2012年03月10日

ある再会

昨夜、「凍える鏡」の医事監修をしていただいた精神科医の熊谷一朗さんと久しぶりに新橋で会い、日付けが変わろうとする時間まで、しみじみと楽しく杯を重ねた。

熊谷さんとは10年を超す付き合いだが、お目にかかるのは一昨年の秋以来で、あの大震災以降初めてだ。本当は昨年の春にも東京で会う約束をしており、3月の10日にはメールと電話でやり取りもしている。当時、熊谷さんは福島県いわき市でクリニックの開業準備に追われていて、その時のメールには「ホームページを作りましたのでよかったら見てやって下さい」との一文があった。早速サイトにアクセスしてみると、クリニックは上棟を終え、順調に完成に近づいている様子が見て取れた。
「そうか。約20年にわたって東京や沖縄の病院で勤務医として経験を積んで来た彼が、ついに生まれ故郷で自らの医院を構え、それまでのノウハウを地域のために役立てる時を迎えたのだなあ」
と、同年代(四十代中盤)の友人としては感慨深いものがあったが、素直に祝福の言葉を述べるのが少々照れ臭くもあり、そのあとの電話では、
「サイトのプロフィール写真、思いっ切りカメラ目線ですよねえ」
などと茶化すようなことを言ってしまった。そしてクリニックはゴールデンウイーク明けに開業だと聞いたので、その前に東京に出て来た時、ぜひ一度飲みましょうと約束して電話を切ったのだった。

その翌日、東日本大震災発生。あの揺れがどうにか収まった後、テレビをつけて福島の惨状を知った私は、とっさに熊谷さんのことを思った。だが電話もつながらずメールの返信もなく、安否が確認できないままの数日が過ぎた。
どうやら無事であるという短いメールを受け取ったのが3月の16日。しかし、いわき全体が甚大な被害を受ける中、熊谷さんのクリニックの開業も大幅に延期されてしまう。当時のブログには、一見穏やかだが、瓦礫がいたるところに散らばった海の写真に「言葉は、ない」の一文が添えられ、喪失感が並のものでなかったことが伝わってくる。

それから季節がひと回りし、やっと昨日、念願の再会となった。テレビやネットなどで被災地の爪跡の深さは嫌というほど見せられてきたから、熊谷さんも変わり果てた故郷でかなり落ち込んでいるのではないかと想像していたのだが、予想はいい意味で裏切られた。彼はやつれるどころか、以前よりも元気そうだったのである。聞けば、昨年12月に開業したクリニックは、ほとんど宣伝もなく始めたというのに、連日患者さんがつめかけ、夜の9時過ぎまで診察が続いているという。あの震災で心を病む人は明らかに増えているのに、現地での医師の数が足りていないのだから、当然の結果といえるだろう。まして彼は、ドクターであるにも関わらず、臨床心理士なみに患者との面談を丁寧に行うので、診察時間はどんどん後ろに延びていくのだ。
「患者はありがたいでしょうけど、それじゃあ熊谷さん自身が参ってしまうんじゃないですか」
と私は不安を口にしたが、彼はそんな生活を続けることに躊躇がないようだった。「今はこの道を突き進む以外にない」と、はっきり言葉にしたわけではなかったが、彼の瞳はそう語っているように感じられた。

そんな同世代の医師の姿を見て、生物に備わっているであろう「たくましさ」というものを思った。有史以来、いくつもの天変地災に翻弄されながら、人類がいまだに種を絶やさず生き永らえているのも、そうした「たくましさ」の発露によるものではないのか――。

東日本大震災から、明日でちょうど1年になる。
posted by taku at 20:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする