2017年05月18日

日下武史さんへ

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『火星のわが家』より。左から鈴木重子、日下武史、ちわきまゆみの各氏

日下武史さんが亡くなった。異国のスペインで、誤嚥性肺炎のために旅立ったという。享年86。

一昨日の帰宅途中、電車の液晶画面ニュースでそれを知った時、反射的に頭に浮かんできたのは、薄暗い病室のパイプベッドに寝かされ、臨終の時を待つ日下さんの姿だった。それは、私が監督した映画『火星のわが家』のラスト近くのワンシーンである。

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1998年8月に撮影されたその作品で、日下さんは、かつて火星の土地を分譲していた、風変わりな初老の科学ジャーナリスト・神山康平を演じていた。妻に先立たれ、一人で暮らす康平のもとに、歌手の次女・未知子(鈴木重子さん)がニューヨークから里帰りしてくるのだが、その数日後に康平は脳梗塞で倒れ、左半身麻痺となってしまう。康平の介護をめぐって未知子と姉・久仁子(ちわきまゆみさん)の意見が対立、居候の青年・透(堺雅人さん)も巻き込んで、家族のドラマが展開し始める。その後いろいろなエピソードをはさみ、最後に康平は風邪をこじらせ入院、免疫力が落ちているところへ緑膿菌に感染して、病院で息を引き取ってしまう(ネタバレ全開で失礼)。その撮影の時の情景が、妙に鮮やかに脳裏によみがえってきたのだ。

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もちろん、ドラマの中のことであるから、実際の日下さんはぴんぴんしていたのだが、ロケでお借りした埼玉の病院の個室が、なんともいえぬじめじめした陰鬱な雰囲気を醸しており(私の父が亡くなった病院の部屋とよく似ていた)、しかも隣室からは、実際に重病の方のうめき声が聞こえてきたりして、何だか本当に、日下さんを看取ろうとしているような重苦しい雰囲気に満ちていた。この時撮影した、臨終間際の康平(日下さん)が、それまで不仲だった久仁子の頭を軽く撫でる場面は、長回しの一発撮りだったのだが、本番中、見ていて不覚にも涙がこぼれそうになってしまった。自分の父の臨終の光景がよみがえったというのもあるが、何より、日下さんという人が、本当にあちらの世界に行ってしまうような淋しさが胸をよぎり、ただの映画の一場面とは思えなかったのである。

それから19年が過ぎて、本当に日下さんを見送る一文を草する日がきてしまった。自分の新作映画があさってから公開という、何ともバタバタした中で、大切な人の追悼文を綴らなければならないのが切ない。しかしこれだけは力説しておきたい。『火星のわが家』は日下武史さんの存在なくしては成立しなかった映画であった。準備稿のアテ書き(実際の俳優を想定してシナリオを書くこと)も日下さんのイメージだったし、最初に出演交渉したのも日下さんだった。どうしてそこまで日下さんに執着したのかといえば、まだ学生のころにNHKの舞台中継で観た「この生命誰のもの」に強い衝撃を受けたからである。この作品で、首から下が麻痺して寝たきりの主人公を演じたのが日下さんだった。ほぼ全身麻痺だから、身体で表現することはできず、武器となるのは表情とセリフだけ。しかしその鬼気迫る表情とナイフのように鋭いセリフ回しで、健常なほかの出演者を次々ねじ伏せていく。その迫力に圧倒され、いつか自分の映画に出てもらいたい、と熱望するようになっていった。その独特の容姿と、歯切れはいいがクセのある語り口は好みの分かれるところかも知れないが、私の中では日下武史という俳優は、その時から大変大きな存在として心に居座ることになったのである。

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晴れて『火星のわが家』に出演していただけることになり(交渉自体は思ったほど難航しなかった)、顔合わせを兼ねて某ホテルのティーラウンジで初めてお目にかかることになった。その時、私が青江舜二郎の息子だと名乗ると、
「ああ、青江先生にはまだ駆け出しのころ、劇評でずいぶん好意的に書いていただいて。今でも感謝しているんですよ」
と、思いがけないひとことが飛び出した。
「そうか、父も日下さんのことがお気に入りだったのか。やはり親子というのは好みが似るものなのだな」
と密かにほくそえみ、それからは、旧知の間柄のような気安さで接することができた。また、『火星のわが家』は全体の約半分が康平の家の場面なのだが、その撮影は、鎌倉アカデミア演劇科2期生の木口和夫さんの横浜のお宅を、約半月お借りして行った。その初日、木口さんはやって来た日下さんに、
「実はそちらの奥様とは鎌倉アカデミアの同窓なんですよ」
と明かし(日下さんの当時の奥様は演劇科の3期生で、木口さんの後輩にあたる)、日下さんもこの偶然にはびっくりしたらしく、ただでさえ大きな目を一層大きくされ、そこから一気にうちうちの関係、という雰囲気になっていった。

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そうしたいくつかの因縁もあってか、お芝居にはきわめてストイックに臨むと思われていた日下さんが、この映画では終始リラックスムードだったのがとても印象的だった。もちろん、演技に対してのこだわりは大変なもので、事前に総合病院のリハビリセンターを訪問して左半身麻痺の症状をつぶさに観察、ご自身でも理学療法士を相手に実演なさり(上写真参照)、回復の過程を5段階に分けて、このシーンではこの段階、と細かくシナリオに書き込むなど、実に緻密な演技プランを立てられていたのだが、現場では気難しい様子は一切なく、毎日うきうきと楽しげに木口宅に通っていらした。

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ロケの休憩時に駐車場にて

家に着いてパジャマに着替えると、もうすっかりその家の主人といった風情で、宅配便の業者が荷物を届けにきた時には玄関まで出ていって業者を驚かせたり、自室のベッドで寝ている場面の撮影中に、実際に眠ってしまったり(そのリアルな寝姿と寝息は、映画の中でそのまま使っている)、しまいには、ご自分の家にある「爪楊枝入れ」が、どうしても見当たらない、と一生懸命探してしまうほど、ご自宅と木口宅とが一体になってしまっていた。これを役作りというのは少し違うと思うが、とにかく日を追うごとに神山康平という役と日下武史という俳優は接近していき、撮影後半では、鈴木さん、ちわきさんとも親密の度を増し、3人が居間で談笑している姿などは、本当の親子にしか見えなくなっていた。日下さんは実際にはお子さんがいなかったので、ドラマの中にしろ、2人の娘に囲まれた生活空間というのは好ましいものだったのかも知れない。

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打ち上げにて、2人のまな娘と

撮影終了後に日下さんが、
「ぼくはこの現場で、生まれて初めて、生活をしながら仕事をしたよ。逆に言えば、仕事をしながら生活をしたということなのかな」
とつぶやいていたのが今でも忘れられない。それまでの劇団四季での日下さんの数々の芝居は、あくまでプロフェッショナルとしての厳然たる「仕事」だった。そこには日常生活の入り込む余地はなく、両者は完全に隔絶していたのだが、『火星のわが家』で初めて、日下さんは、生活(日常)と芝居(非日常)との混交を体験したのだという。天下の日下武史に、生まれて初めての体験をさせたということで、私も監督として、大変誇らしい気持ちになったものである。そして神山康平というキャラクターは、私のこれまで作った映画の中でも一番のお気に入りとなり、一方『火星のわが家』は、日下さんにとって、最後の映画出演作品となった。

先ほども書いたように『火星のわが家』は1998年の8月に撮影されたものだが、その同じ年に、劇団四季は首都圏初の常設専用劇場となる四季劇場[春][秋]を東京・浜松町に開場した(2003年には自由劇場も開場)。そして[春]では大型ミュージカル「ライオンキング」、[秋]や自由劇場では劇団創立初期の「オンディーヌ」「ユリディス」「アンチゴーヌ」といったストレートプレイが次々上演されていくことになる。日下さんは当然のごとく、そうした作品に主要な役でキャスティングされ、私もファンの一人として、かつて父も観たであろうそれらの芝居にいそいそと出かけたのであった。「オンディーヌ」における水界の王の冷徹な存在感、「ユリディス」における死神アンリの知的な狡猾さも記憶に刻まれているが、一番深い感銘を受けたのは「アンチゴーヌ」のクレオンだった。この芝居は大部分がアンチゴーヌとクレオンの二人芝居なのだが、死を覚悟したアンチゴーヌと、どうにかして彼女を助けたい(しかし表立ってそれをすることができない)クレオンとのセリフの応酬がまさに絶品で(これはもちろん戯曲そのものの力もあるが)、公演中涙がとまらず、終演後も興奮冷めやらず、翌日もう一度、母を誘って観にいったというほどの傑作舞台であった。こういう芝居に出会うと、演劇の感動に映画は遠くおよばない、としみじみ感じてしまうのである。ほかにも「スルース(探偵)」「ヴェニスの商人」「鹿鳴館」「エクウス(馬)」など、日下さん見たさに浜松町にはずいぶん通ったものだ。

実は日下さんとは、『火星のわが家』のあと、もう一度一緒に仕事をしている。それは2005年製作の青江舜二郎 生誕百年記念作品「水のほとり」(ボイスドラマ)で、この時は、主役の流離王を日下さん、摩訶南尊者を柳澤愼一さん、 釈迦族長老を川久保潔さんが演じている。吹替えファンの目線で見ると、「アンタッチャブル」のエリオット・ネスと「奥さまは魔女」のダーリン、そしてその義父のモリースの共演なわけで、なかなか豪華な顔ぶれだったと思う。

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「水のほとり」収録風景。左から川久保潔、日下武史、柳澤愼一の各氏

この時日下さんは、
「これはかなり難しい内容の歴史劇ですよ。いきなり本番じゃなくて、リハーサル日を別に設けて欲しいなあ」
と提案され、実際そのとおりにしたのだが、私としてもボイスドラマの演出は初めてだったので、そういう段階を踏んで丁寧に収録に臨めたのはとてもありがたかった。そして無事に収録が終了し、所属事務所から提示されたギャラを振り込んだ数日後、思いがけない現金書留を頂戴した。

そこには、振り込んだギャラがまるまる入っており、そして一枚の便箋が添えてあった。

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青江先生に若い頃、認めて頂いた事が忘れられません。
せめてもの気持ちです。どうぞお修め下さいますよう。
日下武史

さっぱりした文章の間に、日下さんの人柄がにじみ出ているようで、今も大切な私の宝物となっている。

劇団四季の「美女と野獣」札幌公演のあと、合流して一緒にお酒を飲んだ話など、思い出はまだまだあるが、日下さんについての回想はこの辺で終えるのが妥当だろう。

『火星のわが家』のラストは、鈴木重子さん演じる未知子と、堺雅人さん演じる透がベランダで空を見上げ、
「お父さん、もう着いたかなあ」
と、康平の魂が火星に到着したことをイメージするシーンで幕を下ろすのだが、日下さんの魂は、今、どのあたりを彷徨っているのだろう。

私も若いころ、日下さんと映画を作ったことが忘れられません。
どうぞごゆっくりお休みくださいますよう。
大嶋 拓
posted by taku at 18:35| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする