Iくんは、昨年までは自分で取材を行って記事を書く、現役バリバリの記者であったが、現在の肩書きは次長で、後輩記者の書いた原稿をチェックするのがおもな仕事だという。40代もなかばになると、現場から管理職に配置換えになるのはどこの世界も同じようだ。そして、
「最近の若い記者は、『てにをは』もわかっていないんだから悲しくなるよ」
などと愚痴るのを聞き、
「そうか、お互いこの間まで学生だと思っていたけれど、いつの間にか『近ごろの若い者は…』的な言葉を発するオヤジ世代になっていたのか」
と、過ぎゆく時の無常さを思い知らされたのであった。
しかし、そういう同世代の愚痴のこぼしあいのためにIくんと会ったわけではない。今回私が彼に声をかけたのは、私が現在週に一度、東北のある新聞に連載記事を書いていることと大いに関係がある。その連載についてはもうひとつのブログで細かくお伝えしているので詳細はそちらを見ていただきたいが、毎週火曜に原稿をその新聞社にメールで送ると、翌日に編集担当のGさんから、「語句の確認」と称したメールが来る。それはだいたい以下のような感じである。
▽暖かい→温かい
▽嬉しい→うれしい
▽すぐれた→優れた
▽奴→奴(やつ)
▽関わる→かかわる
▽鞄につめ→かばんに詰め
▽きわだち→際立ち
▽そんな風→そんなふう
要するにこれは、私は原稿に「暖かい」と書いたけれど、「新聞社側のハンドブックでは『温かい』が基準です。どうしますか?」という問い合わせなのである。また、「嬉しい」というのは、ハンドブックでは「うれしい」であり、もし「嬉」という漢字を使いたければ、ふりがなを振らないといけない。逆に、「すぐれた」と書いて出すと、ハンドブックによれば「優れた」と漢字で書くのが標準の表記だという。とにかく、いろいろと細かい決め事があるようなのだ。
このメールにひととおり目を通すと、担当のGさんに電話をかけ、「じゃあここはハンドブックにしたがって」とか、「いやここはこだわりがあるのでこの字のままで」などというやりとりが行われる。水曜日の恒例行事と言っていい。その後は、木曜日の夕方に「大刷り」という紙面の見本みたいなものがファックス(ハンドブックによれば「ファクス」)で送られてきて、それを見てまた電話でやりとりして…、というのが記事が新聞に載るまでのおおまかな流れである。原稿を書いて送ってからも、結構面倒な手続きがあるわけだが、そもそも「新聞社側のハンドブック」って何なのだ?というのが、この春、連載を始めてからの疑問だった。
実はこのハンドブックというのが、Iくんの勤めているK通信社で出しているものなのだ。各新聞社の記者はそれを基準に、日々記事を書いたり直したりしているらしい。であるならば、Iくんに会って聞けば、そのハンドブックがいかなるものか、はっきりわかるに違いない。というわけで、彼にその現物を、飲み屋まで持って来てもらった(本当は写真を撮るはずだったが忘れてしまったので画像はない)。
大きさは、小ぶりな辞書といったところだろうか。中をめくると、言葉の表記についての決まりごとが紙面狭しとびっしり書いてある。外来語表記や、差別用語の言い換えなども、過剰と思われるほどに懇切丁寧である。そこにはいささか強迫的なものさえ感じられ、最初にこれを読んでしまうと、物を書くのが怖くなってしまいそうだ。
「じゃあ記者の人は、受け取った原稿をいちいち、これをめくってチェックしているわけ?」
と聞くと、最近は、テキストを入力すると、すぐにハンドブックと異なる表記だけを赤色で知らせてくれるソフトがあるという。何とも便利なものだ。これさえあれば、元はメロメロな表記の文章であっても、完璧な日本語表記に仕上がるというわけか。
しかし、言葉は日々変わるものである。辞書が改訂されるように、このハンドブックの基準も、数年ごとに見直しがなされるという。具体的な例でいうと、「火星のわが家」という映画が公開された2000年にK通信にインタビューをしてもらった時、私の「大嶋」は「大島」と表記されていた。そのころはまだ、当用漢字以外は使用しない、という基準があったためらしい(同じように、一時期は「龍」が「竜」とされる場合が多かった)。しかし、2003年に別なことで同じK通信から取材を受けた時には「大嶋」でOKになっていた。このように、かなり流動的なものなのである。
外来語についても、一時期は新聞で「コンピューター」のことを「コンピュータ」と表記していたように記憶しているが、いつの間にか「コンピューター」になった(マイクロソフトでは昨年表記を変えたらしい)。それとは逆に、以前は「チャップリン」とされていた喜劇王が、最近の新聞ではなぜか「チャプリン」である。これはネットでも話題にする人が複数いるようだが、グーグルで「チャプリン」を検索すると、ご丁寧に「もしかして:チャップリン」の注釈が出るくらい「チャップリン」の方が一般的なのに、かたくなに「チャプリン」で統一している。違和感を抱く人の方が多いと思われる表記をどうして採用しているのか、正直さっぱり理解できない。
同じようなものとして、「ジャージー」がある。いわゆる体操着の場合は、まずほとんどの人が「ジャージ」と言っていると思う。「ジャージの二人」なんていう映画もあるくらいだ。でも、新聞では判で押したように「ジャージー」。私なんかの感覚では、「ジャージー」と聞いてすぐ連想するのは乳牛である。いつだったかある少年事件で「加害者が被害者に『ジャージー』を渡すと言って呼び出した」と書かれていたのを見た時、思わず加害者が乳牛を引っ張ってきた情景が思い浮かんで、痛ましい事件にもかかわらず、笑いがこみ上げて来てしまった。
外来語表記についてもう少し続けると、監督の「ヴィム・ヴェンダース」は新聞では「ビム・ベンダース」である。これについては、映画通のIくんとしてはかなり不服らしく、映画担当の記者だったころはずいぶん抵抗を試みたそうだが、「今ではそれをチェックする立場になったよ」と苦笑いしていた。
言葉は流動的なものである。だからこそ、その時々に一定の基準が必要であることも理解できる。とはいえ、もう少し「しなやかさ」というか、幅を持たせることはできないのだろうか。それについてもIくんに聞いてみたところ、
「たしかに、出版社が単行本を出す場合には、こういう厳密な言葉のチェックはやっていないと思う。しかし新聞というのは、ある意味で教科書に準ずるものという考え方もあるようで…」
そしてA新聞が最近、大学の入学試験を意識したキャンペーン(「T声J語はよく入試に出される」等々)をやっている例などを持ち出した。なるほど、入試に使われても大丈夫なもの、と考えるなら、その慎重さも納得がいく。入試には「正解」はひとつしかないわけだから。
ともあれ、久しぶりに異業種交流をして、日々ゆるみつつある脳味噌がだいぶ活性化したように思えた。


