2015年04月17日

立ち退きの記(2)

【前回のあらすじ】
2013年10月。自然環境に恵まれた賃貸住宅「向ヶ丘ハウス」に移って7年を迎えようとしていた私(大嶋)は、ある日突然、建物のオーナーから、物件を不動産会社に譲渡することにしたと伝えられる。そしてその不動産会社は「向ヶ丘ハウス」を取り壊して新たに分譲住宅を建設する計画を立てており、住人に立ち退きを要求してきたのだが…


IMG3458.jpg

建物の明け渡しを求める書類がドアポストに投函された時、私は在宅だったため、速攻でその中身を読み、書類に書かれていた携帯電話の番号に電話してみました。すると、K氏という担当者が出て、「まだ近くにいるのですぐにうかがいます」とのこと。その言葉どおり、K氏はそれから数分で私の部屋のドアのブザーを鳴らしました。

K氏はずんぐりむっくりの体の上にまんまるい短髪の頭を乗せた、40代前半くらいの男性で、態度はいたって低姿勢でしたが、やはりどこかに不動産業独特の雰囲気を漂わせていました。
K氏は、
「大変恐縮なお願いなんですが、できることなら年内いっぱいくらいで出ていただけるとありがたいと思いまして…」
などと言いつつ、こちらの顔色をうかがってきます。こういう、貸主側の事情の退去の場合、半年前に通告の義務があると何かで読んだような記憶があったので、
「年内というと、あと2ヵ月半くらいのうちに引っ越しをしなくてはならないわけで、それじゃあ慌ただしすぎます。なるべく迅速に移転先を探すようにしますが、来年3月までは時間の猶予をいただくということにしてもらえますか」
と、こちらの希望を伝えました。
それについては向こうも了承し、1週間後、以下の書類が取り交わされました。

建物賃貸借解除および明渡合意書

賃貸人A(以下「甲」という)と貸借人大嶋拓(以下「乙」という)は甲・乙間にて平成18年11月30日に締結した末尾表示記載不動産(以下「本物件」という)の賃貸借契約(以下「原契約」という)につき次のとおり合意しました。

第1条 甲と乙とは原契約を合意のうえ解除したことを互いに確認しました。
第2条 甲は乙に対し、本物件の明渡しを平成26年3月31日まで猶予するものとし、乙は同日までに本物件を甲に明渡すものとします。
2 前項の期間内においては、乙は甲に対して毎月分の家賃は支払うものとします。ただし、乙が前項の猶予期限までに本物件を明渡さないときは、乙は明渡しの遅延により甲が被った損害額を賠償しなければならないものとします。
3 乙が本物件を明渡した後に本物件内に残地した造作設備その他什器、備品等があるときは甲は乙がその全ての所有権を放棄したものとして、甲が任意にこれを処分できるものとします。その費用負担は場合によっては、甲が乙に請求できるものとします。
4 本物件に関する電気、ガス、水道の使用料については、宛名名義の如何にかかわらず、第1項の明渡期日をもって区分し、その当日までの分は乙、翌日以降の分は甲の負担とします。ただし、乙が明渡期日を過ぎても電気、ガス、水道を使用した場合は、その料金を甲に支払うものとします。
第3条 甲は乙に対して明渡し料として、転居の際に必要となる敷金・礼金等契約時に必要な代金及び引っ越し代金のいずれも乙に持参または振込にて支払うものとします。

特 約 上記記載条項は甲が下記物件を売却した後も、その効力を後の新所有者に継承するものとします。

以上、合意の成立を証するため本書2通を作成し、記名又は署名・押印の上、各々1通ずつ保有するものとします。

平成25年11月1日

上記のとおり、引っ越しにまつわる諸費用はすべて先方の負担ということになり、また、物件探しの段取りについても、K氏が全面的に協力することを自分の方から申し出ました。具体的には、私がネットなどで候補物件を見つけたら、それをメールでK氏に伝え、K氏はその物件の管理会社と連絡を取り、内見の段取りをつける、という具合。そしてその内見もすべてK氏が車で案内してくれました。2013年秋の時点で、「向ヶ丘ハウス」には私以外に3世帯が入居していたのですが、それらの世帯についても同じようなサポートを行っていたようで、仕事とはいえ、なかなか骨の折れる作業だなあと思いました。

さて、大変愛着のある「向ヶ丘ハウス」ですが、ここまで外堀を埋められてしまっては、もはや篭城して抵抗を試みても勝ち目がないのは明らかなので、気持ちを入れ替え、さっさと新天地を探すことに決めました。万事せっかちな私としては、3月までのろのろ引っ越し先を探す気はなく、K氏の言うように、年内にどうにかして新居を見つけ、正月はそこで迎えるという目標を設定しました。

さて、ではどこに住むか。実は私は数年前から「鎌倉アカデミア」という幻の大学の調査をしており、それを考えると、鎌倉の近くに住居を構えるのがベストなのではないかと思ったのですが、鎌倉在住の数人の知人にうかがったところ、最近は観光客が増え、しかもそのマナーも悪いので、生活する場所としてはあまり…とのこと。それなら、その鎌倉に比較的近く、実家へも小田急線一本で移動できる藤沢はどうか、と思いつきました。また、そのころ読んでいた「鎌倉アカデミア」初代校長・飯塚友一郎の随筆『腰越帖』(書物展望社・1937年10月8日発行)にも、
<はじめ駅附近の新開地しか知らぬうちは、淋しい宿場町だと思っていたが、やがて遊行寺の先の本町を通って見ると、実に堂々たる老舗問屋が軒をつらねて、なるほど昔はさこそと思わせる町の品格を見せているのである。さすがに時宗の総本山遊行寺の所在地である。(中略)私は鎌倉という近代都市よりも、むしろ藤沢という東海道の宿場の方に興味がひかれる。土地柄から言っても、藤沢は石器時代、古墳時代からの由緒をもっていて、而も北條以来遊行寺の膝下だ。極く近世だって江戸時代明治時代の文化をどこかに残しているように思えるのである>
という記述があり、飯塚自身は鎌倉の腰越に住みながら、かなり藤沢をひいきにしていたような感じを受け、よし、それならこの機会に、鎌倉と藤沢の両方に親近してみようと、藤沢周辺に絞り込んで物件探しを始めたのでした。

fujisawa.jpg

11月に入ると、土曜日ごとにK氏と藤沢駅で待ち合わせ、彼の運転する車で物件を見て回りました。回ったのは全部で3日、トータル10数件は見たでしょうか。彼なしで、私だけで気になった物件を再訪したこともありました。候補の中にはアパートもマンションもテラスハウスもありましたが、最終的に、藤沢駅から徒歩約15分の鉄筋コンクリート造5階建マンションの4階の部屋に決めました。築年は1991年なので2013年の時点で築22年、間取りはLDK12畳、和室6畳、洋室4.5畳、バス、トイレ別の2LDKで49.5u。前の部屋より10u以上広くなりましたが、その分家賃も少し上がり、6.9万円から8.6万円に。1.7万円ほどのアップですが、これはまあ許容範囲だろうと判断しました。

バス停も近く、マンションのすぐ前の通りを藤沢駅と大船駅を結ぶバスが走っています。そのバスに乗れば20分ほどで大船駅に出ることができ、そこからだと鎌倉駅までは横須賀線でわずか2駅です。また、藤沢駅からも、バスまたは江ノ電でダイレクトに鎌倉駅に行くことができるので、3つのルートをその日の気分で選ぶことができるのです。今までは小田急線の向ヶ丘遊園から、小田急線とJRを乗り継いで、1時間がかりで出かけていたのですが、それがずいぶん近くなるのが嬉しく、それ以外の生活環境のことなどはあまりシビアに考えずに結論を出してしまいました。その時の私は、
「たしかに向ヶ丘ハウスに愛着はあったが、7年も住んで、少々マンネリ気味の日常だった。それが、引っ越し代も敷金礼金もすべて先方持ちで、まだ見ぬ土地での新生活に移れるのだから、これはかなりラッキーだったかも知れないぞ」
などと考えていたのです。しかしそれが大きな誤算だったことは、引っ越してわずか数週間で露呈してしまうのですが…。

2013年12月1日、辻堂のM不動産を訪ねて正式契約。それから大急ぎで荷物の梱包を始め、同月12日朝、引っ越し開始。荷物がかなり多かったので、2トン車2台、5人体制での作業となりました。昼過ぎにはすべての荷物が新居に収まり、ガスの開栓、エアコン取り付けなども終わり、新生活が華麗にスタートしたかに思えたのですが…。

※「大きな誤算」とは何だったのか? 引っ越しを考えている人は必読の次回を待て!
posted by taku at 18:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする