2014年07月29日

以倉いずみさんを偲ぶ

※2016年7月29日に追加記事を書きました ≫ 夏のはじめに

いくらあなたに逢いたいと
暮れゆく空に祈っても
落日はただ消え去りて
命の定め思い知る
ずっと昔のあの春の
短き旅も幻か

漢字混じりだとわかりにくいかも知れません。ひらがなで書くと下のようになり、各行の最初の文字を「縦読み」すると、ある人の名前が浮かび上がります。

いくらあなたにあいたいと
くれゆくそらにいのっても
らくじつはただきえさりて
いのちのさだめおもいしる
ずっとむかしのあのはるの
みじかきたびもまぼろしか

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以倉いずみさんは1974年7月29日に生を受け、それからわずか35年後の2009年8月27日に、あっけなくこの世を去っていきました。
今年、2014年は、彼女が誕生してちょうど40年、亡くなってから5年に当たります。

以倉いずみさんと私との関わりについては、亡くなってまだ日も浅いころ、当時のブログにある程度詳しく書きましたので、ここでは繰り返しません。あれから5年、あっという間のようにも思うし、同時にかなり長い時間が過ぎた気もします。

人間というのは、遅かれ早かれ必ず最期の時は来るわけで、そんな当たり前の事実に、いちいち過剰反応していても仕方がないのですが、やはり、自分より年長ならいざしらず、ひと回り以上も若い人がさっさといなくなってしまうのは、いささかキツイものがあります。ましてや以倉さんは女優さんで、非常に華のある存在でもあったため、まさに「佳人薄命」という言葉がふさわしく、それ故、今でもその死をクールに受け止めることができません。

そして、そんな風に感じているのは私だけではないようで、このブログにも、「以倉いずみ」の名前で検索してアクセスしてくる人が、最近でも少なからずいらっしゃいます。彼女を慕っていた人、今も懐かしく思い出す人の数は、私が思っているよりずっと多いのでしょう。

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私の手元には、2003年から2005年ごろの以倉さんの写真と映像が、今もしっかりと残っています。もはやこの世で彼女と再会することは叶いませんが、写真の中の彼女は10年前の姿のままで微笑んでいますし、映像を再生すれば、あの日の彼女がいきいきと動き、語りかけてきます。

2014年夏。以倉いずみさんの生誕40年を祝い、そして没後5年に哀悼の意を込め、彼女のありし日の姿を今一度振り返ってみたいと思います。その御霊(みたま)が、とこしえに安からんことを祈りつつ…。


【写 真】
URLをクリックすると別ウインドウでアルバムが開きます。
右上にあるボタンをクリックすると、フルスクリーン(全画面)でご覧になれます。


早春の鎌倉にて(1)
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http://www.takurama.net/ikura2003_01/index.html

早春の鎌倉にて(2)
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http://www.takurama.net/ikura2003_02/index.html

2003年3月29日、ホームページのギャラリー掲載のために撮影したものです。鶴岡八幡宮を皮切りに、来迎寺、明月院、浄智寺、七里ヶ浜と1日かけて回りました。以倉さんの東洋的な顔立ちは古都の風景と実によくなじみ、時として、まるで菩薩が降臨したかのような「この世ならぬ」表情を見せてくれました。上の詩に書いた「あの春の短き旅」とはこの日のことを指しています。10年以上前のネガからスキャンしたため、発色が今ひとつなものもありますがご了承下さい。


営子覚醒(「実験室」より)
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http://www.takurama.net/ikura2005/index.html

2005年2月14日、DVD「実験室」のジャケット、およびパブリシティ用に撮影したものです。「実験室」の映像は下のyoutubeで作品の一部をご覧いただけます。以倉さんはこの作品で、流行作家との道ならぬ恋に溺れる人妻を演じており、劇中の着物をまとってのフォトセッションとなりました。撮影場所は登録有形文化財にも指定されている荻窪の旅館西郊と、新宿ゴールデン街のとある店の2階の小部屋です。


【映 像】

ドラマ・リーディング「崖」リハーサル風景

https://www.youtube.com/watch?v=8y1BxRnxEl8

青江舜二郎生誕百年イベントで上演した朗読劇のリハーサルの模様。朗読といいつつ、前半は普通にお芝居をしています。


DVDドラマ「実験室」本編映像(中盤の展開)

https://www.youtube.com/watch?v=wWZBeqACk6o

本編はトータル75分ですが、その中から、一番登場人物たちが熱く語っている15分をピックアップ。以倉さんの長ゼリフも堪能できます。


DVDドラマ「実験室」アフタートーク

https://www.youtube.com/watch?v=5OTBcxpwY6Q

青江舜二郎生誕百年イベントでのトークの模様。上記の「実験室」をダイジェストで上映したあと、メインキャスト3人が登壇しました。


私はかれこれ40年にわたって写真と映像に関わってきました。常に「現在」進行形である演劇や舞踊、音楽の生演奏などと違い、写真も映像も、撮影した瞬間から容赦なく「過去」のものとなります。そういう、「止まった時間」とだらだら関わることに何かしら陰鬱なものを感じ、一瞬で弾けて消える「ライブ」の潔さに魅かれた時期もありました。しかし今回、以倉さんの写真と映像を整理していて気づいたのは、それらは「過去」であり「止まった時間」の中を生き続けるがゆえに「永遠」であるということです。本人がこの世にいなければ、その人が出る芝居は当然上演できませんが、映像ならば時を選ばず「再生」することができるのです(映像のプレイバックを「再生=再び生きる」と約した日本語のセンスは秀逸だと思います)。こうして以倉さんは、写真と映像の秘めたる力を、私に強く再認識させてくれたのでした。
posted by taku at 11:26| 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月25日

根が好きゃん

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ではなく、「ネガスキャン」のお話。

梅雨明けしてからというもの、常軌を逸した暑さが続いており、とても外に出る気になれない。気になる実家の押入れ整理も棚上げし、ここ数日はエアコンの効いた部屋で、こつこつ古いネガをスキャンする日々。

しかしネガというのは、すぐに細かいほこりが付着してしまうので、かなりしつこくブロワーで吹き払わなくてはならない。1ミリに満たないほこりでも、拡大された画像ではかなりの存在感を発揮し、顔の部分などにそれがついていた場合は再スキャンになってしまう。昔、写真のDPEショップでバイトをしていた時も、日々ほこりとの戦いだった。

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こうやって6コマ単位で画像を読み込む

まあ、このごろは、よっぽどたちの悪いほこりでない限り、ほとんど画像修正ソフトで後から消せるので、楽になったものだと思う。楽になったと言えば、そもそも最近はネガで写真を撮ることも滅多になくなった。カメラはデジカメ、撮った写真のデータはそのままカメラからPCに移して、ささっと処理をすればそれで終わりだ。だからネガスキャンなどという地味な作業自体、これからの人には意味不明なものになっていくのかも知れない。でも、やはりフィルムでなければ出せない質感というのはあると思うんですけどね…。
posted by taku at 19:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月17日

宮林昭彦法主ご逝去

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第8回「鎌倉アカデミアを伝える会」で挨拶する宮林昭彦法主(2014年5月17日)
浄土宗大本山光明寺法主の宮林昭彦さん死去

宮林昭彦さん(みやばやし・しょうげん=浄土宗大本山光明寺法主、元全日本仏教会副会長)が10日、敗血症で死去、82歳。通夜は17日午後6時、密葬は18日午前11時から神奈川県鎌倉市材木座6の17の19の光明寺で。喪主は光明寺執事長の平野仁司(じんし)さん。

2014年7月10日18時41分 朝日新聞デジタル


昨日、鎌倉市中央図書館を訪ねた折、同館の平田恵美さんから訃報を知らされました。

宮林昭彦法主といえば、毎年光明寺で行われる「鎌倉アカデミアを伝える会」で、冒頭のご挨拶をされるのが恒例となっており、今年の5月17日にも、その温顔と軽妙な語り口で、来場者の心をほぐしていらしたのを私はその場で聴いています。まさかそれからわずか2ヵ月で、不帰の客となってしまわれるとは…。浄土宗の教えでは極楽往生こそ本懐と聞きますが、それにしても法主の「散り際の潔さ」には少なからず驚いています。

とは言え、5/21のブログで私は、
「…ご自身の健康がすぐれないということも織り交ぜて話されましたが、これまでになく、法主個人の心情が表に出ていらしたように感じられました」
と書き、これまでは大本山の「法主」として、その枠の中にきちんと納まるご挨拶をしてきた方が、わずかながら「個人」の体調や心模様まで披瀝したのは、何かの予兆かも知れない、と感じたりしたのでした。

以下に記すのは、記録として撮影したビデオから起こしたご挨拶の最後の部分です。

「…命は大事ですね。私も今医者通いして、毎週輸血をしているんですが、明日の命はわかりません。しかし、カラ元気で…。医者は『うまいものを食べて、好きなことをして、疲れたら寝なさい』と言うんですが、これはだいたいもう先が短い人に言うんですよ(客席爆笑)。私はまだ、使命感を持って、もう少しがんばらなきゃいかんな…と」
それに対して「伝える会」事務局の小泉親昴氏は、
「また来年も、ここでお話しをいただけるように、がんばっていただきたいと思います」
と激励し、法主も笑顔で、
「みなさんの方で約束してもらえれば…」
と応じています。これは多分、「来年もみなさんが『伝える会』をやりますよ、と確約してくれるなら、その日は自分もスケジュールを空けておきましょう」という意味合いだったと思われます。しかし、それは叶わぬことになってしまいました。

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にこやかに1年後の再会を約したが…

宮林法主が先代・戸松啓真台下の跡を継いで光明寺に入られたのが2001年。つまり2006年の鎌倉アカデミア「創立60周年記念祭」も、その翌年からの「伝える会」も、すべて宮林法主の時代のことです。したがって、2006年から光明寺にうかがうようになった私にとっては、光明寺の法主といえば、宮林昭彦さんをおいていないのです。残念ながら個人的にお話しをしたことはほとんどなく、会場でご挨拶を交わす程度だったのですが。

光明寺は鎌倉時代創建の古刹で、江戸時代には徳川家康が定めた浄土宗学問所の筆頭として、全国各地から学僧たちが集う教育と修行の中心寺院でした。そんな由緒ある大本山に、終戦直後、新たな時代の「学びの場」として、鎌倉アカデミア(当初は鎌倉大学校)が産声をあげたのです。こうした思いがけない歴史の巡り合わせを、宮林法主がとても興味深くとらえ、少なからぬ矜持も抱いていらしたことは、われわれ「伝える会」の関係者を、いつも大変好意的に迎えて下さるその態度からはっきり感じていました。

最後になった5月17日のご挨拶でも「伝統を後の世に伝えていくことの大切さ」を説かれ、予想を超えた多くの人の来場に、「これだけの方が関心を持って下さっているのなら」と安堵の表情を浮かべておいででした。来年、あの温顔に接することがもはやできないかと思うと、いささかの落涙を禁じ得ません。もっとも、そんな辛気臭いことを言っているのは俗世の人間だけで、法主ご本人の魂は、今こそ一切のしがらみから解放され、極楽浄土を満喫されている時分なのでしょう。
posted by taku at 19:36| 鎌倉アカデミア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月12日

断捨離と言いますが

実家の全面改築のため、押入れの整理を進めていることはすでに書いたとおりですが、その合間を縫って、先日ある旧知の方のお宅にうかがってきました。そこは、今から7年前にご主人が亡くなっており、残った奥様とお嬢様は、そろそろ家を手放すことを考えているそうで、時間を見つけてご主人の遺品を整理しているとのこと。

「いずこも同じ秋の夕暮れ…」ではありませんが、古い物の整理や処分には、どこのお宅も頭を悩ませているようです。
「何かご入用のものがあれば、どうぞご遠慮なく…」
と奥様がおっしゃってくれたので、年代物のニコンの一眼レフや、バードウォッチングに使ったという双眼鏡などをいただくことにしました。80歳を過ぎた奥様も、私より少し年長のお嬢様も、多趣味だったご主人の膨大な遺品の片付けにはほとほと手を焼いているようで、
「とにかく少しでも、荷物が減ってくれれば」
という気持ちがひしひしと伝わってきました。

こういうケースが増えてきたせいなのか、しばらく前から「断捨離」という言葉が世間に横行しています。
「どうせあの世までは持っていけないのだから、一年以上使わないものはとにかく捨てて、身も心もすっきりさせましょう」
という考え方のようですが、一見合理的に思えるものの、私個人としてはあまり賛成できません。
捨ててしまったものは、もう二度と手に入らないのです。先日来、押入れの中から出てきた珍しい品々をこのブログで紹介していますが、そういうことができるのも、ひとえに、それらを捨てずにいたからです。なお、このように比較的ものを捨てない性質の私ですが、悩み多き中学高校時代には、過去のしがらみを断ち切ろうと、割と大胆に「在庫処分」をした経験があり、その時のことに関してはいまだに、
「ああ、どうしてあんな風に乱暴にものを捨ててしまったんだろう。あの時の自分はなんて愚かだったのだろう」
と、激しい自責の念にかられます。

上記のお宅については、次に住む所がマンションで、今よりもかなり狭いスペースになってしまうため、物を減らすことが急務、とのことでした。そして、日本における「断捨離」の流行は、総じてこのような「家が狭い」=「収納場所がない」という事実に裏打ちされていると感じるのですが、それでも、「今ここにあるもの」は、なるべくそのまま、次の世代にまで引き渡した方がいいように思います。現在はガラクタでも、百年後には文化的に高い価値を持つことだってあるのですから。かの安藤昌益の『自然真営道』にしても、死後百年以上経ってやっと、狩野亨吉博士の手によって見出されています。そんな文化史上の発見の例は、それこそ山のようにあることでしょう。それらはすべて「捨てられていなかった」という、ただそれだけの理由で世に出たわけです。

数年前、亡父・青江舜二郎の遺品を秋田県立図書館の分館に寄託する手続きをした際、当時の担当者で現副館長のY氏は、
「場所があるなら、何でも残しておけばいいんですよ。とにかく残しておいて、価値は、後の世の人が決めればいいんです」
とおっしゃっていました。まったく同感で、それは今の私の作業の基本姿勢にもなっています。
すなわち、「どれを捨ててどれを残すか、というジャッジメントはしない。濡れたり、カビたり、腐っているもの以外は現状のまま保存。押入れに入っていたものを段ボール箱に移すだけ。ただ、あとあと探しやすいように、なるべくジャンルごとに分類して、どの箱に何が入っているかきちんと記録した上で封をする」。以上です。

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押入れで一見「ガラクタ」のように眠っていた亡父の遺品も立派な展示品に
(2009年秋、秋田県立図書館分館〈あきた文学資料館〉にて)


まあ、こういうのも、わが家が今ある場所で改築を行うという、比較的恵まれた条件だからこそできることなのかも知れません。しかしながら、「自己の所有物」なのだから捨てるのも個人の自由だ、というパーソナルな視点から、「自己の所有物」もいずれは「ある時代を雄弁に物語る公共の文化財」になり得る、というソーシャルな視点に移行することが、これからは重要になってくるように感じます。
posted by taku at 20:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月11日

ゲームとルパンと特製ネクタイ

前回は、押入れに眠っていた物たちの中から、特撮関係に絞り込んでご紹介しましたが、今回は、それ以外のジャンルのガラクタ、もしくはお宝をお目にかけることにいたしましょう。

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「ゲゲゲの鬼太郎」のプレイパズル(エポック社)
ジグソーパズルの簡略版みたいなものです。わが家では「絵パズル」をもじって「絵ばっちょる」などと呼び、夕食後のお楽しみのひとつでした。

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同じく「ファイトだ!!ピュー太」のプレイパズル(エポック社)
私は当時「鬼太郎」以上にこの「ピュー太」にハマッてまして、DVD-BOXが出ているというのを最近知り、今年になってついにヤフオクでゲットしました(現在17話まで視聴済みですが、やっぱり面白い!)。

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裏面はこんな感じ。悪役ワルサーのご先祖さまが大好きで、よくこうやって書いていたものです。

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ほんものそっくり!!スマートボール(バンダイ)
小学校低学年のころ、パチンコとかコリントゲームとか、やたらそういった玉入れゲームに凝り、このたぐいのおもちゃをいくつか持っていました。今でも動くかどうかは不明。

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箱の正面イラスト。ガキどものドヤ顔がたまりません。

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箱の側面。正面とは異なり、こちらのガキは何やらサイケなタッチ。

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トリップル(エポック社)とニューレーダー作戦ゲーム(タカラ)
トリップルはオセロの進化版のようで難易度が高く、ほとんどやりませんでした。レーダー作戦ゲームの方は結構盛り上がった記憶あり。

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こどものせかい(至光社)
通園していたカリタス幼稚園で定期購読していたもの。いわさきちひろの「あかちゃんのくるひ」と「あめのひのおるすばん」。

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怪盗ルパンシリーズ(ポプラ社ほか)
小学校4〜5年にかけて激しくハマッたルパンシリーズ。コンプリートとはいきませんでしたが、ピーク時は1日1冊のハイペースでシリーズの半分以上を読破しました。なぜかホームズにはそれほど熱くならず。

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小学校時代の教科書(光村図書出版ほか)
中学、高校、大学のものもほとんど残っています。こういうのは、皆さん処分してるんでしょうか?

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特製雉(きじ)ネクタイ(北海道上士幌町振興公社)
中学1年の夏、黒姫の山荘近くのロッヂのお土産売り場で発見してひと目惚れ。夏休みの間、毎日井戸の水汲みをすることを条件に3,000円(だったか?)を親から前借りしてゲットした思い出の逸品。しかしあまり着用の機会はありませんでした。この商品、ネットで検索しても数件しかヒットせず、しかも「気持ち悪い」「リサイクルショップでも引き取りを拒否された」など評判はさんざんのようです。

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とても丁寧に作られていると思うのですが…

いかがでしたでしょうか。
押入れの整理は、当分終わる気配がありませんので、また何か面白いものが出てきたら、適宜ご紹介していきたいと思います。
posted by taku at 21:03| レトロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月09日

解かれた封印

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来月から年末にかけ、実家の全面改築を行うことになりました。2階は表具や畳の取替えと屋根の葺き替えだけですが、1階は少し増築して間取りもすべて変えることになり、そうなると当然、押入れの中の物なんかも全部一回外に出さなくてはなりません。ずいぶん面倒なことになったと思いつつ、数日前から実家に日参して、荷物を段ボール箱に移す作業を進めています。

ちなみに私の実家は、1967年(私が4歳の時)に亡父が購入したもので、今年で築47年。私自身は20代の後半に一応独立し、東京・神奈川近郊を転々として今に至りますが、幼少期から20代なかばまでの「所有物」はほぼすべて、実家1階の閉め切った押入れの中で、何十年という永い眠りについていました。

それが今回の改築のため、封印はもろくも解かれ、眠りを脅かされた「彼ら」は、うず高く積み重なった埃を巻き上げつつ、次々にその姿を現したのです。

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この押入れから、出るわ出るわ…

ウルトラマンの「ミイラの叫び」や「悪魔はふたたび」では、大昔の遺物を現代の人間が掘り返してその眠りを覚ました(封印を解いた)結果、「ミイラの叫び」ではドドンゴが、「悪魔はふたたび」ではアボラスとバニラが現れて町はパニックになります。これらの作品は「昔からのものはそのままそっとしておいた方がいい」という教訓話のようにも受け取れるのですが、私も、そっとしておいた方がよかった昔のものをほじくり返した結果、眠っていた特撮魂が蘇ってしまい、ここ数日、どうにも落ち着かない、もっというなら「物狂おしい」精神状態に陥っています。

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ちなみにテレビでは「3億5000年前」です

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2点とも現代コミクス「ウルトラマン」第11話より。漫画は井上英沖

とはいえ、その方面のマニアにとっては、それなりに貴重なものもあると思うので、この場を借りて、数十年ぶりに白日の元にさらされた「お宝」をご紹介していきたいと思います。

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現代コミクス ウルトラマン(1966〜67)
先ほど引用した、現代芸術社発行の月刊誌。ウルトラマンの漫画2本に読み物、ふろくなど。漫画執筆陣は井上英沖、岸本修、加来あきら。このほかにも数冊あるが、保存状態はあまりよくない。

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マルサン スパイダーガン(1967)
アラシ隊員の愛機・スパイダーショットの形をしているが、中にはシャンプーのスプレー缶が入っていて、引き金を引くとシャンプーが出る。幼稚園入園くらいまで、これで頭を洗っていた(と思う)。

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キネマ旬報 世界怪物怪獣大全集(1967)
「ルポルタージュ円谷プロ」には金城哲夫、成田亨ら、「若い」スタッフたちの貴重なスナップが。座談会「怪獣映画は僕らが作る」も資料的価値高し。

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講談社のテレビ絵本 ウルトラセブン かいじゅうずかんのまき(1967)
ネットで調べてびっくり! あまり現存していない絵本らしく、思わぬ高値がついていた。スペル星人のカラー全身写真が載っているのも人気の秘密か。

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怪獣ウルトラ図鑑(1968)
秋田書店刊。2012年に復刻されて話題になった、かつての大ベストセラー。私の手元にあったのは1970年5月の第19版で、スペル星人からガッツ星人に記事が差し替えられる前のもの。

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ウルトラ怪獣大百科(1969)
誤植の多さで定評(?)のあるエルムの図鑑。1969年発行にもかかわらず、収載されているウルトラセブンの怪獣宇宙人は初期のみ。しかしながら「ダーク・ゾーン」のノベライズはシナリオを元にした細密な描写で読みごたえあり。

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仮面ライダー図鑑 たのしい幼稚園新案カード(1971)
ヒトデンジャーがヒトデライラ、カニバブラーがカニバブルなど、企画段階のネーミングで掲載されているものも。またヒドラーゲン、マクロファンデス、タコおとこ、ワニおとこなど、本編には登場しなかったオリジナル怪人が多数収載されているのが興味深い。

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仮面ライダーカード(1972〜73)
おなじみ、カルビーの仮面ライダースナックのおまけ。従兄弟からダブりのカードをもらったもので、レア度はさほど高くない。全35枚。

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帰ってきたウルトラマン ウルトラ大怪獣カレンダー(1972)
スーツアクター・きくち英一氏のサイン入り。月替わり全13枚。表紙しか残っていないのが惜しまれる。
※きくち英一氏演じる「帰ってきたウルトラマン」の撮影スタジオを訪問した時の様子はこちら

というわけで、いろいろご披露してきましたが、押入れの整理は現在も継続中なので、また珍しいものが出てきたら、随時、紹介していきたいと思います。
posted by taku at 21:01| 特撮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月06日

『影たちの祭り』+Plus(プラス)

今月の29日(火)〜31日(木)、座・高円寺2にて、劇団かかし座による<KAKASHIZA SPECIAL SUMMER 2014>が開催されます。同劇団の人気作品「魔法つかいのおとぎばなし」、手影絵パフォーマンス「Hand Shadows ANIMARE +Plus(プラス)」の上演に加え、最終日には映画『影たちの祭り』の上映も行われますので、皆様どうぞご来場下さい。

このスペシャルイベントでは、すでにおなじみの「Hand Shadows ANIMARE」ではなく、新作や新演出をふんだんに盛り込んだ「Hand Shadows ANIMARE +Plus(プラス)」がお目見えするとのことなので、映画の方もこれまでの『影たちの祭り』 に+Plus(プラス)して、完全未公開のバックステージ映像(17分)をこの日限定で上映することにしました。

それは何かと言いますと、去る4月13日、「第20回日本フルートフェスティヴァルin横浜」で披露され好評を博した、「Hand Shadows ANIMARE」の手影絵と8名から成るフルートオーケストラとのコラボレーションのリハーサル映像です(演目は「みにくいアヒルの子」と「Syrinx」)。
この意外な組み合わせは、音楽大学時代にフルートを専攻していた後藤圭かかし座代表が、受験生時代からの友人である石井孝治氏の提案を受けて実現したそうで、「ANIMARE」が生演奏と競演するのは初の試みとのこと。
「これは記録しておかねば!」と私こと大嶋がその稽古の全てに立ち会ってカメラを回し、かなりの時間を費やして編集しました。

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左から後藤圭かかし座代表、指揮を務める石川洋光氏、1stフルートの植村泰一氏

今月の1日に関係者試写を終え、あとは上映用のディスクに焼くばかり。手前味噌かも知れませんが、滅多に観られない、相当にレアな映像だと思います(私自身、フルートオーケストラというものの存在を今回初めて知りました)。作曲の石川洋光氏が新たにアレンジしみずから指揮も務めた「みにくいアヒルの子」のフルートバージョンも必聴! ぬくもりのある音色とハーモニーが心に沁みます。また「Syrinx」は、日本フルート界の重鎮・植村泰一氏がソロを担当し、「ANIMARE」のメンバーたちと人生の物語をライブ感豊かに紡いでいきます。すでに映画をご覧になったという方も、今年新たに生まれた『影たちの祭り』のアナザーストーリーを是非ご覧下さい。もちろん、終映後には舞台挨拶とミニパフォーマンスも行います。

…というわけで、久々にイベントの告知でした。思い起こせば、『影たちの祭り』の撮影を始めたのが2012年の7月3日。今から2年前です。かかし座60周年記念公演の「Hand Shadows ANIMARE」の稽古は、この日にスタートしたのでした。ついこの間のような、それでいて、ずいぶん昔のような…。
この作品の東京公開は、それから1年後、つまり今から1年前の2013年7月13日から。去年の今ごろは、公開の諸準備でかなりバタバタしていたのを、昨日のことのように思い出します。
そして今年の7月には上記のようなイベントが行われるという次第で、『影たちの祭り』は、どういうわけか7月に縁の深い映画のようです(かかし座の創立記念日が7月14日だからでしょうか?)。

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posted by taku at 19:38| お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする