2012年08月20日

かかし座創立60周年記念作品「宝島」

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週末の18日(土)、劇団かかし座の創立60周年記念作品「宝島」を観てきた。

かかし座は日本最初の影絵劇団で、創立者は鎌倉アカデミア演劇科一期生の後藤泰隆(とう たいりう)。現在はその長男である後藤圭氏が代表を務め、舞台活動のかたわら、放送や広告、ミュージックビデオなどでも独自の影絵を披露している(6、7月にNHK『みんなのうた』で放送していた「ゆらゆら」のビジュアルもかかし座の手影絵によるもの)。

鎌倉アカデミアは私の父・青江舜二郎が教鞭を執った「幻の大学」で、後藤泰隆はそこの学生だったから、言ってみれば、かかし座とは先代からの結びつきがある。しかも、今回の「宝島」には、同じく鎌倉アカデミア演劇科二期生の若林一郎氏(氏のことは以前何度かこのブログや青江舜二郎電子資料室ブログに書いた記憶があるので詳細は省く)も台本で参加しているとあって、興味津々で神奈川芸術劇場ホールに足を向けた。

さてその「宝島」だが、長い歴史の中で多彩な表現手段を模索してきた影絵劇団の、まさに集大成といってもいい公演だった。
影絵といえば、紙やセルロイドなどで作った人物の影をスクリーンに映し、その動きに合わせてセリフを言うのが一般的なスタイルだと思うが、この作品では、俳優が実際にコスチュームをつけて舞台に登場し、セリフをしゃべり、アクションもこなす。その合間に、作品の進行をスムーズにするため影絵が効果的に使われている感じで、もはや観客としては、完全にストレートプレイ(一般の演劇作品)を見ている感覚であった。

俳優がスクリーンの裏側から自分の影を映しながらセリフを言う場面もかなりあったが、あれは海賊たちの不気味さ、恐ろしさをうまく表現していたと思う一方で、せっかくコスチュームやメイクも施しているのだから、もっと俳優本人の姿が見たいなあ、と感じたりもした。まあ、ある程度「影」を見せなくては「影絵劇」にはならないのだろうが。
エンディングも豪華絢爛で、20名を数える出演者が全員でテーマ曲を合唱する光景は、ほぼ同時代に活動を始め、来年創立60周年を迎える劇団四季を彷彿させるものがあった。俳優たちは芸達者で身体訓練もきちんとなされているようだし、今後はストレートプレイも並行的にやっていけるのでは、などと勝手に想像をたくましくした。

とはいえ、スケールの大きい帆船の出帆シーンや、主人公のジム少年が船の碇綱を切るために手作りボートで海に漕ぎ出し、荒波に翻弄されるシーンなどは、リアリズムを超えた、影絵ならではのジュブナイル的表現で、それらがあってこその「宝島」だったことも事実だ。後藤圭代表も、かかし座の特色として「影絵であること、プロフェッショナルであること」を挙げている。かかし座はこれからもこうした、ストレートプレイ的な表現と、どこか幻想的な影絵表現をひとつに融合させた独特の舞台作品を世に送り出していくのだろう。

なお、かかし座の創立60周年記念作品はもうひとつある。「Hand Shadows ANIMARE」(東京公演:7月18〜21日《終了》、大阪公演:9月16・17日、名古屋公演:9月28・29日)だ。

これは、多彩な表現を駆使した「宝島」とは対照的に、道具をほとんど使わず、出演者4人の両手だけで数十種類の動物の姿を作り出し、ひとつのステージを成立させてしまうというもの。2009年からドイツ、オランダ、スペインなどヨーロッパのフェスティバルを巡演し、そのオリジナリティと高い技術が絶賛を浴びたという。満を持して、今回日本三大都市での記念ツアーとなったが、実は私はこの「Hand Shadows ANIMARE」の東京公演に、かなりディープに関わっている。「宝島」の主要キャストも、ほとんどがこの「ANIMARE」のメンバーだったため、大変思い入れ深く観劇したというのが本当のところである。どう関わったかについては、いつかオープンにする時もあるだろう。

まずはかかし座のみなさん、本当にお疲れ様でした。今後のご発展を、「影」ながらお祈りしています。
posted by taku at 13:23| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年08月15日

終戦の光景

 私は、一九四五年八月十五日、天皇の詔勅のラジオ放送を聞くために、撮影所へ呼び出されたが、その時歩いた道の情景を忘れることが出来ない。
 往時、祖師谷から砧の撮影所まで行く商店街の様子は、まさに一億玉砕を覚悟した、あわただしい気配で、日本刀を持ち出し、その鞘を払って、抜身の刃をじっと眺めている商家の主人もいた。
 詔勅が終戦の宣言である、と予想していた私は、この有様を見て、日本はどうなる事かと思った。
 しかし、撮影所で終戦の詔勅を聞いて、家へ帰るその道は、まるで空気が一変し、商店街の人々は祭りの前日のように、浮々とした表情で立ち働いていた。
 これは日本人の性格の柔軟性なのか、それとも虚弱性なのか。
 私は、少くとも、日本人の性格には、この両面がある、と考えざるを得なかった。
 この両面は、私自身の中にもある。
 もし、終戦の詔勅が無く、いや、あれが一億玉砕を呼びかけるものであったら、あの祖師谷の道の人達は、それに従って死んだだろう。
 そして、おそらく、私もそうしたであろう。
 私達日本人は、自我を悪徳として、自我を捨てる事を良識として教えられ、その教えに慣れて、それを疑う事すらしなかった。
 私は、その自我を確立しない限り、自由主義も民主主義も無い、と思った。


以上は、黒澤明の自伝『蝦蟇の油』(1990年・岩波書店同時代ライブラリー12)からの引用である(268〜269ページ)。
 これ以上鮮烈に終戦の光景と、日本人の致命的な欠陥(あるいは比類なき美徳)を書き記した文章を私は知らない。黒澤は不世出の映画作家であると同時に、大変優れた洞察者であったと、『蝦蟇の油』を読み返す度にしみじみ思う。

今日は67回目の終戦記念日である。大変な年月が過ぎ去ったわけだが、黒澤が引用文の最後で力説した「自我の確立」を、日本人は成し遂げたといえるだろうか。残念ながら、その意識は終戦当日の祖師谷の人たちと、何ら変わっていないと言わざるを得ない。

先日閉会したオリンピックで日本は大量のメダルを獲得した。それはもちろん喜ぶべきことに違いないが、連日の祝賀報道の影に隠れるようにして、消費税増税法案が成立してしまったのはまさに国民にとって由々しき事態と言わねばならない。不況が続くこの国で、それまで長く5パーセントだった税率が数年のうちに倍にまで引き上げられる。まさに正気の沙汰ではない。民主主義とは到底思えぬこんな愚挙に対して、どうして国民は怒りの声をあげないのか。

日本人は昨年の大震災でも、「極限状況にあって暴動も起きず、実に紳士的」と世界から絶賛されたとのことだが、それはまさに黒澤の言う日本人の「虚弱性」の現われであって、ほめられるべきものとばかりは言えないのではないか。歴史を振り返っても、日本ではフランス革命やロシア革命のような民衆蜂起による政権転覆は一度も起きていない。江戸時代の後期には農民一揆も多発したようだが、あれとて江戸幕府を倒すには至らず、明治維新は外圧によってもたらされたものであった。

とすれば、今後も日本が日本であり続ける限り、市民レベルからの大改革は、おそらく期待できないということになるのだろう(大規模な民族の混血でも起きて国民的体質が変われば別かも知れないが)。
67年前の今日、黒澤が商店街を歩きながら痛感した日本人の柔軟性と虚弱性、そして自我の欠如。これらは現在も、そして未来にわたっても、われわれ国民の精神深部に刺さった棘として、時おり鈍い痛みを呼び起こすのだろう。
posted by taku at 11:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする