2009年10月09日

ついに見た!謎のハンドブック

一昨日、大学時代の同級生であるIくんと久しぶりに会い、新橋の飲み屋で旧交を暖めた。彼は卒業とともにK通信社に入社し、今もその文化部に勤務している。K通信は、新聞社や放送局にニュースを配信する業務を行っており、以前私が公開した何本かの映画も、そのK通信から各地の新聞社に紹介記事が配信され、活字になった。
Iくんは、昨年までは自分で取材を行って記事を書く、現役バリバリの記者であったが、現在の肩書きは次長で、後輩記者の書いた原稿をチェックするのがおもな仕事だという。40代もなかばになると、現場から管理職に配置換えになるのはどこの世界も同じようだ。そして、
「最近の若い記者は、『てにをは』もわかっていないんだから悲しくなるよ」
などと愚痴るのを聞き、
「そうか、お互いこの間まで学生だと思っていたけれど、いつの間にか『近ごろの若い者は…』的な言葉を発するオヤジ世代になっていたのか」
と、過ぎゆく時の無常さを思い知らされたのであった。

しかし、そういう同世代の愚痴のこぼしあいのためにIくんと会ったわけではない。今回私が彼に声をかけたのは、私が現在週に一度、東北のある新聞に連載記事を書いていることと大いに関係がある。その連載についてはもうひとつのブログで細かくお伝えしているので詳細はそちらを見ていただきたいが、毎週火曜に原稿をその新聞社にメールで送ると、翌日に編集担当のGさんから、「語句の確認」と称したメールが来る。それはだいたい以下のような感じである。

▽暖かい→温かい
▽嬉しい→うれしい
▽すぐれた→優れた
▽奴→奴(やつ)
▽関わる→かかわる
▽鞄につめ→かばんに詰め
▽きわだち→際立ち
▽そんな風→そんなふう


要するにこれは、私は原稿に「暖かい」と書いたけれど、「新聞社側のハンドブックでは『温かい』が基準です。どうしますか?」という問い合わせなのである。また、「嬉しい」というのは、ハンドブックでは「うれしい」であり、もし「嬉」という漢字を使いたければ、ふりがなを振らないといけない。逆に、「すぐれた」と書いて出すと、ハンドブックによれば「優れた」と漢字で書くのが標準の表記だという。とにかく、いろいろと細かい決め事があるようなのだ。

このメールにひととおり目を通すと、担当のGさんに電話をかけ、「じゃあここはハンドブックにしたがって」とか、「いやここはこだわりがあるのでこの字のままで」などというやりとりが行われる。水曜日の恒例行事と言っていい。その後は、木曜日の夕方に「大刷り」という紙面の見本みたいなものがファックス(ハンドブックによれば「ファクス」)で送られてきて、それを見てまた電話でやりとりして…、というのが記事が新聞に載るまでのおおまかな流れである。原稿を書いて送ってからも、結構面倒な手続きがあるわけだが、そもそも「新聞社側のハンドブック」って何なのだ?というのが、この春、連載を始めてからの疑問だった。

実はこのハンドブックというのが、Iくんの勤めているK通信社で出しているものなのだ。各新聞社の記者はそれを基準に、日々記事を書いたり直したりしているらしい。であるならば、Iくんに会って聞けば、そのハンドブックがいかなるものか、はっきりわかるに違いない。というわけで、彼にその現物を、飲み屋まで持って来てもらった(本当は写真を撮るはずだったが忘れてしまったので画像はない)。

大きさは、小ぶりな辞書といったところだろうか。中をめくると、言葉の表記についての決まりごとが紙面狭しとびっしり書いてある。外来語表記や、差別用語の言い換えなども、過剰と思われるほどに懇切丁寧である。そこにはいささか強迫的なものさえ感じられ、最初にこれを読んでしまうと、物を書くのが怖くなってしまいそうだ。
「じゃあ記者の人は、受け取った原稿をいちいち、これをめくってチェックしているわけ?」
と聞くと、最近は、テキストを入力すると、すぐにハンドブックと異なる表記だけを赤色で知らせてくれるソフトがあるという。何とも便利なものだ。これさえあれば、元はメロメロな表記の文章であっても、完璧な日本語表記に仕上がるというわけか。

しかし、言葉は日々変わるものである。辞書が改訂されるように、このハンドブックの基準も、数年ごとに見直しがなされるという。具体的な例でいうと、「火星のわが家」という映画が公開された2000年にK通信にインタビューをしてもらった時、私の「大嶋」は「大島」と表記されていた。そのころはまだ、当用漢字以外は使用しない、という基準があったためらしい(同じように、一時期は「龍」が「竜」とされる場合が多かった)。しかし、2003年に別なことで同じK通信から取材を受けた時には「大嶋」でOKになっていた。このように、かなり流動的なものなのである。

外来語についても、一時期は新聞で「コンピューター」のことを「コンピュータ」と表記していたように記憶しているが、いつの間にか「コンピューター」になった(マイクロソフトでは昨年表記を変えたらしい)。それとは逆に、以前は「チャップリン」とされていた喜劇王が、最近の新聞ではなぜか「チャプリン」である。これはネットでも話題にする人が複数いるようだが、グーグルで「チャプリン」を検索すると、ご丁寧に「もしかして:チャップリン」の注釈が出るくらい「チャップリン」の方が一般的なのに、かたくなに「チャプリン」で統一している。違和感を抱く人の方が多いと思われる表記をどうして採用しているのか、正直さっぱり理解できない。

同じようなものとして、「ジャージー」がある。いわゆる体操着の場合は、まずほとんどの人が「ジャージ」と言っていると思う。「ジャージの二人」なんていう映画もあるくらいだ。でも、新聞では判で押したように「ジャージー」。私なんかの感覚では、「ジャージー」と聞いてすぐ連想するのは乳牛である。いつだったかある少年事件で「加害者が被害者に『ジャージー』を渡すと言って呼び出した」と書かれていたのを見た時、思わず加害者が乳牛を引っ張ってきた情景が思い浮かんで、痛ましい事件にもかかわらず、笑いがこみ上げて来てしまった。

外来語表記についてもう少し続けると、監督の「ヴィム・ヴェンダース」は新聞では「ビム・ベンダース」である。これについては、映画通のIくんとしてはかなり不服らしく、映画担当の記者だったころはずいぶん抵抗を試みたそうだが、「今ではそれをチェックする立場になったよ」と苦笑いしていた。

言葉は流動的なものである。だからこそ、その時々に一定の基準が必要であることも理解できる。とはいえ、もう少し「しなやかさ」というか、幅を持たせることはできないのだろうか。それについてもIくんに聞いてみたところ、
「たしかに、出版社が単行本を出す場合には、こういう厳密な言葉のチェックはやっていないと思う。しかし新聞というのは、ある意味で教科書に準ずるものという考え方もあるようで…」
そしてA新聞が最近、大学の入学試験を意識したキャンペーン(「T声J語はよく入試に出される」等々)をやっている例などを持ち出した。なるほど、入試に使われても大丈夫なもの、と考えるなら、その慎重さも納得がいく。入試には「正解」はひとつしかないわけだから。
ともあれ、久しぶりに異業種交流をして、日々ゆるみつつある脳味噌がだいぶ活性化したように思えた。
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2009年09月29日

欲望の行方(2)

前回述べてきた若者世代の欲望の低下という現象は、果たしてどのようにとらえるべきなのだろうか。経済効果という点では、はなはだ深刻な事態を招くことは間違いないだろう。「酒」にも「タバコ」にも、パチンコなどの「ギャンブル」や「車」にも、そして「風俗」にも彼らが金を使わないというのであれば、それぞれの業界のダメージは深刻であろう。この傾向が続くとしたら、何年たっても経済など活性化するわけがない。経済が活性化しなければ、資本主義というシステムにおいては、すべてが停滞してしまう。だが、それは本当に「よくないこと」なのだろうか。

この間たまたまテレビをつけたら白洲次郎の伝記ドラマをやっていて、戦争の危機を感じた次郎が、イギリスの朋友たちを前に「欲望を抑えることこそ肝要だ」と訴え、それに対して一人の英国人は「しかし、人間には欲望があるからこそ文明がここまで発展したのだ」と言い返していた。まったくそのとおりで、人類は、肉をもっと美味しく食べたいという願いから火で焼くことを覚え、鳥のように羽ばたいてみたいと夢見て飛行機を発明した。欲望というものがなくなれば、もはや文明は失速し、滅びるしかない。

にも関わらず、若者は現在、確実に欲望を失いつつある。しかし、それでよいのだ、という気がする。たしかに欲望は文明を進歩させたかも知れないが、その一方で、人は他人よりも自分がより多く満たされることを望み、それゆえに争うようになった。この地上での戦争のほとんどは、極言すれば欲望の衝突から生み出されたものである。すでに二千年以上前に仏陀はそれに気づき、欲望を捨て去ることこそが、人の心に真の平穏をもたらすと説いたのだ。

さて、現在の若者はどうであろうか。彼らは仏陀のように難行苦行や沈思黙考の末、ついに欲望を滅却したわけではない。彼らは最初から「その境地」にいるのだ。ということは、7年も苦労してやっと解脱した仏陀よりも、まことの「ほとけ」ということになりはしないだろうか。そうした「ほとけ」が人口の多数を占めるようになれば、争いごとはなくなり、世の中は自然と穏やかになってくるはずだ。

私は何も皮肉や逆説でこんなことを書いているわけではない。私自身は東京オリンピック前年の生まれで、まさに高度経済成長期の日本とともに生きてきた。20代のころはバブル経済真っ盛りで世をあげての財テクブーム、大学生がブランドものをあさり、カフェバーで恋(?)を語り、グルメのサークルなんかを作って美食家を気取るという、実に鼻持ちならない時代に青春期を送っている。まさに、資本主義にとことん踊らされた哀しい世代なのだ。それに対して今の20代は、バブルが崩壊した1990年前後にやっと物心がついた世代で、景気のいい日本を知らない。彼らの徹底した淡白さ、執着心の薄さは、実はそこに由来するのではないかと私は推測するのだが、彼らは資本主義の恩恵をほとんど蒙っていないのだから、それを妄信することもないはずだ。実はこれこそが特筆すべき点であり、現在の行き過ぎた、そして疲弊した拝金主義的経済体制を一度すっかりご破算にしてしまうには、彼らの、「必要な物以外は買わない」というガンジーばりの「無抵抗、不服従」に期待するしかないのでないかと考えるのである。

若者世代における欲望の低下という現象は、一見、無気力に支配された由々しき状態であるように見えながら、実は、今日の腐敗した資本主義からの、彼らなりの脱却宣言なのではないだろうか。ただその先に、いかなる未来が見えてくるのかは、何人も予測できないところであるが。
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2009年09月28日

欲望の行方(1)

最近よく見聞きするのが、「若者の○○離れ」というフレーズである。○○のところには、「酒」「タバコ」「ギャンブル」「車」「テレビ」「ブランド」「旅行」「風俗」などの言葉が入るようだ。また、マスコミが流行らせたようで何となく使うのがはばかられるが「草食系」という言葉も市民権を得てきている。このごろの若い人たちは、本当にそんなに淡白になってきているのだろうか。

前回のブログでも書いたように、私はもう10年以上、NCWという映画人養成機関に出入している。そこに通う20代の学生や社会人の面々を見る限り、まあ、もともと文科系の人間が集まっているからかも知れないが、欲望をギラつかせた、かつての三船敏郎のようなタイプは皆無である(もはや日本全体で見ても絶滅種か?)。飲み会でも酒を豪快に飲んで泥酔する大トラは明らかに減っており、男女問わずソフトドリンク愛好派が多いのも最近の傾向だ。着る物や持ち物も実用的かつシンプルで、食べ物にも住むところにも、それほどお金をかけているようには見えない。
当然この辺のことは、最近の不景気や雇用不安と関連して論じられることも多い。「彼らはお金がないだけなのだ。また、あったとしても今のご時世では、嗜好品にお金を使うよりは、先々の生活のために貯蓄をした方が賢明だと思うだろう」という分析は、たしかにある部分では的を得ているだろう。

しかし、どうもそれだけではないように思う。上の考え方に基づくなら、彼らは本当は「あれも欲しい」「これもしたい」と思っているのだが、先行きが不透明であるため、我慢してお金を使わないようにしている、という結論に至るのだが、彼らを見ていると、心に渦巻く欲求を、経済的な事情で抑えつけている、というよりは、そもそも欲求というか欲望というか欲動というか、そういう、人間を深いところから突き動かす「核」のようなものが、欠けているように思えてならないのだ。
それは精神分析学的にはリビドーと呼ばれ、フロイトは性欲こそがその源泉であると提唱した。しかしその性欲にしても、たしかにかつては、若者であるならば(特に男子は)理性で制御するのが難しいほど強烈な衝動と思われていたが、今の「草食系」男子から、そのような激しい渇望は微塵も感じられない。NCWにおいても、現在「性」をテーマにした作品を撮ろうとする若者は、男女ともに圧倒的少数である。

NCWについてもう少し言うなら、私は「シナリオの基本」というレクチャーの中で、マズローの欲求段階説を引用し、それぞれのステージの欲求が、どのようにドラマになりうるか、というような話をしている。これはすでに言い古されたことだが、「主人公が何らかの欲求を持つ→それを実現させるために奮闘努力する→しかしいろいろな障害が立ちはだかって目的が達成できない→そこで主人公は葛藤する→その葛藤を描くことこそドラマである」というセオリーがあり、いくたびかの葛藤の末、ドラマはクライマックス(絶頂)を迎え、カタルシス(精神浄化)が導かれるというのが、アリストテレス以来の作劇理論である。つまり、主人公が欲求を持つことがドラマの出発点であり、それがなければ映画も演劇も生まれないのである。

最近の若い人たちの書くシナリオを読むと、アンチクライマックスで展開の平板なものが多いと感じるのだが、書き手である彼ら自身の心に欲求が存在しないのであれば、それも当然すぎるくらい当然である。彼らの作品には、身の回りの出来事を淡々と綴った私小説的なものが多い。作品作りは、自分自身やその周辺をきちんと見つめることから始まる、というのは間違いではないが、その日常は抑揚に乏しく覇気もなく、出て来るのは自分の部屋か学校か職場、そして登場人物は携帯で会話するかメールするかコンビニの弁当を食べるか寝ているかである。これが彼らのありのままの日常だとしたら、あまりにもストイックで、ほとんど出家者か世捨て人の生活のようではないかと思えてくるのだ。(つづく)
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2009年09月22日

別れの季節

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卒業や退職のシーズンといえば3月が一般的である。しかし最近では9月卒業の学校もあるようだし、今のこの時期も、もうひとつの別れの季節と言えるのではないだろうか。

このブログではほとんど書いたことがなかったが、私はNCW(ニューシネマワークショップ)という映画人養成機関に、1997年4月の開講当初から関わっている。主宰の武藤起一氏とはその当時、「カナカナ」の配給を手伝ってもらったり、「ウイークエンド・ピース」というビデオ作品に出てもらったりと、何かと行き来があったため、「ひとつ手伝ってもらえないか」とお声がかかったのである。それから早12年。何度かカリキュラムの変更はありつつ、現在でも半年ひと区切りのクリエイターコース(映像作品を作るコース)でシナリオの基本的な書き方を教えたり、出来上がった実習作品の講評をしたりと、細く長くのお付き合いが続いている。

このNCWには、一応教えに行くという立場ではあるものの、実際には何かにつけ助けてもらっているという印象が強い。クリエイターコースのディレクターである露木栄司氏は「火星のわが家」で制作、「凍える鏡」ではプロデューサーを担当しているし、それ以外の事務局スタッフや受講者(OB)も多数、私の現場に参加してくれている。特定のプロダクションに属していない私にとって、NCWはまさに隠れた制作支援組織という気がする。

そしてつい先日(9/19)、そのNCWでクリエイターコース「ベーシック」の最終講義が行われた。受講者それぞれが半年かけて作った10分程度の短編作品を、教室で一同に会して鑑賞するのである。一等を決めるとかそういう催しはないが、やはり半年を締めくくる大事なセレモニーであった。

30本近い作品を観終えて改めて思うのは、デジタルビデオとパソコンの普及によって、映像製作はもはや選ばれた少数者のものではまったくなくなってしまったということだ。これが初めてとは思えないくらい、どれも作品の形を成していたのには正直驚かされた。
また受講者の大半は、バブル崩壊以降に物心ついて成長した若者たちであるため、あまり浮ついたところがなく、作品も自分たちの日常や現実に立脚した、地に足の着いたものが多く好感が持てた。自分の就職活動の体験を作品に織り込んだ大学生は、エリート意識は人一倍強いのに一向に内定が取れない男の焦燥を描き、高校時代に担任教師の素行調査(というよりはストーキング)を行ったことがあるという女学生は、それを物語にして自ら主役を演じ、他人の秘密を知ることの快感と、知ってしまったあとの寂莫たる気持ちを表現しようと試みた(この幕切れは、谷崎潤一郎の「秘密」を思い出させる)。

他にも、ピザのデリバリーのバイトをしている男と、デリバリーヘルスで働いている元彼女との再会を通して、すべてのものが「宅配」可能なようでいて、心だけは置き去りにされる現代の姿を寓話的に描いた作品、背広を身に着けることで実在感がなくなる「インビジブル・シンドローム(作者の造語)」という症状に苦しめられるサラリーマンの奮闘をコミカルに追った作品、子どもを虐待してついに殺してしまったと周囲に思われている母親が実はやさしい母親で、人形だけがそれを知っていたというラストが妙な余韻を残す作品など、社会現象や事件をうまくドラマに結びつけたものも多かった。

中でも私にとって印象深かったのは、実際にパチプロで生計を立てている数人の友人を画面に登場させたセミドキュメントのようなドラマだった。30歳を過ぎて浮草のような生活をしている彼らに「兄の引きこもり」「父の死」「子どもが出来る」など、実際のエピソードを語らせつつ、「ぐだぐだな日常の中でも、確実に時間だけは流れていく」という否応ない現実を突きつける。そこには何の救いもないが、それでも生きざるを得ない人間の姿がきちんと描かれている点が心に残った。たとえ技術的には稚拙であっても、作り手が現実の生活の中で、真剣にテーマと取り組んだ作品は、人を「はっ」とさせる魅力を秘めているものだ。
その一方で、BGMのたれ流しやテロップの多用など、最近のテレビの手法を表面的に真似ただけの作品もいくつか見受けられたが、すべての表現はまず模倣から始まることを思えば、非難するには当たらないだろう。シナリオにしろ、演出にしろ、「やられた!」「これは自分には撮れない!」と、思わず冷や汗が流れた作品が複数あったことを、ここに正直に告白したい。まさに「後生畏るべし」である。

さて、こうして最終講義も終わり、このクラスの人たちともこれでお別れ、ということになったのだが、今回はもうひとつ、大きな別れが待っていた。2002年からクリエイターコースを担当してきたスタッフの今西祐子さんが、この月末でNCWを離れることになったのだ。創作に専念するというのがその理由だという。彼女は2001年から同期の栗原雅子さんと「イマクリ」というユニットで短編映画を作って劇場公開し、すでにDVDを2枚も世に出している。女の子の目線で、切ない片想いや失恋の痛手などを描かせたら、私など到底およばない細やかな描写力を持った人なのである。

彼女は今からちょうど10年前の1999年4〜9月、NCWの基礎クリエイターコース(現在の「ベーシック」の前身)に通い、「あのときかもしれない」という16oの短編映画を撮って監督デビューを果たした。その時にシナリオの選考をしたのが武藤氏、露木氏と私だったのである。彼女ともずいぶん長い付き合いになる。
先ほど、私にとってNCWは隠れた制作支援組織と書いたが、彼女にもまたいろいろな作品でお世話になった。「39-19」ではエキストラの手配、「いくつもの、ひとりの朝」では、増田佳恵さんというOBとともに、登場人物たちが劇中で食べる餃子を、何と皮から手作りしてくれている。「火曜日の約束」という短編ではヒロインの女優さんを紹介してくれたし、2005年7月に今はなきシネマアートン下北沢で行われた「大嶋拓オールナイト」というイベントでは、深夜にも関わらずゲストの一人として参加してくれた(下写真は上映後のトークの模様)。

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それ以外にも、クリエイターコースの業務でサポートしてもらったことを書き始めたらきりがないくらいで、彼女が事務局にいてくれたおかげで、私はいつも気軽にNCWに顔を出すことができたのである。大変に淋しいし残念ではあるが、彼女のクリエイターとしての前途に幸多かれと祈りつつ、笑顔で送り出したいと思う。
今西さん、長い間本当にどうもありがとう。

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[付記]
1999年9月の、基礎クリエイターコース最終講義の映像が残っていた。その月の末でNCWの教室が「ビューロ早稲田」から「村橋ビル」に移転することになっていため、記録としてビデオカメラを回していたのである。もしかして、と思い、昨日再生してみたところ、そこにはまさしく、10年前の今西さんの姿が…。

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上のキャプチャ画像は「あのときかもしれない」の編集ラッシュを観た後で、武藤氏や露木氏から、「もう少しカットの頭が長い方がいいんだよ」などとアドバイスを受けているところ。今西さんがほとんど変わっていないのには驚くしかないが、よく見ると、武藤氏、露木氏もほとんど変わっていない(私はこの10年でずいぶん白髪が増えてしまったが…)。これからのNCWは、
「変わらぬ若さをあなたにも!
アンチエイジングの映画人養成機関!」

なんていうキャッチコピーを採用してはいかがだろうか。
posted by _ at 21:47| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月13日

違和感の理由

最近新刊本を買うことはほとんどないのだが、新聞をめくると、相も変わらず「○万部突破!」などといった文字が躍るベストセラーの広告が嫌でも目に入ってくる。そんなに売れているならもう宣伝しなくてもいいじゃないか、と思ってしまうのは素人の浅はかさというものだろう。資本主義は、「売れるものはとことんまで売る」という原則で成り立っているようだから。

さて、本日の朝刊にも、そのようなにぎやかな広告を見かけた。ぶっとい明朝体でタイトルが示され、その下に「31万部突破!」とある。これがミステリーや歴史小説などのいわゆる娯楽ものであるなら、そのままやり過ごして終っただろうが、今日の広告は、しみじみながめた結果、何とも言えない違和感を抱いてしまった。というのはその本が、いわゆる「生き方本」であり、疲弊した現代人に、「あなたはもうこれ以上がんばらなくていいよ。物事には執着せず、ほどほどのところに安住するのが一番幸せな生き方なんだよ」と諭すような内容のものだったからである。

各章の見出しを見る限り、取り立てて新しいことが書いてあるようには思えない。「執着心を捨てよ、欲望を滅却せよ」と説いたのは仏陀で、仏教国である日本に住む我々には、古くからおなじみの思想であるはずだ。それでもこの手の本が売れるのは、相変わらずの不景気で自殺者年間3万人もすっかり定着、うつ病など心を病む人間も増えるばかりの現代日本では、何でもいいからてっとり早く「救われるような言葉」に触れたい人が多いからだろう。わざわざ古い仏典を探す余力などはない。書店で平積みにされていたり、ネットですぐに買えるものが、こういう時には重宝されるのだ。その結果、発売からわずか2ヵ月で31万部を突破。大変な商売上手というしかないが、その広告の「31万部突破!」のすぐ左にあるキャッチコピーには、「1億円稼ぐより、深く満たされた人生が…」などと大書されているのだ。これが、容易にぬぐいされない違和感の理由であった。

この本では一章を割いて「金に執着するな」ということが綿々と書かれているようなのだが、その一方で出版社は、「この本はこんなに売れている=うちの会社はこんなに稼いでいる」とアピールしているのだ。このような広告に、誰も矛盾を感じないのだろうか。せこい話で恐縮だが、どうにも気になったので電卓を取り出し、この本の本体価格に31万部をかけてみた。驚くべし、2億2940万円である。1億の倍、実に2億円を売り上げているのだ。「1億円稼ぐより、深く満たされた人生」とは2億円稼ぐことだったのか!と皮肉のひとつも言いたくなってくる。もちろんこれは単純な売り上げで、経費などを差し引けば収益はここまでではないにしても、この1冊が出版社をかなり潤したのは事実である。そして筆者もまた、10パーセントの印税を受け取るとして、ざっと2千万は懐に入った計算になる。自分たちはしこたま儲けておいて、「金なんかに執着するのはおよしなさい」と涼しい顔をして言う。これは、たらふく食べて肥えている人間が、餓えている人間に向かって、「絶食は体にいいんだよ」と言っているようなものではないだろうか。

この本を手に取る取らないは個人の自由だが、本が示す内容と、それを送り出す側の姿勢とに、何ともやり切れないギャップを感じてしまうのである。それは、若者の貧困をテーマにした著作を何冊も出している作家の言行を見て、結局この人は貧困をネタに稼いでいるのだとわかった時に感じた失望と同種のものである。

欲望の滅却を説いた仏陀は、自らも私有財産を放棄し、節制を重んじ、おのれの説く道に忠実に生きた。戦中に獄死を遂げた小林多喜二や三木清、戸坂潤らも、最後まで自らの思想に寄り添い、それに殉じた。いやしくも生き方を示すような書物を世に送り出す人間は、自分の言動にどこまでも責任を持つべきであり、その言葉と行為とを一致させた生活を実践するのでなければ、読者を真に感化することなどできるはずもない。

「それは近代までの話である。現代ではもはや思想信条に殉じるものなどいない。言葉と行為とは別物なのだ」などと言う声も聞こえてきそうである。そんな方便が「正論」としてまかりとおるのが、成熟した資本主義社会というものだとしたら、もはや現代に真の救済はない。
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2009年09月09日

以倉いずみさん、安らかに

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今夜21時から、渋谷のユーロスペースで「いくつもの、ひとりの朝」の上映があります。劇場のスクリーンで大写しになるのは約3年ぶりですが、この映画に美鈴(メイリュン)役で出演した女優の以倉いずみさんが、8月27日、肺がんのためお亡くなりになりました。謹んでご冥福をお祈りします。

第一報は、9月2日の夜。俳優の加藤忠可さんからの電話でした。
「久しぶりですねえ、お元気ですか」と応じたら、いつになく深刻な声で、
「いや、もう大嶋さん知ってるかも知れないけど、以倉ちゃんが…」

思わず「え!」と、自分でもびっくりするような声が出てしまいました。2年ほど前、少し体調を崩したとかで、尼崎のご実家に戻っていたことは知っていましたが、まさか、こんなにあっけなく不帰の客になってしまうとは、夢にも思いませんでした。

以倉さんとは、2003年にホームページで写真のモデルをやってもらったのを振り出しに、上に書いた「いくつもの、ひとりの朝」、ボイスドラマ「水のほとり」、DVD演劇「実験室」、朗読劇「崖」と、全部で4つの作品に出演してもらいました。いろいろな現場での彼女の姿が、次々頭に浮かんできます。春まだ浅い鎌倉、長野県上田市の無人駅、さいたま芸術劇場のステージ、そして荻窪と新宿の昭和テイストな建物…。

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自分より10歳以上も若い人が亡くなるというのは、何ともやり切れないものです。ただ本当のことを言うと、どうもいまだに実感が伴わず、悲しいとか淋しいという感情も湧き上がってきません。何ともしっくりこない気分です。私には彼女は今も、尼崎でご両親と生活を続けているようにしか思えないのです。

しかし時間とともに、この喪失感は徐々に大きくなっていくのでしょう。今朝ほど、以倉さんの女子高時代の同級生だったという方から、「以倉さんの追悼上映会を母校で行うことを考えているのですが、許可関係はどうすれば…」という問い合わせのメールが届きました。その文面に「遺作」という言葉を見つけた時、「そうか、彼女はもういないのか」と、改めて重い事実を突きつけられた気がしました。

その同級生の方によると、高校時代の以倉さんはいつも明るく、「バレンタインデーの日の休み時間には、チョコを渡す後輩が後を絶たないほどの人気者」だったそうです。さもありなん、という気もしますが、私の印象では彼女はグループの中心人物というよりはムードメーカーで、いつも場の雰囲気を敏感に察知して適切に行動する、非常に心配りの行き届いた人でした。だから人望もあり、所属事務所でも後輩たちのよき相談相手だったようです。その反面、自分からはなかなか他人に悩みを打ち明けられず、一人で抱え込んでしまうところがありました。女優であるならば、あまり他人のことなど気にかけず、自己愛を前面に押し出して好き勝手に振舞ってもよさそうなものですが、根が真面目な以倉さんには思いもよらないところだったようです。私はそのことを、酒の席で彼女に指摘したことがあります。
「以倉さんは優等生すぎるんだよ。女優なんてのは、もっと不良じゃないと…」。

jikkenshitsu.jpg 「実験室」の一場面

それは、「実験室」という作品の打ち上げの席でした。彼女は流行作家と不倫関係になる子持ちの人妻を演じたのですが、私には彼女の演技が、どうにも折り目正しすぎるように思え、そのような「暴言」を吐いてしまったのです。それを聞いた時の以倉さんの、何とも言えず悔しそうな表情が忘れられません。よく見ると、両の瞳には涙が浮かんでいます。「そう言われてすぐに変えられるくらいなら誰も苦労はしません」。彼女の目は無言のうちにそう訴えているようでした。
しかし、今改めて思うのは、優等生的ではあったかも知れませんが、以倉いずみには以倉いずみにしか出来ない演技というのがたしかにあったということです。「実験室」に関して言えば、物語がかなりドロドロしたものであった分、彼女のその初々しさが、作品全体を中和させる役割を担っていたようにも感じられるのです。もしも、病魔に冒されることなく、末永く演じる仕事を続けていくことが出来たなら、その真面目な人柄と人生のキャリアとが相まって、今では貴重な、品と華のある女優に成長したかも知れないのにと、悔やまれるばかりです。

以倉さん、あのころも今も、いろいろ好き勝手を言って(書いて)しまってごめんなさい。でも、あなたの出演してくれた作品は、これからも残っていきます。どうぞ、安らかにお眠り下さい。
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2009年07月25日

高久進氏追悼

脚本家の高久進氏が亡くなった。
訃報記事もあるように、「キイハンター」「Gメン75」といった丹波哲郎主演のハードボイルドドラマのシナリオで知られているが、その一方、実写特撮作品も数多く手がけている。私のよく見た作品を挙げるだけでも、幼少期の「悪魔くん」「マグマ大使」「キャプテンウルトラ」、小学校時代の「スペクトルマン」「変身忍者嵐」「電人ザボーガー」、中学高校時代の「スパイダーマン」「電子戦隊デンジマン」、大学時代の「星雲仮面マシンマン」「超人機メタルダー」と次々タイトルが浮かんでくる(おいおい、大学時代までそういう番組を見てたのかよ、という突っ込みはご容赦を)。

この時代の特撮作品の脚本家といえば、伊上勝、上原正三、藤川桂介といった名前がすぐあがるが、これらの人たちは、作品の大半があきらかに子ども向けの30分ドラマであったのに対し、高久進は上にも書いたように、「Gメン75」のメインライターであり、ほかにも2時間もののサスペンスなどもかなり書いている。言うなれば、大人向けと子ども向けの「両刀使い」だったわけである。中学くらいからその名前を意識するようになった私は、特撮作品のオープニングを見ていて高久進の名前を確認すると、「あ。今回はこの人が脚本だ。いくらかアダルトな雰囲気かも知れない」と少しだけ心を躍らせたものだ。実際は必ずしもそうとは言えない作品もあったが、「Gメン75」によく出てきた「インターポール」や「香港空手」といったアイテムは多分お気に入りだったのか、特撮作品にもしばしば登場させていた。
そしてそれ以上に、昭和ひとケタ世代であるからか、戦争の悲劇を扱った作品が多く、それが基本設定にまで反映された特撮作品が「超人機メタルダー」だった。
第二次世界大戦末期、敗色濃い日本を救うためにロボット工学の権威・古賀博士(演じるは上原謙!)が密かに最強の兵器を開発していた。それこそが「超人機」で、その人間としての姿は博士の戦死した息子・竜夫に瓜二つであった。しかし、想像を絶するパワーを秘めたこの超人機は、実戦に使用されることなく終戦の日を迎える。博士は自らの手で超人機を封印し、戦後はアメリカに渡った。それから40数年。博士は、かつての助手で、超人機開発にも関わった村木國夫元陸軍少尉が、ゴッドネロスと名を変え、ブラックマネーを動かして世界制覇を画策していることを知る。村木は連合軍の捕虜を生体実験した罪で、BC級戦犯としてシンガポールで絞首刑にされたことになっていたが、関係者を買収し密かに出獄していたのだ。博士はネロス(=村木元少尉)の野望を砕くべく、竜夫の墓参りを口実に日本に帰国。長い眠りについていた超人機を呼び起こすが、その直後、ネロスの部下の手にかかって命を落としてしまう。かくして「超人機メタルダー」とネロス帝国との死闘が始まる…。

というのがあらすじで(どっかからコピペしてきたんじゃなく、ちゃんと自分の言葉で書きました)、これだけ読むと、ほとんど子ども番組とは思えないハードさである。シリーズ後半、捕えられたジャーナリストが「古賀博士も生体実験に関わったのか?」とネロスに問いただす場面などもあり(このあたりは明らかに731部隊を意識している)、当時大学4年だった私の鑑賞にも充分堪える内容であった。
最終回でメタルダーは、竜夫の遺品であった軍刀をネロスの胸に突き刺してついにこれを倒すが、超重力エネルギー装置を破壊されたため人間の姿には戻れなくなり、仲間たちに別れを告げていずこかへ去っていく。兵器として開発されたメタルダーと、BC級戦犯の元少尉が変貌を遂げたネロス。正義と悪に分かれて戦いながら、実はどちらも「戦争」という特殊な状況が産み落としたゆがんだ存在ではなかったかと思わせ、一抹の苦さが残る。この最終回は高久氏の筆によるものではないが、作品全体を覆う「重さ」は、まぎれもなく高久ワールドといっていいだろう。第1話におけるネロス帝国(ゴーストバンク)のダイナミックな描写や、ネロスのもうひとつの姿である桐原剛造の非情な言動など見どころも多く、従来の特撮番組とは一線を画した力作であったと今でも思う(メタルダーの乗り物がマツダのファミリアをベースにしたものであったり、突っ込みどころも多いが)。

これだけ書くと、高久氏の作品は重く暗いというイメージがつきまとうが(実際、「Gメン75」なんかはほんとに暗い話が多かった)、その一方、「星雲仮面マシンマン」「兄弟拳バイクロッサー」などでは、かなりコメディタッチな話も書いている。やはり守備範囲の広い、いい意味でのプロであったのだ。

実は私は、最近ある動画サイトで、やはり高久氏がメインライターを務めた「バトルフィーバーJ」を見始めたばかりなのである(おいおい、今でもこの手の番組を見てるのかよ、という突っ込みはくれぐれもご容赦を)。「バトルフィーバーJ」は放送当時はまったく見ていなかったのだが、これがけっこう面白い。個々のストーリーもさることながら、戦士5人のキャラクターが実に軽快に、生き生きと描かれ、上司に当たる倉間鉄山将軍(演じるは東千代之介!)の重厚さとの対比が絶妙なのである。そしてまた、敵方のサタンエゴスにしても、武力を用いた世界征服組織というよりは、洗脳や金の力などで人心を操ろうとするカルト教団で、その描き方はきわめて現代的だ。
「高久進、こういう作品も書いていたのか。やるじゃないか」などと思っていた矢先の訃報であった。

この追悼文の最後に、とりわけ印象深い高久氏の名ゼリフを紹介しておこう。これも「超人機メタルダー」のワンシーンだ。目覚めたばかりで何もわからないメタルダーに、やはり古賀博士が作ったロボット犬スプリンガーが、博士の死に関連付けて言う。
「人間には『生』と『死』がある。生まれて、いろいろなことがあって、そして死んで行くんだ。哀しいなあ」
こんな無常感あふれるひとことを、さらっと犬に言わせるあたりが心憎い。放送当時、このシーンは何度もビデオで見返したのを覚えている。そして、そんな名ゼリフを書いた当の高久氏も、「いろいろなこと」があったであろう人生に別れを告げて旅立った。享年76歳。ご冥福をお祈りします。
(文中一部敬称略)
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2009年05月11日

「悪母」は罪か

昨日(5/10)は母の日、そして一週間前(5/4)は、自分の母親をこれでもかというくらい作品の中で貶めた寺山修司の命日であった。というわけで、私には5月のこの時期になると決まって思い出す本がある。タイトルは『母の蛍』。寺山の実母・はつが綴った「寺山修司との日々」である。その誕生から幼年期、学生時代、そして劇団を立ち上げたあとまでも、常に寺山のことを第一に考えて生きてきたことが、妙に暑苦しい押し付けがましさでダラダラと語られる。寺山は母親のことを、淫売だの男と駆け落ちしただの散々こき下ろしていたが、それはあくまで虚構で、実際には情愛にあふれた母子関係だったと言いたいらしい。

初めてこれを読んだのは、たしか大学を卒業したころだから、もうかれこれ20年くらい前だろうか。その読後感は今でもはっきり覚えている。本を読んでこれほど不愉快な気分になったことはそうそうなかったからだ。ひとことで言えば、「何と言う欺瞞と偽善に満ちた本であろう!」。世の中で美徳とされる母親の盲目的な愛情というのは、だいたいこんなものなのだろうか。それは一見悲愴なまでに自己犠牲的でありつつ、実際はゆがんだ自己愛でしかない。彼女たちは、「いつの時も自分は子どもの幸せだけを願い、おのれのことなど顧みず、ひたすら献身的に生きてきたのです」と切々と訴えるが、実はそういう慈母を演じることが、何より彼女たちのナルシシズムとヒロイズムをくすぐるからやっているだけで、そうした自慰的な愛情を押し付けられた子どもにしてみれば、「さっさとくたばれ!このクソババア」と思うのも無理はない。

この『母の蛍』は、47歳で死んだ息子を終始「修ちゃん」と呼んでいるあたりからしてすでに、主観に満ち満ちていることが察せられるが、私が何より憤激したのは本文最後の以下のくだりである。
はつは、寺山が作品のモチーフによく母親を使うのは何故だと問い、それに対して寺山は、親子の愛情というのは最も純粋で感動的で、無限のドラマの根源である、というようなことを答えたという。本当にそんなことを寺山が思っていたのか、ちょっと首をひねる回答ではあるが、とにかくはつはそれを聞いて納得し、
「もう、おこるのはやめようと思います。私を材料にして、良い作品が出来るのなら、よろこんで、悪い母にも、良い母にもなりましょう。それで、修ちゃんの役に立つのなら……」
と、殊勝なことを書いている。ところが、そのわずか2ページあとに、とんでもない記述があるのだ。

「真実を知っているのは私だけなのです。この真実を記録として書きのこしておかなければ、謎の人で永久に終わってしまうのです。これは私の責任として書き残しておかなければと、書きはじめたのです」

「よろこんで悪い母にもなりましょう(=寺山の作品が認められるためならば、いくらでも世間の批判や好奇の目に甘んじましょう)」と言っているそばからこれである。何よりあいた口がふさがらなかったのは、「真実を知っているのは自分だけ」という、神をも恐れぬ思いあがりで、人間は、たとえ親子でも夫婦でも、その人のすべてを知ることなど絶対に出来ないし、ましてやその人の「真実」などという大層なものを知る者など、この世には一人だっていやしないのだ。せいぜい「いろんなご意見がおありでしょうが、私が知っている息子・寺山はこうでした」と書くべきなのに、そういった「客観性」というものが、この母親にはまったく欠如している。「私は愚かな母親です」と自分から世間に公言しているようなものだ。

もっとも、彼女が本当に書きたかったのは真実などではない。上の文章は、

「修ちゃんが亡くなった今、昔の出来事を美化できるのは私だけなのです。この手記をきちんと本にしてのこしておかなければ、私は悪い母で永久に終わってしまうのです。これは私の汚名を晴らすために書き残しておかなければと、書きはじめたのです」

と訂正されるべきである。本当に寺山のことを考える母親であるならば、こうした稚拙な「暴露本」を世に出すことなどせず、むしろ寺山の生い立ちの神秘性を守るために、生涯、沈黙を貫くはずである。「真実を書く」などと大言壮語して本を世に出したという時点で、この母親のゆがんだ自己愛はすでに馬脚を現したというべきだろう。こんな独善的で、しかも知恵の働かない母親では、寺山が作中で何度も抹殺を試みたのも無理からぬことに思える。

この本は、早稲田大学で寺山の同級生だった作家が解説文を書いているのだが、この内容にもいささか首をかしげざるを得ない。「お母さんから心のこもった見事な記録を贈られる寺山さんは、やはり幸せである」と締めくくっているのは、著者である寺山はつへの遠慮からだろうか。私だったら「お母さんより先に死んだせいで、こんなにも欺瞞に満ちた記録を贈られる寺山さんは、やはり不幸せである」と書きたいところだ。

一昨年、寺山の秘書だった田中未知が『寺山修司と生きて』という本を出したらしい。実は今回この文章を書くに当たり、寺山はつのことを改めてネット検索したところ、その本に突き当たったのだ。それによると、実際の寺山はつの悪母ぶりは凄まじいもので、『母の蛍』に綴られたような献身的な母親像とはほど遠いものだったという。「やはりとんだ喰わせ物だったか」と思ったものの、この田中未知の手記もまた、たとえどんなに濃密な日々をともにしたにしろ、あくまで彼女から見た寺山像以上のものではないことは認識しておく必要があるだろう。どうも作家に関する場合、「自分だけがすべてを知っています」的な本が次々出版されるのは、その作家のファンにとってはありがた迷惑であることが多い。私はそれほど熱心な寺山信者ではないが、あくまで彼の中からしたたり落ちた「作品」という雫を享受すれば十分で、楽屋裏のことを後からあれこれ聞かされても白けるだけ、というのが正直なところである。それにしても、『母の蛍』も、それと真っ向から対立する『寺山修司と生きて』も、同じ出版社から発売というのが、いささかしっくり来ないというか…。

私は映画「凍える鏡」(6/12にDVDが発売)の製作・公開に際して、「最近の母親は子どもに〈無条件の愛情〉を注ぐことがなくなり、それがさまざまな悲劇を生んでいる」というようなことをさんざん言ったり書いたりしたが、考えてみると、これは近年の傾向などではなく、自己愛の延長という形でしか子どもを愛せないエゴイスティックな母親というのは、ずいぶん昔から、かなりの数いたように思う。寺山はつなどはまさにその典型だろう(そして、今評伝を書いている青江舜二郎の母親にも、これと似た匂いを強く感じる)。ではしかし、それが子どもにとっての不幸かというとそれも微妙で、寺山の場合は、このタチの悪い母をどうにか抹殺しなくてはという負のエネルギーが作品に昇華した可能性は十分にあり、そうなると、結局寺山はあの母のおかげで作家として名を残したことになる。ソクラテスやモーツァルトの悪妻ではないが、母親も「悪」の方が、ある種の子どもにとっては発奮の材料になるのかも知れない。―などと考えた昨日の母の日であった。
posted by _ at 17:20| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月09日

爽やかな5月とともに

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爽やかな5月の訪れとともに、いきなり爽やかとはほど遠い出会い系の迷惑メールが、主に業務連絡で使っているアドレスにバカスカ送られてくるようになった。そういうサイトに登録した覚えはないし、しかも、「花子さま」とある。どうやら、私のアドレスは女性のものとして認識されているらしい。

≪バツイチの会社社長です。暮らしには不自由させません≫
≪余命4ヶ月です。会ってくれたら2億円差し上げます≫


などという、あまりにもありえないメールが山のように来る。今どきこんなものに引っかかる女性がいるのか疑問だが、とにかく迷惑はなはだしい。
最近は、アドレスさえわかれば強制的にそういうサイトに登録することも可能だという。もしや、誰かが私のアドレスを勝手に登録して、嫌がらせをしているのか? と不安になりつつ、その業者のアドレスはごみ箱へ振り分け設定にして様子を見ていたのだが、そのうち次々違う業者からも類似のメールが届くようになり、そして今朝、ついに戦慄すべきメールが!

★Love×2★現役No.1ユウキ[27歳]俺、××××のこと知ってるよ!!

というのがタイトルで、以下、

【無料試聴OK!!】××××様へ生ボイスメッセージの着信あり!!
 返信はこちら
 ttp://ka***taka.net/t/mailbox.php?id=・・・


などと続いている。
この「××××」は、私の母親の名前である。何てことだ。相手は私の親のことまで知っているのか。そうなると、犯人はかなり近くにいる! と急に胸がドキドキしてきた。しかしいくら首をひねっても、私の業務用アドレスと親の名前の両方を知っている人間が浮かんでこない(親の名前を知っているほど親しい人には、プライベートなアドレスを教えている)。では一体どうやって情報が漏れたのか。懸命に考えて、やっとひとつの可能性に行き着いた。

それは今から数年前、ある作品の撮影時のことである。クリニックのシーンで使う女性用の白衣をネットで注文することになり、女性用白衣を男性の名前で頼むのに抵抗があったのと、品物が届くころには地方ロケで1週間以上家を空けることになっていたので、母親の名前で注文し、品物も実家に届くように手配したのだ。その時にはたしかに、私の業務用アドレスと、母親の名前という組み合わせを使っている。しかしそれ以外に、こういう変則的な形でオンラインショップを利用したという記憶はない。となると、その会社の顧客情報が流出したという可能性がきわめて濃厚になってくるのだが…(ちなみにそこは、白衣業界ではかなりの大手)。

オンラインショップの顧客情報が流出、というニュースは、もはや珍しくも何ともなくなっているし、大手と言われるメーカーにしても、100パーセント安全ということはないのだろう。ネットでの商品購入は、便利な反面、そういう危険をはらんでいるということを、今更ながら実感した次第である。

「迷惑メール 現役No.1ユウキ 実名 Love×2」といったキーワードで検索してみると、同じような実名入りのメールが、方々に送られているらしい。今後も、あまりしつこくこのようなメールが来るなら、いずれアドレスの変更をしなくてはならないだろう。何とも面倒な話である。ともあれ、思いがけず、ネットでは昔から言われている「ネカマ」の気分を味わうことができたこの連休であった。
posted by _ at 13:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月02日

渡辺美佐子さんの一人芝居

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昨日、渡辺美佐子さんの一人芝居「化粧 二幕」を観てきた。会場は、これがこけら落としになる座・高円寺。5月31日までの公演で、この公演中に「化粧」は600回を迎えるという。

私は渡辺さんの映画は、デビュー作の「ひめゆりの塔」から始まって、「風速40米」「果しなき欲望」「ギターを持った渡り鳥」「武器なき斗い」「野獣の青春」「真田風雲録」「美しさと哀しみと」等々、そしてわりと最近の「アカシアの道」や「凍える鏡」(これは自分で監督をしてるので当たり前)と、それなりの本数を見ているのだが、彼女が1982年以来ライフワークとして演り続けているこの「化粧」は、不覚にもこれまで観覧する機会を逃しており、5年ぶりとなる今回の公演で初めて生の舞台を観ることができた。

内容は、いわゆる母子の再会物と思わせておいて、後半それを見事に裏切る展開で、この作者ならではの「技」を感じたが、何より、たった1人で1時間半以上の舞台を成立させる、渡辺さんの体力と精神力に圧倒された。ひと口に600回というが、これは大変な記録だと、観終わった今、改めて思う。

初日ということで、終演後にロビーで立食パーティーがあり、渡辺さんは乾杯のあと、作者、演出家らスタッフに囲まれ、にぎやかに談笑していた。何しろ本日の主役である。たいそうせわしなげな様子だったので、私は帰り際にひとこと「お疲れ様」と声をかけただけだったが、思いがけず、渡辺さんのご主人である大山勝美氏と初めてお目にかかり、言葉を交わせたのが意外な収穫であった。大山氏は「岸辺のアルバム」や「ふぞろいの林檎たち」を手がけた名プロデューサーだが、テレビの現場に長く携わった経験をふまえて、何冊かの書物を世に出されている。その中の一冊である「私説放送史」は、日本のラジオ、テレビ放送の黎明期の出来事について、実に詳細に書かれた教科書のような本で、それを私は最近、青江舜二郎の評伝を書くに当たって、ひも解いていたのである。大山氏にその話をしたところ、「ああ、青江先生の息子さんでしたか」と驚いておられた。大山氏が入社したころのTBSはテレビ放送を始めたばかりで、まだ「ラジオ東京」と呼ばれており、青江はそのラジオ東京の嘱託をしていたから、やはり接点はあったのだ。最近は行く先々で、そういった昔の因縁に出くわすことが多いが、それだけ自分も年を取ったということなのだろうか。

いずれにしても渡辺さんには、無事に600回の晴れ舞台を迎えられることを祈ってやまない。そしてそれ以降も、来年の3月まで「化粧」の公演ツアーは続くというから、この記録はさらに更新されていくのだろう。衰えを感じさせないそのパワーには、ある種の凄味さえ備わっており、「凍える鏡」における「私はね、あんたたちみたいにヤワじゃないの。私たちの年の女はね」というセリフは、まさに渡辺さん自身の言葉のように思えてくるのである。

「化粧 二幕」@座・高円寺2 2009年5月1日〜31日
「凍える鏡」DVD 2009年6月12日発売
posted by _ at 12:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする