4月14日、アニメファンにも、特撮ファンにも、そして洋画吹き替えファンにも衝撃が走った。つい最近まで、あの雷のような威勢のいい、そして張りのある低音ボイスをわれわれに届けてくれていた大平透氏のまさかの訃報(4月12日、肺炎にて逝去、86歳)。この方だけは、いつまでもお元気でいてくれるイメージがあったのだが、最後は意外と早かった。まずは、生前の偉業に深く敬意を表し、謹んでご冥福を祈りたい。
いろいろな作品が頭に浮かんでくるのだが、日本に「声優」という職業が生まれる前から生のアテレコをやられてきた方なので、出演作も膨大な数である。代表作といわれるものだけあげても十指を軽く越えてしまう。メディアは一体、どのあたりの作品を氏の「メジャーワーク」として取り上げたのか気になり、ネットで訃報記事を調べてみたところ、以下のような結果になった(作品名のみ抽出、役名は省略)。
朝日新聞
「スーパーマン」「ハクション大魔王」「笑ゥせぇるすまん」「ザ・シンプソンズ」
読売新聞
「スーパーマン」「スパイ大作戦」「おらぁグズラだど」「ハクション大魔王」「スター・ウォーズ」「ザ・シンプソンズ」「笑ゥせぇるすまん」
毎日新聞
「スーパーマン」「ハクション大魔王」「スター・ウォーズ」「笑ゥせぇるすまん」
東京新聞
「スーパーマン」「スパイ大作戦」「ハクション大魔王」「笑ゥせぇるすまん」「科学忍者隊ガッチャマン」「スター・ウォーズ」
日本経済新聞
「スーパーマン」「スパイ大作戦」「ハクション大魔王」「笑ゥせぇるすまん」
サンケイ新聞
「スーパーマン」「スパイ大作戦」「スター・ウォーズ」「ハクション大魔王」「戦隊シリーズ」(ナレーション)「笑ゥせぇるすまん」
共同通信
「スーパーマン」「スパイ大作戦」「ハクション大魔王」
時事通信
「スーパーマン」「スパイ大作戦」「マグマ大使」「ハクション大魔王」「科学忍者隊ガッチャマン」「秘密戦隊ゴレンジャー」(などのスーパー戦隊シリーズ)「笑ゥせぇるすまん」
日刊スポーツ・スポーツニッポン(東京新聞と同記事)
「スーパーマン」「スパイ大作戦」「ハクション大魔王」「笑ゥせぇるすまん」「科学忍者隊ガッチャマン」「スター・ウォーズ」
スポーツ報知
「スーパーマン」「ハクション大魔王」「スター・ウォーズ」「笑ゥせぇるすまん」
サンケイスポーツ
「スーパーマン」「スパイ大作戦」「ハクション大魔王」「戦隊シリーズ」(ナレーション)
デイリースポーツ
「スーパーマン」「スパイ大作戦」「マグマ大使」「おらぁグズラだと」「ハクション大魔王」「科学忍者隊ガッチャマン」「スター・ウォーズ」「笑ゥせぇるすまん」
主だった新聞系13メディアを調べた結果だが、やはり、出世作である「スーパーマン」はすべてのメディアが、経歴とからめて記載していた。そして「ハクション大魔王」も、全メディアが紹介している(そんなに人気番組だったのか? とちょっとびっくり)。次いで多かったのが「笑ゥせぇるすまん」。晩年の代表作であり、最近までCMもオンエアしていたから、これは妥当なところなのだろう。
一方、私のような特撮ファンとしては、「マグマ大使」を取り上げたのがわずか2つのメディアだけだったのは少々淋しい。「戦隊シリーズ」などのナレーションに言及したのも3メディアだけであった。しかし、「マグマ大使」も「戦隊シリーズ」も、取り上げたメディアがあっただけ、まだ救われている。1年3ヵ月も放送され、しかも顔出しでレギュラー出演していた「スペクトルマン」(番組開始時は「宇宙猿人ゴリ」)については、トップクレジットだったのにも関わらず、ただひとつのメディアも取り上げていないのだ(まあ、充分予想された事態ではあるが)。
「宇宙猿人ゴリ」(「スペクトルマン」)1971年1月2日放送開始
とはいえ、1963年生まれの私にとって、「大平透」といえば、「スーパーマン」でも「笑ゥせぇるすまん」でもなく、まず何より「スペクトルマン」の倉田室長(ボス)である。上に挙がった数々のメジャーワークについては、ほかの人がいろいろなところで充分書いたり語ったりすると思うので、このブログでは、マイナーワークとも言うべき「スペクトルマン」の倉田室長(ボス)に絞って、その知られざる魅力を紹介していきたい。
倉田茂雄。42歳。公害調査局第八分室室長。妻・長男と都内の団地に暮らす。通称ボス(実際の大平氏は、撮影開始当時40歳になったばかりだが、ダブルの背広もダンディに着こなし、大変な貫禄である。現在のへなちょこな40代とはえらい違いだ)。
では、彼が指揮を執る「公害調査局」とは一体どのような組織なのか。
ここで、今や貴重な当時の文献を紹介しておこう。
『怪獣カラー図鑑』(1971年・秋田書店)
この中に「われらは公害調査員」という特集ページがある。
この記事内に、「国家公務員として、日本全国の公害に関するあらゆる調査・記録・科学分析などの仕事を使命とするのが公害調査員つまり公害Gメンである」との記述がある。一見、地方公務員のような地味さだが、彼らはれっきとした中央の官吏なのである。
ちなみに、内閣に公害調査室が設置されたのはこの前年の1970年7月31日で、環境庁の発足は1971年7月1日。この番組はちょうどその中間に当たる1月2日にスタートしており、まさに時代状況を敏感に取り入れた設定と言えそうだ。しかし肝心のオフィスは雑居ビルの一室のようで、花形部署という印象ではない。記事にも、「公害調査室は、東京駅近くのあまりりっぱではない建物の一画にある」と正直に書かれている。
そしてそれを裏付けるかのように、倉田ボスは第1話「ゴリ地球を狙う!」の初登場シーンでいきなり、
「予算は少ないし、設備も充分ではない。あるのは…情熱だけかも知れない」
とぼやく。まるでこの番組の制作体制のことを言っているようである。
そこへ蒲生譲二(スペクトルマンの人間体)が公害Gメン志願者として転がり込み、後に正式配属となる。
お堅いはずの公務員職場に、型破りな新人が加入し、先輩たちにもまれながら事件を解決していく。そして、それを暖かく見守るボス。…これって、「太陽にほえろ!」と同じフォーマットでは??と、「太陽にほえろ!」が始まってから思ったものである。実際、実写のテレビドラマで上司を「ボス」と呼ぶのは「太陽にほえろ!」が最初のように思われがちだが、この「スペクトルマン」の方が1年半も早い。また「ストライプの背広をおしゃれに着こなす恰幅のいい中年上司」というイメージも、倉田室長と藤堂係長(石原裕次郎)に共通のものである。
貫禄充分の倉田ボス(第19話)。なぜか後ろに「2001年宇宙の旅」のポスターが見える
こちらは「太陽にほえろ!」の藤堂ボス(第1話)。石原裕次郎は当時38歳
第1話の後半、大空を飛ぶスペクトルマンを指差し、「あれは何だ?」と叫ぶボス。「スーパーマン」へのオマージュか?
第2話「公害怪獣へドロンを倒せ!!」より。負傷した蒲生を気遣うボス。後でも述べるが、このチームはなぜかスキンシップがさかんである。
公害Gメン全員出動の図。最初のうちは、倉田ボスも現場に出向くことが多かったが、後半は多忙のためか、内勤が増えていく。このあたりも「太陽にほえろ!」の藤堂ボスと同じ?
第10話「怪獣列車を阻止せよ!!」でのワンシーン。歩き疲れて座り込んだ有藤にボスは、
「だらしないぞ」
と一喝する。すると有藤はひとこと、
「ボスみたいにぼくはスーパーマンじゃないですからね」
またしても「スーパーマン」ネタである。しかしボスはまんざらでもなさそうな表情。
このすぐあと、怪獣に気づかれないよう、ボスは有藤の口を押さえるのだが…
どう見ても無理やりキスしようとしているようにしか見えない。
第15話「大地震東京を襲う!!」第16話「モグネチュードンの反撃!!」では妻(奈津子)と長男が登場。長男は「まもる」という名前(「マグマ大使」つながりか?)。
まもるの誕生日に、部下ともどもプレゼントを大量に買い込むボス。かなりの親バカ。
一行がバスを待っている時、突然大地震が発生(この回の特撮は力が入っている)。
「一度燃えたところは二度と燃えない」と、部下を焼け跡に誘導するボス。さすが戦争経験者。
激しい揺れのために団地のリビングルームが真っ二つに。何とこれはミニチュアではなく実際のセット。左隅でボスの奥さんが悲鳴を上げている。
パニック映画のワンシーンのよう。このあたりは町田市鶴川の「お化けマンション」にて撮影。
団地は今や倒壊寸前、まもるはベランダから宙吊りになってしまう。
この時のボスは、動転のためか、まもるに呼びかける声が何度か裏返る。大平透の裏返った声というのもかなり珍しい。
まもるが蒲生に救出されたあとも、寄り添ったままの2人。あつあつ夫婦である。
第19話「吸血怪獣バクラー現わる!!」より。
この日のボスはちょっとご機嫌ななめ。たるんでいる部下たちを一喝。
「ああまったく、どうしてこうウチの連中はとぼけているんだろうね」
と嘆く。
第20話「怪獣バクラーの巣をつぶせ!!」より。
富士山内部に作られたシロアリ怪獣バクラーの巣を焼き払うため、スペクトルマンはガスタンクを両手に抱え上げ、
それを富士山の火口に投げ入れるという暴挙に出る(スペクトルマンは無限大に巨大化できるという物凄い設定)。
「お、ガスタンクじゃないか」と、冷静に状況を語るボス。
その結果、富士山は大噴火。そんな大災害を目の当たりにしても、さすがボスは大物、
「富士山だって、怒りたくもなるだろうよ。怪物の巣にされちゃあな」
のひとことですませている。
第36話「死斗!! Gメン対怪獣ベガロン」より。
公害Gメンは「怪獣Gメン」に組織変更となり、最新鋭の装備や武器が供給されることに。
テレショップのようによどみなく、新兵器の説明を続けるボスの姿がおかしい。隣りにいる新女性メンバーの紹介はそっちのけ。
「ボスぅ〜」とせがまれて、やっと一同にお披露目。なかなかのべっぴんさんです(すぐに降板したのが残念)。
箱根に怪獣が現われたとの知らせを受け、怪獣Gメン初出動。
メンバーの服装はアクティブなものになったが、ボスだけは相変わらず背広姿。
第48話「ボビーよ怪獣になるな!!」より。
「アルジャーノンに花束を」をベースにした、名作の誉れ高い一編。そば屋の三平(鶴田忍)との微笑ましいツーショット。
「三平くん、何かいいことでもあったのかね」
と問いかけるボス。しかしその「いいこと」が大きな悲劇を招くことに…
最終回「さようならスペクトルマン」より。
作品後半では本部で司令塔役に徹していたボスだが、最終回ということもあり、久々にみずから出動。
蒲生が少年に渡した形見のペンダント(スペクトルマンのバックルを模したもの)を見て、その正体をはっきり悟るボス。
「そうか。蒲生、やっぱり君は…スペクトルマン」
というモノローグが重く響く。
スペクトルマンとラーとの最後の決戦。
傷つきながらもダブルフラッシュでラーを倒し、猿人ゴリは自決。戦いを終えたスペクトルマンが故郷に帰る時が来た。もう蒲生譲二の姿には戻れないと母星のネビュラ71から宣告されているため、残念ながら、蒲生とボスとの別れの場面はなし。
しかし、無言でスペクトルマンを見つめるその表情は、それまでボスが見せたことのないもので、かなり胸が熱くなる。
そんなボスに、慎み深く頭を下げるスペクトルマン。
帰還するスペクトルマンを見送る一同。「ウルトラセブン」の最終回と似ているようだが、あちらは全員が「セブン=モロボシ・ダン」だとわかっていたのに対し、こちらは、ボスだけが真実を知っている、というところが何となくいい。
以上、かなりダイジェストで倉田ボスの雄姿をご紹介してきた。先ほども書いたように、「スペクトルマン」は大平氏のメジャーワークとは言えないかも知れないが、その美声のみならず、人柄を感じさせる温顔や堂々たる体躯をたっぷり鑑賞できる、数少ない実写作品である。撮影現場での大平氏は、実際に「ボス」的な存在だったようで、自身が行きつけのブティックとタイアップして、他の出演者のスーツを用意したという逸話もあるらしい。
そんな現場のアットホームな雰囲気が、そのまま画面に現れているようで、公害Gメンの職場はいつも和やかで楽しそうに見える。新人の蒲生は、その奇行の多さゆえ、時にボスや先輩たちから変人呼ばわりされるが、それもいわば親愛の情の表れで、いじめのような陰湿さはまったく感じられない(この辺が、同時期放送の「帰ってきたウルトラマン」のMATと大きく違うところだ。あちらは岸田を筆頭に全員顔つきが険しく屈折した感じで、何かというと新人の郷に辛く当たる。チーム全体の雰囲気も暗く、子供心にもMATの連中には親しみを持てなかった)。公害Gメンチームの好感度の高さは、ひとえに「ボス」倉田室長の人徳、すなわち演じた大平氏自身の人徳によるもののように思われる。故人を偲びつつ、改めて第1話から見直してみたい作品である。
なお、この作品の終了から半年後、「科学忍者隊ガッチャマン」の放送が始まり、そこで大平氏は科学忍者隊の統率者である南部博士を演じることになる。実写特撮作品の正義側リーダーと、アニメ作品の正義側リーダーの両方を演じたのは、おそらく大平氏一人だけではなかろうか。
そしてその数年後には、「秘密戦隊ゴレンジャー」をはじめとする東映戦隊ものやメタルヒーローシリーズのナレーションを担当、長きにわたって作品の水先案内人を務めることになる。その時代の戦隊ものやメタルヒーローものはほとんど見ているが、あのナレーションは、作品に大いなる「安定」をもたらしてくれたと思う。たとえ物語の展開が(例えば「時空戦士スピルバン」の最終回のように)かなり破綻していたとしても、あの声で語られてしまうと、「まあ、大平さんが言ってるんじゃ仕方ないか」と納得させられてしまう「押し出しの強さ」とでも言おうか。しかしその一方、あの時代の東映特撮のラスボスといえば、飯塚昭三氏が担当する率が高く、飯塚氏の声ももちろん好きだったが、たまには趣向を変えて、大平氏がラスボスをやってもいいのになあ、などとしばしば思ったのも事実だ。
「もうナレーターポジションが定着してしまい、ゴアのようなパワフル系の悪の帝王を演じることはないのだろうか」
と残念に思っていたので、1995年に「超力戦隊オーレンジャー」で皇帝バッカスフンドを演じた時にはかなり驚いたものである。ゴア以来、約30年ぶりのラスボス復活ということで大いに期待したが、最終回まで玉座に留まることなく、物語中盤で退場してしまったのは残念だった。
大平氏については、まだまだ語りたいことがあるが、かなり長くなったので今回はこの辺にしておこう。自分が幼少のころからなじみの深かった俳優、声優諸氏が、次々に天に召されていくのを見るのは、かなり辛いものがあり、自分がそれだけ年を取ったという現実と相俟って、得もいわれぬ喪失感に襲われる。しかしもう多くは語るまい。映像作品の中では、いつだって、彼らに会えるのだから。