2017年12月10日

レストアに挑戦

『現代コミクス版 ウルトラマン』の刊行がらみで、昨年以来、復刊ドットコム編集部とやりとりしていたという話はこちらに書いたが、本当に近年のレストア(修復)技術の進歩には目を見張るものがある。しかし、感心してばかりいるのも能がないので、自分にもその真似事ができないものか、少し前、手持ちのソフトを使って挑戦してみた。

課題はこちら。

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鎌倉アカデミアの演劇科第一回公演「春の目ざめ」(1948年)のポスター。絵とデザインは、この作品の演出を務めた村山知義(演劇科長)。さすが多芸多才の人である。1枚もののイラストとしても秀逸で、今見ても古さを感じないが、残念なことに4ツ折りの状態で保存されていたため、タテとヨコに線が入り、その周辺が変色している。

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どうにかレストアしてみたのがこちら。

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ふたたびレストア前(大きな画像でどうぞ)。

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レストア後。元はこうであったのではないか、という想像で、少しピンク色を鮮やかにしてみた。

何てことないようだが、実際の作業には3〜4時間を要している(不慣れなせいもあるだろう)。

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ちなみにこのレストア画像は、『鎌倉アカデミア 青の時代』のチラシ裏面でも使用している(作業をしたのは今年の2月)。

画像の修復作業というのは、面倒くさいし目も疲れるが、やり終えた時の達成感には独特のものがあると思う。言うまでもないが、こうしたレストアは、漫画やイラストだけでなく、写真画像でも行われる。

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上は以前こちらで紹介した、撮影スタジオでの記念写真だが、この時の一連の画像は『特撮秘宝』への掲載が決まったため、オリジナルの白黒ネガから再度スキャンしている。しかし、スキャンしただけでは編集部に渡すことはできない。なぜなら、

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スキャンした直後はこんな状態だから。

階調も整っていないし、古いネガのため、ゴミや傷がひどい。明暗やコントラストを調整し、ゴミや傷をひとつずつ消していくわけである。

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元のネガがハーフサイズのため、かなり粒子が気になるが、一応レストアしたのがこちら。

実に地味で地道だが、ついつい深みにはまってしまう作業である(ちなみに私が使っているソフトは10年も前のPhotoshopで、最近のものはもっと進化しているのだろう)。
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2017年12月09日

陽射しの下で

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先週末、知り合いが運営する保育園の開園記念イベントと内覧会があったので出かけてみた。

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好天に恵まれ、多くの親子連れでにぎわっていたが、園庭に出てみると、最新の児童心理学などに基づいて作られたかのような(筆者の想像です)、カラフルでいかした遊具は意外にもガラガラで、

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子どもたちの多くは、ただ土を盛り上げて人工芝を敷いただけの小山がお気に入りの様子。何度も何度も、上から転げ落ちて、そしてまた登って、を繰り返しているのだった。

何となく、わかる。

まだ生まれて数年しか経たない彼ら彼女らは、「文明」よりも「自然」に近い存在である。したがって、より原初的なものに親近感を抱くのだ。最初はそう考えたが、しかしそれは、子どもだけでなく、ひょっとすると大人にも当てはまるのではないか。実は私も、知り合いに勧められるまま、その小山に登り、滑り落ちてみたのだが、なかなかにいい気分であった。しかし、すぐそばにある、作りこまれたカラフルな遊具で遊んでみようという気はついに起きなかった。

現代人は、今やその生活の大部分をPCやスマホといったテクノロジーに依存しており、その便利さ、快適さを当然のように享受しているが、その一方、どこかでもっと体感的なもの、原初的なものを求めているのではないのだろうか。などという独言を、デジカメで撮った画像を使い、PCに向かいながら打ち込んでみるのである。

※ちなみに、こういう話の流れになるとよく引き合いに出されるルソーの「自然に帰れ」だが、実は彼の著作にはそういう言葉は書かれていないという。ただ、ルソーの思想を端的に表現すると、「自然に帰れ」ということになるらしい。
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2017年12月06日

リニューアル!『物理基礎』

先週の放送では肩透かしを食った『物理基礎』だが、今日の放送では、母親の不在について落とし前をつけたというか、番組がリニューアルしたことを冒頭できっちりアピールしていた。

この間のブログで、「連続ドラマなどで、Aという役を演じていた俳優Bが、何らかの事情で出演を続けることができなくなった場合、製作側の処置には、おおむね以下の4パターンが考えられる」と書いた。以下の4つである。

(1)Aを劇中で殺す
(2)Aを遠く(外国など)に行かせる(転勤などを含む)
(3)Aを俳優Bからほかの俳優に交代
(4)Aという役そのものを消滅させ、なかったことに(劇中でも語られない)

私は(2)か(4)ではないかと予想していたが、結論から言うと、(2)の、「遠くへ行かせる」パターンであった。しかし斬新だったのは、母親だけが家を離れたのではなく、父親も一緒だったこと。要するに父親は「新しい工場」(現状より広い)に付帯した家で暮らすことになり、一方、兄と妹は今までの家に2人だけで住むという。でもねえ、新しい工場が現状より広いところなら、普通一家揃って引っ越すんじゃないのか?

とにかく、父親は「ここからちょっと遠くなっちゃったけどね」と言いつつ、「でも、ちょくちょく戻ってくるから」と、事もなげに言う。要するに、「物理についての薀蓄を傾ける時だけは出かけてきますよ」ということだ。そして「お母さん」という単語は、ついに誰の口からも発せられることはなかった(そういう意味では「役そのものを消滅させ、なかったことに」のパターンでもある)。恐らく、母親は父親とともに新しい工場に行ったということなのだろうが、いくら口ではそう説明しても、3人だけの場面は妙にがらんとした雰囲気で、一家の華を失った寂寥感に包まれているようだった(収録現場ではどうだったのだろう)。

それにしても、これだけのトンデモ設定を冒頭のわずか30秒で説明してしまうとは、さすが物理(ものり)家の人々、やることにそつがない。それからは、いつもと変わらない流れで静電気と電流についての解説になったが、終盤の〆の言葉で、父親がいつになくしんみりと「共通の悲しい思い」について語ったのが印象的だった。親や教師は、いつか成長した子どもから「もういらない」と言われる日が来る。愛おしく、手放したくない子どもからそう言われるのは悲しいことだが、子どもをそこまで自立させるのが、子育てや教育の目的である、というもので、どうしてこんな、最終回で話すような内容を、ここにぶち込んできたのか大いに気になった。これはやはり、「愛おしく、手放したくなかった」けれど、こういう形にせざるを得なかった。それがみんなの「共通の悲しい思い」です、という、製作サイドから母親役だったS・Yへの秘めたるメッセージのように思えてならないのだが…。
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2017年11月30日

むかしの話

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今年はほぼ『鎌倉アカデミア 青の時代』の宣伝と上映活動で明け暮れた感じだが、製作中のインタビューにおいても、上映イベントのトークショーなどでも、アカデミアで実際に学んだ方たちから、あの学校の教師たちが、人間としても、学者としても、いかに素晴しかったかを聞かされることが多く、その度に実にうらやましく感じたものだ。感受性豊かな10代後半から20代前半に、そうした優れた師と巡り合い、教えを受け、時間を共有したことは、一生を支える大きな精神の糧となることだろう。

顧みて、私自身はどうだったか。残念ながら、高校、大学時代とも、そういう師との出会いには、まったくと言っていい程恵まれなかった。大学時代については、私自身が積極的に「よき師」を探そうとしなかった怠慢も否定できないが、こちらが選択する余地のない高校時代の教師連中に関しては、まさに思い出すのもはばかられる「体たらく」であった。もっとも、教師のことに限らず、高校時代のことは全般的に自分の中の黒歴史なので、このブログでもそのころの話はほとんど記したことがない。しかし少し前、たまたま某質問サイトで、次のような質問を見かけたため、封印していた記憶がにわかに蘇り、そして改めて、当時の腐敗した状況にムラムラと怒りが湧き起こってきたのである。

都立高校の教員についてお聞きします。かれこれ30年近く前、都立高校の教員…完全週休二日(すでにこの制度が適用されていた…研究日の名目で)、予備校でのアルバイト(能力のある教員はかなりやっていた)、何かあると授業ボイコット(1時間目の授業の自習が多かった…ストなどで)、勤務時間のいい加減さ(授業終わると生徒と一緒に帰ってた)等々、結構好き勝手にやっていて、高校生だった自分は「あれで仕事になるなら…自由な人生が送れる」と思ったものでした。今でも都立高校の教員はそうなのでしょうか?(後略)(2011年2月)

この質問に対しては、「昔は週に1日、自宅研修日という制度があったが、10年ほど前になくなった。長期の休みも、夏休みや年末年始以外は有休を使う。今の都立高校は、タイムカードもあり、かなり管理が厳しい」との回答が寄せられていた。となると、予備校でのバイトも当然アウトだろう。あのころのいい加減な勤務形態が、完全に過去のものとなったのなら幸いである。

どうやら私が都立高校に通っていた1970年代後半から1980年代初めにかけては、都立のレベルが(学力、風紀とも)最も低かった時期のようで、学校全体にもまったく覇気がなく、教師は十年一日のごとく同じ授業をお経のように唱えるティーチングマシンと化し、しかもそれを学校内だけでなく、夕方以降の「副業の場」でも繰り返していたのだから呆れ返るほかない。私の通っていた都立X高校は(そのころは落ち目の最右翼だったが)、かつては府立○中と呼ばれたナンバースクールで、それなりに知名度があったためか、駿台、河合塾、代ゼミなどの大手予備校に、偽名を使って教えに行く教師がかなりの数存在した。言うまでもなく、都立高校の教員はれっきとした地方公務員なので、アルバイトは禁止である(昨年来、政府は正社員の副業を、原則禁止から原則容認へと方針転換し、それは公務員にも適応される可能性を帯びているようだが、上の事例は今から30年以上前の話)。

地方公務員法の第35条を見ると、
「職員は(中略)その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用い、当該地方公共団体がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない」
と、職務に専念する義務を謳っているし、また第38条では、
「職員は(中略)自ら営利を目的とする私企業を営み、又は報酬を得ていかなる事業若しくは事務にも従事してはならない」
と、副業をはっきり禁じている。

にも関わらず、当時、教師が夕方以降、学校から予備校に足を向けるのは、生徒のみならず保護者にも公然の事実であった。本来なら、自分の勤務する学校での授業に全力を傾注し、少しでも生徒の学力をアップさせるのが教師の務めであるのに、手抜きの授業でお茶を濁し、体力気力を温存し、夕方以降は、予備校生相手の副業に精を出すのである。そんなに小遣いが欲しかったのだろうか。
うちの母などは、筋の通らないことが大嫌いな性格だったので、保護者会でそれを問題にしたことがあったのだが、事を荒立てることを好まない者が多数を占め(教師を敵に回して、あとあと内申書などで報復されることを恐れたのだろうか)、結局、教育委員会に提訴するなどの思い切った方策が講じられることもなく、3年が無風状態のまま過ぎていった。だから、少なくとも私が在学していた3年間は、教師は大手を振って副業に勤しんでいたし、その後も、すぐにその悪習がなくなったとは思えない。今思い返しても、ああいう不誠実な勤務態度には腹が立つし、そんな教師を尊敬しろと言われても無理な話だ。

一番タチが悪かったのは、3年の間私の担任だった△という教師で、自分自身もX高校の卒業生である△は、日頃から「母校に奉職できるのは何よりの幸せ」などとお題目のように唱えながら、その一方で平然と駿台に教えに行っていた。しかも彼は3年間ずっと学年担任(いわゆる学年主任)を務めており、8人いたクラス担任を統括すべき立場だったのである。しかし、上には上がいるもので、やはりX高校出身で△の後輩に当たる▽は、教務主任という教頭に次ぐ職責にありながら、悪びれもせず長年代ゼミの教壇に立っていた。もう何をかいわんやである。

そういう教師への不信もあり、卒業以降、ほとんど高校関係者と接触することはなくなっていたのだが、今から20数年前、最初の劇場用映画を撮った時、旧知の人たちに案内の通知を出したところ、その△という元担任は大層喜び、同窓会名簿の私の職業欄に、私に無断で「映画監督」と書き込むよう同窓会事務局に指示したらしい。あとでそれを知った私は、「1本撮っただけで監督を名乗るのはおこがましいので、職業欄は空欄にしてください」とあらためて事務局に頼んだのだが…。△という教師は、元文学青年を気取っていたものの、実際にはかなりの俗物で、肩書きを何よりありがたがる人種だということがその時はっきりわかった。

最近、△がある同窓会に招かれた時のことを、自費出版したエッセイ集に書いているのをネットで読んだのだが、ゆっくり話をしたのが「わがクラスでひとり東大に進んだ生徒」だったり、欠席だったけれど、「どうしても逢いたいな、と思う女生徒」が著名な文学賞を受賞した作家だったり、ここでも教え子を「東大」「文学賞」といった肩書きで品定めしているように感じた。教師が教え子の成功を喜ぶのは無理からぬことかも知れないが、「東大」も「文学賞」も所詮は通過点に過ぎず、それをわが身の栄光であるかのように浮かれ騒ぐのは鼻白む行為である。教育者というのはもっと長い目で、そして俯瞰的な視点から、生徒ひとりひとりの成長を静かに見守るべきではないだろうか。いや、「母校に奉職できるのは何よりの幸せ」と言いながら、嬉々として予備校での副業に励んでいた実利主義者の△先生には、そんな境地は生涯望むべくもなかったのだろう。

今、「生涯望むべく…」と書いたが、実は△という元担任は、しばらく前に亡くなっていた。私がそれを知ったのは昨日、同窓会のホームページにおいてである。高校の同窓会など一生行かないと決めているので、ホームページも実に久しぶりで見たのだ。
訃報を知った私は、自分が、自分でも意外なくらい何も感じないことに驚いた。いやしくも高校時代3年間担任だった人である。にも関わらず、私の心は微動だにしない。記憶力は悪くないはずなのに、ただひとつのエピソードさえ、はっきりと浮かんでこないのだ。こういうこともあるのか、と首を傾げながら、その無感動の原因を探ってみた。
そして、答えはすぐに出た。真に人間的な魅力に溢れた教師であれば、生徒とともに真理を探求し、感動を共有しようとする情熱を持った教師であれば、おのずから生涯忘れ得ぬ鮮明な印象を残してくれたはずである。しかし、△はそうした理想的な教師像からはあまりに遠かった。もっとも、ここで△だけを責めるのは少々酷というものだろう。「デモシカ教師」という言葉がまだ現役だった80年代、あの高校に在職していた教師のほとんどはただのサラリーマンで、教育者であるという自覚も矜持も、はなから持ち合わせてはいなかったからだ。

かえすがえす、鎌倉アカデミアに学んだかつての学生諸氏をうらやましく思う。当時一流の知識人が揃っていたアカデミアの教師陣は、財政難で閉校になるまで、1年近くほぼ無給で授業を続け、その一方、学校存続のための資金集めに奔走していたが、それは後年明らかになったことで、当の教師たちは、学生にそんな苦労は少しも見せなかった。結構な額の給料をもらいながら、なおも偽名まで使って小遣い稼ぎのバイトに励んでいたX高校の教師連中とは、人間としての品格も器の大きさもまるで違うではないか。
私が年を経るごとに鎌倉アカデミアに心酔していくのは、もしかすると、若いころ果たせなかった麗しき師弟関係への渇望のなせる業なのかも知れない。

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2017年11月29日

こう来たか!『物理基礎』

さてさて、ドキドキしながら本日の放送分を見たのですが、いやあ、思いきり肩すかしを食らいましたね。

今日のタイトルは、「物理の力でゲームに挑戦! 〜波〜」でして、これまでも何度かあった、高校の生徒さん参加のゲーム回。父親役の先生が現場まで出かけて進行を務めるのですが、これまでの放送ではスタジオ収録部分も必ずあって、一家で同様のゲームをしたり、解説を加えたり、勝敗を予想したり、と、それなりにキャストの出番もあったのですが、今回はそういう場面は一切なく、したがって母はもちろん、兄も妹も出演せず。いきなり母親不在の物理(ものり)家を描写するのを避け、ワンクッション置く作戦に出たのでしょうか。いやはや、現場スタッフの苦労がしのばれるというか…。

思い起こせば、「快傑ライオン丸」で虎錠之介役が変わった時も、「ウルトラマンタロウ」で白鳥さおり役が変わった時も、いきなり別の俳優が出てきたわけではなく、「ライオン丸」では2週、「タロウ」では3週のブランクがありました。それを考えると実に妥当な措置といえましょう。しかし、この番組におけるゲーム回は、ひとつの章の総まとめ的な位置づけで、今日の放送分で「波」は終わり。来週(12/6)からいよいよ新しい「電気」の章に突入です。となると、番組も通常パターンで進めざるを得ず、来週こそ、リニューアルした『物理基礎』を見ることができると確信します。さて、(1)〜(4)のいずれのパターンになるのか? 来週を楽しみに待ちたいと思います。
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どうなる?『物理基礎』

さて、気になるのは今日からの『物理基礎』である。今年の4月から父、母、兄、妹という4人家族の設定で番組が進んでいたが、母役のS・Yがもろもろの事情により先週(11/22)で降板となった。番組中ではっきりその告知がなされたわけではなかったが、報道によるとそうらしい。しかし、その後母役をどうするのかという情報はほとんど出てきていない。あと数時間で結果は明らかになるだろうが、それまでの間を使って、今後の番組がどうなるか推理してみたい。

連続ドラマなどで、Aという役を演じていた俳優Bが、何らかの事情で出演を続けることができなくなった場合、製作側の処置には、おおむね以下の4パターンが考えられる。

(1)Aを劇中で殺す
(2)Aを遠く(外国など)に行かせる(転勤などを含む)
(3)Aを俳優Bからほかの俳優に交代
(4)Aという役そのものを消滅させ、なかったことに(劇中でも語られない)


以下、思いつくまま、それぞれのパターンについて該当するもの(大部分が特撮、たまに一般ドラマ)を挙げてみたい。

(1)Aを劇中で殺す

これは、一番過激だがわかりやすい方法である。死んでしまったのでは、出てこないのも当然だ。有名なところでは、「仮面ライダー」で本郷猛役の藤岡弘がバイク事故を起こして出演の継続が困難になった時、テレビ版では平山亨Pの提案で、一文字隼人(演じるは佐々木剛)という第2の主人公を出し、本郷は外国に行ったと一文字に説明させたが、石森章太郎の原作版では、劇中で本郷をなぶり殺しにしている(当時小学2年の私にも、これは結構キツかった)。なぶり殺しといえば、「帰ってきたウルトラマン」における岸田森&榊原るみ(坂田兄妹)の惨殺もトラウマものである。降板させるにしても、もう少しやり方はなかったのかと今でも思う。また、「超電子バイオマン」の初代イエローフォーも、担当俳優が撮影現場に現れないという非常事態が起きたため、やむなくイエローはコスチュームのままで敵に殺され、絶命後も素顔を見せないという、いささか無理のある展開となっている。こういう事例は、特撮に限ったわけではなく、「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事の殉職(厳密にいうと勤務中ではないため殉職ではなく殺害)も、役を演じた萩原健一が「そろそろ役を降りたい」と言ったことで決まったというし、「赤い激流」の緒形拳の場合は、翌年からの大河ドラマ「黄金の日日」とのスケジュールの兼ね合いで出演が難しくなったため、何者かに殺されたという話にして姿を消し、その犯人探しがドラマ後半の大きな柱となっていった。さらに言うと、赤いシリーズは、ひとつ前の「赤い衝撃」でも田村高広が、その前の「赤い運命」でも志村喬と前田吟が、割と唐突に劇中で死んで降板している。

しかし、この過激な方法が『物理基礎』で適応される可能性はほとんどないと思うので、以下のパターンに話を移そう。

(2)Aを遠く(外国など)に行かせる(転勤などを含む)

これは、(1)に比べればかなり穏便なやり方である。時間が経って俳優Bの「枷」がなくなれば復帰することもできるし、実際、このパターンでのドラマ降板はかなり多い。先ほど書いたように、「仮面ライダー」のテレビ版はこのやり方で、半年後に藤岡弘は見事番組に返り咲き佐々木剛と共演、ダブルライダーの雄姿をお茶の間に披露するに至った。ちなみにこの方法はこれが初めてではなく、やはり平山Pの担当番組である「悪魔くん」において、初代メフィストを演じた吉田義夫の体調不良により、二代目メフィスト・潮健児への主役交代が行われたことがあった。「仮面ライダー」でのダブルライダーのように、「悪魔くん」でもシリーズ後半、1話だけだが、ダブルメフィストの共演が実現している。なお「太陽にほえろ!」で石原裕次郎が病気治療のため長期に渡り欠場になった時の理由は「長期研修」で、石原は半年後に研修から戻ったという設定で復帰している。長寿番組などではこのパターンが結構あるかもしれない(「星雲仮面マシンマン」でも天本英世が一時期スペイン旅行のため番組を降板したが、劇中でもスペインに傷心の旅に出た、という設定にし、ラスト3話で復帰した)。
他にも、復帰はしなかったが、「キャプテンウルトラ」の小林稔侍(キケロのジョー)、「ウルトラマンタロウ」の三ツ木清隆(西田次郎隊員、降板後、1話だけゲスト的に出演)と東野孝彦(荒垣修平副隊長)「バトルフィーバーJ」のダイアン・マーチン(初代ミス・アメリカ)、「太陽戦隊サンバルカン」の川崎龍介(初代バルイーグル)などがこのパターンで画面から姿を消している。一般ドラマになるが、「湘南物語」における石立鉄男の途中降板も、この範疇に入れていいだろう(石立の遅刻をめぐって、石立と共演者のFが殴り合いの喧嘩をしたのが降板の理由、と当時の週刊誌に書かれたようだが真相はどうなのだろう。それにしてもこの番組の主役を演じたのが、今回の降板劇の当事者S・Yであるのも興味深い)。

さて、このパターンは、『物理基礎』でも通用しそうである。番組の冒頭で帰宅した信長(兄)かリコ(妹)が、居間にいた博(父)に向かって、
「あれ、お母さんは?」
と問いかけ、それに対して博がいつもの棒読み口調で、
「ああ、実は今朝電話があってね。お母さんは、田舎のおばあちゃんの具合があんまりよくないんで、しばらくは田舎でおばあちゃんの面倒を見ることになったんだよ」
と答える。それに対して2人は不満をもらすが、博は平然と、
「2人とももう子どもじゃないんだから、もっとしっかりしなくちゃあ。それはそうと、信長が今手に持っているのは、また新しい楽器かな。じゃあこれを使って、どんな音の波ができるか調べてみようか」
などと、強引に話を物理に持っていき、あとは一切、母については触れない。どうだろう、こういうのは一応ありじゃなかろうか。しかしこれでは、今までと比較して画面が明らかに殺風景である。そこで次のパターン。

(3)Aを俳優Bからほかの俳優に交代

まさかの俳優交代。いきなり違う人がその役になってしまう、視聴者ポカーンの、ある意味禁じ手である。しかし、これまでかなりの数のドラマが、この禁じ手を強行している。一番有名なのは、やはり「赤い疑惑」におけるヒロインの母親であろう。八千草薫が何の前振りもなく、いきなり7話から渡辺美佐子に交代。まったく似ていない。一応交代回の初めにテロップによるお断りは出たらしいが、キャラクターまで山手風から下町風に変わってしまい、多くの視聴者を困惑させたのは今も語り草である。最終的には渡辺母の下町風キャラの方が、深刻に傾きすぎるドラマにおいての救いになっていると高評価を得たのだが…。ほかにも、一時的に俳優が変わった「マグマ大使」のガム、前任者が急逝したため交代するしかなかった「快傑ライオン丸」の虎錠之介(タイガージョー)、前任者が逮捕されたため交代するしかなかった「バトルフィーバーJ」のヘッダー指揮官、前任者が演技に難がある(?)という理由で交代になったとも噂される「ウルトラマンタロウ」の白鳥さおり(実際は初代の女優さんの方が今も現役で、二代目はすでに活動していないようだが)、など次々浮かんでくる。一般ドラマでも、NHKの大河ドラマ「勝海舟」では主人公が病気のため交代になったこともある。果たして今回Eテレはこの方法を踏襲するのだろうか。しかし、シリーズが折り返しを過ぎてからの俳優交代は、視聴者に敬遠される危険性もある。となると、もう選択はひとつしかない。

(4)Aという役そのものを消滅させ、なかったことに(劇中でも語られない)

主役や準主役ならいささか厳しいが、三番手以降のポジションの場合、案外行われる方法である。
古くは「ウルトラマン」のホシノ少年で、前半あれだけ悪目立ちして、中盤では隊員にまで昇格するのに、突然姿を消し、何の説明もなし。「ジャイアントロボ」における片山由美子(U5)も、当初はユニコーン隊員のメインの一人だったが、桑原友美(U6)の登場以降影が薄くなり、後半はほとんど出番もなく最終回にも姿を見せていない。「仮面ライダー」の歴代ライダーガールズ&五郎や、「太陽にほえろ!」の歴代お茶くみ嬢も、ほぼ同様の扱いである(初登場時にはきちんと紹介されるのに、消える時はひっそりとフェードアウト)。一番ひどいのは「シルバー仮面」における松尾ジーナ(春日はるか)で、当初は春日5兄弟の末の妹という設定だったのに、いつの間にか単身大阪に行って、いつの間にかいなかったことにされてしまう(「シルバー仮面」は大変思い入れのある作品だけに、このあたりの「粗さ」がどうしても気になる)。同時期に放送された「変身忍者嵐」でも、ヒロインのポジションだった林寛子が、中盤からじわじわ出なくなり、ついに音もなく消滅したのは大変残念だった。こうした途中降板組は思いのほか多く、中堅&ベテラン俳優でも、「ジャンボーグA」の田崎潤(伴野大作)、「ウルトラマンレオ」の藤木悠(大村正司)、「時空戦士スピルバン」の伊藤克信(小山大五郎)、「仮面ライダーBlack」のセント(東堂勝)や久富惟晴(坂田代議士)、北見治一(大宮会長)などの顔が浮かんでくる。特撮ものはそれなりに重要なキャラクターを、説明なしに消しすぎるように思う。

と言いつつ、特撮に限らずテレビドラマ全般において、レギュラーキャラが消滅するのはいわば不文律のようなもので、俳優のスケジュールの都合で当然出るべき回に登場しない、などというのは珍しくない。「赤い激流」で岸恵子とともに特別出演待遇だった山口百恵は、当然最終回には顔を出すとほとんどの視聴者に思われていたが不登場だったし、同様に、「赤い衝撃」「赤い嵐」で特別出演待遇だった宇津井健も、かなり重要なポジションでありつつ、ラストで顔を見せなかった。同様の例はいくらもあるはずである。こうしたテレビドラマの歴史を振り返れば、今回『物理基礎』においてこの不文律を適応させても何の不思議もない。そうするとどうなるか。

今日の放送では、物理(ものり)家は、あたかも最初から3人家族であったように全員がふるまう。母の話は一切なし。そもそもこの家に母親はいるかいないのか、別居したのか離婚したのか死別したのか…そんなことは一切顧みず、今までどおり、居間で物理談義を戦わせる。

どうだろう。これが一番可能性としては高いように思うのだが…。

などと書いているうちにそろそろ放送時間である。さて、結果はいかに??
posted by taku at 14:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月23日

『現代コミクス版 ウルトラマン』刊行!(3)

何と、発売後3ヵ月近くが過ぎてからのレビューである。イワムラ博士(「ウルトラセブン」第20話「地震源Xを倒せ」に登場するガミガミ親父。演じるは初代メフィストの吉田義夫!)がご存命であったなら、
「遅いっ! 遅すぎるっ!」
と激怒すること必至だろう。実は、だいたいの文章は9月の時点で書いていたのだが、マンガを写真撮影するのがおっくうになり、そのままにしていたのだ。このまま放置状態が続くと思われたが、先日『特撮秘宝 vol.7』のことを書いたのがきっかけで、またにわかに特撮熱が燃え上がり、一気にアップにまで漕ぎ着けた次第である。例によってダラダラと長いので、この手のネタに興味のない方はスルーしてください。


●『現代コミクス版 ウルトラマン』刊行!(1)
●『現代コミクス版 ウルトラマン』刊行!(2)


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『現代コミクス版ウルトラマン』下巻が、8月末に復刊ドットコムから刊行した。これで井上英沖の筆になる「現代コミクス」掲載のウルトラマンは、すべて陽の目を見たことになる。

下巻には、1967年3月号から7月号までに掲載された「アボラス・バニラ」「怪獣無法地帯」「ケムラー」「ジャミラ」「スカイドン」「サイゴ・キーラ」「シーボーズ」の7作が収録されている。ちなみに最初の2作品は、私が持っていた原本からスキャンされたものだ。では、上巻と同じように、それぞれのエピソードを、テレビ版やほかのコミカライズと比較しつつ、簡単に紹介していこう。
ただし、上巻に比べると全体に画がラフになっており、また、後述するようにほかのコミカライズからの「引用」も散見されるなど、いささか残念な作品が目立つ。したがって、当方の紹介文も、多少辛口になっているのはご容赦いただきたい。

「アボラス・バニラ」は、いきなり扉ページで怪獣の彩色が逆になっている(アボラスが赤でバニラが青)という波乱ぶくみの幕開け。

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内容はテレビ版とはかなり異なり、ウルトラマンが2回も登場し、前半はバニラと、後半はバニラ&アボラスの二大怪獣と直接対決するという胸熱な展開なのだが、すでにAmazonレビューでも指摘されているように、『ぼくら』に掲載された一峰大二版との類似が大いに気になる。

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物語序盤で赤いカプセルからバニラ登場→ウルトラマン登場→ウルトラマン苦戦して敗退→アボラス登場→2匹が国立競技場へ→ウルトラマンとアボラス&バニラとの戦い→八つ裂き光輪でフィニッシュ、という流れがまったく同じなのだ(テレビ版ではバニラとウルトラマンが戦うシークエンスはない。バニラはアボラスにやられ、クライマックスはアボラスとウルトラマンとのシングルマッチである)。

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上が井上版で下が一峰版。ウルトラマンが八つ裂き光輪で2匹を同時に倒す決めポーズもほぼ同じ。

雑誌発表は一峰版が1967年新年(1月)号、井上版が1967年3月号なので一峰版の方が2ヵ月早い。したがって、井上版が一峰版を参考にして描かれたのは明らかである。私は幼少期には『ぼくら』は読んでいなかったので、この類似に気づいたのは成人してからだが、何とも言えず残念な気持ちになったものである。ちなみに、上巻に収載されている「ネロンガ」「ギャンゴ」「ペスター」「新バルタン星人」なども『ぼくら』で一峰版が描かれているが、それらはまったく別物で、一峰版がオリジナル要素が多いのに対し、井上版はテレビ版に忠実な印象であった。それがここに来て、どうしてテレビ版シナリオではなく一峰版を下敷きにしたのか。〆切りに追われ、テレビのシナリオを元にすべて画をこしらえるという時間が取れなかったためだろうか。

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「怪獣無法地帯」は、これまでの井上路線というか、テレビ版シナリオをほぼ忠実に漫画に書き起こした印象で、テレビの記憶をたどるのに適した一作。5大怪獣がすべて登場し、ピグモンがレッドキングに殺される展開もオリジナルどおり。

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だが、エンディングだけは大きく異なる。テレビ版ではピグモンの死には一切触れられていないが、井上版では何と、フジ隊員が「小さな英雄」とその功績を称え、墓に花を手向けているではないか!

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「小さな英雄」といえば言わずと知れたピグモン再登場の37話のサブタイトルである。しかしこのコミカライズ執筆時点では、まだ同話は放送されていないはず。これはどうしたことかと首を傾げたのだが、『ウルトラマン研究読本』(2014・洋泉社)を読むと、元のシナリオにはそうしたシークエンスがあったがカットされ、それが37話で使用されたとのこと。撮影前にオミットされたか、撮影されたものの尺の関係でカットされたかは不明だが、このコミカライズが、テレビの完成版ではなくシナリオを元に描かれていることが、こんなところからもわかる。

ここからは原本がないので、今回刊行されたものの画像を紹介。

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「ケムラー」。これもいろいろと問題あり。先ほどの「アボラス・バニラ」同様、一峰版を下敷きにしているのが露骨で、比べて読むと辛い(じゃあ比べて読むなと突っ込まれそうだが)。テレビ版では最初に大室山に調査に行くのはフジとホシノの2隊員だが、一峰版ではハヤタ、フジ、ホシノの3隊員。その大室山でケムラーが出現、ハヤタは早速ウルトラマンに変身してビートルを助けるが、ケムラーに圧倒され地中に沈み、一方、ケムラーは都市部に現れ工場の煙突の煙を吸うなど暴れ放題。科学特捜隊は、マットバズーカでケムラーの急所ののどを狙うが不発、それを、最終的にウルトラマンがスペシウム光線で爆発させて倒す…というのが一峰版のあらすじだが、その一連の流れが、井上版でもほとんど同じなのである(テレビ版では、ケムラーの急所は背中の突起部分で、マットバズーカはウルトラマンの助けもあって見事そこに命中、ケムラーに致命傷を負わせる)。ご丁寧に、ケムラーの毒ガスを防ぐために隊員が着ける防毒マスクのデザインまで、井上版は一峰版にそっくりなのである(テレビ版は鼻と口の部分だけ覆う簡易的なものだった)。

20171123_10.jpg 井上版

20171123_11.jpg 一峰版

20171123_12.jpg 井上版

20171123_13.jpg 一峰版

こうした「引用」も、〆切に追われていたための苦肉の策だったのか、その辺の事情はもはや永遠の謎だが、このころから、筆者の中でウルトラマンのコミカライズに対してのモチベーションがかなり下がってきていたのは、ペンタッチからも何となく伝わってくる。上巻に収載された「ジラース」「ペスター」あたりが、井上版のピークだったのではないだろうか。

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「ジャミラ」は、幸いにというべきか、一峰大二も楳図かずおも漫画化しておらず、コミカライズはこの井上版のみなので、必然的に「テレビのシナリオをベースにした井上作品」になっており、安心して読むことができる。物語はテレビ版に準拠しているが、序盤でハヤタの乗るビートルがジャミラの「見えないロケット」から攻撃を受けるというスピーディーな展開。

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「アボラス・バニラ」同様、物語の開始早々ハヤタがウルトラマンに変身するが、これは、カラーページでウルトラマンの姿を見せるための配慮であろう。

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漂着した星で彷徨い、怪物へと変貌していくジャミラ。テレビ版にはない秀逸かつホラーチックな描写で、幼少期から深く脳裏に刻まれた。

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また、テレビ版(「故郷は地球」)は特撮ファンならご存じのように、かなりメッセージ性の強い、いかにもな佐々木&実相寺作品なのだが、この井上版では、中盤にはイデの苦悩描写も出てくるものの(上画像参照)、ラストは、テレビ版ほど露骨な体制批判はなく、「…科学は果てしなく進歩するだろう。だがその陰には多くの犠牲者がいることを忘れてはならない」というナレーションでさらりとしめくくっている。これは少年向け漫画としては適切な判断だと思う。

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「スカイドン」は、これまた佐々木&実相寺作品のコミカライズだが、テレビ版とはまた違った形での、科学特捜隊諸氏のリラックスモードな描写が楽しい(テレビ版ではこのころすでに降板していたホシノも出てくる)。しかし、スカイドンが現れてからは、ページ数の関係もあってかなり慌ただしい展開に。いろいろな作戦を実行して、何とかスカイドンを空に返す、というプロセスはなく、いきなりウルトラマンが現れてあっさり八つ裂き光輪で倒す展開。ついでに言うと、この八つ裂き光輪で倒す場面、またしても一峰版を下敷きにしたような印象が…。

20171123_19.jpg 井上版

20171123_20.jpg 一峰版

「サイゴ・キーラ」。これは井上版のみのコミカライズのため、他作家との類似を心配する必要はなく、安心して読み進められる。

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ストーリーの方はテレビ版と大差なく、違うのは、テレビ版では宇宙ステーションV2救助のため出動するのが宇宙船「しらとり」であるのに対し、井上版では「宇宙用ビートル」である点、テレビ版では陣頭指揮を執るムラマツキャップが井上版ではなぜか地球に残り、テレビ版では出演していないホシノが出動する点くらいだろうか。しかし井上版には、テレビ版では省略(カット?)された、事故が起きる前のV2乗組員たちの描写があり、これがあった方が物語の流れはわかりやすい。

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着目すべきは、科学特捜隊がV2救助に向かう際の宇宙服。テレビ版では割とありがちな銀色の地味なもの(東宝映画からの流用か?)だったが、このコミカライズでは、胸元に流星マークを大きくあしらったカラフルなデザインとなっている(さらに言えば、テレビ版ではQ星到着後から宇宙服着用となるが、井上版のように出発時から着用している方が自然なように思われる)。

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テレビ版と同様、サイゴはイデの新兵器であっさり倒され、一方のキーラは、ウルトラマンのスペシウム光線も八つ裂き光輪も寄せ付けないものの、よくわからない技(「フラッシュアイス」と命名)で粉砕される。ラストのV2乗組員のセリフ「ここは宇宙の別荘ですよ」もテレビ版と同じ。

そして井上作品としての最終話「シーボーズ」だが、これも井上版のみのコミカライズで、テレビシナリオをほぼ忠実に漫画化している。

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冒頭の宇宙パトロールシーンに出てくるのは「サイゴ・キーラ」で登場した「宇宙用ビートル」、そして搭乗しているハヤタ、イデ、アラシが着用している宇宙服も「サイゴ・キーラ」のものである。このあたりはコミカライズならではといった感じ(テレビ版では「シーボーズ」の回は「サイゴ・キーラ」の回より早いためこうはいかない)。また、怪獣墓場を浮遊しているのが、すべて井上版に登場した怪獣であるというのも注目すべき点だろう。やはりこれまで自分が書いてきた怪獣たちに愛着があったということか(その割には画のタッチがかなり違っていたりするのだが…)。

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怪獣供養の最中にシーボーズが地球に落ちてきて、それを科学特捜隊とウルトラマンが宇宙に返そうとするくだりもシナリオどおり。ただ、テレビ版では、シーボーズは最終的に、ウルトラマンの形を模したロケットで宇宙に帰還するのだが、このコミカライズではロケットはシーボーズに壊され、ウルトラマンが自身がシーボーズを宇宙に連れていき、それを科学特捜隊もビートルで見届けるという幕切れになっている。

ラスト1ページ前で大コマを使い、ラストページは上段にナレーション、Uターンし地球に戻るビートルを小さめに描いてしめくくる。かなり渋いエンディング。

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以上で井上版ウルトラマンは終わりである。どこまで意図したのかわからないが、最終話に「シーボーズ」を持ってきたのはうまい選択だったと思う。これからも怪獣との戦いはつづく、しかし、そこには一抹の苦さも残る…という余韻のある幕切れである。ちなみに、「サイゴ・キーラ」「シーボーズ」が掲載されたのが7月号、その翌月の8月号をもって現代コミクスは休刊になるのだが、そこに掲載されたのは「ダダABC」「グビラ」で、これらは井上英沖によるものではない。だが、もしこの2作を井上が書いていたとしても、どちらも最終話にはふさわしくなかったように思われる。

それにしても、「ウルトラマン」のコミカライズは、楳図かずお版(『少年マガジン』連載)にせよ、一峰大二版(『ぼくら』に掲載)にせよ、この井上版にせよ、テレビ版の最終回(ゼットンが登場する「さらばウルトラマン」)を描いていないというのが、何とも物足りなく感じる。楳図版はメフィラス星人回で終わっているし、一峰版はなぜかオリジナル怪獣「ウェットン」が最終回だし、そして井上版は前述のように「シーボーズ」で終わり。やはり、テレビで放送が終わったあともウルトラマンの人気が続いていたことを考えると、きっちりラストエピソードを描くというのは控えた方が…、という空気があったのかも知れない(「ウルトラマン」のテレビ放送は1967年4月9日に終了したが、一峰大二版の『ぼくら』連載は1967年9月号、「現代コミクス」版の発売も前述のように1967年8月号まで続いていた)。

さらに言うなら、「ウルトラマン」という壮大な物語のプロローグにあたる第1話(「ウルトラ作戦第1号」)も、楳図版、一峰版、井上版、いずれも存在しない。唯一、「現代コミクス」増刊において岸本修が描いているが、今回の単行本化は井上英沖執筆分のみなので未収録である。岸本修の筆になる「ウルトラマン」は3本存在し、ベムラー、グリーンモンス、怪彗星ツイフォンと力作ぞろい。これらもいつか陽の目を見てもらいたいものだ(せっかくなので岸本版の「ベムラー」を3点紹介しておく)。

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というわけで、実に51年ぶりに復活した井上英沖による『現代コミクス版ウルトラマン』の紹介も、そろそろしめくくりの時がきた。上巻の方は自分が原本をほとんど保存していたので、内容も細かく覚えていたが、今回紹介した下巻収録の作品は、かつてはすべて原本を持っていたものの、その後処分してしまったものが多く、「ケムラー」「ジャミラ」「スカイドン」「サイゴ・キーラ」「シーボーズ」の5作は、今回の復刻で実に数十年ぶりに再読した。そして、どうして後半の「現代コミクス」だけを処分してしまったのかも何となく理解できた。先程も述べたように、前半の作品と比較して、作者のモチベーションが下がっているのがわかり、それゆえ、あまり愛着を感じられなかったのだろう。今読み返しても、その印象は変わらない。しかし、ビデオはおろか、カセットテープすら家庭に普及していなかったあの時代、テレビでのウルトラマンの活躍やそれぞれのエピソードをしのぶものは、このコミカライズをおいてなかったのである。それを考えると、実に貴重な作品群だと思う。

今回発刊したものを、85歳になる実家の母に見せたところ、「これを見ると、あのころのことを鮮やかに思い出す」と目を輝かせていた。そして、「この画がすごくいい」とも。たしかに、一峰大二の無骨なタッチとも、楳図かずおの不気味なタッチとも違う、光プロ系ともいうべき井上英沖の描線は、まだすべてが大らかだった1960年代中盤のヒーローを描くのに、もっともふさわしかったのではないか。これが「セブン」以降になると、SF色やシリアスムードが強まり、桑田次郎のシャープな描線がマッチするようになるのだが、私などは今でも、あまり深刻にならず、シンプルで明るいウルトラマンの世界観の方が好きだ。そんな初代ウルトラマンワールドを見事に漫画へと昇華した井上英沖の仕事を、是非一度確認してほしい。
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2017年11月20日

『特撮秘宝 vol.7』

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週末、『特撮秘宝 vol.7』(洋泉社)が編集部から届く。噂には聞いていたがとんでもなく「濃ゆい」本である(なぜ編集部から届いたかは後述)。

まずテキストの情報量がすごい。新聞でも雑誌でも高齢者に配慮してどんどん文字が大きくなるこのご時勢に、まるでルビのような小ささの活字が二段三段(時には四段組み)で「これでもか」と並んでいる。最近老眼が進み、眼鏡を作るかどうかで日々悩んでいる私にとっては、読み進めるのにかなりの困難がともなうが、興味深い記事が目白押しで、これを読破するために、いよいよ老眼鏡を作るか、と本気で考えたりする(実は一ヶ月前に眼科を受診し、眼鏡の処方箋はもらっているのだが、面倒くさくてそのまま放置しているのだ)。

そして、テキストに負けず劣らずの画像情報。アゴンの未公開写真をはじめ、見たことのないレアな写真がこれまた「これでもか」と誌面に踊っている。とにかく特撮愛に溢れまくった一冊で、その同人誌的というべき無尽蔵のエネルギーは、かつて愛読していた1980年代の『宇宙船』(朝日ソノラマ)を思い起こさせる。これだけの濃度の本をたった4人の編集スタッフで作っているというのもすごい。

圧倒されてばかりいても始まらないので少しだけ内容を紹介すると、今号のメインは、元祖ゴジラ俳優・中島春雄の追悼特集。これが全体の約半分を占めており、日本が世界に誇る特撮スーツアクターの数々の作品における勇姿、本人のインタビューや対談、知られざる生涯、評論、関係者の追悼コメントなど、これ以上のコンテンツは考えられない、というくらいの充実した内容。中でも友井健人氏の「鎮魂 中島春雄と戦友ゴジラ」は1929年生まれの中島の一生を、昭和史―戦争との関わりの中で捉えた評伝さながらの論考で、大著『怪獣人生 〜元祖ゴジラ俳優・中島春雄』の構成を務めた友井氏ならではの、顕彰と検証が並び立つ名文だと思う。

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ちなみに、先日『鎌倉アカデミア 青の時代』の上映会でご一緒した加藤茂雄さん(俳優・演劇科1期)が、東宝の大部屋時代の仲間ということでコメントを寄せているほか、中島がメインゲストで出演したドラマ『太陽のあいつ』で監督を務めた岩内克己監督(演劇科1期)のインタビューも掲載されており、鎌倉アカデミア出身の方々の名前が随所に見えるのも嬉しい(さらに言えば『太陽のあいつ』の音楽はいずみたくで、この人も演劇科の1期)。

そしてもうひとつの目玉というべきが、『帰ってきたウルトラマン』のいわゆる「11月の傑作群」についての再検証。ここらへんの話題になるとわからない人にはさっぱりわからないと思うのだが、ひとことで説明すれば、『帰りマン』11月放送分には秀作傑作が多い、ということ(それにしてもこの本では絶対に「ウルトラマンジャック」などという呼称が出てこないのが心地いいね)。3本のシナリオが収載されているほか、「悪魔と天使の間に‥‥」でゼラン星人の化けた少年を演じた永吉健太郎氏と、「落日の決闘」でメインゲストの少年役だった松原和仁氏の大変レアなインタビューも掲載されている。本当によく見つけてくるものだと感心することしきりである。

さてさて、そんな「11月の傑作群」の1作「許されざるいのち」と、12月放送ではありつつ傑作群の中に加えられることが多い「残酷!光怪獣プリズ魔」の特撮撮影現場を見学した当時の小学生が、47年前を振り返ったインタビューがこちら。

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197X年の怪獣少年 大嶋拓

まあ、そういうわけで、最初に「『特撮秘宝vol.7』が編集部から〜」と書いたのは、この号にインタビューを載せていただいたからなのである。

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諸事情により掲載されなかった貴重な対面ショット(菊池【現・きくち】英一氏と)

インタビューはトータル5ページ。全288ページの本で5ページも使っていただき、申し訳ないような、しかし光栄でもあるような。内容については、だいぶ前に自分のホームページにも載せたことがあるのだが、一人で思い返して文章に書くのと、実際にインタビュアー(前述の友井健人氏)と作品の映像を鑑賞しながら話すのとでは想起の仕方がだいぶ違うことに気づいた。詳しくは、是非インタビューを読んでいただきたいのだが、ひとつ特筆すべきは「許されざるいのち」に登場する合性怪獣レオゴンについてである。このレオゴンは、着ぐるみのほかに爆破用の人形(発砲スチロール製)が用意されていたにも関わらず、本編では使用されていない。それがいかなる理由によるのか、長い間「解けぬ謎」だったのだが、今回、名インタビュアー友井氏のおかげで、ひとつの推論が導き出されたのである。しかも奥ゆかしい友井氏は、最初の書き起こし原稿では、あたかも私がすべて自分で気づいたように書いてくれたので、そこだけは、「友井氏の示唆があればこそだった」とわかるように修正してもらった。思うに、前述の『怪獣人生』があれだけ充実した内容になったのも、友井氏の丹念な聞き取りと豊富な想像力に基づく示唆によるところが大きかったのではないだろうか。私も『鎌倉アカデミア 青の時代』の製作において、かなりの数のインタビューをこなしたつもりだったが、取材相手の「記憶の深層」に切り込むには、もっともっと丁寧な聞き取りと的確な示唆とが必要だったのではないかと反省することしきりである。

というようなことにまで思いを致した『特撮秘宝vol.7』。ほかにもタケダアワーで放送が計画されていたクレイジー・キャッツ主演番組のパイロットフィルムとか、『タイムボカン』や『少年探偵団(BD7)』などでもなじみ深いスキャニメイトの解説とか、とにかく、夜を徹しても読みきれないくらい充実した1冊です。ご興味の沸いた方は、是非お手に取ってみてください。
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2017年11月17日

『鎌倉アカデミア 青の時代』@鎌倉芸術祭

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11月11日、鎌倉生涯学習センターのホールにて、『鎌倉アカデミア 青の時代』の上映会が行われました。主催してくださったのは、30年以上の活動実績を持つ「鎌倉・映画を観る会」の方々です。

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第12回鎌倉芸術祭参加イベントということで、筆書きの看板も飾られていました。

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ホールのロビーには、「鎌倉アカデミアを伝える会」のご協力によるパネル展示も。

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13時30分からの回の上映後には、加藤茂雄さん(俳優・演劇科1期)とのトークショー。加藤さんとは、5月の川喜多映画記念館、新宿K's cinema、9月の小田原映画祭とすでに何度もトークでご一緒しているので、初めからリラックスムードでしたが、その一方、さすがに以前聞いたことのある話がほとんどだろうと考えていました。しかし、その予想はいい意味で裏切られ、終戦後の鎌倉のリアルな食料事情、鎌倉大学の入学試験の具体的な内容(作文のテーマは「光明寺の印象」で、加藤さんは小さいときから毎年通っていた「御十夜」の思い出を記したとのこと)、1年生の時の学費は、今では行われていない「あぐり網」という漁法で、魚が吹き上がるくらい取れた時の日当でまかなったことなど、私も初めて聞くエピソードが多数披露されました。やはりご当地でのトークは、ローカルな話を理解してもらいやすいからでしょうか、加藤さんの語りはいつも以上に滑らかで、説明も文字通り「微に入り細を穿つ」という感じでした。

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さらに、開校初年の前半だけ教えにきていた千田是也の強烈な印象、課外授業の一環として、1946年6月に帝国劇場で上演された新劇人合同公演の『真夏の夜の夢』や9月上演の『どん底』の本番前総稽古を見学し、それが演劇への思いを掻き立てる原動力となった話など、飢えていたけれど熱かった時代のエネルギーが伝わってくるようでした。『どん底』の稽古を見た翌日には、音楽の担当教授だった関忠亮から「夜でも昼でも 牢屋は暗い」という劇中歌を習い、学生みんなしてその歌を歌いながら鎌倉の町を練り歩いたというエピソードも。歌の一部を加藤さんが朗々と披露されたのには少々びっくりしました(加藤さんの歌というのはあまり聴いたことがなかったので)。

1時間近くがあっという間に過ぎ、最後に、会場においでくださった関係者の方たちにひとことずつご挨拶をしていただき閉幕となりました。教授講師では服部之總のお孫さん4人、吉田謙吉のお嬢さんの塩澤珠江さん、学生では沼田陽一氏(作家・文学科1期)の妹さん、若林泰雄氏(文学科1期)のお嬢さんらにお言葉を頂戴しました。ご来場いただいた大勢のお客様に心より御礼申し上げます。

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5月に出版された加藤さんの絵本『茂さん』も販売していました(完売御礼)。右は光明寺で11月26日に行われる『リトルボートストーリー』というお芝居のチラシ。なんと加藤さんはこれにも俳優として出演されます。

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92歳にして漁師と俳優の二足のわらじ。加藤茂雄さん、生涯現役の「浜役者」として、これからもますますお元気で!

※今回の写真は、最後の1枚をのぞき、ライターの友井健人さんが撮影したものです(一部動画からのキャプチャあり)。どうもありがとうございました。
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2017年11月10日

横浜市立大学ホームカミングデー

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先週の土曜日(11/4)、横浜市立大学のホームカミングデーに行ってまいりました。

「ホームカミングデー」という名称、私が学生のころには耳にしたことがなかったのですが、最近はいろいろな大学で、卒業生を「お帰りなさい」とお迎えするイベントとして行われているようです。

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横浜市立大学は学園祭(浜大祭)の真っ最中(例年ホームカミングデーは浜大祭期間中に行われるそう)。

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今年のテーマは「SPACE」とのことで、それにちなんで宇宙人やスペースシャトルのオブジェが飾られています。

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大学のマスコットキャラクター・ヨッチーもいました(キャンパスのイチョウ並木から生まれたイチョウの精、という設定。今年のゆるキャラグランプリにもエントリーしているとのこと)。

さて、横浜市立大学の卒業生でもない私がどうしてここに来たかというと、

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このカメリアホールで、映画『鎌倉アカデミア 青の時代』が上映されるからなのでした。

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なんと入場無料! 浜大卒業生担当は太っ腹です。

そもそも、どうして浜大のホームカミングデーに鎌倉アカデミアの映画を上映するかといえば、このふたつの大学は、非常に深い関わりがあるからなんですね(詳しくはこちら)。端的にいうと、鎌倉アカデミアの校長を務めた三枝博音(1892-1963)が、横浜市立大学の学長も務めていたということ。ほかにも5人の教授講師が、アカデミアから浜大に横滑りしています。

そういうご縁もあり、今回めでたく上映の運びとなりました。神奈川の「大学」を扱った映画を、神奈川の大学で上映するというのはなかなか素敵な企画だと思います。

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ホール内には、三枝学長がみずから刻んだ扁額も飾られていました。鎌倉アカデミアの扁額は、
「幾何学を学ばざるもの、この門を入るべからず」
でしたが、こちらは哲人セネカの、
「もろもろの技術は生活に奉仕し、知恵が命令する」
という言葉です。

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約160名の卒業生・関係者が来場されたのこと。開会にあたって学長のご挨拶と、応援団、チアリーダー部、管弦楽団による校歌の斉唱が行われました。

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映画上映のあとにはトークセッションも(写真左から同大学の高橋寛人教授、私、本宮一男教授)。

本宮教授は鎌倉アカデミアと横浜市立大学のつながりや時代状況、三枝学長が鶴見事故(1963)のため現職のまま亡くなったことなどを述べられ、高橋教授は、鎌倉アカデミア以前の三枝学長の学者としての活動・業績などをお話しになりました。私は作品の成立過程などを、とりとめもなく話しましたが、三枝学長を直接知る卒業生の方たちにこの映画を観ていただけたことを大変嬉しく思いました。

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これはある卒業生の方が持参していた1963年の学園祭プログラム(コピーを頂戴しました)。

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冒頭に三枝学長の挨拶文が。新校舎落成もこの年であったことがわかります。そしてこのわずか半月後の11月9日に、三枝学長は鶴見事故で不帰の客となられます。昨日で、あの事故からちょうど54年が過ぎました。1963年は私の生まれた年でもあり、いろいろと感慨深いものがあります。

上映が終わったあとは、食堂で行われた同窓会にも参加させていただき、何人かの卒業生の方から、半世紀以上前の浜大の様子をお聞きすることができました。

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こちらは、今年(2017年)の浜大祭プログラム。1963年のものと比べるとずいぶんデジタルな感じですが、

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飾りつけなどは手作り感満載で、「ああ、学園祭ってこういう感じだったなあ」と懐かしい気持ちで帰路に着きました。
posted by taku at 18:55| 鎌倉アカデミア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする