2021年03月15日

ルリ子をめぐる冒険(5)絵物語「緑はるかに」(前)

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前回まで3回にわたり、映画「緑はるかに」の作品レビューをしてきたが、観る前の期待を大きく裏切る、まさに突っ込みどころ満載の作品で、正直、どう受け止めればいいのか困惑してしまった。ライナーノーツによると、井上梅次監督は当時公開されたばかりの「オズの魔法使」にインスパイヤされたらしい。たしかに、「オズの魔法使」も可憐な少女と3人の間抜けなお供が繰り広げる娯楽作品である。しかし、あちらがファンタスティックミュージカルとしての統一性を備えているのに対し、こちらは、冒頭とラストのみミュージカル風、話の序盤(ルリ子が逃げ出すまで)はミステリー風、そこから先は子供向けコメディ風という具合で、どうにも一貫性に乏しい。
「1955年当時の児童映画としては、これでOKだったのだろうか?」などと考えつつネット検索してみると、やはり、同じように感じた人が多かったようで、辛口のレビューが大半を占めている。

「死ぬほど期待してたのにあまりのつまらなさに泣きそうになる。お遊戯会レベル」
「完全にお子様ランチ。実験的カラーと浅丘ルリ子と言う逸材を使いながら、こんな内容かと思うと残念。物語の展開はご都合主義」

中には、
「原作は読売新聞に連載されたというから、脚本の責任が大きいのかもしれない。ストーリーは、リアリズムなどあまり気にしないつくりである…」
https://scienceportal.jst.go.jp/explore/review/20100811_01-2/

というものもあった。たしかに、
「原作は新聞の連載小説なのだから、こんなにハチャメチャなはずはない。すべては脚本の問題であろう」
と考えるのも無理はない。私も同意見である。

そこで、この映画のいくつかの問題点、すなわち、

1)川に落としたオルゴールが何故か古道具屋の店先に(あまりに唐突)
2)ルリ子の両親の生死(死んだはずなのに生きていたという理不尽)
3)オルゴールに研究の秘密を隠した方法(鏡の裏というのは安易すぎる)
4)研究の秘密とは何だったのか(最後まで明らかにされず書類が燃やされる)

以上4点と、それ以外にも、全体に場当たり的と思われるストーリー展開が、原作ではどのようになっているか、確かめてみようと考えた。

しかし、事は思ったほど簡単ではなかった。映画の「緑はるかに」は、DVDになっていたからすぐに手に入ったが、映画化と同じ1955年にポプラ社から刊行された単行本はとうの昔に絶版になっており、Amazon、日本の古本屋などのネットショップ、ヤフオク、公共図書館などで検索してもまったく見つからない。国会図書館での収蔵は確認できたが、これは最終手段である。

次に、新聞連載時のものを縮刷版で読むことを考えたが、なんと、読売新聞はまだこの時代には縮刷版を出していない。マイクロフィルムの状態で保存している図書館まで行って読むしか方法はなさそうだ(収蔵館はかなり限られている)。
しかし、どうにも原作の内容が気になって仕方がないので、緊急事態宣言のさなか、C県立中央図書館とF市総合市民図書館をハシゴして、マイクロフィルムを数回に分けて閲覧、そして最後に国会図書館で単行本を読み返してきた(単行本にはラストなど若干の加筆がある)。

おそらく、「緑はるかに」の映画と原作を対比した記事は他にないと思うので、お時間の許す範囲でお付き合いいただければと思う。

原作は読売新聞夕刊に「少年少女向け絵物語」として1954年4月12日から12月14日まで全210回にわたって連載。作は北條誠(北条誠とも表記)、絵は中原淳一。この2人は、中原が編集長を務めた『ひまわり』の連載小説などですでにコンビを組んでおり、その年代の読者にはおなじみの顔合わせであった。

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『ひまわり』1950年2月号

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長編少女小説「病める薔薇」より。「エス」の香りが漂ってきます。

少々前置きが長くなったが、ではいよいよ本題に。まずは連載開始前日(1955年4月11日)夕刊に載った告知文。

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ながらくご愛読していただいた「バシリカの宝刀」にかわって、明日から新しく、絵物語「緑はるかに」を連さいいたします。作者は、みなさんおなじみの北条誠先生。絵は、美しい少女をえがいて有名な中原淳一先生です。
物語の主人公は、ルリ子というやさしい心と、すがたのなかに、しっかりした性格をもっている少女です。ルリ子のお父さんは科学者でした。お父さんののこされたある鉱物のひみつをさぐろうと、悪者がルリ子を苦しめますが、ルリ子は、けなげにたたかい、こ児の少年真平君も、ルリ子を助けてくれます。そしてひみつは、あれやこれやと、深いなぞにつつまれて行く面白いお話です。題名の「緑はるかに」は、こうした美少女ルリ子の苦難のはてに、ひろびろとつづく希望と、いのりをこめたものです。ではみなさんも、ルリ子といっしょに「緑はるかに」をご期待ください。

わかったようなわからないような紹介文である。ルリ子は「やさしい心と、すがたのなかに、しっかりした性格をもっている少女」で、「ひみつは、あれやこれやと、深いなぞにつつまれて行く面白いお話」だそうだが、日本語としてだいぶ怪しいような…。本当にこれは当時の読売新聞の記者が書いたのだろうか?

まあ、連載が始まる前は細かいことは決まっていないだろうし仕方ないだろう、と思いつつ本文を読み進めてみたのだが、これがまた、映画とどっこいどっこい、いや、その斜め上を行くカオスな展開で、正直何度も腰を抜かしそうになった。
「新聞の連載小説なのだから、ハチャメチャなはずはない」という予想は完全に裏切られたのである。

百聞は一見にしかず。まずは最初の数回をご覧いただこう。絵物語というだけあって、毎回、中原淳一のイラストが3点も入るというゴージャスさ。話の内容はどうあれ、これはファンにはたまらなかっただろう。このころの中原は『それいゆ』『ジュニアそれいゆ』の編集長として多忙を極めていたはずだが、毎回きっちり3点、挿絵を執筆していたのだから恐れいる。ちなみに、単行本にはこの中原淳一のイラストは一切収載されていない。その後ほかの書籍に掲載されたという話も聞かないので、かなりレアなイラスト群だと思う。

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ルリ子の家に田沢が来て父のいる北海道に誘うところまではほぼ映画と同じなのだが、原作では田沢と出かけるのはルリ子だけで、しかも車で奥多摩、ではなく、ちゃんと汽車と青函連絡線を乗り継いで北海道まで行く。また、父と田沢は同じ会社の同僚という設定。なお、映画ではルリ子の苗字は「木村」だったが、原作では「片山」である。

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青森に向かう汽車の中で、田沢の持っていたリンゴを取ろうとして捕まりそうになった浮浪児(チビ真)をルリ子が助け、チビ真は「いつか、きっとお礼するよ」と言って姿を消す(東京の浮浪児であるチビ真がなぜ青森行きの汽車に乗っていたかは永遠の謎)。

映画の田沢は多少ユーモラスな面もあったが、中原の描く田沢はただただ恐ろしげ。不精ひげがまた怪しさを倍加させている。

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ルリ子は病院で衰弱した父と再会。父は「田沢は悪人で研究の秘密を盗もうとしている」とルリ子に告げる。

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父の病状は日を追うごとに悪化、父は田沢の目を盗んでルリ子に小箱(オルゴール)を渡し、「それを持って、にげておくれ」と言い残して息を引き取る(本当に死ぬ)。

しかし、ルリ子は映画のようにスピーディーに逃げ出すことができず、田沢とその一味に監禁され、朝から晩まで責め立てられるのであった。

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「かくさずいえ。いわなきゃ、こうしてやるぞ!」
と、きょうもまた、田沢の子分たちに、ひどいめにあわされて……ぐったり、床(とこ)の上にたおれて、とろとろまどろめば、その夢(ゆめ)の中に
「ルリ子、にげておくれ、早く!」
ああ、お父さまのお声。神さま! ルリ子は、格子(こうし)のはまった窓(まど)にすがって、ぽろっと、涙(なみだ)をこぼしました。

いやあ、映画ではお母様が鞭打たれていましたが、原作では、ルリ子本人が「ひどいめにあわされて……ぐったり」していたんですねえ。当時の新聞小説は思った以上にエグイ。これをこのまま映像化しなかったのは、井上監督の良心か、はたまた日活サイドの自主規制か…。さすがに、何も知らない14歳の新人女優にそんなシーンをあてがうことは憚られたということでしょう(どうせなら鞭打たれ悶絶するルリ子の姿も見てみたかったような気もしますが…)。してみると、原作の方が映画よりも容赦ないということになり、はてさて、これからのルリ子を待ち受ける過酷な運命は??

つづく


posted by taku at 21:34| レトロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする