2014年07月17日

宮林昭彦法主ご逝去

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第8回「鎌倉アカデミアを伝える会」で挨拶する宮林昭彦法主(2014年5月17日)
浄土宗大本山光明寺法主の宮林昭彦さん死去

宮林昭彦さん(みやばやし・しょうげん=浄土宗大本山光明寺法主、元全日本仏教会副会長)が10日、敗血症で死去、82歳。通夜は17日午後6時、密葬は18日午前11時から神奈川県鎌倉市材木座6の17の19の光明寺で。喪主は光明寺執事長の平野仁司(じんし)さん。

2014年7月10日18時41分 朝日新聞デジタル


昨日、鎌倉市中央図書館を訪ねた折、同館の平田恵美さんから訃報を知らされました。

宮林昭彦法主といえば、毎年光明寺で行われる「鎌倉アカデミアを伝える会」で、冒頭のご挨拶をされるのが恒例となっており、今年の5月17日にも、その温顔と軽妙な語り口で、来場者の心をほぐしていらしたのを私はその場で聴いています。まさかそれからわずか2ヵ月で、不帰の客となってしまわれるとは…。浄土宗の教えでは極楽往生こそ本懐と聞きますが、それにしても法主の「散り際の潔さ」には少なからず驚いています。

とは言え、5/21のブログで私は、
「…ご自身の健康がすぐれないということも織り交ぜて話されましたが、これまでになく、法主個人の心情が表に出ていらしたように感じられました」
と書き、これまでは大本山の「法主」として、その枠の中にきちんと納まるご挨拶をしてきた方が、わずかながら「個人」の体調や心模様まで披瀝したのは、何かの予兆かも知れない、と感じたりしたのでした。

以下に記すのは、記録として撮影したビデオから起こしたご挨拶の最後の部分です。

「…命は大事ですね。私も今医者通いして、毎週輸血をしているんですが、明日の命はわかりません。しかし、カラ元気で…。医者は『うまいものを食べて、好きなことをして、疲れたら寝なさい』と言うんですが、これはだいたいもう先が短い人に言うんですよ(客席爆笑)。私はまだ、使命感を持って、もう少しがんばらなきゃいかんな…と」
それに対して「伝える会」事務局の小泉親昂さんは、
「また来年も、ここでお話しをいただけるように、がんばっていただきたいと思います」
と激励し、法主も笑顔で、
「みなさんの方で約束してもらえれば…」
と応じています。これは多分、「来年もみなさんが『伝える会』をやりますよ、と確約してくれるなら、その日は自分もスケジュールを空けておきましょう」という意味合いだったと思われます。しかし、それは叶わぬことになってしまいました。

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にこやかに1年後の再会を約したが…

宮林法主が先代・戸松啓真台下の跡を継いで光明寺に入られたのが2001年。つまり2006年の鎌倉アカデミア「創立60周年記念祭」も、その翌年からの「伝える会」も、すべて宮林法主の時代のことです。したがって、2006年から光明寺にうかがうようになった私にとっては、光明寺の法主といえば、宮林昭彦さんをおいていないのです。残念ながら個人的にお話しをしたことはほとんどなく、会場でご挨拶を交わす程度だったのですが。

光明寺は鎌倉時代創建の古刹で、江戸時代には徳川家康が定めた浄土宗学問所の筆頭として、全国各地から学僧たちが集う教育と修行の中心寺院でした。そんな由緒ある大本山に、終戦直後、新たな時代の「学びの場」として、鎌倉アカデミア(当初は鎌倉大学校)が産声をあげたのです。こうした思いがけない歴史の巡り合わせを、宮林法主がとても興味深くとらえ、少なからぬ矜持も抱いていらしたことは、われわれ「伝える会」の関係者を、いつも大変好意的に迎えて下さるその態度からはっきり感じていました。

最後になった5月17日のご挨拶でも「伝統を後の世に伝えていくことの大切さ」を説かれ、予想を超えた多くの人の来場に、「これだけの方が関心を持って下さっているのなら」と安堵の表情を浮かべておいででした。来年、あの温顔に接することがもはやできないかと思うと、いささかの落涙を禁じ得ません。もっとも、そんな辛気臭いことを言っているのは俗世の人間だけで、法主ご本人の魂は、今こそ一切のしがらみから解放され、極楽浄土を満喫されている時分なのでしょう。


posted by taku at 19:36| 鎌倉アカデミア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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