この間のブログで、「連続ドラマなどで、Aという役を演じていた俳優Bが、何らかの事情で出演を続けることができなくなった場合、製作側の処置には、おおむね以下の4パターンが考えられる」と書いた。以下の4つである。
(1)Aを劇中で殺す
(2)Aを遠く(外国など)に行かせる(転勤などを含む)
(3)Aを俳優Bからほかの俳優に交代
(4)Aという役そのものを消滅させ、なかったことに(劇中でも語られない)
私は(2)か(4)ではないかと予想していたが、結論から言うと、(2)の、「遠くへ行かせる」パターンであった。しかし斬新だったのは、母親だけが家を離れたのではなく、父親も一緒だったこと。要するに父親は「新しい工場」(現状より広い)に付帯した家で暮らすことになり、一方、兄と妹は今までの家に2人だけで住むという。でもねえ、新しい工場が現状より広いところなら、普通一家揃って引っ越すんじゃないのか?
とにかく、父親は「ここからちょっと遠くなっちゃったけどね」と言いつつ、「でも、ちょくちょく戻ってくるから」と、事もなげに言う。要するに、「物理についての薀蓄を傾ける時だけは出かけてきますよ」ということだ。そして「お母さん」という単語は、ついに誰の口からも発せられることはなかった(そういう意味では「役そのものを消滅させ、なかったことに」のパターンでもある)。恐らく、母親は父親とともに新しい工場に行ったということなのだろうが、いくら口ではそう説明しても、3人だけの場面は妙にがらんとした雰囲気で、一家の華を失った寂寥感に包まれているようだった(収録現場ではどうだったのだろう)。
それにしても、これだけのトンデモ設定を冒頭のわずか30秒で説明してしまうとは、さすが物理(ものり)家の人々、やることにそつがない。それからは、いつもと変わらない流れで静電気と電流についての解説になったが、終盤の〆の言葉で、父親がいつになくしんみりと「共通の悲しい思い」について語ったのが印象的だった。親や教師は、いつか成長した子どもから「もういらない」と言われる日が来る。愛おしく、手放したくない子どもからそう言われるのは悲しいことだが、子どもをそこまで自立させるのが、子育てや教育の目的である、というもので、どうしてこんな、最終回で話すような内容を、ここにぶち込んできたのか大いに気になった。これはやはり、「愛おしく、手放したくなかった」けれど、こういう形にせざるを得なかった。それがみんなの「共通の悲しい思い」です、という、製作サイドから母親役だったS・Yへの秘めたるメッセージのように思えてならないのだが…。