血もこおる恐怖の復讐物語「かんごく島」の魅力を、私見を多分に交えてお届けするレビュー第4(死)弾にして最終回!第10回

松とヤスヨの墓を立てている遠藤と和巳。エリは酒をあおるだけで手伝おうとしない。今や島は死人が8人、生存者5人という状況である。

「いずれはあたしたちもころされるんだわ。だからそのぶん(の墓)もいまからつくっておく?」
というエリの提案に対して、
「そりゃいいかんがえだ! たしかにわしらの墓はだれがつくってくれるというんだ」
と、ハイテンションに応じる遠藤。空腹と恐怖でかなり情緒不安定になっているようだ。しかしやがて、
「墓などつくってなんになるというんだ。ああ、金はいくらでもやるからくいものをくれーっ」
と、その場に倒れ込む。和巳は、潮見のおばばが何を食べて生きているのか、その食料事情を探りに行く。
そのころ、おばばの棲む洞窟には、先客が訪れていた。

「やっぱりのう…。こんどはわしのばんじゃったか」
と、ユミの復讐を淡々と受け入れようとするおばば。しかし、世捨て人にしか見えないおばばが、森川伸介・ユミ父子に対し、いかなる「罪」を犯したというのか。


…と言うことだそうだが、これは何度読んでもしっくりこない。以前にも書いたように、ユミが島にいる人間全員を殺していくことがドラマ後半の「見どころ」なので仕方ないのだろうが、遠藤ら4人以外については、無理やり理由づけをしているようにしか思えないのである。特に島の巫女であったおばばは、俗世の価値観や生死をも超越した存在のはずで、「さからえばこのおばばの命がなくなるんじゃ」などという理由で、遠藤たちの要求に応ずるとは思えないのだが…。しかし、おばばの関与には、実はかなり重要な意味があるとも考えられる。
ここで、10年前の事件を時系列的に整理してみよう。
(1)遠藤の指図で、森川とユミ、第三坑道に生き埋め(実行犯:沢渡・徳田・赤七)
(2)1週間後、森川、排水パイプから沢渡と徳田の話を聞き、復讐を誓う
(3)その後、あほうの松によって排水パイプの地上露出部分が破壊される
(4)10日〜2週間後、森川、抜け穴を開けてそのまま絶命
(5)ユミ、穴から這い出て倒れているのを赤七に発見される
(6)赤七、ユミの生存を遠藤と敏子に報告
(7)遠藤・敏子・赤七、口封じのため、ユミをおばばの元に監禁
(8)おばば、遠藤の依頼で、術(または薬草)を使ってユミの記憶を消そうと試みる
(9)ユミ、それ以降、事件のことは口にしなくなったので遠藤と敏子もひと安心
(10)敏子、ユミを連れて遠藤と再婚する
という流れになるだろうか。
(8)と(9)については私の「脳内補完」なのだが、そう考えるのが自然なように思われるので入れてみた。ユミを閉じ込めている檻の前でおばばが「ムニャムニャクチャ…」とやっているコマや、猿ぐつわを噛まされたユミが朦朧としているコマがあるが、これらを記憶抹消の呪術あるいは薬草の投与ととらえることは一応可能だろう。しかし、きちんとした説明が一切ないのが実に惜しい。監禁した翌日、遠藤がおばばの元を訪れ、謝礼のヘビを渡し「これからもよろしくたのむぞ」と声をかけるシーンはあるのだが、この言葉の意味もはっきりしない。
ここは是非とも、遠藤がおばばに対し、
「ユミの頭の中から、第三坑道での記憶をすべて消して欲しいのだ。さすがに殺すのはしのびないのでな。おばばならできるだろう」
と依頼する場面が欲しかった。どう考えても、森川の生き埋め事件の一切を知っているユミを、そのままにしておくのは遠藤たちにとって危険すぎるだろう。ただ一時的に監禁するだけでは、根本的な解決にはならないはずである。そしてそんな娘を家族として迎えるなど、なおさらあり得ないことだ。ここはどうしても、ユミの記憶は一旦は消されていなくては話が成り立たない。
かくて、おばばの呪術によってユミは事件に関する一切の記憶を失い、晴れて遠藤と敏子は再婚。和巳とユミも実の肉親以上に仲のよい兄妹として成長、そのまま何ごともなく10年近い年月が流れた。しかし思春期の訪れとともに、ユミの体に流れる実の父親の血が騒ぎ出し、そんなさなか、ムサシが子猫をいたぶる場面に遭遇して、眠っていた記憶や復讐心が「覚醒」した――というのが私の解釈である。

ユミはおばばを坑道から岸壁に連れ出し、そこから飛び降りろと迫る。運命を悟ったように、おとなしくその言葉にしたがうおばば(こういう態度を見るにつけ、10年前、命惜しさに遠藤に協力したというのが嘘くさく思える)。

おばばが崖から足を離したその瞬間、和巳がおばばの枯れ木のような左腕をつかむ。

思いもかけない形で再会を果たす和巳とユミ。

和巳、おばばの腕をつかんだままでユミとかなり長い会話を交わす。肉体的にも精神的にもこれはキツイ!

「このままではいっしょにおちてしまいますじゃ!」
と、みずからの右手で左腕を切り落とし、海に落ちていくおばば(第9の殺人)。
和巳は、ついに真相をしった。だが、ユミの心は、かたくとざされたままだ! つぎにころされるのは、だれ?(44号アオリ)
【ひとこと】今回から登場人物紹介欄の序列が変わりました。前回までは黒縁が飛び飛びだったのですが、今回から死者と生存者できっちり区切られています。死者の方が圧倒的に多くなり、この物語も終焉に近づいていることを無言のうちに示しています。
ついに6話ぶりで和巳とユミが再会。しかも、ユミが連続殺人を実行しているさなかに、という衝撃的なシチュエーションでした。おばばの腕をつかんだ状態での和巳とユミのやりとりにも緊迫感があります。
ユミは前回の回想シーンにもあった「弱者の生存権」について持論を語ります。前回は「弱いもの、力のないものも生きていく権利がある」と言っていましたが、今回はさらに論を進め、「弱いものが生きていくためには自分の手で戦うしかない(法律は権力者の味方はしても、弱者の味方にはならないので)」と自衛のための戦闘を宣言します。このあたりのことは、「どこまでが防衛でどこまでが武力行使なのか」みたいな大変難しい問題です。
しかし、ユミの行動は、実はそうした頭でっかちなイデオロギーに基づいているわけではなく、もっと情緒的というか、体感的な要素が大きいように思います。それはすぐあとのユミの、
「復讐のためにひとりのこらずころせという、パパの声がきこえるのよ」
というセリフでも明らかです。まあ、どんな場合でも理論や理由は後付けのことが多いものですが。ユミの連続殺人は、第9回で和巳が指摘したとおり「ころされた父親のうらみが、ユミにのりうつった」その結果と考えるのが自然でしょう。そしてこの、「誰かが『殺せ』と言っている声が聞こえる」「その命令には従うしかない」というのは、まぎれもなく統合失調症の基本症状で、ある時からユミは正気ではなくなっていたという見方も成り立つと思います。過去のトラウマに10年間フタをし続けた結果、そういう陽性症状が発現した、というのはあながち突飛な解釈でもないでしょう。
何か、ラストが近づくにつれ、レビューから逸脱し私見が多くなってしまい、読んでいる方には申し訳ないです。この作品については、私も、46年間、トラウマにフタをし続けていたもので、一度それがはずれてしまうと、自分の思いがドロドロとめどなく出てきて、もう後には引けない感じなのです。実際、この「かんごく島」レビューを始めた9/1以来、私は、ここ数年味わったことのない妙な高揚感に取り付かれています(多分、変な脳内物質が出ているのでしょう)。ブログを、こんなにハイテンションで書くなんて、ほんと、滅多にないことなのです。しかし、それもあと2回…。何か淋しいです。
第11回
和巳はユミを追いかけるが、やがて見失ってしまう(ユミの方が足が速いのか?)。

同じころ宿舎では、食料を食べ尽くしたエリが、ネズミを取って食べようとしていたがうまくいかない。
「からだをうごかせばそれだけはらがへるんだ、よせよせ」
ソファに寝そべり、水木しげる御大のようなことを言う遠藤。と、エリが肉の焼ける匂いを察知する。遠藤も匂いに反応、2人はそれに釣られて外に飛び出し、ついに第三坑道の中まで入り込む。

一片の肉を巡って醜く争う遠藤とエリ。肉をゲットした時の遠藤の得意そうな顔がたまらない。この2人には、「半分ずつ食べる」という選択肢はなかったのか…。

その時、坑内で落盤が起き、2人は坑内に閉じ込められてしまう。これは言うまでもなく10年前の事件の再現であった。

排水パイプから、ユミの高笑いが聞こえてくる。
「
ふふふ、やっとわかったようね! そのとおり、わたしはユミ! 森川ユミよ」
(ここら辺は、何度読んでもゾクゾクしますねえ)

エリは、自分は事件には無関係だから助けてと懇願するが、それに対するユミの答えがすごい。
「わたしが生きうめにされたとき、父 森川伸介の肉をたべて生きのびたの! くるしかったわ。だから遠藤のパパにも、おなじくるしみをあじわわせてあげなくちゃ。そのためにエリさんをいっしょにとじこめたのよ!」
前にも書いたが、水野とエリは完全に10年前の事件とは無関係なので、この仕打ちには納得できないのだが、ユミからすれば、「自分も何の非もないのに生き埋めにされたのだから」ということなのだろうか。

閉じ込められた遠藤とエリが、かつての森川とユミのように、土の壁を掘り進め、やがて飢えと乾きで衰弱していく様が描かれる。やられた方法をそっくりやり返す、というのはまさに復讐の王道であるが、ユミと遠藤の直接の対面、対決がないので少し物足さも感じる(まあ、それは最終回のお楽しみということで)。

3日後、島内をさまよい続けた和巳は、第三坑道の中からエリの悲鳴らしきものが聞こえてくることに気づき、ツルハシを使って必死に声のする場所を掘り進める。

そしてついに穴が開くが、そこで見たものは、エリの肉を喰う遠藤…と思いきや、実は、土を肉だと思い込み、むさぼり喰う発狂した遠藤と、その土塊を口に突っ込まれて窒息したエリの姿だった(第10の殺人)。

絶叫する和巳。そのすぐ近くには、非情な目をしたユミが…。
【ひとこと】この回は、正直、あまりコメントすべき点が見つかりません。うーん、遠藤への復讐ということになると、やはりこの方法以外ないというのはわかりますが、巻き添えを食ったエリが返す返す哀れでなりません。それについて、これまた個人的な改変アイデアなのですが、エリの人物設定を「遠藤の若い愛人」にしておけばよかったのではないかと思います(モデル設定も生かしたままで)。そうすれば、第1回から敏子とエリがお互いを敵対視していたことの説明もつきますし、閉じ込められたあとの感情変化も、もっと複雑なものが描けたのではないかと思います。少年漫画というくくり上、愛人設定はNGだったのでしょうか。
それから、2人のおびき出しに使った骨付きの肉ですが、これをユミがいかなる方法で調達したのかが気になるところです。まさかこれまでに殺した誰かの肉ってことはないですよねえ。
さて、泣いても笑ってもあと1回で終わりです。私は当然ラストを熟知しているのですが、どういう風に自分の言葉でしめくくるか、いまだ想像がつきません。
最終回

土の塊をむさぼり喰う狂った遠藤だったが、ユミの姿を見つけ、にわかに正気に返る(この時代のマンガやテレビなどでは、一時的に発狂→何かのはずみに正気に戻る、という描写が結構ある)。
「
この悪魔!」(これはどっちのセリフなのか??)
ついに直接対決! ユミは尖った石片を遠藤の眉間に突き立てる。遠藤、絶命か?

しかし! まさかの展開。次のページでは、そんなことはまるでなかったかのように遠藤がユミをタコ殴りしている。3日間、土しか食べていなかったのに元気すぎるだろう。火事場の馬鹿力って奴だろうか(それにしてもこの展開…正直ついていけません。最終回だというのにギャグみたいです)。

「ユミ! さあたて、おまえのためにわしはどんなにおそろしいめにあってきたか…。こんどはわしがおまえを
半殺しのめにあわせてやるぞ」
何か、この局面におよんで、「半殺し」ってのも妙に手ぬるいこと言ってるなあ、単純に「殺してやる」でいいんじゃないかなあ、などと思い、ページをめくると…

いきなりの猟奇殺人モード。
「この土が炭車にいっぱいになるとき、おまえのからだはまっぷたつにひきちぎられるのだ」
と、ほくそえむ遠藤。
そうか、「半殺し」っていうのは体を半分に切って殺すことなのね、と思わず納得…しないって。そもそも、餓死寸前で衰弱しきった人間が、どうしてこういう無駄に体力を使う、非効率的な(そして趣味性の高い)殺害方法を考えるのか、まったく理解できない。まあ「作品の世界観に忠実にやってます」ってことなのだろうが。それにしても、これまで超人的な能力を発揮して復讐殺人を続けてきたはずのユミが、いきなり無力すぎる。抵抗もせず、黙って縛られてたのか?

とにかく、いきなり無力化してしまったユミは、炭車の重みで、最後の時を迎えようとしていた。そこに飛び込んできた和巳が、驚異的な運動神経で炭車とユミをつないでいたロープを切る。最終回にふさわしい主人公の活躍!

しかしそのはずみに、加速していた炭車に足を突っ込んだ和巳は、炭車もろとも坑道の壁に衝突、重傷を負う。
「ば、ばかやろう、なぜユミをたすけようなどと…」
と、駆け寄った遠藤に対し、和巳は、
「パパ、わかってよ。つぐないをしなければならないのはぼくらのほうなんだ」
と告げる。

その言葉にほだされたか、遠藤は、ユミへの報復は後回しにし、和巳のために救急箱を取りに行く。その隙に、和巳はユミの拘束を解いてやる。
宿舎で救急箱を探す遠藤。棚の上にある箱に手を伸ばすが、その時に誤って塩酸の瓶が遠藤の頭上に落ち、遠藤の顔は溶解、のたうち回って苦しむうち、階段から落下し、鉄製の突起物に体を貫かれて絶命する(第11の殺人、ではなく事故死)。

坑道を出て、どうにか宿舎に戻った和巳とユミは、変わり果てた遠藤の死体を発見する。

「これでよかったんだよ…パパは天のさばきをうけたんだ」
そして和巳は、
「ユミ、これでもうパパをゆるしてくれるね」
と尋ね、ユミもうなずく。続いて和巳は、自分はもう助からないから、自分が死んだら、遠藤と一緒の場所に葬って欲しいと告げる。先ほどの遠藤の行動にしてもそうだが、この父子の絆もなかなかに深いものがあったことが感じられる。

すべてが終わっていくことを強く印象づける、いわゆる走馬灯シーン(走馬灯だけに馬?)。
「ああ、こうして目をつぶるとユミとの楽しかったころをおもいだすよ」
「…にいさんと、よくいっしょにあそんだわね」
この2人は日常的に乗馬をしていたようだ。

そしてこれまたお約束の、禁断の愛の告白。
「ぼくがもしまた生まれてくることがあったら、こんどはユミのあにきじゃなく、ユミを、ユミを…」
ここで和巳は息を引き取る。かもめが激しく「クァーッ」と鳴く。

ただひとり、島に残されたユミは、かねて用意してあった「とりかぶと」の毒をあおって和巳のそばに身を横たえる。すべての復讐が完了した時、これを飲むことは最初から決めていたのだった(遠藤と和巳を同じ場所に葬るという話は完全にスルー)。
「でもよかった、和巳にいさんをわたしの手で殺すようなことにならなくて…」
そしてユミは、先ほど和巳が言い残した愛の告白に対して、次のように答える。
「わたしがもういちどうまれかわるとしても、人間はいや…、にくみあう人間なんていやよ。あの鳥のように…あの鳥のようにうまれてきたい…」
(このあたりのセリフは、おそらく「私は貝になりたい」からの援用でしょう)
2人の頭上には、広い空を自由に飛ぶ2羽のかもめの姿があった。
毒の花がわらっている
赤い血をすって
すみれ色の花びらをふるわせて
死の歌をうたっている
ユミの復讐はおわった。だが、復讐のあとにのこったものは、むなしく風にゆれる、とりかぶとの花だけだった。(46号アオリ)
【ひとこと】いやあ、ついに終わってしまいました。どうにか、無難なところに着地してほっとしています。炭車が衝突するところまでは全編ギャクみたいで、おいおい、どうしちゃったんだよ、とヒヤヒヤしながら読んでいたのですが、要するに、あのトチ狂った(と思われた)殺害方法も、和巳に瀕死の重傷を負わせるための作者の計略だったんですねえ。まあ、ユミが和巳を殺害することはよもやあるまいと思っていましたが、こんな形で和巳を死なせるとは想像できませんでした。でも、これは悪くない方法だと思います。しかし、遠藤の最後は、何といったらいいのか…。ユミの最後のターゲット、いわばラスボスである遠藤については、やはりきっちりユミに本懐を遂げさせてやりたかったように思います。しかしそれだと、意外に父親思いの和巳とユミとの間に大きな心理的亀裂が入ったでしょうから、若い2人が穏やかに死を迎えるに当たっては、遠藤は事故死(和巳いわく「天のさばき」)で正解だったのかも知れません。
ラスト近くには、これまでの血なまぐささを洗い流すかのような、美しい回想シーンが入りますが、欲をいえば、乗馬シーンではなく、もっと和巳とユミが、本当に仲のよい、精神的な結びつきの強い兄妹だったことが伝わるエピソードが描かれればなおよかったように思いました。
しかしながら、10年近く同じ環境で生活しながら、楽天的で人間の善意を信じる好青年に育った和巳と、幼少期のトラウマから、どこか影のある美少女へと成長していったユミが、その対照的な性格ゆえ、互いに強く魅かれていったであろうことは作品全体から感じることができました。
さて、4回にわたってレビューをお届けしてきましたが、いささか感慨深いものがあります。思い起こせば、この「かんごく島」と初めて出会ったのは1970年、私が小学1年生の夏で、その当時は夏休み期間限定で、『ぼくらマガジン』を買ってもらっていました。具体的にいうと34〜38号で、「かんごく島」は35号に連載開始ですから、第1回のオールカラー40ページは今も鮮やかに記憶しています。残念ながら、34〜36号は処分してしまいましたが、37、38号は今も手元に残っており、レビューの3、4回分で使用した画像は、その時の本誌からスキャンしたものです。
「かんごく島」第1回の巻頭カラー(ヤフオクの出品画像より拝借)では第5回(39号)以降、私は「かんごく島」は読んでいなかったのかといえば、大変気になる展開だったため、発売日に毎週本屋で立ち読みをして内容を確認していました。当時の『ぼくらマガジン』の看板マンガは何といっても「タイガーマスク」でしたが、その「タイガー」と「かんごく島」そして「ド超人ド3匹!」だけは、自分の中での要チェック作品だったのです。しかし、毎週立ち読みというのも、実は結構しんどい作業でして、本屋のオヤジに目をつけられるというプレッシャーもあり、結局、第10話(44号)でリタイヤしてしまいました。第10話といえば、今回の冒頭でご紹介した、潮見のおばば殺害回で、おばばが崖から落ちる場面は、その立ち読みで脳裏に刻まれ、30数年間頭から離れませんでした(他にも、敏子が血を吐いて死ぬところや、赤七、松、ヤスヨらの絶命時の状況なども、はっきり記憶に焼きついています)。
そんな印象深い「かんごく島」ですが、『ぼくらマガジン』自体が短命だったせいもあるのでしょうか、一度として単行本化されることはなく、いつしか私にとって、そして私と同世代のかつての子どもたちにとっても、幻の作品となっていきました。ですから、この作品のラストがどんなものだったのか、私も最近まで知らないままだったのです。転機が訪れたのは2008年の秋で、どうしても「かんごく島」をもう一度通しで読んでみたくなり、半日かけて国会図書館で『ぼくらマガジン』を閲覧してすべてを読みました。実に38年ぶりの再会でした。
一読して、殺人の方法や描写よりも、何よりユミのキャラクターに強く魅きつけられました。可憐なヒロインでありながら、冷徹な殺人鬼でもあるというそのギャップ、そして、みずからの欲望などはまったく顧みず、亡き父に運命づけられた復讐を、ただ粛々と遂げていくストイックさ。
彼女は幼少期の体験から、かなりペシミスティックな人生観、人間観を植えつけられており、第5回では、「人間はみんなきたないわ、わがままで、じぶんかってで…人間はもともといきていくねうちもないんだわ、死んだほうがいいんだわ!」とつぶやき、最終回のラストで和巳が「もしまた生まれてくることがあったら、ユミを、ユミを…(恋人にしたい)」と愛を告げた時でさえ、「私も同じ気持ちよ」と応じることはせず、代わりに、「もういちどうまれかわるとしても、人間はいや…、にくみあう人間なんていやよ。あの鳥のようにうまれてきたい…」と、最後まで人間不信を貫いています。
父・森川と死に別れてから終始孤独だったユミの安住の場は、ついにこの地上にはなかったのかと思うと、フィクションと知りつつ、じんわり涙が溢れてくるのを禁じ得ません。そういうわけなので、このレビューも、かなりユミにウエイトを置いたものになったことをご了解下さい。
さて、これでレビューは終わりですが、この「かんごく島」には、まだまだ未解明な謎が多く残っているため、章をあらためてその追求をしていくことになるかも知れません。
※全4回にわたる画像は、『週刊ぼくらマガジン』(講談社)1970年35〜46号に掲載された「かんごく島」(原作:生田直親 漫画:田中憲)から引用したものです。やや頁数が多くなってしまいましたが、これまで一度も単行本化されておらず、今後も刊行される可能性は低いであろうこと、その一方、半世紀近く前の少年誌に連載された「異色の連続殺人もの」として資料的価値が高いこと、などに鑑み、当ブログで紹介させていただくことにしました。