2017年12月31日

2017年、年の瀬に

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今年(2017年)も、あと7時間ほどで終わる。

1年を振り返って、いろいろ思い出すことはあるが、やはり自分にとっては、10年越しの映画『鎌倉アカデミア 青の時代』を世に出せたというのが一番大きい。何と言っても最初にカメラを回したのは2006年の5月、まだビデオの基本フォーマットがHD(16:9)ではなくSD(4:3)だった時代である(したがってこの時の映像はSDでテープ収録)。このあとに、『凍える鏡』を撮って、『龍の星霜』を書いて、『影たちの祭り』を撮って、実家も改築して、その間には東日本大震災もあって…と、今年1年を振り返るはずが、いつの間にかこの10年あまりを振り返ってしまう。

そんな長大な作品がひと区切りついたということもあり、目下、完全な抜け殻状態である。「次は何を撮るんですか?」と聞かれることもあるが、まったく答えられない。ネタはあるけれど隠している、のではなく、本当に何もないのである。まあ、こういう時期はこういう時期ということで、普段見ないものを見たり、行かない場所に行ったりして、鋭気を養うべきなのだろう。

今年は『鎌倉アカデミア 青の時代』の公開に関連して、実に多くの方々のお世話になった。その方たちにあらためて感謝の意を捧げつつ、2017年を送りたいと思う。


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2017年12月29日

F&A 活動開始30年

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(2点とも『週刊少年サンデー』1968年1号の新春特集ページより)

今年(2017年)は、パーマンの放送開始から50年ということで、パーマンネタを3回ほど書いてきたが、実は、今年は「2人で1人のマンガ家・藤子不二雄」がコンビ解消を発表してからちょうど30年という節目の年でもある(30年前の今ごろ、1987年12月23日の消印で、出版関係者に挨拶状が送付された)。だから、今回はパーマンをお休みしてそちらを取り上げてみたい。最初は「コンビ解消30年」というタイトルをつけてみたのだが、「解消」というと何となくマイナスのイメージが付きまとうので、藤子・F・不二雄と藤子不二雄Aという二人のマンガ家が新たに誕生した記念の年ということで、「F&A 活動開始30年」にしてみた。

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こちらは1988年1月30日の朝日新聞(クリックで拡大)。そのころの私は大学卒業間際、就職を目前に控えており、人生の中でももっとも藤子マンガと遠かった時期だと思うが、それでもこうして新聞を切り抜いていたところを見ると、やはり無関心ではいられなかったのだろう。

この記事には、「ドラえもん」「パーマン」はF先生、「忍者ハットリくん」「怪物くん」はA先生の作品であると書かれており、これは、幼年期からの藤子不二雄ファンにとっては、サンタクロースの正体をばらされたような、結構な衝撃であった。小学生時代、「まんが道」を繰り返し読んだ者としては、2人でアイデアを出し合い、2人で机を並べて執筆するというのが「藤子スタイル」だと、信じ込まされてきたからである。

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『週刊少年チャンピオン』(1971)より。最初の「まんが道」は「チャンピオンマンガ科」というマンガ入門講座のラスト2ページに「マンガ道」のタイトルで掲載されていた。

もっとも、「藤子スタイル」を喧伝したのは「まんが道」だけではない。雑誌の特集ページなどでも「藤子不二雄は2人で1人、常に合作をしている」というアピールがなされていた。

以下は、前回紹介した『週刊少年サンデー』の「週刊パーマン」より。

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「10時半ごろ、仕事場の、スタジオゼロに到着」
「さっそく、サンデーの、アイデアをふたりで相談」

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「おひるごはんは、両先生とも、奥さんのつくったお弁当」
「午後は、サンデーの絵を、フーフーいってかく」

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「夜は、テレビマンガをみて、いろいろふたりで話しあう」
「夜もふけたころ、いっしょに、家に帰る」

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一度ネタがばらされてみると、「ドラえもん」の描線と「怪物くん」の描線はたしかに違う。しかしこれはコロンブスの卵のようなもので、言われるまではっきり気づかなかった人の方が多いのではないだろうか。それは、先ほど書いた合作アピールのせいもあるが、それ以外にもうひとつ、1960年代の代表作「オバケのQ太郎」では、キャラクターを分担して、実際に共同で執筆していたという事実が大きい。

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オバQとほかのオバケ、大原パパ&ママはF先生、正ちゃん、伸一兄さん、小池さんはA先生が担当。

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また、実は「パーマン」でも、パーマン1号(みつ夫)をはじめとする主要キャラはF先生だが、パートナーであるパーマン2号といじめっ子キャラのカバ夫&サブはA先生が担当している(カバ夫の独特の目の形を見れば明らか)。

小さいころから「オバQ」や「パーマン」を読んでいた私たちの世代は、2人の微妙に異なるタッチがひとつの作品の中に自然に共存しているのを見ていたため、どちらのタッチも「藤子不二雄」として認識し、その認識が後年になっても続いていたのだろう(もっともこのころは、共作ということを意識して、両氏とも相手の作風に似せて描いていたような印象も受ける)。

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「新オバケのQ太郎」(1971〜73)のころになると、2人のタッチがかなり異なってきているのが明らかに。

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1980年代の「パーマン」。この時期の「パーマン」はパーマン2号やカバ夫、サブもすべてF先生が描いているが、「プロゴルファー猿」を意識したこのページの2号だけは、A先生が描いているようにしか見えない。

33年におよぶコンビ解消の理由については、当事者だけしかわからないことなので、詮索する気はさらさらないし、その是非を論ずるつもりもないが、上の新聞記事を読み返して「はっ」としたのが、この時の両先生が、今の私と同じ50代なかばであったこと。やはりこの年代というのは、青少年期から背負ってきた荷物を一度肩から下ろし、これまでの道のりを振り返り、自分や周囲を見つめ直す時期なのだろうか。記事のインタビューでF先生は「何か新しいことやれるのではないか」と将来に期待を寄せ、一方、A先生は「50代で初めて独り立ち。だから不安ですよ」と語る。人生の後半戦に臨むお二人の心には、文字どおり期待と不安が相半ばしていたに違いない。

「不安ですよ」と漏らしたA先生がいまだご壮健で、「新しいこと」と夢を語ったF先生がこのあとわずか8年で他界したことを思うと、人生のままならなさにため息だけがこぼれる。ともあれ、コンビ解消の後も、2人の間ではそれまでと変わらぬ友情が継続していたというのがうらやましい。多くの忘れがたい作品を世に送り出した2人で1人の「藤子不二雄」に、改めて感謝と賞賛の意を表したい。

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『週刊少年サンデー』1967年2号新春特集ページ。「無人島へいって、のんびりと、くらすのが、ボクたちの、夢と希望です」
posted by taku at 19:25| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月27日

パーマン放送開始50年(3)

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前回に続いて「パーにする」設定周辺のお話。まだまだ書きたいことがいろいろとあるので…。

「パーマンの秘密を他人に知られたら、パーにするぞ」というのが、旧「パーマン」において、スーパーマンがパーマンたちに言い渡したペナルティであった。しかし、脳細胞破壊銃をちらつかせることはあっても、スーパーマンが実際に手を下して、パーマンのうちの誰かをパーにした、という描写は、原作にもアニメにも存在しない。これはまあ、秘密がばれたことが一回もないので当然だが、夢やイメージシーンでさえ、みつ夫やパー子やパーやんがパーになってエヘラエヘラしているという場面は一度も出てこなかった。このあたりにF先生の児童マンガ家としての良心を見る気もする、と言いたいところだが、実は『週刊少年サンデー』20号に、驚くべきシーンが存在する。

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この号では「週刊パーマン」という7ページのカラー特集が組まれているのだが、その中に次のようなマンガが…。

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登場するのはオバQとパーマン2号。オバQはバナナの代償に2号からマスクとマントを借りてパーマンとなるのだが…

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その正体をカバ夫とサブに明かしてしまったところ、その瞬間パー(サブいわく「オパーQ」)になってしまうのだ!(脳細胞破壊銃を使わなくても、遠隔操作でパーにできるということか)

いくら作品中ではないといっても、れっきとした掲載誌の特集ページでのことなので、かなりのインパクトがある。一体どういう意図でこのマンガは描かれたのだろう。
これは想像だが、「パーにするぞ」と口で言うだけでは説得力がない。パーマンの秘密を知られると、実際こういう結果になるのだ、というのを読者の少年少女に知らしめたい。しかし作品中でやるのはさすがにまずい。そこで、誰でも知っているが「パーマン」のキャラクターではないオバQを使って、その状態をマンガで見せてやれ、という遊びごころがF先生の頭に去来したのかも知れない(もっともこの特集ページは、F先生自身ではなく、アシスタントのしのだひでお氏かヨシダ忠氏の筆によるものに思える)。

この「週刊パーマン」は、上記のマンガのほかにも、

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特別公開!! パーマン大探検(藤子先生の頭の中を調査)

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特別図解 パーマン本部基地

など見どころ多数。

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パーマンタイムズには、パーマン2号が6601倍のパワーを出したとか、パー子は団地に住んでいるとか、他ではお目にかかれない珍情報が満載。

どうしてこういうものが「大全集」の巻末に収載されなかったのだろう。「オパーQ」はNGとしても、ほかのページはそれほど問題はないように思えるのだが。

さて、ここからは「パーにする」というペナルティとは関係はないが、「パー」「クルクルパー」「くるう」などの表現が変えられた例を紹介していこう。

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現在「はじめましてパー子です」に収められているこの場面、もともとは小学三年生版「パー子登場」で描かれたもので、初出の『週刊少年サンデー』には載っていない。よって現物を確認することはできなかった。「弱むしけむし」を現わすのにあの指は意味不明だろう。オリジナルは「パーマンじゃなくてクルクルパーだわ」。

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小学三年生版「パー子登場」をベースにした白黒アニメ版の「パーマンくらべ」ではパー子はしっかり、

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「パーマンじゃなくてクルクルパーだわ」と身振り付きで言っている(こうでなくっちゃね)。

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「鉄の棺桶%ヒ破せよ」より。オリジナルは「にげろ!! パーやんは気がくるった!!」だが、現在は「にげろ!! パーやんはいったいなにを考えているんだ!!」に。

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「パーやん気がくるったな」とあきらめ顔の1号。これも「パーやんやっぱり変だよ」とかなりマイルドなセリフに。

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「きみはもしやパーマンでは…」という問いに「そうですねん、ぼくはパーです」とボケをかます関西人。現在では「えっ、パーマン、どこにどこに」と、まったく違うニュアンスに変えられている。

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なお、「大全集」5巻には「くるわせ屋」というエピソードが収録されているが、これもかなりセリフが変えられているようだ(初出雑誌は『小学館コミックス』で、これも現物を確認できず)。
元のセリフは「殺し屋がたのまれて人を殺すように、くるわせ屋は人をきちがいにして金をもらうんだ」というものだったらしい。それにしても「人の人生をくるわせて〜」とは、ずいぶん苦しい改変である。狂わせるのは頭だろう! そんなの小学生でもわかるぞ。

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「くるわせ屋」といえば、反射的に、現在絶賛封印中の「怪奇大作戦」第24話「狂鬼人間」が思い浮かぶが、あちらは1969年2月の放送、この「くるわせ屋」は1968年3月号掲載なので、こちらが約1年早い。パーマンのこのエピソードが、「狂鬼人間」のストーリーに何らかの影響を与えたのでは?という推測も、時系列的には成り立つわけだが…。

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もっとも、前回も書いたように、1960年代はこうした話がかなり頻繁に作られていた時代で、同時期の『週刊少年サンデー』に連載されていた「バンパイヤ」(手塚治虫)にも、人類を原始人の状態に戻す「マッドPA(パー)」という薬が登場し、それが物語後半のキーアイテムとなっている。

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マッドPA(パー)の開発者は手塚先生の友人・熱海教授なのだが、容赦なく「キチガイ」呼ばわり。ちなみに「バンパイヤ」は手塚先生自身が主役顔負けの大活躍をする快作で、作中ではマッドPA(パー)の製造まで行っている。

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また、今回この一連の記事を書くにあたり、当時の『週刊少年サンデー』をあれこれめくっていたところ、「おそ松くん」(赤塚不二夫)のこんな回を見つけた。
監督から下手くそと罵倒された俳優が、「演じる」のではなく「なり切る」という、いわゆるスタニスラフスキーシステムに則ってさまざまな役に「なり切る」訓練を重ねていく。

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行動は次第にエスカレート、本人は自分の名演に酔いしれるが、周囲からはキチガイ扱いされてしまうという話。

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もう全編「きちがい」のオンパレードで、最後は精神病院に入れられるという鉄板のオチ(この話が現在、単行本に収録されているかは不明だが、収録されているとしてもセリフはかなり修正されているだろう)。これらを見ても明らかなように、当時の『週刊少年サンデー』には、手塚・赤塚・藤子の三巨頭が、そろって「気がくるう」ネタを扱ったマンガを発表していたのである。その是非をここで論ずる気はないが、作品というのはほぼ例外なく時代の落とし子であり、その時代の雰囲気を知るためにも、セリフは発表当時の言葉のままで読むのが適当であると思う。「おことわり」を入れた上でのオリジナル表記復帰がもっと一般化して欲しいものである。

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ハイカップの宣伝のお子様も「クルクルパー」の「パー」!

後半は「パーマン」から離れてしまったが、「パーマン」ネタは多分まだつづく予定。
posted by taku at 17:55| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月25日

パーマン放送開始50年(2)

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何とか2017年のうちに書いておかなくちゃ、と、年末も押し迫ったあわただしい中で始まったこのシリーズ、今回は、旧「パーマン」世代なら誰でも多かれ少なかれ気に留めているに違いない、カラーアニメ化にともなう設定と名称変更の問題について書いていきたい。

2号(ブービー)の住んでいるのが動物園でなくなったり、時速が91キロから119キロにアップしたり、というのはそれほど大きな問題ではなく、ここで取り上げたいのは、「パーマンの秘密を他人に知られた場合」のペナルティ、そして「スーパーマン」から「バードマン」への名称変更である。

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まずは秘密を他人に知られた場合のペナルティについて。旧作では上画像のように、スーパーマンは「脳細胞破壊銃でほんとのパーにしてやる」と言っているが、新作アニメが始まった1983年以降の書籍では、すべて「細胞変換銃で動物に変身させてやる」に変更されている。

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「……だめだ、ひみつをうちあけると、ぼくはパーになる」(→「動物にされる」に変更)

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さらに、「おじさんは精神病院から脱走してきたんだね」というセリフも、「おじさんはぼくをからかってるんだね」に変更(「映画の宣伝も大変だね」というバージョンもある)。以上は「パーマン誕生」より。

思い起こせばこのころは、映画、マンガ、テレビなどで、精神に異常をきたす描写や「気ちがい」という言葉は、かなり頻繁に登場していた(「パーマン」と同時代で有名なものとして、1967年放送の「ウルトラセブン」第8話「狙われた街」がある)。それが、1970年代の中盤以降、某団体のクレームをきっかけに、「気ちがい」「気が狂う」という表現は自粛(禁止ではない)されるようになり、また、精神に異常をきたす描写自体も、見かけることが極端に減っていった(「めくら」「つんぼ」「おし」「かたわ」といった身体的なハンディキャップを表す言葉が差別用語と見なされ、使用が控えられるようになったのもほぼ同じ時期)。すなわち、旧「パーマン」(1966〜68)は「気ちがい」という言葉や描写が頻繁に使われていた時代の作品、新「パーマン」(1983〜85)は、そうした言葉や描写が忌避されていた時代の作品なのである(しかし最近は「おことわり」を入れて、当時のままの言葉で放送、出版するケースが増えている。前述の「狙われた街」でも、「まるでキチガイ病院だ」というキリヤマ隊長のセリフは近年無修正で放送されることが多い)。

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「狙われた街」より。左が「まるでキチガイ病院だ」と言い放った直後のキリヤマ。

「パーマン」ではもともと「気ちがい」というストレートな言葉はほとんど使われていないが(「気がくるう」はたまに出てくる)、「パー」という言い回しも、「頭がおかしい」とほぼ同じ意味であるため、時代の流れにしたがって変更を余儀なくされたということだろう。しかし、その代案が「動物にする」というのはどうも釈然としない。2号はもともと動物(チンパンジー)なのでペナルティにならないではないか(2号の場合は別の動物に変えられるということのようだが…)。

もともと、秘密を知られた場合にパーにされるというのは、ペナルティと同時に口封じの意味合いも強い。たしかに動物に変えてしまえば喋れないので口封じにはなるが、あまりに突飛で、現実味に乏しい。これは前々から考えていたことなのだが、「記憶を消す」でよかったのではないだろうか。

実際、新アニメの410話「さよならパー子」(1984)では、パー子が海外留学のためパーマンをやめるとバードマンに申し出るシーンがあり、それを受けたバードマンは、脳細胞破壊銃としか思えない銃を取り出し、
「この銃は、君のパーマンであった部分の記憶をすべて消してしまう。残酷なようだが、パーマンの秘密を守るためには仕方ないのだ」
と宣告している(結局パー子はパーマンをやめず、記憶も消されないのだが)。

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「さよならパー子」より。旧パーマン世代にはびっくりの、かなり胸熱な展開。

これが普通に放送されたのなら、「記憶を消す」というペナルティはまったく問題ないことになる。実はこのエピソードは、1週間ほど前にネットでその存在を知り、数日前に初めて視聴して大いに驚いたのだが、もしかすると新アニメのスタッフも、「動物にする」というペナルティには違和感を覚えていたのかもしれない。

ただ、「パーマンであった部分の記憶を消す」だけでは、口封じにはなってもペナルティとしてはいささか弱いので、秘密を知られてしまった場合には「すべての記憶を消す」とすればいいと思う。人間が、生まれてから現在までのすべての記憶を失ってしまえば、頭の中は真っ白、パーと大差はない。しかし、いわゆる記憶喪失(全生活史健忘)は「気ちがい」とは違うので、これならクレームも発生しなかったと思うのだが…。今から30年前の設定変更について今さらああだこうだ言っても始まらないが、「脳細胞破壊銃でパーにする」というペナルティは、一見のびやかなパーマンワールドの中に潜む「黒い十字架」であり、それを背負いながら戦っている、というところに、この作品の奥深さがあるようにも思えるのだ。

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「パーマン全員集合!!」より。パーマンセット(マスクとマント)を奪われたみつ夫は、「やくそくどおりパーにする」とスーパーマンに銃口を向けられる(でも、実際は「約束」したわけではないんだけどね。初回でスーパーマンが一方的に宣告しただけ)。修正後のセリフは「やくそくどおり動物にする」。

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「クルクルパーにされちゃって、一生わけもわからずにくらすんだ」と涙ぐむみつ夫。これはホントに怖いだろう。現在は「動物にされちゃって、一生つらくくらすんだ」というセリフに変えられているが、恐怖の質がまったく違う。

私自身の小学校時代を振り返ってみても、自分が「気ちがい」になるというのは、想像するだけで底知れぬ恐怖心が沸き起こることであった。私の住んでいた生田には、その当時から精神科専門の大きな病院があったのだが、頭がおかしくなった者は「黄色い救急車」でそこに連れて来られ、鉄格子で仕切られた病室に収容されているのだと、まことしやかにささやく同級生がいて、近所にそんな施設があるのか、と恐れおののいたものである。そして同時に、自分は今は自分のことがわかっているけれど、頭を強打するなど何かのはずみで、自分で自分のことがわからない状態になることもあるのではないか、そうしたら自分もそんな病院に入れられてしまうのだろうか、などという不吉な妄想で頭がいっぱいになったこともある。少年期には、誰しもそうしたアイデンティティ崩壊の恐怖を覚えることがあるのではないだろうか。そして、「パーマン」における「脳細胞破壊銃でパーにされる」というペナルティは、そうした少年少女の潜在的な恐怖心をかなり鋭く、リアルに刺激するものだったように感じる。それだけに、「動物にする」という現実離れしたぺナルティへの変更は残念で仕方がない。「すべての記憶を消す」なら、アイデンティティは確実に崩壊するわけで、同じような恐怖心を喚起することは可能だと思うのだが…。

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「パーマンはつらいよ」より。自分がパーマンであることを家族や友人に打ち明けたいと言い出すみつ夫に「そんなことをしたらパーにする」と恫喝するスーパーマン。現在では「ぜったいにゆるさん」というセリフに変更。

もっとも、このペナルティが物語の中で取り上げられるのは、100話以上ある旧原作の中でもほんの数話であり、この改変が作品全体に大きな影響を与えているということではない。

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どちらかといえば、これから述べる「スーパーマン」から「バードマン」への名称変更の方が、いろいろと面倒を引き起こしているように思う。旧原作ではみつ夫をパーマンに任命したのは「スーパーマン」で、彼は、
「マスクやマントをつければだれでも超人的な力をもてるんだ。しかしほんもののスーパーマンにはおよばないのでこれをパーマンとよぶ」
と説明している。

つまり、

スーパーマン>パーマン>パー(秘密がばれた時)

という図式になり、呼称が短くなるにつれ、能力も落ちるというシャレになっていたわけである。しかし、1983年のカラーアニメ化の際には、権利関係で「スーパーマン」の名前が使えなかったのか、

スーパーマン→超人→鳥人→バードマン

という発想の転換(?)でバードマンに名称変更し、同時に、マスクのデザインも鳥をイメージしたものに変更されたが、バードマンとパーマンでは言葉の関連性も乏しく、旧パーマン世代にはおおむね不評のようである。もっともこれは、リアルタイムで「帰ってきたウルトラマン」を見ていた世代が、後付けの「ウルトラマンジャック」という名称に拒否反応を起こすようなものだろう。幼少期に見たものが「原型」として脳に刻印されるというのは本能的なものなのかも知れない。

とにかく83年以降は、パーマンの上司といえばバードマンで統一されていたのだが、前回も書いたように、2009年の「藤子・F・不二雄大全集」では、「バードマン」の名称を当初の「スーパーマン」に戻している。「大全集」という性質上、初出時の設定を尊重したということなのだろうが、それなら「パーにする」設定も復活させるべきで、どうにも一貫性がない。しかも、2016年のてんとう虫コミックス新装版では、原稿のスキャンデータは「大全集」のものを使いつつ、名称は「バードマン」になっており、もはやこの問題はまったく集結点が見えない。一度設定に手を加えてしまうと、どこまでも混乱が続くものなのだろうか。

しかし、以上は原作マンガに限った話であり、アニメにおいては2014年に画期的な事件が起きた。それは、言うまでもなく白黒版アニメのDVD発売で、何とこのソフトでは、「パーにする」設定も「スーパーマン」の名称も放送当時のままだったのである。

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こういう「おことわり」を入れておけばいいわけですよ。

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「パーマン誕生の巻」より。パーマンのマスクを被らされたみつ夫が「パーマン? この人パーじゃなかろか」とつぶやけば、

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スーパーマンは「もし人にきみの秘密を漏らせば、その場できみは本物のパーになる」と警告する(ご丁寧に、「クルクルパー」の指の動きまで)。

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カバ夫とサブの計略でマスクを取られたみつ夫、初回からピンチ!「顔を見られたらパーになっちゃうよ〜」とベソをかく。この第1話だけで5回「パー」と言っている。

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「パーマン全員集合!!」より。「脳細胞破壊銃だ! 約束どおりパーにするぞ!」と迫るスーパーマン。

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震え上がるみつ夫。

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「ぼくはもうダメだ! クルクルパーにされちゃって、一生わけもわからずに暮らすんだ!」と、みつ夫はパー子の目の前で泣きわめく。アニメだけあって原作より感情表現が派手。

……というわけで、マンガ版の自主規制に納得の行かないものを感じていただけに、この2作品は実に痛快だった。このままでも、まったく問題ないじゃないか!

マンガはネームを貼り替えればセリフの変更が容易にできるが、アニメは再録音が必要になり、まして50年近く前の作品ともなると、当時の声優を集めるのもひと苦労である(もっとも、そうした事例がないわけではなく、たとえば「奥さまは魔女」では、オリジナルのキャストを招聘し、差別用語に当たる言葉だけを他の言葉に変えて録音し直している。以前、ダーリンの吹替えをやっていた柳澤愼一氏に聞いたところでは、「めくら蛇におじず」などということわざも今ではNGらしい。ご本人は「いろいろ面倒くさい世の中になったねえ。40年以上も前の若いころの声と同じに喋ってくれなんて言われても、そんなのできるわけないよ」と苦笑いをしていらした)。今回はそこまで手間をかけるのは見合わないという判断だったのかも知れないが、とにかく、オリジナルのままの状態でソフト化したのは英断だと思う。と同時に、これまで長らく封印されていた「パーにする」設定と「スーパーマン」の名称を広く世に出してしまった以上、マンガもこちらに合わせて原形に戻してしまえば、すべてがすっきりすると思うのだが…。

しかし、そう考えるのは私が旧パーマン世代だからであり、1980年代の新パーマンを見て育った世代は、「動物にする」設定や「バードマン」でなければしっくり来ないのかも知れない。実に悩ましい問題である。ともあれ、2017年の現在「パーマン」という作品は、入手可能な正規のメディアにおいて、「パーにする」設定と「スーパーマン」(旧作DVD)、「動物にする」設定と「バードマン」(原作マンガと新作DVD)、「動物にする」設定と「スーパーマン」(大全集における原作マンガ)、という3パターンが存在する、何ともカオスな状態を呈しているのである。

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2017年12月22日

パーマン放送開始50年(1)

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昨年(2016年)来、「ウルトラマン」については、放送開始50年ということで、当ブログでも何度か取り上げてきたが、実は、今年(2017年)は、60年代のもうひとりのスーパーヒーロー、「パーマン」の放送開始50年でもある。というわけで、何とか今年のうちにと思って書き始めたのだが(遅いよ)、「パーマン」については、漫画版とアニメ版が新旧それぞれ2つあるため、名称や設定の変更など気になる点、書きたいネタが頭の中に山積しており、とても1回ではまとまりそうにない(いつものこと)。というわけで、何回かにわけて、思いつくままに記していきたいと思う。

まず、50周年についてだが、私は当初、この記事のタイトルを、「パーマン生誕50年」としていた。しかし、ネットで検索してみると、公式的には、昨年(2016年)がパーマン生誕50年のメモリアル・イヤーということらしい。ショック! これは、『小学三年生』『小学四年生』での連載が1966年の12月に始まったからで、それに合わせて、てんとう虫コミックスでは昨年6月に全7巻の新装版も発売されている。

□『パーマン』新装版 全7巻|小学館

上の事実を知ったのが今から15分前。手元にあった「藤子・F・不二雄大全集」の『パーマン』3、4巻巻末でも確認したので間違いない。…何かね、一気に書く気が萎えてしまいましたよ。すっかり時流に取り残されていたということを知って…。もう、書くのはやめた方がいいのだろうか。

いやしかし! メインの掲載誌というべき『週刊少年サンデー』での連載は1967年の2号からだし、白黒版アニメは4月2日にスタート。当時の私はアニメでパーマンを知ったクチだから、少なくとも私の中では、そして多くの当時の少年少女にとっても、今年がパーマンと出会って50年で間違いないのだ!と考え直し、タイトルも、絶対に誤りでない「パーマン放送開始50年」と改め、書き進める所存である。

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こちらが連載開始号である『週刊少年サンデー』1967年2号。表紙は白土三平の「カムイ外伝」。

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よく見ると、パーマンのデザインが『小学三年生』『小学四年生』だけに登場した初期バージョンである。

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背表紙も同じく初期バージョン。表紙の印刷は本文より早く、その時点では新デザインは未完成だったということだろうか?

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カラー扉はおなじみのパーマン。ちなみに、この号に掲載された「パーマン誕生」は、最初に単行本化された際(虫コミックス・1970年)、かなり加筆修正されており、その後、再アニメ化にともなう設定変更などもあって、現在出回っているものとはかなり違っている。「パーマン」のマスクとマントを与えるのは「スーパーマン」。

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2009年の「藤子・F・不二雄大全集」では、1983年以来「バードマン」だった名称が「スーパーマン」に戻ったが、2016年のてんとう虫コミックス新装版ではまた「バードマン」に逆戻りしている。このあたりはそろそろ統一して欲しいところなのだが…(名称や設定変更の問題については、かなり長くなりそうなので次回以降に)。

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こちらは『週刊少年サンデー』1967年16号。

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同誌に連載中の「パーマン」「キャプテンウルトラ」「仮面の忍者赤影」「冒険ガボテン島」の4作品が4月から放送開始となるため、その宣伝記事が掲載されている。

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スーパーマンの紹介に、「パーマンの親分」と書かれているのが何だがおかしい。

さて、1967年4月といえば、「ウルトラマン」が最終回を迎えた月である。当時、「ウルトラマン」は日曜7時TBSの「タケダアワー」枠、「パーマン」は同じ日曜7時半TBSの「不二家の時間」枠。そのころの多くの子どもたちが、その2枠をワンセットで見ていた。
4月2日は「ウルトラマン」が最終回ひとつ前の38話「宇宙船救助命令」で、その直後に記念すべき「パーマン」第1回(「パーマン誕生の巻」「ロボット・ママの巻」)が放送されたわけである。そして翌週、4月9日は「ウルトラマン」があの最終回「さらばウルトラマン」、「パーマン」は第2回(「マル秘パーマン2号の巻」「そうなん救助の巻」)。その翌週から「タケダアワー」枠では東映製作の「キャプテンウルトラ」が始まるので、ウルトラマンとパーマンが連続放送されたのは、わずか2週だったということになる。

以上は記録に基づく客観的事実だが、私のぼんやりとした記憶の中では、「ウルトラマン」は「パーマン」よりもだいぶ前の作品として位置づけられており、だから、わずか2週とはいえ、重なっていた時期があったのは少し意外だった。これは、ちょうどこの時期に実家の引っ越しが行われたことが関係していると思う。すでにいろいろなところで書いたが、実家が読売ランドから現在の生田に越したのが、ちょうど「ウルトラマン」が最終回を迎えた4月9日だった。それゆえ、「ウルトラマン」といえば前の実家で見た番組(=古い)、「パーマン」は現在の実家で見た番組(=新しい)、という記憶の区分けが為されたのであろう。「ウルトラマン」はその後、再三再放送やビデオなどで見返しているので、おのおののエピソードは頭にインプットされているが、リアルタイムで視聴していた記憶は大変薄いのである。

それに対し、現在の実家に移ってからの特撮やアニメは、どれも、きちんと視聴した記憶が残っている(まあ、だいたい4歳ごろから記憶は鮮明になるものだが)。「パーマン」もその例に漏れず、毎週家族で楽しみに見ていた覚えがある(「キャプテンウルトラ」より熱心に見ていた気がする)。特に印象深いのは最終回で、それまでのライトなコメディ路線はどこへやら、えらく深刻でしんみりした雰囲気だったのが忘れられない。物語はよくわからなかったが、パーマンが屋根の上でスーパーマンに何かを諭され(当時は責められているように思った)、やがてパーマンは口を結んだまま(笑顔は一切なく)空に飛び立つ。その姿がえんえん写り、結局どこまで何をしに行ったのか見せないままで終わる、という突き放したようなラストが何とも淋しく、それゆえ長年記憶にとどまっていた(下画像は、その白黒版アニメの最終回「パーマンよいつまでも」の原作にあたる「パーマンはつらいよ」。無償の善意と承認欲求との間で葛藤する人間の姿を見事に描いた傑作。今読み直しても深く考えさせられるが、未就学児童には難しかったようだ)。

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とにかく、4歳児の私は、当時かなり「パーマン」を気に入り、しっかり毎週見ていたのはたしかである。しかし「ウルトラマン」が、怪獣という強力アイテムを持っていたのに対し、「パーマン」にはそういったものがなく、また、再放送の機会も少なかったため、数年も経たず、私の中で「パーマン」は過去の番組となっていった。1983年にアニメがリメイクされた時も、まったく食指が動くことはなく、500回以上放送されたのに、見事に1回も見ていない。興味が再燃したのは割と最近のことで、2009年に刊行された「藤子・F・不二雄大全集」の『パーマン』を懐かしさ半分で手に取ってからである。
一読して大きくうなった。私はそれまで「21エモン」がF作品の中での一番のお気に入りだったのだが、その認識を改めなくてはならないと思った。「パーマン」は、学校や家庭といった日常的な場に「SF(=スコシ・フシギ)要素」(F先生が好んだ表現)が加わったことで笑いが生まれる「ほのぼのギャグマンガ」であると同時に、そのSF要素を駆使して、悪人と対決したり人命救助を行ったりという非日常的な冒険アクションが展開する「ヒーローマンガ」でもある。このふたつが無理なくスマートに融合され、この作品でしか味わえない爽快感を生み出しているのだ。みつ夫をはじめとする各パーマンのキャラクターは実に魅力的で、設定やアイテムも気が利いている(特にコピーロボットの使い方が秀逸)。ストーリーはバリエーション豊富かつスピーディーで、大いに笑い、何度か泣かされた。「これほどクオリティの高い一話完結作品を週一以上のペースで書いていたとは…」と、F先生の稀有な才能に、改めて敬意を表した次第である。
そして、2014年に長年幻とされてきた白黒版アニメのDVDが発売されたことで、47年ぶりで動画のパーマンとも再会を果たし、長年気になっていた最終回も確認することができ、やっと「パーマン」について少し語れるようになってきたという感じだ。

モノクロ版TVアニメ『パーマン』DVD BOX 上・下巻


全然本筋に入らなかったが、今回は一応ここまでにしたい。しかし、せっかくなのでお宝(?)画像をひとつ紹介しておこう。

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こちらの写真は4歳の私である。1967年の夏に実家の庭で撮影されたもので、注目すべきはTシャツ。

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不二家の「ハイカップ」(カルピスそっくりの乳酸飲料)の王冠を送って当たった景品である。

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背面はこんな感じ(ちゃんと写真を撮ってあるのがすごいと思う)。

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『週刊少年サンデー』に掲載の「ハイカップ」広告ページ。

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抽選で毎月20,000名に当たるとのこと。ずいぶん太っ腹である。

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デザインは2パターンあったようだ(何とレナウン特製!)。今でも残っていれば結構なお宝だと思うのだが…。
posted by taku at 20:33| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月17日

「つくる」ということ

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とある日の夕暮れ、近くの公園を通りかかったら、砂場のところで、父親と3歳ぐらいの子どもが何かをやっている。暗かったのでよく見えなかったが、どうやら砂をカップに入れて、それを木枠に並べているようだ。それが、どうもかなりきちんと為されているようなので、気になって、翌朝ふたたび、同じ場所に出かけてみたのだが…。

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早朝散歩の犬などにだいぶ荒らされたようだが、まだかなり前日の形を留めていた。

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砂場のオブジェはきちんと等間隔に並べられ、ご丁寧に、花まであしらっている。

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この冬にどこから花を? と不思議に思ったが、よく周囲を見ると、砂場のすぐ近くにこんな可憐な花が咲いているのだった(ウインターコスモスというらしい)。

父親と3歳の子どものどちらが主導して作ったのかわからないが、こういう素朴な造形に心惹かれてしまうのは、ここには「つくる」という目的以上の何も存在しないからだ。ただ、作りたいから、面白そうだから、作った。そこには他者からの視線や評価を気にするいやしい気持ちなどは毛頭なく、また、自分たちが作っているものが芸術なのか工芸なのか、役に立つのか立たないのかなどという、内面の問いかけもない。作ったものが翌日には形をとどめていなくとも、少しも意に介さない。

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本来、ものをつくるとは、そうした無心の行為であるべきなのに、今日世の中にあふれているものは、おしなべて、「つくる」という目的以上の何物かに縛られ、規定されている。まあこれは文明社会においては仕方のないことなのかも知れないが、それゆえ、まだ自我が形成されていない幼児の原初的で内発的な「つくる」という行為が、大変気高く貴重なものに思えてくるのだ(実際、これは未就学児までの特権なのではないだろうか)。子どものいる人は、恐らくこうした幼児の自然な創造行為と日常的に接しているわけで、子どもがいない私としては、大変うらやましく思うのである。

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砂場のオブジェは、同じ日の夕方にはすでにほぼ消失していたが、そこから持ち帰った一輪のウインターコスモスは、グラスに入れて何日か経っても、花びらは生き生きしたままである。冬に咲くだけあって強い花のようだ。
posted by taku at 12:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月10日

レストアに挑戦

『現代コミクス版 ウルトラマン』の刊行がらみで、昨年以来、復刊ドットコム編集部とやりとりしていたという話はこちらに書いたが、本当に近年のレストア(修復)技術の進歩には目を見張るものがある。しかし、感心してばかりいるのも能がないので、自分にもその真似事ができないものか、少し前、手持ちのソフトを使って挑戦してみた。

課題はこちら。

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鎌倉アカデミアの演劇科第一回公演「春の目ざめ」(1948年)のポスター。絵とデザインは、この作品の演出を務めた村山知義(演劇科長)。さすが多芸多才の人である。1枚もののイラストとしても秀逸で、今見ても古さを感じないが、残念なことに4ツ折りの状態で保存されていたため、タテとヨコに線が入り、その周辺が変色している。

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どうにかレストアしてみたのがこちら。

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ふたたびレストア前(大きな画像でどうぞ)。

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レストア後。元はこうであったのではないか、という想像で、少しピンク色を鮮やかにしてみた。

何てことないようだが、実際の作業には3〜4時間を要している(不慣れなせいもあるだろう)。

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ちなみにこのレストア画像は、『鎌倉アカデミア 青の時代』のチラシ裏面でも使用している(作業をしたのは今年の2月)。

画像の修復作業というのは、面倒くさいし目も疲れるが、やり終えた時の達成感には独特のものがあると思う。言うまでもないが、こうしたレストアは、漫画やイラストだけでなく、写真画像でも行われる。

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上は以前こちらで紹介した、撮影スタジオでの記念写真だが、この時の一連の画像は『特撮秘宝』への掲載が決まったため、オリジナルの白黒ネガから再度スキャンしている。しかし、スキャンしただけでは編集部に渡すことはできない。なぜなら、

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スキャンした直後はこんな状態だから。

階調も整っていないし、古いネガのため、ゴミや傷がひどい。明暗やコントラストを調整し、ゴミや傷をひとつずつ消していくわけである。

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元のネガがハーフサイズのため、かなり粒子が気になるが、一応レストアしたのがこちら。

実に地味で地道だが、ついつい深みにはまってしまう作業である(ちなみに私が使っているソフトは10年も前のPhotoshopで、最近のものはもっと進化しているのだろう)。
posted by taku at 18:53| レトロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月09日

陽射しの下で

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先週末、知り合いが運営する保育園の開園記念イベントと内覧会があったので出かけてみた。

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好天に恵まれ、多くの親子連れでにぎわっていたが、園庭に出てみると、最新の児童心理学などに基づいて作られたかのような(筆者の想像です)、カラフルでいかした遊具は意外にもガラガラで、

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子どもたちの多くは、ただ土を盛り上げて人工芝を敷いただけの小山がお気に入りの様子。何度も何度も、上から転げ落ちて、そしてまた登って、を繰り返しているのだった。

何となく、わかる。

まだ生まれて数年しか経たない彼ら彼女らは、「文明」よりも「自然」に近い存在である。したがって、より原初的なものに親近感を抱くのだ。最初はそう考えたが、しかしそれは、子どもだけでなく、ひょっとすると大人にも当てはまるのではないか。実は私も、知り合いに勧められるまま、その小山に登り、滑り落ちてみたのだが、なかなかにいい気分であった。しかし、すぐそばにある、作りこまれたカラフルな遊具で遊んでみようという気はついに起きなかった。

現代人は、今やその生活の大部分をPCやスマホといったテクノロジーに依存しており、その便利さ、快適さを当然のように享受しているが、その一方、どこかでもっと体感的なもの、原初的なものを求めているのではないのだろうか。などという独言を、デジカメで撮った画像を使い、PCに向かいながら打ち込んでみるのである。

※ちなみに、こういう話の流れになるとよく引き合いに出されるルソーの「自然に帰れ」だが、実は彼の著作にはそういう言葉は書かれていないという。ただ、ルソーの思想を端的に表現すると、「自然に帰れ」ということになるらしい。
posted by taku at 13:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月06日

リニューアル!『物理基礎』

先週の放送では肩透かしを食った『物理基礎』だが、今日の放送では、母親の不在について落とし前をつけたというか、番組がリニューアルしたことを冒頭できっちりアピールしていた。

この間のブログで、「連続ドラマなどで、Aという役を演じていた俳優Bが、何らかの事情で出演を続けることができなくなった場合、製作側の処置には、おおむね以下の4パターンが考えられる」と書いた。以下の4つである。

(1)Aを劇中で殺す
(2)Aを遠く(外国など)に行かせる(転勤などを含む)
(3)Aを俳優Bからほかの俳優に交代
(4)Aという役そのものを消滅させ、なかったことに(劇中でも語られない)

私は(2)か(4)ではないかと予想していたが、結論から言うと、(2)の、「遠くへ行かせる」パターンであった。しかし斬新だったのは、母親だけが家を離れたのではなく、父親も一緒だったこと。要するに父親は「新しい工場」(現状より広い)に付帯した家で暮らすことになり、一方、兄と妹は今までの家に2人だけで住むという。でもねえ、新しい工場が現状より広いところなら、普通一家揃って引っ越すんじゃないのか?

とにかく、父親は「ここからちょっと遠くなっちゃったけどね」と言いつつ、「でも、ちょくちょく戻ってくるから」と、事もなげに言う。要するに、「物理についての薀蓄を傾ける時だけは出かけてきますよ」ということだ。そして「お母さん」という単語は、ついに誰の口からも発せられることはなかった(そういう意味では「役そのものを消滅させ、なかったことに」のパターンでもある)。恐らく、母親は父親とともに新しい工場に行ったということなのだろうが、いくら口ではそう説明しても、3人だけの場面は妙にがらんとした雰囲気で、一家の華を失った寂寥感に包まれているようだった(収録現場ではどうだったのだろう)。

それにしても、これだけのトンデモ設定を冒頭のわずか30秒で説明してしまうとは、さすが物理(ものり)家の人々、やることにそつがない。それからは、いつもと変わらない流れで静電気と電流についての解説になったが、終盤の〆の言葉で、父親がいつになくしんみりと「共通の悲しい思い」について語ったのが印象的だった。親や教師は、いつか成長した子どもから「もういらない」と言われる日が来る。愛おしく、手放したくない子どもからそう言われるのは悲しいことだが、子どもをそこまで自立させるのが、子育てや教育の目的である、というもので、どうしてこんな、最終回で話すような内容を、ここにぶち込んできたのか大いに気になった。これはやはり、「愛おしく、手放したくなかった」けれど、こういう形にせざるを得なかった。それがみんなの「共通の悲しい思い」です、という、製作サイドから母親役だったS・Yへの秘めたるメッセージのように思えてならないのだが…。
posted by taku at 17:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする