2017年01月13日

謹賀新年

気がつけば1月もなかば。正月気分もすっかり消えてしまいましたが、遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。

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さて、新春にふさわしく、縁起のいい鶴・亀・海老の細工をご覧いただいたが、なんとこれらはすべて正絹(しょうけん)の紐で作られているとのこと。日本の伝統的な結び方を駆使して制作されたそうだ。

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昨年末に、熱海の起雲閣で展示されているものを拝見したのだが、鎧兜や雛人形、四季折々の花など多くの作品があり、いずれも形、色艶ともに美しい。何より、多彩な紐の結び方を作品制作に「結び」つけたその着想に脱帽させられた。制作者の岩澤文子さんの書かれた挨拶文いわく、日本において「紐を結ぶ」という文化は、神事や仏事などの宗教的儀式から発生し、それが公家社会、武家社会の中で発達していった。現代では「結ぶ」という行為は少なくなったが、今日まで伝承されてきた結びの文化には、日本人の精神性や先人の計りしれない知恵、美意識などが内包されており、感心するばかりである とのこと。そこから「ひも遊び」と称する作品づくりが始まったということらしいが、伝統的な「形」が新たな「姿」へと結実した見事な作品郡を間近に見ることができ、とても豊かな気分になった。

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岩澤文子・山田妙子 二人のひも遊び展(1月29日まで)展覧会の詳細はこちら

岩澤さんは着付けと礼法の指導教室を30年以上やって来られた方なので、着付けを通して「結ぶ」という行為には親しみが深いのだろう。着付けといえば、今年初夏に公開の映画『鎌倉アカデミア 青の時代』の中に、菊池寛の「父帰る」の舞台を再現した場面があるのだが、その収録の際、女性出演者の帯の結び方について、あれこれ調べ、思案したことを思い出した。何しろ、思った以上に種類が多いのだ。(参考サイト:帯の結び方

女性の帯の結び方といえば、今では「お太鼓結び」が一般的なようだが、実はその歴史は意外に浅く、江戸時代末期に深川の芸者が考案し、明治40年(1907年)以降、庶民にも広まったものだという。そして「父帰る」の時代設定も、まさにそれと同時期の明治40年(1907年)ごろ。とすれば、関東圏ならともかく、作品の舞台となる南海道の小都市には、まだ「お太鼓」は普及していなかったと考えるのが自然ではないのか。…という判断で、今回の再現映像では、もっと以前から普及していた「貝の口」という結び方を採用することにした。その時にも、「結ぶ」という日本文化の繊細さ、奥深さを垣間見た気がしたものである。

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「父帰る」舞台再現場面より。左の女性の帯の結びが「貝の口」
posted by taku at 19:44| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする