2015年04月26日

第9回 鎌倉アカデミアを伝える会 開催要項

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来たる5月16日(土)、すっかり恒例となった「鎌倉アカデミアを伝える会」が鎌倉の光明時で開かれます。
早いもので、今年で9回め。
鎌倉アカデミアは終戦の翌年(1946年)に生まれた「自由大学」で、わずか4年半の歴史ながら、戦後の日本文化芸能史に多くの足跡を残しています。どうぞお誘い合わせの上、ご参加下さい。

第9回 鎌倉アカデミアを伝える会

日時:2015年5月16日(土) 13:00〜16:30
場所:鎌倉市材木座 光明寺
(JR鎌倉駅より京急バス 小坪経由逗子行15分 「光明寺」下車)

プログラム:
■13:00〜 碑前祭(鎌倉アカデミア記念碑前にて)
■13:30〜 茶話会(書院にて卒業生らのショートスピーチ)
『友を語る』
加藤茂雄(演劇科1期)「シナリオ作家 廣澤榮のこと」
若林一郎(演劇科2期)「カンちゃんこと中野寛次」
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渕上晧一カ(岩波書店)「アカデミアの思想 −三枝博音の技術哲学−」

※資料代として1,000円が必要となります(当日受付にて)

主催:鎌倉アカデミアを伝える会(市民実行委員会)
資料提供・協力:鎌倉市中央図書館
お問合せ先:090-3007-9025(小泉)
posted by taku at 14:00| 鎌倉アカデミア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月22日

立ち退きの記(3)

【前回までのあらすじ】
2013年10月。自然環境に恵まれた賃貸住宅「向ヶ丘ハウス」で快適な日々を過ごしていた私(大嶋)は、ある日突然、不動産会社から「分譲住宅建設のため、立ち退いて欲しい」という申し出を受ける。これも時代の流れかと観念し、12月のなかばに藤沢の5階建てマンションに引っ越したのだが、そこには大きな誤算が…。

この「立ち退きの記」もこれで3回目ですが、こういうプライベートな体験を長々書くのもどうかと思うので、以下、ごくごく簡単にことの次第を記します。

新居となった藤沢のマンションは、実は音漏れがひどかったのです。越した翌朝から、私は隣室の住人の寝起きの音で叩き起こされました。隣りには小学校と中学校に通う男子がいて、6時40分くらいから行動を開始するのですが、窓を開けるのもドアを開けるのも、とにかくけたたましい! 普段8時半から9時の間に起床する私としては、2時間以上早く眠りを断たれるのは苦痛以外の何物でもありません。
前に住んでいた「向ヶ丘ハウス」は木造だったのにも関わらず、隣室の音はほとんど聞こえませんでした。それがこちらは鉄筋コンクリート造のくせに音が筒抜け。まったく理解不能ですが、ネットでいろいろ調べたところ、マンションというのも実はピンキリで、音が異常に伝わる物件も結構あるようです。

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音漏れマンションのベランダから見た朝焼け(2013年12月17日)

睡眠は人間の健康や文化的な生活には不可欠です。かの水木しげる御大も、手塚治虫や石ノ森章太郎に向かって、
「アンタら睡眠をバカにしちゃいけませんョ。眠っている時間分だけ長生きするんです。幸せなんかも睡眠力≠ゥら沸いてくる。睡眠力≠アそが全ての源ですッ! フハッ」
と一席ぶっているくらいです(「睡眠のチカラ」より)。

とにかく、朝のまどろみを冒されないよう、耳栓や、新たにネットで購入した防音用のイヤーマフで「防御」を試みましたが、そんなものをつけて寝るというのもこれまた安眠とはほど遠く、新居に移ってわずか2週間後には、「ここはもうアカン」という結論に達しました。
そう決めたら、再度の引っ越しは早い方がいい。下手に荷ほどきをしてしまうと二度手間になるからで、段ボールの荷物はほぼ積んだままの状態をキープし、ふたたびネットで賃貸物件を探し始めました。今回はマンションという表看板にだまされてひどい目に遭ったので、次はもうマンションは候補からはずし、かといって、またハイツやアパートというのも進歩がないので、初めて一戸建て限定で探し、1月の下旬、藤沢よりは実家に近い小田急線のとある駅に頃合いの物件を見つけ、2月26日、再度引っ越しを行いました。結局藤沢のマンションにいたのは、わずか75日(「人の噂も…「のたとえと同じ日数です)。でも、その75日の間に、せめて鎌倉周辺を満喫しておこうと、長谷の大仏、長谷観音、鎌倉湖周辺、大船観音、円覚寺、瑞泉寺、甘縄神明宮、鎌倉文学館などを訪れました。

いやはや、こんな短期間に2度も引っ越しなんかするもんじゃありません。電気、ガス、水道、電話(インターネット)などを止めたりつなげたり、移転通知を出したり、近所に挨拶したり、そういった面倒な雑用を、2ヵ月ちょっとのうちに2回もやるなんて、本当にロスが多すぎます。それから、言うまでもないことですが、最初の引っ越しの時は、敷金礼金前家賃、運送業者の支払いまで、すべて不動産会社がやってくれましたが、二度目は100パーセント自己負担です。「引っ越し費用をすべて出してもらってラッキー」と思っていたのもつかの間、結果は、自分の意志で引っ越しをしたのと同じことで、それ相応のお金が懐(ふところ)から消えていきました。

それから約1年。さすがにもう当分住み替える気はありませんが、今住んでいる一戸建ても、それほどのストライク物件という感じではなく、あと数年で次の場所を見つけることになりそうです。現在のわが家は大変な住宅密集地で、すぐ前は道路、左右と後ろは家に囲まれており、それぞれのお宅の生活音が、思った以上に聞こえてきます(2、3歳児の泣き声やわめき声はかなり厳しいものがあります)。一戸建てでも油断はできないということを、住んで初めて知りました。やはり建て方だけでなく、周辺の環境にももっと気を配って物件を探さなければいけないと肝に命じた次第です。

それにつけても思い出すのは、広々とした庭に抱かれた「向ヶ丘ハウス」ののどかさと静けさです。
つい先日、久しぶりで「向ヶ丘ハウス」の跡地を訪ねてみたのですが、何とそこは、建蔽率ギリギリに建てられた全24世帯の3階建てマンションに姿を変えていました。以前不動産業者から渡された書類には「分譲住宅」という言葉が入っていたので、私はてっきり3軒くらいの一戸建てが建っていると思っていたのですが…。何かの事情で計画変更したのでしょうか。

敷地内はすっかりコンクリートで整地され、そこには1本の木も植わってはいません。わずか6世帯だったハイツが24世帯のマンションになったのですから、樹木の生息する余地などあるはずもないのですが、何とも無機質な空間で、お隣りのソメイヨシノも、花の季節を過ぎたせいもあってか、ずいぶん小さくなったように見えました(マンション建築にともない、枝を剪定したのかも知れません)。

この場所で、季節の移り変わりを無言のうちに告げてくれた百日紅もレンギョウも白木蓮も椿もキンモクセイも、どこに消えてしまったのでしょう。すべては一睡の夢のようです。本当に自分はこの場所で7年も寝起きをしていたのだろうかと、不思議な気持ちでたたずんでいました。
しかし、今や縁もゆかりもない建物の周囲で、いつまでもウロウロしていては不審者扱いされるだけです(入り口にはご他聞に漏れず警備会社のステッカー)。

すべてのものこうしては形を変え、やがて滅んでいくのだなあと、いささかしんみりした気分で、新緑の葉が揺れるソメイヨシノの下をくぐり、帰路に着きました。
posted by taku at 14:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月17日

立ち退きの記(2)

【前回のあらすじ】
2013年10月。自然環境に恵まれた賃貸住宅「向ヶ丘ハウス」に移って7年を迎えようとしていた私(大嶋)は、ある日突然、建物のオーナーから、物件を不動産会社に譲渡することにしたと伝えられる。そしてその不動産会社は「向ヶ丘ハウス」を取り壊して新たに分譲住宅を建設する計画を立てており、住人に立ち退きを要求してきたのだが…


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建物の明け渡しを求める書類がドアポストに投函された時、私は在宅だったため、速攻でその中身を読み、書類に書かれていた携帯電話の番号に電話してみました。すると、K氏という担当者が出て、「まだ近くにいるのですぐにうかがいます」とのこと。その言葉どおり、K氏はそれから数分で私の部屋のドアのブザーを鳴らしました。

K氏はずんぐりむっくりの体の上にまんまるい短髪の頭を乗せた、40代前半くらいの男性で、態度はいたって低姿勢でしたが、やはりどこかに不動産業独特の雰囲気を漂わせていました。
K氏は、
「大変恐縮なお願いなんですが、できることなら年内いっぱいくらいで出ていただけるとありがたいと思いまして…」
などと言いつつ、こちらの顔色をうかがってきます。こういう、貸主側の事情の退去の場合、半年前に通告の義務があると何かで読んだような記憶があったので、
「年内というと、あと2ヵ月半くらいのうちに引っ越しをしなくてはならないわけで、それじゃあ慌ただしすぎます。なるべく迅速に移転先を探すようにしますが、来年3月までは時間の猶予をいただくということにしてもらえますか」
と、こちらの希望を伝えました。
それについては向こうも了承し、1週間後、以下の書類が取り交わされました。

建物賃貸借解除および明渡合意書

賃貸人A(以下「甲」という)と貸借人大嶋拓(以下「乙」という)は甲・乙間にて平成18年11月30日に締結した末尾表示記載不動産(以下「本物件」という)の賃貸借契約(以下「原契約」という)につき次のとおり合意しました。

第1条 甲と乙とは原契約を合意のうえ解除したことを互いに確認しました。
第2条 甲は乙に対し、本物件の明渡しを平成26年3月31日まで猶予するものとし、乙は同日までに本物件を甲に明渡すものとします。
2 前項の期間内においては、乙は甲に対して毎月分の家賃は支払うものとします。ただし、乙が前項の猶予期限までに本物件を明渡さないときは、乙は明渡しの遅延により甲が被った損害額を賠償しなければならないものとします。
3 乙が本物件を明渡した後に本物件内に残地した造作設備その他什器、備品等があるときは甲は乙がその全ての所有権を放棄したものとして、甲が任意にこれを処分できるものとします。その費用負担は場合によっては、甲が乙に請求できるものとします。
4 本物件に関する電気、ガス、水道の使用料については、宛名名義の如何にかかわらず、第1項の明渡期日をもって区分し、その当日までの分は乙、翌日以降の分は甲の負担とします。ただし、乙が明渡期日を過ぎても電気、ガス、水道を使用した場合は、その料金を甲に支払うものとします。
第3条 甲は乙に対して明渡し料として、転居の際に必要となる敷金・礼金等契約時に必要な代金及び引っ越し代金のいずれも乙に持参または振込にて支払うものとします。

特 約 上記記載条項は甲が下記物件を売却した後も、その効力を後の新所有者に継承するものとします。

以上、合意の成立を証するため本書2通を作成し、記名又は署名・押印の上、各々1通ずつ保有するものとします。

平成25年11月1日

上記のとおり、引っ越しにまつわる諸費用はすべて先方の負担ということになり、また、物件探しの段取りについても、K氏が全面的に協力することを自分の方から申し出ました。具体的には、私がネットなどで候補物件を見つけたら、それをメールでK氏に伝え、K氏はその物件の管理会社と連絡を取り、内見の段取りをつける、という具合。そしてその内見もすべてK氏が車で案内してくれました。2013年秋の時点で、「向ヶ丘ハウス」には私以外に3世帯が入居していたのですが、それらの世帯についても同じようなサポートを行っていたようで、仕事とはいえ、なかなか骨の折れる作業だなあと思いました。

さて、大変愛着のある「向ヶ丘ハウス」ですが、ここまで外堀を埋められてしまっては、もはや篭城して抵抗を試みても勝ち目がないのは明らかなので、気持ちを入れ替え、さっさと新天地を探すことに決めました。万事せっかちな私としては、3月までのろのろ引っ越し先を探す気はなく、K氏の言うように、年内にどうにかして新居を見つけ、正月はそこで迎えるという目標を設定しました。

さて、ではどこに住むか。実は私は数年前から「鎌倉アカデミア」という幻の大学の調査をしており、それを考えると、鎌倉の近くに住居を構えるのがベストなのではないかと思ったのですが、鎌倉在住の数人の知人にうかがったところ、最近は観光客が増え、しかもそのマナーも悪いので、生活する場所としてはあまり…とのこと。それなら、その鎌倉に比較的近く、実家へも小田急線一本で移動できる藤沢はどうか、と思いつきました。また、そのころ読んでいた「鎌倉アカデミア」初代校長・飯塚友一郎の随筆『腰越帖』(書物展望社・1937年10月8日発行)にも、
<はじめ駅附近の新開地しか知らぬうちは、淋しい宿場町だと思っていたが、やがて遊行寺の先の本町を通って見ると、実に堂々たる老舗問屋が軒をつらねて、なるほど昔はさこそと思わせる町の品格を見せているのである。さすがに時宗の総本山遊行寺の所在地である。(中略)私は鎌倉という近代都市よりも、むしろ藤沢という東海道の宿場の方に興味がひかれる。土地柄から言っても、藤沢は石器時代、古墳時代からの由緒をもっていて、而も北條以来遊行寺の膝下だ。極く近世だって江戸時代明治時代の文化をどこかに残しているように思えるのである>
という記述があり、飯塚自身は鎌倉の腰越に住みながら、かなり藤沢をひいきにしていたような感じを受け、よし、それならこの機会に、鎌倉と藤沢の両方に親近してみようと、藤沢周辺に絞り込んで物件探しを始めたのでした。

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11月に入ると、土曜日ごとにK氏と藤沢駅で待ち合わせ、彼の運転する車で物件を見て回りました。回ったのは全部で3日、トータル10数件は見たでしょうか。彼なしで、私だけで気になった物件を再訪したこともありました。候補の中にはアパートもマンションもテラスハウスもありましたが、最終的に、藤沢駅から徒歩約15分の鉄筋コンクリート造5階建マンションの4階の部屋に決めました。築年は1991年なので2013年の時点で築22年、間取りはLDK12畳、和室6畳、洋室4.5畳、バス、トイレ別の2LDKで49.5u。前の部屋より10u以上広くなりましたが、その分家賃も少し上がり、6.9万円から8.6万円に。1.7万円ほどのアップですが、これはまあ許容範囲だろうと判断しました。

バス停も近く、マンションのすぐ前の通りを藤沢駅と大船駅を結ぶバスが走っています。そのバスに乗れば20分ほどで大船駅に出ることができ、そこからだと鎌倉駅までは横須賀線でわずか2駅です。また、藤沢駅からも、バスまたは江ノ電でダイレクトに鎌倉駅に行くことができるので、3つのルートをその日の気分で選ぶことができるのです。今までは小田急線の向ヶ丘遊園から、小田急線とJRを乗り継いで、1時間がかりで出かけていたのですが、それがずいぶん近くなるのが嬉しく、それ以外の生活環境のことなどはあまりシビアに考えずに結論を出してしまいました。その時の私は、
「たしかに向ヶ丘ハウスに愛着はあったが、7年も住んで、少々マンネリ気味の日常だった。それが、引っ越し代も敷金礼金もすべて先方持ちで、まだ見ぬ土地での新生活に移れるのだから、これはかなりラッキーだったかも知れないぞ」
などと考えていたのです。しかしそれが大きな誤算だったことは、引っ越してわずか数週間で露呈してしまうのですが…。

2013年12月1日、辻堂のM不動産を訪ねて正式契約。それから大急ぎで荷物の梱包を始め、同月12日朝、引っ越し開始。荷物がかなり多かったので、2トン車2台、5人体制での作業となりました。昼過ぎにはすべての荷物が新居に収まり、ガスの開栓、エアコン取り付けなども終わり、新生活が華麗にスタートしたかに思えたのですが…。

※「大きな誤算」とは何だったのか? 引っ越しを考えている人は必読の次回を待て!
posted by taku at 18:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月14日

立ち退きの記(1)

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4月も半ばだというのにずいぶんと寒い日が続いています。
先週は桜が咲いているその上に、雪が降り積もったりしていました。

さて、桜といえば、以前はこのブログや旧サイトのコラムに、上の画像のような、部屋の窓から見える見事なソメイヨシノの写真を載せるのが春の恒例だったのですが、現在ではそれも叶わぬこととなってしまいました。というのは、そのソメイヨシノが間近かに見えたかつての住居(賃貸住宅)は昨年取り壊され、現在の私はそのころとまったく違う所に住んでいるからです。なお、昨年あたりから何度か実家の増改築のことを書いてきましたが、それは母が単独で暮らす一戸建ての話で、私の住み替えはそれとはまったく関係ありません。たまたま時期がぴたりと一致しただけです。そういったプライベートな出来事が重なってバタバタしたこともあり、2013年の10月から2014年の4月までは、まったくブログを更新していなかったのです。そのあたりのことを、1年半が経過した今、備忘録的に綴ってみようと思います。賃貸住宅に住む人はそれこそ無数にいるでしょうが、建物の取り壊しのために立ち退きを余儀なくされたという人はそれほど多くないと思いますので、貴重な体験だったかも知れません。

私は2006年12月に「向ヶ丘ハウス」という、アパートとハイツの中間くらいの賃貸住宅に入居しました(軽量鉄骨造2階建、全6室)。最寄り駅は小田急線の向ヶ丘遊園、そこから徒歩約15分で、すぐ近くに専修大学の生田校舎があります。この大学の図書館は地域住民に開放しているので、調べ物などはずいぶん重宝しました。

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さて、建物の方は、1972年に建てられたということでしたからその当時で築34年、当然、外観は多少くたびれてはいましたが、室内はきちんと全面リフォームされており、床も流し台もトイレも、そして浴室と給湯器も新品で、嬉しい追い炊き機能までついています。間取りは6畳のDKと6畳の洋間、4.5畳の和室、バス、トイレ別の2DKで36.45u。単身ながら、いささか荷物が多めの自分にとって、まさにぴったりのサイズです。これで共益費込みで6.9万円は安い! と、内見してたちまち気に入り、それまで住んでいた7.5万円の古いマンションを引き払ったのです。

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ちなみに前のマンションというのも最寄り駅は同じ向ヶ丘遊園でしたが、駅の近くだったため、電車の音や踏切の音がうるさく、あまり閑静とはいいがたい場所でした。それに対してこの「向ヶ丘ハウス」は、住宅地の中にあるため、一部の学生が時折騒ぐ以外は大変に静かで、しかも南側には生田緑地が広がっており、少し歩けば四季折々の自然を満喫できる大変に恵まれた環境だったのです。そしてまた「向ヶ丘ハウス」そのものも、かなり庭が広く、百日紅(サルスベリ)、レンギョウ、白木蓮、椿、キンモクセイ、ピラカンサなどの木々が植えられていて、敷地の中だけでも充分に季節の移り変わりを楽しむことができました(詳しくはこちらこちらのページをご覧下さい)。

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そして最初に書いた、見事なソメイヨシノ。これは実は、敷地内ではなくお隣りの庭に植わっている大樹なのですが、私の住居は角部屋で一番お隣りに近いため、あたかも自分の庭の桜であるかのように、花が眼前に迫ってくるのでした。満開を迎える時期になると、天気がいい日は毎日窓を開け放ち、朝から日没まで桜を飽かずに楽しんだものです。やがて散り時を迎えた花びらが、風に運ばれて部屋に舞い込んでくるのも、なかなか風情があるものでした。

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そんなのどかな環境の下で、私は『凍える鏡』『影たちの祭り』という2本の映画を作り、『龍の星霜』という亡父の評伝を書きました。あの東日本大震災の激しい揺れも、この部屋で体験しています。そしていつの間にか7年もの歳月が流れていました。

私が実家を出たのは今から20数年前、28歳の時で、それから5つほどの賃貸住宅を転々としましたが、7年も住んだのはこの「向ヶ丘ハウス」だけです。それくらいこの物件は私には心地よかったということなのでしょう。もし、何事もなければ、おそらく今でも当たり前のように住んでいたと思うのですが、幕引きの時は突然訪れました。

2013年10月1日。「向ヶ丘ハウス」オーナーのAさんから封書が届きました。このAさんは私よりひと回り年長の女性ですが大変に筆マメな方で、入居者それぞれに季節のお便りを下さるので、またそのたぐいかな、と最初は思ったのですが、中を見ると何やら様子が違います。

手書きの書簡には「私は以前から海外に出かけることが多く、現在では1年の半分以上が海外という生活である。そうなると、物件の管理が行き届かないことも起こり得る。以前から管理会社を入れてはいるが、最近は担当者が短期間で代わってしまうので困っていた。そんな時、地元の不動産会社からオファーがあったので、この機会に物件を譲渡することにした。その会社は分譲だけでなく賃貸も手がけているので、賃貸契約の継承もスムーズに行われることと思う」というようなことが書かれていました。これだけなら、単なるオーナーの変更で、これからはその新オーナーに家賃を払えばいいだけの話なのですが、同封されていた「貸主変更通知書」を読んで、事態はもっと深刻なのを感じました。

貸主変更通知書

借主 大嶋拓 様

大嶋拓様と私Aとの間で賃貸借契約を締結しております川崎市多摩区○○ 向ヶ丘ハウスを、下記の株式会社○○○○に譲渡予定であることをご通知いたします。
大嶋拓様との賃貸借契約は、引き続き新貸主に継承されることになりましたので、どうぞよろしくお願いいたします。
なお、将来新貸主において、分譲事業が計画されることもありえますので、詳細については株式会社○○○○よりあらためて個別にお話しさせていただくことになっております。
重ねてどうぞよろしくお願いいたします。

新貸主 株式会社○○○○
旧貸主 A


将来新貸主において、分譲事業が計画されることもありえます」という文言がくせ者で、ここに書かれた「将来」というのは、5年後10年後などではなく、半年後かせいぜい1年後くらいの、かなり近い将来なのではないかと直感しました(こういう文書に不確定な計画についてわざわざ書くことはないと思いますので)。そしてその予感は的中し、それから2週間も経たない10月13日の夕刻、突然、空色の書類封筒がドアのポストに投げ入れられました。中に入っていた文書は以下のとおりです。

入居者各位殿

突然のお知らせ誠に申し訳ございません。

この度、当アパート(向ヶ丘ハウス)を事業用地として購入させていただきました株式会社○○○○営業担当のKと申します。

現所有者のA様からもお手紙が届いているとは思いますが、この度、当社で分譲住宅の予定をしています。つきましては、入居者皆様には大変ご迷惑をお掛け致しますが、建物の明け渡しのご協力をお願いしたく思います。

新しいお住まい探し等、当社も全面的に色々とご協力させていただきますので、何卒、良きご理解の程、宜しくお願い致します。

詳細については、私、Kが担当になりますので、ご意見等ご相談下さい。

宜しくお願いします。

平成25年10月吉日

株式会社○○○○
担当 K


「向ヶ丘ハウス」における穏やかな生活は、この日を以って終わりを告げたのでした。

※次回、不動産会社の立ち退き交渉の詳細が明らかに!
posted by taku at 16:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする