2016年07月17日

ウルトラマン放送開始50年

19660717.jpg ※画面はハメコミ合成です

今を去ることちょうど50年前、1966年7月17日(今日と同じ日曜日であった)。TBS系列で夜7時から放送が始まったのが、ご存じ「ウルトラマン」である。1963年生まれの私はこの時まだ3歳だったから、放送開始の時の詳細な記憶はない。しかし、毎週熱心に番組を見ていたのは間違いないし、シスコのウルトラマンチョコレートの懸賞に応募して流星バッチを2回ゲットしたこともある(残念ながら現物は今はない)。現代コミクスなどの雑誌を毎月愛読し、お絵描きといえばひたすら怪獣とウルトラマンであった。そして、最終回の放送日(1967年4月9日)が、ちょうど今の実家に引っ越した当日であったこともあり、ウルトラマンがゼットンに倒されたあのエピソードを新居で視聴した記憶ははっきりある。実はその時、後に「帰ってきたウルトラマン」を演じることになる、きくち英一氏が引っ越しの手伝いでうちに来ていた(きくち氏は日大芸術学部での父の教え子である)。彼と一緒に番組を見たというのも、今思えば不思議な体験であった(そのあたりの詳細はこちら)。

とにもかくにも、日本特撮史上に燦然と輝く番組が、今からちょうど半世紀前にスタートしたわけで、53歳の私としては、自分の人生とほぼ重なっているということもあり、感慨は尽きない。

しかし、「ウルトラマン」については、正直どうも筆が重い。今年は「仮面ライダー」の生誕45周年の年でもあり、4月にはそれにちなんだブログも何回か書いたが、「ライダー」については、特に何の抵抗もなかった。それが「ウルトラマン」になると、どうしていろいろ作品と関係ないところでブレーキがかかるのか。

まあ、無理やり文学的な表現をしてしまうと、仮面ライダーがあくまで人間の延長線上に位置する「大自然の使者」であるのに対し、ウルトラマンは宇宙の彼方(光の国)からやって来た、まさに人知を越えたヒーローであり、そんな彼が「100万ワットの輝き」を発すれば発するほど、そこに生じる影(すなわち闇)もまた、底知れず深くなる、ということだろうか。

「ウルトラマン」の実質的な原作者にしてメインライターだった金城哲夫は1976年に37歳の若さで死去(今年は金城哲夫の没後40年でもある)、それに先んじて監修者の円谷英二は1970年、その長男でメイン監督だった円谷一は1973年、雑誌の特集ページや図鑑の編集など、紙媒体で怪獣文化の普及に貢献した大伴昌司も同じ年の半月ほど前に世を去っている。円谷英二は68歳だから仕方ないとしても、円谷一は41歳、大伴昌司は36歳と驚くほど若い。何より、「ウルトラマン」の放送開始からわずか10年の間に、これだけの中心的人物が亡くなっているというのは尋常ではない。

その後も、怪獣デザイナーの成田亨が著作権をめぐって円谷プロと揉め事(後年には訴訟も)を起こし、正式な和解を見ずに亡くなったり、ウルトラマンのアクションボイスを担当した声優の中曽根雅夫がアパートの一室で人知れず旅立ったり、円谷一の三男の浩(「宇宙刑事シャイダー」)が、これも37歳という若さで他界したりと不祝儀が続き、そしてとうとう制作プロダクションだった円谷プロそのものが、長年の放漫経営の結果、円谷一族とは関係のない人間の手に渡ってしまう(現在の円谷プロ経営陣の中に「円谷」姓の人間はいない)。「ウルトラマン」50年の歴史を顧みると、そこにはまさに屍(しかばね)が累々と横たわっている印象だ。

しかし、「ウルトラマン」といえば、今や日本のみならず世界にも通用する特撮ヒーローの白眉である。どんなに悲惨なバックステージであったとしても、その歴史を冷静な目で検証するという作業は必要だと思う。というわけで、「ウルトラマン」放送開始50年の節目に、これぞお勧めという「ウルトラマン」関連本を4冊ほど紹介してみたい。


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『ウルトラマン昇天―M78星雲は沖縄の彼方』山田輝子(1992・朝日新聞社)
※1997年に朝日文庫から『ウルトラマンを創った男―金城哲夫の生涯』と改題して再販


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『金城哲夫―ウルトラマン島唄』上原正三(1999・筑摩書房)

この2冊は、金城哲夫の生涯を追った評伝。出版順に『昇天』→『島唄』という流れで読むのがわかりやすいと思う。『昇天』の著者・山田輝子は玉川学園高等部で金城の1年先輩で、金城が入学の面接試験を受けた場に立ち会っている。「南から来た少年」金城の描写が鮮やかだ。一方、『昇天』を書いた上原正三は、言わずと知れた金城の円谷プロ時代の朋友で、当然ながら「ウルトラマン」「ウルトラセブン」制作時のエピソードはきわめて具体的である。沖縄に戻ってからのエピソードは両書とも大差はないが、金城が息を引き取る際の描写が、『島唄』は妙に小説的なのが気になった。このあたりは宇佐美承からノンフィクションの手ほどきを受けた山田の方が、抑えた筆致である分、むしろ金城の無念の死を際立たせていたように思う。いずれにせよ、20代の絶頂から30代の転落(彼は文字通り、転落して世を去った)という、ドラマ以上にドラマチックな、何ともやりきれない生涯である。
なお、『昇天』では金城が沖縄時代に作った自主映画のタイトルが「よしやちる」と表記されているが、文庫化された『ウルトラマンを創った男』や『島唄』では「吉屋チルー物語」となっている。この映画は最近も沖縄で上映会が行われているが、「吉屋チルー物語」が正式のタイトルのようだ(筆者は未見)。

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『ウルトラマンはなぜシュワッチと叫ぶのか?』河崎実(2001・メディアワークス)

タイトルだけ見ると「トンデモ本」のようだが、そして事実、「トンデモ本」的な要素もかなり入っているのだが、第三章「中曽根雅夫とはどんな人だったのか?」は大変に真面目なインタビューによる構成で(証言者は声優の田中信夫)、「タイガーマスク」のアントニオ猪木役以来、中曽根雅夫の隠れファンだった私としては、かなり衝撃的な内容だった。それ以外にも、「シュワッチ」というかけ声は「ウルトラマン」本編中では一回も使われておらず、それを最初に使用したのは永井豪である、といった意外な真実も記されており、著者のひたむきな「ウルトラ」愛が伝わってくる。

余談だが、私は河崎実監督が明治大学農学部の学生だった1979年に、彼が生田校舎の大教室で行った上映会を見に行ったことがある(実家から歩いて行ける場所だったので)。円谷プロからレンタルしたウルトラシリーズの16mmプリントと、ご自身の監督作「フウト」「√ウルトラセブン〜放浪の果てに」などが上映されていた。「√ウルトラセブン」は、上西弘次が実際に着用したセブンスーツを使用したというこだわりぶりで、お話や撮影手法もかなりハイレベルだったと思う(敵宇宙人の発する光線はシネカリグラフだったが)。

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『ウルトラマンが泣いている』円谷英明(2013・講談社現代新書)

円谷英二の孫にして、円谷一の次男である6代目社長の回想録。アマゾンのレビューなどを見ると、「こっちが泣きたい気分だ」などという酷評もあるが、円谷プロの常識はずれな経営状態がつぶさにレポートされており、よくこのやり方で何十年も会社として続けて来られたな、と感心するやら、いろいろな意味で身につまされるやら。沖縄に戻ったあとの金城哲夫が酒びたりだったのは上記の『昇天』や『島唄』で知っていたが、円谷一もまた晩年は酒に溺れていたようで、車で大涌谷まで行って発作的に一家心中(?)をしかけた話や、赤坂のクラブのママと再婚した話、ある朝突然倒れてそれきりだったという話など、初めて知る哀しいエピソードも多かった。円谷一は第二次怪獣ブームのさなか(「ウルトラマンA」の放送終盤時)に亡くなったが、順調に見えたウルトラシリーズを続けていくのがこれほど大変だったのかと、何度もため息をつきながら読んだ。ほかにもげんなりがっくり系エピソードがてんこもりなので、精神的に低迷している人は、あまり読まない方がいいかも…。

ちなみにこの本は、上記の3冊とは異なり、円谷プロの許諾が得られなかったのか、ウルトラマンや怪獣のスチール写真が1点も掲載されていない。仮にも円谷プロの元社長が書いた「ウルトラマン」関連本だというのに…(載っているのは円谷英二、円谷一、金城哲夫の人物ショットのみ)。このあたりにも追放された者の悲哀を感じる。宇宙猿人ゴリなら「この悔しさを忘れはしない」と歌うところだろう。

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「たのしい幼稚園」のテレビ絵本・宇宙猿人ゴリ(1)「ゴーゴースペクトルマン」(1971・講談社)
忘れられがちだが、この作品も今年で45周年だ!

いやあ、久々に長くなってしまった。気がつけば日曜日ももう夕方ではないか。特撮系の話を書いているとだいたいこのパターンだ。世間はウルトラマン50周年で大層盛り上がっているようだが、「サスケ」のオープニングナレーションにもあるように「光あるところに影がある」というわけで、今回はあえてその影の部分にスポットを当てた次第である(実際には影にスポットを当てると影は消えちゃうんだけどね)。
posted by taku at 17:57| 特撮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする