2014年12月26日

大谷町を行く

前回は大谷平和観音のことだけでいっぱいになってしまったので、今回はそれ以外の周辺スポットを、画像中心でご紹介していきたいと思う。

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バス停「大谷観音前」で降りるとこんなのどかな風景が広がる。

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バス通りには大谷「元」観音のお堂。大谷観音とのつながりは不明。

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そのお隣りには銭洗観音。そしておもむろに後方に目をやると…

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廃墟マニアの心を激しく揺さぶる優良物件がそびえているではないか!
(帰宅後にネットで調べたら、かなりメジャーな廃墟だった)

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大谷石が建築物と一体化している!

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うわ〜、入りたい!
何を隠そう私は20数年来の廃墟愛好家で、公式サイトのフォトギャラリーには「廃墟系」というページもあるくらいなのだ。

廃墟単体のみならず、「廃墟プラス黒髪女子」というコンセプトで写真を撮っていた時代もある。

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こんなのとか、

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こういうのとか。

そんな嗜好なので、目の前に優良物件があると、素通りするのがかなり辛い。
しかし、入り口には案の定、下のような注意書きが。

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20代ならいざ知らず、50を過ぎた人間が、年の暮れに不法侵入を通報されて警察の取り調べを受けるのもいただけないので、今回は見送ることに。そして一路大谷平和観音に向かったというわけ。

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大谷平和観音の展望スペースから見た大谷寺。

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自然が作り出した奇岩と建物とが、不思議な調和を生み出していると思う。
弘法大師作と伝えられる本尊の千手観音菩薩(これが通称大谷観音)や壁面に彫刻された10体の石仏を鑑賞(撮影禁止のため画像なし)。

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そして宝物館にも立ち寄り、縄文時代最古の人骨とご対面(撮影禁止のため入場券を再撮影)。

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大谷寺は庭園もなかなか風情があったのだが、すでに時刻は15時17分。
このままでは、今ひとつの目的地である大谷資料館を堪能できなくなってしまうではないか!(同館は17時まで)
というわけで、小走りで資料館に向かうことに。

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急いでいるのに、道すがら何度も足を止めてしまう。それくらい大谷石が織り成す「自然のアート」には独特の魅力があるのだ。

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しまいにはドラム缶までアートに見えてくる(ぴったりはまっているところがナイス!)。

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右手に見える立岩にも心を引かれたが、今回は断念して資料館をめざす。

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この看板を見て「やっと到着!」と思ったが甘かった。ここからまだかなり歩くことに。

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年代もののトラックがお出迎え。

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数々の特撮作品で見覚えのある奇岩(前回紹介した『ウルトラマン80』43話にも登場)。ここが資料館の中庭。

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自動販売機コーナーも独特。

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いざ入館!

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この階段を降りていくと…

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まるで地下要塞。
間違いなく「宇宙刑事シリーズ」や戦隊もので何度となく見た場所ですよ!!!

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階段を進むにつれ、どこまでも地下深く降りていくような、不思議な高揚感が(私だけか?)。

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人影はまばらだったが、ごくたまにカップルの姿も(上写真)。

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年末年始スペシャルということで、普段は非公開のスペースをライトアップして公開中(2015年1月31日まで)。

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外界と隔絶されているせいか、不思議な心地よさを覚える空間。

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この場所も、「かつては採石場だったけれど今はそうでない」という意味において巨大な廃墟であり、もしここにモデルさんがいたら写真を撮りまくっただろうと思う。

しかし残念ながら今回は単身なので、仕方なくセルフで撮ってみることに…

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今は「自撮り棒」とかが売れるくらいの自分撮りブームらしいが、これはかなり寒かった(反省)。

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というわけで、お口直しの1枚。

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「寒い」といえば、坑内の温度もかなり低く、この日は4度。真夏でも12度程度だという。

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壁面には、数多の撮影実績が貼り出されていたが…

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PVや一般映画がメインで、特撮ものはあまり見当たらず(数が多すぎるのか?)

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いつまでもこの「異空間」に身を委ねていたかったのだが、外が暗くなり始め、やがて閉館時間に(この岩の割れ目も、特撮作品ではおなじみ)。

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出口近くの壁面の文言。たしかに大いに創作意欲をくすぐる空間だと思う。

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外に出ると、すでに宵闇が迫り…。資料館を離れてもなお、特撮作品にありがちな「擬似夜間」風の岩壁が目に飛び込んでくる。今夜は悪夢にうなされそうな(幻夢界に引きずり込まれそうな)予感。
posted by taku at 20:48| 特撮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月20日

大谷平和観音は強かった!

前回予告したとおり、今回はいよいよ「日本三大特撮大観音」の二番手、大谷平和観音をご紹介。

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大谷平和観音へのアクセスは、JR宇都宮駅から「大谷・立岩」行きのバスに乗って約30分。「大谷観音前」で下車すると、バス停からもうお姿が。

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あれ、「大谷観音」と「平和観音」は別物?

ここで解説を加えておくと、「大谷観音」というのは、バス停からほど近い大谷寺の本尊である千手観音菩薩(平安時代初期のもので弘法大師作と伝えられる)を指し、一方、今回取り上げる「大谷平和観音」は、第二時世界大戦による戦没者の慰霊と世界平和祈念のため、千手観音菩薩の御前立(おまえだて=身代わりの像)として制作されたものである。

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「大谷観音」駐車場から「平和観音」の後ろ姿を望む

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岩盤のゲートを入って行くと…

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いきなり右手にその巨大な御姿が現れる

着工は戦後間もない1948年(昭和23年)9月。大谷石採石場跡の壁面に、すべて手彫りで(機械を使わず)彫刻し、6年後の1954年(昭和29年)12月に完成(今年でちょうど60年)。翌々年の1956年(昭和31年)に開眼供養が行われた…というわけで、大船観音よりも後に着工して先に完成したことになる。

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観音像前の広場は公園になっている

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戦隊ものや「宇宙刑事シリーズ」などで見覚えのある奇岩が聳え立つ

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大谷平和観音は高さ26メートル、胴回り20メートルの巨体で、数字だけ見ると、25メートルの大船観音より少し大きいが、こちらが全身像であるのに対し、大船観音は上半身だけであのサイズなので、顔などは大船観音の方がはるかに大きい。また、面差しも、こちらの平和観音はいささかロンパリ気味の目や低い鼻が気になり、大船観音の方がはるかに秀麗と思われるのだが…(罰当たりな文章、ご寛恕のほどを。しかし近くの大谷寺宝物館に展示されていた平和観音の原型は、ここまで個性的な御顔ではなかった。ちなみに大船観音はセメントで成型してあるがこちらは手彫り。岩肌への彫刻で表情のディテールを再現するのは難しかったのだろうか)。

さて、観音像とその周辺環境を説明し終えたところで、いよいよ特撮作品の紹介である。前回の『シルバー仮面(ジャイアント)』に比べると、ぐっとメジャーになって…

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私が高校2年の時に放送されていた『ウルトラマン80』。パーフェクトではないが、3回のうち2回ぐらいは見ていた。以下の話も、旧知のきくち英一氏が久々に「ウルトラ」に出演するということもあり、親と一緒に視聴した記憶がある。

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第42話「さすが!観音さまは強かった!」
作:石堂淑朗 監督:東條昭平 特撮監督:佐川和夫
1981年1月28日放送


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時は江戸時代末期。大泥棒が盗み出した千両箱が安政の大地震(1855年)のため、大谷石採石場の地下深く埋まってしまう(ここの特撮は圧巻!)。

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それを掘り出しにやって来た、ナレーションいわく「人相の悪い二人連れ」(『帰マン』の中の人・きくち英一&『スペクトルマン』のノーマン・鶴田忍)。どう見ても人のよさそうな二人連れだが…

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二人連れと信心深い少年・信夫が実際の観音像をバックに会話。二人連れの片方は信夫にミカンをあげる(やっぱり人のいいおじさんだ)。

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一方、UGMは大谷町の地磁気の乱れをキャッチし、矢的猛(長谷川初範)とイトウチーフ(大門正明)が現地調査を開始。ここでも観音像をバックにUGMと信夫が会話。UGMの二人は信夫に何もあげないのに、ちゃっかりご飯をご馳走になり宿泊までさせてもらう。

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その夜、観音様の夢にうなされた猛と信夫は、異変を察知し観音像を見にいく(ミニチュア)。

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例の二人連れは千両箱が埋まっている場所は観音像の下であるという結論に達し、足元にダイナマイトを仕掛けていた。

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爆発の衝撃で無残にも横倒しになる観音像(当然ミニチュア)。

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その下から千両箱ならぬ怪獣ズラスイマーが出現して大暴れ(観音様が霊力で怪獣を封じ込めていたという設定らしいが、大谷平和観音は1954年完成だぞ。それまで怪獣は野放しだったのか?)

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UGMの近代兵器は歯が立たず、猛はウルトラマン80に変身して戦うも窮地に。

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町の古老(柳谷寛)のアドバイスにより、80は観音様の力を借りてズラスイマーを地中に封印。

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そして像を元の場所に安置する(もちろんミニチュア)。

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晴れて元通りになった観音様。心なしかほっとしたような御顔(実物)。

エピローグは、事件解決に功績があった(あったか?)信夫が、憧れのアイドル(倉田まり子)と念願の対面を果たし、「これこそ観音様のお導きだな」などとはやされてめでたしめでたし。例の二人連れがその後どうなったのかは、残念ながら描かれていない。怪獣が封印されたのを見て群集とともに歓声を上げていたのが最後の姿になったが、あの二人がきっかけで物語がスタートしたのだから、この辺はきっちり見せて欲しかった。

さて、大観音つながりということで、この「さすが!観音さまは強かった!」と、前回紹介した「怪奇 宇宙菩薩」とを比較してみると、

(1)観音像に執着する地元の少年(その理由はまったく違うが)がキーパーソン
(2)その少年と正義側のメンバーが接触し、少年宅に宿泊
(3)深夜の観音像の異変(目が光るor目から涙)
(4)観音像が破壊されてその下から巨大な敵(宇宙人or怪獣)が出現
(5)ヒーローは苦戦するが、最後は超自然の力を借りて敵に打ち勝つ

等々、設定やエピソードにおいては共通点も多いが、物語の色合いはまったく違う。「怪奇 宇宙菩薩」は、両親を殺された少年の復讐譚で、シリアスドラマとして作られているのに対し、こちらは「まんが日本昔ばなし」風のぬるい話で、登場人物の葛藤もなく、したがってドラマとしてのカタルシスも乏しい。この2作の相違には、時代背景の差異(学生運動挫折の余波でやたら暗かった70年代前半と、お笑いブームで変に浮かれていた80年代前半とでは世相がまったく違う)やライターの個性(前者は市川森一、後者は石堂淑朗)など、さまざまな要因が関わっていると思われる。

ここであえて細かいことを書くと、昭和のウルトラシリーズも後半(『ウルトラマンタロウ』あたり)になるにつれ、真面目に作ってるのかと問い正したくなる作品が増えてきたのは周知の事実だが、それでも5年ぶりにブラウン管に登場した『ウルトラマン80』は、1クール目の教師編、2クール目のUBM編には今見ても鑑賞に堪える良作、佳作が多かった。しかし3クール目以降、メインライターだった阿井文瓶(阿井渉介)が降板し、阿井の師匠だった石堂淑朗が起用されたあたりから、ストーリー重視路線は影を潜め、『タロウ』のような、あからさまな子ども向けの話(しかも子どもはそういう「幼稚」な作品を好まない)が多くなってくる。この42話などもその1本で、特撮クオリティも高くゲスト俳優も豪華なだけに、いささか残念な仕上がりである。

ただ、観音像のあつかいという点に着目すると、「怪奇 宇宙菩薩」では観音像は、宇宙人にさんざん利用されたあげく、無残に破壊されてそのまま放置。一方「さすが!観音さまは強かった!」の方は、一度は横倒しになったものの、観音自身が実質的な怪獣撃退を行った上、元どおりの場所に安置され、そこには菊の花まで咲き誇るという豪華さ。このあたりの描写は、クリスチャンだった市川森一と、保守の論客として知られた石堂淑朗の思想信条の違いがはっきり現れていて興味深いが、お茶の間で家族揃って安心して見ていられるのは後者の方だろう。

なお、『帰ってきたウルトラマン』第27話「この一発で地獄へ行け!」では、手に電動ノコギリのようなギミックを備えた怪獣グロンケンが、信州の観音寺(架空の寺)にある大観音像の上半身を切り刻むという過激なシーンが出てくるが、この脚本を書いたのも市川森一である。クリスチャンの彼にとって観音像(=偶像崇拝の対象)というのは、それほど「許されざるもの」だったのだろうか?(この、ある種対照的な2人の脚本家が、同じ2011年の暮れに相次いで亡くなった時は不思議な感慨を覚えた)

また悪い癖で話が長くなってきたので、以下、さくさくと作中の観音像と現在の実物とを比較してみたい。この話は1981年1月末のオンエアなので、撮影はおそらく1980年11〜12月あたり、今ぐらいの季節と考えていいだろう。

先月こちらのページで、ダイエー向ヶ丘店における『シルバー仮面(ジャイアント)』22話のロケを紹介した際、多くの特撮ロケ地紹介サイトが採用している「定点観測的な撮影」をやってみたら思いのほか面白かったので、今回もその方法を踏襲。

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観音像の前でミカンを食べつつ古地図を見る二人連れ

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それにちなんで、私も観音像の前で昼食を取ることに

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下校途中、観音像に向かう信夫。バックはすぐそばの大谷寺

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現在の大谷寺。門の前の木が大きくなった以外にめぼしい変化はない

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2回ほど登場する観音像のどアップ

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こちらが現在。劣化はほとんど見らず、33年前の画像と区別がつかない

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ただ、観音像自体は変わっていないのだが、どうも周囲の雰囲気が違うと思ったら、何と、右側の上の部分、当時はトンネル状だったのに(上画像参照)、

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現在はその屋根に当たる部分がすっぱり無くなっている。どうしてこんな変化が生じたのか。

そこで入り口の近くにあったお店の人にその理由を尋ねたところ、2005年に宇都宮市の判断で、安全対策工事を行ったという。それ以前はトンネル上部の通行も可能で、地元の人たちは工事には反対だったらしい。たしかに景観的には、工事前の方がはるかに美しい。トンネル部分を何らかの方法で補強して景観を維持するという選択はなかったのだろうか。

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当時大谷市が近隣住民に配布した文書。クリックで拡大

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現在はフェンスで行き止まりになっているが、2005年以前はその先まで歩行可能だった

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さて、今ひとつ注目すべきは上の画像。観音像はミニチュアで、人物を右下に合成してある。実際に大きい観音像があるのに、どうして実写ではないんだろう? ナイター撮影でライティングが大変だったからなのか? …などと思っていたが、

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実際に同じ角度で撮影してみてその理由がわかった。

すでに書いたように、この大谷平和観音は採石場跡の壁面を手彫りで彫って完成させたものである。そういった成り立ちゆえ、御顔などもいささか平板で、みぞおちあたりまでは像として一応独立しているものの、そこから下はレリーフ(浮き彫り)、つまり壁面と一体化しているのである。正面からだとはっきりしないが、斜め前や横から撮影すると、それは一目瞭然だ。

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しかし作品の後半では、ダイナマイトの爆発のため足元の台座が壊れて転倒する場面があり、この物語の中の観音像は、台座部分までが完全に独立した立像でなくてはならない。それゆえ、肩から下がレリーフだということがわからないよう、実写で撮影したのは真正面からのショットのみ、それ以外の場面はすべてミニチュアになったというわけである。

いやあ、現場に行かないとわからないことっていうのはあるんですね〜。だから、寒いからって部屋にこもってばかりいちゃいけないんですよ(誰に言っているんだ)。

平和観音の近くには、やはり特撮や一般のドラマ、映画などで頻繁に使われている大谷資料館があり、そちらにも寄ってみたのだが、平和観音だけでかなり長くなってしまったので、資料館についてはまたの機会に。

※このページのキャプチャ画像は、(株)円谷プロダクションが制作したテレビ映画『ウルトラマン80』第42話「さすが!観音さまは強かった!」(1981)からの引用であり、すべての著作権は円谷プロダクションが保有しています。
posted by taku at 20:20| 特撮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月14日

日本三大特撮大観音

少し前にこのページで、大船観音が特撮ドラマの「聖地」だという文章を書いたところ、こちらが考えていた以上の反響があった(と言うとオーバーだが、要は「特撮」「シルバー仮面」「大船観音」などのキーワードで検索してこのブログにたどり着く方がそこそこいらっしゃったということ)ので、一念発起して、「日本三大特撮大観音」をすべて参詣してみることにした。

1960〜80年代の、いわゆる昭和時代の特撮ドラマに登場した大観音は、私の知る限り3体しかない(平成以降の特撮はまったくわからないので範疇外)。すなわち、

(1)大船観音 『シルバー仮面(ジャイアント)』15話(1972年3月5日放送)
          『宇宙鉄人キョーダイン』10話(1976年6月4日放送)
(2)高崎白衣大観音 『電子戦隊デンジマン』33話(1980年9月13日放送)
(3)大谷平和観音 『ウルトラマン80』43話(1981年1月28日放送)
             『光戦隊マスクマン』51話(1988年2月20日放送)

の3体、5作品である。
『帰ってきたウルトラマン』27話でも巨大な観音像が出てくるが、これはミニチュアのみで実際のものが登場するわけではないため除外する。

それにしても、おびただしい数の特撮番組が制作されながら、観音像が登場するのがわずかに5作品とは意外なほど少ないが、やはり「そうした番組に信仰の対象を持ち出すのは不謹慎である」という制作側の自主規制によるものだろう。
なお、『マグマ大使』24話には奈良東大寺の盧舎那仏、『ウルトラマン』32話、『宇宙鉄人キョーダイン』11話には鎌倉高徳院の阿弥陀如来が登場するが、これらは「大仏」であって「大観音」ではないため、今回は対象外とする(深い意味はないが、あまりノルマを増やしたくなかったので)。大船観音はすでに参拝を終え記事もアップしているから、あと2箇所を回ればノルマ達成というわけだ。

実は先週、たまたま大宮方面に出かける用事があったため、宇都宮まで足を伸ばし、2箇所目の「聖地」大谷平和観音と晴れて対面してきた。それについて、一昨日から文章を書き始めたのだが、文章そのものがなかなかまとまらない上、画像のセレクトや補正、特撮作品からのキャプチャなど予想以上に時間と手間がかかり、いつまで経っても完成のメドがたたない(泣)。ただでさえ気ぜわしい年末に何でこんなこと始めたんだろう、と正直かなり後悔している。

でも、自分で決めたことなので、どうにかやり遂げるつもりである。一応予告編ということで、1枚だけ写真を貼り付けておく。

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空にそびえる大谷平和観音。全長約26メートル
posted by taku at 18:28| 特撮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月06日

四貫目の名言

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ダイエー、フランス映画社と、このところ当ブログでは、なじみ深い企業の「終焉」ネタが続いた。50年以上生きていると、こういう事態に遭遇する機会が増えてくるのもやむを得ないことなのだろう。そして、そうした「栄枯盛衰」を目の当たりにするたび、必ず頭に浮かぶセリフがある。

「どうして○○なんてものがこの世にあるんだろう……」
「世の中が必要としたからさ。必要がなくなれば消えてゆくのさ……」


出典は白土三平の漫画『サスケ』第9巻「無角の巻」。最初に読んだのはアニメが放送されていた幼稚園時代で、その後も小学校時代に何度か読み返していたため、かなり細かいところまで記憶に残っている。これもこの夏、実家の押入れからコンパクトコミックス全15巻(集英社)が欠落なしで出てきた。

ここで、上記のセリフがどういう流れで発せられたか簡単に説明しておこう。
父親の大猿と離れ、一人で旅を続けるサスケは、ある出来事がきっかけで「木こり」の部落に逗留し、請われるまま若い衆に忍術を指南する。「木こり」たちが忍術の習得を望んだのは、長年山の中で対立してきた「狩人(またぎ)」の部落に対抗するためであった。しかし、その「狩人」部落では、サスケの好敵手である四貫目(第8巻より登場)が、同じように雇われて忍術指導を行っていた。このまま戦えば、同等の力と技を蓄えた部落同士が衝突し、共倒れになる恐れがある。そこで双方から代表を一人選んで決闘させ、負けた方はよその土地に移ることになるのだが、奇しくも、部落を越えて禁断の恋に落ちていた隼人と百合(隼人は「狩人」部落の頭目の息子、百合は「木こり」部落の村長の娘で、サスケは密かに百合を慕っていた)が代表に選ばれ、吹雪の中で二人は、相手が誰かもわからぬままに戦い、「技がまったく同じだったので一歩も近づけずに、にらみあったまま」凍死してしまう。
「木こり」と「狩人」の部落の人々は「人間の樹氷」となって立ち尽くす二人の屍を前にがっくり肩を落とし、それを見た四貫目は、

「またいがみあうようなときがあったら、ここへきてこのふたりをみて頭をひやすんだな……」

と諭すように言う。人々は深い失意の中、山を降りていく。

sasuke02.jpg (C)白土三平

その後で、先ほどのセリフである。サスケは、自分が「木こり」部落の人々に忍術を教えたりしなければ、こんな悲劇は起こらなかったのではないかと自問し、そして、

「どうして忍者なんてものがこの世にあるんだろう……」

とつぶやくのだ。それに対して四貫目が、

「世の中が必要としたからさ。必要がなくなれば消えてゆくのさ……」

と、さらりと答える。偉そうでもなく、悲しそうでもなく、あくまで淡々と。

あまり長い引用ははばかられるが、私のこれまで読んだ漫画の中でも屈指の名場面なので、見開き画像で6ページ分を紹介させていただく(クリックで拡大→再クリックでさらに拡大)。

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sasuke05.jpg (C)白土三平

こういうのを幼稚園とか小学校低学年の時に読んでわかるのかと言えば、さすがに深いところまでは理解が及ばないとは思うが、全体を覆う無常観のようなものは、鼻たらしの小僧だった私の心にも沁みるものがあった。だから、今でも折にふれてこのやりとりが頭に甦ってくるのだ。

上の引用部分では、かなり普遍的な真理が2つ、語られていると思う。

1)冒頭でも書いたが、「栄枯盛衰」は人の世の常。必要があったから存在するのであり、必要がなくなれば滅びる。そして、それが必要であるかそうでないかは、世の中(その時代の人間)が判断する

大変わかりやすい考え方である。ダイエーがなくなるのも、フランス映画社が破産したのも、世の中が、それを求めなくなったから、というわけである。ダイエーの98円とか49,800円などという価格設定は、ある時代には大変珍しがられ喜ばれたが、もはやそれが当たり前となり、誰も新鮮味を覚えなくなったということ。フランス映画社配給の数々の映画にしても、ある時代の観客の好みにはぴったりとはまったかも知れないが、今や、それを楽しんで見る人間の数は、ゼロとは言わないけれどかなり減少し、世間一般の要求とは乖離してしまったということ。大変厳しい現実だが、もはやそれを受け入れていくしかないのだ。
しかし、こういうのは「平家物語」冒頭の「祇園精舎の…」や鴨長明「方丈記」冒頭の「ゆく河の流れは絶えずして…」などと根本的には同じ諦観思想であり、実はそれほど目新しいものではない。今回わざわざ『サスケ』を引用したのは、今ひとつ、看過できない真理が語られているからだ。それは、

2)特殊技能者は、(たとえ世の中から必要とされなくなっても、何とか)その技能を使って生活を成り立たせていく以外に道はない。そしてその技能を磨くことが人生の目的そのものになっていく

ということである。

忍者は戦乱の時代には大いに重用されたようだが、『サスケ』は、関が原の合戦で徳川家康が勝利し、江戸に幕府を開いてからの物語である。第1巻で大阪夏の陣が描かれ、この時点で豊臣方(真田家)の忍者だった猿飛一族は主君を失い、サスケ親子も流浪の生活を強いられる。つまり全15巻におよぶ『サスケ』という長編漫画は、太平の世の中で忍者という特殊技能者が次第に居場所を失い、やがて滅びに向かうプロセスを追った物語なのである。そんな時代設定であるから、白土漫画にはなじみ深い四貫目のような手練れの忍びであっても、生活のために「狩人(またぎ)」部落の傭兵的な仕事を引き受けざるを得ないのだ。

「もういくさもなくなった。だがあいにくわしは忍者よ。こいつでめしをくっていくいがいにないわさ……」

という四貫目の言葉は重い。そしてそれを飄々と言うところがまた実に胸に迫る。その後のサスケとのやりとりでも深い話がさらっと語られるがここはあえて飛ばし、196ページの最後のコマで四貫目が、以前サスケに披露した「陽炎の術」の仕掛けを知りたくないか、と訊ねると、サスケの顔色が変わる。四貫目はそれを目ざとく指摘し、

「忍(しのび)はおのれの技の練磨、新しい術にひかれる心をおさえることはできぬものじゃ。そうしてそれいがいのことは、だんだんどうでもよくなってくるものよ……」

と続ける。
サスケは「知りたい」と答え、かつて何度となく死闘を繰り広げた二人の忍者は、相並んで静かに雪山を去っていく。

「かなしいものよ、忍(しのび)はのう……」

私などが、このやりとりにことさら心を動かされるのは、恐らく自分自身も、ある種の特殊技能といえる「映像製作」に関わって生きてきたからではないかと思う。そしてその「映像製作」が、現在、『サスケ』における「忍者」と同じくらい危機的な状況なのである。

フランス映画社の破産はすでに述べたとおりだが、他にもここ数年で、私の作品のDVDを販売していた複数のメーカーが廃業もしくは業種転換をし、また、以前企画を進めたことのあるいくつかの製作会社、配給宣伝会社もその看板を降ろした。かつて「カナカナ」を公開した中野武蔵野ホールも、「火星のわが家」や「凍える鏡」を公開した渋谷のミニシアター(シブヤ・シネマ・ソサエティ→シネマ・アンジェリカ)も、特別オールナイトをやってくれたシネマ(アートン)下北沢も今はない。淡々と書いているフリをしているが、事態はかなり深刻なのだ。

しかし、何度も書いたように、世の中の流れには逆らうことは不可能だ。ここは四貫目風に、

「もうニーズもなくなった。だがあいにくわしは映像製作者よ。こいつでやっていくいがいにないわさ……」

と開き直るしかないのかも知れない。そして、

「映像製作者はおのれの撮影技術の練磨、新しい編集技術にひかれる心をおさえることはできぬものじゃ。そうしてそれいがいのことは、だんだんどうでもよくなってくるものよ……」

などとつぶやきつつ、ビデオカメラを手に、新たな被写体を求めて外に出てみることにしようか。

【付記】
『サスケ』はこれまで私が読んできた漫画作品の中で、間違いなくベスト3に入る傑作である。今回紹介した話以外にも、人間や動物、社会の姿などについて教えられたり、剋目させられるエピソードが多いが、ただ、12巻や15巻の最後などは、過酷な運命に翻弄されるサスケが可哀想すぎて、今では読み返すのが辛い。この作品を雑誌『少年』に連載していた時、白土三平はまだ二十代後半から三十代前半。その若さでどうしてここまで突き放した人間描写が可能だったのか不思議だったが、最近その波乱の経歴を知って納得した。当然のことだが、作品の背景には作者自身の生い立ちや生活がある。厳しい生活からは厳しい作品がおのずと生まれ、生ぬるい生活からは生ぬるい作品しか生まれない。これもまた大いなる真理である。
posted by taku at 20:02| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする