2020年08月13日
加藤茂雄さん追悼上映、そして『浜の記憶』と特撮の話
8月10日、加藤茂雄さんの追悼上映会が鎌倉市川喜多映画記念館で始まりました。
館内には加藤さんがこれまで出演した映画台本の切り抜き帳やスチール写真、『浜の記憶』の台本に絵本『茂さん』など、思い出の品が多数展示されています。
チケット完売となった10日の『浜の記憶』上映後には、宮崎勇希さんと私(大嶋)の舞台挨拶も行われ、加藤さんを偲びました。時節柄、フェイスシールドを着用しての挨拶となったのですが、慣れていないせいか、マイクが何度もシールドに当たってしまい、いささか難儀しました。
最終日の16日(日)は、14時からの『浜の記憶』上映後に、宮崎勇希さんと渡辺梓さん、そして私(大嶋)による舞台挨拶を予定しています。作品を彩ったヒロイン役と娘役に、ありし日の加藤さんの面影や撮影エピソードなどを語っていただこうと思っています。ご来場をお待ちしております。
さて、ここからは余談ですが、『浜の記憶』に出演しているキャスト御三方は、いずれも特撮作品に縁があります。
加藤茂雄さんについては、『ゴジラ』第1作に始まり、数々の東宝怪獣映画に顔を出し、またウルトラシリーズにも多数出演されているのは周知の事実。「ウルトラセブン」の第1話で、初めて人類の前に姿を見せたウルトラセブンを指差して、
「あれは何ですか? 何ですかあれは?」
と叫ぶ神奈川県警のお巡りさん役は特に有名です。
↑キリヤマ隊長の隣り、左から3人目が加藤さん。
↓ちなみに「ウルトラQ」第3話と「ウルトラマン」第6話にもお巡りさん役で出演しています。
渡辺梓さんは、言わずと知れた「魔法戦隊マジレンジャー」の小津深雪(マジマザー)役。5兄弟戦士の母親で、常に子どもたちに愛と勇気を与え、物語の序盤や終盤では自らも戦線に赴きました。当時渡辺さんはまだ35〜36歳でしたが、成人を含む5人の母親を、実に自然に、優しさと凛々しさと美しさをもって演じられていたと思います。でもこの当時より、15年経った現在の方が、むしろ若々しく見えたりするから不思議なものです。
↓最終回では家族8人で変身し、ラスボスを打ち倒しました(右端がマジマザー)。
そして宮崎勇希さん。彼女はオーディションで選ばれた新人ではありますが、しばらく前に別名義で活動していた時期があり、そのころ、「宇宙刑事シリーズ」のギャバンとシャリバン役の方が特別出演していて、なおかつ著名な漫画家さんが多数ゲスト出演している、『龍帝』という映画で銀幕デビューを果たしているのです。クライマックス間近のシーンで彼女は、ジャッキー・チェンやドニー・イェンとも共演歴のある北岡龍貴氏と戦い、ハイキックの連打でついに勝利するという、見てびっくりのアクションシーンを披露しています。とにかく足の上げ方と動きのキレが凄いです。彼女には是非武闘派俳優としてもがんばって欲しいと思います。
共演した北岡龍貴さんは、昨年の新宿ケイズシネマでの公開に駆けつけてくれました。
『浜の記憶』の終盤、渡辺さんと宮崎さんは加藤さんを巡ってかなり激しい口論を繰り広げるのですが、魔法と武闘のガチバトルで見てみたかった気もします(特撮愛好家目線での話です)。
そんなわけで16日は、「マジマザー」渡辺梓さん、「ハイキック」宮崎勇希さんが舞台挨拶にいらっしゃる予定です。当日のお話はあくまで加藤さんと『浜の記憶』が中心ですが、上記のエピソードを頭の片隅に留めつつトークを聴くのも、また興味深いのではないでしょうか。
2020年08月02日
加藤さんのいない八月
8月の訪れとともに関東地方は梅雨明けしたようですが、まあ、何とも気が晴れないこと。新型コロナの感染者は日増しに増え続け、それなのに国は何の指針も示さず、先行きがまったく見えません。政治家というのは、本来は国民の「僕」であるべきなのに、どうしてこんなに国民の気持ちに寄り添わないで平気でいられるのか、そういうメンタリティでどうして政治家なんかになることを選んだのか、と、考えるほどに腹が立って胸がムカムカしてきます。コロナに関しては、他にもいろいろと思うこと、感じることが山積しているのですが、それをここに書いても何の解決にもならないのでこれでやめておきます。
昨日(8/1)の朝日新聞の夕刊「惜別」欄に、加藤茂雄さんの記事が掲載されました。こういう記事を目のあたりにすると、いよいよ加藤さんは遠くに行ってしまったんだ、という思いが強くなります。現実は無常です。
去年の今ごろ(7/27〜8/2)はまさに、新宿ケイズシネマで『浜の記憶』が絶賛公開中でした。
加藤さんはほぼ連日劇場に顔を見せ、上映後には喜々として舞台挨拶をこなし、舞台を降りたあとも、ロビーでお客様と歓談していました。まさかあれが文字通り、加藤さんの俳優生活の掉尾を飾るイベントになってしまうとは…。(1年前のブログ→「『浜の記憶』東京公開終了」)
『浜の記憶』のフルキャスト。左から加藤茂雄さん、宮崎勇希さん、渡辺梓さん
でも、もしも公開が1年遅れて今年になっていたら、こんなに賑やかにイベントを行うことは不可能だったわけで、加藤さんは、絶妙のタイミングで主演をし、公開まで持っていってくれたと考えることもできそうです。そういう意味では、とてもラッキーな方だったのかも知れません(去年の今ごろはまさか、人と人とが直接触れ合う舞台挨拶のようなイベントが、自由に行えなくなる日が来るとは、夢にも思いませんでした)。
加藤さんのご葬儀は、6月18日、家族葬という形で行われましたが、その前日(6月17日)の夕刻に、ごく近しい関係者だけのお別れの儀がご自宅で営まれ、『浜の記憶』を代表して監督の私(大嶋)と宮崎勇希さんが参列し、最後のご挨拶をしてきました。棺の中の加藤さんは、ずいぶんお痩せになっていましたが、劇中でもかぶっていた愛用の帽子をかぶり、静かに眠っておられました。
お別れをすませたあと、足は自然と、歩いて数分の由比ヶ浜に向かっていました。今から2年前、『浜の記憶』の撮影で、連日のように加藤さん、宮崎さんと集ってながめた同じ海。でも、加藤さんはもういません。
実は『浜の記憶』のラストには、宮崎さん演じるユキが、加藤さん演じるシゲさんに、「2年後」のことを話すシーンがあります。ユキは明日のことのようにさらっと語り、シゲさんはそれを永遠のように受け取るのです。若者と老人との、時間の感覚のギャップを表そうとしたのですが、しかしまさか、実際の「2年後」に、加藤さんがいなくなっているとは、完全に想像の外でした。自分はなんて罰当たりな台本を書いてしまったのだろうと、胸がしめつけられるようでした。
今年の夏は、主だったイベントや祭りが軒並み中止となり、海水浴場も、神奈川県に関する限り、25箇所すべてが開設中止となっています。この由比ヶ浜も例外ではありません。
夏なのにひと気の絶えた浜、そして、そこに加藤さんもいない。この欠落は、容易に埋められそうにありません。
ここは由比ヶ浜の隅っこにある、坂ノ下地区海浜公園です。ありし日の加藤さんは、よくここでドラマや舞台のセリフの練習をしていたそうです。
源実朝の歌碑もあります。百人一首にも収められている、
「世の中は 常にもがもな渚こぐ 海人の小舟の 綱手かなしも」。
「この世の中は、いつも変わらずにあるといいなあ。渚を漕ぐ漁師の小舟が綱に引かれていく、その当たり前の風景さえ愛おしい」
と、実朝は日常のささやかな幸せを詠んでいるのですが、われわれの目の前にある現実は、とてもこの歌のとおりにはいかないようです。
さて、8月10日から、加藤さんの追悼上映が、鎌倉市川喜多記念館で行われます。『浜の記憶』と『鎌倉アカデミア 青の時代』の2本立てです。ただ、こういうご時勢なので「ぜひご参加ください」とは言えません。「どうぞ、ご無理のない範囲で…」と申しあげるのみです。
『浜の記憶』(2018年/52分)
8月10日(月・祝)10:00、12日(水)14:00、13日(木)10:00、14日(金)14:00、15日(土)10:00、16日(日)14:00
『鎌倉アカデミア 青の時代』(2016年/119分)
8月10日(月・祝)14:00、12日(水)10:00、13日(木)14:00、14日(金)10:00、15日(土)14:00、16日(日)10:00
※『浜の記憶』上映前に「加藤茂雄、戦争体験を語る」(約30分)を上映します。2018年8月に「かまくら平和寿まつり」で開催されたトークイベントの記録映像です。
加藤さんが自宅の障子に筆写していた大木惇夫の「戦友別盃の歌」
撮影:内田裕実 友井健人 宮崎勇希 大嶋拓
昨日(8/1)の朝日新聞の夕刊「惜別」欄に、加藤茂雄さんの記事が掲載されました。こういう記事を目のあたりにすると、いよいよ加藤さんは遠くに行ってしまったんだ、という思いが強くなります。現実は無常です。
去年の今ごろ(7/27〜8/2)はまさに、新宿ケイズシネマで『浜の記憶』が絶賛公開中でした。
加藤さんはほぼ連日劇場に顔を見せ、上映後には喜々として舞台挨拶をこなし、舞台を降りたあとも、ロビーでお客様と歓談していました。まさかあれが文字通り、加藤さんの俳優生活の掉尾を飾るイベントになってしまうとは…。(1年前のブログ→「『浜の記憶』東京公開終了」)
『浜の記憶』のフルキャスト。左から加藤茂雄さん、宮崎勇希さん、渡辺梓さん
でも、もしも公開が1年遅れて今年になっていたら、こんなに賑やかにイベントを行うことは不可能だったわけで、加藤さんは、絶妙のタイミングで主演をし、公開まで持っていってくれたと考えることもできそうです。そういう意味では、とてもラッキーな方だったのかも知れません(去年の今ごろはまさか、人と人とが直接触れ合う舞台挨拶のようなイベントが、自由に行えなくなる日が来るとは、夢にも思いませんでした)。
加藤さんのご葬儀は、6月18日、家族葬という形で行われましたが、その前日(6月17日)の夕刻に、ごく近しい関係者だけのお別れの儀がご自宅で営まれ、『浜の記憶』を代表して監督の私(大嶋)と宮崎勇希さんが参列し、最後のご挨拶をしてきました。棺の中の加藤さんは、ずいぶんお痩せになっていましたが、劇中でもかぶっていた愛用の帽子をかぶり、静かに眠っておられました。
お別れをすませたあと、足は自然と、歩いて数分の由比ヶ浜に向かっていました。今から2年前、『浜の記憶』の撮影で、連日のように加藤さん、宮崎さんと集ってながめた同じ海。でも、加藤さんはもういません。
実は『浜の記憶』のラストには、宮崎さん演じるユキが、加藤さん演じるシゲさんに、「2年後」のことを話すシーンがあります。ユキは明日のことのようにさらっと語り、シゲさんはそれを永遠のように受け取るのです。若者と老人との、時間の感覚のギャップを表そうとしたのですが、しかしまさか、実際の「2年後」に、加藤さんがいなくなっているとは、完全に想像の外でした。自分はなんて罰当たりな台本を書いてしまったのだろうと、胸がしめつけられるようでした。
今年の夏は、主だったイベントや祭りが軒並み中止となり、海水浴場も、神奈川県に関する限り、25箇所すべてが開設中止となっています。この由比ヶ浜も例外ではありません。
夏なのにひと気の絶えた浜、そして、そこに加藤さんもいない。この欠落は、容易に埋められそうにありません。
ここは由比ヶ浜の隅っこにある、坂ノ下地区海浜公園です。ありし日の加藤さんは、よくここでドラマや舞台のセリフの練習をしていたそうです。
源実朝の歌碑もあります。百人一首にも収められている、
「世の中は 常にもがもな渚こぐ 海人の小舟の 綱手かなしも」。
「この世の中は、いつも変わらずにあるといいなあ。渚を漕ぐ漁師の小舟が綱に引かれていく、その当たり前の風景さえ愛おしい」
と、実朝は日常のささやかな幸せを詠んでいるのですが、われわれの目の前にある現実は、とてもこの歌のとおりにはいかないようです。
さて、8月10日から、加藤さんの追悼上映が、鎌倉市川喜多記念館で行われます。『浜の記憶』と『鎌倉アカデミア 青の時代』の2本立てです。ただ、こういうご時勢なので「ぜひご参加ください」とは言えません。「どうぞ、ご無理のない範囲で…」と申しあげるのみです。
『浜の記憶』(2018年/52分)
8月10日(月・祝)10:00、12日(水)14:00、13日(木)10:00、14日(金)14:00、15日(土)10:00、16日(日)14:00
『鎌倉アカデミア 青の時代』(2016年/119分)
8月10日(月・祝)14:00、12日(水)10:00、13日(木)14:00、14日(金)10:00、15日(土)14:00、16日(日)10:00
※『浜の記憶』上映前に「加藤茂雄、戦争体験を語る」(約30分)を上映します。2018年8月に「かまくら平和寿まつり」で開催されたトークイベントの記録映像です。
加藤さんが自宅の障子に筆写していた大木惇夫の「戦友別盃の歌」
撮影:内田裕実 友井健人 宮崎勇希 大嶋拓