2015年03月04日

「文學者之墓」のこれから

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昨年暮れ、日本文藝家協会から「『文學者之墓』緊急アンケート」と称する封書が送られてきた。

以下に引用するのは、その中に入っていた、出久根達郎氏(文学者支援委員会委員長)による挨拶文の一部である(漢数字を一部数字に変更)。

「文學者之墓」についてのご意見をうかがいます

当協会では1969(昭和44)年に、富士山のふもとの「冨士霊園」内に、「文學者之墓」を設け、以来、墓碑周辺の一画を「文学碑公苑」と名づけ、整備し運営してまいりました。
公苑内には2014年現在、8連の墓壁が並び、生前に手続きされた方を含め、799名の方の氏名、代表作品名(亡くなられた方は没年月日と享年も)が刻まれ、墓壁前の地下にはカロウトが設けられ、遺骨や遺品が納められております。(中略)

しかしながら第1期墓碑の完成より44年がたち、問題が生じてまいりました。
適当な建碑の余地が無いことです。
約二千坪の公苑全体が山の傾斜地にあり、火山灰層のため地盤が安定せず、建設に適う場所が限られるのです。
最新の第8期の墓碑面も残すところ30数名分で、あと2、3年で募集を終了せざるを得ません。第9期の建設場所が見当たらない。
新しい墓域を求める場合、少なからぬお金がかかります。これまでの形態ですと広大な土地が必要となります。(中略)

お墓に対する意識も昨今は変ってまいりました。樹木葬や、慰霊塔などの合同供養といった選択をされる方も増えつつあります。
新たな構想、保全、継続の案など、会員の皆様の率直なご意見をお聞かせいただきたいのです。(後略)


私の亡父・青江舜二郎の墓は、まぎれもなくこの「文學者之墓」の一画なのでまったく他人事ではない。しかし、青江の納骨を行った今から30年前は、まだずいぶんスペースに余裕があるようだったし、その後何度か墓参に訪れた時も、それほど手狭になっているという印象はなかった。だが「緊急アンケート」を実施するくらいだから、もはや事態は放置できないところに来ているのだろう。

年末の忙しさに取り紛れたのと、いいアイデアがまったく思いつかなかったのとで、結局アンケートには回答せずじまいだったが、現在「文學者之墓」がどんな状況なのか、この目で確かめたくなり、2月下旬の某日、久しぶりで冨士霊園(静岡県駿東郡小山町大御神)へと足を向けた。

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駿河小山駅からの風景

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霊園の送迎バスに揺られつつ雄大な富士を堪能

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平日ということもあり「文学碑公苑」は完全な無人

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当時の文藝家協会会長だった丹羽文雄の碑文

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第1期のトップは菊池寛。以下、そうそうたる文士の名前と代表作が並ぶ

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墓壁の裏側に彫られた名前は作家の配偶者またはそれに準ずる者

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青江舜二郎は第3期。代表作「法隆寺」(せっかくなので花を供えました)

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第3期のすぐ後ろが第8期。たしかに墓壁の空きスペースはあまりない

「文學者之墓」の現状は以上のようなもので、そう遠からず新しい形を考えなくてはならないところに来ていることは明らかだった。

大都市では高齢化社会の進行にともない、墓所不足が深刻化し社会問題にもなろうとしているが、それは文学者においても例外ではないということか。しかしその一方、過疎地などでは住民が都市に移動してしまうため無縁の墓などが増えているという(こちらは土地はふんだんにある)し、お墓をめぐる問題はいろいろと深刻である。

あまり話を広げても仕方がないので、「文學者之墓」だけに絞って考えると、見てわかるとおり、この墓所は「墓」と言いながら形状は記念碑のようで、実際、この下のカロウトに遺骨を納め、純粋に「墓」として利用している方ばかりではないようだ。きちんと調べたわけではないが、ここに名前が並んでいる作家の中には、ほかの場所に自分の墓や先祖代々の墓があり、遺骨もそちらに納めていつつ、この「文學者之墓」には、作家としての名前を末永く公に残すというメモリアルな目的で、分骨もしくは遺品を預けている方が少なくないように思われる。それは現状の規約からすれば違反でも何でもないが、しかし元々この「文學者之墓」は、文芸美術国民健康保険組合などと同様、収入が不安定な文筆家のための救済措置、すなわち「通常の墓所よりも安く墓所を提供する」という目的で企図されたもののはずである。文藝家協会の「文學者之墓」管理運営内規を見ても、

第1条 日本文藝家協会(以下「協会」)は、死去の時まで協会の正会員であった者の為に「文學者之墓」を設け、墓所を提供する。墓所には、正会員本人と、希望により配偶者(家族)及びそれに準ずる者も1名に限り遺骨等を埋葬することができる。
2 「文學者之墓」は、文学碑として一般にも公開し、公益に供する。

とあり、「文學者之墓」はまず第一に「墓所」であり、それに次いで、公益に供する「文学碑」でもあると明確に定義されている(なお、この事業に尽力した丹羽文雄は、遺族の意向もあって、「文學者之墓」以外に墓を作っていないという)。

したがって、ここはひとつ初心に帰って規約を改め、「よそに墓を持っていない、あるいは経済的な事情で持つことのできない」作家に限って新規の申し込みを受け付ける、という風にしてみたらどうだろうか。そうすれば、申し込み者は大幅に減るはずである(ちなみに、うちの青江の場合、自慢ではないが生涯を通じて貧乏作家だったため、生前に自分の墓所を求めるなど思いもよらないことで、それで家族としてもやむなく、この場所に眠ってもらうことにしたのである。であるから、ほかの作家はいざ知らず、青江舜二郎の墓というのはここしかない)。

もっとも、仮にそのような制限を設けてみたところで、あと30数名分の場所しか残っていないのであれば「時すでに遅し」の感は否めない。そうなると、あとはやはり出久根氏の提案するように、ある程度大きな慰霊塔か石碑を建立して、そこに、小さめに故人の名前を彫りつけるという形式になるのだろうか。

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2006年に「千の風になって」という歌が大ヒットした時、
「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません」
などという挑発的(?)な詞のせいで、墓石の売り上げが悪くなるのではないか、と石材業者は戦々恐々だったらしいが、実際にはまったくそんなことはなかったそうだ。どうやら日本人は根っからの「お墓大好き民族」であるようで、したがって、お墓をめぐるもろもろの問題も、日本が存続する限り、議論され続けていくのだろう。
posted by taku at 17:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする