2015年09月19日

復活!Seesaaブログ

一昨日(9/17)の18時あたりから、GoogleやYahooなどの検索結果に、Seesaaブログのページが表示されないという不具合が起こっていましたが、先ほど(9/19の18時前後)復旧したようです。私は一昨日の夜、帰宅してから異変に気づき、最初は、もしや自分のブログだけ何らかの理由でペナルティが課せられたのでは? とかなり気をもみましたが、一夜明けて、どうやらSeesaaブログ全般にわたる障害らしいとわかって少し安心し、でも、連休に入ることでもあるし、復旧にはかなり時間がかかるのではないかと、なかば諦めの境地でした。思ったより早く正常に戻って正直ほっとしています。

【衝撃】SeesaaブログがGoogleからペナルティを食らって全ブログが検索結果から消滅

ある人がある時ある検索ワードを打ち込んで、その表示結果からこのブログにたどり着き、記事を読むことで私の存在を知ってくれる、というのは、ネットならではの「出会い」であり、ささやかな励みでもありました(その人の姿は見えないものの、アクセス解析などからわかります)。ですから17日の夜、ブログのタイトルやいろいろな検索ワード(たとえば「大船観音」と「シルバー仮面」、「鎌倉アカデミアを伝える会」、「文學者之墓」等々)を打ち込んでも、自分のページが一切表示されないという事実に、少なからずショックを受けました。2008年3月にブログを立ち上げて以来、こんな現象は初めてのことです。少し大げさですが、何か計り知れない力によって、自分の存在がきれいさっぱり消されてしまったような、ある種の心細さを感じたと言うか…。しかし、ドメインを取り、レンタルサーバーに料金を払って運営している公式サイトと違って、このブログは無料サービスなので、何が起こっても文句は言えません。Seesaaは広告を非表示にできるし、カスタマイズも自由度が高いので結構気に入っていたのですが、今後、同じような現象が起きるようなら、公式サイト内にブログを置くなど、運営スタイルを変えることも必要になってくるのでしょう(個人的には、公式サイトとブログはやや立ち位置が違うので、一緒にしたくないんですよね〜)。

さて、ちょっと変わった張り紙や看板などを紹介する画像特集第2弾。

歩行者からのメッセージ

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川崎市多摩区にて。大変幅が狭い道路なので、言わんとしていることはわかるのですが…

へりくだり過ぎ

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長野県内のとあるビジネスホテルで。「もちろん無料」だそうですが、何となく躊躇したくなります。

観光地?

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よく読むと、ちゃんと五七五調の標語になっています。最大の疑問は、これが小田急線の向ヶ丘遊園駅構内に現在も設置されていること。まあ、遊園地があったころは観光地だったのかも知れませんが…

神の怒り

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かなり怒ってます。したがってユーモアを交える余裕もなく、大変ストレート。まあ、この張り紙があったのは神社のすぐそばですし、気持ちはわかります。これも川崎市多摩区にて。

始末されないために

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横浜市保土ヶ谷区で発見。「何を」始末するのかわかりかねますが、「長寿会」というのは多分老人会でしょうから、そうすると、若い世代に向けての切実なメッセージとも受け取れます。しかし今のご時勢、年寄りの方が金もパワーもありますから、その心配はないでしょう。ちなみに、漢字が「始未」になっています。

なんか、字ばっかりで写真として面白みに欠けるので、最後に、街で見かけた非常事態の光景を。

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パトカーが止まって建物は立ち入り禁止。何か事件か? と思ってふと上を見ると、

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ビルのガラス窓が1枚、落下したようです。たしかに、非常事態ではあります。静岡県三島市にて。
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2015年09月15日

必殺の2.85秒/ほか3本

先週以来、「赤塚不二夫生誕80周年ネタ」で予想外にエネルギーを使ってしまったので、しばらくは超手抜き企画を。

今からちょうど10年前の2005年に、公式サイトの方で「旅路の果てに人生あり」という、ちょっと変わった張り紙や看板などを紹介する画像特集をやったのですが、それの続編みたいなものです。

必殺の2.85秒

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数年前、川崎市多摩区の専修大学図書館内のトイレで見かけた張り紙。
3秒ではなく2.85秒! オリンピック記録なみの精度が要求されているわけですね。ハードルが高すぎたのか、現在は張られていません。なお、タイトルは『ウルトラセブン』第36話「必殺の0.1秒」のもじりです。

カラスの餌食

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同じく川崎市多摩区の多摩川のほとりにて発見。書かれていることは本当なんでしょうか。だとすれば結構怖いです。

駅長に告ぐ

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かなり前、東西線早稲田駅にあった伝言板。小学生(多分)の駅長への直訴文です。左隅で、「イタズラされるから最低限しか置かんだけでしょ」と回答しているのは、駅長ではなく通りすがりの人だと思いますが…。こういう伝言板も、最近はめっきり見なくなりました。

駅前ホルモン

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最後は、調布市国領町の、昭和の封切映画風レトロ看板「駅前ホルモン」。どう見ても森繁、伴淳とフランキーですが、許可関係はクリアしたんでしょうか? この店舗は2011年に閉店し、今は少し場所を変えて「もつやき処い志井」国領店として営業しています。

こんな感じで次回につづく(多分)。
posted by taku at 20:30| 写真 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月14日

ハッピーバースデー

前回まで、赤塚不二夫の生誕80周年を勝手に記念して、赤塚不二夫と「フジオ・プロ」関連の知られざる作品をいろいろと紹介してきたが、今回は最終回ということで、「天才バカボン」が初めてアニメ化された1971年に発売のソノシートつき絵本を紹介してみたい。現在ほとんどオークションなどにも出回っていないようで、それなりにレア度は高そうだ。オールカラーの絵本に、主題歌とドラマ「はじめちゃんのたんじょう」が収録されたソノシートがついている。

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『テレビマンガ・うたとおはなし 天才バカボン』(朝日ソノラマ)

絵は赤塚本人ではなくフジオ・プロの手によるものだが、なんと脚色は辻真先。アニメ本編では3クールから参加するベテラン脚本家が、この絵本でハジメ誕生編(しかも内容はかなりオリジナル度高し!)を手がけている。さらに特筆すべきは、声優がテレビ放送とは一部異なっていること。バカボンは山本圭子、ママは増山江威子で変わらないものの、なんと、パパは雨森雅司ではなく富田耕生が担当しているのだ。富田といえば、「平成天才バカボン」のパパの声の人だが、こんなに早い時期からパパを演じていたとは! そしてハジメは貴家堂子ではなく野村道子。私はテレビ放送が始まった直後にこの絵本を購入したので、ソノシートを聴いて、テレビとの違いに大変違和感を抱いたものだ。富田耕生の声は「もーれつア太郎」のブタ松などですでに聞き覚えがあったが、パパ役にはあまり合っていないように思い、テレビの雨森雅司の方に圧倒的に好感を持ったものである。

※ソノシート音声はこちら(一部抜粋・mp3ファイル)

どうしてこういうキャストの不一致が起きたのだろうか。考えられるのは、主題歌はすでに録音済みだったが、アニメ本編の方は、まだキャストが100パーセント確定していなかった時期に、このソノシートが先行して制作されたということである。とすると、少なくとも富田耕生はパパ役の候補者だったわけで、「平成〜」での起用も、かなり前からの下地があったことになる。

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さて、アニメ第1作の「天才バカボン」は、パパが植木屋だったり、バカボンの学校描写が多かったりと、原作を改変した部分が多々あり、赤塚本人は気に入っていなかったそうだが、私などは、全体にほのぼのした雰囲気の第1作の方が、アナーキーな原作に寄せて作られた「元祖」よりお気に入りである。「魔法使いサリー」「ゲゲゲの鬼太郎」「サザエさん」といった名作アニメを多数手がけた雪室俊一や前述の辻真先などが脚本を書いていて、起承転結がきっちりしていたのも、安心して見ていられた理由かも知れない。

しかし、そんな「ほのぼの系」の第1作アニメが放送されるころ、作者の赤塚自身にはすでにある兆候が現れ始めていた。

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『少年マガジン』1971年38号。氷室洋二とマス大山にひげを描いたのは小学校時代の私です。

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この回は、「テレビ化決定記念」と銘打った通常の倍近い30ページの大作だが、その扉がいきなりこれ。
左下には、酒瓶を片手にペンを握る赤塚の姿が。

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内容も、暴力団のボスが深刻なアル中で、酒が切れると重篤な禁断症状を起こし、周囲を大混乱に陥れるというもの。バカボンのパパも、中盤では多少の見せ場を与えられているが、最終的には巻き込まれキャラの一人でしかなく、この話の主役は、まぎれもなくこの暴力団のボスである。酒が切れた時の錯乱描写に妙なリアリティがあるのは、すでにこのころから赤塚自身にもその兆候があったからだろうか。

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ボスは禁断症状を起こすと人間がけだものの姿に見えて錯乱するのだが、もともと犬そっくりの顔だった警官を見た時「あっ、あなただけ人間」と正気を取り戻し、ピストルを捨てる。そして部下たちによって独房に入れられてしまう。後年、赤塚もアルコール依存症による幻覚がひどくなっていたことを考えるとこのあたりの展開は笑えない。というより、まるで未来の自分を予見していたようで、背筋がぞっとする。

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最後は、ほろ酔い気分のバカボンのパパが、夜店に出かけてお面をかぶって戻ってきたバカボンとハジメを見て幻覚と勘違いし、「わーっ もうお酒は やめたのだ!!」と叫ぶという明快なオチ(欄外アオリに「幻覚症状でメロメロにならないうちに禁酒してネ」とあるのは、担当記者から赤塚への密かなメッセージか?)。
このパパのように、赤塚本人もどこかで酒の怖さに気づき、アルコールを遠ざけていれば、彼の後半生はまったく違うものになっていたかも知れないのにと残念に思う。

しかし、亡くなった人の人生について今さら外野があれこれ言っても始まらない。人生の後半がほぼ酒びたりだったにせよ、彼は前半生だけで、およそ余人に真似のできない金字塔を打ち立てたのだ。

今日は赤塚不二夫の生誕80年を祝う記念すべき日である。人間はいつか必ず死ぬが、作品は永遠だ。生身の彼は72歳で死に、それ以上年を取ることはないが、心に残る作品をたくさん残したことで、こうして死んだあとまで多くの人がその誕生を祝福してくれる。これで、いいのだ。
posted by taku at 01:18| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月13日

2軍のドンケツくん/ゆかい盗五面相

赤塚不二夫の生誕80周年を勝手に記念して、40数年前の雑誌から赤塚不二夫と「フジオ・プロ」周辺の隠れた作品を紹介するシリーズの第4弾。そろそろネタも息も切れてきたので、今回はごくごく簡単に。

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取り出しましたるは『中一コース』1975年9月号と『中一時代』1976年9月号。
『中一コース』の方は表紙が欠落しているため、当時の「ヤング・アイドル」豊川誕、山本明、草川祐馬の姿がおがめる。

なぜ年度違いで『中一』雑誌が2冊あるかというと、別に留年したわけではなく、1975年の方は、小学6年の時に、背伸びして一学年上の雑誌を買ってみただけ(そういうことをしたくなる時期ってありますよね)。

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でもって、まず『中一コース』の方には、フジオ・プロのチーフアシスタントを務めたあだち勉の「2軍のドンケツくん」(本作ではあだち・つとむ名義)。

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このころの低迷していた長嶋巨人軍を思い切りおちょくる内容。この回では連敗続きのジャイアンツに業を煮やした監督の妻が家出してしまう。

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監督は試合終了後のインタビューで、家出した妻に「帰ってきておくれ!」と嘆願(思い切り実名で。今ではこういうギャグも「自主規制」の対象かも知れない)。

この手のブラックな笑いはいかにも当時のフジオ・プロ作品という感じだが、同作品の欄外に気になる一文が。

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あんた“充”のなんなのサ!!」 ←この言い回しで時代がわかります

という読者の質問に対し、

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ワタシャ“充ちゃん”の兄キだよ! 不肖(?)の弟だが、偉大(?)な兄キ同ようヨロシクナ!

との回答が載っている。私はこれを読んで、あだち勉とあだち充という二人の漫画家が兄弟だということを知った。この時期、あだち充もまだ「青の時代」で、同じ『中一コース』に「ヒラヒラくん青春仁義」(原作・佐々木守)を連載していたのだ。

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画風は「レインボーマン」(1972〜73)のころに近い。下は夏休みならではのサービスカット。

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この「賢弟愚兄」の漫画人生については、あだち勉の『実録あだち充物語』(1984年・小学館)に詳しく書かれているようだが、何より驚くのは、1947年生まれで、赤塚不二夫よりひと回りも若いあだち勉が、赤塚より4年も早くこの世を去ってしまったこと。フジオ・プロ黄金期のメインスタッフは、長谷、古谷、高井、とりい、北見と、まだほとんどが存命だというのに…。

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なお、この『中一コース』では、やはりフジオ・プロのアシスタントだったてらしまけいじも、「てらひまロミオとキミのアジャパー狂室」という読者参加ページを担当していた。

一方の『中一時代』には、斉藤あきら(本作では斎藤あきら名義)が「ゆかい盗五面相」を連載。こちらは、ライトに笑える泥棒ギャグで、テイストとしては長谷邦夫の描く世界に近い(勝手な主観です)。

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この人は1934年生まれだから赤塚よりひとつ年上なのだが現在もお元気な様子。杉浦茂を振り出しに、高野よしてる、手塚治虫、横山光輝のアシスタントを務め、その後フジオ・プロに入ったという波乱の経歴(ジャガープロという自身のプロダクションを立ち上げたこともあるらしい)。

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もともとは劇画的な画風だったというが、これを見る限り完全な赤塚タッチで、ここまで似ていると、相当代作もしていたのではないかと考えてしまう。

上記の2冊は1975、76年のもので、この時期、赤塚自身はすでに漫画家としてのピークを過ぎつつあった。連載は多数持っていたが、残念ながら後世に語り伝えられるような傑作は生み出されていない。しかしテレビに目を移せば「元祖天才バカボン」(2回めのアニメ化)が1975年10月から2年間にわたって放送され、赤塚不二夫という存在は、すでにひとつのブランドになっていた。
posted by taku at 13:44| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月12日

マンバカまん

赤塚不二夫の生誕80周年を勝手に記念して、40数年前の雑誌から赤塚不二夫と「フジオ・プロ」周辺の隠れた作品を紹介するシリーズ第3弾。

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今回の引用元は『少年キング』1974年40号。表紙はジョージ秋山の「スターダスト」。この号からの新連載だった。

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この当時『キング』では赤塚不二夫本人が「オッチャン」を連載中。だが、「フジオ・プロ内では大評判!!」などというキャッチが書かれていることから察するに、あまり一般の評判は高くなかったようだ。

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内容はこんな感じ。右ページ下の大ゴマは、おそらくアシスタント椎屋光則によるものと思われる。

さて、今回ご紹介したいのはこの「オッチャン」ではなく、長谷邦夫、古谷三敏、とりいかずよしらとともにフジオ・プロの黄金時代を支えた北見けんいちの「マンバカまん」。

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「代原が傑作なので連載に!」「ついに連載13回目…」というキャッチを読むと、この漫画の置かれた状況が何となくわかる。最初は誰かほかの作家が空けた穴を埋めるためのピンチヒッターだったのが、意外と評判がよかったため、そのまま連載という流れになったのだろう。

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私は、この時代の『キング』はこの号しか持っていないので、前後の状況はよくわからないのだが、どうやら主人公の駆け出し漫画家は、夏休みで民宿を営む実家に帰省している模様。そこに、たまたま休暇を取って海に来た『少年ピング』の坂本記者が現れる、というお話。

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全部で7ページという小品で、大したひねりもない楽屋オチギャグなのだが、すでにフジオ・プロに入って10年を数えるだけに、北見のペンタッチは安定しており、登場人物の動きなども御大の赤塚より生き生きしているように思える。

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※この画像は「まんだらけ」の通販サイトからお借りしました

この「マンバカまん」はかなりの長期連載となり、翌1975年には曙出版から単行本も発売されているので、幻の作品と呼ぶのは御幣があるのだが、なぜか、ネットの百科事典などを見ると、北見けんいちのデビュー作は1979年の「どじょっこふなっこ」ということになっている。そうなるとこの「マンバカまん」は、どういう位置づけになるのだろう。「絵柄が現在のものと異なる」からだともネットの百科事典には書かれていたが、上の絵を見る限り、もうかなりの完成形ではないかと思うのだが。何より、本人名義の単行本が世に出ていながら、それがデビューに当たらないというのはどう考えても納得がいかない。このあたりは、何か特別な事情でもあるのだろうか。

しかも、さらにさかのぼって、こんな本まで見つけてしまった。

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『トランプの遊び方』(1972年・集英社)

「まんが版入門百科」というシリーズの1冊なのだが、御厨さと美の描いた表紙をめくってみると、

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この見覚えのある絵柄は、間違いなく北見けんいち。

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巻末には「北見けん一」と表記されていたが、これなども、入門書とはいえ単行本を1冊きっちり描ききっているわけだから、もはやこの時点でプロデビューしていると言っても間違いではないと思うのだが…。

さて、北見けんいちと言えば、もちろん代表作は「釣りバカ日誌」ということになるのだろうが、私は「釣りバカ」はまったく読んだことがないので何もコメントすることができない。しかし、もうひとつの代表作と言うべき「元気くん」(中日新聞・東京新聞のサンデー版で25年間連載)は、東京新聞を長年取っていたので週に1度きっちり読んでいた。その「元気くん」の中で、フジオ・プロ時代のエピソードがしばしば語られていたのが今となっては懐かしい(元気のいとこ・とおるが赤塚不二夫のアシスタントをしているという設定だった)。

もはや伝説のエピソードとも言うべき、赤塚、長谷、古谷、北見らの銀玉鉄砲事件も、長谷邦夫の『赤塚不二夫 天才ニャロメ伝』(2005年・マガジンハウス)ではこんな感じだが、

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「元気くん」では、藤子・F・不二雄に怒られたあとのことにも触れられており、ご丁寧に「よい子の皆さんは絶対にマネしないでね」との注意書きが添えてある。

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また、北見が買った車に赤塚が「おそ松くん」のキャラクターを描いたエピソードも。

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これらの「元気くん」は2008年9月7日掲載のもの。同年8月2日に他界した赤塚に哀悼の意を表した、しんみりした幕切れだった。

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posted by taku at 20:21| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月11日

ド超人ド3匹!

赤塚不二夫の生誕80周年を勝手に記念して、40数年前の雑誌から赤塚不二夫と「フジオ・プロ」周辺の隠れた作品を紹介するシリーズ第2弾。

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今回の引用元は『ぼくらマガジン』1970年38号ほか。

前回の「現金(げんなま)カッパライ作戦」は、21世紀に入ってから単行本収録がなされているという点で、かなりレア度は低かったが、今回は本当に幻の作品。何しろ「ド超人ド3匹!」で検索をかけても、出てくる記事はほんの数件で、しかも、とりいかずよしの単独作品のように書かれているし、画像にしても、あがってくるのはキン肉マン関連の「超人」など関係ないものばかり(2015年9月11日調べ)。

掲載誌が、わずか1年半で廃刊になった『ぼくらマガジン』、しかも連載回数が極端に短かったこともあり、今やその存在を記憶している人もほとんどいないのではないか。しかも、フジオ・プロに所属していた複数の漫画家がリレー形式で執筆しているため、著作権の扱いも面倒くさそうで、もはやこの先再録や単行本といった形で世に出ることもないだろう。しかし、アナーキーな70年代初頭にパッと咲いてパッと散ったこの作品は、今一度顧みるべき魅力を備えていると思う。実際、このころ小学校1年生だった私は、連載第1回目で、この作品にかなり「シビレて」しまったのである。

まずは連載開始前の37号の予告ページから。

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「フジオ・プロ競作連載」とあり、長谷邦夫、古谷三敏、とりいかずよしの3人の名前が。1年前の「現金(げんなま)カッパライ作戦」でも顔を揃えていた、フジオ・プロの主要メンバーである。

イラストは左から、スケスケじじい(長谷邦夫担当)、そのむすめ(古谷三敏担当)、むすこ(とりいかずよし担当)。この3人がすなわちタイトルになっている「ド超人」のド3匹なのだが、キャラクターデザインにはそれぞれ若干変更が見られ、むすめのアラビアンスタイルは本編には登場せず、また、むすこも顔の露出がこれより多くなっている。まあ、新連載予告の時には、まだデザインが固まっていないというのはよくあることだが…。

ではいよいよ第1回(38号)のご紹介を。

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最初の数回はスケスケじじいがメインキャラなので作者表記は「長谷邦夫とフジオ・プロ」。以下、むすめメイン回(古谷三敏担当)、むすこメイン回(とりいかずよし担当)と続き、連載終了という流れであった。

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道の側溝(ドブ)を駆け抜けて颯爽と登場した「ド超人」のリーダー・スケスケじじいが読者にあいさつ。自分たちは「正しい社会をきずくため 神がこのけがれたる地球上につかわされたスーパーマン」であると語る。

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第1回ということで、スケスケじじいの超能力「ドスケール」(透視力)を使って登場人物全員の紹介(この透視力を使う時、必ず「ゲーテいわく、光あれ!」というのがミソ。私はこれがかなりお気に入り)。
トキワ荘チックなぼろアパートに、親子3人が住んでいるという設定で、スケスケじじいは押入れ、むすめはベッド、むすこはトイレ、という具合にシェアしている。

このように同一コマに複数の漫画家の絵が共存しているのは、タッチの違いもよくわかり、今あらためて見ると大変興味深い。分離する前の藤子不二雄作品(「オバケのQ太郎」「パーマン」など)を思い起こさせる。

このあとスケスケじじいは、顔見知りの警官に「大福を1こ買いたいが、どれが一番多くあんこが入っているか透視してくれ」と頼まれるが、「なんたる日本国家のだらく」と怒りの鉄拳制裁を下し、日本にはまだ大福も買えない貧しい人がいる、と考えて、通りがかりの主婦から無理やり350円の募金をくすねる。しかしそれを寄付するかと思いきや、「朝めしがまだじゃったい」と近所の食堂に入り…

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このあとも、一目ぼれした食堂の女店主をデートに連れ出すなどかなりむちゃくちゃ。そもそも、大福のあんこを透視してくれと言った警官のことを怒るくせに、自分も海老天の中を透視するという同レベルのことをやっているのだ。しかしスケスケじじいのアナーキーさは、どこかほのぼのしており、赤塚不二夫ほどの悪意や狂気は感じられず、ギャグとして安心して読んでいられる。実は私は、長谷邦夫の描くこういうキャラが割と好みである。だから「天才バカボン」などでも、長谷が代筆した話の方が正直肌に合うのだが、生粋の赤塚ファンからすれば、長谷の描く赤塚ワールドは毒が足りないということになるのだろう。

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さて、話はいよいよ佳境に。やりたい放題のスケスケじじいは、ヒッピー風の若者や、先ほどの警官や主婦に追い回されピンチに。家に戻ってむすめとむすこに加勢を頼む。

むすめの超能力は「ド・ベッタリキッス」。キスした人間を思うままにあやつることができる。
この娘、一見すると目元涼しい美人なのだが、マスクを取ったら実は…というビジュアルで、このあたりは口裂け女を先取りしているようにも思える。

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そして最終ページでやっとむすこが登場し、超能力「ジャンボうんこ」(とりいかずよしギャグ)でしめくくる。

こんな感じで、第1回めは顔見世興行的な要素もあって、かなり面白く読んだのだった。何より素晴しいのは、冒頭で、「正しい社会をきずくため、神がこのけがれたる地球上につかわされた」と言いながら、正しい社会を築くための行動をまったくしていないこと。「本人は善意を行っているつもりなのに、それが裏目に出て…」というパターンとも違い、まったくのナンセンスギャグで、このあたりはさすがフジオ・プロ作品という感じがする。当然、それ以降も期待して読んだのだが、古谷三敏担当のむすめメイン回は、なぜかむすめが偏執狂的な男に付きまとわれ四苦八苦するような話で、超人としての活躍場面もほとんどなく、ライトなギャグ路線とはほど遠かった(これはこれで作家の個性だと思うが)。また、とりいかずよし担当のむすこメイン回は、やはりというべきか「トイレット博士」と同系統で下ネタ率が高く、これまた「何か違う」という印象だった。結局、私は長谷邦夫の描くスケスケじじいの魅力にはまっただけで、ほかのキャラクターにはあまり思い入れることはできなかったのである。そうこうしているうち、連載はあっという間に終わってしまった。

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むすめメイン回の扉。作者表記は「古谷三敏とフジオ・プロ」。古谷三敏の描く女性は美しい!

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最終回の扉。むすこメイン回なので作者表記は「とりいかずよしとフジオ・プロ」。やっぱり古谷三敏の描く女性はとても魅力的。

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最終回前半部分。こうやって3人が部屋で話している場面は、先ほども書いたように、複数の漫画家の競作という感じが伝わってきて好ましい。

この回はご覧のとおりむすこメイン回で、ある事情から一度は自分の超能力を封印するのだが、最後にはやむを得ず「ジャンボうんこ」をひり出し事件を解決するというもの(かなり切ない話なのだが、これが最終回というのも…)。

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最終回の最終ページ。「ド3匹」の雄姿でしめくくってはいるが、実際にこの3人が「チーム」としてひとつの事件に挑むというエピソードは1回もなく、それが実に残念なところである(スケジュールの関係で真の競作というのは難しかったのだろうか)。しかし、今やそれぞれ一枚看板となった長谷邦夫、古谷三敏、とりいかずよしの3人が、フジオ・プロ時代にこういう画期的な試みを行っていたことは注目に値すると思う。最後に、この知られざる作品に今一度スポットが当たることを祈りつつ、
ゲーテいわく、光あれ!
posted by taku at 20:29| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月08日

現金カッパライ作戦

赤塚不二夫の生誕80周年を勝手に記念して、40数年前の雑誌から赤塚不二夫と「フジオ・プロ」周辺の隠れた作品を紹介するシリーズ第1弾。

今回の一冊はこちら。

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『少年サンデー』1969年37号。表紙は石井いさみの「くたばれ!!涙くん」。何かカッコいいっす。

ページをめくると、いかにも1969年という感じのアポロ11号の模型広告につづき、いきなり展開される白昼の誘拐劇(カラーページなのにあえてモノクロを使うところが憎い)。

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怪しい男たちに拉致される少女、走り去る車、道路に転がったバスケット。完全に映画のオープニングシーンです。

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本格写真コミック「現金(げんなま)カッパライ作戦」

神宮前、南砂町などでもロケを行ったそうで、かなりの気合いが感じられる作品。全編スチール写真で漫画を表現するというのは、かなり画期的な試みだと思う。当時幼稚園の年長だった私も大変気に入り、何度も読み返したのを覚えている。

なお、この作品については、2007年に刊行された『天才バカボンTHE BEST』(小学館)に収められているから「幻の作品」というわけではないのだが、『THE BEST』には白黒での収録でもあり、また一般への知名度はそれほど高くないと思われるので、この場を借りて紹介してみたい。

天才バカボン誕生40周年記念 天才バカボン THE BEST 小学館版 (少年サンデーコミックススペシャル) -
天才バカボン誕生40周年記念 天才バカボン THE BEST 小学館版 (少年サンデーコミックススペシャル)

長谷邦夫の著書『赤塚不二夫 天才ニャロメ伝』(2005年・マガジンハウス)には、

赤塚のコスプレ好きは、スタジオ・ゼロでの仮装パーティからはじまったのだが、しまいには『週刊少年サンデー』のカラー・グラビアページをもらって写真マンガを制作した。

との記述があり、この企画は赤塚の趣味が昂じた結果だという。しかしそんな趣味が、巻頭グラビア16ページの作品という形で誌面を飾ってしまうのだから、このころの赤塚のパワーはすさまじい。当時34歳。もっとも油が乗っていた時期かも知れない。

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キャスト写真を見ると、当時のフジオ・プロの中核メンバーが勢ぞろい。高井研一郎はすでに退社後だったとしても、北見けんいちの姿がないのは何故だろう?
また、ギャング団に扮したのはドンキーカルテットの面々。小野ヤスシという芸能人を初めて知ったのはこの作品だったと記憶している。

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大富豪・狸小路家令嬢誘拐事件に挑む、「紅顔の老刑事・アカツカ」と「刑事・迷宮(おみや)のトリイ」(素晴しいネーミングセンス!)

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娘をさらわれたショックで気が狂った狸小路氏には長谷邦夫。

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古谷三敏はレレレのおじさん役でワンカットだけのカメオ(?)出演。

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むさ苦しい男たちの中で紅一点の令嬢役・植田多華子は当時の人気子役。その後1980年あたりまで女優として活動。

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ギャング一味は令嬢の身代金として3億8円を要求、狸小路氏は泣く泣く金を用意する。山と積まれた札束を見たアカツカとトリイは、警察官の立場も忘れ身代金をネコババすることを思いつき、急造した偽札で令嬢の奪還を試みる。

だがギャング一味も令嬢の偽者(赤鼻のイワイ)を用意していたためこの作戦は失敗。しかし、イワイを尾行することで、アカツカとトリイはギャングのアジトを発見する。一方イワイは令嬢に愛慕の情を抱き、逃亡を手助けしたためギャングのボスの怒りを買い、組織から厳しい制裁を受けるのだった。

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「ウンチのリンチを加えるズラ!!」
「カレーにしてよ、かあさん!!」 ←ハウス印度カレーのCMより

まさにとりいかずよし的なギャグ炸裂。実写でやるとインパクトも強烈で読んでいて腰を抜かした。
「スカトロジー」という概念を初めて潜在的に意識した衝撃的画像である。

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アカツカ、トリイとギャングたちとの激しい銃撃戦。一味は全滅し、令嬢も無事に狸小路氏の元に帰る。

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「はやくお金をわけようよ」とほくそ笑むアカツカとトリイだが、肝心の身代金は折からの強風ですべて飛ばされてしまい、失意の2人は入水自殺してしまう…、というなかなかよくまとまったストーリー。「悪はほろびるのだ」などという文もあり、まだこのころのフジオ・プロ作品は十分に良識的であったことがうかがえる。

写真漫画が終わると、次のページからはすぐに「もーれつア太郎」というナイスな連携。

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この回の「もーれつア太郎」は「現金(げんなま)カッパライ作戦」を意識してか、ギャングの一味が登場。

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本誌の中ほどには「おれはニャロメだ!!」という特集ページも。すでにニャロメはかなりの人気キャラだったことがわかる。

このように、全体にかなり「赤塚押し」の一冊なのだが、まだまだこれでは終わらない。巻末にはなんと「天才バカボン」まで!

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実はこの2号前の35号から、『少年サンデー』には「天才バカボン」が連載されていたのだ。「天才バカボン」は言うまでもなく、『サンデー』のライバル誌『少年マガジン』の看板作品だったのだが、先ほども引用した長谷邦夫の『赤塚不二夫 天才ニャロメ伝』によれば、赤塚は『サンデー』編集部の広瀬部長に強く頼まれ、移籍を決めたのだという(この「電撃移籍」には幼稚園児の私もたまげました。世の中こういうことがあるのかと)。

なお同書には、

『少年サンデー』は「おそ松くん」のあとの新連載「もーれつア太郎」の人気が今一つだったための強硬手段だった。(中略)だが、ア太郎にニャロメが登場して、そのヤンチャぶりがたちまち人気キャラとなり「もーれつア太郎」も人気急上昇!

とあるが、これは時系列がいささか正確でないように思われる。というのは、上の画像でも明らかなように、この時期の「もーれつア太郎」にはすでにニャロメが登場して十分人気キャラに成長していたし、「ア太郎」自体も、その年の春からテレビアニメになり、「おそ松くん」とほぼ同等と言ってもよいヒット作になっていたからだ。もっとも、古い記憶において、エピソードの順序が入れ替わるのはしばしば起きることである。この時期、部数において『マガジン』の後塵を拝していた『サンデー』が、テコ入れのために「天才バカボン」を引き抜いたのはまぎれもない事実なのだ。

しかし、『サンデー』における連載開始の前の号(34号)をめくってみると、意外なことがわかる。全部で3ページ、新連載の告知があるのだが、

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そのすべてに、
「夏休みの特別プレゼント」
「夏休みを楽しんでもらう」
といった文言が添えられているのだ。

どうやら「連載」と言いつつ、当初は夏休み期間限定のスペシャル企画だったようだ。実際、37号のあとは2ヵ月以上誌面に登場していない。その後は47号、49号、51号から1970年15号までと比較的コンスタントに掲載が続くが、『サンデー』連載はここで終了。初のアニメが制作された翌71年には古巣の『マガジン』に復帰する。
いろいろと大人の事情があったことが推察されるが、少年漫画誌の両横綱と言われた『マガジン』と『サンデー』の2誌を股にかけて連載された作品というのは大変に珍しく、他には、経緯はまったく違うものの、手塚治虫の『W3(ワンダースリー)』が思い浮かぶくらいだ。やはり赤塚不二夫という存在は、漫画界のパイオニアであったのだとあらためて思う。

【追記】何という偶然! 今回紹介した『少年サンデー』1969年37号が現在オークションに出品されているではないか(9/15まで)! 写真を見る限り私が所有するものよりコンディションがよさそう。それほど高価でもないので、気になった方はこの機会に是非!
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2015年09月07日

赤塚不二夫 生誕80周年

前回のブログでは渡辺宙明卆寿(生誕90年)記念コンサートを取り上げたが、今年はあの赤塚不二夫の生誕80周年の年でもあり(9月14日が誕生日)、いろいろとイベントも企画されているようだ。

赤塚不二夫公認サイト|赤塚不二夫生誕80周年

赤塚不二夫といえば、私のような1960年代生まれにとっては、まさにその時代を代表するギャグ漫画家のひとりで、幼稚園から小学校時代には、「おそ松くん」「天才バカボン」「もーれつア太郎」など、ずいぶん夢中になって読んだものである。ただ70年代以降は、正統派のギャグは影を潜め、かなり毒の強い内容のものが多くなってしまったため、作品とは徐々に距離を置くようになっていったのだが…。
しかしながら赤塚不二夫は、手塚治虫とならび漫画の世界に「スターシステム」を導入したまさにパイオニアであり、彼が考案した数多くのキャラクターは、生涯記憶から消え去ることはないであろう。

ということで、生誕80年を記念してのお蔵出しはこちら。

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今では絶対に手に入らない赤塚不二夫の直筆サイン色紙で、書かれているのはベラマッチャ。

『週刊少年サンデー』に「レッツラゴン」が連載されていた当時のもの(1972か73年)。
どうしてこれを私が持っているかと言えば、ある日突然、サンデーの編集部から自宅に郵送されてきたのである。そのころ「レッツラゴン」の似顔絵をサンデーに投稿したことがあったのだが、どうやらそれが採用されたようで、色紙は賞品という意味らしい。「らしい」というのは、私は小学校時代はずっと「マガジン派」で、サンデーはほんのたまにしか買っていなかったため、いまだに実際の掲載誌を見ていないのだ(たまにしか買っていない雑誌にどうして似顔絵などを送ったのかは今でも謎)。いつか時間があったら、国会図書館か都立多摩図書館で、バックナンバーを確認してみようと思っている。

赤塚不二夫という漫画家とその作品については、すでに多くの人が語り、関連書もかなりの数出ているから、私などがあれこれ言う余地はないのだが、私の所有する1960〜70年代の雑誌などには、今ではあまり目に触れることのない赤塚不二夫と「フジオ・プロ」周辺の作品がいろいろと散見されるため、今後何回かにわけて、それらを紹介してみたいと思う。
posted by taku at 20:09| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする