2019年10月11日

タイガーマスク放送開始50年(2)

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原作の「タイガーマスク」には、初めて「虎の穴」の魔神像と支配者の姿が描かれた8月号の巻頭をはじめ、単行本に収録されていないページがいろいろある、それはなぜか?

――というところまで前回書いたので、今回はそのつづきを。

今一度確認すると、

『ぼくら』1969年8月号の巻頭13ページ
  同  1969年9月号の中間12ページ
  同  1969年10月号(最終号)の後半1ページ

の計26ページが単行本未収録となっている(『ぼくらマガジン』については後述の予定)。

ではその理由だが、これは割合に単純な、物理的問題であると思われる。

当時の漫画の単行本は約200ページで1巻というのが一般的で、KCコミックスにおける「タイガーマスク」も、1〜4巻までそのページ数であった。「タイガー」は連載開始当初より1回50ページだったので、計算も簡単である。すなわち、

第1巻 1968年1〜4月号連載分(悪役として日本に登場→ブラック・バイソン戦→正義派に転向)
第2巻 1968年5〜8月号連載分(ゴリラマン戦、覆面ワールドリーグ戦参戦)
第3巻 1968年9〜12月号連載分(覆面ワールドリーグ戦優勝)
第4巻 1969年1〜4月号連載分(ウルトラ・タイガー・ドロップ完成、スター・アポロン戦、アジア王座決定戦出発)

という流れで、4ヶ月分を1冊にまとめる形が常態化していた。おおよそひとつのストーリーが決着するところで1冊が終わるという感じで、単行本としてとても読みやすくまとめられていたと思う。ところがここにきて、『ぼくら』が10月号で休刊となる。同誌一番の人気作で、アニメもスタートすることになった「タイガー」の連載は、後続誌の『ぼくらマガジン』に引き継がれることは規定路線であったが、一応『ぼくら』10月号で物語は「第1部完結」という形を取っており、そうなると単行本も、ここまででひとつの区切りとしなくては収まりが悪い。ということで、これまでは4ヶ月分で1冊だったものを、5巻だけ、5〜10月の6ヶ月分(アジア王座決定戦参戦→優勝、赤き死の仮面戦)を1冊に収めるというかなり強引な編集を行うことになったのである。すべてを収録すると単純計算で300ページ。実際には各号の表紙や前回ラストとのだぶり、半ページの広告や告知等があるので、それらを抜けば20ページぐらいは減らせるが、それでもまだ280ページ近くある。そこで、せめてあと30ページ程度は減らさなければ、と、編集サイドがあれこれ知恵をしぼった結果が先ほどの26ページのカット、ということではなかったか。

8月号の未収録部分は前回ご紹介したように、「虎の穴」の本部の場面。これはたしかにインパクトも強く、ファンとしては是非とも何度も読み返したい部分だが、クールな目で作品を概観してみると、物語の進行には何ら寄与していない。すなわち、この部分がなくてもストーリーの展開上、まったく不都合はないのである。雑誌連載においては、赤き死の仮面の召還の手紙うんぬんは次の号への強烈な「引き」になるが、単行本ではその効果はない。むしろ、前振りなしでいきなりプロレス会場に「赤い悪魔」が現れた方が衝撃度が大きい。これは、当時としてはまっとうな決断だったと思う(しかし、私などは「虎の穴」の支配者がかなりのお気に入りキャラなので、かえすがえすこの未収録は残念に思う)。

では、もうひとつの大幅カットというべき、9月号の中間12ページには、一体何が描かれていたのか。やはり、物語の進行には直接関わっていないゆえに削られたと思われるが、これこそが前回の「虎の穴」魔神像と支配者の初登場、にまさるともおとらない、特筆すべきシーンなのである。

20191011_01.jpg 『ぼくら』1969年9月号


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「虎の穴」の最終兵器ともいうべき赤き死の仮面の挑戦を受けたタイガー(=伊達直人)。しかし必殺技なしで勝てる自信はなく、死をも覚悟する。ここら辺は原作もアニメも同じだが、単行本化された原作では、タイガーは割とあっさりと状況を受け入れるのに対し、アニメにおけるタイガーはかなりの時間、「生か死か」の葛藤を繰り返す(実際、1970年7月16日放送の42話「明日なき虎」はほぼ全編がそれに費やされる)。
そしてこの42話の後半に出てくる「海水浴のシーン」は、アニメオリジナルとして評価が高く、それゆえ「アニメは原作より人間ドラマとして優れている」などと喧伝される原因にもなっているのだが、私は原作の名誉のために、この場を借りて声を大にして言いたい。
「あの場面は、原作にもちゃんとあったのだ!」と。

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直人は、ひとときの心の安らぎを求めて「ちびっこハウス」に車を走らせる。ちびっこたちは水着姿で直人を迎える。今日はハウスのプール開きの日だったのだ(このプールは1年前に直人の資金提供で作られたもの。原作のみの設定でアニメには登場しない)。

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ちびっこたちは直人に一緒に水に入ろうと誘うが、直人は「プロレスできたえたごっついきんにくやすごいきずあとがばれ」るのを恐れ、泳げないと言い逃れる。そんな直人を水に突き落とすちびっこ集団。一方、ルリ子は赤系のビキニを着て現われ、ナイスなプロポーションと華麗な泳ぎを披露する。健太をのぞくちびっこたちも水遊びに興じる。

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ちびっこたちがはしゃぐ姿を一人見つめる直人。
「力およばなかったそのときは……死のう! リングで…… このみんなのよろこぶすがたをまぶたにやきつけて まんぞくして……わらって死のう」
そしてそんな直人の心中を推し量り、ルリ子もまた、
「なぜ すべてをうちあけてルリ子にも…… ルリ子にも いっしょになかせてくれないの……?」
と涙をこぼす。

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一方、こちらはアニメ版。直人、ルリ子と海にやってきたハウスの面々。はしゃぐちびっこたち(健太をのぞく)。

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「泳げない」と言う直人だが、ちびっこたちにかつぎ上げられ、

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海に落とされてしまう。

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直人を気にするルリ子に、チャッピーが「泳ぎましょうよ」と誘い、

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ルリ子はパーカーを脱いでオレンジ色のビキニを披露。

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思わず「素敵!」と声を上げるチャッピー。同感です。

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インドア派に思われたルリ子だが、意外にもアスリート体形で腹筋も凛々しい。

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すいすい海を泳ぐルリ子。ちびっこたちにビーチボールを投げかえしたりもする。

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一方の直人は砂浜で物思いにふける。
「あの子たちの笑顔を、ひとりひとりの笑顔を、(まぶたに)焼きつけておくのだ」といった心の声もほぼ原作どおり。

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水辺からその様子を見つめるルリ子。

いかがだろう。海とプールの違いはあるものの、ほとんど原作と同じではないか。
「あの海水浴はアニメだけの名シーンで、原作には存在しない」
などと吹聴していた方々には、ぜひ認識を改めていただきたいものである(まあ、単行本に収載されていれば、こういう誤認も起きなかったのだが…)。

ただし、アニメの方はこの後にまだ続きがある。

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なんと、ルリ子はおもむろに海から上がると、

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濡れた水着のままで直人に抱きつき、「赤き死の仮面との戦いはやめて」と、体を張った懇願までしてしまうのだ。

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直人ならずともびっくりの超展開である。何故なら、この時点ではまだ「直人=タイガー」だというのはルリ子の思い込みに過ぎず、決定的な証拠を彼女は何ひとつつかんでいないからだ。そんな不確かな状況でここまでやるというのは唐突すぎる。何より、ほかのちびっこも大勢いる海水浴場で、保護者的立場のルリ子が、このような常軌を逸した行動を取るとは到底考えられない。原作のように、離れた場所で涙を流す方がはるかに自然である。

ちなみにこれから約1年後、アニメ最終回間際の102話「『虎の穴』の真相」(1971年9月9日放送)において、直人はついにルリ子の前でマスクを脱ぎ、それを見たルリ子は感極まって「直人さん!」と、その胸に飛び込む(ちなみに場所は直人の宿泊するクラウンホテルの一室であった)。この場面においては、状況的にも心情的にも、ルリ子がそうすることはとても自然であり、何ら唐突さはない。しかも、互いの愛情は揺らぎがないにも関わらず、決して結ばれることが許されないという切なさもあり、アニメ版「タイガーマスク」の中でも屈指の名シーンに仕上がっている。この抱擁シーンを際立たせる意味でも、海岸での抱きつきは自重して欲しかったところである。

……と書いてみたものの、改めてアニメ42話「明日なき虎」を見返してみると、これはこれでなかなか素晴らしい。何が素晴らしいかと言って、作画がいい。「タイガー」といえば作画監督では真っ先に小松原一男が思い浮かぶが、この回を担当した森利夫も、正確なデッサンと丁寧な作画が好印象である。

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ふだん筋骨隆々のレスラーの裸ばかり描いているアニメーターにしてみたら、こういう女性の柔らかい体のラインを描くのはかなり新鮮だったのではないだろうか。森利夫は何かのインタビューで「僕は絵を描いてることが楽しいんです」と語っているが、この一連のルリ子の水着も、きっと楽しみながら描いていたのだろう(そういう絵はこちらも見ていて楽しい)。

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それにしても、改めてながめてみると、幼稚園児や小学生が見るアニメで、ここまでやっていいのだろうか、と少々心配になるアダルトな雰囲気である。辻なおきの丸っこい描線とは違うリアルなタッチのせいか、ルリ子の水着姿からは、明らかに女の色香が漂っている。

せっかくなので、ルリ子の抱きつきアクションをコマ送りで。

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徐々に目を閉じていくところが実に悩ましい。
真夏の太陽の下、いきなりこんな風に迫られたら、この時代なら間違いなく鼻血ブーとなりそうだが…

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そこは子ども番組の限界というべきか、直人は「やめてください」とだけ言ってルリ子から体を離すと、何もなかったかのようにその場から立ち去る。完全に置いてけぼりのルリ子が何とも悲しい。

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それでいて、帰りの車の中で直人の頭に浮かぶのは、ルリ子の水着姿ばかり(これじゃ事故るぞ)。

当時、このアニメを見ていたちびっこたちは、ルリ子ねえちゃんの水着姿での「ご乱行」をどう受け止めたのだろう。いささか気になるところだが、実際のところ、ほとんど関心は持たれなかったのかも知れない。私も、リアルタイムでこの回を見ていたはずだが、あまり印象には残らず、「何か2人で深刻な話をしていたな」と思った程度であった。まあ子どもたちの多くはプロレスのシーン目当てで番組を見ているわけで、それ以外の場面は割とどうでもいいのである(これが思春期以降であれば話は違うのだろうが)。

いつの間にか原作から離れ、アニメの、というかルリ子の水着ネタになってしまった。何しろルリ子さんの水着回は、後にも先にもこれだけなので……。
しかし、こうして原作とアニメのワンシーンを見比べてみると、アニメの方が人気のある理由がなんとなくわかるような気もする。原作はすべてにおいて実に牧歌的というか、どこまでも児童漫画であろうとしているのに対し、アニメは意識的にリアルなタッチを採用し、もう少し上の年齢層にまでアピールを試みている、というか。これは、購読層がかなり限定されている「雑誌」というメディアと、誰が見るかわからない「テレビ」というメディアの違いも影響しているのかも知れない。

では今回はこの辺で(気が向いたら続きを書きます)。

【おまけ情報】

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今回紹介した未収録ページは『ぼくら』1969年9月号に掲載されたものだが、同じ9月号には「100億の怪物」という16ページの読み切り漫画が掲載されている。作者は新人の「野口まさる」、後年の野口竜である。戦隊シリーズ、宇宙刑事シリーズなどで知られる野口竜のキャラクターデザインの原型が垣間見られるという点で貴重な作品だと思うが、ほかにも注目に値する理由がある。

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流星群が地球に接近し、それとともにおびただしい数の怪物が出現。実はそれらの怪物は、流星群の発した高周波の影響により人間が変身した姿で、それにより人類がパニックを起こすという、原作版「デビルマン」におけるデーモン無差別合体のようなストーリー。

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「あなたのとなりの人にきをつけましょう、怪物はすぐそばにいます」というアナウンサーの警告も「デビルマン」におけるテレビ出演時の飛鳥了の発言とダブる。

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主人公の勇は怪物化する家族の元を離れ、車で叔父のところに向かうが、途中で怪物に襲われ、同時に体に異変を覚える。

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怪物の出現とともに、怪物にはならずに超能力者(ミュータント)となる者も地球に生まれ出ていた(勇もそのひとり)。だが、普通の人間はすべて死に絶える。そして次世代の地球の覇権を競う「最終戦争」が、怪物族と超能力者族との間で繰り広げられる展開を予感させて作品は終わる。
このあたりの設定も、人類が死に絶え、デーモン軍団とデビルマン軍団が「最終戦争」に突入する「デビルマン」後半の展開と共通するものを感じる(描かれたのはこちらの方が3年以上早い)。なおこの当時、永井豪は『ぼくら』に「アラ〜くん」を連載中だったから、この「100億の怪物」を読んだ可能性はかなり高い。ここから、何かしらインスパイアされるものがあったのでは…と考えるのは飛躍のしすぎだろうか(なお、永井豪と野口竜は、デビュー前の同じ時期、石ノ森章太郎のアシスタントをしていたとのこと)。
posted by taku at 12:32| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月02日

タイガーマスク放送開始50年(1)

お久しぶりです。いつの間にやら10月ですが、すっかりブログの更新を怠っておりました。
さて、久々に、漫画・アニメネタをば。

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今回取り上げるのは、言わずと知れたプロレスアニメの最高峰「タイガーマスク」。

つい先月、NHKの某朝ドラに「キックジャガー」なる劇中アニメが登場し、その元ネタとしてスポットが当たったのは記憶に新しいところだし、東日本大震災の少し前(2010年の暮れ)には、伊達直人を名乗る人物が孤児院にランドセルを寄付し、それが一連のタイガーマスク運動につながったりと、時を超え、人びとの心に強い印象を残している作品だ(あらすじくらいはほとんどの方がご存知だと思うので、ここでは省略)。

折りしも今年は、放送開始50年。あと数時間で、第1回放送の10月2日19時を迎える。

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『ぼくら』1969年10月号

ますます快調 タイガー=マスク

「タイガー=マスク」は、毎週カラーで三十分。いま、東映動画で快調に進行中だ。
プロレスまんがは、テレビでは、はじめてなので、スタッフは、じっさいの試合をみて、うごきやわざの研究をして、製作に一生けんめい。
三十分のテレビまんがをつくるのには、やく二か月もかかる。そして、百五十人いじょうの人が、はたらいている。ふつうのテレビ映画にくらべると、十倍ちかくも、てまがかかる。


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このアニメの「タイガーマスク」は、その前年(1968年)に『ぼくら』誌上で連載が始まった漫画(原作:梶原一騎 画:辻なおき)をベースにしているのだが、現在のところ、アニメ版の方が人気が高いようで、ネットで「タイガーマスク」で画像検索すると、上位に表示されるのはアニメの画像ばかり。原作漫画は、かなりあとの方で、最終回の数ページ(伊達直人がダンプにはねられる例の場面)が上がってくる程度。「タイガー」を語るサイトやブログを読み進めても、そのほとんどは主にアニメについて言及しており、苦節21年 梶原一騎原作漫画全145タイトル完全読破しました!というサイトでさえ、

「現在『タイガーマスク』といって思い出すのはアニメや佐山等の実物タイガーの姿であって漫画のタイガーを思い浮かべる方が稀なような気がする。それくらい人々の心に残るアニメ『タイガー』はやはり不朽の名作といえよう」

と、アニメに軍配を上げている。世間一般の認識はそんなところなのだろうか。

どうして原作漫画の人気が今ひとつなのか、いろいろ考えてみたのだが、ネットなどの反応から察するに、理由はおおよそ以下の4点に集約できるようだ。

(1)辻なおきの画のタッチ(古い)
(2)ミラクル3の正体にがっかり(3人ひと役というトホホな種明かし)
(3)盛り下がる最終回にがっかり(いきなりダンプに轢かれて死亡)
(4)タイガー(伊達直人)を支える脇キャラがいない(大岩鉄平は論外)

まあ、いちいちごもっともである。これを裏返すと、アニメの優れた点ということになろうか。すなわち、

(1)ラフでありつつシャープな描線
(2)圧倒的に強いラスボス・ミラクル3(=タイガー・ザ・グレート)
(3)覆面をはがされながら、最強の敵を撃ち倒す最終回の比類なきカタルシス
(4)嵐虎之介、大門大吾、高岡拳太郎といった魅力的な脇キャラ

ただ、(1)に関していえば、当初は原作に近い絵柄にするつもりだったようだ。辻なおきのタッチを生かしたパイロットフィルムが存在しているのが証拠である(ライオンマンをウルトラ・タイガー・ドロップで仕留める場面があるので、1969年春以降に作られたものと思われる)。



まあ、これを見てしまうと、タッチを劇画調に変えて正解だったように思える。ただ、この翌年に放送された、やはり辻なおきによる「ばくはつ五郎」は原作のタッチのままだったから、いちがいに「古い」とは言えないような気もするが…。(2)から(4)については、私にも異論はない。大岩鉄平と高岡拳太郎では雲泥の差である。

たしかに、アニメの「タイガー」が歴史に残る秀作であることは間違いないだろう。だが、リアルタイムで原作漫画、アニメの双方に触れてきた1963年生まれの私にとって、やはり「タイガー」といえばまずは漫画のタイガーである。アニメも、現実のタイガーも、タイガーマスク運動も、この原作なくしては決してこの世に生まれることはなかった。オリジンは偉大である。

というわけで今回は、アニメ放送開始50年を謳いつつ、ほぼ原作漫画のタイガーについて、あまり知られていない、あるいはあまり言及されていない事象を、いくつか紹介していきたいと思う。

まずは時系列を確認していこう。

原作漫画連載期間:1968年1月号〜1969年10月号(『ぼくら』)
1970年1号〜1971年23号(『週刊ぼくらマガジン』)
1971年26号〜53号(『週刊少年マガジン』)

アニメ放映期間:1969年10月2日〜1971年9月30日

という感じで、原作は掲載誌を2回変えつつ3年、アニメは2年続いた。原作開始から約1年9ヶ月後にアニメが始まり、2年経ってアニメが終わり、その3ヶ月後に原作も終わったという流れである。その間、時代は60年代から70年代へと進み、アポロが月に行ったり、万博が開かれたり、三島由紀夫が割腹したり、公害が社会問題化したりした。そして私は、原作の連載開始時にはまだ幼稚園に上がる手前であったが、終了時には小学2年生の秋を迎えていた。年齢でいうと5歳から8歳、幼いながらかなり多感な時期であり、それだけに、そのころの記憶は今なお鮮明だ。

1967年10月、「ウルトラセブン」と「ジャイアントロボ」の放送が始まった。当然、両方を毎週見ていたが、やはり「ウルトラマン」の系統である「ウルトラセブン」への思い入れが強く、放送開始とともに、セブンのグラビアや漫画が掲載されている『ぼくら』を購読するようになる。

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これが、初めて手にした1967年10月号。セブンをミクラスとエレキングが挟む印象的なビジュアルである。なお、当時の月刊誌は1ヶ月前倒しなので、実際には9月の頭に発売。したがって、上に「放送開始とともに」と書いたのは正確ではなく、実際には放送が始まる1ヶ月前に、すでにニューヒーローの雄姿を目にしていたことになる。

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ちなみに漫画は「ウルトラマン」から継続して一峰大二が担当。第1回は、放送第2話「緑の恐怖」をベースにしたもので、この回だけセブンの目がグラサン仕様になっている(単行本収載時に修正)。

そしてその3ヶ月後、『ぼくら』1968年1月号(1967年12月発売)において、「タイガーマスク」の連載が始まるのだが、せっかくなので、その前の1967年12月号における予告を見ておこう。

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すでにマニアの間では周知の事実だが、デザインがまったく違う。しかしこれは漫画の新連載などではありがちのことで、ご愛嬌というべきか。

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ここで目を引くのは、同じ新連載作品の中に「豹マン」(桑田次郎)があること。ひとつの雑誌で、ネコ科ヒーローの漫画がふたつ同時にスタートしたというわけだ。しかも、ネコ科の顔に人間の体にマントと、ビジュアル的にかなりかぶっている。大変興味深い事象であるのだが、これについては長くなりそうなので稿を改めたい。

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さて、この12月号には、辻なおきがこれまで描いていた「ばくはつ大将」の最終回が掲載されている(先ほど出た「ばくはつ五郎」はこれをアニメ化したもの)。

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表紙を見てわかるとおり、メインキャラクターが、まんま伊達直人、若月ルリ子、若月先生である。これには当事のちびっ子も苦笑い、と言いたいところだが、当時『ぼくら』を読んでいたはずなのに、この「ばくはつ大将」については見事に記憶から抜け落ちており、今回、これを書くに当たって『ぼくら』をあらためて紐解くまで、その類似にまったく気がつかなかった(当時の自分にとって、学園青春ドラマはまったく興味の対象でなかったのだろう)。

そしてもうひとつ特筆すべきはこの最終回のラストである。

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主人公の五郎は海外留学することになり、かなりの期間日本を離れるのだが、送別会の席上、ヒロインのミッチイは「日本にかえるのはずいぶんあとね。そのころは、大将はずいぶんりっぱに……」とつぶやき、五郎も同時に「ミッチイもいいおじょうさん、いやもうこどものあるおかあさんになっているかな」と応じ、お互いの将来に思いを馳せる。

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そしてミッチイは「わたしまってるわ。大将……、あなたがかえってくるまでわたし、きっときっといつまでも」と心の中で語りかけ、窓際で人知れず涙をこぼす。そして最後は、五郎を乗せた飛行機が羽田空港から飛び立っていくシーンで終わる。

どこか似ていないだろうか。そう、直人が「おれが帰ってくるころは……」と未来を見やり、ルリ子が「早く帰ってきて……」と思いの丈を密かにささやく、アニメ版のラストに限りなく近いシチュエーションなのである。辻なおきの描いた漫画の「タイガー」は、アニメとはまったく異なる終わり方だったが、こんなところでアニメとの一致点を見つけようとは。まあ、こういうのはまったくの偶然だと思うが、五郎と直人、ミッチイとルリ子がほぼ同じ顔だけに、何とも感慨深いものがある。

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なかなか本題に進まないが、これが連載開始時の『ぼくら』1月号。

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記念すべき第1回の表紙。マスクは予告よりは整ったが、まだ完成形とはほど遠い。

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ほぼ同じ体裁の後期表紙と比べるとデザインの変遷がよくわかる(『ぼくらマガジン』1971年19号)。

連載開始から1回50ページのボリュームだったが、ゴリラマンが登場する5月号までは表紙のみオールカラーであとは1色、それがゴリラマン戦の6月号からオールカラー&2色カラーの50ページとなり、『ぼくら』の休刊までこのスタイルがつづく。1色ページに戻ったことは1度もなく、「タイガー」が同誌のフラッグシップであったことがよくわかる。

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4月号のブラック・パイソン戦(みなしごたちのために「虎の穴」を裏切ったタイガーが、初めて「虎の穴」の殺し屋レスラーと戦い、ルリ子の懇願もあって反則なしで勝利するという劇的な一戦)あたりから急速に物語のボルテージが上がってきたのは誌面から伝わっていたが、リアルタイムの読者としての印象では、「タイガー」人気に本格的に火がついたのは7月号で、ミスターX(当時はX氏)が覆面レスラー8人を率いて羽田空港に現れ、覆面ワールドリーグ戦をぶちあげたあたりではないかと思う。あの怪異のレスラーたちの雄姿に、当時のガキどもは、魂を鷲づかみにされてしまったのだ。

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いつの時代も子ども(特に男児)というのは、未知の怪獣、宇宙人、妖怪といった異形のものを好む。それが一度に大挙して現れたとすれば、もう冷静ではいられない。「コンドールマン」第1話や「超人機メタルダー」第1話における一部マニアの熱狂も、同じ要因によるものであろう(わかる人にはわかる話、多分)。

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私も、この覆面ワールドリーグ戦あたりから「タイガー」にかなりのめり込むのだが、「ウルトラセブン」の放送終了とともに親から『ぼくら』を買ってもらえなくなり、購読は1968年11月号でストップ。11月号といえば、あの「りっぱなしまうま」ことグレート・ゼブラがリーグ戦に参加を表明した、いわば物語前半のクライマックスである。続きが気になってしょうがなかったのだが、当時の『ぼくら』は月刊誌で付録が多く、店頭ではひもで縛って売られており、それゆえ立ち読みもできず、結局、ゼブラの意外な正体を知ったのは、だいぶあとになってからだった。

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今でこそ、グレート・ゼブラの正体といえば「16文キックの馬場先輩」というのは常識で、また、河崎実氏なども、その著書『タイガーマスクに土下座しろ!』で、
「この姿を見て『馬場だ!』と思わない人間がこの世に存在するだろうか……」
と書いているが、正直言って、私は当時、まったくそれに気づかず、漫画の中の観客やタイガー同様、「一体誰なんだろう?」と本気で首をかしげていたものだ(一般の読者なんていうのは案外そんなものじゃないかと思う。まだ鼻たれ小僧だし)。だから単行本でその正体と経緯を知り、尋常でない興奮と感動を覚えたものである。

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原作の梶原一騎。この時まだ32歳だが大変な貫禄。

さて、それからは、たまに遊びに行く従兄弟の家で『ぼくら』を読ませてもらい、断続的ではあるが「タイガー」の軌跡を追いかけていた。グレート・ゼブラの助力もあり、覆面ワールドリーグ戦に優勝したタイガーは、大雪山での猛特訓(1969年1月号)で、必殺技ウルトラ・タイガー・ドロップを編み出し(2月号)、強豪スター・アポロンに勝利(4月号)。日本代表として参加したアジアプロレス王座決定戦(5月号〜)では、必殺技を破られながらも「インドの太陽王」グレート・ズマをギブアップに追い込み見事優勝(7月号)、着々と正統派レスラーへの道を歩んでいた(このあたりは名エピソード揃いなので、まだの方にはぜひ一読をお薦めする)。

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そんな1969年夏、同誌の8月号で「タイガー」がアニメ化されるとの発表がなされた。
「お、ついにアニメになるのか」というときめきもさることながら、この8月号は、いろいろな意味で大変衝撃的であった。

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これまで、言葉ではさんざん出てきて恐怖をあおっておきながら、絵としてはまったく登場してこなかった「虎の穴」(漫画での表記は「とらの穴」)の本部(魔神像)、そして赤い仮面を着けた3人の支配者が初めて描かれ、インパクトに溢れたその雄姿が明らかになったのである。

このタイミングでこれらが描かれたのは、アニメ化と大いに関係があるのではないかと私は想像する。ビジュアルを重視するアニメにおいては、「虎の穴」の象徴たる本部(魔神像)や支配者の姿は不可欠なものであるため、アニメ製作サイドから原作サイドにデザイン作成の要請があり、それに応える形での「お披露目」だったのではないか。

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「タイガー」のアニメは10月2日スタートだから、この漫画が描かれた6月ごろにはアニメの製作もかなり進んでいたはずである。ドラマ中で魔神像と支配者が初めて登場するのは翌年1月1日放送の14話だが、魔神像は番組の第1回オープニングから登場する。したがってこの時期にはおそらく、魔神像のデザインが、原作サイドとアニメ製作サイドとで共有されていたのだろう。

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支配者たちは、「虎の穴」の象徴である魔神像が、裏切り者タイガーマスクのアジア大会優勝に怒り狂っていると、あたかも巫女のように語り、その怒りを静める「いけにえ」として、やはり組織を裏切ったレスラー・ブルーデモンZを、魔神像の口の中にあるリングで処刑する。そしてその流れ出た血で手紙をしたため、タイガーを確実にしとめることができる「二十世紀の吸血鬼」の召還をX氏に命ずる……

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――と、おどろおどろしくも実に魅惑的なオールカラーページが続くのだが、実は、これら一連の場面は、何度か刊行された「タイガーマスク」の単行本に、ただの一度も収録されていないのである。実は「タイガーマスク」についてはほかにも単行本未収録ページがいろいろあるのだが、もっとも不可解なのがこれである。先ほども書いたように、これらは初めて「虎の穴」の魔神像と支配者の姿が描かれた記念すべきページであり、同時に「虎の穴」の残虐さ、秘密結社にありがちな呪術性などが存分に示された場面でもあるというのに、現在は一切読むことがかなわないのだ。描写のグロさが問題視されたのか? と考えることもできそうだが、「タイガーマスク」という作品にはもっとグロいシーンがいくらもあり、それが理由とも思えない。これがあればこそ、この後、召還された赤き死の仮面がタイガーに敗れ、同じように魔神像の口の中で処刑されるシーン(KCコミックスの第6巻)が生きてくるのに……。

どうしてこのような事態になったのだろうか。私なりに考察してみたのだが、かなり長くなったので今回はこの辺で。原作の「タイガーマスク」にアニメほどの支持者がいないのは重々承知しているが、せっかくの機会なので、単行本未収録ネタを中心にもう少し続けてみるつもりである。

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ちなみに前述のブルーデモンZ、わずか3ページの出番で、当然タイガーとの対戦場面なども一切ないのだが、なんと、「原作版」という触れ込みでソフビ化されている。それなりに人気キャラなのか?

※以前「パーマン」関連の記事を書いた時にもあったことなのですが、このブログから画像を持ち出して、ツイッター等で、さも自分が持っていた画像のように公開するのはなるべくご遠慮ください。もともとの著作権は漫画の作者にあり、私は著作権者ではありませんが、それなりの時間と手間を費やして原典の収集に当たっておりますので、ご配慮をいただければ幸いです。ここに記載された画像についての情報を拡散したい場合には、画像の持ち出しではなく、このブログのページそのものをリンクする形でお願いできればと思います。
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2018年01月18日

パーマン原典購読(1)

年も改まってかなり経ったが、もう少し「パーマン」ネタを続けてみたい。

「大全集」の目次ページにも断り書きがあるように、F先生は単行本化の際、元の原稿に加筆修正を施すことが多かったようだ(手塚大先生の影響だろうか)。これは「パーマン」も例外ではなく、『少年サンデー』での連載第1話「パーマン誕生」や「はじめましてパー子です」、名作「パーマンはつらいよ」、ハードな展開の前後編「鉄の棺桶%ヒ破せよ」、そして最終回「スーパー星への道」などにもかなり手が加えられている。「大全集」も、一昨年出た「てんとう虫コミックス」新装版も、70年代に単行本化されたものを底本にしているということなので、雑誌に掲載された時の「完全なオリジナル」を目にすることは、もはや今日では難しいということになる。
そこで今回から2回にわたって「パーマン原典購読」と題して、『少年サンデー』掲載時のオリジナルと現行の単行本とを比較し、どういう風に加筆や修正が行われたのかを検証していきたい。

通常、こういう比較は、before、afterの順で行うことが多いと思うが、今回は、現在流通しているものが最初はこうだった、という流れでご覧いただきたいので、after、beforeの順で画像を紹介していくことにする。

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第1話「パーマン誕生」。『少年サンデー』1967年2号掲載時は14ページだが、単行本では18ページ。4ページも増えている。この見慣れた扉も加筆されたもので、

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オリジナルの扉はこちら(「大全集」1巻の表紙で使用)。

はじめの4ページはオリジナルのままで、特に変更箇所はない。しかし、『サンデー』ではキャラクター表記が「ミツ夫」「ミチ子」「カバオ」となっており、現行の「みつ夫」「みち子」「カバ夫」と微妙に異なっている。

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加筆修正が始まるのは5ページ、みつ夫とスーパーマンとの出会いの場面から。

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こちらがオリジナル。間違い探しの要領で見比べてみてほしい。

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右のスーパーマンはオリジナルだが、みつ夫と風景は加筆されたもの。

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オリジナルと比較すると、みつ夫の表情や等身の違いがよくわかる。

これら一連の加筆は、1970年の「虫コミックス」(虫プロ商事)ではなく、1976年の「ホーム・コミックス」(汐文社)の刊行時に行われたものと推測される(「大全集」1巻巻末には、虫コミックス版だけの第1話オープニングシーンが掲載されているが、それを見る限り、みつ夫の顔にそれほど大きな違いは見られないので)。

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このコマなどは、人物は元原稿のままだが、それを切り貼りして縦長にし、画面に広がりを持たせている(このパターンが結構あることに驚く)。

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元はこんな感じ。

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やたらと有名なスーパーマンの自己紹介シーンも、

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オリジナルはこんなに控えめ。

スーパーマンはともかく、みつ夫の顔は違和感ありまくりで、オリジナルで描かれたものと明らかに雰囲気が違う。

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みつ夫(1967年)

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みつ夫(1976年)

顔全体における目の面積が小さくなり、目と目の間隔も広くなったため、コミカルさが薄れ、かなり大人っぽい顔立ちになっている(こうした加筆修正は、いきなり作品の世界観が変わってしまうような気がして、あまり好みではないのだが、それについてはあらためて述べたい)。

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2段ブチ抜きのスーパー星の紹介も加筆によるもので、

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元は実にシンプル。

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微妙な言葉の変更についてはご覧のとおり。

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この件についてはこちらでさんざん書いたので今回はスルー。

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パーマンの超能力を紹介するシークエンスは、現行のものは1.75ページを使っているが、

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オリジナルでは1ページ。比較してみると、元原稿を活かしつつ、大ゴマを使ってダイナミックに表現しているのがわかる。単行本にすると紙面が雑誌よりかなり小さくなってしまうので、そうした点も考慮したのだろうか。

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また、コピーロボットの説明シーンは、現行のものにはロボットがみつ夫の顔になる過程が2段目に描きこまれているが、

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オリジナルにはそうした描写はない。また、「この脳細胞破壊銃でほんとのパーにしてやる」の元コマがかなり狭かったこともわかる。


さて、みつ夫の加筆部分については、顔を見れば容易に判断できるが、これがパーマンになると、マスクをかぶっているため、見分けるのがいささか難しい。しかし、実は顔以外にも見分ける大きなポイントがある。それは、60年代の「オバQ」「パーマン」が「4本指」で描かれているのに対し、70年代以降の「ドラえもん」「新オバQ」は「5本指」で描かれているということ。

アニメや漫画における「4本指」は、歴史的にはディズニーが発祥で、それが手塚大先生を経て藤子不二雄両先生に引き継がれたということらしいが、70年代以降は写実主義の時代に入ったからかあまり見ることはなくなる(アニメの「パーマン」も、60年代の旧作は4本指だが、80年代の新作は5本指である)。ここで紹介している加筆修正は70年代に行われたものなので、5本指になっているものが多い。

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加筆された1、2、3コマ目の人物の指はしっかり5本。

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オリジナルはあくまでシンプル。指は4本。

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2段目右のパーマンとみち子のツーショットは加筆コマだが、注意しないとわからない。

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こちらがオリジナル。コマの配置も微妙に変わっている。

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よくよく見ると、みち子の前髪の数が違う。加筆は3つだが、

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オリジナルは2つ。

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パーマン初の人命救助に出動。加筆なので指は5本。

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オリジナルは指4本。

飛行機を墜落から救う場面も、先ほどの超能力の紹介と同様、コマを大きめにして迫力を増加させているが、それほど大きな修正はないのでここでは省略。

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そしてこれ。ヒーロー物の第1回にふさわしい決意表明のシーン。
「なったからにはがんばらなくっちゃな。ぼくにできるはんいで」
などというセリフは実にF先生チックなのだが、実はこれもすべて加筆。

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オリジナルでは、飛行機を救ったすぐあとに、「さて、そろそろ家へ帰るか」となっており、あくまで日常ベースの物語という感じ。また、みち子のセリフが「子どものスーパーマンが…」になっている。

という感じで、第1回は終了。いやあ、これは思ったより時間と手間がかかる! 本当は「はじめましてパー子です」も手をつけたかったが、とても時間が足りない。しかもこれだけ労力を使っても、「パーマン」に興味のない人には、あんまり面白くないような気もするし…。今後どうするか、ちょっと考えます。
posted by taku at 18:12| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月11日

F先生まぼろしのサイン

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前回のブログに、

当時生田に住んでいた私にとって、藤子不二雄先生というのはご近所の大先生であり、小学3年の時、友人とご自宅までサインをもらいに行ったこともあります。

と書いたので、忘れないうちにその時のことを記しておこう。しかし、このことについて書くのは、正直いささか気が重い。それは、最後まで読んでいただければおわかりだと思う。

あれは小学3年の、秋だったか春先だったか、あまり暑くも寒くもないころだったと記憶している。休み時間に何人かの級友とマンガの話をしていた時、Aくんが、
「うちの近所には藤子不二雄が住んでるんだ」
と言うので、
「それじゃあ、サインをもらいに行こう」
という話になり、やはり近所のBくんも誘って、3人で学校の帰り、F先生のご自宅にうかがったことがある。

「生田に藤子不二雄が住んでいる」ということはすでに知っていたが、歩いていける距離だというのは正直意外だった。もっとも、この時期はすでに生田スタジオで「仮面ライダー」の撮影を見学したこともあったので、「マスコミで有名な存在が、手をのばせば届くところにある(いる)」ということには大して感動も驚きもなかった(今考えると、生活圏内に「仮面ライダー」と藤子不二雄両先生がいたというのはかなりすごいことだと思うのだが)。

小学校から歩いて10分もかからない静かな住宅街に、F先生のお宅はひっそりと建っていた。門柱には「藤本弘」「藤子不二雄」というふたつの表札が掲げてあったと思う。当時は新築して間もないころだったはずだが、とりたてて華美な印象はなく、子ども心にも、
「え、これがあの藤子不二雄先生の家なのか? ずいぶん普通だなあ」
と、ちょっと肩透かしを喰った気分だった。あれだけ想像力豊かなマンガを描く人だから、家ももっと非日常的な建物の方が似つかわしく思えたのだろう。

さて、今でも解けぬ謎なのが、どうしてAくんは、「黒い藤子不二雄」(A先生)ではなく「白い藤子不二雄」(F先生)のお宅に、私とBくんを案内したのかということ。誰でも知っているように、F先生宅とA先生宅はほぼ隣り同士である。そして当時はまだFとAとにわかれていなかった時期で、どちらがどの作品を描いているかは一般には知らされていなかった。それを考えると、A先生のお宅を訪ねてもおかしくなかったはずなのだが、Aくんはしっかり「小学生御用達」である「白い藤子不二雄」(F先生)のお宅の門の前に立ったのだった。

そこで、呼び鈴を押すまでに、3人してかなり躊躇したような記憶がある。いくら近所といっても、Aくんも直接の面識はなかったようだし、いきなり「サインをくれ」というのもずうずうしすぎるのではないか、と小学生の頭でもそう考えたのだ。しかし、せっかく来たのだからということで、多分Aくんが、意を決して呼び鈴を押した。少しの静寂。やがて家の中から、40代のご婦人が出てきた。F先生の奥さまだったと思う。
「…あの、ぼくたち近所の小学生なんですけど、藤子先生のファンで、是非、藤子先生のサインが欲しいんですけど」
なんてことを言ったのだと思う。すると奥さまは、
「今、主人は仕事でいないんですよ」
とおっしゃった。これは、当時のわれわれには少々意外な返事だった。何故なら、あの時代のマンガには、漫画家が自分の家でうんうんうなって執筆している様子がよく描かれていたからだ。そして私の父も作家で自宅が仕事場であったから、漫画家が昼間、「仕事でいない」というのがどうもピンとこなかったのである。
「先生はいないんですか」
「そう、お昼間は東京の仕事場でお仕事をして、帰りは遅いの」
この仕事場というのはもちろん、藤子スタジオのことを指しているわけで、この日のやりとりで、私は藤子不二雄という漫画家は家と仕事場をわけているということをはっきり知った(あらためて雑誌などのおたよりの宛先を見ても、住所は市川ビルの藤子スタジオになっていた)。

とにかく、F先生は不在だという。われわれ3人はしばし顔を見合わせた。先生がいないんじゃ、サインはあきらめるしかないのか…。そんなわれわれの心中を察したかのように、奥さまは、
「じゃあ、描いてくれるように頼んでおくから、2、3日したら取りに来てちょうだい」
とおっしゃったのである。
「え、いいんですか?」
思いがけない話に、われわれは身を乗り出した。
「絵は何がいいの? ドラえもん? オバQ?」
その当時の小学生には、学年誌に数年連載中のドラえもんがなじみ深かったが、一方、「新オバQ」もアニメが放送中で、人気は伯仲していた。しかしわれわれは期せずして3人とも、オバQをリクエストした。
「オバQね。わかりました」
われわれは奥さまに御礼を言い、その日は引き上げた。

そしてその2日後、われわれ3人は約束どおりふたたびF先生宅を訪れ、そこで奥さまから、間違いなくF先生直筆の、オバQイラスト入りサインを、頂戴したのである。手渡されたのは色紙ではなく藤子スタジオの原稿用紙で、青のサインペンでイラストのメイン部分、赤のサインペンでオバQのくちびるとサインが描かれていた。しかも3枚ともポーズが違っている!!
われわれは子どもながらにF先生の細やかな心遣いに感激し、何度も御礼を申し上げてお宅を引き上げたのであった。

こうして、アポなしの藤子不二雄宅訪問は、先生と直接お目にかかることはかなわなかったものの、念願のサインをいただくという、大変大きな収穫を得て終わった。帰り道は、AくんもBくんも私も、かなり興奮していたと思う。ポーズの異なった3枚のオバQをどうやって分配したのかは記憶にないが、多分ジャンケンでもして、勝った者から好きなのを選んだのだろう。私は、割と正面向きのポーズのものを手にすることになった。

それにしても、一面識もない近所の子どもの訪問に、嫌な顔ひとつせず対応した奥さまは本当にできた人だなあとあらためて思う。もっとも、当時の生田は新興住宅地で子どもの数がやたら多かったから、この手の不意の訪問者は日常茶飯事だったのかも知れないが…(それでもああした等身大の対応は、なかなかできることではないと思う)。

さて、こうしてめでたくサインをもらえたというのに、なぜ私はこのブログの冒頭で「いささか気が重い」などと書いたのか。それは、その時のサインが、現在、私の手元に残っていないからである。

この不始末については、あまりにも腹立たしく、本当に、何度自分の頬を張り飛ばしても足りないくらいだ。これよりもっと前の時代の「現代コミクス」などは保存してあるくせに、どうしてF先生のサインが手元にないのか?

処分したという記憶はないのに、どうしても、どこを探しても、見つからないのだ。実に悲しい。そして、取り次いでくださった奥さま、お忙しいところサインを描いてくださったF先生にも本当に申し訳ない。

しかし、こういう、やるせないこともあるのだ。これをお読みの方にも申し訳ない気持ちでいっぱいである。せめてものお詫びのしるしとして、記憶を頼りに再現してみたのがこちら。

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拙い再現ですが何卒お許し下さいますよう。青と赤の配色とサインの位置はこんな感じだったと思う(実際には縦長の原稿用紙の中央に描かれていた)。

ちなみに、最近ネットオークションなどで、人気漫画家のサイン色紙がかなり出回っているようだが、その多くは偽物で、出品者自身が描いているケースもあるらしい。安易に入札するのは避けたいものだが、私も上の再現サインを描いている時、何だか自分が偽物の製造に手を染めているような錯覚に陥り、ちょっと後ろめたい気分であった。
posted by taku at 16:32| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月09日

お宝年賀状

昨年暮れは、4回連続で藤子不二雄先生ネタを書いたということもあり、半世紀近く所蔵してきたお宝年賀状を特別に公開することにしました。昨日、実家の物置からやっとのことで見つけ出したものです。

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まずは1973年。ネットで検索してみても、70年代のものはあまり見つからなかったので、割とレア度は高いのかも知れません。「ジャングル黒べえ」の黒べえ、赤べえ、パオパオが目立つ場所に描かれていますが、これらのキャラはまったく見たことがなかったため、しきりと首を傾げたのを覚えています(「ジャングル黒べえ」は放送・連載ともこの年の3月に開始)。当時の私は小学3年生でした。

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こちらは2年後、1975年。73年の賀状はF先生のキャラがメインでしたが、こちらはキレイに左半分がF先生、右半分がA先生のキャラになっています。「プロゴルファー猿」はこの前年(1974)に連載が始まったばかりですが、キャラクター全員にゴルフクラブを持たせていることから推察して、すでにかなりの話題作だったことがうかがえます。私は小学5年生でしたが、この時期『少年サンデー』は読んでいなかったので、「プロゴルファー猿」のことはほとんど知りませんでした。

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ネットオークションなどで入手したものでない証拠として、一応表面も載せておきます。差出人は藤子スタジオで、住所は今は亡き市川ビル(ぼかしをかける必要はなかったかも…)。

小学生のころは、何度となく藤子スタジオ宛にファンレターを送っていたので、ファンサービスの一環として、こういう年賀状が送られてきたのです(ついでに言うと、当時生田に住んでいた私にとって、藤子不二雄先生というのはご近所の大先生であり、小学3年の時、友人とご自宅までサインをもらいに行ったこともあります。しかしその話はやや長くなるのでまたの機会に)。

最後に、これは藤子不二雄先生ではありませんが、やはり何度かファンレターを出した永井豪先生(ダイナミックプロ)の年賀状(1974年)。

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こちらは、左上の筆者の絵のみオリジナルで、あとはそれぞれの掲載誌の絵を転載しています。年賀状用の1枚絵を書き下ろすだけの時間的な余裕はなかったということでしょうか。上から「バイオレンスジャック」「マジンガーZ」「ドロロンえん魔くん」「キューティーハニー」。4作中3作がアニメ放映中だったというのもすごいです。ちなみに「マジンガーZ」は『少年ジャンプ』での連載を終え、『テレビマガジン』に移っていました。
posted by taku at 20:39| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月29日

F&A 活動開始30年

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(2点とも『週刊少年サンデー』1968年1号の新春特集ページより)

今年(2017年)は、パーマンの放送開始から50年ということで、パーマンネタを3回ほど書いてきたが、実は、今年は「2人で1人のマンガ家・藤子不二雄」がコンビ解消を発表してからちょうど30年という節目の年でもある(30年前の今ごろ、1987年12月23日の消印で、出版関係者に挨拶状が送付された)。だから、今回はパーマンをお休みしてそちらを取り上げてみたい。最初は「コンビ解消30年」というタイトルをつけてみたのだが、「解消」というと何となくマイナスのイメージが付きまとうので、藤子・F・不二雄と藤子不二雄Aという二人のマンガ家が新たに誕生した記念の年ということで、「F&A 活動開始30年」にしてみた。

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こちらは1988年1月30日の朝日新聞(クリックで拡大)。そのころの私は大学卒業間際、就職を目前に控えており、人生の中でももっとも藤子マンガと遠かった時期だと思うが、それでもこうして新聞を切り抜いていたところを見ると、やはり無関心ではいられなかったのだろう。

この記事には、「ドラえもん」「パーマン」はF先生、「忍者ハットリくん」「怪物くん」はA先生の作品であると書かれており、これは、幼年期からの藤子不二雄ファンにとっては、サンタクロースの正体をばらされたような、結構な衝撃であった。小学生時代、「まんが道」を繰り返し読んだ者としては、2人でアイデアを出し合い、2人で机を並べて執筆するというのが「藤子スタイル」だと、信じ込まされてきたからである。

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『週刊少年チャンピオン』(1971)より。最初の「まんが道」は「チャンピオンマンガ科」というマンガ入門講座のラスト2ページに「マンガ道」のタイトルで掲載されていた。

もっとも、「藤子スタイル」を喧伝したのは「まんが道」だけではない。雑誌の特集ページなどでも「藤子不二雄は2人で1人、常に合作をしている」というアピールがなされていた。

以下は、前回紹介した『週刊少年サンデー』の「週刊パーマン」より。

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「10時半ごろ、仕事場の、スタジオゼロに到着」
「さっそく、サンデーの、アイデアをふたりで相談」

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「おひるごはんは、両先生とも、奥さんのつくったお弁当」
「午後は、サンデーの絵を、フーフーいってかく」

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「夜は、テレビマンガをみて、いろいろふたりで話しあう」
「夜もふけたころ、いっしょに、家に帰る」

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一度ネタがばらされてみると、「ドラえもん」の描線と「怪物くん」の描線はたしかに違う。しかしこれはコロンブスの卵のようなもので、言われるまではっきり気づかなかった人の方が多いのではないだろうか。それは、先ほど書いた合作アピールのせいもあるが、それ以外にもうひとつ、1960年代の代表作「オバケのQ太郎」では、キャラクターを分担して、実際に共同で執筆していたという事実が大きい。

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オバQとほかのオバケ、大原パパ&ママはF先生、正ちゃん、伸一兄さん、小池さんはA先生が担当。

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また、実は「パーマン」でも、パーマン1号(みつ夫)をはじめとする主要キャラはF先生だが、パートナーであるパーマン2号といじめっ子キャラのカバ夫&サブはA先生が担当している(カバ夫の独特の目の形を見れば明らか)。

小さいころから「オバQ」や「パーマン」を読んでいた私たちの世代は、2人の微妙に異なるタッチがひとつの作品の中に自然に共存しているのを見ていたため、どちらのタッチも「藤子不二雄」として認識し、その認識が後年になっても続いていたのだろう(もっともこのころは、共作ということを意識して、両氏とも相手の作風に似せて描いていたような印象も受ける)。

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「新オバケのQ太郎」(1971〜73)のころになると、2人のタッチがかなり異なってきているのが明らかに。

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1980年代の「パーマン」。この時期の「パーマン」はパーマン2号やカバ夫、サブもすべてF先生が描いているが、「プロゴルファー猿」を意識したこのページの2号だけは、A先生が描いているようにしか見えない。

33年におよぶコンビ解消の理由については、当事者だけしかわからないことなので、詮索する気はさらさらないし、その是非を論ずるつもりもないが、上の新聞記事を読み返して「はっ」としたのが、この時の両先生が、今の私と同じ50代なかばであったこと。やはりこの年代というのは、青少年期から背負ってきた荷物を一度肩から下ろし、これまでの道のりを振り返り、自分や周囲を見つめ直す時期なのだろうか。記事のインタビューでF先生は「何か新しいことやれるのではないか」と将来に期待を寄せ、一方、A先生は「50代で初めて独り立ち。だから不安ですよ」と語る。人生の後半戦に臨むお二人の心には、文字どおり期待と不安が相半ばしていたに違いない。

「不安ですよ」と漏らしたA先生がいまだご壮健で、「新しいこと」と夢を語ったF先生がこのあとわずか8年で他界したことを思うと、人生のままならなさにため息だけがこぼれる。ともあれ、コンビ解消の後も、2人の間ではそれまでと変わらぬ友情が継続していたというのがうらやましい。多くの忘れがたい作品を世に送り出した2人で1人の「藤子不二雄」に、改めて感謝と賞賛の意を表したい。

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『週刊少年サンデー』1967年2号新春特集ページ。「無人島へいって、のんびりと、くらすのが、ボクたちの、夢と希望です」
posted by taku at 19:25| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月27日

パーマン放送開始50年(3)

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前回に続いて「パーにする」設定周辺のお話。まだまだ書きたいことがいろいろとあるので…。

「パーマンの秘密を他人に知られたら、パーにするぞ」というのが、旧「パーマン」において、スーパーマンがパーマンたちに言い渡したペナルティであった。しかし、脳細胞破壊銃をちらつかせることはあっても、スーパーマンが実際に手を下して、パーマンのうちの誰かをパーにした、という描写は、原作にもアニメにも存在しない。これはまあ、秘密がばれたことが一回もないので当然だが、夢やイメージシーンでさえ、みつ夫やパー子やパーやんがパーになってエヘラエヘラしているという場面は一度も出てこなかった。このあたりにF先生の児童マンガ家としての良心を見る気もする、と言いたいところだが、実は『週刊少年サンデー』20号に、驚くべきシーンが存在する。

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この号では「週刊パーマン」という7ページのカラー特集が組まれているのだが、その中に次のようなマンガが…。

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登場するのはオバQとパーマン2号。オバQはバナナの代償に2号からマスクとマントを借りてパーマンとなるのだが…

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その正体をカバ夫とサブに明かしてしまったところ、その瞬間パー(サブいわく「オパーQ」)になってしまうのだ!(脳細胞破壊銃を使わなくても、遠隔操作でパーにできるということか)

いくら作品中ではないといっても、れっきとした掲載誌の特集ページでのことなので、かなりのインパクトがある。一体どういう意図でこのマンガは描かれたのだろう。
これは想像だが、「パーにするぞ」と口で言うだけでは説得力がない。パーマンの秘密を知られると、実際こういう結果になるのだ、というのを読者の少年少女に知らしめたい。しかし作品中でやるのはさすがにまずい。そこで、誰でも知っているが「パーマン」のキャラクターではないオバQを使って、その状態をマンガで見せてやれ、という遊びごころがF先生の頭に去来したのかも知れない(もっともこの特集ページは、F先生自身ではなく、アシスタントのしのだひでお氏かヨシダ忠氏の筆によるものに思える)。

この「週刊パーマン」は、上記のマンガのほかにも、

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特別公開!! パーマン大探検(藤子先生の頭の中を調査)

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特別図解 パーマン本部基地

など見どころ多数。

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パーマンタイムズには、パーマン2号が6601倍のパワーを出したとか、パー子は団地に住んでいるとか、他ではお目にかかれない珍情報が満載。

どうしてこういうものが「大全集」の巻末に収載されなかったのだろう。「オパーQ」はNGとしても、ほかのページはそれほど問題はないように思えるのだが。

さて、ここからは「パーにする」というペナルティとは関係はないが、「パー」「クルクルパー」「くるう」などの表現が変えられた例を紹介していこう。

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現在「はじめましてパー子です」に収められているこの場面、もともとは小学三年生版「パー子登場」で描かれたもので、初出の『週刊少年サンデー』には載っていない。よって現物を確認することはできなかった。「弱むしけむし」を現わすのにあの指は意味不明だろう。オリジナルは「パーマンじゃなくてクルクルパーだわ」。

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小学三年生版「パー子登場」をベースにした白黒アニメ版の「パーマンくらべ」ではパー子はしっかり、

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「パーマンじゃなくてクルクルパーだわ」と身振り付きで言っている(こうでなくっちゃね)。

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「鉄の棺桶%ヒ破せよ」より。オリジナルは「にげろ!! パーやんは気がくるった!!」だが、現在は「にげろ!! パーやんはいったいなにを考えているんだ!!」に。

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「パーやん気がくるったな」とあきらめ顔の1号。これも「パーやんやっぱり変だよ」とかなりマイルドなセリフに。

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「きみはもしやパーマンでは…」という問いに「そうですねん、ぼくはパーです」とボケをかます関西人。現在では「えっ、パーマン、どこにどこに」と、まったく違うニュアンスに変えられている。

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なお、「大全集」5巻には「くるわせ屋」というエピソードが収録されているが、これもかなりセリフが変えられているようだ(初出雑誌は『小学館コミックス』で、これも現物を確認できず)。
元のセリフは「殺し屋がたのまれて人を殺すように、くるわせ屋は人をきちがいにして金をもらうんだ」というものだったらしい。それにしても「人の人生をくるわせて〜」とは、ずいぶん苦しい改変である。狂わせるのは頭だろう! そんなの小学生でもわかるぞ。

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「くるわせ屋」といえば、反射的に、現在絶賛封印中の「怪奇大作戦」第24話「狂鬼人間」が思い浮かぶが、あちらは1969年2月の放送、この「くるわせ屋」は1968年3月号掲載なので、こちらが約1年早い。パーマンのこのエピソードが、「狂鬼人間」のストーリーに何らかの影響を与えたのでは?という推測も、時系列的には成り立つわけだが…。

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もっとも、前回も書いたように、1960年代はこうした話がかなり頻繁に作られていた時代で、同時期の『週刊少年サンデー』に連載されていた「バンパイヤ」(手塚治虫)にも、人類を原始人の状態に戻す「マッドPA(パー)」という薬が登場し、それが物語後半のキーアイテムとなっている。

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マッドPA(パー)の開発者は手塚先生の友人・熱海教授なのだが、容赦なく「キチガイ」呼ばわり。ちなみに「バンパイヤ」は手塚先生自身が主役顔負けの大活躍をする快作で、作中ではマッドPA(パー)の製造まで行っている。

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また、今回この一連の記事を書くにあたり、当時の『週刊少年サンデー』をあれこれめくっていたところ、「おそ松くん」(赤塚不二夫)のこんな回を見つけた。
監督から下手くそと罵倒された俳優が、「演じる」のではなく「なり切る」という、いわゆるスタニスラフスキーシステムに則ってさまざまな役に「なり切る」訓練を重ねていく。

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行動は次第にエスカレート、本人は自分の名演に酔いしれるが、周囲からはキチガイ扱いされてしまうという話。

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もう全編「きちがい」のオンパレードで、最後は精神病院に入れられるという鉄板のオチ(この話が現在、単行本に収録されているかは不明だが、収録されているとしてもセリフはかなり修正されているだろう)。これらを見ても明らかなように、当時の『週刊少年サンデー』には、手塚・赤塚・藤子の三巨頭が、そろって「気がくるう」ネタを扱ったマンガを発表していたのである。その是非をここで論ずる気はないが、作品というのはほぼ例外なく時代の落とし子であり、その時代の雰囲気を知るためにも、セリフは発表当時の言葉のままで読むのが適当であると思う。「おことわり」を入れた上でのオリジナル表記復帰がもっと一般化して欲しいものである。

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ハイカップの宣伝のお子様も「クルクルパー」の「パー」!

後半は「パーマン」から離れてしまったが、「パーマン」ネタは多分まだつづく予定。
posted by taku at 17:55| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月25日

パーマン放送開始50年(2)

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何とか2017年のうちに書いておかなくちゃ、と、年末も押し迫ったあわただしい中で始まったこのシリーズ、今回は、旧「パーマン」世代なら誰でも多かれ少なかれ気に留めているに違いない、カラーアニメ化にともなう設定と名称変更の問題について書いていきたい。

2号(ブービー)の住んでいるのが動物園でなくなったり、時速が91キロから119キロにアップしたり、というのはそれほど大きな問題ではなく、ここで取り上げたいのは、「パーマンの秘密を他人に知られた場合」のペナルティ、そして「スーパーマン」から「バードマン」への名称変更である。

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まずは秘密を他人に知られた場合のペナルティについて。旧作では上画像のように、スーパーマンは「脳細胞破壊銃でほんとのパーにしてやる」と言っているが、新作アニメが始まった1983年以降の書籍では、すべて「細胞変換銃で動物に変身させてやる」に変更されている。

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「……だめだ、ひみつをうちあけると、ぼくはパーになる」(→「動物にされる」に変更)

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さらに、「おじさんは精神病院から脱走してきたんだね」というセリフも、「おじさんはぼくをからかってるんだね」に変更(「映画の宣伝も大変だね」というバージョンもある)。以上は「パーマン誕生」より。

思い起こせばこのころは、映画、マンガ、テレビなどで、精神に異常をきたす描写や「気ちがい」という言葉は、かなり頻繁に登場していた(「パーマン」と同時代で有名なものとして、1967年放送の「ウルトラセブン」第8話「狙われた街」がある)。それが、1970年代の中盤以降、某団体のクレームをきっかけに、「気ちがい」「気が狂う」という表現は自粛(禁止ではない)されるようになり、また、精神に異常をきたす描写自体も、見かけることが極端に減っていった(「めくら」「つんぼ」「おし」「かたわ」といった身体的なハンディキャップを表す言葉が差別用語と見なされ、使用が控えられるようになったのもほぼ同じ時期)。すなわち、旧「パーマン」(1966〜68)は「気ちがい」という言葉や描写が頻繁に使われていた時代の作品、新「パーマン」(1983〜85)は、そうした言葉や描写が忌避されていた時代の作品なのである(しかし最近は「おことわり」を入れて、当時のままの言葉で放送、出版するケースが増えている。前述の「狙われた街」でも、「まるでキチガイ病院だ」というキリヤマ隊長のセリフは近年無修正で放送されることが多い)。

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「狙われた街」より。左が「まるでキチガイ病院だ」と言い放った直後のキリヤマ。

「パーマン」ではもともと「気ちがい」というストレートな言葉はほとんど使われていないが(「気がくるう」はたまに出てくる)、「パー」という言い回しも、「頭がおかしい」とほぼ同じ意味であるため、時代の流れにしたがって変更を余儀なくされたということだろう。しかし、その代案が「動物にする」というのはどうも釈然としない。2号はもともと動物(チンパンジー)なのでペナルティにならないではないか(2号の場合は別の動物に変えられるということのようだが…)。

もともと、秘密を知られた場合にパーにされるというのは、ペナルティと同時に口封じの意味合いも強い。たしかに動物に変えてしまえば喋れないので口封じにはなるが、あまりに突飛で、現実味に乏しい。これは前々から考えていたことなのだが、「記憶を消す」でよかったのではないだろうか。

実際、新アニメの410話「さよならパー子」(1984)では、パー子が海外留学のためパーマンをやめるとバードマンに申し出るシーンがあり、それを受けたバードマンは、脳細胞破壊銃としか思えない銃を取り出し、
「この銃は、君のパーマンであった部分の記憶をすべて消してしまう。残酷なようだが、パーマンの秘密を守るためには仕方ないのだ」
と宣告している(結局パー子はパーマンをやめず、記憶も消されないのだが)。

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「さよならパー子」より。旧パーマン世代にはびっくりの、かなり胸熱な展開。

これが普通に放送されたのなら、「記憶を消す」というペナルティはまったく問題ないことになる。実はこのエピソードは、1週間ほど前にネットでその存在を知り、数日前に初めて視聴して大いに驚いたのだが、もしかすると新アニメのスタッフも、「動物にする」というペナルティには違和感を覚えていたのかもしれない。

ただ、「パーマンであった部分の記憶を消す」だけでは、口封じにはなってもペナルティとしてはいささか弱いので、秘密を知られてしまった場合には「すべての記憶を消す」とすればいいと思う。人間が、生まれてから現在までのすべての記憶を失ってしまえば、頭の中は真っ白、パーと大差はない。しかし、いわゆる記憶喪失(全生活史健忘)は「気ちがい」とは違うので、これならクレームも発生しなかったと思うのだが…。今から30年前の設定変更について今さらああだこうだ言っても始まらないが、「脳細胞破壊銃でパーにする」というペナルティは、一見のびやかなパーマンワールドの中に潜む「黒い十字架」であり、それを背負いながら戦っている、というところに、この作品の奥深さがあるようにも思えるのだ。

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「パーマン全員集合!!」より。パーマンセット(マスクとマント)を奪われたみつ夫は、「やくそくどおりパーにする」とスーパーマンに銃口を向けられる(でも、実際は「約束」したわけではないんだけどね。初回でスーパーマンが一方的に宣告しただけ)。修正後のセリフは「やくそくどおり動物にする」。

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「クルクルパーにされちゃって、一生わけもわからずにくらすんだ」と涙ぐむみつ夫。これはホントに怖いだろう。現在は「動物にされちゃって、一生つらくくらすんだ」というセリフに変えられているが、恐怖の質がまったく違う。

私自身の小学校時代を振り返ってみても、自分が「気ちがい」になるというのは、想像するだけで底知れぬ恐怖心が沸き起こることであった。私の住んでいた生田には、その当時から精神科専門の大きな病院があったのだが、頭がおかしくなった者は「黄色い救急車」でそこに連れて来られ、鉄格子で仕切られた病室に収容されているのだと、まことしやかにささやく同級生がいて、近所にそんな施設があるのか、と恐れおののいたものである。そして同時に、自分は今は自分のことがわかっているけれど、頭を強打するなど何かのはずみで、自分で自分のことがわからない状態になることもあるのではないか、そうしたら自分もそんな病院に入れられてしまうのだろうか、などという不吉な妄想で頭がいっぱいになったこともある。少年期には、誰しもそうしたアイデンティティ崩壊の恐怖を覚えることがあるのではないだろうか。そして、「パーマン」における「脳細胞破壊銃でパーにされる」というペナルティは、そうした少年少女の潜在的な恐怖心をかなり鋭く、リアルに刺激するものだったように感じる。それだけに、「動物にする」という現実離れしたぺナルティへの変更は残念で仕方がない。「すべての記憶を消す」なら、アイデンティティは確実に崩壊するわけで、同じような恐怖心を喚起することは可能だと思うのだが…。

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「パーマンはつらいよ」より。自分がパーマンであることを家族や友人に打ち明けたいと言い出すみつ夫に「そんなことをしたらパーにする」と恫喝するスーパーマン。現在では「ぜったいにゆるさん」というセリフに変更。

もっとも、このペナルティが物語の中で取り上げられるのは、100話以上ある旧原作の中でもほんの数話であり、この改変が作品全体に大きな影響を与えているということではない。

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どちらかといえば、これから述べる「スーパーマン」から「バードマン」への名称変更の方が、いろいろと面倒を引き起こしているように思う。旧原作ではみつ夫をパーマンに任命したのは「スーパーマン」で、彼は、
「マスクやマントをつければだれでも超人的な力をもてるんだ。しかしほんもののスーパーマンにはおよばないのでこれをパーマンとよぶ」
と説明している。

つまり、

スーパーマン>パーマン>パー(秘密がばれた時)

という図式になり、呼称が短くなるにつれ、能力も落ちるというシャレになっていたわけである。しかし、1983年のカラーアニメ化の際には、権利関係で「スーパーマン」の名前が使えなかったのか、

スーパーマン→超人→鳥人→バードマン

という発想の転換(?)でバードマンに名称変更し、同時に、マスクのデザインも鳥をイメージしたものに変更されたが、バードマンとパーマンでは言葉の関連性も乏しく、旧パーマン世代にはおおむね不評のようである。もっともこれは、リアルタイムで「帰ってきたウルトラマン」を見ていた世代が、後付けの「ウルトラマンジャック」という名称に拒否反応を起こすようなものだろう。幼少期に見たものが「原型」として脳に刻印されるというのは本能的なものなのかも知れない。

とにかく83年以降は、パーマンの上司といえばバードマンで統一されていたのだが、前回も書いたように、2009年の「藤子・F・不二雄大全集」では、「バードマン」の名称を当初の「スーパーマン」に戻している。「大全集」という性質上、初出時の設定を尊重したということなのだろうが、それなら「パーにする」設定も復活させるべきで、どうにも一貫性がない。しかも、2016年のてんとう虫コミックス新装版では、原稿のスキャンデータは「大全集」のものを使いつつ、名称は「バードマン」になっており、もはやこの問題はまったく集結点が見えない。一度設定に手を加えてしまうと、どこまでも混乱が続くものなのだろうか。

しかし、以上は原作マンガに限った話であり、アニメにおいては2014年に画期的な事件が起きた。それは、言うまでもなく白黒版アニメのDVD発売で、何とこのソフトでは、「パーにする」設定も「スーパーマン」の名称も放送当時のままだったのである。

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こういう「おことわり」を入れておけばいいわけですよ。

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「パーマン誕生の巻」より。パーマンのマスクを被らされたみつ夫が「パーマン? この人パーじゃなかろか」とつぶやけば、

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スーパーマンは「もし人にきみの秘密を漏らせば、その場できみは本物のパーになる」と警告する(ご丁寧に、「クルクルパー」の指の動きまで)。

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カバ夫とサブの計略でマスクを取られたみつ夫、初回からピンチ!「顔を見られたらパーになっちゃうよ〜」とベソをかく。この第1話だけで5回「パー」と言っている。

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「パーマン全員集合!!」より。「脳細胞破壊銃だ! 約束どおりパーにするぞ!」と迫るスーパーマン。

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震え上がるみつ夫。

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「ぼくはもうダメだ! クルクルパーにされちゃって、一生わけもわからずに暮らすんだ!」と、みつ夫はパー子の目の前で泣きわめく。アニメだけあって原作より感情表現が派手。

……というわけで、マンガ版の自主規制に納得の行かないものを感じていただけに、この2作品は実に痛快だった。このままでも、まったく問題ないじゃないか!

マンガはネームを貼り替えればセリフの変更が容易にできるが、アニメは再録音が必要になり、まして50年近く前の作品ともなると、当時の声優を集めるのもひと苦労である(もっとも、そうした事例がないわけではなく、たとえば「奥さまは魔女」では、オリジナルのキャストを招聘し、差別用語に当たる言葉だけを他の言葉に変えて録音し直している。以前、ダーリンの吹替えをやっていた柳澤愼一氏に聞いたところでは、「めくら蛇におじず」などということわざも今ではNGらしい。ご本人は「いろいろ面倒くさい世の中になったねえ。40年以上も前の若いころの声と同じに喋ってくれなんて言われても、そんなのできるわけないよ」と苦笑いをしていらした)。今回はそこまで手間をかけるのは見合わないという判断だったのかも知れないが、とにかく、オリジナルのままの状態でソフト化したのは英断だと思う。と同時に、これまで長らく封印されていた「パーにする」設定と「スーパーマン」の名称を広く世に出してしまった以上、マンガもこちらに合わせて原形に戻してしまえば、すべてがすっきりすると思うのだが…。

しかし、そう考えるのは私が旧パーマン世代だからであり、1980年代の新パーマンを見て育った世代は、「動物にする」設定や「バードマン」でなければしっくり来ないのかも知れない。実に悩ましい問題である。ともあれ、2017年の現在「パーマン」という作品は、入手可能な正規のメディアにおいて、「パーにする」設定と「スーパーマン」(旧作DVD)、「動物にする」設定と「バードマン」(原作マンガと新作DVD)、「動物にする」設定と「スーパーマン」(大全集における原作マンガ)、という3パターンが存在する、何ともカオスな状態を呈しているのである。

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posted by taku at 16:49| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月22日

パーマン放送開始50年(1)

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昨年(2016年)来、「ウルトラマン」については、放送開始50年ということで、当ブログでも何度か取り上げてきたが、実は、今年(2017年)は、60年代のもうひとりのスーパーヒーロー、「パーマン」の放送開始50年でもある。というわけで、何とか今年のうちにと思って書き始めたのだが(遅いよ)、「パーマン」については、漫画版とアニメ版が新旧それぞれ2つあるため、名称や設定の変更など気になる点、書きたいネタが頭の中に山積しており、とても1回ではまとまりそうにない(いつものこと)。というわけで、何回かにわけて、思いつくままに記していきたいと思う。

まず、50周年についてだが、私は当初、この記事のタイトルを、「パーマン生誕50年」としていた。しかし、ネットで検索してみると、公式的には、昨年(2016年)がパーマン生誕50年のメモリアル・イヤーということらしい。ショック! これは、『小学三年生』『小学四年生』での連載が1966年の12月に始まったからで、それに合わせて、てんとう虫コミックスでは昨年6月に全7巻の新装版も発売されている。

□『パーマン』新装版 全7巻|小学館

上の事実を知ったのが今から15分前。手元にあった「藤子・F・不二雄大全集」の『パーマン』3、4巻巻末でも確認したので間違いない。…何かね、一気に書く気が萎えてしまいましたよ。すっかり時流に取り残されていたということを知って…。もう、書くのはやめた方がいいのだろうか。

いやしかし! メインの掲載誌というべき『週刊少年サンデー』での連載は1967年の2号からだし、白黒版アニメは4月2日にスタート。当時の私はアニメでパーマンを知ったクチだから、少なくとも私の中では、そして多くの当時の少年少女にとっても、今年がパーマンと出会って50年で間違いないのだ!と考え直し、タイトルも、絶対に誤りでない「パーマン放送開始50年」と改め、書き進める所存である。

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こちらが連載開始号である『週刊少年サンデー』1967年2号。表紙は白土三平の「カムイ外伝」。

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よく見ると、パーマンのデザインが『小学三年生』『小学四年生』だけに登場した初期バージョンである。

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背表紙も同じく初期バージョン。表紙の印刷は本文より早く、その時点では新デザインは未完成だったということだろうか?

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カラー扉はおなじみのパーマン。ちなみに、この号に掲載された「パーマン誕生」は、最初に単行本化された際(虫コミックス・1970年)、かなり加筆修正されており、その後、再アニメ化にともなう設定変更などもあって、現在出回っているものとはかなり違っている。「パーマン」のマスクとマントを与えるのは「スーパーマン」。

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2009年の「藤子・F・不二雄大全集」では、1983年以来「バードマン」だった名称が「スーパーマン」に戻ったが、2016年のてんとう虫コミックス新装版ではまた「バードマン」に逆戻りしている。このあたりはそろそろ統一して欲しいところなのだが…(名称や設定変更の問題については、かなり長くなりそうなので次回以降に)。

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こちらは『週刊少年サンデー』1967年16号。

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同誌に連載中の「パーマン」「キャプテンウルトラ」「仮面の忍者赤影」「冒険ガボテン島」の4作品が4月から放送開始となるため、その宣伝記事が掲載されている。

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スーパーマンの紹介に、「パーマンの親分」と書かれているのが何だがおかしい。

さて、1967年4月といえば、「ウルトラマン」が最終回を迎えた月である。当時、「ウルトラマン」は日曜7時TBSの「タケダアワー」枠、「パーマン」は同じ日曜7時半TBSの「不二家の時間」枠。そのころの多くの子どもたちが、その2枠をワンセットで見ていた。
4月2日は「ウルトラマン」が最終回ひとつ前の38話「宇宙船救助命令」で、その直後に記念すべき「パーマン」第1回(「パーマン誕生の巻」「ロボット・ママの巻」)が放送されたわけである。そして翌週、4月9日は「ウルトラマン」があの最終回「さらばウルトラマン」、「パーマン」は第2回(「マル秘パーマン2号の巻」「そうなん救助の巻」)。その翌週から「タケダアワー」枠では東映製作の「キャプテンウルトラ」が始まるので、ウルトラマンとパーマンが連続放送されたのは、わずか2週だったということになる。

以上は記録に基づく客観的事実だが、私のぼんやりとした記憶の中では、「ウルトラマン」は「パーマン」よりもだいぶ前の作品として位置づけられており、だから、わずか2週とはいえ、重なっていた時期があったのは少し意外だった。これは、ちょうどこの時期に実家の引っ越しが行われたことが関係していると思う。すでにいろいろなところで書いたが、実家が読売ランドから現在の生田に越したのが、ちょうど「ウルトラマン」が最終回を迎えた4月9日だった。それゆえ、「ウルトラマン」といえば前の実家で見た番組(=古い)、「パーマン」は現在の実家で見た番組(=新しい)、という記憶の区分けが為されたのであろう。「ウルトラマン」はその後、再三再放送やビデオなどで見返しているので、おのおののエピソードは頭にインプットされているが、リアルタイムで視聴していた記憶は大変薄いのである。

それに対し、現在の実家に移ってからの特撮やアニメは、どれも、きちんと視聴した記憶が残っている(まあ、だいたい4歳ごろから記憶は鮮明になるものだが)。「パーマン」もその例に漏れず、毎週家族で楽しみに見ていた覚えがある(「キャプテンウルトラ」より熱心に見ていた気がする)。特に印象深いのは最終回で、それまでのライトなコメディ路線はどこへやら、えらく深刻でしんみりした雰囲気だったのが忘れられない。物語はよくわからなかったが、パーマンが屋根の上でスーパーマンに何かを諭され(当時は責められているように思った)、やがてパーマンは口を結んだまま(笑顔は一切なく)空に飛び立つ。その姿がえんえん写り、結局どこまで何をしに行ったのか見せないままで終わる、という突き放したようなラストが何とも淋しく、それゆえ長年記憶にとどまっていた(下画像は、その白黒版アニメの最終回「パーマンよいつまでも」の原作にあたる「パーマンはつらいよ」。無償の善意と承認欲求との間で葛藤する人間の姿を見事に描いた傑作。今読み直しても深く考えさせられるが、未就学児童には難しかったようだ)。

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とにかく、4歳児の私は、当時かなり「パーマン」を気に入り、しっかり毎週見ていたのはたしかである。しかし「ウルトラマン」が、怪獣という強力アイテムを持っていたのに対し、「パーマン」にはそういったものがなく、また、再放送の機会も少なかったため、数年も経たず、私の中で「パーマン」は過去の番組となっていった。1983年にアニメがリメイクされた時も、まったく食指が動くことはなく、500回以上放送されたのに、見事に1回も見ていない。興味が再燃したのは割と最近のことで、2009年に刊行された「藤子・F・不二雄大全集」の『パーマン』を懐かしさ半分で手に取ってからである。
一読して大きくうなった。私はそれまで「21エモン」がF作品の中での一番のお気に入りだったのだが、その認識を改めなくてはならないと思った。「パーマン」は、学校や家庭といった日常的な場に「SF(=スコシ・フシギ)要素」(F先生が好んだ表現)が加わったことで笑いが生まれる「ほのぼのギャグマンガ」であると同時に、そのSF要素を駆使して、悪人と対決したり人命救助を行ったりという非日常的な冒険アクションが展開する「ヒーローマンガ」でもある。このふたつが無理なくスマートに融合され、この作品でしか味わえない爽快感を生み出しているのだ。みつ夫をはじめとする各パーマンのキャラクターは実に魅力的で、設定やアイテムも気が利いている(特にコピーロボットの使い方が秀逸)。ストーリーはバリエーション豊富かつスピーディーで、大いに笑い、何度か泣かされた。「これほどクオリティの高い一話完結作品を週一以上のペースで書いていたとは…」と、F先生の稀有な才能に、改めて敬意を表した次第である。
そして、2014年に長年幻とされてきた白黒版アニメのDVDが発売されたことで、47年ぶりで動画のパーマンとも再会を果たし、長年気になっていた最終回も確認することができ、やっと「パーマン」について少し語れるようになってきたという感じだ。

モノクロ版TVアニメ『パーマン』DVD BOX 上・下巻


全然本筋に入らなかったが、今回は一応ここまでにしたい。しかし、せっかくなのでお宝(?)画像をひとつ紹介しておこう。

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こちらの写真は4歳の私である。1967年の夏に実家の庭で撮影されたもので、注目すべきはTシャツ。

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不二家の「ハイカップ」(カルピスそっくりの乳酸飲料)の王冠を送って当たった景品である。

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背面はこんな感じ(ちゃんと写真を撮ってあるのがすごいと思う)。

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『週刊少年サンデー』に掲載の「ハイカップ」広告ページ。

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抽選で毎月20,000名に当たるとのこと。ずいぶん太っ腹である。

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デザインは2パターンあったようだ(何とレナウン特製!)。今でも残っていれば結構なお宝だと思うのだが…。
posted by taku at 20:33| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月26日

これが「ゴールデンボーイ」だ

前回まで、幻の漫画「かんごく島」を5回にわたってご紹介してきたが、今回は、さらに知っている人が少ないと思われる「ゴールデンボーイ」(1976)を取り上げてみたい。掲載されていたのは、前々年に100万部を突破し、「ブラック・ジャック」「がきデカ」「ドカベン」「750ライダー」「マーズ」「エコエコアザラク」などが誌面を飾っていた、黄金時代の『週刊少年チャンピオン』。伝説の編集長・壁村耐三が采配をふるっていたころである。

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『週刊少年チャンピオン』1976年第37号

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今、劇画の新世紀が轟音とともに扉を開く!!
鬼才・榊まさるの熱情ほとばしる巨大新連載!!


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力・汗・熱情のすべてをこめて、
新世紀の旗手が衝撃のデビュー!!
『劇画』の魅力がこの巨編に結実!!


巨大長編40ページ新連載!!

とにかく大変な力の入れようである。

これをリアルタイムで読んだ時、私は中学1年だったが、作者の榊まさるのことはまったく知らなかった。しかしだいぶ後になって、この当時すでに、官能劇画誌『漫画エロトピア』(1973年創刊)などで健筆をふるっていた売れっ子であることを知り、「なるほど」と納得したものである。この「ゴールデンボーイ」は全編汗臭い男のドラマで、女性キャラはほとんど出てこなかったが、時おり画面に現れる主人公オルフェの姉・静江や少女サチの体のラインが妙にむちむちして、ただならぬ色香を放っていたからである。

前置きはこれくらいにして、早速作品を見ていくことにしよう。

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舞台はとある田舎町。激しい嵐の中、どうにか港に降り立つ「剣・大サーカス」団の一行。
そんな厳しい状況の中でもショーマン精神を忘れない主人公・オルフェ。

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オルフェのちゃらい振る舞いに、体育大学出身の圭司が苛立ち、2人のいさかいが始まる。泣いてそれを止めるサチと、オルフェを叱る姉・静江(ここら辺はキャラクター紹介)。
そこへトラックの運転手が戻ってきて、崖崩れのためトラックは大破、道路も塞がれていると伝える。

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テントが設営されている山の上公園(おそらくここが公演予定地なのだろう)にたどり着くには、山の中腹にある荒れ寺を突っ切って行くしかない。
主人公・オルフェは動物たちを連れての徒歩移動を主張するが、慎重派の圭司は反対する。結局団長はオルフェの意見を採用、嵐の中の行進がスタートする。

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ここまでは物語のほんの序盤なのだが、すでに全体の半分、20ページを消費。さらっと流してもいい会話や状況の説明まで、すべてを過剰に描き込んだ線で描写しているためだ。とにかく、登場人物のすべてが暑苦しく粘っこい。何なんだこの空気圧は、と、呆れながら読んだのを覚えている。

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と、そこに地元の暴走族「地獄クラブ」が登場。一行の行く手をさえぎる。

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「ここはわれわれ「地獄クラブ」の持ち場だ。てめえらが一歩たりとも立ち入ることは許さねえ!!」
とリーダーの文字山(もんじやま)大吾がすごみ、ケンカっ早いオルフェが応戦する。

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これで初回の40ページが終了(なんて薄いシナリオだ! 「ブラック・ジャック」ならこの半分のページ数でひとつの物語を完結させてるぞ)。

でもって続き、第1話の(2)。この回もカラーページである。

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文字山とオルフェの戦いがしばらく続く。オルフェのピンチに猿のチコが加勢するが、文字山の錫杖でブチのめされ絶命。

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マジ切れしたオルフェに、
「てめえら全部血祭りにあげてやるぜっ」
と、殺る気満々の殺人集団「地獄クラブ」。

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暴走族とサーカス団の全面戦争か、と思ったその時、突如荒れ寺からコジキ坊主が鳥をくちゃくちゃ食べながら登場。
文字山が「道神さま」と呼んで畏れるその坊主は、文字山を諌め、オルフェたちに非礼を詫びる。

しかしその後が超展開。

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一行が「剣・大サーカス」だと知るや、坊主は顔色を変え、
「雨野……雨野大介はおらんか!?」
と尋ねる。

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雨野大介はオルフェ(本名は大平)の父で、オルフェが8歳の時に死んでいた。
そのやりとりを聞いていたオルフェの姉・静江は、
「あなた神さん……神さんでしょう」
と問いただす。どうやらこの坊主は、過去にサーカス団と何か関わりがあった様子。

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だが坊主はそれを否定し、突如暴れ出した馬を持ち上げるという離れ業を披露し(もはや超人です)、大吾とともにいずこかへ去っていく(あんた荒れ寺にいたんじゃなかったっけ?)。

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その去り際、坊主は、
「これで安心できると思うなよ! テントに着いてもおまえたちに休息はないっ!!」
と、まるで悪役のような捨てゼリフを残す。

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そして山の上公園に着いた一行が見たものは、暴風雨のため無残に倒壊したテントだった…。オルフェたちの愕然とした表情で第1話(2)は終了。

さてさて、次からどうなるのか、と、あまり楽しみにしていたわけではなかったが、その翌週の『チャンピオン』を見て、こちらもオルフェたちのように愕然とした。

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★休載のおわび★
「ゴールデンボーイ」は作者の榊まさる先生急病のため、今週は休ませていただきます。
連載開始と同時に、読者の皆様から絶大な声援と激励をいただきました。が、榊先生が張り切りすぎたのか右手首けんしょう炎≠ノかかり、ペンが握れなくなったためです。
一刻も早く完治して、次号では再び熱筆をたたきつける決意ですのでご諒承ください。
週刊少年チャンピオン編集部


連載3回めにしてまさかの休載である。その穴埋めとして、この39号には、西崎正「奇妙なできごと」(19ページ)と吾妻ひでお「ゴキブリくん」(5ページ)が掲載されている。

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翌40号、連載は再開されたものの、1、2回めが巻頭カラーまたはカラーだったのに対し、いきなり巻末ページに追いやられており、中学生ながら、「この漫画は長くないのでは?」と直感した。そしてそれは現実のものとなり、「ゴールデンボーイ」はその翌週であっけなく終了してしまうのである。

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一夜明けたテント内、オルフェと女性陣とのやりとり。本筋とは関係ないが貼ってみた(色っぽいシーンが少ないので)。

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オルフェは、サーカス団の長老・源じいさんと圭司の会話から、オルフェの父・雨野大介とコジキ坊主・神竜造との過去のいきさつを知る。15年前、「剣・大サーカス」での大介は空中ブランコの飛び手で大スター、一方の神はその受け手で、2人はライバルだった。空中ブランコは飛び手と受け手の呼吸・信頼で成立する。

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しかしある公演の千秋楽で、大介が荒技『スクリュー飛行』を行った際、神はそれを受けそこね、大介は20数メートル下の舞台に転落、再起不能となってしまったのである。

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事実を知ったオルフェは、その事故は、ライバルだった神が、父をスターの座からひきずり降ろすために故意にやったものだろうと勘ぐるが、姉の静江に一蹴される。

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しかし、幼少期に父の自殺をその目で見たオルフェにとって、姉の言葉は素直に納得できるものではなかった。真相を神の口から聞くため、オルフェはふたたび荒れ寺に向かう。

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と、その内部は、サーカスの舞台そっくりに改造されており、サスペンダー姿の神が待ちうけていた(かなりのトンデモ展開)。

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神は「おまえの父・雨野大介を殺した男」と名乗りながら、その直後には、「ステージで個人の怨念は持たぬ!! 雨野大介はわしとの勝負に負けたのだっ!!」などと、どっちなのかわからないことを言う。

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激高したオルフェは、
「父ちゃんのアダ討ちだっ 覚悟しやがれっ!!」
と神に突進していく。

というところでこの回は終了。

さて、この翌週41号の「追跡」で「ゴールデンボーイ」は終了するのだが、残念ながら私の手元には40号までしか残っていないので、最終回は、今から40年前のおぼろな記憶を頼って書くことにする(国会図書館に行って見ればいいのだが、この作品だけのために行くのはさすがにしんどい)。

神は、向かってくるオルフェに、自分の技を受けてみるかと提案、サーカスに生きるもの同士なので、オルフェもそれに同意し、難易度の高い技で勝負を決する展開となる。たしか15年前と同じようなシチュエーションで、オルフェが飛び、神が受けるということになったと思うが、結果としてオルフェもまた、父親のように技に失敗し転落、失神する。幸運にも大した怪我をすることなく、しばらくして意識を回復したが、目を開けた時、神の姿はなく、オルフェを介抱していたのは文字山だった。オルフェは、なおも神を追うことを決意し、神を師と慕う文字山もまた、オルフェともども神を求めて旅立つ。ラストのコマは、オルフェが「神…」と心でつぶやきながら夜道を歩いているというものであった(ページ下には、「おわり」ではなく、「第1部 完」と記されていたように思う。読者からの熱烈な要望があれば、第2部が書かれる可能性もゼロではなかったのかも知れない)。

今、劇画の新世紀が轟音とともに扉を開く!!

という強烈なアオリとともに鳴り物入りでスタートしながら、わずか4回で終了した「ゴールデンボーイ」。サーカス団の話だというのに、肝心のサーカスそのものの場面は(回想シーンをのぞいて)ついに一度も出て来なかった。したがって、オルフェは一座のトップスターという設定だったが、彼がステージでどんな技を使うのかも不明だし、威厳たっぷりの団長や個性豊かな団員たち(源じいさん、圭司、大男、小人、サチ)も、最後まで活躍の場を与えられることはなかった。

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上の画像は36号に載った次週予告。本編には登場しない、華やかな衣裳のお姉ちゃんやピエロが描かれており、サーカス場面も出てくる予定だったことがうかがえる。

この作品は「打ち切り」なのか、それとも、最初から短期集中連載の予定だったのか。40年が経過した今も、依然、解けない謎であるが、少しだけ想像をたくましくしてみたい。

同じ1976年夏、『週刊少年マガジン』誌上で「聖マッスル」という劇画の連載が華々しく始まっている(32号からなので、こちらの方が約1ヵ月早い)。こちらは、原作・宮崎惇、劇画・ふくしま政美で、ふくしま政美も榊まさる同様、官能劇画ですでに名を馳せていた漫画家である。これはただの偶然だろうか。

ここからは私の勝手な推測だが、『マガジン』での「聖マッスル」のプッシュぶりを見た壁村編集長が、『チャンピオン』でも、それまで同誌では見かけなかった、男性的な匂いの強い「聖マッスル」系の劇画をラインナップに入れることを思いつき、割と急ごしらえで実現させたのが、この「ゴールデンボーイ」だったのではないか。しかし、フタを開けてみたらアンケートなどでの人気は予想以上に低く、これはいかんと頭を抱え、3週目、作者が腱鞘炎で休載したのを幸いに、その1週の間に打ち切りを申し渡した、といったところではないだろうか。少なくとも、第1回の気合いの入れ方を見る限り、はなから短期集中連載と決まっていたようにはみえない。巻頭カラーでスタートというのは、新連載なら必ず、というものではなく、かなり「破格」の扱いである。何しろ、今では長寿作品として誰でも知っている「エコエコアザラク」や「750ライダー」(ともに1975年〜)でさえ、ともに1色ページで、地味にスタートしているくらいなのだ。編集部としては、「ゴールデンボーイ」を『チャンピオン』の新たな目玉のひとつにしたいという野望を抱いていただろうし、作者の榊まさるも、これを機会に、官能劇画誌から少年誌への「職場替え」を画策していたかも知れない。

しかし、結果として「ゴールデンボーイ」はヒット作とならなかった。敗因はいろいろ考えられるだろうが、個人的意見として、まず「サーカス団の物語」という基本設定が、1976年の時点で、すでにひどく古臭く感じられたこと。その前年だったか、父が、木下大サーカスのただ券が手に入ったから一緒に行こうと誘ってくれたことがあるのだが、正直、まったく気乗りがしなかった。まあ、せっかくなので、と、たしか後楽園ゆうえんちに見には行ったものの、肝心のサーカスの演目はまったく覚えていない。2016年現在、サーカス団は世界的にも存亡の危機に瀕しているというが、すでに40年前から、斜陽傾向にあったのだと思う。

そして、これは決定的というか、致命的な問題なのだが、男は過剰に汗臭く、女は妙な色香を醸したこの作家の描線が、手塚、横山、水島、藤子といった『チャンピオン』レギュラー陣の漫画的描線になじんだ少年たち(私も含む)にとっては、リアルすぎ、重たかったということ。それに尽きるのではないだろうか。

とはいえ、成人してかなり経った今、あらためて榊まさるの絵を見ると、そのうまさ、そそる女性の描き方の巧みさに圧倒される。この人の作品が掲載された『エロトピア』は、発売と同時に書店から在庫がなくなったというのも納得だ。「ゴールデンボーイ」以降、榊まさるが少年誌に作品を描くことは二度となく、彼は古巣の官能劇画誌で、その後も大いに世の男性諸氏のエロティックな妄想を掻き立てていくことになる。それはまさに、適材適所というにふさわしいだろう。

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『愛と夢 第7集』(ベストセラーズKK 『漫画エロトピア』増刊 1977年10月13日発行)

さて、こうして『チャンピオン』誌上から劇画の存在はあえなく消えたかに見えたが、壁村編集長の執念なのか、その約3ヵ月後、同誌第50号において、またしてもマッチョ系劇画「格闘士ローマの星」の連載が始まる。

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『週刊少年チャンピオン』1976年第50号

前述の「聖マッスル」の劇画を担当したふくしま政美(ほぼ同時期、「聖マッスル」は連載打ち切り)を起用し、原作者はあの梶原一騎。表紙には「夢の黄金(ゴールデン)コンビ」と書かれている。

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この「格闘士ローマの星」も巻頭カラー30ページ。かなりの力の入れようである。

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こちらはそこそこ連載も継続し、後年単行本化もされたようだが、大ヒットとはいかず、結局、『チャンピオン』に劇画というジャンルが根づくことはなかった。

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ここからはおまけだが、この50号には、私が編集部に送った投書が掲載されている(下画像の右サイド)。

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「マーズ」については以前こちらにもいろいろ書いたが、とにかくこの時代の『チャンピオン』は本当に面白かった。
posted by taku at 20:27| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする