2021年04月17日

ルリ子をめぐる冒険(7)絵物語「緑はるかに」(後)

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大変お待たせしました。絵物語「緑はるかに」完結編でございます。

前回までのカオスなあらすじ

片山ルリ子は、1年前から北海道に出張している父に会うため、父の会社の同僚・田沢とともに旅立つ。その途中、ルリ子は汽車の中で、チビ真という浮浪児と知り合いになる。北海道に着き、病気で衰弱した父と再会するルリ子。父は、「田沢は悪人で私の研究の秘密を盗もうとしている」とルリ子に告げ、秘密を隠したオルゴールをルリ子に託して息を引き取る。ルリ子は逃げ出す間もなく田沢に監禁され、連日、容赦ない責めを受けるが、東京に戻る途中の汽車の中でチビ真の手助けで逃亡する。だが難を逃れたのもつかの間、父の訃報を知り北海道に向かっていたルリ子の母が、青函連絡船の事故で死亡したという新聞記事が。今やみなし児となったルリ子は、東京郊外の防空壕で、チビ真と仲間の浮浪児・デブとノッポと共同生活を始める。しかし、秘密を隠したオルゴールはくず屋に持ち去られ売られてしまい、また、田沢とその手下の執拗な追跡に、ルリ子と三人組は離ればなれに。
やがてルリ子は縁あってとある資産家の養女となり京都に移り住む。マミ子という少女も養女になり、妹のできたルリ子は明るさを取り戻すが、「あなたの歌」という公開番組に出演して歌を歌ったことから所在が田沢一味に知られ、養母、マミ子ともども淡路島に身を隠す。しかし一時京都に帰った養母は田沢の子分に幽閉され、養母が戻らないため宿泊代の払えないルリ子とマミ子は、宿屋のホールの演芸ショーに出て歌を歌う。その様子を見ていた「スミレ劇団」の上野という男にスカウトされるが、その実態は場末の旅回り一座で、上野はとんでもない悪党だった。ルリ子とマミ子はいつ果てるともない流浪の日々を送ることに……。
一方、チビ真たち三人組も、ルリ子の姿を求めて京都に向かっていたが、そこでルリ子の母とめぐり会う。母は事故を起こした青函連絡船に乗っていなかったのだ。また、行方がわからないと思われていたオルゴールも、母が古道具屋で買い求めていたと判明する。

三人組とルリ子の母は、ルリ子にめぐり会えないまま京都を離れるが、その帰途、汽車の中でオルゴールメーカーの社長・三谷と知り合いになる。三谷は、ルリ子の母が持っていたオルゴールに目をつけ、「これはうちの会社の製品だが、少し音程が狂っている」と気になることを言い、自分の名刺を渡す。

東京に戻った三人組は警察に行き、田沢たちの悪事を告げる。警察は田沢のアジトを捜索、しかし大入道とビッコは捕まったものの、田沢はアジトを放棄して逃走する。

さて、「スミレ劇団」で旅回りを続けるルリ子は、楽団のピアノ弾きのじいさんと仲良くなる。
あの鬼畜な上野も、このピアノじいさんだけには、あまり強く物が言えないのだ。

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ルリ子とマミ子には歌の才能があると見抜き、個人レッスンを施すピアノじいさん。「あなたの歌」での歌唱、淡路島の宿屋のホールでの歌唱、そしてこの個人レッスンと、映画版よりもこの原作の方が、ルリ子が歌を歌う場面が多い。この流れで、最後はルリ子とマミ子がプロの歌手をめざすという展開になるのか? と期待したが、そうはならなかった。

じいさんの名前は田沢春吉。若いころは名の知れたピアニストだった(え、田沢??)。しかし、たった一人の息子が不良になってしまったために世の中が嫌になり、旅の一座暮らしにまで身を落としてしまったという。

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長年の不摂生がたたったか、ピアノじいさんはみるみる病気が悪化して危篤状態に。

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じいさんは「生き別れになっている息子に渡して欲しい」と、財布とメダルをルリ子に託して息を引き取る。じいさんは、下足番のばあさんを丸めこむなど、ルリ子が劇団から逃げ出すための段取りをつけてくれており、そのおかげでルリ子とマミ子はどうにか劇団を脱出、東京に向かう汽車に乗り込む(じいさんの遺体は放置)。

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この車内に、またしてもオルゴールメーカーの社長・三谷の姿が。ルリ子は三谷から、三人組やルリ子の母のことを聞き、マミ子とともに三谷の家に厄介になることに(あまりに都合のよすぎる展開)。

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三谷の家にチビ真が訪ねてきて、ルリ子とチビ真、4ヵ月ぶりの再会。

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お母様とも、感動の再会。

三谷は、一同の前でいきなり名探偵みたいな口調になって、オルゴールの謎を解く。

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「この円筒の針を、誰かがいじったのです。あちこち、ほら、抜けているでしょ。短くしてしまったのもある。どうも、聞いていて、あっちこっち、メロディーやテンポが狂ってると思いましたが、そのせいですよ」

そして、「ブラームスの子守唄」の歌詞を書いた紙の、調子の狂っている音に赤い丸をつけると……
ねむれよあこ なをめぐりて うるわしはなさけば ねむれいまはいとやすけく あしたまどにといくるまで」

ねむのした まど

ルリ子は、北海道での記憶をたどり、父が入院していた病室の窓から、ねむの木が見えたことを思い出す。その木の下に、研究の秘密が埋められているのだ。「これでやっとすべてが明らかになる」と奮い立つ面々。しかし、田沢がその話を家の外で盗み聞きしていた。

田沢は、警察から釈放された大入道とビッコをふたたび仲間に引き入れ、ルリ子たちを追うように北海道へと向かう。ルリ子たちと田沢たちは現場で鉢合わせ、田沢はルリ子とチビ真を人質にして秘密を渡すよう迫る。しかし、ルリ子にはある「確信」があった。

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ルリ子が持っていた財布とメダルから、田沢こそピアノじいさんの息子だったことが判明。最初は否定した田沢だが、じいさんの臨終の様子を語るルリ子の言葉に涙を流し、ついに改悛の情を示す。そしてこれまでの償いにと、すでにかなり雪に埋もれている地面を懸命に堀り、凍傷になりながら、ついにルリ子の父が隠した箱を発見する。中には化学方程式が書かれた1枚の紙が入っていた。

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映画の田沢はただの悪党で終わったが、原作では、罪を悔い改め人間性を回復するまでをじっくり描いたのが印象的。

さて、ついに来ました、映画との最大の相違点。ルリ子の父の研究とは、果たしていかなるものだったのか?

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なんという、すばらしい発明でしょう。お父さまの発明した薬品によると、たった1ガロンで、東京から大阪まで、飛行機がとべるのです。それを畑にまけば、いままでの三倍もよけいに、お米がとれるのです。貧乏な日本にとって、これ以上の発明があるでしょうか……

最初にこれを読んだ時は、「いかにも子供だましだなあ。燃料にもなれば肥料にもなるなんて…」と失笑したのだが、念のためネットで調べてみたところ、最新(2020年)の研究として、海藻やミドリムシからバイオ燃料と肥料を生成したというレポートがあったので、あながち荒唐無稽とは言い切れない(ただ、日本の場合、米は畑ではなく田んぼで作るものが大半だと思うが…)。

そして一同は父の墓参りに行き、
「お父さまはいつも、あのきれいな空から、見ててくださるのね……」
とルリ子が空を見上げ、全員で「緑はるかに」の歌(映画の主題歌のことか?)を歌っておしまい。

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以上は新聞連載のラストで、物語の中盤、大入道に監禁された「京都のおばさま」のことは、きれいさっぱり忘れられている。一時はルリ子とマミ子の母代わりとなっていた人物なのに……。

たぶん、作者本人も新聞の担当者も本当に忘れていたのだろうが、さすがに単行本化の際、これはまずい、と気づいたのだろう。1955年8月刊行のポプラ社版では、父の研究が広く世間に知れ渡ったという説明のあと、しれっと以下のような場面が書き足してある。

そんなある日、また一つすばらしいニュースです。
あの、しんせつな京都のおばさまが、
「新聞でよみました」
といって、はるばる訪ねてきてくださったのです。
「おばさま、生きててくださったのね(おいおい)」
ルリ子がうれし涙にくれれば、
「逢いたかったわ……」
マミちゃんも、おばさまにしがみついて……そして、お母さまは、おばさまの前に手をついて、心からお礼をいうのでした。

まあ、大団円という感じで、こういうのはあった方がいいよね。

さて、原作版を超駆け足で追ってきたが、4つの疑問点はどうなっただろう。

1)川に落としたオルゴールが何故か古道具屋の店先に(あまりに唐突)

原作では、川に落とすという場面がそもそもなく、ルリ子→くず屋→古道具屋A→ある客→古道具屋B→ルリ子の母 というルートでめぐっていった。
一応理解できる範囲の移動ではあるが、逆に物語後半、オルゴールの争奪戦がまったくないのが少々物足りない。

2)ルリ子の両親の生死(死んだはずなのに生きていたという理不尽)

原作では、「父のみ冒頭で死亡、母は一時死亡が伝えられるも誤報で、実際は存命」という結果だった。
これも、理解できる範疇といった感じ。

3)オルゴールに秘密を隠した方法(鏡の裏というのは安易すぎる)

原作では、オルゴールの円筒の針に細工をして部分的に音程を狂わせ、その音で暗号文字を作るという、かなり巧妙な方法で秘密を隠していたことが判明(よくこんな方法を思いついたものだと素直に感心してしまう)。

4)研究の秘密とは何だったのか(最後まで明らかにされず書類が燃やされる)

原作では、「燃料にもなれば肥料にもなる薬品」というかなり画期的なもので、実用化も示唆されていた。

以上である。

なお、それ以外にも原作と映画の相違点は思った以上に多く、映画ではマミ子の母は存命で最後には母子再会を果たすが、原作ではマミ子は孤児という設定なので、母親は登場しない。また原作では田沢がサーカス団を経営していたという描写も一切ない。逆に、原作にあった、ルリ子が公開番組や宿屋のステージで歌うという、それこそミュージカル的な要素が映画ではまったく見られないし、ラストにおける田沢の改心もない。はっきり言うと、両者は(特に後半は)ほとんど別個のストーリーで、むしろ共通点を探すのが難しいくらいである。

時間が進むにつれ、映画のストーリーが原作から離れていったのは、前にも書いたように、原作の連載と映画化が並行して進んでおり、映画の脚本が完成した方が、連載の完結よりも早かったためであろう(したがって、原作の途中までしか参照できなかったということ)。荒唐無稽の度合いという点では、どちらも甲乙つけがたいところだが、ルリ子と三人組が力を合わせて悪に立ち向かう、ジュブナイル的な要素は、映画の方が明確だったと思うし、その一方、ドラマとしての収め方は、原作の方が納得のいくものだったように感じる。

いやはや、今年の初めに映画版を観た時には、まさかこんなに長い時間、この作品と関わるとは思わなかった。しかし、どんなものでも関わる時間の長さに比例して愛着が涌くもので、もはや「緑はるかに」に関しては、あまり突き放して語ることができなくなってしまった。ことにこの新聞連載の絵物語は、物語の展開はさておき、毎回の中原淳一の挿絵がとても魅力的で、これをながめているだけで何ともしあわせな気持ちになってくる。当時の読者の多くも、毎日この挿絵を楽しみにしていたのではないだろうか。
前々回にも書いたが、当時の中原は『それいゆ』『ジュニアそれいゆ』の編集兼発行人として多忙を極めていたのに、これだけクオリティの高い挿絵を毎日3点、アシスタントも使わず仕上げていたのだから頭が下がる。しかも大変残念なことに、これらの挿絵は、1955年のポプラ社版単行本にも収載されておらず、その後、印刷物として世に出た形跡もなく、ほぼ幻のイラスト群となっている。幸い、原画は残っているらしいから(2009年、茨城県天心記念五浦美術館で開催の「大正ロマン 昭和モダン 大衆芸術の時代展 〜竹久夢二から中原淳一まで」で展示されたとの情報あり)、ぜひ、いずれかの機会にオリジナルの画質で世に出していただきたいと思う(今回紹介した画像は、それなりに修正を加えてはいるが、何しろ元が70年近く前の新聞で紙も印刷状態も悪く、細部がかなりつぶれており、オリジナルの繊細なタッチを伝えられないのが大変残念である)。

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さて、映画版と原作版の両方のストーリーを把握した上で、次回は今一度映画版に目を向け、中原淳一描くところの絵物語キャラクターだった2次元ルリ子が、いかにして浅丘ルリ子演じる3次元ルリ子に進化を遂げたのかを見ていくことにしたい。
posted by taku at 20:10| レトロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする