2018年01月18日

パーマン原典購読(1)

年も改まってかなり経ったが、もう少し「パーマン」ネタを続けてみたい。

「大全集」の目次ページにも断り書きがあるように、F先生は単行本化の際、元の原稿に加筆修正を施すことが多かったようだ(手塚大先生の影響だろうか)。これは「パーマン」も例外ではなく、『少年サンデー』での連載第1話「パーマン誕生」や「はじめましてパー子です」、名作「パーマンはつらいよ」、ハードな展開の前後編「鉄の棺桶%ヒ破せよ」、そして最終回「スーパー星への道」などにもかなり手が加えられている。「大全集」も、一昨年出た「てんとう虫コミックス」新装版も、70年代に単行本化されたものを底本にしているということなので、雑誌に掲載された時の「完全なオリジナル」を目にすることは、もはや今日では難しいということになる。
そこで今回から2回にわたって「パーマン原典購読」と題して、『少年サンデー』掲載時のオリジナルと現行の単行本とを比較し、どういう風に加筆や修正が行われたのかを検証していきたい。

通常、こういう比較は、before、afterの順で行うことが多いと思うが、今回は、現在流通しているものが最初はこうだった、という流れでご覧いただきたいので、after、beforeの順で画像を紹介していくことにする。

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第1話「パーマン誕生」。『少年サンデー』1967年2号掲載時は14ページだが、単行本では18ページ。4ページも増えている。この見慣れた扉も加筆されたもので、

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オリジナルの扉はこちら(「大全集」1巻の表紙で使用)。

はじめの4ページはオリジナルのままで、特に変更箇所はない。しかし、『サンデー』ではキャラクター表記が「ミツ夫」「ミチ子」「カバオ」となっており、現行の「みつ夫」「みち子」「カバ夫」と微妙に異なっている。

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加筆修正が始まるのは5ページ、みつ夫とスーパーマンとの出会いの場面から。

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こちらがオリジナル。間違い探しの要領で見比べてみてほしい。

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右のスーパーマンはオリジナルだが、みつ夫と風景は加筆されたもの。

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オリジナルと比較すると、みつ夫の表情や等身の違いがよくわかる。

これら一連の加筆は、1970年の「虫コミックス」(虫プロ商事)ではなく、1976年の「ホーム・コミックス」(汐文社)の刊行時に行われたものと推測される(「大全集」1巻巻末には、虫コミックス版だけの第1話オープニングシーンが掲載されているが、それを見る限り、みつ夫の顔にそれほど大きな違いは見られないので)。

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このコマなどは、人物は元原稿のままだが、それを切り貼りしてタテに拡げ、画面に広がりを持たせている(このパターンが結構あることに驚く)。

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元はこんな感じ。

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やたらと有名なスーパーマンの自己紹介シーンも、

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オリジナルはこんなに控えめ。

スーパーマンはともかく、みつ夫の顔は違和感ありまくりで、オリジナルで描かれたものと明らかに雰囲気が違う。

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みつ夫(1967年)

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みつ夫(1976年)

顔全体における目の面積が小さくなり、目と目の間隔も広くなったため、コミカルさが薄れ、かなり大人っぽい顔立ちになっている(こうした加筆修正は、いきなり作品の世界観が変わってしまうような気がして、あまり好みではないのだが、それについてはあらためて述べたい)。

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2段ブチ抜きのスーパー星の紹介も加筆によるもので、

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元は実にシンプル。

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微妙な言葉の変更についてはご覧のとおり。

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この件についてはこちらでさんざん書いたので今回はスルー。

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パーマンの超能力を紹介するシークエンスは、現行のものは1.75ページを使っているが、

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オリジナルでは1ページ。比較してみると、元原稿を活かしつつ、大ゴマを使ってダイナミックに表現しているのがわかる。単行本にすると紙面が雑誌よりかなり小さくなってしまうので、そうした点も考慮したのだろうか。

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また、コピーロボットの説明シーンは、現行のものにはロボットがみつ夫の顔になる過程が2段目に描きこまれているが、

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オリジナルにはそうした描写はない。また、「この脳細胞破壊銃でほんとのパーにしてやる」の元コマがかなり狭かったこともわかる。


さて、みつ夫の加筆部分については、顔を見れば容易に判断できるが、これがパーマンになると、マスクをかぶっているため、見分けるのがいささか難しい。しかし、実は顔以外にも見分ける大きなポイントがある。それは、60年代の「オバQ」「パーマン」が「4本指」で描かれているのに対し、70年代以降の「ドラえもん」「新オバQ」は「5本指」で描かれているということ。

アニメや漫画における「4本指」は、歴史的にはディズニーが発祥で、それが手塚大先生を経て藤子不二雄両先生に引き継がれたということらしいが、70年代以降は写実主義の時代に入ったからかあまり見ることはなくなる(アニメの「パーマン」も、60年代の旧作は4本指だが、80年代の新作は5本指である)。ここで紹介している加筆修正は70年代に行われたものなので、5本指になっているものが多い。

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加筆された1、2、3コマ目の人物の指はしっかり5本。

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オリジナルはあくまでシンプル。指は4本。

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2段目右のパーマンとみち子のツーショットは加筆コマだが、注意しないとわからない。

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こちらがオリジナル。コマの配置も微妙に変わっている。

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よくよく見ると、みち子の前髪の数が違う。加筆は3つだが、

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オリジナルは2つ。

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パーマン初の人命救助に出動。加筆なので指は5本。

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オリジナルは指4本。

飛行機を墜落から救う場面も、先ほどの超能力の紹介と同様、コマを大きめにして迫力を増加させているが、それほど大きな修正はないのでここでは省略。

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そしてこれ。ヒーロー物の第1回にふさわしい決意表明のシーン。
「なったからにはがんばらなくっちゃな。ぼくにできるはんいで」
などというセリフは実にF先生チックなのだが、実はこれもすべて加筆。

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オリジナルでは、飛行機を救ったすぐあとに、「さて、そろそろ家へ帰るか」となっており、あくまで日常ベースの物語という感じ。また、みち子のセリフが「子どものスーパーマンが…」になっている。

という感じで、第1回は終了。いやあ、これは思ったより時間と手間がかかる! 本当は「はじめましてパー子です」も手をつけたかったが、とても時間が足りない。しかもこれだけ労力を使っても、「パーマン」に興味のない人には、あんまり面白くないような気もするし…。今後どうするか、ちょっと考えます。
posted by taku at 18:12| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月11日

F先生まぼろしのサイン

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前回のブログに、

当時生田に住んでいた私にとって、藤子不二雄先生というのはご近所の大先生であり、小学3年の時、友人とご自宅までサインをもらいに行ったこともあります。

と書いたので、忘れないうちにその時のことを記しておこう。しかし、このことについて書くのは、正直いささか気が重い。それは、最後まで読んでいただければおわかりだと思う。

あれは小学3年の、秋だったか春先だったか、あまり暑くも寒くもないころだったと記憶している。休み時間に何人かの級友とマンガの話をしていた時、Aくんが、
「うちの近所には藤子不二雄が住んでるんだ」
と言うので、
「それじゃあ、サインをもらいに行こう」
という話になり、やはり近所のBくんも誘って、3人で学校の帰り、F先生のご自宅にうかがったことがある。

「生田に藤子不二雄が住んでいる」ということはすでに知っていたが、歩いていける距離だというのは正直意外だった。もっとも、この時期はすでに生田スタジオで「仮面ライダー」の撮影を見学したこともあったので、「マスコミで有名な存在が、手をのばせば届くところにある(いる)」ということには大して感動も驚きもなかった(今考えると、生活圏内に「仮面ライダー」と藤子不二雄両先生がいたというのはかなりすごいことだと思うのだが)。

小学校から歩いて10分もかからない静かな住宅街に、F先生のお宅はひっそりと建っていた。門柱には「藤本弘」「藤子不二雄」というふたつの表札が掲げてあったと思う。当時は新築して間もないころだったはずだが、とりたてて華美な印象はなく、子ども心にも、
「え、これがあの藤子不二雄先生の家なのか? ずいぶん普通だなあ」
と、ちょっと肩透かしを喰った気分だった。あれだけ想像力豊かなマンガを描く人だから、家ももっと非日常的な建物の方が似つかわしく思えたのだろう。

さて、今でも解けぬ謎なのが、どうしてAくんは、「黒い藤子不二雄」(A先生)ではなく「白い藤子不二雄」(F先生)のお宅に、私とBくんを案内したのかということ。誰でも知っているように、F先生宅とA先生宅はほぼ隣り同士である。そして当時はまだFとAとにわかれていなかった時期で、どちらがどの作品を描いているかは一般には知らされていなかった。それを考えると、A先生のお宅を訪ねてもおかしくなかったはずなのだが、Aくんはしっかり「小学生御用達」である「白い藤子不二雄」(F先生)のお宅の門の前に立ったのだった。

そこで、呼び鈴を押すまでに、3人してかなり躊躇したような記憶がある。いくら近所といっても、Aくんも直接の面識はなかったようだし、いきなり「サインをくれ」というのもずうずうしすぎるのではないか、と小学生の頭でもそう考えたのだ。しかし、せっかく来たのだからということで、多分Aくんが、意を決して呼び鈴を押した。少しの静寂。やがて家の中から、40代のご婦人が出てきた。F先生の奥さまだったと思う。
「…あの、ぼくたち近所の小学生なんですけど、藤子先生のファンで、是非、藤子先生のサインが欲しいんですけど」
なんてことを言ったのだと思う。すると奥さまは、
「今、主人は仕事でいないんですよ」
とおっしゃった。これは、当時のわれわれには少々意外な返事だった。何故なら、あの時代のマンガには、漫画家が自分の家でうんうんうなって執筆している様子がよく描かれていたからだ。そして私の父も作家で自宅が仕事場であったから、漫画家が昼間、「仕事でいない」というのがどうもピンとこなかったのである。
「先生はいないんですか」
「そう、お昼間は東京の仕事場でお仕事をして、帰りは遅いの」
この仕事場というのはもちろん、藤子スタジオのことを指しているわけで、この日のやりとりで、私は藤子不二雄という漫画家は家と仕事場をわけているということをはっきり知った(あらためて雑誌などのおたよりの宛先を見ても、住所は市川ビルの藤子スタジオになっていた)。

とにかく、F先生は不在だという。われわれ3人はしばし顔を見合わせた。先生がいないんじゃ、サインはあきらめるしかないのか…。そんなわれわれの心中を察したかのように、奥さまは、
「じゃあ、描いてくれるように頼んでおくから、2、3日したら取りに来てちょうだい」
とおっしゃったのである。
「え、いいんですか?」
思いがけない話に、われわれは身を乗り出した。
「絵は何がいいの? ドラえもん? オバQ?」
その当時の小学生には、学年誌に数年連載中のドラえもんがなじみ深かったが、一方、「新オバQ」もアニメが放送中で、人気は伯仲していた。しかしわれわれは期せずして3人とも、オバQをリクエストした。
「オバQね。わかりました」
われわれは奥さまに御礼を言い、その日は引き上げた。

そしてその2日後、われわれ3人は約束どおりふたたびF先生宅を訪れ、そこで奥さまから、間違いなくF先生直筆の、オバQイラスト入りサインを、頂戴したのである。手渡されたのは色紙ではなく藤子スタジオの原稿用紙で、青のサインペンでイラストのメイン部分、赤のサインペンでオバQのくちびるとサインが描かれていた。しかも3枚ともポーズが違っている!!
われわれは子どもながらにF先生の細やかな心遣いに感激し、何度も御礼を申し上げてお宅を引き上げたのであった。

こうして、アポなしの藤子不二雄宅訪問は、先生と直接お目にかかることはかなわなかったものの、念願のサインをいただくという、大変大きな収穫を得て終わった。帰り道は、AくんもBくんも私も、かなり興奮していたと思う。ポーズの異なった3枚のオバQをどうやって分配したのかは記憶にないが、多分ジャンケンでもして、勝った者から好きなのを選んだのだろう。私は、割と正面向きのポーズのものを手にすることになった。

それにしても、一面識もない近所の子どもの訪問に、嫌な顔ひとつせず対応した奥さまは本当にできた人だなあとあらためて思う。もっとも、当時の生田は新興住宅地で子どもの数がやたら多かったから、この手の不意の訪問者は日常茶飯事だったのかも知れないが…(それでもああした等身大の対応は、なかなかできることではないと思う)。

さて、こうしてめでたくサインをもらえたというのに、なぜ私はこのブログの冒頭で「いささか気が重い」などと書いたのか。それは、その時のサインが、現在、私の手元に残っていないからである。

この不始末については、あまりにも腹立たしく、本当に、何度自分の頬を張り飛ばしても足りないくらいだ。これよりもっと前の時代の「現代コミクス」などは保存してあるくせに、どうしてF先生のサインが手元にないのか?

処分したという記憶はないのに、どうしても、どこを探しても、見つからないのだ。実に悲しい。そして、取り次いでくださった奥さま、お疲れのところ、帰宅後にサインを描いてくださったF先生にも本当に申し訳ない。

しかし、こういう、やるせないこともあるのだ。これをお読みの方にも申し訳ない気持ちでいっぱいである。せめてものお詫びのしるしとして、記憶を頼りに再現してみたのがこちら。

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拙い再現ですが何卒お許し下さいますよう。青と赤の配色とサインの位置はこんな感じだったと思う(実際には縦長の原稿用紙の中央に描かれていた)。

ちなみに、最近ネットオークションなどで、人気漫画家のサイン色紙がかなり出回っているようだが、その多くは偽物で、出品者自身が描いているケースもあるらしい。安易に入札するのは避けたいものだが、私も上の再現サインを描いている時、何だか自分が偽物の製造に手を染めているような錯覚に陥り、ちょっと後ろめたい気分であった。
posted by taku at 16:32| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月09日

お宝年賀状

昨年暮れは、4回連続で藤子不二雄先生ネタを書いたということもあり、半世紀近く所蔵してきたお宝年賀状を特別に公開することにしました。昨日、実家の物置からやっとのことで見つけ出したものです。

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まずは1973年。ネットで検索してみても、70年代のものはあまり見つからなかったので、割とレア度は高いのかも知れません。「ジャングル黒べえ」の黒べえ、赤べえ、パオパオが目立つ場所に描かれていますが、これらのキャラはまったく見たことがなかったため、しきりと首を傾げたのを覚えています(「ジャングル黒べえ」は放送・連載ともこの年の3月に開始)。当時の私は小学3年生でした。

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こちらは2年後、1975年。73年の賀状はF先生のキャラがメインでしたが、こちらはキレイに左半分がF先生、右半分がA先生のキャラになっています。「プロゴルファー猿」はこの前年(1974)に連載が始まったばかりですが、キャラクター全員にゴルフクラブを持たせていることから推察して、すでにかなりの話題作だったことがうかがえます。私は小学5年生でしたが、この時期『少年サンデー』は読んでいなかったので、「プロゴルファー猿」のことはほとんど知りませんでした。

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ネットオークションなどで入手したものでない証拠として、一応表面も載せておきます。差出人は藤子スタジオで、住所は今は亡き市川ビル(ぼかしをかける必要はなかったかも…)。

小学生のころは、何度となく藤子スタジオ宛にファンレターを送っていたので、ファンサービスの一環として、こういう年賀状が送られてきたのです(ついでに言うと、当時生田に住んでいた私にとって、藤子不二雄先生というのはご近所の大先生であり、小学3年の時、友人とご自宅までサインをもらいに行ったこともあります。しかしその話はやや長くなるのでまたの機会に)。

最後に、これは藤子不二雄先生ではありませんが、やはり何度かファンレターを出した永井豪先生(ダイナミックプロ)の年賀状(1974年)。

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こちらは、左上の筆者の絵のみオリジナルで、あとはそれぞれの掲載誌の絵を転載しています。年賀状用の1枚絵を書き下ろすだけの時間的な余裕はなかったということでしょうか。上から「バイオレンスジャック」「マジンガーZ」「ドロロンえん魔くん」「キューティーハニー」。4作中3作がアニメ放映中だったというのもすごいです。ちなみに「マジンガーZ」は『少年ジャンプ』での連載を終え、『テレビマガジン』に移っていました。
posted by taku at 20:39| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月02日

謹賀新年(もうすぐブログ10周年)

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明けましておめでとうございます。

今まで、ブログで年頭のご挨拶をしたことはなかった(と記憶している)のですが、今年はこのブログを始めてちょうど10年という節目の年でもあるので、朝日の写真などあしらって、ちょっと華やかな気分を出してみました(といってもこれは一昨年の暮れに撮ったもので、今年の初日の出ではありません。撮影場所は熱海、相模湾の朝日です)。

まあ、10周年だからといって特に何かやるわけではありませんが、時の経つのは本当に早いものです。このページを立ち上げた時には45歳直前だった私が、もうすぐ55歳ですからね。それから、この10年でブログというツールそのものが、後発のSNSに押されてかなり衰退し、無料のブログサービスがずいぶん消えてなくなってしまいました。そんな中で、このseesaaブログは、よく持ちこたえていると思います。数年前に、一度すべてのページがgoogle検索から飛ばされた時には「seesaaブログも終了か?」とあせりましたが…(その時の様子はこちら)。

それから、ブログについてもうひとつ言えば、ほぼ1年前から、アクセス解析でキーワードを調べることができなくなったのが結構ショックでした。もっともこれは、GoogleやYahoo!の、「ウェブ検索ページのSSL化導入」によるものなので、ブログに限らず、ホームページに設置したアクセス解析でも同様なのですが…。この事態は、ブログやホームページ記事執筆のモチベーションに、かなりマイナスの影響を与えているように思います。2016年暮れぐらいまでは、「このページを閲覧した人は、どういう単語を検索してここにたどりついたのか」がアクセス解析を使えばわかったわけです。具体的に言うと、私のことなどまったく知らない人が、

「ナゾー様 素顔」とか、
「ウルトラ兄弟 誕生」とか、
「大船観音 シルバー仮面」とか、
「倉田室長 大平透」とか、
「樹海 死体 発見 警察」とか、

そういうキーワードを打ち込んだ結果、ここにアクセスしてきていた、ということが詳細に把握できたわけで、そんな言葉の羅列を見るのが、小さな発見、ささやかな喜びでもありました。しかし現在では、どのページがどれくらい閲覧されているかはわかっても、その経路を知ることはできません。読んでくれた方との接点がまったく失われたようで、いささか淋しい状況であります(コメント欄を設ければいいのかも知れませんが、根がズボラな私には、迅速かつ的確なコール&レスポンスは難しいのです)。

というわけで、かなり一方通行の情報発信ではありますが、今年も、気が向くままに更新していくつもりですので、どうぞよろしくお願いいたします。
posted by taku at 11:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする