
春風社代表の三浦衛さんの第二詩集『鰰 hadahada』を読む。
「鰰」は共通語的には「はたはた」と読むが、秋田弁では「はだはだ」と濁る。私は秋田生まれの父を持つので、「はだはだ」と濁った方が、ブリコ(卵)が腹いっぱいに詰まったあのビジュアルが鮮明に思い浮かぶのだが、関東地方において「はたはた」が滅多に手に入らない昨今では、それをわかってくれる人がどれだけいるだろう。
この詩集は、タイトルのみならず、本文も「秋田ネイティブ」の言葉が全開という、かなり挑戦的な1冊。かなり読者を選ぶものになっているのではないか、という不安が少なからずあったがそれは杞憂で、大変にすがすがしい気分で読み終え、同時にまた、新たな発見に預かることもできた。
三浦さんは一昨年還暦を迎え、私も現在56歳。出会った時からすでに10年が過ぎ、お互い知らぬ間にひたひたと老いが迫っている。年を数えるほどに人は郷愁の想いが強くなり、涙腺も緩みがちになるのだろうか。三浦さんはどうか知らないが、半分秋田人の私などは、何でもないような描写に、何度か「うるっと」きてしまった。
たとえば、「世界の淵」。この詩の中に、「八郎湖」という単語が出てくる。「八郎潟」がかつて湖であったことに触れているのだが、「世紀の大事業」と言われた八郎潟干拓からすでに半世紀、現在は大潟村と呼ばれるあの場所が、巨大な湖であったことを直接見知っている人がどれくらい残っているのだろう。
耕耘機のエンジン音が
さびしい秋空に吸い込まれてゆく
この2行を目にしただけで、大潟村のどこまでも続く直線道路と、稲刈り後の荒涼たる光景が眼前に浮かんできて、何とも切なくなる。短い言葉ほど、映像に変換しやすいのかも知れない。
「安心の川」も印象的だ。
右にころがれば
祖父
左にころがれば
祖母
幼年時代の三浦さんが、祖父母にいつくしまれて育ったことは何となく聞いていたが、これを読むと、本当に「川の字」で寝ていたことがわかる。そして、実際見たわけでもないのに、その情景がはっきり目に浮かんでくるのだ。
わだしは
安心の川にいで
気がかりなごどは毛ほどもながった
詩の最後には、今も三浦さんの寝室には、祖父母の写真が飾られているとの記述があり、私も実際にそれを見て知っているが、初めて「こういうことだったんだ」と納得した。と同時に、そこまでの安心感に抱かれて成長することができた三浦少年は、なんと幸せな子どもだったことか、と心底うらやましく思ったのも事実である(しかしその一方で、「とじぇね(寂しい)わらし」)でもあったそうだから、人間というのは複雑なものだ)。
私は、日常的に詩集をめくるということは滅多にしない。というか、思春期以降、詩に対する自身の感応力の低さに絶望し、詩というものにほとんど触れないまま現在まで過ごしてしまったのだが、今回この『鰰 hadahada』を読んでみて、こういう、詩集のようなスタイルのものこそ、PCのディスプレイではなく、紙の本で読んだ方がいいのではないか、と強く感じた。
ページをめくること、文字と余白を味わうこと、そっと本を閉じること、などは身体感覚をともない、それゆえ、活字(この本は実際に金属の活字で印刷されている)の言葉との間に何かしらの共振作用が生じるようなのだ。先ほど書いたように、言葉が少ないこととも関係しているのかも知れない。とにかく、PCのディスプレイで散文を読むのとは違うトリップ感覚を味わえるのはたしかなようで、この本を読んでいる間、外界の音や光、匂い、温度といった刺激はほとんど知覚されず、そこにはまさに本と私だけが在り、三浦さんの感じた秋田というあたたかい「何ものか」に包まれているような不思議な感覚であった(こうした感覚は、PCやスマホでの読書ではなかなか味わえないような気がする)。おそらく今後、紙の本はますます減っていくのだろうが、紙の本でなければ味わえない「醍醐味」もあるのだと、今さらのように感得した次第である。
秋田弁バリバリのこの詩集を、最初は「いささか無謀では?」と思いながらページをめくり始めた私だったが、知らぬ間に三浦さんの術中にはまったようで、今は正直「やられた」という気分である。
方言はれっきとした日本語であり、異国の言葉とは違う。その地域に深く根ざしており、背後には永い歴史が横たわっている。一度ではわからずとも、二読三読するうち自然と心に感応し、頭で理解する以上に深く、体の内側に浸み込んでいくものだ。
「もっとも優れて民族的なものが、もっとも優れてインターナショナルなのだ」
という亡父・青江舜二郎の言葉が、改めて思い出されてくる1冊であった。
【付記】この詩集に収載の詩すべてが秋田弁というわけではありません。後半のものは、秋田に材をとっていても、語り口はほぼ標準語です。