2017年05月22日

『鎌倉アカデミア 青の時代』イベントレポート(3)

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今日も関東地方は太陽がギラギラと照りつけ、初日以来3日連続の夏日となりました。
「シニア層にも快適にご覧いただけるよう、暑くもなく寒くもない5月に」と、劇場支配人とも相談して5月に決めたというのに、ほとんど真夏の陽気です。どうして暦どおりの気候になってくれないんだとアゴを出しつつ劇場に迎えば、週明けの割には入場者数がそれほど下がっておらず、ほっと胸を撫で下ろしました。

今日のゲストは、横浜市立大学国際総合科学部教授の高橋寛人さん。

実は、鎌倉アカデミアと横浜市立大学とは非常に関係が深く、1952年に横浜市立大学に文理学部が生まれた際、三枝博音、西郷信綱、早瀬利雄、田代三千稔、加藤衛、古沢友吉、以上6人の鎌倉アカデミア教授講師陣が招聘されています。ちなみにこの年三枝博音は60歳、そして同大学の学長になったのは1961年秋、69歳の時でした(その翌々年11月、いわゆる「鶴見事故」に遭い急逝)。

高橋さんいわく、
「私は教育学を専攻していたので、学生の時から鎌倉アカデミアのことは、名前だけは知っていました。戦後の教育史について書かれた本には、鎌倉アカデミアのことが出てくるんです。その後、高瀬善夫さんの書かれた本を読んでさらに関心が深まりまして、ですから、横浜市立大学に奉職が決まった時には、鎌倉アカデミアにゆかりの大学で教えることができるということで、大変光栄に感じたものです」
そして、市立大学が鎌倉に近いということもあって、2006年の「創立60周年記念祭」に参加、その翌年から毎年行われた「伝える会」にも、ほとんど顔を出して来られたとのこと。私よりも出席率が高いというのは驚きです。
「ただ、今の市立大学の教師も学生も、あまりそういうことを知らないんですよ。今から4年前の2013年が、三枝先生の没後50年で、その時に小冊子を作ったり展示と講演を行ったりしたので、鎌倉アカデミアとのつながりは少しは認知されたかと思いますが…」
私は2013年の没後50年イベントには鎌倉市中央図書館の平田恵美さんのお誘いで参加し、そして翌2014年に「伝える会」で高橋さんがスピーチをされたのも聴いています。それらを通じて、鎌倉アカデミアのスポークスマンたるにふさわしい先生と見込んでいたので、この映画の公開が決まった時、高橋さんが担当する授業の中で映画の紹介をさせてもらえないかとご相談し、そして先月下旬の「人間科学論」の授業の際、予告編と本編の一部(前半)を学生さんに観てもらったのですが、その結果は、驚くべきものでした。
「授業のあとに、10分くらい学生に感想文を書いてもらうんですが、みんな、本当にびっちり書いてあるんです。普段は5行くらいなのに」

学生さんたちはほとんどが19〜20歳で、当時の鎌倉アカデミアの学生と同じ年齢だけに、感じるところも多かったのでしょうか。82名の学生さんたちの感想文を、私もすべて読ませていただき、その中の一部を抜粋して、この場で紹介させていただきました。

●学生が「学べる喜び」を感じていたのはもちろんのこと、教授も「教えたいことを教えられる喜び」を感じていたという話に感銘を受けた。

●インタビューに答えていた方々が皆さんとても熱意を持って語られていたことが印象的だった。

●自分が90歳になった時、どれほど大学生活を語ることができるだろうかと思いました。鎌倉アカデミアに出演している方々のように密度が濃く充実した大学生活を送りたいです。
時代の流れに影響されずに教育を続けていくことは難しい。(中略)やはり時代が時代だけに、鎌倉アカデミアのような学校は援助が受けにくかったのだろう。

●壇上に上って、上から指導するような立場でなかった、など、異常なまでに民主化されていた。就職に直結するとはあまり思えないような学問を積極的に学ぼうとしていたことにも驚きました。でもよく考えればこのように民主化され、自分の学びたいことを自由に学べる場こそが、大学のあるべき姿なのだと思います。このような理想的な学びの場が、時代の流れに淘汰されてしまうことは本当に残念です。

●そこに通った人々の学びたいという意欲はとても素晴しく、現在自分たちが当たり前のように大学に通うことができ、授業を受けられていることに感謝しなければいけないと感じました。

「予想以上の教育効果でした。熱を感じましたね。私は、昔の話として、歴史として聞いてもらって、現在、そういう流れを汲む横浜市大に学んでいることに誇りを持って欲しかったんですけど、彼らは、現在の『自分の問題』として、『学べる喜び』を感じてくれたんですよ。受身ではなく、自分たちの学ぶ場所を自分たちで考えるということの大切さに気づいてくれたというのは、何より嬉しいことです」
そう語る高橋さんの口調もまた、熱を帯びていました。

順序が逆になってしましましたが、この日初めて映画をご覧になった高橋さんにご感想をうかがったところ、
「『伝える会』なんかでも、話題になるのは光明寺時代ばかりで、今回、大船時代の話を初めて聞けたのが新鮮でした。大船で入学した3期生たちは、大船時代を案外評価しているんですね。大船というと、ボロ校舎で雨漏りがひどくて…という話ばかり聴かされていたんで、その辺は少し意外でした」
とのこと。たしかに、3期生以降は光明寺時代を知らないので、校舎の状態など比べようがありません。わずか4年半の歴史しかないアカデミアですが、その原風景は、入学年度によって大きく異なるのです。
「三枝先生が、訪ねてきた学生に自らお茶を点ててふるまうという話がありましたね。大変貧しかったが、心は豊かだったという当時の状況が映画から伝わってきました。そうした学生との深い結びつきが、閉校の際、ひとりひとりの学生の転学のために奔走するという三枝先生の行為につながるんだと思います」

また高橋さんは、三枝校長の戦前の経歴にも言及します。三枝は唯物論研究会に関わっていたため1933年に治安維持法で逮捕。1ヵ月拘禁され、釈放後も、大学等の教育機関で教えることができませんでした。それからは在野の学者として執筆や科学技術史書の編纂などを続けていたところ、終戦で世の中が激変。GHQの方針もあって教育現場に戻ることができたものの、制度化された既成の大学に対しては、どこかで批判的なまなざしを注いでいたのではないか――。それが横浜市立大学における入学式の挨拶などからも読み取れる、と高橋さんは指摘します。
「横浜市立大学は、小規模とはいえ大学ですからね。大学として存続するにはいろいろな縛りがあって、鎌倉アカデミアとはだいぶ違います。三枝先生の授業は、アカデミアでは大変人気があったそうですが、市立大学での三枝先生のことを知っている人に話を聞くと、授業も、受講者は案外少なかったそうです」 
とのお話は、鎌倉アカデミア時代の、みんなに慕われ愛された三枝校長の逸話しか知らなかった私には、大層意外なものでした。しかしそれは、貧乏だったがせめて精神は豊かにありたいと願った終戦直後と、物質的繁栄を最優先した高度経済成長期との時代の違いも、無視できない要因のように思えました。

しかし、今や高度経済成長もはるか昔の話で、ふたたび精神の豊かさを求める時代に回帰しているのを感じます。横浜市立大学は、たしかに小規模ながら大学ではありますが、私の印象では、キャンパス全体もこじんまりしており、食堂もたったひとつ。学長も学生もその同じ食堂で昼食を取るところなどは、かなり鎌倉アカデミア的です。通っている学生さんたちも内面重視の落ち着いた感じで、是非、この学び舎でアカデミア的なるものを、継承、発展させていって欲しいと感じました。

高橋さんは最後に、
「最近、人文系の学科はなくしていいんじゃないかという暴論もあり、とりわけ文系学科には大変風あたりの強い時代を迎えています。そういう時代だからこそ、鎌倉アカデミアを再検証するのは大いに意義のあることだと思います。大学というのは、すぐ役に立つことばかり勉強するところではないんです。人生も、人間の歴史も長いわけで、今、役に立つものが、10年後にはまったく役に立たなくなっているかもしれないし、反対に、役に立たないと思われていることが、いつか大変役に立つかもしれない。最終的には、内面からの渇望、自発的な学びたいという意欲を信じていくほかはないわけで、それがいかに大切か、考えるきっかけを鎌倉アカデミアは与えてくれると思います」
としめくくられました。
posted by taku at 20:37| 鎌倉アカデミア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする