2017年11月23日

『現代コミクス版 ウルトラマン』刊行!(3)

何と、発売後3ヵ月近くが過ぎてからのレビューである。イワムラ博士(「ウルトラセブン」第20話「地震源Xを倒せ」に登場するガミガミ親父。演じるは初代メフィストの吉田義夫!)がご存命であったなら、
「遅いっ! 遅すぎるっ!」
と激怒すること必至だろう。実は、だいたいの文章は9月の時点で書いていたのだが、マンガを写真撮影するのがおっくうになり、そのままにしていたのだ。このまま放置状態が続くと思われたが、先日『特撮秘宝 vol.7』のことを書いたのがきっかけで、またにわかに特撮熱が燃え上がり、一気にアップにまで漕ぎ着けた次第である。例によってダラダラと長いので、この手のネタに興味のない方はスルーしてください。


●『現代コミクス版 ウルトラマン』刊行!(1)
●『現代コミクス版 ウルトラマン』刊行!(2)


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『現代コミクス版ウルトラマン』下巻が、8月末に復刊ドットコムから刊行した。これで井上英沖の筆になる「現代コミクス」掲載のウルトラマンは、すべて陽の目を見たことになる。

下巻には、1967年3月号から7月号までに掲載された「アボラス・バニラ」「怪獣無法地帯」「ケムラー」「ジャミラ」「スカイドン」「サイゴ・キーラ」「シーボーズ」の7作が収録されている。ちなみに最初の2作品は、私が持っていた原本からスキャンされたものだ。では、上巻と同じように、それぞれのエピソードを、テレビ版やほかのコミカライズと比較しつつ、簡単に紹介していこう。
ただし、上巻に比べると全体に画がラフになっており、また、後述するようにほかのコミカライズからの「引用」も散見されるなど、いささか残念な作品が目立つ。したがって、当方の紹介文も、多少辛口になっているのはご容赦いただきたい。

「アボラス・バニラ」は、いきなり扉ページで怪獣の彩色が逆になっている(アボラスが赤でバニラが青)という波乱ぶくみの幕開け。

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内容はテレビ版とはかなり異なり、ウルトラマンが2回も登場し、前半はバニラと、後半はバニラ&アボラスの二大怪獣と直接対決するという胸熱な展開なのだが、すでにAmazonレビューでも指摘されているように、『ぼくら』に掲載された一峰大二版との類似が大いに気になる。

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物語序盤で赤いカプセルからバニラ登場→ウルトラマン登場→ウルトラマン苦戦して敗退→アボラス登場→2匹が国立競技場へ→ウルトラマンとアボラス&バニラとの戦い→八つ裂き光輪でフィニッシュ、という流れがまったく同じなのだ(テレビ版ではバニラとウルトラマンが戦うシークエンスはない。バニラはアボラスにやられ、クライマックスはアボラスとウルトラマンとのシングルマッチである)。

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上が井上版で下が一峰版。ウルトラマンが八つ裂き光輪で2匹を同時に倒す決めポーズもほぼ同じ。

雑誌発表は一峰版が1967年新年(1月)号、井上版が1967年3月号なので一峰版の方が2ヵ月早い。したがって、井上版が一峰版を参考にして描かれたのは明らかである。私は幼少期には『ぼくら』は読んでいなかったので、この類似に気づいたのは成人してからだが、何とも言えず残念な気持ちになったものである。ちなみに、上巻に収載されている「ネロンガ」「ギャンゴ」「ペスター」「新バルタン星人」なども『ぼくら』で一峰版が描かれているが、それらはまったく別物で、一峰版がオリジナル要素が多いのに対し、井上版はテレビ版に忠実な印象であった。それがここに来て、どうしてテレビ版シナリオではなく一峰版を下敷きにしたのか。〆切りに追われ、テレビのシナリオを元にすべて画をこしらえるという時間が取れなかったためだろうか。

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「怪獣無法地帯」は、これまでの井上路線というか、テレビ版シナリオをほぼ忠実に漫画に書き起こした印象で、テレビの記憶をたどるのに適した一作。5大怪獣がすべて登場し、ピグモンがレッドキングに殺される展開もオリジナルどおり。

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だが、エンディングだけは大きく異なる。テレビ版ではピグモンの死には一切触れられていないが、井上版では何と、フジ隊員が「小さな英雄」とその功績を称え、墓に花を手向けているではないか!

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「小さな英雄」といえば言わずと知れたピグモン再登場の37話のサブタイトルである。しかしこのコミカライズ執筆時点では、まだ同話は放送されていないはず。これはどうしたことかと首を傾げたのだが、『ウルトラマン研究読本』(2014・洋泉社)を読むと、元のシナリオにはそうしたシークエンスがあったがカットされ、それが37話で使用されたとのこと。撮影前にオミットされたか、撮影されたものの尺の関係でカットされたかは不明だが、このコミカライズが、テレビの完成版ではなくシナリオを元に描かれていることが、こんなところからもわかる。

ここからは原本がないので、今回刊行されたものの画像を紹介。

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「ケムラー」。これもいろいろと問題あり。先ほどの「アボラス・バニラ」同様、一峰版を下敷きにしているのが露骨で、比べて読むと辛い(じゃあ比べて読むなと突っ込まれそうだが)。テレビ版では最初に大室山に調査に行くのはフジとホシノの2隊員だが、一峰版ではハヤタ、フジ、ホシノの3隊員。その大室山でケムラーが出現、ハヤタは早速ウルトラマンに変身してビートルを助けるが、ケムラーに圧倒され地中に沈み、一方、ケムラーは都市部に現れ工場の煙突の煙を吸うなど暴れ放題。科学特捜隊は、マットバズーカでケムラーの急所ののどを狙うが不発、それを、最終的にウルトラマンがスペシウム光線で爆発させて倒す…というのが一峰版のあらすじだが、その一連の流れが、井上版でもほとんど同じなのである(テレビ版では、ケムラーの急所は背中の突起部分で、マットバズーカはウルトラマンの助けもあって見事そこに命中、ケムラーに致命傷を負わせる)。ご丁寧に、ケムラーの毒ガスを防ぐために隊員が着ける防毒マスクのデザインまで、井上版は一峰版にそっくりなのである(テレビ版は鼻と口の部分だけ覆う簡易的なものだった)。

20171123_10.jpg 井上版

20171123_11.jpg 一峰版

20171123_12.jpg 井上版

20171123_13.jpg 一峰版

こうした「引用」も、〆切に追われていたための苦肉の策だったのか、その辺の事情はもはや永遠の謎だが、このころから、筆者の中でウルトラマンのコミカライズに対してのモチベーションがかなり下がってきていたのは、ペンタッチからも何となく伝わってくる。上巻に収載された「ジラース」「ペスター」あたりが、井上版のピークだったのではないだろうか。

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「ジャミラ」は、幸いにというべきか、一峰大二も楳図かずおも漫画化しておらず、コミカライズはこの井上版のみなので、必然的に「テレビのシナリオをベースにした井上作品」になっており、安心して読むことができる。物語はテレビ版に準拠しているが、序盤でハヤタの乗るビートルがジャミラの「見えないロケット」から攻撃を受けるというスピーディーな展開。

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「アボラス・バニラ」同様、物語の開始早々ハヤタがウルトラマンに変身するが、これは、カラーページでウルトラマンの姿を見せるための配慮であろう。

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漂着した星で彷徨い、怪物へと変貌していくジャミラ。テレビ版にはない秀逸かつホラーチックな描写で、幼少期から深く脳裏に刻まれた。

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また、テレビ版(「故郷は地球」)は特撮ファンならご存じのように、かなりメッセージ性の強い、いかにもな佐々木&実相寺作品なのだが、この井上版では、中盤にはイデの苦悩描写も出てくるものの(上画像参照)、ラストは、テレビ版ほど露骨な体制批判はなく、「…科学は果てしなく進歩するだろう。だがその陰には多くの犠牲者がいることを忘れてはならない」というナレーションでさらりとしめくくっている。これは少年向け漫画としては適切な判断だと思う。

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「スカイドン」は、これまた佐々木&実相寺作品のコミカライズだが、テレビ版とはまた違った形での、科学特捜隊諸氏のリラックスモードな描写が楽しい(テレビ版ではこのころすでに降板していたホシノも出てくる)。しかし、スカイドンが現れてからは、ページ数の関係もあってかなり慌ただしい展開に。いろいろな作戦を実行して、何とかスカイドンを空に返す、というプロセスはなく、いきなりウルトラマンが現れてあっさり八つ裂き光輪で倒す展開。ついでに言うと、この八つ裂き光輪で倒す場面、またしても一峰版を下敷きにしたような印象が…。

20171123_19.jpg 井上版

20171123_20.jpg 一峰版

「サイゴ・キーラ」。これは井上版のみのコミカライズのため、他作家との類似を心配する必要はなく、安心して読み進められる。

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ストーリーの方はテレビ版と大差なく、違うのは、テレビ版では宇宙ステーションV2救助のため出動するのが宇宙船「しらとり」であるのに対し、井上版では「宇宙用ビートル」である点、テレビ版では陣頭指揮を執るムラマツキャップが井上版ではなぜか地球に残り、テレビ版では出演していないホシノが出動する点くらいだろうか。しかし井上版には、テレビ版では省略(カット?)された、事故が起きる前のV2乗組員たちの描写があり、これがあった方が物語の流れはわかりやすい。

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着目すべきは、科学特捜隊がV2救助に向かう際の宇宙服。テレビ版では割とありがちな銀色の地味なもの(東宝映画からの流用か?)だったが、このコミカライズでは、胸元に流星マークを大きくあしらったカラフルなデザインとなっている(さらに言えば、テレビ版ではQ星到着後から宇宙服着用となるが、井上版のように出発時から着用している方が自然なように思われる)。

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テレビ版と同様、サイゴはイデの新兵器であっさり倒され、一方のキーラは、ウルトラマンのスペシウム光線も八つ裂き光輪も寄せ付けないものの、よくわからない技(「フラッシュアイス」と命名)で粉砕される。ラストのV2乗組員のセリフ「ここは宇宙の別荘ですよ」もテレビ版と同じ。

そして井上作品としての最終話「シーボーズ」だが、これも井上版のみのコミカライズで、テレビシナリオをほぼ忠実に漫画化している。

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冒頭の宇宙パトロールシーンに出てくるのは「サイゴ・キーラ」で登場した「宇宙用ビートル」、そして搭乗しているハヤタ、イデ、アラシが着用している宇宙服も「サイゴ・キーラ」のものである。このあたりはコミカライズならではといった感じ(テレビ版では「シーボーズ」の回は「サイゴ・キーラ」の回より早いためこうはいかない)。また、怪獣墓場を浮遊しているのが、すべて井上版に登場した怪獣であるというのも注目すべき点だろう。やはりこれまで自分が書いてきた怪獣たちに愛着があったということか(その割には画のタッチがかなり違っていたりするのだが…)。

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怪獣供養の最中にシーボーズが地球に落ちてきて、それを科学特捜隊とウルトラマンが宇宙に返そうとするくだりもシナリオどおり。ただ、テレビ版では、シーボーズは最終的に、ウルトラマンの形を模したロケットで宇宙に帰還するのだが、このコミカライズではロケットはシーボーズに壊され、ウルトラマンが自身がシーボーズを宇宙に連れていき、それを科学特捜隊もビートルで見届けるという幕切れになっている。

ラスト1ページ前で大コマを使い、ラストページは上段にナレーション、Uターンし地球に戻るビートルを小さめに描いてしめくくる。かなり渋いエンディング。

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以上で井上版ウルトラマンは終わりである。どこまで意図したのかわからないが、最終話に「シーボーズ」を持ってきたのはうまい選択だったと思う。これからも怪獣との戦いはつづく、しかし、そこには一抹の苦さも残る…という余韻のある幕切れである。ちなみに、「サイゴ・キーラ」「シーボーズ」が掲載されたのが7月号、その翌月の8月号をもって現代コミクスは休刊になるのだが、そこに掲載されたのは「ダダABC」「グビラ」で、これらは井上英沖によるものではない。だが、もしこの2作を井上が書いていたとしても、どちらも最終話にはふさわしくなかったように思われる。

それにしても、「ウルトラマン」のコミカライズは、楳図かずお版(『少年マガジン』連載)にせよ、一峰大二版(『ぼくら』に掲載)にせよ、この井上版にせよ、テレビ版の最終回(ゼットンが登場する「さらばウルトラマン」)を描いていないというのが、何とも物足りなく感じる。楳図版はメフィラス星人回で終わっているし、一峰版はなぜかオリジナル怪獣「ウェットン」が最終回だし、そして井上版は前述のように「シーボーズ」で終わり。やはり、テレビで放送が終わったあともウルトラマンの人気が続いていたことを考えると、きっちりラストエピソードを描くというのは控えた方が…、という空気があったのかも知れない(「ウルトラマン」のテレビ放送は1967年4月9日に終了したが、一峰大二版の『ぼくら』連載は1967年9月号、「現代コミクス」版の発売も前述のように1967年8月号まで続いていた)。

さらに言うなら、「ウルトラマン」という壮大な物語のプロローグにあたる第1話(「ウルトラ作戦第1号」)も、楳図版、一峰版、井上版、いずれも存在しない。唯一、「現代コミクス」増刊において岸本修が描いているが、今回の単行本化は井上英沖執筆分のみなので未収録である。岸本修の筆になる「ウルトラマン」は3本存在し、ベムラー、グリーンモンス、怪彗星ツイフォンと力作ぞろい。これらもいつか陽の目を見てもらいたいものだ(せっかくなので岸本版の「ベムラー」を3点紹介しておく)。

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というわけで、実に51年ぶりに復活した井上英沖による『現代コミクス版ウルトラマン』の紹介も、そろそろしめくくりの時がきた。上巻の方は自分が原本をほとんど保存していたので、内容も細かく覚えていたが、今回紹介した下巻収録の作品は、かつてはすべて原本を持っていたものの、その後処分してしまったものが多く、「ケムラー」「ジャミラ」「スカイドン」「サイゴ・キーラ」「シーボーズ」の5作は、今回の復刻で実に数十年ぶりに再読した。そして、どうして後半の「現代コミクス」だけを処分してしまったのかも何となく理解できた。先程も述べたように、前半の作品と比較して、作者のモチベーションが下がっているのがわかり、それゆえ、あまり愛着を感じられなかったのだろう。今読み返しても、その印象は変わらない。しかし、ビデオはおろか、カセットテープすら家庭に普及していなかったあの時代、テレビでのウルトラマンの活躍やそれぞれのエピソードをしのぶものは、このコミカライズをおいてなかったのである。それを考えると、実に貴重な作品群だと思う。

今回発刊したものを、85歳になる実家の母に見せたところ、「これを見ると、あのころのことを鮮やかに思い出す」と目を輝かせていた。そして、「この画がすごくいい」とも。たしかに、一峰大二の無骨なタッチとも、楳図かずおの不気味なタッチとも違う、光プロ系ともいうべき井上英沖の描線は、まだすべてが大らかだった1960年代中盤のヒーローを描くのに、もっともふさわしかったのではないか。これが「セブン」以降になると、SF色やシリアスムードが強まり、桑田次郎のシャープな描線がマッチするようになるのだが、私などは今でも、あまり深刻にならず、シンプルで明るいウルトラマンの世界観の方が好きだ。そんな初代ウルトラマンワールドを見事に漫画へと昇華した井上英沖の仕事を、是非一度確認してほしい。
posted by taku at 20:41| 特撮 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする