2009年05月11日

「悪母」は罪か

昨日(5/10)は母の日、そして一週間前(5/4)は、自分の母親をこれでもかというくらい作品の中で貶めた寺山修司の命日であった。というわけで、私には5月のこの時期になると決まって思い出す本がある。タイトルは『母の蛍』。寺山の実母・はつが綴った「寺山修司との日々」である。その誕生から幼年期、学生時代、そして劇団を立ち上げたあとまでも、常に寺山のことを第一に考えて生きてきたことが、妙に暑苦しい押し付けがましさでダラダラと語られる。寺山は母親のことを、淫売だの男と駆け落ちしただの散々こき下ろしていたが、それはあくまで虚構で、実際には情愛にあふれた母子関係だったと言いたいらしい。

初めてこれを読んだのは、たしか大学を卒業したころだから、もうかれこれ20年くらい前だろうか。その読後感は今でもはっきり覚えている。本を読んでこれほど不愉快な気分になったことはそうそうなかったからだ。ひとことで言えば、「何と言う欺瞞と偽善に満ちた本であろう!」。世の中で美徳とされる母親の盲目的な愛情というのは、だいたいこんなものなのだろうか。それは一見悲愴なまでに自己犠牲的でありつつ、実際はゆがんだ自己愛でしかない。彼女たちは、「いつの時も自分は子どもの幸せだけを願い、おのれのことなど顧みず、ひたすら献身的に生きてきたのです」と切々と訴えるが、実はそういう慈母を演じることが、何より彼女たちのナルシシズムとヒロイズムをくすぐるからやっているだけで、そうした自慰的な愛情を押し付けられた子どもにしてみれば、「さっさとくたばれ!このクソババア」と思うのも無理はない。

この『母の蛍』は、47歳で死んだ息子を終始「修ちゃん」と呼んでいるあたりからしてすでに、主観に満ち満ちていることが察せられるが、私が何より憤激したのは本文最後の以下のくだりである。
はつは、寺山が作品のモチーフによく母親を使うのは何故だと問い、それに対して寺山は、親子の愛情というのは最も純粋で感動的で、無限のドラマの根源である、というようなことを答えたという。本当にそんなことを寺山が思っていたのか、ちょっと首をひねる回答ではあるが、とにかくはつはそれを聞いて納得し、
「もう、おこるのはやめようと思います。私を材料にして、良い作品が出来るのなら、よろこんで、悪い母にも、良い母にもなりましょう。それで、修ちゃんの役に立つのなら……」
と、殊勝なことを書いている。ところが、そのわずか2ページあとに、とんでもない記述があるのだ。

「真実を知っているのは私だけなのです。この真実を記録として書きのこしておかなければ、謎の人で永久に終わってしまうのです。これは私の責任として書き残しておかなければと、書きはじめたのです」

「よろこんで悪い母にもなりましょう(=寺山の作品が認められるためならば、いくらでも世間の批判や好奇の目に甘んじましょう)」と言っているそばからこれである。何よりあいた口がふさがらなかったのは、「真実を知っているのは自分だけ」という、神をも恐れぬ思いあがりで、人間は、たとえ親子でも夫婦でも、その人のすべてを知ることなど絶対に出来ないし、ましてやその人の「真実」などという大層なものを知る者など、この世には一人だっていやしないのだ。せいぜい「いろんなご意見がおありでしょうが、私が知っている息子・寺山はこうでした」と書くべきなのに、そういった「客観性」というものが、この母親にはまったく欠如している。「私は愚かな母親です」と自分から世間に公言しているようなものだ。

もっとも、彼女が本当に書きたかったのは真実などではない。上の文章は、

「修ちゃんが亡くなった今、昔の出来事を美化できるのは私だけなのです。この手記をきちんと本にしてのこしておかなければ、私は悪い母で永久に終わってしまうのです。これは私の汚名を晴らすために書き残しておかなければと、書きはじめたのです」

と訂正されるべきである。本当に寺山のことを考える母親であるならば、こうした稚拙な「暴露本」を世に出すことなどせず、むしろ寺山の生い立ちの神秘性を守るために、生涯、沈黙を貫くはずである。「真実を書く」などと大言壮語して本を世に出したという時点で、この母親のゆがんだ自己愛はすでに馬脚を現したというべきだろう。こんな独善的で、しかも知恵の働かない母親では、寺山が作中で何度も抹殺を試みたのも無理からぬことに思える。

この本は、早稲田大学で寺山の同級生だった作家が解説文を書いているのだが、この内容にもいささか首をかしげざるを得ない。「お母さんから心のこもった見事な記録を贈られる寺山さんは、やはり幸せである」と締めくくっているのは、著者である寺山はつへの遠慮からだろうか。私だったら「お母さんより先に死んだせいで、こんなにも欺瞞に満ちた記録を贈られる寺山さんは、やはり不幸せである」と書きたいところだ。

一昨年、寺山の秘書だった田中未知が『寺山修司と生きて』という本を出したらしい。実は今回この文章を書くに当たり、寺山はつのことを改めてネット検索したところ、その本に突き当たったのだ。それによると、実際の寺山はつの悪母ぶりは凄まじいもので、『母の蛍』に綴られたような献身的な母親像とはほど遠いものだったという。「やはりとんだ喰わせ物だったか」と思ったものの、この田中未知の手記もまた、たとえどんなに濃密な日々をともにしたにしろ、あくまで彼女から見た寺山像以上のものではないことは認識しておく必要があるだろう。どうも作家に関する場合、「自分だけがすべてを知っています」的な本が次々出版されるのは、その作家のファンにとってはありがた迷惑であることが多い。私はそれほど熱心な寺山信者ではないが、あくまで彼の中からしたたり落ちた「作品」という雫を享受すれば十分で、楽屋裏のことを後からあれこれ聞かされても白けるだけ、というのが正直なところである。それにしても、『母の蛍』も、それと真っ向から対立する『寺山修司と生きて』も、同じ出版社から発売というのが、いささかしっくり来ないというか…。

私は映画「凍える鏡」(6/12にDVDが発売)の製作・公開に際して、「最近の母親は子どもに〈無条件の愛情〉を注ぐことがなくなり、それがさまざまな悲劇を生んでいる」というようなことをさんざん言ったり書いたりしたが、考えてみると、これは近年の傾向などではなく、自己愛の延長という形でしか子どもを愛せないエゴイスティックな母親というのは、ずいぶん昔から、かなりの数いたように思う。寺山はつなどはまさにその典型だろう(そして、今評伝を書いている青江舜二郎の母親にも、これと似た匂いを強く感じる)。ではしかし、それが子どもにとっての不幸かというとそれも微妙で、寺山の場合は、このタチの悪い母をどうにか抹殺しなくてはという負のエネルギーが作品に昇華した可能性は十分にあり、そうなると、結局寺山はあの母のおかげで作家として名を残したことになる。ソクラテスやモーツァルトの悪妻ではないが、母親も「悪」の方が、ある種の子どもにとっては発奮の材料になるのかも知れない。―などと考えた昨日の母の日であった。
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2009年05月09日

爽やかな5月とともに

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爽やかな5月の訪れとともに、いきなり爽やかとはほど遠い出会い系の迷惑メールが、主に業務連絡で使っているアドレスにバカスカ送られてくるようになった。そういうサイトに登録した覚えはないし、しかも、「花子さま」とある。どうやら、私のアドレスは女性のものとして認識されているらしい。

≪バツイチの会社社長です。暮らしには不自由させません≫
≪余命4ヶ月です。会ってくれたら2億円差し上げます≫


などという、あまりにもありえないメールが山のように来る。今どきこんなものに引っかかる女性がいるのか疑問だが、とにかく迷惑はなはだしい。
最近は、アドレスさえわかれば強制的にそういうサイトに登録することも可能だという。もしや、誰かが私のアドレスを勝手に登録して、嫌がらせをしているのか? と不安になりつつ、その業者のアドレスはごみ箱へ振り分け設定にして様子を見ていたのだが、そのうち次々違う業者からも類似のメールが届くようになり、そして今朝、ついに戦慄すべきメールが!

★Love×2★現役No.1ユウキ[27歳]俺、××××のこと知ってるよ!!

というのがタイトルで、以下、

【無料試聴OK!!】××××様へ生ボイスメッセージの着信あり!!
 返信はこちら
 ttp://ka***taka.net/t/mailbox.php?id=・・・


などと続いている。
この「××××」は、私の母親の名前である。何てことだ。相手は私の親のことまで知っているのか。そうなると、犯人はかなり近くにいる! と急に胸がドキドキしてきた。しかしいくら首をひねっても、私の業務用アドレスと親の名前の両方を知っている人間が浮かんでこない(親の名前を知っているほど親しい人には、プライベートなアドレスを教えている)。では一体どうやって情報が漏れたのか。懸命に考えて、やっとひとつの可能性に行き着いた。

それは今から数年前、ある作品の撮影時のことである。クリニックのシーンで使う女性用の白衣をネットで注文することになり、女性用白衣を男性の名前で頼むのに抵抗があったのと、品物が届くころには地方ロケで1週間以上家を空けることになっていたので、母親の名前で注文し、品物も実家に届くように手配したのだ。その時にはたしかに、私の業務用アドレスと、母親の名前という組み合わせを使っている。しかしそれ以外に、こういう変則的な形でオンラインショップを利用したという記憶はない。となると、その会社の顧客情報が流出したという可能性がきわめて濃厚になってくるのだが…(ちなみにそこは、白衣業界ではかなりの大手)。

オンラインショップの顧客情報が流出、というニュースは、もはや珍しくも何ともなくなっているし、大手と言われるメーカーにしても、100パーセント安全ということはないのだろう。ネットでの商品購入は、便利な反面、そういう危険をはらんでいるということを、今更ながら実感した次第である。

「迷惑メール 現役No.1ユウキ 実名 Love×2」といったキーワードで検索してみると、同じような実名入りのメールが、方々に送られているらしい。今後も、あまりしつこくこのようなメールが来るなら、いずれアドレスの変更をしなくてはならないだろう。何とも面倒な話である。ともあれ、思いがけず、ネットでは昔から言われている「ネカマ」の気分を味わうことができたこの連休であった。
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2009年05月02日

渡辺美佐子さんの一人芝居

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昨日、渡辺美佐子さんの一人芝居「化粧 二幕」を観てきた。会場は、これがこけら落としになる座・高円寺。5月31日までの公演で、この公演中に「化粧」は600回を迎えるという。

私は渡辺さんの映画は、デビュー作の「ひめゆりの塔」から始まって、「風速40米」「果しなき欲望」「ギターを持った渡り鳥」「武器なき斗い」「野獣の青春」「真田風雲録」「美しさと哀しみと」等々、そしてわりと最近の「アカシアの道」や「凍える鏡」(これは自分で監督をしてるので当たり前)と、それなりの本数を見ているのだが、彼女が1982年以来ライフワークとして演り続けているこの「化粧」は、不覚にもこれまで観覧する機会を逃しており、5年ぶりとなる今回の公演で初めて生の舞台を観ることができた。

内容は、いわゆる母子の再会物と思わせておいて、後半それを見事に裏切る展開で、この作者ならではの「技」を感じたが、何より、たった1人で1時間半以上の舞台を成立させる、渡辺さんの体力と精神力に圧倒された。ひと口に600回というが、これは大変な記録だと、観終わった今、改めて思う。

初日ということで、終演後にロビーで立食パーティーがあり、渡辺さんは乾杯のあと、作者、演出家らスタッフに囲まれ、にぎやかに談笑していた。何しろ本日の主役である。たいそうせわしなげな様子だったので、私は帰り際にひとこと「お疲れ様」と声をかけただけだったが、思いがけず、渡辺さんのご主人である大山勝美氏と初めてお目にかかり、言葉を交わせたのが意外な収穫であった。大山氏は「岸辺のアルバム」や「ふぞろいの林檎たち」を手がけた名プロデューサーだが、テレビの現場に長く携わった経験をふまえて、何冊かの書物を世に出されている。その中の一冊である「私説放送史」は、日本のラジオ、テレビ放送の黎明期の出来事について、実に詳細に書かれた教科書のような本で、それを私は最近、青江舜二郎の評伝を書くに当たって、ひも解いていたのである。大山氏にその話をしたところ、「ああ、青江先生の息子さんでしたか」と驚いておられた。大山氏が入社したころのTBSはテレビ放送を始めたばかりで、まだ「ラジオ東京」と呼ばれており、青江はそのラジオ東京の嘱託をしていたから、やはり接点はあったのだ。最近は行く先々で、そういった昔の因縁に出くわすことが多いが、それだけ自分も年を取ったということなのだろうか。

いずれにしても渡辺さんには、無事に600回の晴れ舞台を迎えられることを祈ってやまない。そしてそれ以降も、来年の3月まで「化粧」の公演ツアーは続くというから、この記録はさらに更新されていくのだろう。衰えを感じさせないそのパワーには、ある種の凄味さえ備わっており、「凍える鏡」における「私はね、あんたたちみたいにヤワじゃないの。私たちの年の女はね」というセリフは、まさに渡辺さん自身の言葉のように思えてくるのである。

「化粧 二幕」@座・高円寺2 2009年5月1日〜31日
「凍える鏡」DVD 2009年6月12日発売
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2009年04月24日

この空は誰のもの?

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空をながめる時間、それは、心を解放させるひとときである。
特に今の季節は、吹きぬける風もすがすがしい。ベランダに出て、時を忘れ空を見つめていたくなる。

しかし、残念ながらそれは出来ない。紫外線が怖いから? いや違う。
空を見あげ、しばし物思いにふける。と、間もなく、耳をつんざくような轟音。うなりをあげて戦闘機が通過する。この地域は基地が近くにあるわけでもないのに、と不思議に思いつつ、やり過ごす。
しばしの静寂。ほっとひと息。しかし、その静けさを味わう間もなく、今度はヘリコプター。警察、消防、民間と、色が違う機体が次々、わがもの顔で、ブルブルと不快な振動と騒音を撒き散らして乱暴に去っていく。
お次は、プロペラ機。これは、近くの調布の飛行場から飛んで来るようだ。これも低音で、かなり耳障り。おまけに、さっさと通り過ぎればいいものを、何度も同じエリアも旋回したり、あるいはエンジンを停止させ、高度を下げ、ふたたび上昇するという何とも迷惑な訓練を繰り返す。

私の居住するのは、丘陵地帯にある閑静な住宅街である。ここの上空は、いつからこんなにうるさくなってしまったのだろう。こんな住宅街の上を無分別に飛行することに、航空法上の規制はないのか?
と、ここまで書いたら、またヘリコプターがやって来た。こういうのは気にし始めるとますます気になるので、知らん顔を決め込むのが一番いいのだが、こうまで頻繁だと、とても存在しないフリなどはできない。

先日、所用があって、母方の実家があった静岡県のM市の郊外でほぼ1日を過ごした。外は快晴で、日中ずっと窓を開け放していたのだが、小鳥のさえずりと風のそよぐ音以外にはほとんど何も聞こえない。こんな静かな場所があったのか!と、驚いた。耳に不快を催す音がない空間というのは、そこにいるだけで、官能的な悦びさえ感じさせてくれるのであった。

しかし、翌日からは、また元の生活に逆戻り。なまじ静寂を味わったあとだけに、無遠慮に鼓膜を刺激するあの轟音、低音が余計に辛く響いてくる。ただ、こういう感覚には、かなり個人差があるようで、この手の騒音がほとんど気にならない、穏やかな耳を持った人もいるようだ。そういう人が、心底うらやましい。

具体的な対策としては、1日耳栓をして暮らすか、それこそM市のような静かな場所に引っ越すか、そのどちらかということになるのだろうが、それはあまりに消極的である。いじめを受けた生徒が、緊急避難的に学校を休んだり、転校したりするのと同じで、根本原因であるいじめの加害者を放置したままでは、事態は真に解決したとはいえない。元を正さなければダメなのだ。では今回のようなケースの根本的な解決策とは何か。それは言うまでもなく、騒音の原因であるあのおびただしい数の飛行物体を、この大空から消し去ることである。本当にそうなれば、どんなにせいせいするかと思う。しかし、それはあまりに現実的ではない。何しろ相手の数が多すぎる。いちいち苦情を言っていては、それだけで1日がつぶれてしまう。結局、泣き寝入りをするしかないということなのか。

かくして、1年で一番季候のいい5月を控えながらも、私は心ゆくまでベランダで陽を浴びることも、風を感じることもできず、室内で悶々と過ごすことになりそうだ。あの忌まわしい無数の飛行物体の操縦席に座る者たちは、ミニチュアのような街並みを見下ろしつつ、さぞいい気持ちで大空とのランデブーを楽しんでいるのだろう。しかし彼らの眼下には、彼らの撒き散らす騒音のために、大空との対話を諦めさせられている下界の住人がいることを、是非とも認識して欲しいと思う。

今こうしていても、またプロペラ機の重低音が私の鼓膜を刺激する。私はいつか、ベランダから身を乗り出し、上空の彼らに絶叫するような気がしている。
「この空は、一体誰のものなんだ!」と。
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2009年04月15日

枡形山に異形の一団を見た!

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関東地方は桜もすっかり散ってしまいましたが、今年の桜は先月下旬の「花冷え」のせいで、いつになく命が長かったようです。でも、江戸っ子の知人に言わせると、「桜なんてのはパッと咲いてパッと散るからいいんで、今年のこんなのは桜の冷凍保存だ」なんて悪口を言ってましたが。
さて、その冷凍桜がまさに満開だった今から10日前の4月5日(日)、世にも珍しいものを近所で見ました。こういうのは、言葉よりもはるかに雄弁な画像でお目にかけた方がいいでしょう。

「花狂ひ」というイベントです。

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赤い服の異形の一団は、向ヶ丘遊園の駅から生田緑地公園の噴水、岡本太郎美術館などを経て、花見客でにぎわう枡形山の頂上にたどり着き、桜の樹の下でまさに狂喜乱舞、一般人も巻き込んでの集団パフォーマンス。寺山の路上演劇ってのもこんな感じだったのでしょうか。

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この方たちは、吉本大輔氏という舞踏家とその一団で、この地区を本拠地に、遠くはオーストリア、ポーランドなどの海外でも公演活動を行っているとか。この催しを教えてくれたのは「凍える鏡」の絵画制作をやってくれた加瀬世市さんですが、彼はこの日用事が入ってしまったため、私は単身、生まれて初めてといっていい「舞踏」体験をしたというわけです。
正直、あまりアングラ臭がきついものは体質的にダメなのですが、これは意外や意外、大当たりでした。DVカメラを持つ手にも久々に力がこもり、知らず知らずにがぶり寄り、いやあ、燃えましたね。クセになりそう。何がいいって、言語を一切排除していること(約1名、例外もいましたが…)。最近、新聞での週一連載がスタートしてすっかり文筆家モードなので、ことさら言葉のない、純粋な身体表現に強く魅かれるのかも知れません。踊っている女性陣も妖しく美しく、いつまでも見ていたくなります。この一団は来週の25、26日に、今度は横浜の野毛大道芸に出演するということなので、そちらにも時間が合えば出かけてみようと思っています。

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それにしても、こういうパフォーマンスを生で見るのがほとんど初めてのせいか、いろいろと気になることが頭に浮かんできて、もう大変です。

1)何故、全員白ぬりなのか?
2)あの白ぬりに使われるのは普通の白粉(おしろい)なのか、それとも特殊なものなのか?
3)素足で踊ったり跳ねたりしているが、足の裏は大丈夫なのか?(路上でガラスや釘なんかを踏んでケガしたりしないのか?)
4)あの長時間のパフォーマンスは、綿密な構成に基づくものなのか、それとも一瞬のひらめきによるアドリブなのか?
5)コスチュームは自分で作っているのか? また、かなり汚れや損傷がひどいようだが、一回ごとに新調するのか?
6)路上でああいうことをやって、命にかかわるような危険な目に遭うことはないのか?
7)日常の生活は、いたって普通なのか?

まだまだ他にも聞きたいことがあるのですが、いきなり声をかける勇気がさすがに私にはなく、熱狂の余韻とともに、一人枡形山を後にしたのでした。

※画像はすべて、私が撮影した動画からキャプチャしたものです。また、これら画像の肖像権については、日本写真家協会の〈自由に出入りできる路上で、多くの人に無料で見せている大道芸は、撮影は自由。多くの場合、写ってしまった見物客も肖像権は主張できない〉とのガイドラインにしたがっております。
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2009年04月11日

怒りのワッペン!1枚1,700円也

東京都下水道局が、職員約三千人の作業服に付けるワッペンを約二万枚作製したが、デザインが都の内部規定に抵触するとして、新たに約三千四百万円をかけて作り直していたことが分かった。職員の考案で盛り込んだ水色の波線一本が、内規に反すると判断したという。
(「東京新聞」2009年4月10日夕刊)


ということなのだが、役人の頭の固さとか手際の悪さとかそういうこと以前に、何でワッペン2万枚作るのに3,400万円もかかるわけ? 単純に計算してみると1枚あたり1,700円。作業服に付けるワッペンですよ。

われわれインディペンデント系の映画製作者は、たとえばDVDのフライヤーとかジャケットとかを発注するのに、それこそ1円でも10円でも安い業者を探しているというのに、都民の税金を預かっている役所がこの有様。絶対、1枚100円程度で出来るはず。どういう業者の選び方をしているのか。猛省を促す!!!




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2009年04月01日

電線マンに捧ぐ(ウソ)

春になったことでもあるし、そろそろブログ再開って感じでしょうか。

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↑これは、おととしのコラムにもさんざん載せた、隣りの家の桜の写真。
家にいながらにしてお花見ができるのは大変結構だが、花を鑑賞するにはどうにも前後の電線が邪魔なのである。しかし、この電線がないと、うちの建物に電気が供給されなくなり、このPCも使えなくなってしまうわけなのだが…。

そもそも、どうして日本は電線を地下に埋設しないのだろう。以前、フランスとドイツを訪ねた時、街並が大変整然としているのに驚いたものだが、日本に帰ってきてから、ああ、これは電線と電柱の有無によるところが大きいのだ、と気づいた。こういうのは明治期以来の都市計画上の問題のようで、そう簡単には解決されないのかも知れないが、どうにかして欲しいものである。旅行先などでも、素晴らしい景観が電線で台無しになっていることが多く、写真を撮るのにも難儀する。まあ、仕方がないからそういう写真はネットなどにアップする際、フォトショップでささっと消したりするのだが。でもまあ、最初からないに越したことはないのだ。

東京は今回のオリンピック招致で、経済力や会場のコンパクトさなどを売りにしているようだが、国際標準という意味では、電線、電柱のないスマートな街づくりも本気で考えてもらいたいものである。

↓参考までに、これが電線を消去した写真(すっきり)

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2009年03月26日

評伝の連載開始

ブログ休止中なんですが、年度変わりにまたまたお知らせを。

来たる4月4日から、秋田魁新報の土曜日学芸欄で、「異端の劇作家 青江舜二郎 〜激動の二十世紀を生きる〜」という評伝の連載を始めることになりました。青江舜二郎というのは私の実父です。昨年の秋、青江の生まれ故郷である秋田への資料寄託が決まり、それがきっかけで今回の連載とあいなりました。

私自身は東京で生まれ川崎で育った人間なのですが、この半年の間に何度か秋田を訪れるうち、父の生まれたその土地に次第に不思議な郷愁を覚え始めています。それはやはり遺伝子レベルで体に刷り込まれた「何ものか」の仕業なんでしょうか。
いずれにしても、新聞連載というのは初めての体験で、しかも多岐に渡る仕事を残した実父のことを時系列に書いていくなんていうのも、どうにも自分の手に余る作業のように思われ、正直困惑しています。とはいえ、せっかくいただいた貴重な機会、先代を顕彰するひとつのきっかけになればと思っています。秋田近郊の方以外にはなかなかお読みいただけないかも知れませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

また、先日「青江舜二郎 電子資料室」というサイトを開設し、そこにもブログを作りました。当然〈青江ネタ〉限定なのですが、そっちはそこそこマメに更新しています。この間秋田に行った時、たまたまドラマの撮影で来日していたイ・ビョンホンに遭遇したネタなんかも書いていますので、ご興味のある方は、そちらものぞいていただけるとありがたいです。

青江舜二郎 電子資料室
青江舜二郎 電子資料室ブログ
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2009年03月14日

「凍える鏡」DVD 6月12日発売

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ブログ休止中なんですが、ひとつだけお知らせを。

「凍える鏡」のDVDが、6月12日(金)ついに発売になります。

公開時に観そびれたという方も、お近くで上映がなかったという方も、もちろん「もう一度観たい」という方も、是非この機会にご覧になっていただけると嬉しいです。

「凍える鏡」
(2008年劇場公開作品)

監督・脚本:大嶋拓
出演:田中圭 冨樫真 渡辺美佐子

本編100分+特典20分
映像特典:
1)メイキング
2)舞台挨拶(完成披露試写&東京公開初日)
3)劇場版予告編
カラー/片面1層/日本語(ステレオ)/MPEG-2
商品番号 JVDD‐1412
¥3,990(税込)
発売:「凍える鏡」製作事務所
販売:株式会社 ジェイ・ブイ・ディー
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2008年09月30日

さらばナショナル、さらばブログ

週末、3週間ぶりに訪ねた黒姫の山荘は秋真っ盛り、というか一足飛びに冬の気配で、早速煙突ストーブのお世話になる。そして、お湯もすぐに出て欲しいなと思い、約30年前の瞬間湯沸かし器を、新しいものと交換してもらった。壊れていたわけではないのだが、あまりにも年式が古く、一酸化炭素中毒の危険があるから交換しろと、前からガス会社に言われていたのだ。交換キャンペーンとかで、本体と工事費、そして古い製品の処分を全部合わせて1万円。かなりお値打ちだったと思う。それでもって、その年代物の湯沸かし器のロゴをよくよく見ると、何とNationalの文字が……。

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ナショナルが湯沸かし器を作っていたなんて知らなかったし、いろんな意味で骨董的価値があるようにも思ったが、手元に置いておくのもかさばるので、涙をのんで処分してもらうことにした。折しも、松下電器は今日でその看板を下ろし、長年親しまれた「National」のブランド名も、ついに過去のものとなる。湯沸かし器に限らず、冷蔵庫、洗濯機、掃除機、電子レンジ、懐中電灯……すべてのナショナル製品が、遠からず骨董的、歴史的な存在になろうとしているのだ。幼少期から家電といえばほとんどナショナル製品だった自分にとっては、またひとつ、ともに時代を生きてきた仲間がいなくなるようで一抹の淋しさを覚える。さらばNational

[付記]ナショナルが歴史の彼方に姿を消すのにあわせ、このブログも本日をもって無期限の休止状態に入ります。半年間お付き合いいただき、どうもありがとうございました。
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