映画『鎌倉アカデミア 青の時代』の公開が刻々と近づいており、かなりバタバタしております。基本的にマイペース(スローペース)な人間なので、あおられるような毎日が続くと、つい、物事をショートカットで処理しようとする機能(?)が働き、あとから「しまった!」と思うことが少なくありません。
先日も、こういうことがありました。
横浜市立大学は、三枝博音校長をはじめ何人もの鎌倉アカデミアの教授が、閉校後に教鞭を執るようになったため、鎌倉アカデミアの流れを汲む大学と言われています。そういったご縁から、今週の月曜(4/24)、「人間科学論」という授業にお邪魔し、アカデミアの簡単な歴史とこの映画の内容について、一部映像も交えてお話をさせていただきました。担当の高橋寛人先生は「鎌倉アカデミアを伝える会」にもほとんど参加しているアカデミア通≠ナ、高橋先生との対話形式の授業は思った以上に反響があったのですが、授業のあとの学生さんたちの感想文を読んで、「しまった!」と思わず頭を抱えてしまいました。
それは、私のショートカットな発言が、思いのほか彼ら、彼女らにインパクトを与えたことに気づいたからです。
私は、鎌倉アカデミアが「自由大学」と呼ばれる由縁を、いくつかの実例で説明しました。いわく「大学令によらない私設学園。卒業しても大卒の資格は得られない」「校歌ではなく学生歌を皆で歌う」「昼食も校長と学生が一緒に食べる」「上から目線ではなく、同じ目線で、ともに考える授業」「学生が学園の主体で、教師の給料も学生が決めた」等々。その中でも一番インパクトがあったのは最後の「教師の給料も学生が決めた」だったようで、かなりの数の学生さんが、そのことを感想文にしたため、「ここまでとは驚いた」「現代ではあり得ない」と書き添えていました。
しかしそれは、まるまるの事実ではないのです。ここで、文献を紹介します。
日本全国には、授業料値上げ反対の嵐が吹き荒れようとしていた。そうしたなかで、鎌倉アカデミアの学生自治会のとった態度はまったく違うのである。教授会側が値上げ額を提示したとき、学生側は答えた。
「ほんとにそれでいいのですか。私たちの考えでは、もっと値上げをしなければなりません。そして、先生の給料を上げるべきです」高瀬善夫『鎌倉アカデミア断章 野散の大学』(1980年・毎日新聞社)63ページより
つまり実際は「学校運営のかなり深い部分にまで、学生自治会が入りこんでいて、上記のように、教師の給料を上げるか下げるか、というような問題についても学生の意見が尊重された」ということで、教師ひとりひとりの給与査定を学生がやっていたということではありません。しかし、私はついショートカットで、そういうイメージを抱かせるような話し方をしてしまいました。一度口にした言葉はふたたび引っ込めることはできませんが、この場を借りて、内容の訂正をしたいと思います。
それにしても、学生さんたちの感想文は、通り一遍とはほど遠く、思った以上に熱を帯びたものでした(高橋先生も同じことをお感じになったようです)。映画の中で証言をしてくれている現在90歳前後の方たちは、70年前の学生だった日々を生き生きと語るのですが、その姿を見た現在20歳くらいの学生さんの中には、「自分も70年後、今過ごしている大学時代のことをここまで鮮やかに語れるのだろうか?」と自問自答した人も少なからずいたようでした。それはとても意義のある問いかけではないでしょうか。若い時期に学び、心に刻みつけられたもの、それは生涯を貫く「精神の背骨」となるに違いありません。今、この時に大いに考え、大いに学んで欲しいと切に願います。と同時に、私はあらためて、「この映画を若い人たちにも見て欲しい。きっと何か発見があるだろうから…」と強く感じたのでした。