2017年05月20日

『鎌倉アカデミア 青の時代』イベントレポート(1)

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ついに来ました、『鎌倉アカデミア 青の時代』記念すべき東京公開初日。晴天に恵まれたのはいいのですが、少し恵まれすぎというか、とても5月とは思えない、真夏のような強い日差しが朝から照りつけていました。これはこれでしんどい! K's cinemaに着くまでにすでに汗びっしょりです。しかしこんな天候にもかかわらず、劇場にはほぼ満員のお客様にお越しいただき、晴れやかに封切り日を迎えることができました。

今日は演劇科1期生の勝田久さん(声優)と加藤茂雄さん(俳優)をゲストにお迎えする予定でしたが、劇場ロビーに着いてみると、何と、岩内克己さん(映画監督)のお姿が。急遽、御三方に舞台挨拶を行っていただくことになりました。

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控え室にて。舞台挨拶前のため、一同、やや緊張の面持ち

勝田さんは、2週間前にご自宅にうかがって打ち合わせをした際には、最近足腰が弱っているため、劇場には車椅子で行くことになると思う、とおっしゃっていましたが、その後、連日歩行訓練を行ったとのことで、この日は車椅子なしでお客様の前に出ていただきました。また、今でも地引網をやっているという加藤茂雄さんはこの日も元気ハツラツ、もうすぐ92歳になるとは思えません。さらに、岩内さんは88歳の時に、それまで飲んでいた7種類の薬をすべてやめたそうで、それが奏功したのかはわかりませんが、現在は病気とも無縁の生活を送っているとか。

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1時間59分の映画本編が終了し、いよいよ舞台挨拶の始まり。私もこれまで、映画の舞台挨拶はいろいろやってきましたが、登場ゲストが全員90歳超えというのは今回が初めてです。

まず御三方に映画の感想をうかがったところ、勝田さんからは、
「力作ですね。こういうものを作るエネルギーはどこから来るのか」
とのコメントをいただき、大先輩と言うべき岩内さんにも、
「アカデミアの映画で2時間なんて、一体何を見せるんだろう、30分で充分じゃないかと最初は思ってたんだけど、2時間まったく退屈しなかったね。編集のテンポがいいんだと思う」
と、過分なお言葉をいただきました。あの「若大将シリーズ」のメイン監督だった岩内さんから編集を褒められるとは、まさに望外の喜びです。

一方、この映画を観るのは3回めとなる加藤さんからは、作品の最後、学校が亡くなるシークエンスを見るたびに淋しくなるというお話が。加藤さんご自身は、1949年の春にきちんとした卒業式とともに学校を巣立ったのですが、その1年半後の閉校式はひっそりと行われ、かつての学生たちも、悲しい思い出だったせいか、ほとんど記憶に残っていないと証言しています。そのあたりの話を聞いてウルウル来てしまうというのも、加藤さんの強い母校愛の表われなのでしょう。

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岩内さんからは、
「僕はもともと明治大学で物理を専攻して量子力学を学んでいました。それがなぜ演劇を選んだかというと、量子力学は、計算から素粒子を見つけ出すという『目に見えない世界』、一方の演劇というのは初めに台本があって、それを舞台化するという『目に見える世界』。いわば正反対のものですが、戦争が終わったあと、連合軍が日本のサイクロトロン(原子の加速器)を持ち出して海に捨てたという話を聞いて、日本は、工業立国としては終わりだ、これからは文化立国になるしかないと思って、見えない世界から見える世界に大転換したわけです」
と、アカデミア志望の理由が語られました(このあたりのことは、映画本編でも一部語られています)。

勝田さんは、中村光夫のフランス語の授業の際、中村は上品な喋り方で声が小さく、後ろの席ではよく聞こえなかったため、「先生、もう少し声を張ってください」とリクエストしたところ、「それなら、ここへ来なさい」と言われ、中村のすぐ隣りに座って授業を受けたという微笑ましい思い出を語り、そのころ覚えたフランス語の一節を朗唱。また、お客様のリクエストに応える形でお茶の水博士の声を特別に披露してくださいました。

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加藤さんは、
「僕は東宝の大部屋俳優で、専属で20年やったけど、今となりにいる岩内くんは監督だから、こうして並んでても、何だか落ち着かないんだよ。でも、元はといえば、もうだいぶ前に死んじゃったけど、東宝の助監督をやってた廣澤榮っていう同級生がいて、そいつが、僕ともうひとり、鈴木治夫っていうのに声をかけてくれたのがきっかけなんだよね。ある時電報が来て、明日、横浜の開港記念会館に来いと。その時2人で新聞記者の役をやったんだよ」
と、東宝入りの裏話を披露。それを受けて岩内さんも、
「教職員の適格検査を神奈川県で受けたら不合格で、それでそのあと東京で受けたら合格して、八潮高校で教員をやってたんですが、その給料だけじゃ食べられない。そんな時に、この加藤くんが、廣澤くんから預かった手紙を持ってきてくれて、それに『東宝争議が終わって初めての社員募集をするから受けてみないか』って書いてあったんです。それで試験を受けることにして。鎌倉アカデミアは各種学校で大学でじゃないですから、無理だろうと思ったんだけど、どういうわけか合格して…」
と当時を振り返りました。
「第一期生っていうのは、アカデミアに入る半年前まで戦争で、半数以上が軍隊帰りなんだよ。それも陸軍士官学校とか海軍兵学校とかに通ってたエリートが多くて、軍人勅諭なんか叩き込まれてたんだけど、それが戦争に負けて、世の中がひっくり返って、…みんな同じ憂いを持っているの。それだけに、みんな非常に仲がいい。だから困っている人がいるとほっとけないんだよね」
と、その絆の深さを語る加藤さん。旧友再会の喜びに、予定時間の15分はあっという間に過ぎていきました。

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トーク終了後も、控え室に戻って、ひとしきり思い出話や近況報告に花が咲きました。

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ロビーでは、勝田さんが最近出された『昭和声優列伝』が販売されており、購入後、勝田さんにサインを求めるファンの方も。

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ポスターをバックに記念撮影。今回の写真画像は、高畠正人さん、内山杏南さんにご提供いただきました。

御三方にとって心の和むひとときとなったようで、お招きしたこちらも嬉しい限りですが、この日は、私自身にとっても、思いがけない「再会」の場面が待っていました。
何と、私が中学1〜2年生の時に脚本と出演で参加して、記念すべき第1回PFF(ぴあフィルムフェスティバル)の入選作品となった「ひとかけらの青春」(1977)の監督・大久保健吾さんと主演の野間栄一くんが、示し合わせたわけでもなく、たまたま劇場に来てくれたのです。加藤さんや岩内さん、勝田さんの原点が鎌倉アカデミアなら、私の映画製作の原点は、まぎれもなくこの「ひとかけらの青春」です。大久保さんは前作『影たちの祭り』も観にきてくれているので数年前にもお会いしていますが、野間くんとは実に30数年ぶり。アカデミアの御三方と劇場前でお別れした後、歩いて数分のレトロな喫茶店「らんぶる」に場所を移して、こちらも旧友交歓のひとときを過ごしました。
posted by taku at 19:24| 鎌倉アカデミア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする