2017年05月23日

『鎌倉アカデミア 青の時代』イベントレポート(4)

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今日のゲストは、作家・山口瞳(文学科1期生)の長男でご自身も作家の山口正介さん。山口さんは、ご両親が鎌倉アカデミア出身だっただけでなく、祖父の山口正雄も学校の専務理事(父兄会長)を務めており、先代、先々代がともにアカデミアと深く関わっていらっしゃいます。もちろん、その当時はまだ生まれていないので、詳しいことは知らないとのことでしたが、ファミリーヒストリーともからみあう学校のことだけに、映画も興味深くご覧になったようでした。

祖父・山口正雄については、
「この映画ではずいぶん好人物のように描かれていたけれど、自分の印象では、あのころ学校の理事を引き受けるなんていうのは、『学校経営は儲かる』という計算があってのことだったと思います。若いころから、会社を作ってはつぶし、大儲けしては大損して、という浮き沈みを繰り返していた人のようですから。起業家気質というのかな。だから、自分の子供たちの通う学校だから一肌脱ごうというだけではなく、そろばん勘定も大いにあって引き受けたんだと思いますよ。それが映画では、ずいぶんいい人のように描かれていて、ありがたかったんですが」
とのこと。正雄の破天荒な生き方については、息子の山口瞳が『家族(ファミリー)』『父の晩年』など複数の著書に書き残しています。当時近所だった川端康成から、妻の葬式を理由に借金をして、それを踏み倒したなどという豪快なエピソードも『小説・吉野秀雄先生』の「隣人・川端康成」に出てきますので、ご興味のある方は是非そちらをお読みいただければと思います。

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山口瞳が鎌倉アカデミア時代を綴った『小説・吉野秀雄先生』(1969年・文藝春秋)

そんな山口正雄ですが、正介さんが物心ついたころから中学生くらいまで、同じ家に住んでいたそうです。当時は糖尿病で隠居の身だったそうですが、そのころの思い出をうかがったところ、
「じいさんは映画にも登場した『停電灯』の開発もそうだけど、発明好きでね。ある時、布にスプレーするとその布が燃えなくなる、という薬品を開発したっていうんですよ。それで僕が瓶に入ってた液体をハンカチにつけて、火をつけたら普通に燃えちゃったんで、『おじいちゃんダメだ、これ燃えちゃうよ』って言ったら、何とも不機嫌そうな顔をしてましたね(会場内爆笑)」
停電灯も、アイデアは素晴しかったのに思わぬところで失敗して実用化には至らず、それが災いして山口家は鎌倉の邸宅から去っていくことになります。正雄はどこかツメの甘い性格だったのかも知れません。しかし、戦前の発明では、ドラム缶に車輪をつけて、移動式の簡単なガソリンスタンドを作ったことがあり、これは成功例だったそうです。

正雄のことで思いがけず話がふくらんでしまったので、そろそろ肝心のご両親のお話しも、と水を向けたのですが、正介さんいわく、
「親父は鎌倉アカデミア時代のことを喋るのは嫌みたいでしたね。おふくろと恋愛していたころのことが恥ずかしかったんでしょう。直接話を聞いた記憶はほとんどありません。文章に書くには書くんですがね。一方の母親は、青春の思い出ですから、60周年記念祭や伝える会で鎌倉に行くと、光明寺のそのへんにパパがいたのよ、とか、あそこが最初にデートした場所で、とか、息子としては聞きたくないですよね。もういい加減にしてくれ、って感じで…」
やはり男性は基本的にこういう話題にはシャイなようで、瞳・治子夫妻のなれそめについては、前述の『小説・吉野秀雄先生』や、山口治子さんの『瞳さんと』をひもとくのがいいように思いました。その一方、
「この映画の冒頭に、60周年記念祭のトークの映像が出てきますけど、考えてみると、これがうちの母親の、最後の映像記録なんですよね」
と、2011年に亡くなられた治子さんに思いを馳せるひと幕も。

また、正介さんは最近、『山口瞳電子全集』刊行のため、その全著作にあらためて目を通していた際、生前未発表作品の中に、鎌倉大学における初代学校長解任劇の内情が書かれているものを見つけたということで、その部分のコピーを持参して朗読してくださいました(文中では「湘南大学校」と記述)。

トークではほかにも、瞳・治子夫妻が1949年に結婚した時の仲人は三枝博音校長が務めたこと、引出物はバナナで、それを三枝校長が珍しがった、そのくらい物のない時代であったこと、瞳が一時期、出版社(国土社)に勤めたのも、三枝校長がそこの顧問だったからということ、等々、三枝校長との浅からざる交遊エピソードが披瀝されました。瞳は1948年の秋以降はアカデミアに通っていませんが、その後も吉野秀雄や高見順、三枝校長らとの行き来は続いており、山口瞳にとっても鎌倉アカデミアがまさに、作家としての「原点」であったことがうかがえました。

ここからは余談ですが、正介さんは作家の家の一人息子、私も、知名度はぐんと落ちますが、やはり同じように劇作家の一人息子なので、うまく言えませんが、「作家」という大変やっかいな人種の家族として生きる者に共通の「匂い」のようなものが強く感じられ、お会いするのはまだ2回めなのに、勝手に、大いに親近感を抱いてしまいました。親の個性が強烈だと、次の代はいろいろ苦労するものです。ね、正介さん。
posted by taku at 19:56| 鎌倉アカデミア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする