まず何より目を引くのは、初代よりもスマートで洗練されたフォルムだろう。デザイナーの成田亨も「オリジナルデザインに近い」という理由で、完全な新規制作である二代目の方を気にいっていたらしい(初代はセミ人間の頭部を改造したもの)。
上の写真は1983年に発売されたバンダイのプラモデル「The 特撮Collection 1 二代目バルタン星人」。浪人中だったにも関わらず、すぐに買って組み立て、机に飾ってその造形美を堪能した。
もちろん初代の造形も充分魅力的なのだが、セミ人間をベースにしているためか、パーツのひとつひとつは割と大作りな印象である。しかし、そのインパクトの強さは比類がなく、ウルトラ関連の怪獣宇宙人の中でも常にダントツの人気を誇っている。
初代
それに対し二代目は、現場で写真撮影を行っていないためオリジナルのスチールがなく、ある時期まではほとんど幻の存在であった(いまだに「へー、二代目なんていたんだ」などと言われることが多いが、そもそも「二代目」という呼び方自体、1970年代に入り、本編映像からの抜き焼き写真が出回るようになった時からのもの)。そうしたミステリアスさも手伝って、こちらのバルタンへの思い入れが強まったというのもあるかも知れない。
二代目
成田亨によるラフデザインと決定稿。たしかに初代より二代目に近い
次に特筆するべきは、その二代目バルタン星人が登場する第16話「科特隊宇宙へ」の素晴しさ。傑作ぞろいの『ウルトラマン』の中でも、間違いなく五指に入る名エピソードではないだろうか。少なくとも特撮シーン&戦闘シーンの多彩さ絢爛さにおいては、初代が登場した第2話「侵略者を撃て」をはるかに凌ぐというのが、多くの特撮ファンの共通認識だと思う。
第16話「科特隊宇宙へ」1966年10月30日放送
脚本:千束北男 監督:飯島敏宏 特殊技術:高野宏一
※「千束北男」は飯島敏宏のペンネームなので、この回は脚本と監督が同一人
では簡単にあらすじを。
人類初の有人金星探検ロケット「オオトリ」が発射された。宇宙飛行士として乗り込んだのは、ロケットの発明者である宇宙開発研究所の毛利博士(奇しくも日本人2人目の宇宙飛行士と同じ苗字。日本には30万もの苗字があり、その一方、宇宙に飛び出した日本人がいまだ10人前後であることを考えると、これは大変な偶然の一致というしかない)。科学特捜隊のブレーンである岩本博士も、同じ性能を持つロケット「フェニックス」を開発していたが、テスト回数の不足から、一番乗りを毛利博士に譲る形となった。
「オオトリ」船内の毛利博士(池田忠夫)
爽やかに敗北を宣言する岩本博士(平田昭彦)
「オオトリ」は無事軌道に乗り、金星までの飛行は順調に進むかに見えたが、バルタン星人の陰謀で制御不能に陥ってしまう。第2話でウルトラマンにほぼ全滅させられたバルタン星人の生き残りが、地球人類とウルトラマンにリベンジマッチを仕掛けてきたのだ。
バルタンは「オオトリ」をオトリにして(洒落ではありません)科学特捜隊とウルトラマンを宇宙に誘い出し、その隙をついて地球を侵略する作戦を立てていた。バルタンの狙いどおり、科学特捜隊の主戦力(ハヤタ、アラシ、ムラマツ)はロケットエンジンを搭載したビートル機で宇宙に向かい、毛利博士を救助するが、博士の肉体にはすでにバルタンが憑依しており、その力でビートル機はR惑星に不時着させられる。そのころ、地球にはミニバルタンの大群が来襲し都市を破壊、イデが単身で迎撃するも苦戦を強いられていた。
ハヤタはウルトラマンに変身して、まずR惑星のバルタンと対戦。バルタンは前回の轍を踏まぬため、ウルトラマンのスペシウム光線を跳ね返す「スペルゲン反射鏡」を胸に装備して戦いに臨むが、新技「八つ裂き光輪」に破れ去り、一方、地球を襲ったバルタンも、「テレポーテーション」で光速移動してきたウルトラマンによって倒される。そしてビートル機が不時着したR惑星には、岩本博士が「フェニックス」で自ら救助に赴くのだった。
…という感じで、とにかく見どころ満載、素早い展開、新メカ新技続々登場、まばたきする隙も与えてくれないような大サービス回なので、未見の方はぜひとも本編を見ていただきたいところであるが、それが難しいという方は、このページとこのページがとても詳しいので参考までに。
上の3点は、ウルトラファンならおなじみ、「スペルゲン反射鏡」によってスペシウム光線が跳ね返されるシーン。「スペルゲン反射鏡」「スペルゲン反射光」「スペシウム抗体反射板」などいろいろな言い方があるようだが、物質的な名称は「スペルゲン反射鏡」でいいのではないかと。その反射鏡が反射した光が「スペルゲン反射光」ということで。ちなみに劇中で毛利博士(中身はバルタン)は「スペルゲン反射光の餌食にしてやれ!」と言っている。
この第16話は何度見直しても、その度に幼いころのわくわくどきどき感が甦る、大変充実したエピソードであるのだが、私にはただひとつ、どうしても納得のいかないところがある。それは、ドラマの中盤までは主役級の扱いだった毛利博士が最終的にどうなったのか、きちんと描かれていないことだ。劇中では、R惑星でバルタン星人として巨大化して以降、まったく姿を見せず、その生死についても一切触れられていない(おそらく、正味23分という時間的制約によるものだろう)。
しかしながらこの毛利博士、ロケットの飛行が安定した後に、宇宙服を脱いでスーツ姿になり、宇宙食ではなくステーキを食べるという仰天パフォーマンスを披露してみたり、バルタンに乗っ取られた無重力状態のロケット内で、天井に張り付いた状態で悶絶したり、それ以外にも、バルタンに憑依された後、ミニバルタンを手のひらに乗せて指令を下す、それを「ふっ」と口で吹いて飛ばす、何度となく狂ったような高笑いをする、等々、とにかく、一度見たら絶対に忘れない、大変インパクトの強い(マッドサイエンティスト系の)キャラクターなのである。しかもドラマ上の設定では、あの岩本博士のライバルと言ってもいい偉大な科学者。これだけ存在感のある登場人物について、何のフォローもないままドラマを終えるのは、少々配慮に欠けているのではないだろうか。
ドラマ中盤までは間違いなく主役級の毛利博士。怪しい高笑いに毒蝮もビックリ!
もっとも、そう考えたのは私だけではなかったようで、この16話が放送されて程なくして発行された現代コミクスのコミカライズ版では、その消息がはっきりと語られている。
現代コミクス『ウルトラマン』1967年2月1日発行
「新バルタン星人の巻」。作者はご存じ井上英沖。
前半の流れはほぼテレビ版と同じだが、毛利博士の容姿が大きく異なる。こちらはつるっぱげに白ひげで、いかにもこの時代の「博士」といういでたち(どう見ても50代なかば以上。よく宇宙に行く体力があったものである)。
岩本博士が開発競争で後塵を拝したエピソードもきちんと描かれる。ホシノを諭すムラマツのセリフもほぼテレビ版どおり。
中間ページのイラスト。初代バルタンのスチールを元に、スペルゲン反射鏡を無理やり書き足して「二代目」を表現。絵は藤尾毅。
バルタン星人の宣戦布告。ほとんどテレビ版を踏襲。
バルタン星人に憑依される場面。「おまえのからだをかりるぜ」なんて軽く言ってますが…
テレビ版と異なり、ロケットエンジン搭載のビートル機で「オオトリ」救助に向かうのはハヤタのみ。
ここではっきりと、毛利博士の死が語られる。
「わたしはもう毛利ではない。バルタン星人だ。毛利はこの世にいなくなったぜ。ウヒウヒウヒ」
地球に残ったムラマツや岩本博士も、眼前の状況から毛利博士の死を悟る。
ついでながら、井上版の「スペルゲン反射鏡(光)」シーン。「ブヒーッ」って、豚じゃないんだから…
2体のバルタンの反射鏡を向かい合わせにして同士討ちさせる(でも反射鏡は、元の光がないと「反射」しないはずですが…)。
そしてラストページ。ハヤタはウルトラマンに助けられたという設定で、岩本博士による「フェニックス」での救助シーンはなし。しかし最後のコマで、岩本博士の毛利博士への哀悼の意が表明される。
どうです。こっちの方が納得が行くでしょ?
実は、私は幼児期にこの現代コミクスを繰り返し読んでいたので、テレビ版も、こういうラストだと思い込んでいた。だから、中学3年生の時、久しぶりで「ウルトラマン」の再放送が(どういうわけかフジテレビで)行われた時、この16話を改めて見て、「え、毛利博士はどうなったの? 行方不明?」と困惑したというのが正直なところである。
ちなみに、16話のコミカライズ版はこの現代コミクスのほかにもうひとつある。当時雑誌『ぼくら』に連載されていたもので、こちらは一峰大二の筆になるもの。せっかくなのでこちらも紹介しておくが、かなりオリジナル度が高く、岩本博士も登場しない。
「バルタン星人の巻」(『ぼくら』1966年12月号別冊付録)
一峰版の毛利博士は、井上版よりは若そうだが、やはりかなりのおっさん(しかもメタボ)。注目すべきは、テレビ版や井上版と違い、ロケットに複数の乗組員がいること。こちらの方が自然という感じも。
「おおとり」のSOSを受けて「ハヤタ救助艇」が出動(井上版同様、こちらも救助に向かうのはハヤタのみ)。
「おおとり」は損傷も激しく、乗組員は全滅かと思われたが、なぜか毛利博士だけ生存が確認される。
救助された毛利博士は科学特捜隊内の病室(そんな場所があったのか?)に収容されるが、やがて憑依していたバルタン星人が姿を現わした。この時、毛利博士とバルタンが分離し、毛利博士は正気を取り戻す。
せっかくなので、一峰版の「スペルゲン反射鏡」シーンもご紹介。
こちらは、反射鏡のついていない背中をスペシウム光線で狙い撃ち、勝利を収める。
ラストページ。朝日を浴びながら帰還するビートル機を出迎えるフジ、ホシノ、そして毛利博士。「おう、なんとすばらしい……」なんてセリフまである。まさにすばらしい。一峰版コミカライズでは毛利博士は死んでいないのである。こういうラストもありだと思う。
以上、『ウルトラマン』第16話「科特隊宇宙へ」のテレビ版とコミカライズ版2つにおける毛利博士の扱いの違いについて記してみたが、どのような印象を持たれただろうか。
この16話に限らず、テレビ版の『ウルトラマン』は内容を詰め込みすぎているせいか、ラストが異常に駆け足で、ドラマとしてのカタルシスが弱い話が少なからず存在する。それをコミカライズが救っているケースはほかにもあり、たとえば、「トラックにひき逃げされて死んだ少年の霊が乗り移った」とされる高原竜ヒドラが車を次々に襲撃する第20話「恐怖のルート87」などは、テレビ版では、ラストでハヤタが「ひき逃げをした運転手も自首して警察に捕まりましたよ」と語るだけで、その姿は画面には一切登場しないのだが、井上版では、物語の後半にひき逃げ犯人のトラックをヒドラが襲う場面がきちんと描かれており、そのトラックを巡って、ヒドラと科学特捜隊、さらにウルトラマンが争奪戦を繰り広げるクライマックスが用意されている。ドラマとしてどちらが完成度が高いかは言うまでもないだろう。コミカライズというと、元のストーリーをなぞって漫画にしただけ、と思われることも少なくないが、このように、オリジナルを補完する機能を果たしているケースもあるのである。
閑話休題。話を二代目バルタンに戻そう。もう一度、現代コミクス『ウルトラマン』2月号の表紙をよく見て欲しい。
柳柊二の筆になるこの表紙絵のバルタンは、…そう、初代とはあきらかに違う細身の面容、まぎれもなく二代目バルタンである。
プラモを横に置くと一目瞭然!
しかし、前にも触れたように、この二代目バルタンは制作現場でスチール写真の撮影を行っておらず、それゆえ1970年代以降に公開されるようになった画像も、すべて本編からの抜き焼きである。したがってこの当時、二代目バルタンのスチール写真というのは存在しなかった。だから上に紹介した井上版も一峰版も、そして藤尾毅のイラストも、すべて初代バルタンをモチーフにして描かれている。
にも関わらずこの表紙絵だけは、きちんと二代目バルタンが描かれているのだ。これは一体どういうことなのだろう。あるいは成田亨のデザイン画を見て書いたのかとも思ったが、比較してみると、かなりの隔たりがある。もしかするとこの当時、限られた関係者の間だけで出回ったスチールというものが存在したのだろうか。それとも、柳柊二は実際の放送を見ながら、それをスケッチするなどして、この表紙絵の下絵としたのだろうか(16話のオンエアは1966年10月30日。現代コミクス『ウルトラマン』2月号発売が1967年1月なので、表紙絵の納品は多分12月初旬くらいと推測され、時間的に不可能な話ではないが、かなり無理のある仮説である)。いずれにせよ、大変にレアなケースだと思う。
※このページのキャプチャ画像は、(株)円谷プロダクションが制作したテレビ映画『ウルトラマン』第16話「科特隊宇宙へ」(1966)からの引用であり、すべての著作権は円谷プロダクションが保有しています。