テキストぎっしり、読み応え充分の大力作。忙しい年末に毎回これを作っている高畠さんの情熱にはほんと、頭が下がります。30人前後の参加者に配るだけというのはもったいなさすぎ。もっと広く配布なり販売なりした方がいいんじゃ……。
posted by taku at 12:35| 鎌倉アカデミア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月06日

鎌倉の流鏑馬



少し前のことになりますが、11月11日に鎌倉・材木座海岸で流鏑馬(やぶさめ)を見ました。その時の映像をアップします。

動きは早いし、スタート地点は遠いし、動画撮影としては、かなり難易度が高かったと思います。もちろん、流鏑馬そのものの難易度はそれの比ではないのですが……。走っている馬から矢を射て的に命中させるなんていうのは、よほど人と馬との呼吸が合っていないと出来ないように思われます。しかし聞くところによれば、このお馬さんたちは日頃から流鏑馬用にトレーニングを積んでいるわけでもないようで、射手ともほぼ初対面だった様子。それでいながら、かなりの確率であれだけ小さい的に命中させるのだからまさに神業です。ラスト、お馬さんだけ走ってきたのはご愛嬌ということで(射手との呼吸が今いちだったのかも知れません)。
posted by taku at 19:38| 動画紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月30日

ショック!ショック!アイアンショック!!

20181130.jpg

わけあって宅配のお弁当を頼むことになり、店舗に電話して、月替わりの献立表をFAXしてくれるよう、20代と思われる電話口の女性に頼んだのだが、40分以上経っても送られてこない。再度電話すると、まだ送っていないという。
「FAXくらいすぐ送れるでしょう?」と言うと、
「私、今日、臨時でこちらの事務所に来てまして、ここのことが何もわからないので……」とのこと。
「いや、わからないって言っても、FAXの送り方くらいわかりますよね」と聞くと、
「いえ、その……」と口ごもったまま。もう少ししたら店長が戻ってくるというので、じゃあ改めて電話します、と言い置いて電話を切ったのだが……。

「こんなことってあるの??」と首を傾げつつ、恐る恐るネットで
「若者 FAX 使えない」
と検索してみたところ……

結論。最近の若い人の多くはFAXが使えないそうです。メールやLINE世代には、もはや完全に過去の遺物だそうで。時代は変わるとしか言いようがない。先日は、最近の若者が電話で通話しなくなってきていることにかなりの衝撃を受けた私だが、またしても、頭をガツンとやられたようなショックに見舞われた。

「最近の若者は……」などというフレーズを多用するようになったら、老人に近づいた証拠と思って間違いないのだろうが、それにしても、ついこの間まで当たり前だったものが、若い世代にあっさり否定されてしまうのはかなりのダメージである。

しかしながら、今回の一件に話を戻せば、その宅配の弁当店は、献立表はメールではなくFAXで送るのがデフォルトというであり、であるならば、そこで働いている人間は、臨時とはいえ、FAXくらいは操作できないとまずいんじゃないの???

などと、いささか愚痴めいたことを綴ってしまいました。あまり楽しい話でなくて申し訳ありません。
posted by taku at 16:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

祝!「ナマハゲ」ユネスコ無形文化遺産登録

ナマハゲ「ウォー、登録されたどー」と雄たけび

秋田県男鹿市役所では29日、ユネスコの政府間委員会のインターネット中継動画を大型スクリーンに映し、集まった市民ら約100人が審議を見守った。「男鹿のナマハゲ」の無形文化遺産登録が決まると、拍手と歓声に包まれ、ナマハゲ姿の男性5人も「ウォー、登録されたどー」と雄たけびを上げて喜んだ。





というわけで、やりましたナマハゲさん。怪異な形相に出刃包丁という物騒な姿で、長きにわたって東北の幼児たちを恐怖のどん底に突き落としていたあの方々にスポットライトが。亡父・青江舜二郎の故郷の「まれびと」で、私なども幼少以来、正月の秋田物産展で何度となくお目にかかっていた異形の来訪神が、ついに国際的な存在として認知されたわけです。それを記念して、今から6年前にアップした動画を再度貼っておきます(男鹿真山伝承館で撮影したもの)。なお、この動画のナマハゲさんには角がありませんが、もともと彼らは「神」あるいは「神の使い」で鬼ではないため、本来角は生えていないそうです(角が生えた鬼の顔は、観光化にともなうアレンジだとか)。
posted by taku at 11:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月27日

1台のガラケーを10年使った結果

今を去ることちょうど10年前の2008年11月27日、45歳の時に、5年ぶりで携帯を機種変更した。その少し前の9月12日のブログには、
「2Gから3Gへの移行のためか、一部メールの受信がうまくできなくなり、いささか不便なことになっている。5年をメドに、そろそろ買い替えを考えなくてはならないのか……」
などと書かれている。

そして新たに手に入れたのがこれ。

20181127_01.jpg
SoftBank 821T(東芝製)

この年お目見えしたばかりの、ソフトバンク初のシニア向け端末。当時まだ40代なかばだったが、すでに老眼の兆しが見えていたため、文字の大きさに魅かれてこの機種を選んだのである。

それから、実に10年の歳月が流れ去り、その間に社会では、自民党が一度下野したり、東日本大震災が起きたり、東京オリンピックが決まったり、平成が終わることになったり、と実にいろいろなことがあった。
個人的には、この10年の間に、2度の引っ越しと実家の増改築があり、作品としては、『凍える鏡』のDVD化、秋田魁新報での「異端の劇作家 青江舜二郎 激動の二十世紀を生きる」の連載、その単行本化として評伝『龍の星霜』(春風社)の刊行、ドキュメンタリー映画『影たちの祭り』『鎌倉アカデミア 青の時代』の製作および公開、そして目下編集中の新作の撮影などがあった。
そして世間では、特に2010年以降、驚くほどの勢いですっかりスマホが普及&定着してしまったが、私の手元には、依然としてこの携帯だけが存在し、外部との貴重な連絡ツールとなっている。

20181127_02.jpg

10年フルに使った割には、それほど痛んでいないと思うのだが…


【よくある(ありそうな)質問】

Q1 10年もバッテリーが持つのか?
A1 持ちます。あまり携帯を重用していないかと言えばそういうこともなく、ごく普通に通話やメールを行っているのですが、1回充電すれば3日くらいは持つし、何の問題もなく使えています。

Q2 スマホに乗り換えようとは思わないのか?
A2 あまり考えていません。最近老眼が進んできたため、タブレットの細かい文字を見るのは辛いものがあり、ネットはPCでと決めています。

Q3 LINEとか出来ないと不便なのでは?
A3 使ったことがないのでどう不便なのかわかりません。この間、久しぶりに劇映画を撮って、若い(20、30代の)人たちとやりとりした時、彼ら彼女らはLINEが主体で、あまり電話というものもしなくなってきていると知り、少なからずカルチャーショックを受けましたが…

Q4 さすがにガラケーがなくなったらスマホにするでしょ?
A4 日本では携帯電話がかなり特異な進化を遂げており(だからガラパゴスなどと呼ばれる)、その使い勝手のよさゆえに手放せずにいるユーザーが一定数いると思うので、いきなりなくなることはないと思うのですが。最近も、下のような報道がなされているようですし…

■携帯市場の中古ガラケー販売、2018年1〜10月で過去最高に

Q5 最近のスマホのカメラの進化はすごいぞ。4K動画も撮れるぞ! そういうのに魅力を感じないのか?
A5 あまり感じません。カメラはカメラとして必要に応じて調達すればすむと思うので。たしかにスマホは、今や電話機能にとどまらず、カメラ、ビデオカメラ、テレビ&ラジオチューナー、レコーダー、プレーヤー、PC、交通カード等々、生活で必要なあらゆるニーズに応えてくれるように見えますが、何でもかんでもひとつの機械でこなす、というのは便利な反面、危険でもあると思います。先日、江ノ電のある無人駅で、ベンチにひっそりと置き忘れてあるスマホを見つけ、駅員さんのいる駅まで届けましたが、あれを落とした人は、手元に戻るまで生きた心地もしなかったことでしょう。リスクの分散を考えるなら、一極集中はNGです。そういう意味でも、携帯電話はあくまで電話として使うべきで、メールが打てて、一応のカメラが付いていれば、もうそれ以上望む必要はないと、個人的な意見ですが、思います。

20181127_03.jpg

10年前の携帯でも、このくらいの画像は撮れます。2年前の写真ですが、自宅の庭でなった柿です。

というようなわけで、今後も、おそらく壊れるまで、私はこの携帯を使い続けると思う。10年前のブログにも書いたが、携帯に限らず、機械、道具のたぐいは「壊れるまで使う」というのが個人的なデフォルトなので。それにしても、10年前に届いたメールがいまだにこの中に入っているというのはいささか切ないものである。中には(もろもろの事情で)もう連絡が取れなくなってしまった人もいるし……。でも、消せないんだよなあ……。
posted by taku at 14:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月15日

鎌倉「つるや」で昼食会

ブログやツイッター、フェイスブックなどにおいて、「こんなもの食べました」ネタはある意味鉄板だが、私はブログでその手の話はほとんど書いたことがない。理由は簡単、普段ろくなものを食べていないからである。しかし一昨日(10/13)は珍しく、いわゆる老舗といわれるお店で昼食を取ったので、その話をさらっと書いておこう。

行ったのは、鎌倉・由比ガ浜にある「つるや」。1929年創業で、来年90年を迎えるとのこと。川端康成、里見クなどの鎌倉文士、小津安二郎、田中絹代といった映画人も愛した由緒あるうなぎの店である。そして、われらが鎌倉アカデミア演劇科のOBたちも、かつては年に1度この「つるや」で「うなくう会」という同窓会を開いていた。

unakuukai.jpg

上は「うなくう会」のスナップ(2000年ごろ。前列中央に前田武彦、前列左に加藤茂雄、勝田久、津上忠、岡喜一、川久保潔、若林一郎、小池榮ら各氏の顔が揃う)。加藤さん、勝田さんなど、この中の何人かの方には、映画『鎌倉アカデミア 青の時代』でインタビュー出演していただいているが、すでに全体の半数近くが故人となられたのは残念だ。

そんなわけで、以前から名前だけは知っていて、大変気になっていたお店だが、私自身はこれまで一度も訪れる機会がなかった(ひとりでは敷居が高かったというのもある)。しかし今回、鎌倉を舞台にしたあるプロジェクトがひと段落したということもあり、このプロジェクトの立役者である加藤茂雄さん(知る人ぞ知る俳優兼漁師にして鎌倉アカデミア演劇科の卒業生。上の写真にも写っているし、このブログにもこれまでずいぶん登場しているから詳しい説明は省略)を囲む昼食会を、この「つるや」で行うことにした。

20181013_01.jpg

それにしても93歳になる加藤さんのお元気なことといったら! 翌日(10/14)は某大学の先生から大部屋俳優時代の仕事についてインタビューを受けるというし、次の週末(10/20)は、早朝に地引き網漁に参加して船から網を撒き、午後からは2年に一度の東宝の集まりに出席するというから驚きだ。当然、日々の食事や片付けなど身の回りのことはすべてご自分でやられており、買い物に行く際には今でも自転車に乗っているという。

20181013_02.jpg

そんな加藤さんの身辺の話をうかがっているうちに、鎌倉彫の重厚な器が運ばれてきた。

20181013_03.jpg

うなぎは身が実に柔らかく、たれの味も控えめで口当たりが優しい。母の実家が三島なので、やはり老舗といわれる「桜家」のうなぎはしばしば食べに行くのだが、桜家のきりっと塩辛いたれに比べると、かなりマイルドである。好みの分かれるところだろうが、この優しい味つけが鎌倉文士のお好みであったらしい。

20181013_04.jpg

この日の昼食会には、加藤さんと私、そして妙齢の女性2人(20代と30代)が参加、4人で2階席の座卓を囲み、土曜の午後のひととき、ゆったりと伝統の味を堪能したのであった。

20181013_05.jpg

それにしても、この顔ぶれは一体……。90代の加藤さん、50代の私、そして20代と30代の女子〜ズ。年代はバラバラ、しかも、私と加藤さん以外は、ほんのひと月前までは、まったく知らない同士であった。勘のいい方なら、前回や少し前のブログ記事から何かピンと来るかも知れないが、もうしばらくプロジェクトの詳細は伏せておくことにしよう(今回の写真は女子〜ズのひとりが撮影)。

とにかく、大変おいしく、楽しい会食でありました。

20181013_06.jpg

自転車で浜に出てきた加藤さん。先ほどと洋服が違うのは、一度別れてから再び合流したため。
posted by taku at 19:39| 鎌倉アカデミア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月10日

夏は終わった

20181010.jpg

まあ、実際には10月の半ばですし、とっくに終わっているんですが、私にとっては、一昨日(10/8)までは誰が何と言おうと夏でした。たとえ梨や柿やサンマがスーパーに並び、街がハロウィンの飾りで溢れ、来年のおせちの宣伝までが目に入るようになっても、私と、私の周囲の数人の心の中では、夏は静かに継続していたのです。

だが、その夏も、一昨日の夕方、ついに相模湾の彼方に、静かに姿を消していきました。これでようやく、人並みに秋を味わうことができます。

何か、よくわからない文章ですみません。端的に申しますと、夏という設定のある映像作品の撮影が、猛暑、酷暑、連続台風などの悪天候に翻弄され続けながら、ようやく終わったということです。

作品に関わってくださった皆様、本当にお疲れ様でした。
posted by taku at 12:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする