2013年04月28日

映画『影たちの祭り』

ついに告知する時がやって来ました。これまで何度か書いてきた、劇団かかし座のドキュメンタリー映画。正式なタイトルは『影たちの祭り』です。「Hand Shadows ANIMARE」というパフォーマンスを扱ったものなので、サブタイトル的な表記として「Backstage of “Hand Shadows ANIMARE”」の文言が付いています。

公開は7月13日(土)から新宿K's Cinemaにて。その何週か後には大阪のシネ・ヌーヴォでも上映される予定です。チラシとチケット、公式サイトも出来上がって、いよいよ公開が近づいてきたのを実感します。

しかし、そういったものは、当然のことながら勝手に出来上がってくれるわけではありません。先週からつい先ほどまで、チラシとチケットのデザインチェック、入稿、納品、公式サイトの作成、修正、アップロード…と、まさに息つく間もない1週間でした。世間は大型連休に突入したそうですが、今の私にはまったく別世界のお話のようです。

でも、今回のメインビジュアル、かなり気に入っております。影絵にまつわる作品だけあって、黒が占める割合がかなり多いのですが、実は、これまでの私の劇場公開作のビジュアルは、『カナカナ』も『火星のわが家』も『凍える鏡』もすべてが白ベースで(内容が淡白だからでしょうか)、そういう世界観はそろそろ食傷気味だったのです。ですから、今回出来上がってきたラフデザインを見た瞬間、「よし!」と心の中で思わずガッツポーズを取ってしまいました。

デザインを担当してくれたのは、前作『凍える鏡』の時にもお世話になった秋山京子さん。素材に多少難があったとしても、間違いなく安定感のあるビジュアルに仕上げてくれるベテランのデザイナーさんですが、決してそれだけではなく、遊び心も失わず、そして作品ごとに発想を切り替え、時にはっとするような斬新な提案をされる方です。
今回もしかり。一般に認知されているかかし座の手影絵のイメージといえば、ます思い浮かぶのがキツネ、フクロウ、ニワトリなどの動物たちで、当然これまでの「Hand Shadows ANIMARE」関連のチラシなども、そういった動物がビジュアルの主役でした。ところが『影たちの祭り』では何と、動物が出てこない「Syrinx」がメイン。この映画のサンプルDVDを観た秋山さんが一番目を奪われたのが、コンテンポラリーダンスを思わせる「Syrinx」だったからのようです。そして私にとっても、この「Syrinx」が、最も前のめりでカメラを回した演目でした。そうした思いが交錯して、出来上がったチラシがこちら(最終的にはバランスを考えて動物たちも配置しましたが)。

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キャッチコピーは「そこに光と手があれば やがて生命が動き出す」。
その言葉どおり、手影絵は光と手だけで誰でも簡単に楽しむことが出来ますが、その反面、光が消えてしまったり、手をほどいたりすれば、いとも簡単に消え失せてしまう、大変「はかない」ものです。そしてまた、映画のタイトルになっている「祭り」も、大勢の人が分けへだてなく楽しむものであると同時に、終わってしまうと、一抹の寂しさ、はかなさが漂うという点で、手影絵に通じるものがあるように思われます。今回のビジュアルには、そうした「はかなさ」も織り込まれているように感じるのですが、いかがでしょうか。

暗闇の中で命を宿した影たちが歌い、踊り、飛び跳ね、愛をささやく、ひとときの饗宴。それはまた、映画の「原型」と言えるかも知れません。原初的であるが故にどこまでも奥深い手影絵の魅力を、この作品を通して味わっていただければ幸いです。

映画『影たちの祭り』公式サイト
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2013年04月06日

生誕50年

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今日、50歳の誕生日を迎えました。

いつの間にか半世紀も生きてしまったわけです。

こういう区切りの年には、どういうわけかそれまでを振り返るのが人間の習性のようなものなので、私も10年刻みで、これまでの半生を超ダイジェストで回顧してみたいと思います。

1963年(昭和38年) 0歳
生まれた年です。当然その時の記憶はありませんが、父・青江舜二郎の当時の日記によれば、
「朝十時すぎ 病院にゆき こども見る。女房元気。こどもはさみしそうにたよりなく ややろうたけてねむっていた。かげがうすい」
とのこと。「ろうたけて」とは見慣れない言葉ですが、「美しくて気品がある」というような意味だそうです(主に女性に対して用いる)。それはまあいいとして、わが子を見ての最初の印象が「さみしそう」「かげがうすい」とは…。まあ、えてして第一印象というのは当たっているもので、それからも腺病質で神経質な、多分に憂いをはらんだひとりっ子として育っていきました。

1973年(昭和48年) 10歳
小学校4年生。その前々年あたりから「仮面ライダー」などの特撮テレビドラマの影響で映像制作に興味が募っていましたが、ついに父にねだって、8ミリフィルムカメラ「フジカシングル8 P100」を買ってもらったのがこの年7月。自分の映画作家としての歴史はここから始まりました。オイルショックの起きた年でもあり、現場予算縮小のあおりもあって、特撮ドラマそのものはこの年以降、急速に衰退していくのですが。

1983年(昭和58年) 20歳
浪人2年目。身を入れて受験勉強をしていなかったためか、本命も第二、第三志望もことごとく不合格となり、さらに1年の忍従を強いられることに。この季節は暗澹たる気持ちで桜をながめていました。さらに同じ4月の末に父が逝去。浪人生なのに喪主を務め、名前が新聞に載ったりして、何とも穏やかではありません。父を失い、自分の進路も定まらず。まさにカオスの1年でした。

1993年(平成5年) 30歳
初めての劇場用映画「カナカナ」を撮影したのがこの年。20代でシナリオライターでデビューしたり、PFFに入選したりといろいろありましたが、更なる飛躍を願って、何の後ろ盾もないままフィルム(16ミリ)で100分を超す長編を作りました。多分「三十にして立つ」という孔子の言葉が頭のどこかにあったのでしょう。でも現場でのことは、20年経った今でも思い出すのが苦痛です。あまり無理はするものじゃありません。ただ、この時に出会ったカメラマンとは、2008年の「凍える鏡」でもタッグを組み、現在も交遊が続いています。

2003年(平成15年) 40歳
「カナカナ」の次に「火星のわが家」を撮り、それからVシネマ的なものを5〜6本撮っているうちに40歳になりました。その10年の間に、世間では大変な勢いでインターネットやメールが普及していき、この年、ついに本格的にパソコンをやり始めました。知り合いに組み立ててもらった自作PCにwindowsXPをインストールし、ADSL回線をつないで、自分の公式サイトを「ホームページビルダー」で制作。試験的に動画の配信もやってみました。元来個人作業を好む私はかなりPCとは相性がよかったようで、以来、PC三昧の10年が過ぎることになります(でも、いまだにツイッターもフェイスブックもやってないのですが)。

2013年(平成25年) 50歳
そして現在。PC三昧の10年がたたったのか、先月の末にひどい「ぎっくり腰」をやってしまいました。経過は思わしくなく、いくつかの診療施設を回り、現在も治療中です。すぐに椅子から立てなかったり、足を引いて歩いたり、そんな自分の挙動には嫌でも「老い」の二文字が重なり、正直ゾッとします。これから先はさらに体が衰える一方かと思うと、お釈迦様が「この世の一切は苦である」と絶望して出家したのも無理からぬことに思えます。

とはいえ、腐ってばかりいるわけではありません。今年の7月には、昨年から制作してきた、自分にとって初めてのドキュメンタリー映画が公開されます(詳細はもう少しお待ち下さい)。
こうして振り返ってみると、自分にとって「大台に乗る」年は、単に数字の上だけでなく、実際の出来事を見ても、文字通り大きなターニングポイントになっているように思えます。

さて、次の「大台」にはどんな分かれ道に遭遇するのか。そしてそれまでの10年の間に、自分は、どれほどの事を為しているのか…。
posted by taku at 12:02| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする