2016年09月26日

これが「ゴールデンボーイ」だ

前回まで、幻の漫画「かんごく島」を5回にわたってご紹介してきたが、今回は、さらに知っている人が少ないと思われる「ゴールデンボーイ」(1976)を取り上げてみたい。掲載されていたのは、前々年に100万部を突破し、「ブラック・ジャック」「がきデカ」「ドカベン」「750ライダー」「マーズ」「エコエコアザラク」などが誌面を飾っていた、黄金時代の『週刊少年チャンピオン』。伝説の編集長・壁村耐三が采配をふるっていたころである。

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『週刊少年チャンピオン』1976年第37号

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今、劇画の新世紀が轟音とともに扉を開く!!
鬼才・榊まさるの熱情ほとばしる巨大新連載!!


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力・汗・熱情のすべてをこめて、
新世紀の旗手が衝撃のデビュー!!
『劇画』の魅力がこの巨編に結実!!


巨大長編40ページ新連載!!

とにかく大変な力の入れようである。

これをリアルタイムで読んだ時、私は中学1年だったが、作者の榊まさるのことはまったく知らなかった。しかしだいぶ後になって、この当時すでに、官能劇画誌『漫画エロトピア』(1973年創刊)などで健筆をふるっていた売れっ子であることを知り、「なるほど」と納得したものである。この「ゴールデンボーイ」は全編汗臭い男のドラマで、女性キャラはほとんど出てこなかったが、時おり画面に現れる主人公オルフェの姉・静江や少女サチの体のラインが妙にむちむちして、ただならぬ色香を放っていたからである。

前置きはこれくらいにして、早速作品を見ていくことにしよう。

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舞台はとある田舎町。激しい嵐の中、どうにか港に降り立つ「剣・大サーカス」団の一行。
そんな厳しい状況の中でもショーマン精神を忘れない主人公・オルフェ。

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オルフェのちゃらい振る舞いに、体育大学出身の圭司が苛立ち、2人のいさかいが始まる。泣いてそれを止めるサチと、オルフェを叱る姉・静江(ここら辺はキャラクター紹介)。
そこへトラックの運転手が戻ってきて、崖崩れのためトラックは大破、道路も塞がれていると伝える。

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テントが設営されている山の上公園(おそらくここが公演予定地なのだろう)にたどり着くには、山の中腹にある荒れ寺を突っ切って行くしかない。
主人公・オルフェは動物たちを連れての徒歩移動を主張するが、慎重派の圭司は反対する。結局団長はオルフェの意見を採用、嵐の中の行進がスタートする。

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ここまでは物語のほんの序盤なのだが、すでに全体の半分、20ページを消費。さらっと流してもいい会話や状況の説明まで、すべてを過剰に描き込んだ線で描写しているためだ。とにかく、登場人物のすべてが暑苦しく粘っこい。何なんだこの空気圧は、と、呆れながら読んだのを覚えている。

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と、そこに地元の暴走族「地獄クラブ」が登場。一行の行く手をさえぎる。

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「ここはわれわれ「地獄クラブ」の持ち場だ。てめえらが一歩たりとも立ち入ることは許さねえ!!」
とリーダーの文字山(もんじやま)大吾がすごみ、ケンカっ早いオルフェが応戦する。

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これで初回の40ページが終了(なんて薄いシナリオだ! 「ブラック・ジャック」ならこの半分のページ数でひとつの物語を完結させてるぞ)。

でもって続き、第1話の(2)。この回もカラーページである。

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文字山とオルフェの戦いがしばらく続く。オルフェのピンチに猿のチコが加勢するが、文字山の錫杖でブチのめされ絶命。

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マジ切れしたオルフェに、
「てめえら全部血祭りにあげてやるぜっ」
と、殺る気満々の殺人集団「地獄クラブ」。

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暴走族とサーカス団の全面戦争か、と思ったその時、突如荒れ寺からコジキ坊主が鳥をくちゃくちゃ食べながら登場。
文字山が「道神さま」と呼んで畏れるその坊主は、文字山を諌め、オルフェたちに非礼を詫びる。

しかしその後が超展開。

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一行が「剣・大サーカス」だと知るや、坊主は顔色を変え、
「雨野……雨野大介はおらんか!?」
と尋ねる。

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雨野大介はオルフェ(本名は大平)の父で、オルフェが8歳の時に死んでいた。
そのやりとりを聞いていたオルフェの姉・静江は、
「あなた神さん……神さんでしょう」
と問いただす。どうやらこの坊主は、過去にサーカス団と何か関わりがあった様子。

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だが坊主はそれを否定し、突如暴れ出した馬を持ち上げるという離れ業を披露し(もはや超人です)、大吾とともにいずこかへ去っていく(あんた荒れ寺にいたんじゃなかったっけ?)。

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その去り際、坊主は、
「これで安心できると思うなよ! テントに着いてもおまえたちに休息はないっ!!」
と、まるで悪役のような捨てゼリフを残す。

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そして山の上公園に着いた一行が見たものは、暴風雨のため無残に倒壊したテントだった…。オルフェたちの愕然とした表情で第1話(2)は終了。

さてさて、次からどうなるのか、と、あまり楽しみにしていたわけではなかったが、その翌週の『チャンピオン』を見て、こちらもオルフェたちのように愕然とした。

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★休載のおわび★
「ゴールデンボーイ」は作者の榊まさる先生急病のため、今週は休ませていただきます。
連載開始と同時に、読者の皆様から絶大な声援と激励をいただきました。が、榊先生が張り切りすぎたのか右手首けんしょう炎≠ノかかり、ペンが握れなくなったためです。
一刻も早く完治して、次号では再び熱筆をたたきつける決意ですのでご諒承ください。
週刊少年チャンピオン編集部


連載3回めにしてまさかの休載である。その穴埋めとして、この39号には、西崎正「奇妙なできごと」(19ページ)と吾妻ひでお「ゴキブリくん」(5ページ)が掲載されている。

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翌40号、連載は再開されたものの、1、2回めが巻頭カラーまたはカラーだったのに対し、いきなり巻末ページに追いやられており、中学生ながら、「この漫画は長くないのでは?」と直感した。そしてそれは現実のものとなり、「ゴールデンボーイ」はその翌週であっけなく終了してしまうのである。

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一夜明けたテント内、オルフェと女性陣とのやりとり。本筋とは関係ないが貼ってみた(色っぽいシーンが少ないので)。

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オルフェは、サーカス団の長老・源じいさんと圭司の会話から、オルフェの父・雨野大介とコジキ坊主・神竜造との過去のいきさつを知る。15年前、「剣・大サーカス」での大介は空中ブランコの飛び手で大スター、一方の神はその受け手で、2人はライバルだった。空中ブランコは飛び手と受け手の呼吸・信頼で成立する。

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しかしある公演の千秋楽で、大介が荒技『スクリュー飛行』を行った際、神はそれを受けそこね、大介は20数メートル下の舞台に転落、再起不能となってしまったのである。

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事実を知ったオルフェは、その事故は、ライバルだった神が、父をスターの座からひきずり降ろすために故意にやったものだろうと勘ぐるが、姉の静江に一蹴される。

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しかし、幼少期に父の自殺をその目で見たオルフェにとって、姉の言葉は素直に納得できるものではなかった。真相を神の口から聞くため、オルフェはふたたび荒れ寺に向かう。

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と、その内部は、サーカスの舞台そっくりに改造されており、サスペンダー姿の神が待ちうけていた(かなりのトンデモ展開)。

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神は「おまえの父・雨野大介を殺した男」と名乗りながら、その直後には、「ステージで個人の怨念は持たぬ!! 雨野大介はわしとの勝負に負けたのだっ!!」などと、どっちなのかわからないことを言う。

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激高したオルフェは、
「父ちゃんのアダ討ちだっ 覚悟しやがれっ!!」
と神に突進していく。

というところでこの回は終了。

さて、この翌週41号の「追跡」で「ゴールデンボーイ」は終了するのだが、残念ながら私の手元には40号までしか残っていないので、最終回は、今から40年前のおぼろな記憶を頼って書くことにする(国会図書館に行って見ればいいのだが、この作品だけのために行くのはさすがにしんどい)。

神は、向かってくるオルフェに、自分の技を受けてみるかと提案、サーカスに生きるもの同士なので、オルフェもそれに同意し、難易度の高い技で勝負を決する展開となる。たしか15年前と同じようなシチュエーションで、オルフェが飛び、神が受けるということになったと思うが、結果としてオルフェもまた、父親のように技に失敗し転落、失神する。幸運にも大した怪我をすることなく、しばらくして意識を回復したが、目を開けた時、神の姿はなく、オルフェを介抱していたのは文字山だった。オルフェは、なおも神を追うことを決意し、神を師と慕う文字山もまた、オルフェともども神を求めて旅立つ。ラストのコマは、オルフェが「神…」と心でつぶやきながら夜道を歩いているというものであった(ページ下には、「おわり」ではなく、「第1部 完」と記されていたように思う。読者からの熱烈な要望があれば、第2部が書かれる可能性もゼロではなかったのかも知れない)。

今、劇画の新世紀が轟音とともに扉を開く!!

という強烈なアオリとともに鳴り物入りでスタートしながら、わずか4回で終了した「ゴールデンボーイ」。サーカス団の話だというのに、肝心のサーカスそのものの場面は(回想シーンをのぞいて)ついに一度も出て来なかった。したがって、オルフェは一座のトップスターという設定だったが、彼がステージでどんな技を使うのかも不明だし、威厳たっぷりの団長や個性豊かな団員たち(源じいさん、圭司、大男、小人、サチ)も、最後まで活躍の場を与えられることはなかった。

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上の画像は36号に載った次週予告。本編には登場しない、華やかな衣裳のお姉ちゃんやピエロが描かれており、サーカス場面も出てくる予定だったことがうかがえる。

この作品は「打ち切り」なのか、それとも、最初から短期集中連載の予定だったのか。40年が経過した今も、依然、解けない謎であるが、少しだけ想像をたくましくしてみたい。

同じ1976年夏、『週刊少年マガジン』誌上で「聖マッスル」という劇画の連載が華々しく始まっている(32号からなので、こちらの方が約1ヵ月早い)。こちらは、原作・宮崎惇、劇画・ふくしま政美で、ふくしま政美も榊まさる同様、官能劇画ですでに名を馳せていた漫画家である。これはただの偶然だろうか。

ここからは私の勝手な推測だが、『マガジン』での「聖マッスル」のプッシュぶりを見た壁村編集長が、『チャンピオン』でも、それまで同誌では見かけなかった、男性的な匂いの強い「聖マッスル」系の劇画をラインナップに入れることを思いつき、割と急ごしらえで実現させたのが、この「ゴールデンボーイ」だったのではないか。しかし、フタを開けてみたらアンケートなどでの人気は予想以上に低く、これはいかんと頭を抱え、3週目、作者が腱鞘炎で休載したのを幸いに、その1週の間に打ち切りを申し渡した、といったところではないだろうか。少なくとも、第1回の気合いの入れ方を見る限り、はなから短期集中連載と決まっていたようにはみえない。巻頭カラーでスタートというのは、新連載なら必ず、というものではなく、かなり「破格」の扱いである。何しろ、今では長寿作品として誰でも知っている「エコエコアザラク」や「750ライダー」(ともに1975年〜)でさえ、ともに1色ページで、地味にスタートしているくらいなのだ。編集部としては、「ゴールデンボーイ」を『チャンピオン』の新たな目玉のひとつにしたいという野望を抱いていただろうし、作者の榊まさるも、これを機会に、官能劇画誌から少年誌への「職場替え」を画策していたかも知れない。

しかし、結果として「ゴールデンボーイ」はヒット作とならなかった。敗因はいろいろ考えられるだろうが、個人的意見として、まず「サーカス団の物語」という基本設定が、1976年の時点で、すでにひどく古臭く感じられたこと。その前年だったか、父が、木下大サーカスのただ券が手に入ったから一緒に行こうと誘ってくれたことがあるのだが、正直、まったく気乗りがしなかった。まあ、せっかくなので、と、たしか後楽園ゆうえんちに見には行ったものの、肝心のサーカスの演目はまったく覚えていない。2016年現在、サーカス団は世界的にも存亡の危機に瀕しているというが、すでに40年前から、斜陽傾向にあったのだと思う。

そして、これは決定的というか、致命的な問題なのだが、男は過剰に汗臭く、女は妙な色香を醸したこの作家の描線が、手塚、横山、水島、藤子といった『チャンピオン』レギュラー陣の漫画的描線になじんだ少年たち(私も含む)にとっては、リアルすぎ、重たかったということ。それに尽きるのではないだろうか。

とはいえ、成人してかなり経った今、あらためて榊まさるの絵を見ると、そのうまさ、そそる女性の描き方の巧みさに圧倒される。この人の作品が掲載された『エロトピア』は、発売と同時に書店から在庫がなくなったというのも納得だ。「ゴールデンボーイ」以降、榊まさるが少年誌に作品を描くことは二度となく、彼は古巣の官能劇画誌で、その後も大いに世の男性諸氏のエロティックな妄想を掻き立てていくことになる。それはまさに、適材適所というにふさわしいだろう。

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『愛と夢 第7集』(ベストセラーズKK 『漫画エロトピア』増刊 1977年10月13日発行)

さて、こうして『チャンピオン』誌上から劇画の存在はあえなく消えたかに見えたが、壁村編集長の執念なのか、その約3ヵ月後、同誌第50号において、またしてもマッチョ系劇画「格闘士ローマの星」の連載が始まる。

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『週刊少年チャンピオン』1976年第50号

前述の「聖マッスル」の劇画を担当したふくしま政美(ほぼ同時期、「聖マッスル」は連載打ち切り)を起用し、原作者はあの梶原一騎。表紙には「夢の黄金(ゴールデン)コンビ」と書かれている。

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この「格闘士ローマの星」も巻頭カラー30ページ。かなりの力の入れようである。

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こちらはそこそこ連載も継続し、後年単行本化もされたようだが、大ヒットとはいかず、結局、『チャンピオン』に劇画というジャンルが根づくことはなかった。

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ここからはおまけだが、この50号には、私が編集部に送った投書が掲載されている(下画像の右サイド)。

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「マーズ」については以前こちらにもいろいろ書いたが、とにかくこの時代の『チャンピオン』は本当に面白かった。
posted by taku at 20:27| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月15日

「かんごく島」の謎を解け

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しつこく「かんごく島」ネタである。正直、現在(9/15)までのところ、ほとんど反響はないのだが、前回のラストで《「かんごく島」には、まだまだ未解明な謎が多く残っているため、章をあらためてその追求をしていくことになるかも知れません》と書いてしまったので、責任を果たす意味でもう1回だけ取り上げてみたい。

(1)なぜ、一行が島に着いて1週間以上経過しても、本土から一切救援が来なかったのか?

言うまでもなく、これが「かんごく島」最大の謎だろう。外部との連絡が完全に絶たれたまま10日近くが過ぎ去ったために、ついに全員死亡という最上級のバッドエンドを迎えてしまったわけである。これに関しては(3)の第9回のところでも述べたように、連続する台風などの自然災害で、本土から船が出港できないといった物理的な制約があったと解釈するしかないだろう(そうでなければ話が成立しないので)。実際、今年(2016年)などは台風が次から次へと発生しているため、2週間近く物資が届いていない離島もあるようだ。残念ながら作品中で台風の連続発生を描いた場面はないが、第9回でエリが、「このごろ海があれているのよ。さかなは海のそこにかくれてるわ」と話すコマがあり、決して晴天に恵まれていたわけではないことがわかる。
というわけで、本土から救援が来なかった理由は、「荒天のため」で決着。

(2)なぜ遠藤幸助は、森川伸介生き埋め事件の一部始終を知っているユミを引き取って、10年も一緒に暮らしたのか?

これも、作品成立の根幹に関わる重要事案なのだが、(4)の第10回で述べたとおり、遠藤は潮見のおばばに命じて、ユミの記憶を一旦消させた、と私は解釈している。第9話で遠藤が、「(ユミが)事件のことをおぼえているわけがない!」と和巳に言うのは、それを踏まえてのことだろう。しかし、一旦は消されたユミの記憶だが、ムサシの子ネコ虐待事件がきっかけで、過去の出来事を思い出し…という流れもすでに述べたとおりである。
これは想像だが、遠藤は、記憶を失っていたユミに対しては、おそらくそれなりによき父親だったのではないか。それは第5回で、ユミへの殺害予告状を見た時の遠藤の言動によく現れている。「ユミがあぶない!」と叫ぶ和巳に続き、遠藤は「よし、みんなで海岸へいってみよう!」と、自分も殺されかけたばかりだというのに、現場に急行しているのである。そして岸壁では「ヤスヨがおよぎにくるのはいつもこのあたりなんですがねえ」という赤七に対し、「しかしどこにもおらんじゃないか」と激しく叱責している。
森川の娘であるという点さえ目をつぶれば、美しく成長したユミは、遠藤にとって和巳とならんで可愛い「わが子」であったに違いない。最終回のラスト前で、和巳とユミが仲よく乗馬を楽しんでいる回想シーンがあるが、これなども、遠藤が和巳とユミを分け隔てなく寵愛したあかしのように思われる。それだけに、ユミが第11回で「わたしはユミ! 森川ユミよ」と名乗り、復讐を宣言した時の遠藤の衝撃は大きかったに違いない。まさに「可愛さ余って憎さ百倍」で、その結果があの最終回の猟奇的殺人方法だったとすれば納得がいく。
というわけで、遠藤が、事件の一部始終を知っているユミを引き取り、10年も一緒に暮らした理由は、「ユミは一旦は事件の記憶を失っていたから」で決着。

(3)一連の連続殺人や不可解な現象は、本当にすべてユミの単独犯行なのか?

ついに来ました。これが最大の難関にして、大嶋(自称)探偵が一番知恵を絞ったところである。まあこの当時の連載漫画やドラマなどは、展開がかなり思いつきというか行き当たりばったりというか、伏線を張っておきながらきちんとそれを活かさなかったり、トリックや動機が解明されないまま話がどんどん先に進んだりするのは何ら珍しくないので、それをいちいち真面目に取り上げるのもナンセンスな話なのだが、私の「かんごく島」への思い入れは通常とはちょっとレベルが違うため、この機会に徹底検証を試みたい。

では「かんごく島」全12回を振り返り、殺人や殺人未遂、不可解な現象等をすべて抜き出してみよう。

<1>船上にて、コップの水を舐めた猫が変死、毒殺?(第1回)
<2>島到着後、坑道内にて炭車が暴走、沢渡の妻スミエ轢死(第1回)
<3>沢渡、死体のようになって潮だまりに浮かぶ(第2回)
<4>事務所2階にてヘビの死骸発見、頭部に森川のナイフ(第2回)
<5>第三坑道から謎のうめき声、続いて森川らしき白骨死体の出現(第2回)
<6>事務所の電話線が切断される(第2回)
<7>徳田のモーターボートと小型船が爆破、徳田焼死(第2回)
<8>沢渡、遠藤と第三坑道調査中に油まみれになり焼死(第3回)
<9>遠藤、つり橋の板を踏み抜き転落しそうになる(第4回)
<10>ユミ宛の殺害予告状が発見される(第4回)
<11>ユミ、ヤスヨの計略でサメに襲われ生死不明(第4回)
<12>ユミ、赤七の用意した毒入り水筒を転用して敏子を殺害(第5回)
<13>ユミ、水野を第三坑道の竪穴に突き落としネズミに喰わせて殺害(第6回)
<14>ユミ、草むらにロープを張って赤七を転倒させ殺害(第7回)
<15>ユミ、第三坑道であほうの松に穴を掘らせ上から土砂を落として殺害(第8回)
<16>ユミ、海岸でヤスヨの足を鎖で固定し満潮になる時刻に溺死させる(第9回)
<17>ユミ、潮見のおばばに岸壁から飛び降りるよう迫りおばば転落死(第10回)
<18>ユミ、遠藤とエリを第三坑道に生き埋め、遠藤は半発狂しエリを窒息死させる(第11回)
<19>遠藤、ユミ殺害をもくろむも和巳に阻止され事故死(最終回)
<20>和巳、ユミを助けた時に重傷を負い事故死(最終回)
<21>ユミ、自殺(最終回)

だいたいこんなところだろうか。犯人がユミであると明らかになった<12>以降は、すべて漫画の中で描かれていることなので、説明の必要はないだろう。問題は<1>から<11>までである。

<1>については一旦保留にして<2>から話を始めたい。<2>の炭車暴走、そして<5>の第三坑道からのうめき声&森川らしき白骨死体の出現、この2つに関しては、ユミが単独で行うのはどう考えても不可能である。<2>でのユミは、一行の中の1人として坑道を歩いていたので、炭車を操作する人間は別にいたはずだ。また、<5>の白骨死体などは作り物としても大変手が混んでおり、事前に入念な準備をしておく必要がある。しかし、作品を最後まで読んでも、ユミに共犯者がいた形跡はないし、かといって16歳のユミが家族に内緒で、事前にたった一人で島にわたってこつこつ準備をしていたとは到底考えられない。これには私も頭を抱えてしまったのだが、何度か作品を読み返すうちに、次第に真相がつかめてきた(おそらく原作者もそのつもりで書いたのだろう)。

結論から言うと、第3回での遠藤の推理が当たっている。あの白骨死体など一連の怪奇現象はすべて沢渡の仕組んだものである。遠藤いわく、
「きみはわしをこわがらせて東京へかえそうとしている。わしがにげかえればこの島をうりとばしたきみはまるもうけだからな」
これが動機のすべてである。

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第1回で明らかになっているように、沢渡は2年前、遠藤に無断で島の名義を書き換えて第三者に転売していた。おそらく、長崎で営む自分の事業が思わしくないため、その運転資金に充てたのだろう。なぜそんな詐欺まがいの行為が出来たかといえば、かんごく島が10年前に廃坑となって以降、東京在住の遠藤はその存在をなかば忘れており、島の権利証等(登記簿謄本のたぐい)も、沢渡に預けっぱなしにしていたからだろう。しかし、遠藤は何かのはずみに島の存在を思い出し、島全体をレジャーランド化する計画を構想する。

「東京での事業もうまくいっているし、廃坑の一つや二つほうっておいてもいいんだがね。まあこの遠藤幸助、どえらい道楽でもやってみようと思ってな!」
というのが本人の弁である。これに慌てたのが沢渡だ。すでに島を売却してしまっていることが発覚しては、文書偽造と詐欺の容疑で確実にお縄になってしまう。
そこで沢渡は、遠藤が自分から島の所有権を放棄したくなる状況を作ることを思いついた。島の中で怪奇現象が頻発すれば、遠藤が「こんな恐ろしい島はもういらん。沢渡、適当に処分してくれ」とでも言い残して東京に逃げ帰るだろうと計算したのである。たしかに、10年前の事件を知る者にとっては、森川の幽霊や死体が出たというのはかなりのダメージになるはずだ。
しかし、小心者の沢渡は、島に向かう船の中で、すでに馬脚を現し始めていた。遠藤のプランに対して、
「けっこうなアイデアで、社長!」
などと必死にご機嫌を取っているが、妻のスミエともども目が泳いでいる。

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また、島に着いてからも、沢渡の不審な挙動を遠藤がいぶかしがる描写がある。
「おかしいねえ、船にいたときからどうもへんだ! わしにかくしていることでもあるのかね?」
「め、めっそうな、社長にかくしごとなど!(汗)」
という二人のやりとりに着目すれば、沢渡が何もしていない方が不自然なくらいだ。

以上の前提から導き出された答え、すなわち、<2>から<6>までの怪奇現象は(スミエの殺人以外)すべて沢渡の主導によるものである。この一連の騒動により、「かんごく島には森川や大勢の鉱夫の亡霊がとりついている」という不吉なイメージを遠藤に植え付けようとしたのだ。

では、ひとつひとつについて具体的に検証していこう。まず<2>の炭車暴走に関しては、事前に沢渡から指示を受けた赤七が、娘のヤスヨとあほうの松を使って行わせたものであろう(一行が坑道に入る直前、ヤスヨとあほうの松が意味ありげにその場を去るのがポイント)。

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廃坑の管理人である赤七は、
「あの坑道をぬけるのが事務所への近道でさあ」
と、もっともらしく説明するのだが、船着き場から事務所に行く道はほかにもあるのに、東京から来た(それなりにいい靴を履いているであろう)一行を、わざわざ足場が悪くて暗い坑道に案内するのは不自然である。こうなってくると、これが炭車騒動に遭遇させるための誘導であり、赤七も共犯であったことは確実である。
坑道の中で、赤七の持つたいまつの火が突然消えたのも、赤七がわざと消したとすれば辻褄が合う。そしてそれを合図に、入り口附近で待機していたにいた松とヤスヨが、力まかせに炭車を軌道に押し出したのだ(炭車の走ってくる音は入り口の方から聞こえる、というセリフが作品中にある。すなわち、炭車を押し出した犯人は明らかに外にいたことになる)。

しかし、沢渡の目的は、あくまで遠藤に恐怖心を植え付けることであり、殺人などは思いもよらぬことであった。だが、復讐心に燃えるユミは、島に着いて以来、密かに殺人の機会を狙っていたのであり、坑道内でいきなりその絶好のチャンスに遭遇したわけだ。そこでまず敏子を、と狙いをつけ背中を押し、走ってくる炭車に接触させたのだが、それは、敏子の羽織を着ていた沢渡スミエであった。あの場で敏子は「スミエは人違いで殺された」可能性を示唆していたがその考えは正しい。こうして、ユミの殺人は錯誤からスタートしたのである。

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その晩、遠藤と沢渡は事務所で口論になり、いきなり殴られてブチ切れた沢渡は、「すでにかんごく島は第三者に転売した」と口走ってしまうのだが、いくら妻の死で動転していたとはいえ、これは明らかにミステイクであった。その場を立ち去った後で冷静になり、すぐ自分の失態に気づいた沢渡は、このままでは遠藤にどんな仕打ちをされるかわからないと考え、自分も「被害者」になることで遠藤の追及を交わそうと考えた。遠藤が本土と連絡を取り、翌日には徳田が島に着くこともわかっていたので、その到着時間より少し前に、自分から船着き場近くの潮だまりに入って、水死体を装っていたのである。徳田出迎えのため、誰かが船着き場に出た際、自分を発見してくれるだろうという周到な計画であった。実際、和巳が沢渡を発見して引き上げる場面の直後に、徳田のモーターボートが到着している。これが<3>の真相である。

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<4>の、事務所2階でヘビの死骸が発見され、その頭部に森川のナイフが刺さっていたのも、事前に森川の遺品(ナイフ)を入手できる立場にあった元所長の沢渡ならば、簡単に行えたはずである。
この場面は、最初のうちは遠藤と徳田の2人だけが話しており、沢渡は途中から「生きかえりましたよ」などと言いつつ事務所に入ってくる。2階でヘビの死骸をセッティングして(ヘビはおそらく赤七にでも用意させたのだろう)、それから部屋に入ったと考えれば納得がいく。

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次に、<5>の白骨死体出現について。まずこれが、実際の森川の白骨なのか、あるいは精巧に作った模型なのか、判断に苦しむところである。第6回で、ユミが白骨を見て、「パパ…」と意味ありげにつぶやく場面があるが、これだけではどちらとも言えない。とにかく、事前にああいう形状(うらめしや〜のポーズ)にしたものを土の中に埋めておいて、遠藤たちが現場に来たのを見計らって赤七が操作したものと思われる。土中から飛び出す仕掛けは、おそらくピアノ線か何かで引っ張ったのだろう(赤七は第4回において、第三坑道内で和巳と鉢合わせているが、これも、そのピアノ線などの細工を隠蔽するためだったと考えられる)。遠藤たちを坑道に誘い出した「うめき声」も、赤七が拡声器か何かを使って声を響かせたのだろう。

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なお赤七に関しては、遠藤や敏子の手先といった印象が強いが、彼は報酬さえ得られれば主人を選ばない、いわば仕事人タイプの悪党である。遠藤に内緒で沢渡の依頼を受けていたとしても何の不思議もない(実際、第3回の回想シーンでも、沢渡の命を受け猛犬を森川にけしかける場面がある)。

これに続く<6>、事務所の電話線切断も沢渡の仕業である。遠藤や徳田とともに事務所を出る時、素早くナイフか何かで切ったのだろう。そしてこれが「脅かし」のいわばフィナーレで、ここまでやれば遠藤は徳田とともに島を飛び出ると沢渡は計算していたのである(これらはすべて事前に予定していた行動なので、妻の死というアクシデントはあったものの、段取りの変更はしなかったと考えられる)。

しかし、沢渡の予想に反して遠藤は島に残り、徳田だけがモーターボートに乗った。もはや沢渡の手札は尽きたのである。ここからの彼は、ユミに殺されるのを待つだけの、あわれな標的でしかない。そしてここから、ユミが一気に動き出す。徳田が本土に戻って警察関係者を多数連れてきては、ユミの復讐殺人は不可能になる。そこでユミは思い切った行動に出た。それが<7>の、モーターボートと小型船の爆破(結果として徳田は焼死)である。16歳の少女の犯行として本当に可能なのか、いろいろ考えてみたが、ここで忘れてはならないのが、ユミが「炭鉱現場主任」森川の娘であるということだ。

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どうやら幼少期のユミは大変なパパっ子で、森川の仕事場にもひんぱんに出入りしていたようだ。それは落盤事故の時、ユミも一緒に生き埋めにされたことでも明らかだろう。であるならば、現場で岩盤を崩すための発破作業なども一度ならず見ていた可能性が高く、ダイナマイトの使い方もおおよそはわかっていたはずである。ただ、さすがに起爆装置は作れないだろうから、単純に、導火線に火をつけて船に投げ込んだと考えるのが自然だろう。では、そのダイナマイトはどこから調達したのか。ポイントは、かつての炭鉱事務所が現在のユミたちの宿舎であるという点だ。建物のどこかに、未使用の爆発物が残留していたとしても不思議ではない。おそらくユミは、到着した日の夜、みなが寝静まるのを待って、事務所の中を探索し、それを発見したのだろう。では、徳田のモーターボートだけではなく、自分が乗ってきた小型船まで爆破した理由は? それは、この島からの脱出を不可能にし、復讐殺人を確実に実行するためである。最終回のセリフ「全員に復讐をとげたとき、このとりかぶとの毒をのむつもりだった…」でもあきらかなように、ユミ自身、生きてこの島を出る気はなかったのだから、船の破壊には何のためらいもなかったのだろう。

また例によって長くなって来たのでやや駆け足で。<8>の沢渡が油まみれになって焼死したのも当然ユミの犯行である。ユミはその少し前、意識を失った和巳を第三坑道の入り口で発見して連れ帰ったと自ら語っている。

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しかし、そもそもなぜユミは第三坑道に行ったのか。そう、沢渡か遠藤のどちらかが足をすべらせ窪みに落ち込むよう、廃油を足元に撒きに行ったのである。そして改めて坑道に出向き、油まみれになっている沢渡に火を投げたというわけだ。

<9>の、遠藤がつり橋の板を踏み抜き転落しそうになるのも、ユミの仕業と考える以外ないのだが、つり橋というのは誰が渡るかわからないので、遠藤をピンポイントで狙ったとは考えにくい。もっとも、ユミの目的は、島にいる全員を殺すことなのだから、「こういう細工をしておけば、いつか誰かが落ちるはず」という、いわばトラップだったと考えるのが妥当だろう。ただ、こういう微妙な細工を果たしてシロウトができるのかという疑問は残る。細工をしている最中に自分が転落する危険もあり、まさに命がけである。もっとも、元から命を捨てるつもりだったユミには、すでに怖いものはなかったのかも知れない。

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<10>の、ユミ宛の殺害予告状、これは、これまでの殺人が予告なしで行われてきたことを考えると何とも唐突で嘘くさいのだが、ユミの洋服から落ちたことでも明らかなように、当然ユミの自作自演である。では、なぜそんなことをしたのか。これは次の、ヤスヨの計略とも関連してくるのだが、ユミは、第3回冒頭で和巳に抱きしめられた時、その様子をヤスヨが密かにのぞいていたことに気づいており、ヤスヨが和巳に好意を寄せていることを直感的に察知していた。

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とすれば、あの赤七の娘のことだ。自分の欲望のためなら、ためらいなく目の前の邪魔者を消そうとするに違いない。折りしも、10年前の事件が掘り起こされ、連続殺人の動機を持つ者として、ユミに疑いがかかるのも時間の問題となっていた。
「それなら、この機会にいっそのこと、自分は殺されたことにしよう。その方が好都合だ」
おそらくユミはそう考えたのだろう。ちなみに、本家というべき「そして誰もいなくなった」でも、真犯人はある方法を使い、途中で殺されたことになり、容疑者候補からはずれている。

であるから、<11>にあるように、ユミはヤスヨの計略によりサメに襲われ生死不明となるのだが、それもユミにはある程度、想定内の出来事であった。大して親しくもないヤスヨが、いきなり「いっしょに泳ぎましょう」と言って来た時から、多分海で何かを仕掛けてくると予想はしていただろう。しかし、まさかヤスヨが、みずからの血でサメをおびき寄せるという離れ業を使うとは考えていなかっただろうから、ある意味命がけの大芝居だったわけだ。このあと、ユミは再会した敏子に、
「ええ、ほんとにあのときはあぶなかったわ」
と語っている(第5回)が、これはユミの本音だろう。

<12>以降については、もはや説明の必要はないと先ほど書いたが、ひとことだけ。敏子と赤七の会話(エリの殺害計画)を盗み聞きしていたと思われるユミは、エリと水野の行動をマークし、2人が水筒を置いて立ち去ったあと、それを持ち去り、敏子殺害に用いた。これは周知のとおりなのだが、最終回でユミが自ら飲んだとりかぶとの毒は、もしかしたらこの時の水筒の水の残りかも知れない。もっとも、島にはとりかぶとが自生しているので、そこから毒を取ることはユミ本人にも可能だったのだろうが。

いずれにせよ、死んでいることになっている<12>以降のユミは、もはや鳥のように自由である。そして殺人方法はすべて、さして力の強くない少女でも充分可能な、ある種「他力本願」的なものになっている。実は、<13>で殺害した水野の遺体を載せた炭車が、坑道から猛スピードで飛び出してくるという難易度の高そうな描写が第7回の冒頭にあるのだが、坑道は斜面になっているため、一番高い場所から炭車を走らせればかなりの加速度がつくはずで、ユミにもあながち不可能な作業ではない。また、<16>でヤスヨの足を固定した鎖(足枷)は、かつて炭鉱で、坑夫の逃亡防止用に使われていたものの再利用であろう。
さらに補足するなら、<18>で遠藤とエリを生き埋めする際に使ったのは、徳田を殺した時に使ったのと同じダイナマイトで、おびき出しに使った肉については、ユミが洋服(ワンピース)を取りに宿舎に戻った時(この時はまだ食料のストックは充分にあった)、厨房から盗み出して保存しておいたものと思われる。

これで、ほぼすべての怪奇現象についての解明が終わった、と言いたいところだが、最後に、一旦保留にしておいた<1>について改めて考えてみたい。実はこの<1>こそが、最後の難問なのである。もしあの猫が本当に毒で死んだとして、そして犯人がユミだったとして、肝心の毒はどうやって手に入れたのか。とりかぶとの毒は、島に着いてからでないと調達できないはずである。

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となると、これは沢渡による遠藤への「脅かし」だろうか。島に着く前から、この島は不吉な場所ですよ、と印象づける狙いだったのだろうか。しかし、あの水はもともと敏子が飲むはずだったわけで(それを敏子が甲板にこぼしたため、たまたま猫が舐めて死んだ)、「脅かし」にしては悪質すぎる気がするのだが…。
あるいはエリが言うとおり、初めから水に毒などは入っておらず、猫は単に病気か、あるいは長旅の疲れで死んだのだろうか。すべての関係者が死に絶えた今、この猫の死だけが、永遠に解けない謎となってしまった。

というわけで、「一連の連続殺人や不可解な現象は、本当にすべてユミの単独犯行なのか?」の答えは、「これまでの殺人はみんなわたしがやったのよ」というセリフ(第5回)もあるように、殺しについては100%ユミの犯行。しかしそれ以外のほとんどは沢渡によるもの、という結果になった。

長い長い「かんごく島」ツアー、これにて完全終了です。ここまでお読み下さった方、本当にお疲れ様でした。
posted by taku at 19:59| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月09日

幻の「かんごく島」(4)

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血もこおる恐怖の復讐物語「かんごく島」の魅力を、私見を多分に交えてお届けするレビュー第4(死)弾にして最終回!

第10回

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松とヤスヨの墓を立てている遠藤と和巳。エリは酒をあおるだけで手伝おうとしない。今や島は死人が8人、生存者5人という状況である。

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「いずれはあたしたちもころされるんだわ。だからそのぶん(の墓)もいまからつくっておく?」
というエリの提案に対して、
「そりゃいいかんがえだ! たしかにわしらの墓はだれがつくってくれるというんだ」
と、ハイテンションに応じる遠藤。空腹と恐怖でかなり情緒不安定になっているようだ。しかしやがて、
「墓などつくってなんになるというんだ。ああ、金はいくらでもやるからくいものをくれーっ」
と、その場に倒れ込む。和巳は、潮見のおばばが何を食べて生きているのか、その食料事情を探りに行く。
そのころ、おばばの棲む洞窟には、先客が訪れていた。

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「やっぱりのう…。こんどはわしのばんじゃったか」
と、ユミの復讐を淡々と受け入れようとするおばば。しかし、世捨て人にしか見えないおばばが、森川伸介・ユミ父子に対し、いかなる「罪」を犯したというのか。

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…と言うことだそうだが、これは何度読んでもしっくりこない。以前にも書いたように、ユミが島にいる人間全員を殺していくことがドラマ後半の「見どころ」なので仕方ないのだろうが、遠藤ら4人以外については、無理やり理由づけをしているようにしか思えないのである。特に島の巫女であったおばばは、俗世の価値観や生死をも超越した存在のはずで、「さからえばこのおばばの命がなくなるんじゃ」などという理由で、遠藤たちの要求に応ずるとは思えないのだが…。しかし、おばばの関与には、実はかなり重要な意味があるとも考えられる。

ここで、10年前の事件を時系列的に整理してみよう。

(1)遠藤の指図で、森川とユミ、第三坑道に生き埋め(実行犯:沢渡・徳田・赤七)
(2)1週間後、森川、排水パイプから沢渡と徳田の話を聞き、復讐を誓う
(3)その後、あほうの松によって排水パイプの地上露出部分が破壊される
(4)10日〜2週間後、森川、抜け穴を開けてそのまま絶命
(5)ユミ、穴から這い出て倒れているのを赤七に発見される
(6)赤七、ユミの生存を遠藤と敏子に報告
(7)遠藤・敏子・赤七、口封じのため、ユミをおばばの元に監禁
(8)おばば、遠藤の依頼で、術(または薬草)を使ってユミの記憶を消そうと試みる
(9)ユミ、それ以降、事件のことは口にしなくなったので遠藤と敏子もひと安心
(10)敏子、ユミを連れて遠藤と再婚する

という流れになるだろうか。

(8)と(9)については私の「脳内補完」なのだが、そう考えるのが自然なように思われるので入れてみた。ユミを閉じ込めている檻の前でおばばが「ムニャムニャクチャ…」とやっているコマや、猿ぐつわを噛まされたユミが朦朧としているコマがあるが、これらを記憶抹消の呪術あるいは薬草の投与ととらえることは一応可能だろう。しかし、きちんとした説明が一切ないのが実に惜しい。監禁した翌日、遠藤がおばばの元を訪れ、謝礼のヘビを渡し「これからもよろしくたのむぞ」と声をかけるシーンはあるのだが、この言葉の意味もはっきりしない。
ここは是非とも、遠藤がおばばに対し、
「ユミの頭の中から、第三坑道での記憶をすべて消して欲しいのだ。さすがに殺すのはしのびないのでな。おばばならできるだろう」
と依頼する場面が欲しかった。どう考えても、森川の生き埋め事件の一切を知っているユミを、そのままにしておくのは遠藤たちにとって危険すぎるだろう。ただ一時的に監禁するだけでは、根本的な解決にはならないはずである。そしてそんな娘を家族として迎えるなど、なおさらあり得ないことだ。ここはどうしても、ユミの記憶は一旦は消されていなくては話が成り立たない。
かくて、おばばの呪術によってユミは事件に関する一切の記憶を失い、晴れて遠藤と敏子は再婚。和巳とユミも実の肉親以上に仲のよい兄妹として成長、そのまま何ごともなく10年近い年月が流れた。しかし思春期の訪れとともに、ユミの体に流れる実の父親の血が騒ぎ出し、そんなさなか、ムサシが子猫をいたぶる場面に遭遇して、眠っていた記憶や復讐心が「覚醒」した――というのが私の解釈である。

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ユミはおばばを坑道から岸壁に連れ出し、そこから飛び降りろと迫る。運命を悟ったように、おとなしくその言葉にしたがうおばば(こういう態度を見るにつけ、10年前、命惜しさに遠藤に協力したというのが嘘くさく思える)。

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おばばが崖から足を離したその瞬間、和巳がおばばの枯れ木のような左腕をつかむ。

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思いもかけない形で再会を果たす和巳とユミ。

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和巳、おばばの腕をつかんだままでユミとかなり長い会話を交わす。肉体的にも精神的にもこれはキツイ!

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「このままではいっしょにおちてしまいますじゃ!」
と、みずからの右手で左腕を切り落とし、海に落ちていくおばば(第9の殺人)。

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和巳は、ついに真相をしった。だが、ユミの心は、かたくとざされたままだ! つぎにころされるのは、だれ?(44号アオリ)

【ひとこと】今回から登場人物紹介欄の序列が変わりました。前回までは黒縁が飛び飛びだったのですが、今回から死者と生存者できっちり区切られています。死者の方が圧倒的に多くなり、この物語も終焉に近づいていることを無言のうちに示しています。

ついに6話ぶりで和巳とユミが再会。しかも、ユミが連続殺人を実行しているさなかに、という衝撃的なシチュエーションでした。おばばの腕をつかんだ状態での和巳とユミのやりとりにも緊迫感があります。
ユミは前回の回想シーンにもあった「弱者の生存権」について持論を語ります。前回は「弱いもの、力のないものも生きていく権利がある」と言っていましたが、今回はさらに論を進め、「弱いものが生きていくためには自分の手で戦うしかない(法律は権力者の味方はしても、弱者の味方にはならないので)」と自衛のための戦闘を宣言します。このあたりのことは、「どこまでが防衛でどこまでが武力行使なのか」みたいな大変難しい問題です。
しかし、ユミの行動は、実はそうした頭でっかちなイデオロギーに基づいているわけではなく、もっと情緒的というか、体感的な要素が大きいように思います。それはすぐあとのユミの、
「復讐のためにひとりのこらずころせという、パパの声がきこえるのよ」
というセリフでも明らかです。まあ、どんな場合でも理論や理由は後付けのことが多いものですが。ユミの連続殺人は、第9回で和巳が指摘したとおり「ころされた父親のうらみが、ユミにのりうつった」その結果と考えるのが自然でしょう。そしてこの、「誰かが『殺せ』と言っている声が聞こえる」「その命令には従うしかない」というのは、まぎれもなく統合失調症の基本症状で、ある時からユミは正気ではなくなっていたという見方も成り立つと思います。過去のトラウマに10年間フタをし続けた結果、そういう陽性症状が発現した、というのはあながち突飛な解釈でもないでしょう。

何か、ラストが近づくにつれ、レビューから逸脱し私見が多くなってしまい、読んでいる方には申し訳ないです。この作品については、私も、46年間、トラウマにフタをし続けていたもので、一度それがはずれてしまうと、自分の思いがドロドロとめどなく出てきて、もう後には引けない感じなのです。実際、この「かんごく島」レビューを始めた9/1以来、私は、ここ数年味わったことのない妙な高揚感に取り付かれています(多分、変な脳内物質が出ているのでしょう)。ブログを、こんなにハイテンションで書くなんて、ほんと、滅多にないことなのです。しかし、それもあと2回…。何か淋しいです。

第11回

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和巳はユミを追いかけるが、やがて見失ってしまう(ユミの方が足が速いのか?)。

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同じころ宿舎では、食料を食べ尽くしたエリが、ネズミを取って食べようとしていたがうまくいかない。
「からだをうごかせばそれだけはらがへるんだ、よせよせ」
ソファに寝そべり、水木しげる御大のようなことを言う遠藤。と、エリが肉の焼ける匂いを察知する。遠藤も匂いに反応、2人はそれに釣られて外に飛び出し、ついに第三坑道の中まで入り込む。

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一片の肉を巡って醜く争う遠藤とエリ。肉をゲットした時の遠藤の得意そうな顔がたまらない。この2人には、「半分ずつ食べる」という選択肢はなかったのか…。

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その時、坑内で落盤が起き、2人は坑内に閉じ込められてしまう。これは言うまでもなく10年前の事件の再現であった。

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排水パイプから、ユミの高笑いが聞こえてくる。
ふふふ、やっとわかったようね! そのとおり、わたしはユミ! 森川ユミよ
(ここら辺は、何度読んでもゾクゾクしますねえ)

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エリは、自分は事件には無関係だから助けてと懇願するが、それに対するユミの答えがすごい。
「わたしが生きうめにされたとき、父 森川伸介の肉をたべて生きのびたの! くるしかったわ。だから遠藤のパパにも、おなじくるしみをあじわわせてあげなくちゃ。そのためにエリさんをいっしょにとじこめたのよ!」
前にも書いたが、水野とエリは完全に10年前の事件とは無関係なので、この仕打ちには納得できないのだが、ユミからすれば、「自分も何の非もないのに生き埋めにされたのだから」ということなのだろうか。

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閉じ込められた遠藤とエリが、かつての森川とユミのように、土の壁を掘り進め、やがて飢えと乾きで衰弱していく様が描かれる。やられた方法をそっくりやり返す、というのはまさに復讐の王道であるが、ユミと遠藤の直接の対面、対決がないので少し物足さも感じる(まあ、それは最終回のお楽しみということで)。

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3日後、島内をさまよい続けた和巳は、第三坑道の中からエリの悲鳴らしきものが聞こえてくることに気づき、ツルハシを使って必死に声のする場所を掘り進める。

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そしてついに穴が開くが、そこで見たものは、エリの肉を喰う遠藤…と思いきや、実は、土を肉だと思い込み、むさぼり喰う発狂した遠藤と、その土塊を口に突っ込まれて窒息したエリの姿だった(第10の殺人)。

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絶叫する和巳。そのすぐ近くには、非情な目をしたユミが…。

【ひとこと】この回は、正直、あまりコメントすべき点が見つかりません。うーん、遠藤への復讐ということになると、やはりこの方法以外ないというのはわかりますが、巻き添えを食ったエリが返す返す哀れでなりません。それについて、これまた個人的な改変アイデアなのですが、エリの人物設定を「遠藤の若い愛人」にしておけばよかったのではないかと思います(モデル設定も生かしたままで)。そうすれば、第1回から敏子とエリがお互いを敵対視していたことの説明もつきますし、閉じ込められたあとの感情変化も、もっと複雑なものが描けたのではないかと思います。少年漫画というくくり上、愛人設定はNGだったのでしょうか。
それから、2人のおびき出しに使った骨付きの肉ですが、これをユミがいかなる方法で調達したのかが気になるところです。まさかこれまでに殺した誰かの肉ってことはないですよねえ。

さて、泣いても笑ってもあと1回で終わりです。私は当然ラストを熟知しているのですが、どういう風に自分の言葉でしめくくるか、いまだ想像がつきません。

最終回

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土の塊をむさぼり喰う狂った遠藤だったが、ユミの姿を見つけ、にわかに正気に返る(この時代のマンガやテレビなどでは、一時的に発狂→何かのはずみに正気に戻る、という描写が結構ある)。

この悪魔!」(これはどっちのセリフなのか??)

ついに直接対決! ユミは尖った石片を遠藤の眉間に突き立てる。遠藤、絶命か?

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しかし! まさかの展開。次のページでは、そんなことはまるでなかったかのように遠藤がユミをタコ殴りしている。3日間、土しか食べていなかったのに元気すぎるだろう。火事場の馬鹿力って奴だろうか(それにしてもこの展開…正直ついていけません。最終回だというのにギャグみたいです)。

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「ユミ! さあたて、おまえのためにわしはどんなにおそろしいめにあってきたか…。こんどはわしがおまえを半殺しのめにあわせてやるぞ」

何か、この局面におよんで、「半殺し」ってのも妙に手ぬるいこと言ってるなあ、単純に「殺してやる」でいいんじゃないかなあ、などと思い、ページをめくると…


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いきなりの猟奇殺人モード。
「この土が炭車にいっぱいになるとき、おまえのからだはまっぷたつにひきちぎられるのだ」
と、ほくそえむ遠藤。
そうか、「半殺し」っていうのは体を半分に切って殺すことなのね、と思わず納得…しないって。そもそも、餓死寸前で衰弱しきった人間が、どうしてこういう無駄に体力を使う、非効率的な(そして趣味性の高い)殺害方法を考えるのか、まったく理解できない。まあ「作品の世界観に忠実にやってます」ってことなのだろうが。それにしても、これまで超人的な能力を発揮して復讐殺人を続けてきたはずのユミが、いきなり無力すぎる。抵抗もせず、黙って縛られてたのか?

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とにかく、いきなり無力化してしまったユミは、炭車の重みで、最後の時を迎えようとしていた。そこに飛び込んできた和巳が、驚異的な運動神経で炭車とユミをつないでいたロープを切る。最終回にふさわしい主人公の活躍!

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しかしそのはずみに、加速していた炭車に足を突っ込んだ和巳は、炭車もろとも坑道の壁に衝突、重傷を負う。
「ば、ばかやろう、なぜユミをたすけようなどと…」
と、駆け寄った遠藤に対し、和巳は、
「パパ、わかってよ。つぐないをしなければならないのはぼくらのほうなんだ」
と告げる。

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その言葉にほだされたか、遠藤は、ユミへの報復は後回しにし、和巳のために救急箱を取りに行く。その隙に、和巳はユミの拘束を解いてやる。

宿舎で救急箱を探す遠藤。棚の上にある箱に手を伸ばすが、その時に誤って塩酸の瓶が遠藤の頭上に落ち、遠藤の顔は溶解、のたうち回って苦しむうち、階段から落下し、鉄製の突起物に体を貫かれて絶命する(第11の殺人、ではなく事故死)。

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坑道を出て、どうにか宿舎に戻った和巳とユミは、変わり果てた遠藤の死体を発見する。

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「これでよかったんだよ…パパは天のさばきをうけたんだ」
そして和巳は、
「ユミ、これでもうパパをゆるしてくれるね」
と尋ね、ユミもうなずく。続いて和巳は、自分はもう助からないから、自分が死んだら、遠藤と一緒の場所に葬って欲しいと告げる。先ほどの遠藤の行動にしてもそうだが、この父子の絆もなかなかに深いものがあったことが感じられる。

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すべてが終わっていくことを強く印象づける、いわゆる走馬灯シーン(走馬灯だけに馬?)。
「ああ、こうして目をつぶるとユミとの楽しかったころをおもいだすよ」
「…にいさんと、よくいっしょにあそんだわね」
この2人は日常的に乗馬をしていたようだ。

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そしてこれまたお約束の、禁断の愛の告白。
「ぼくがもしまた生まれてくることがあったら、こんどはユミのあにきじゃなく、ユミを、ユミを…」
ここで和巳は息を引き取る。かもめが激しく「クァーッ」と鳴く。

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ただひとり、島に残されたユミは、かねて用意してあった「とりかぶと」の毒をあおって和巳のそばに身を横たえる。すべての復讐が完了した時、これを飲むことは最初から決めていたのだった(遠藤と和巳を同じ場所に葬るという話は完全にスルー)。
「でもよかった、和巳にいさんをわたしの手で殺すようなことにならなくて…」
そしてユミは、先ほど和巳が言い残した愛の告白に対して、次のように答える。
「わたしがもういちどうまれかわるとしても、人間はいや…、にくみあう人間なんていやよ。あの鳥のように…あの鳥のようにうまれてきたい…」
(このあたりのセリフは、おそらく「私は貝になりたい」からの援用でしょう)
2人の頭上には、広い空を自由に飛ぶ2羽のかもめの姿があった。

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毒の花がわらっている
赤い血をすって
すみれ色の花びらをふるわせて
死の歌をうたっている


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ユミの復讐はおわった。だが、復讐のあとにのこったものは、むなしく風にゆれる、とりかぶとの花だけだった。(46号アオリ)

【ひとこと】いやあ、ついに終わってしまいました。どうにか、無難なところに着地してほっとしています。炭車が衝突するところまでは全編ギャクみたいで、おいおい、どうしちゃったんだよ、とヒヤヒヤしながら読んでいたのですが、要するに、あのトチ狂った(と思われた)殺害方法も、和巳に瀕死の重傷を負わせるための作者の計略だったんですねえ。まあ、ユミが和巳を殺害することはよもやあるまいと思っていましたが、こんな形で和巳を死なせるとは想像できませんでした。でも、これは悪くない方法だと思います。しかし、遠藤の最後は、何といったらいいのか…。ユミの最後のターゲット、いわばラスボスである遠藤については、やはりきっちりユミに本懐を遂げさせてやりたかったように思います。しかしそれだと、意外に父親思いの和巳とユミとの間に大きな心理的亀裂が入ったでしょうから、若い2人が穏やかに死を迎えるに当たっては、遠藤は事故死(和巳いわく「天のさばき」)で正解だったのかも知れません。

ラスト近くには、これまでの血なまぐささを洗い流すかのような、美しい回想シーンが入りますが、欲をいえば、乗馬シーンではなく、もっと和巳とユミが、本当に仲のよい、精神的な結びつきの強い兄妹だったことが伝わるエピソードが描かれればなおよかったように思いました。
しかしながら、10年近く同じ環境で生活しながら、楽天的で人間の善意を信じる好青年に育った和巳と、幼少期のトラウマから、どこか影のある美少女へと成長していったユミが、その対照的な性格ゆえ、互いに強く魅かれていったであろうことは作品全体から感じることができました。

さて、4回にわたってレビューをお届けしてきましたが、いささか感慨深いものがあります。思い起こせば、この「かんごく島」と初めて出会ったのは1970年、私が小学1年生の夏で、その当時は夏休み期間限定で、『ぼくらマガジン』を買ってもらっていました。具体的にいうと34〜38号で、「かんごく島」は35号に連載開始ですから、第1回のオールカラー40ページは今も鮮やかに記憶しています。残念ながら、34〜36号は処分してしまいましたが、37、38号は今も手元に残っており、レビューの3、4回分で使用した画像は、その時の本誌からスキャンしたものです。

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「かんごく島」第1回の巻頭カラー(ヤフオクの出品画像より拝借)

では第5回(39号)以降、私は「かんごく島」は読んでいなかったのかといえば、大変気になる展開だったため、発売日に毎週本屋で立ち読みをして内容を確認していました。当時の『ぼくらマガジン』の看板マンガは何といっても「タイガーマスク」でしたが、その「タイガー」と「かんごく島」そして「ド超人ド3匹!」だけは、自分の中での要チェック作品だったのです。しかし、毎週立ち読みというのも、実は結構しんどい作業でして、本屋のオヤジに目をつけられるというプレッシャーもあり、結局、第10話(44号)でリタイヤしてしまいました。第10話といえば、今回の冒頭でご紹介した、潮見のおばば殺害回で、おばばが崖から落ちる場面は、その立ち読みで脳裏に刻まれ、30数年間頭から離れませんでした(他にも、敏子が血を吐いて死ぬところや、赤七、松、ヤスヨらの絶命時の状況なども、はっきり記憶に焼きついています)。

そんな印象深い「かんごく島」ですが、『ぼくらマガジン』自体が短命だったせいもあるのでしょうか、一度として単行本化されることはなく、いつしか私にとって、そして私と同世代のかつての子どもたちにとっても、幻の作品となっていきました。ですから、この作品のラストがどんなものだったのか、私も最近まで知らないままだったのです。転機が訪れたのは2008年の秋で、どうしても「かんごく島」をもう一度通しで読んでみたくなり、半日かけて国会図書館で『ぼくらマガジン』を閲覧してすべてを読みました。実に38年ぶりの再会でした。

一読して、殺人の方法や描写よりも、何よりユミのキャラクターに強く魅きつけられました。可憐なヒロインでありながら、冷徹な殺人鬼でもあるというそのギャップ、そして、みずからの欲望などはまったく顧みず、亡き父に運命づけられた復讐を、ただ粛々と遂げていくストイックさ。
彼女は幼少期の体験から、かなりペシミスティックな人生観、人間観を植えつけられており、第5回では、「人間はみんなきたないわ、わがままで、じぶんかってで…人間はもともといきていくねうちもないんだわ、死んだほうがいいんだわ!」とつぶやき、最終回のラストで和巳が「もしまた生まれてくることがあったら、ユミを、ユミを…(恋人にしたい)」と愛を告げた時でさえ、「私も同じ気持ちよ」と応じることはせず、代わりに、「もういちどうまれかわるとしても、人間はいや…、にくみあう人間なんていやよ。あの鳥のようにうまれてきたい…」と、最後まで人間不信を貫いています。
父・森川と死に別れてから終始孤独だったユミの安住の場は、ついにこの地上にはなかったのかと思うと、フィクションと知りつつ、じんわり涙が溢れてくるのを禁じ得ません。そういうわけなので、このレビューも、かなりユミにウエイトを置いたものになったことをご了解下さい。

さて、これでレビューは終わりですが、この「かんごく島」には、まだまだ未解明な謎が多く残っているため、章をあらためてその追求をしていくことになるかも知れません。

※全4回にわたる画像は、『週刊ぼくらマガジン』(講談社)1970年35〜46号に掲載された「かんごく島」(原作:生田直親 漫画:田中憲)から引用したものです。やや頁数が多くなってしまいましたが、これまで一度も単行本化されておらず、今後も刊行される可能性は低いであろうこと、その一方、半世紀近く前の少年誌に連載された「異色の連続殺人もの」として資料的価値が高いこと、などに鑑み、当ブログで紹介させていただくことにしました。
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2016年09月06日

幻の「かんごく島」(3)

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血もこおる恐怖の復讐物語「かんごく島」の魅力をあまさず伝えるレビュー第3弾!

第7回

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敏子の死に驚愕する遠藤と残された人たち。敏子と敵対していたエリに疑惑の目が向けられる。と、その時、無人のはずの炭鉱から炭車(第1話以来の登場)が走り出し、中から半分白骨化した水野の遺体が飛び出て木の上にぶらさがる(水野も死んだということを一同に認識させる目的なのだろうが、このあたりの描写は悪趣味すぎるので画像は貼りません。とばっちりで殺された水野があまりに不憫です)。

その日の夜、死神のような殺人鬼に追いかけられる悪夢を見る遠藤。
「夢か…」
と目を開けると、室内で誰かが包丁を研いでいる。

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しかしそれは殺人鬼ではなく赤七だった。赤七は、一連の殺人をエリの仕業と確信し、森の方に歩いていくエリの姿を確認したので、これから始末をつけに行くのだという。そのための獲物として、遠藤の部屋にあった包丁を持ち出そうとしていたのだ(この説明もかなり無理があるような。包丁があるとしたら遠藤の部屋ではなく厨房でしょう)。

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エリの姿を求め、森の中をさまよう赤七。足元にロープが張られてあり、それに足を取られ転倒、持ってきた包丁が胸に突き刺さる。

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そこに現れるユミ。前回までの、ホルターネックでハイネックのタンクトップビキニ姿ではさすがに涼しくなってきたか、今回は島に来る時に着ていたワンピース姿。

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「ばかな、ユミさんが生きているわけはない…ユミさんが…」
朦朧とした意識の中で、そう反芻しながら絶命する赤七(第6の殺人)。

ユミに言わせると、赤七こそ、第三坑道の落盤事故を起こした実行犯だという(これまでの話の流れでは、実行犯は沢渡と徳田という印象だったが、実際にダイナマイトを仕掛けるなどの作業は赤七に依頼したということだろうか)。

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「あのときパパをころしたやつらは、わたしの復讐をうけて死んでいくのよ!」
と、残り全員の殺害を(読者に)宣言するユミのアップで今回は終了。

【ひとこと】う〜ん。やっぱり真犯人とその背景が判明してしまうと、あとの展開がいささか苦しくなってくるなあ、と感じた回でした。犯人がわかったら、あとはミステリーの定石どおり、一気にラストになだれ込む方が話のバランスはいいのかも知れません。正直言って、「かんごく島」のピークは、前回紹介した第5、6話あたりであったように思います。
それから、ユミの連続殺人の動機が復讐であるなら、殺す相手は遠藤、沢渡、徳田、敏子の4人だけでいいはずですが、「そして誰もいなくなった」的な世界を再現するためには、それ以外の人間も何かしら理由をつけて殺していかなければならないわけで、この回以降、その理由づけにはかなり作者の苦労が感じられます。しかしどう考えても、和巳を殺す必要はないですよね。だから、ラストのコマで、涙を流しながら「和巳にいさんも!」と言い放すユミを見ても、正直「え、なんで」って感じでした。まあ、憎い遠藤の実の息子だから、という解釈は一応成り立つのですが。その和巳、今回も見事なまでにモブキャラで、セリフは「パパ! エリさんももうやめてよ!」と「水野さん!」の2つだけでした。物語も後半に入ったというのに、こんなんでいいんでしょうか。

第8回

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岬にひとり佇む和巳。
「この島にきてもう1週間…、食料も水ものこりすくなくなってきている。定期船の航路からもかんぜんにはずれているというこの孤島! このままではいつかぼくらはうえ死にしてしまう」
と、ひとり語りで現在の状況を説明(ちなみに連載では8週間が経過してます)。

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和巳は、カラスが群がっている茂みの中で、赤七の変わり果てた死体を発見する。そしてそこには血文字で「ユミ」と記されていた!

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宿舎の厨房では、ヤスヨが食料の残りがわずかであることを心配している(連載8回目にして、ついに孤島もののお約束というべき食料不足問題が露呈。まあ、もともと遠藤たち一行は1泊か2泊くらいのつもりで出かけてきたのだからそうなるのも当然だが、島の住民であったヤスヨや松は、これまでどうやって食料を調達していたのだろう? 潮見のおばばはヘビを生のままバリバリ食べている描写があり、自然児に見えるヤスヨも松も、島に自生する草や木の実、小動物などを食べて生きてきたように思えたので、こういう一般人目線の描写は少々意外であった)。

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そこへ和巳が戻り、ヤスヨや遠藤たちに赤七の死を伝える。それにしてもヤスヨ、ユミを殺してまで和巳を自分のものにしようと考えた割には、その後何もアプローチはしていなかったようだ。この辺は、妙に奥ゆかしいというか…。

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赤七の死を知って駆け出していくヤスヨ、動揺する遠藤。しかし、水野が死んでから酒びたりになっているエリは、驚かないどころかヘラヘラしている。それを見た遠藤は、
「犯人はエリでないことはたしかだ」
と、前話での自分の推測を改める。和巳は赤七のダイイングメッセージが気になり、ユミのスーツケースを開けてみると、ワンピースが消えていた。和巳は、
「もし、ユミが生きているとしたら…」
とつぶやくが、遠藤はかたくなに信じようとしない。

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そのころ、ユミはあほうの松を坑道に誘い出し、中にごちそうが隠してあるからと穴を深く掘らせていた。

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そしてその上から岩土をなだれ落とし、松を窒息死させてしまう(第7の殺人)。

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松の「罪」は、森川とユミが坑道に閉じ込められていた時、外部との唯一の連絡手段だった排水パイプを、「このパイプしゃべる! おばけだ」という理由で壊してしまったことだった(これは、閉じ込められて1週間後に、パイプを通して沢渡や徳田の声を聞いた後の出来事ということになるのだろうが、何となく後付けっぽい)。

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「もしユミが生きているとしても、あんなにむごい殺人をするなんてしんじられない」
山を見つめながら物思う和巳の姿を、木の陰からユミがそっとうかがっていた。

【ひとこと】ようやく、主人公だったことを思い出した様子の和巳が動き出します。冒頭で現在の島の状況を解説し、赤七の死体と血文字を発見、ユミの荷物を確認してその生存の可能性を示唆するなど、探偵的な役回りも。しかし、その一方、ユミの殺人はどんどん雑になっていきます。坑道内の穴に落とす、穴の中で生き埋めにするという方法は、第6話で水野に対して行ったのとあまり変わりませんし(しかも坑道への閉じ込めはこの後も出てきます)、もう少しバリエーションが欲しいようにも思いました。まあ、かつて自分が味わった方法なので、執着があるのかも知れませんが。あと、前回の【ひとこと】でも書きましたが、やっぱり殺人の動機が無理くりですよねえ。
それから、これはこの作品の成立そのものに関わってくる大問題なのですが、島に着いて1週間が経過したのに、依然、外部からの救援が来ない、というのはありえないでしょう。長崎からそれほど離れていない場所にあり、警察署長の徳田が単身モーターボートで乗り込んでから6日が過ぎているとしたら、絶対に誰か本土の人間が様子を見にくるはずです。これは見過ごすことのできないこの作品の「瑕疵」で、だから「そして誰もいなくなった」では金曜日に島に到着、土日は船便が休みで、月曜には船が来て物語終了、という、週末をはさんだのべ4日間の話にしていました。この「かんごく島」も、それくらいの時間設定にした方が無理がなかったかも知れません。もし、飢餓などの問題をクローズアップさせるため、1週間かそれ以上、完全な孤島であり続けるためには、連続する台風などの自然災害で、本土から船が出航できないといった物理的な制約が必要になってくるでしょう。

第9回

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浜辺に出て銛で魚を獲っているヤスヨ。しかし収穫はゼロ。生まれた時から島育ちのヤスヨなら、手づかみでも魚くらい捕まえられそうなものであるが。その様子を何者か(ユミです)が物影から見ている。

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一方、宿舎では遠藤、エリ、和巳の3人が食卓を囲んでいた(9回目にして初めての食事シーン)。

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遠藤は、
「もうがまんできん、毎日くさったいもばかりくわせおって!」
とブチ切れるが、到着当初の一行がどういうものを食べていたのかわからないので、この描写はいささか説得力に欠ける(到着日にそれなりに豪華な晩餐のシーンでもあればよかったのかも知れないが、到着後すぐに沢渡の妻スミエが殺されているし、そんなところにページを割けなかったのだろう)。とはいえ、このシーンの遠藤の言動は、彼のエゴイスティックなキャラクターがよく出ていて面白い。左下のコマの「くわぬとはいっとらんぞ、わしは!」なんて最高である。

和巳は、ユミが真犯人だという前提で推理を進める。

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「やめろ和巳! あのときユミはわずか五さいの子どもだったんだぞ! 事件のことをおぼえているわけがない!」
遠藤は和巳の言葉をさえぎる(第4回の赤七のセリフでは、あの時ユミは6歳だったはずだが。6歳だと明らかに記憶が残っているだろうという配慮で、1歳年齢を下げたのだろうか?)。
それに対し和巳は、
でも、ころされた父親のうらみが、ユミにのりうつっていたとしたら…
と、なおも事件の核心に迫る一言を発する。そう、一連の殺人事件の実行犯はユミだが、彼女を突き動かしているのは、10年前に死んだ森川伸介の怨念にほかならないのだ。

さらに和巳は、1年前の春、東京の自宅で、飼い犬のムサシが不審死した事件を回想する。

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島の中の場面ばかりだったので、都心での日常生活の場面が妙に新鮮。久々にヒロインモードのユミが見られる貴重な数ページである、のだが…

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「よわいものをおいつめてころそうなんてぜったいにゆるせない! よわいもの、力のないものも生きていくけんりがあるのよ!」

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体の大きいムサシが、小さな猫をいじめ殺したのを見たユミが、そのムサシに制裁を加えたのだろう、と和巳は推測する。

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「ユミはやさしい妹だった。でも、心のおくにはころされた父親のうらみがこびりついていたにちがいない…」

このエピソードは、弱者だったゆえに殺されかけたユミの被害者感情や、「やられたらやり返す」冷酷で周到な一面を効果的に伝えていると思う。実際に猟奇殺人を犯す人間が、動物の殺害から始めているというケースも少なからずあるというし、ユミも、この出来事で何かが「覚醒」したのかも知れない。

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そのころ浜辺では、姿を現したユミが、無言のままヤスヨの足を鎖で固定し、満潮とともに溺死させていた(第8の殺人)。

【ひとこと】第4回で行方不明となって以来、ユミと和巳は顔を合わせていないのですが、島に残る人の数が徐々に減っていくにつれ、いつ、どういった形で2人は再会を果たすのだろう、という関心が高まってきます。今回のストーリーは完全に和巳視点でしたが、ユミの内面がうかがえる東京でのエピソードなども挟まり、終盤に向けて物語が流れ始めた印象です。
今回殺害されたのはヤスヨでしたが、ユミの口からその理由は一切語られませんでした。それは、今さら語る必要もないからでしょうか。たしかに、第4回で、ヤスヨがユミを殺害しようとしたのは明白なので、その仕返しと考えれば納得はいくのですが、あれは、多分ユミとしても予想外の出来事だったはずで、もし、あの「サメ襲来事案」がなかったとすると、ユミはヤスヨを、どういう理由で葬るつもりだったのでしょうか。ここらへんはちょっともやもやしたものが残ります。もやもやといえば、第4回での殺人予告状も、誰が、何のために書いたのかよくわからないままですし、結果としては、ユミは殺されたと見なされたおかげで、そのあとの殺人を実行しやすくなったという利点もあったわけで、ユミとヤスヨの関係は、もう少しうまく料理できたような気もします(たとえば、あるところまでは2人は共犯だったとか)。
実は(1)では取り上げませんでしたが、第1回に、次のようなエピソードがあります。坑道のトンネル前で、島在住民のおばば、あほうの松、ヤスヨが一行を出迎えるシーンです。

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ヤスヨは挨拶もそこそこに駆け出して行き、それに対して赤七は、「ヤスヨはうまれてこのかたこの島をでたことがねえものですから」と詫びを入れ、敏子は、「ちょうどユミとおなじ年かっこうね」と心でつぶやきます。「同じ年かっこう」と、わざわざ説明を入れたというのは、当初、原作者の中でも、ヤスヨがユミに化ける、あるいはユミがヤスヨのふりをする、などの偽装トリックを使う計画があったからではないでしょうか。実際、この作品中の連続殺人はかなり手が込んでおり、どう考えてもユミの単独犯行としては無理があります。少なくとも第1の殺人(スミエ殺し)や森川の白骨出現などは、共犯者(協力者)の存在が不可欠で、とすれば、ヤスヨなどはその最適人者だったと思われるのですが…。

またひとり、満潮の海でヤスヨが死んだ! ユミの復讐は、いつまでつづくのか? のこされた四人の運命は?(43号のアオリ)


一応、次回でラストまで突っ走る予定です。一体どれくらいの人が、この記事を懐かしいと思いながら読んで下さっているのか、まったく未知数ですが…。しかし、1年前にこちらで取り上げた「谷ゆき子」も、関連書籍『超展開バレエマンガ 谷ゆき子の世界』が間もなく刊行されるようですし、完全に「埋もれていた」と思われるアイテムだって、何かのはずみで陽の目を見ることがあるのです。そう、かんごく島に「埋もれていた」森川の復讐心が、成長したユミの手で10年後に現実のものとなったように…。
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2016年09月04日

幻の「かんごく島」(2)

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※前回までのあらすじは省略しますので、なるべく(1)からお読み下さい。なお今回はネタバレがあります。

第4回

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殺された沢渡浩平、その妻スミエ、徳田の3人の墓が作られ、残された人々が手を合わせている。

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和巳は第三坑道に事件の謎を解く鍵があるのではと考え、森川主任と思われる白骨死体が現れた場所に赴く。そしてそこで出会った赤七から、10年前の事件について、かなり具体的な話を聞かされる(赤七、ちょっと口が軽すぎるだろう)。

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森川の当時の妻だった敏子にひとめぼれした遠藤が、森川を落盤事故に見せかけ坑道に閉じ込め、見殺しにしたのだ。

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森川と一緒にいたユミ(当時6歳)も当初は死んだと思われていた。

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遠藤の甘いささやきに思わずよろめく敏子。このあたりは、直接的な描写はないものの、大人の夜の駆け引きを感じさせ、少年誌とは思えない妖しいムード。しかし、いざこれからというその時――

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赤七が、ユミが生きて発見されたことを知らせに来たのである。それから間もなく、敏子はユミを連れ、遠藤の後妻に収まった。

この事実を知った和巳はかなり動揺した様子だが、10年前にユミが6歳だったとすると、ユミより年上の和巳は推定7〜8歳、確実に小学校には入学している。であるならば、自分の継母になった敏子の前夫(=森川)がどういう人物だったかくらいは、知っている方が自然な気がするのだが。周囲がかたくなに口を閉ざしていたのだろうか。それから、この再婚によって和巳とユミは出会い、恋人を思わせるような親密な義兄妹になるのだから、最初に敏子がユミを連れて遠藤家に入るあたりのエピソードは、是非回想シーンで見せて欲しかった。

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第三坑道からの帰り道、和巳は吊り橋を渡って坑道に向かう遠藤を見かける。と、橋の中ほどで踏み板が壊れ、遠藤は崖下に転落しそうになる。反射的に助けあげる和巳。その後で和巳は、
「なぜなんだ! 人ごろしの張本人のパパをぼくはたすけてしまった」
と自問自答する。このあたりの葛藤する和巳は、それなりに主人公っぽい。

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遠藤を抱えるようにして宿舎に戻った和巳。遠藤が橋から落ちそうになったことを聞かされ一同は動揺するが、その中にユミの姿がない。敏子によれば、少し前にヤスヨが誘いに来て、海に泳ぎに行ったという(連続殺人のさなか、海水浴ですか??)。ユミの洋服からヒラヒラと落ちる紙切れ、そこには、「ユミ! つぎはおまえのばんだ 命をもらう」と書かれていた。

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同時刻、海水浴を楽しむユミとヤスヨ(作品中初めてのリゾートっぽいシーン)。岩場に上がったヤスヨは泳いでいるユミを呼ぶと、いきなり自分の足に傷をつけて海に飛び込む。

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血の匂いでサメを呼び寄せ、そのサメにユミを襲わせようという企みであった。

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「わるくおもわないでね、ほほほ。これで和巳さんはわたしのものだわ」
そう、第3回の冒頭にあったように、ヤスヨは和巳に一目ぼれしていたのだ。さすが赤七の娘だけあって、かなり単純かつ成功率の低そうな計画である。しかしそこはマンガなので、1ページあとにはユミの真下に巨大なサメが現れる。

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サメが人間を襲うといえば、映画「ジョーズ」を反射的に思い出すが、このマンガの方が5年ほど早い。にしても、なかなかいいアングル。

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絶叫とともに海中に没していくユミ。第4の殺人…?

殺人鬼はヤスヨだったのか? 血にひきよせられた人くいざめがユミにせまる! 事件の真相をあばく次号をまて!(38号アオリ)

【ひとこと】10年前、森川が生き埋めにされた時、娘が一緒だったこと、その娘がユミであったことが明らかに。こうなると、ユミが一気に怪しく思えてくるのですが、そうした疑惑をそらす意味でしょうか、後半は無理やりヤスヨが犯人であるようなミスリードを行っています。しかし、こういうミステリーものの場合、物語の途中でにわかに「クロ」っぽい行動を取り始めた人物はたいてい「シロ」なわけで、当時小学1年だった私ですら、「あ、これは違うな」と直感しました。それと、これまで物語の中で死亡した人物は、ラストの紹介ページで黒縁に囲われるのがお約束なのですが、上の画像を見てもわかるとおり、ユミはそうなっていないんですよね。そこらあたりまで注意してみると、第4回にして、ほぼ真犯人確定という流れになってくるのですが…。
それから、この回で見逃せないのが、ユミの水着姿。普通のビキニとはずいぶん違う、斬新なデザインだと思いませんか?

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タートルネックっぽい襟元が何とも印象的で、こういう形のものが実際にあるのかいろいろ検索して、ついに、ほぼ同型のものを探し出しました。

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http://www.dena-ec.com/item/238741888?aff_id=kwm

ホルターネックでハイネックのタンクトップビキニというらしいです。1970年ごろも、こういう形のものがはやっていたのでしょうか? 

第5回

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殺人予告の手紙を見た一同が海に来てみると、ヤスヨが海から上がってきて、ユミはサメに襲われたと告げる。呆然となる一同。この局面で和巳のアップやセリフがないのは少々意外。主人公であるなら、海をながめながら、
「信じられない、ユミが死んでしまったなんて…。もしそれが事実なら、ぼくは犯人を絶対に許さない!」
なんて言う独白シーンがあってしかるべきだと思うのだが、それもなし。原作者はあまり和巳に思い入れがなかったのか??

和巳の代わり、というわけでもないだろうが、雨に打たれながらユミの死を悼む敏子の姿。このあたりはさすがに生みの母親である。敏子は、ユミを死に追いやったのは、以前自分を毒殺しようとしたエリと水野だと考え(かなり無理な発想だが)、再度エリたちの殺害を赤七に命じる。赤七は、島に自生する「とりかぶと」の毒を2人の水筒に混入させる方法を思いつき、それを実行に移す。

一方のエリは、水野を坑道付近のほら穴に呼び出していた。前回、赤七が和巳に過去のいきさつを語った時、エリはその話を立ち聞きしており、敏子が森川の前夫人であることを認識していた。そしてエリは、敏子こそ夫の復讐のために連続殺人を行っている真犯人であると思い込み、「殺られる前に殺る」ことを水野に提案する。いささかびびった水野は、水筒の水を飲もうとするが、そこに大きな蛇が現れ、驚いた2人は水筒を取り落とし、そのままそこを立ち去る。

道すがら、エリ・水野と敏子がすれ違う。敏子は2人の無事を見て、赤七の計画がまたも失敗したことを知る。
「むこうでもかんづきはじめたらしいわ。ぐずぐずはしていられない…」
とつぶやく敏子。その時草むらから、ある人物が敏子の方に歩み寄ってきた。

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それはまぎれもなく、ホルターネックでハイネックのタンクトップビキニを着たユミだった。

ここで来週に「つづく」かと思いきや、物語はそのままつづく。死んだと思われていたユミだが、小さな岩のわれめにもぐってサメから逃れたのだという。このあたりの状況を語るユミの表情はほとんど見えず、かなり不気味な雰囲気が漂う。

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「ママ、のどがかわいたでしょう」
どこかで見覚えのある水筒を敏子に差し出すユミ。しかし敏子は何の疑いもなく、
「おまえはほんとうにやさしいむすめだ」
と、嬉しそうに水筒の水を一気に喉に流し込む。

あとは、…禁断のグロ展開(部分着色でさらにグロくしてみました)。

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「ユミ!おまえはなにをいってるの、気でもちがった…ううっ」
「そう、いままでの殺人はみんなわたしがやったのよ。そしてこんどは、…わたしを生んでくれたママに死んでもらうのよ」
状況が理解できないまま絶命する敏子(第4の殺人)。

【ひとこと】衝撃回でした。全12回中5回で、早くも犯人が判明。こういうミステリーの場合、誰が真犯人かが最大の関心事なので、それが明かされるのは作品の最終局面であることが多いのですが(本家というべき「そして誰もいなくなった」の1945年映画版でも、真犯人がわかるのは97分中90分過ぎ)、このマンガでは、かなり早めに最大のネタばらしをしています。「刑事コロンボ」のように、最初から犯人を明白にしておくパターンとも違うし、こういう構成は今見てもかなり斬新なのではないかと思います。これまでは犯人探しでドラマが進んでいきましたが、この回以降は、ユミが次に誰を、いかなる理由で、どのような方法を使い殺害していくかが作品の「見せ場」になっていきます。それにしても、実の母親をここまで冷徹に殺害するヒロインていうのも、あまり例がないんじゃないでしょうか。しかし、それこそがこの作品のいわば「肝」で、薄幸そうな美少女にしか見えなかったユミが、殺人鬼の正体を現わすラストの数ページは、何度読み返してもゾクゾクしてきます。この「豹変」のインパクトゆえに、忘れがたいマンガとして40年以上も記憶に留まったのでしょう。なお今回、和巳の出番は序盤のみ、セリフもふたつだけの完全モブキャラ扱いでした。

第6回

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前回のエピソードから数十分〜数時間ののち(推定)。エリと水野は、草原を歩きながら、敏子殺害の相談をしていたが、そんな時、草むらの中で敏子の毒殺死体を発見する。
犯人だと思っていた敏子が殺されているのを見て混乱するエリ。水野は物影に潜む怪しい人影に気づき、追いかけて取り押さえる。

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それはユミだった。ここでもまだホルターネックでハイネックのタンクトップビキニを着ている(しつこい)。ユミは「真犯人に第三坑道に閉じ込められていた」と語り、その犯人が潜んでいるという場所に水野を案内する。

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そして竪穴の中にいきなり水野を突き落とす。ロープにぶら下がった石炭運搬器の中に落下する水野。
「ま、まさかいままでの殺人は…」
「ほほほ、そうよ、わたしがやったのよ」

そしてここから6ページに及ぶ、ユミの回想が始まる。

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遠藤の差し金で坑道に生き埋めにされた森川とユミがどんな「地獄」を味わったか――。落盤があって丸1日たったが、誰も助けに来ない。

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2人はしたたってくる水を飲み、坑内にいたネズミを食べて飢えをしのいだ。1週間後、壊した排水パイプから人の声が聞こえてきたが、それは計画成功にほくそ笑む、徳田と沢渡の笑い声だった。

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敏子も接触的に関与はしなかったものの、遠藤の後妻の座に収まることにまんざらでもなさそうだと聞き、森川は、遠藤、徳田、沢渡、敏子への復讐を決意する。森川はその一念だけで生き続け、ひたすらナイフや手で周囲の土を掘り崩した。

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食糧が足りず意識を失いかけたユミに、みずからのふくらはぎをそぎ落とし、それを焼いて食べさせることもあった。手も足も利かなくなった後は、頭と歯で土を掘り進めた。
「ユミ、わすれるな、おれたちをころそうとしたやつのことを! うらぎったかあさんのことを!」
という呪いの言葉を、6歳の娘に投げかけながら。

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そしてついに外の光が見えた時、森川は、
「さあ、いけユミ、いってたすけをよんでこい!」
と言い残し、そこで力尽きて絶命する。ユミは、森川が開けた小さな穴を這い出たところを、通りかかった赤七に発見されたのだった…。

ユミの回想が終わったあと、水野は、
「あんたのはなしはわかったよ、でもおれは無関係だ!」
と叫ぶ(まったくその通りです)。

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しかしユミは、自分の正体を知られた以上生かしてはおけないと、水野の乗った運搬器を、飢えたネズミたちが待ち受ける竪穴に落下させる(第5の殺人)。

【ひとこと】いやあ、回想シーンは文章に書き起こしていても何だか涙がにじんできますねえ。復讐というのは、ミステリーに限らず、古今東西、多くの小説、演劇、映画などの主要モチーフになっており、それだけ普遍的な人間の情動なのでしょうが、わずか6歳の子どもに、父親がこんな形で復讐を託するというのもかなり痛ましい話だと思います。ですが、ユミの一生を決定づけたともいえるこの重要な回想シーンのペンタッチが、どういうわけか全体に結構ユーモラスなんですよね(頭と歯で土を掘り進める森川の表情とか)。あまりリアルに書いてしまうと、陰惨になりすぎるという配慮だったのでしょうか。
ちなみに、岩下志麻主演で1982年に映画化された「この子の七つのお祝いに」は、岸田今日子扮する母親が、幼い娘(実は自分を捨てた愛人の子ども)に夜な夜な復讐心を植え付け、成長した後に連続殺人を実行させるという設定で、このマンガと共通するところがあります。
なお、今回は主人公の(はずの)和巳はまったく登場しません。でも、ユミの幼少期の回想と、白目剥き出しの殺人鬼モードの表情に衝撃を受けまくったため、当時はそんなことはまったく気づきませんでした。下画像でも明らかなように、ユミの表情、ヒロインモードと殺人鬼モードとでまったく違います(どちらも美しいのですが)。そのギャップにとにかくシビレますね!

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ついにあばかれた真相! 父の復讐のため、ユミがつぎにねらうのはだれ? 恐怖の来週号をまて!(40号のアオリ)
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2016年09月01日

幻の「かんごく島」(1)

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去年の今ごろ、『週刊ぼくらマガジン』に短期連載されていた、知られざるフジオ・プロ作品「ド超人ド3匹!」(1970年)のことをこちらに書いたところ、それなりの反応があったので、今回は、ほぼ同じ時期に同誌に連載され、やはりネットで検索しても情報がほとんどつかめない幻のトラウマ漫画「かんごく島」を取り上げてみたい。

2016年9月1日現在、「かんごく島」のキーワードで検索してみると、上がってくるサイトや画像は「監獄島」という映画に関するものばかりで、唯一情報が記載されているのがこちら

「昔『ぼくらマガジン』で、孤島の連続殺人のマンガがあったのですが、タイトルを思い出せません。どなたかご存知ないでしょうか。ちょうどクリスティの『そして誰もいなくなった』のようなストーリーだったのですが。一人殺される度に登場人物欄が黒枠で囲まれるのが印象的でした」という質問に対して、それは「かんごく島」ではないかという回答が書き込まれている。さらに、最近になってコメント欄にあらすじを書き足した方もいらっしゃるのだが、残念なことに、いささかディテールが違っている。当時はそれなりの数の少年少女がドキドキしながらページをめくった作品のはずなのに、これではいくらなんでも淋しすぎるではないか。

実はこの「かんごく島」は、私にとって大変思い入れの深いマンガで、これを全部読むために、わざわざ国会図書館に出向き、半日がかりでコピーを取ったというほどの作品なのである(今から7〜8年前のこと)。そのころは、何とかこれを映像化できないだろうか、などと半分本気で考えており、とあるビデオメーカーのプロデューサーに相談を持ちかけたこともある。結局その企画は実現しなかったが、それくらい忘れがたいマンガなのだ。というわけで、リアルタイムで読んでいた小学校1年生当時の心のときめきを蘇らせつつ、内容を紹介していきたい。

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『週刊ぼくらマガジン』1970年35号〜46号掲載。全12回。
原作:生田直親 漫画:田中 憲(現・田丸ようすけ)

第1回

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夏のある日、8人の乗客を乗せた一隻の小型船が、長崎港外に浮かぶかつての炭鉱島に向かっていた。

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石炭景気のころ、その島では強制労働や脱走者銃殺などの違法行為が日常的に行われ、渡ったら最後、2度と生きては出られないことから「かんごく島」と呼ばれ恐れられていた。

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その島も、石炭産業の斜陽化に伴い10年ほど前に閉山、今ではほとんど無人島と化している。住んでいるのは、島の管理人の赤七とその娘ヤスヨ、かつて島の巫女だった潮見のおばば、知的障害があると思われるあほうの松の4人である。

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一方、島に向かう小型船には、島を観光地(ホテル、ゴルフ場、賭博場など完備)に作り変えることを計画している島のオーナー・遠藤幸助(東京在住、遠藤産業社長)、その妻敏子、長男の和巳(本作の主人公)、長女のユミ(本作のヒロイン)、長崎在住の事業家で、かつて島の事業所長だった沢渡浩平、その妻スミエ、さらに、島の観光イメージ写真撮影のため、カメラマンの水野英太郎とモデルの滑川エリが乗っていた(船の操縦者は赤七)。

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二人の会話で、和巳とユミが実の兄と妹ではないこと(和巳は遠藤の、ユミは敏子の連れ子)、かつて、ユミは島にいたことがある、という事実がさらっと(でもないか)語られる。
上のページの和巳のセリフ「ユミのママとぼくのパパが結婚してくれたおかげで妹ができた…しかもとってもかわいこちゃんのね」を読むと、遠藤と敏子が結婚したのは割と最近のように感じられるが、実は再婚は10年前、ユミが5〜6歳のころである(第4話であきらかに。したがってユミは現在15〜16歳、和巳の年齢は不明だが、多分ユミの2〜3歳上、すなわち17〜18歳と推定)。

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船上では、退屈を紛らわすため、水野とエリがラジオの音楽に合わせて流行のダンスを楽しんでおり、ブルジョア的な匂いをまとう社長夫人・敏子はそれがお気に召さない様子。

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敏子が水を所望したところ、エリが水を汲んできたが、エリを快く思わない敏子は、これみよがしにその水を甲板に捨てる。と、その水をなめた敏子の猫が死ぬ。島に到着する前に、すでに「毒殺」が行われるという波乱の幕開け。

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そうこうしているうち、船は「かんごく島」に到着。これ以降、最終回まで、登場人物たちが島の外に出ることは一切なく、島の外の場面も当然なし(回想シーンはのぞく)。見事に「クローズド・サークル」ものです。

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石炭採掘を止めて久しい島はすっかり荒れ果てていた。一行は、近道だという坑道を抜けて、かつての事務所跡に向かう(ここが全員の宿舎となる)。その坑道のトンネル手前で、島在住の潮見のおばば、あほうの松、ヤスヨが一行を出迎え、島の不気味なムードを盛り上げる。

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坑道の中を進む一行。沢渡の妻スミエは坑道の中が寒いと言い、それを聞いた敏子は、自分の羽織をスミエに貸す。その直後、先導していた赤七のたいまつの火が消え、坑内は闇に包まれる。

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そんな暗黒の中を、突如、炭車(石炭の運搬に使うトロッコ)が疾走してきて、それに接触したスミエが死ぬ(第1の殺人)。

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敏子は、自分の羽織をスミエが着ていたことから、エリがスミエを敏子と思い込んで、走ってきた炭車に向かって突き飛ばしたのだと言い、それを否定するエリと取っ組み合いになる。

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その夜、遠藤は殺人が起きたことを長崎の警察に電話で連絡。沢渡は、
「この島ののろいだ! むかし何百人もの鉱夫をこきつかってころした、その鉱夫たちののろいが……」
とつぶやくが、遠藤は、
「やめろ、昔ここでやったことをしゃべるな」
と、沢渡を殴りつける。

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すると、沢渡は逆ギレして遠藤につかみかかり、首を絞めながら、
「このかんごく島はもうあんたのものじゃない! 二年前にわたしの名義にかきかえてうりとばした」
と、意外なことを口走る。

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一方、自分を殺そうとしたのはエリだと盲信する敏子は、赤七の元を訪れ、高級ウイスキー(多分)を報酬に、エリ暗殺を命じる。
「あっしはこの酒さえあればどんなことでもしますぜ」
と、簡単に応じる赤七(連載第1回目から、登場人物たちがかなりイッちゃってます)。

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「そしてつぎの日――、かんごく島の潮だまりに、ひとつの水死体が――」
という語りと、潮見のおばばの気色悪い唄「毒の花がわらってる 赤い血をすってわらっている……」で「つづく」(これ以降、毎回恒例となる登場人物紹介ですが、この回のみレイアウトが違っています)。

【ひとこと】連載開始の第一回はオールカラー40ページ。巻頭のフルカラーは本当に極彩色という感じで大変見ごたえがあるのですが、国会図書館でコピーする時、白黒で頼んでしまったため、原色の雰囲気をお伝えできず残念です。当時の私は「何か怖いなあ、でも目が離せない不思議なタッチの絵だなあ、ユミちゃんがキレイだなあ、おばばの顔は本気で気持ち悪いなあ」などと思いながら読んでいました。それにしても、主人公のはずの和巳とユミは、キャラの濃い人たちにかき消されて、この回の後半はあまり登場しませんね。なお、アオリのところに「真相をおって和巳のかつやくする次号をまとう!」とありますが、和巳は次回もほとんど活躍しません。

第2回

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潮だまりに浮かぶ水死体は沢渡だった。しかし、まだ息があることに気づいた和巳が水から引き上げ、沢渡は蘇生する。そこへ長崎県警察署長(どこの署だ?)の徳田兵太が単身、モーターボートで島に上陸。

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徳田はかつて遠藤の指示の元、島の鉱夫たちを強制労働させ、脱走者の銃殺を行ってきた「実行犯」の一人で、当時のことを警察の関係者に知られないよう、部下を連れずに来たという。

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徳田と遠藤が話している時、突然半裸のエリが助けを求めてくる。あほうの松に襲われたのだという。

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水野が松を止めようとするが、その怪力に逆に投げ飛ばされ、徳田や遠藤も伸びてしまう。「おもちろいおもちろい」と満足げな松。それを残念そうな表情で物影から見る赤七(前回、敏子から請け負ったエリ殺害の方法がこれだったとは…。トホホ)。

回復した沢渡は徳田に「海を見ていたらうしろからいきなり突き落とされた」と遠藤の方を見て話す。かんごく島の名義を書き換えて売り飛ばしたことを遠藤に話したため、それを恨んだ遠藤から逆襲されたと言わんばかりだ。しかし遠藤はそれを否認する。
そんな時、天井から血がしたたってくる。
「また人殺しか?」

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驚いた三人が急いで二階を見に行くと、蛇が眉間をナイフで刺されて殺されており、そのナイフに三人は見覚えがあった。

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「この島の炭鉱の現場主任で、敏子の夫だった森川伸介のナイフだ!」
「まさかこのへびを殺したのは森川だというんじゃないでしょうな」
「そんなばかなことがあるわけがない! 森川は十年前、われわれの手で第三坑道へとじこめた!」
(ここら辺からミステリー色が一気に加速してきます)

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遠藤、沢渡、徳田の三人は、10年前に森川を生き埋めにしたという第三坑道内の現場に足を向ける。と、その時、三人を待っていたかのように、土の中から白骨化した森川の死体が姿を現わす。

動揺した徳田は事務所に戻り、応援要請の電話をかけようとするが、電話線は何者かによって切断されていた。
「こうなったらわたしが長崎にもどって部下をつれてくる!」
と言い残しモーターボートに乗り込む徳田。

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しかしエンジンをかけた瞬間、ダイナマイトが爆発しモーターボートは炎上。徳田は即死、同時に、一行が乗ってきた小型船も吹っ飛んでしまう(第2の殺人)。

【ひとこと】第二回目でかなりショッキングな展開。森川伸介という男の存在がクローズアップされ、遠藤や沢渡がその男の殺人に関与していたことが明らかに(森川が敏子の前夫だったことも遠藤の口から語られる)。同時に、電話と船が使えなくなり、一行は外部と完全に遮断されてしまいます。しかしながら、森川の白骨死体が飛び出してくるシーンは、ホラーというよりはお化け屋敷みたいで、何度見ても笑ってしまうのですが…。それから、今回も後半はオヤジたち3人の会話劇中心で、和巳&ユミはほとんど出番がありませんでした(ユミの出番が少ないのは一応理由があるようにも思いますが…)。

第3回

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※この回と次の回は手持ちの『ぼくらマガジン』から直接スキャンした画像なので、少しおもむきが変わります

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徳田の死と船の爆発に激しく動揺する一同。岸壁で不安げに海を見下ろすユミに対し、和巳は、
「どんなことがあってもぼくはユミをまもってやる」
とようやく主人公らしいセリフを吐く。その二人の姿を物陰から見ているヤスヨ(彼女はどうやら和巳に一目ぼれしたようだが、前フリもないのでちょっとわかりづらい)。

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和巳は昔この島で何があったのか突き止めるために、潮見のおばばの元を訪ねる。おばばは、
「それを知ったとしてもむだなことよ。なぜなら、この島にいる人間にはみな死相が出ている」
と、いかにも巫女らしいことをつぶやきつつ、秘術を使って、和巳の脳裏に10年前のかんごく島の様子を再現して見せる。

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鉱夫たちを奴隷のようにこき使う現場監督と、それをとがめる主任の森川。

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森川は所長の沢渡に、劣悪な労働環境の改善や徳田による脱走者の銃殺取りやめなどを要求するが、それに対して沢渡は「特別賞与」で言いくるめようとする。森川はそれを拒絶し、沢渡を「人間のくず」と罵倒する。人道派の森川は、利潤追求第一主義の遠藤、沢渡、徳田らにとって目の上のたんこぶ的な存在であった。

意識を取り戻した和巳は宿舎にいた。坑道の入り口に倒れていたのを、ユミが連れて来たのだという。おばばが見せた光景が現実の出来事であったのか、まだ半信半疑の和巳。

一方の遠藤は、沢渡をともない、ふたたび森川を生き埋めにした第三坑道内に来ていた。遠藤は、あの白骨死体は沢渡の仕組んだものだと考えていたのだ。

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遠藤いわく、
「きみはわしをこわがらせて東京へかえそうとしている。わしがにげかえればこの島をうりとばしたきみはまるもうけだからな」
ということらしい(もっとも船はすでに二隻とも壊れているので、東京に帰りたくても帰れないのだが…)。
沢渡は油ですべって坑道内の窪みに落ちてしまう。しかし遠藤は「せいぜいそこで頭をひやしていろ」と言い捨てて坑道を出ていこうとする。その瞬間、火のついた木片のようなものが窪みに投げ入れられ、あわれ、沢渡は炎の地獄の中に…(第3の殺人)。

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【ひとこと】
3回目にして和巳がやっと主体的に動いた、と思いきや、潮見のおばばのところに行って、気を失って、ユミに介抱されただけでした。しかしながら、森川伸介がどういった人物だったのかが(読者に対して)明らかになったという意味で、和巳は役に立ったということにしておきましょう。それにしても、この書き起こし作業、思ったより時間がかかりますね。本当は4話ずつ全3回でまとめようと思っていたのですが、3話ずつ、全4回に変更します。まあ、ストーリーからいっても「4」=死で完結の方がしっくり来ますよね。というわけで今回はこの辺で。

「とりかぶとの花がゆれ、またひとり、沢渡がころされた! 殺人鬼は、いったいだれ? なぞをよぶ次号をまて!」(37号のアオリ)
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2015年09月14日

ハッピーバースデー

前回まで、赤塚不二夫の生誕80周年を勝手に記念して、赤塚不二夫と「フジオ・プロ」関連の知られざる作品をいろいろと紹介してきたが、今回は最終回ということで、「天才バカボン」が初めてアニメ化された1971年に発売のソノシートつき絵本を紹介してみたい。現在ほとんどオークションなどにも出回っていないようで、それなりにレア度は高そうだ。オールカラーの絵本に、主題歌とドラマ「はじめちゃんのたんじょう」が収録されたソノシートがついている。

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『テレビマンガ・うたとおはなし 天才バカボン』(朝日ソノラマ)

絵は赤塚本人ではなくフジオ・プロの手によるものだが、なんと脚色は辻真先。アニメ本編では3クールから参加するベテラン脚本家が、この絵本でハジメ誕生編(しかも内容はかなりオリジナル度高し!)を手がけている。さらに特筆すべきは、声優がテレビ放送とは一部異なっていること。バカボンは山本圭子、ママは増山江威子で変わらないものの、なんと、パパは雨森雅司ではなく富田耕生が担当しているのだ。富田といえば、「平成天才バカボン」のパパの声の人だが、こんなに早い時期からパパを演じていたとは! そしてハジメは貴家堂子ではなく野村道子。私はテレビ放送が始まった直後にこの絵本を購入したので、ソノシートを聴いて、テレビとの違いに大変違和感を抱いたものだ。富田耕生の声は「もーれつア太郎」のブタ松などですでに聞き覚えがあったが、パパ役にはあまり合っていないように思い、テレビの雨森雅司の方に圧倒的に好感を持ったものである。

※ソノシート音声はこちら(一部抜粋・mp3ファイル)

どうしてこういうキャストの不一致が起きたのだろうか。考えられるのは、主題歌はすでに録音済みだったが、アニメ本編の方は、まだキャストが100パーセント確定していなかった時期に、このソノシートが先行して制作されたということである。とすると、少なくとも富田耕生はパパ役の候補者だったわけで、「平成〜」での起用も、かなり前からの下地があったことになる。

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さて、アニメ第1作の「天才バカボン」は、パパが植木屋だったり、バカボンの学校描写が多かったりと、原作を改変した部分が多々あり、赤塚本人は気に入っていなかったそうだが、私などは、全体にほのぼのした雰囲気の第1作の方が、アナーキーな原作に寄せて作られた「元祖」よりお気に入りである。「魔法使いサリー」「ゲゲゲの鬼太郎」「サザエさん」といった名作アニメを多数手がけた雪室俊一や前述の辻真先などが脚本を書いていて、起承転結がきっちりしていたのも、安心して見ていられた理由かも知れない。

しかし、そんな「ほのぼの系」の第1作アニメが放送されるころ、作者の赤塚自身にはすでにある兆候が現れ始めていた。

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『少年マガジン』1971年38号。氷室洋二とマス大山にひげを描いたのは小学校時代の私です。

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この回は、「テレビ化決定記念」と銘打った通常の倍近い30ページの大作だが、その扉がいきなりこれ。
左下には、酒瓶を片手にペンを握る赤塚の姿が。

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内容も、暴力団のボスが深刻なアル中で、酒が切れると重篤な禁断症状を起こし、周囲を大混乱に陥れるというもの。バカボンのパパも、中盤では多少の見せ場を与えられているが、最終的には巻き込まれキャラの一人でしかなく、この話の主役は、まぎれもなくこの暴力団のボスである。酒が切れた時の錯乱描写に妙なリアリティがあるのは、すでにこのころから赤塚自身にもその兆候があったからだろうか。

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ボスは禁断症状を起こすと人間がけだものの姿に見えて錯乱するのだが、もともと犬そっくりの顔だった警官を見た時「あっ、あなただけ人間」と正気を取り戻し、ピストルを捨てる。そして部下たちによって独房に入れられてしまう。後年、赤塚もアルコール依存症による幻覚がひどくなっていたことを考えるとこのあたりの展開は笑えない。というより、まるで未来の自分を予見していたようで、背筋がぞっとする。

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最後は、ほろ酔い気分のバカボンのパパが、夜店に出かけてお面をかぶって戻ってきたバカボンとハジメを見て幻覚と勘違いし、「わーっ もうお酒は やめたのだ!!」と叫ぶという明快なオチ(欄外アオリに「幻覚症状でメロメロにならないうちに禁酒してネ」とあるのは、担当記者から赤塚への密かなメッセージか?)。
このパパのように、赤塚本人もどこかで酒の怖さに気づき、アルコールを遠ざけていれば、彼の後半生はまったく違うものになっていたかも知れないのにと残念に思う。

しかし、亡くなった人の人生について今さら外野があれこれ言っても始まらない。人生の後半がほぼ酒びたりだったにせよ、彼は前半生だけで、およそ余人に真似のできない金字塔を打ち立てたのだ。

今日は赤塚不二夫の生誕80年を祝う記念すべき日である。人間はいつか必ず死ぬが、作品は永遠だ。生身の彼は72歳で死に、それ以上年を取ることはないが、心に残る作品をたくさん残したことで、こうして死んだあとまで多くの人がその誕生を祝福してくれる。これで、いいのだ。
posted by taku at 01:18| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月13日

2軍のドンケツくん/ゆかい盗五面相

赤塚不二夫の生誕80周年を勝手に記念して、40数年前の雑誌から赤塚不二夫と「フジオ・プロ」周辺の隠れた作品を紹介するシリーズの第4弾。そろそろネタも息も切れてきたので、今回はごくごく簡単に。

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取り出しましたるは『中一コース』1975年9月号と『中一時代』1976年9月号。
『中一コース』の方は表紙が欠落しているため、当時の「ヤング・アイドル」豊川誕、山本明、草川祐馬の姿がおがめる。

なぜ年度違いで『中一』雑誌が2冊あるかというと、別に留年したわけではなく、1975年の方は、小学6年の時に、背伸びして一学年上の雑誌を買ってみただけ(そういうことをしたくなる時期ってありますよね)。

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でもって、まず『中一コース』の方には、フジオ・プロのチーフアシスタントを務めたあだち勉の「2軍のドンケツくん」(本作ではあだち・つとむ名義)。

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このころの低迷していた長嶋巨人軍を思い切りおちょくる内容。この回では連敗続きのジャイアンツに業を煮やした監督の妻が家出してしまう。

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監督は試合終了後のインタビューで、家出した妻に「帰ってきておくれ!」と嘆願(思い切り実名で。今ではこういうギャグも「自主規制」の対象かも知れない)。

この手のブラックな笑いはいかにも当時のフジオ・プロ作品という感じだが、同作品の欄外に気になる一文が。

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あんた“充”のなんなのサ!!」 ←この言い回しで時代がわかります

という読者の質問に対し、

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ワタシャ“充ちゃん”の兄キだよ! 不肖(?)の弟だが、偉大(?)な兄キ同ようヨロシクナ!

との回答が載っている。私はこれを読んで、あだち勉とあだち充という二人の漫画家が兄弟だということを知った。この時期、あだち充もまだ「青の時代」で、同じ『中一コース』に「ヒラヒラくん青春仁義」(原作・佐々木守)を連載していたのだ。

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画風は「レインボーマン」(1972〜73)のころに近い。下は夏休みならではのサービスカット。

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この「賢弟愚兄」の漫画人生については、あだち勉の『実録あだち充物語』(1984年・小学館)に詳しく書かれているようだが、何より驚くのは、1947年生まれで、赤塚不二夫よりひと回りも若いあだち勉が、赤塚より4年も早くこの世を去ってしまったこと。フジオ・プロ黄金期のメインスタッフは、長谷、古谷、高井、とりい、北見と、まだほとんどが存命だというのに…。

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なお、この『中一コース』では、やはりフジオ・プロのアシスタントだったてらしまけいじも、「てらひまロミオとキミのアジャパー狂室」という読者参加ページを担当していた。

一方の『中一時代』には、斉藤あきら(本作では斎藤あきら名義)が「ゆかい盗五面相」を連載。こちらは、ライトに笑える泥棒ギャグで、テイストとしては長谷邦夫の描く世界に近い(勝手な主観です)。

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この人は1934年生まれだから赤塚よりひとつ年上なのだが現在もお元気な様子。杉浦茂を振り出しに、高野よしてる、手塚治虫、横山光輝のアシスタントを務め、その後フジオ・プロに入ったという波乱の経歴(ジャガープロという自身のプロダクションを立ち上げたこともあるらしい)。

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もともとは劇画的な画風だったというが、これを見る限り完全な赤塚タッチで、ここまで似ていると、相当代作もしていたのではないかと考えてしまう。

上記の2冊は1975、76年のもので、この時期、赤塚自身はすでに漫画家としてのピークを過ぎつつあった。連載は多数持っていたが、残念ながら後世に語り伝えられるような傑作は生み出されていない。しかしテレビに目を移せば「元祖天才バカボン」(2回めのアニメ化)が1975年10月から2年間にわたって放送され、赤塚不二夫という存在は、すでにひとつのブランドになっていた。
posted by taku at 13:44| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月12日

マンバカまん

赤塚不二夫の生誕80周年を勝手に記念して、40数年前の雑誌から赤塚不二夫と「フジオ・プロ」周辺の隠れた作品を紹介するシリーズ第3弾。

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今回の引用元は『少年キング』1974年40号。表紙はジョージ秋山の「スターダスト」。この号からの新連載だった。

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この当時『キング』では赤塚不二夫本人が「オッチャン」を連載中。だが、「フジオ・プロ内では大評判!!」などというキャッチが書かれていることから察するに、あまり一般の評判は高くなかったようだ。

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内容はこんな感じ。右ページ下の大ゴマは、おそらくアシスタント椎屋光則によるものと思われる。

さて、今回ご紹介したいのはこの「オッチャン」ではなく、長谷邦夫、古谷三敏、とりいかずよしらとともにフジオ・プロの黄金時代を支えた北見けんいちの「マンバカまん」。

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「代原が傑作なので連載に!」「ついに連載13回目…」というキャッチを読むと、この漫画の置かれた状況が何となくわかる。最初は誰かほかの作家が空けた穴を埋めるためのピンチヒッターだったのが、意外と評判がよかったため、そのまま連載という流れになったのだろう。

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私は、この時代の『キング』はこの号しか持っていないので、前後の状況はよくわからないのだが、どうやら主人公の駆け出し漫画家は、夏休みで民宿を営む実家に帰省している模様。そこに、たまたま休暇を取って海に来た『少年ピング』の坂本記者が現れる、というお話。

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全部で7ページという小品で、大したひねりもない楽屋オチギャグなのだが、すでにフジオ・プロに入って10年を数えるだけに、北見のペンタッチは安定しており、登場人物の動きなども御大の赤塚より生き生きしているように思える。

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※この画像は「まんだらけ」の通販サイトからお借りしました

この「マンバカまん」はかなりの長期連載となり、翌1975年には曙出版から単行本も発売されているので、幻の作品と呼ぶのは御幣があるのだが、なぜか、ネットの百科事典などを見ると、北見けんいちのデビュー作は1979年の「どじょっこふなっこ」ということになっている。そうなるとこの「マンバカまん」は、どういう位置づけになるのだろう。「絵柄が現在のものと異なる」からだともネットの百科事典には書かれていたが、上の絵を見る限り、もうかなりの完成形ではないかと思うのだが。何より、本人名義の単行本が世に出ていながら、それがデビューに当たらないというのはどう考えても納得がいかない。このあたりは、何か特別な事情でもあるのだろうか。

しかも、さらにさかのぼって、こんな本まで見つけてしまった。

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『トランプの遊び方』(1972年・集英社)

「まんが版入門百科」というシリーズの1冊なのだが、御厨さと美の描いた表紙をめくってみると、

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この見覚えのある絵柄は、間違いなく北見けんいち。

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巻末には「北見けん一」と表記されていたが、これなども、入門書とはいえ単行本を1冊きっちり描ききっているわけだから、もはやこの時点でプロデビューしていると言っても間違いではないと思うのだが…。

さて、北見けんいちと言えば、もちろん代表作は「釣りバカ日誌」ということになるのだろうが、私は「釣りバカ」はまったく読んだことがないので何もコメントすることができない。しかし、もうひとつの代表作と言うべき「元気くん」(中日新聞・東京新聞のサンデー版で25年間連載)は、東京新聞を長年取っていたので週に1度きっちり読んでいた。その「元気くん」の中で、フジオ・プロ時代のエピソードがしばしば語られていたのが今となっては懐かしい(元気のいとこ・とおるが赤塚不二夫のアシスタントをしているという設定だった)。

もはや伝説のエピソードとも言うべき、赤塚、長谷、古谷、北見らの銀玉鉄砲事件も、長谷邦夫の『赤塚不二夫 天才ニャロメ伝』(2005年・マガジンハウス)ではこんな感じだが、

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「元気くん」では、藤子・F・不二雄に怒られたあとのことにも触れられており、ご丁寧に「よい子の皆さんは絶対にマネしないでね」との注意書きが添えてある。

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また、北見が買った車に赤塚が「おそ松くん」のキャラクターを描いたエピソードも。

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これらの「元気くん」は2008年9月7日掲載のもの。同年8月2日に他界した赤塚に哀悼の意を表した、しんみりした幕切れだった。

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2015年09月11日

ド超人ド3匹!

赤塚不二夫の生誕80周年を勝手に記念して、40数年前の雑誌から赤塚不二夫と「フジオ・プロ」周辺の隠れた作品を紹介するシリーズ第2弾。

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今回の引用元は『ぼくらマガジン』1970年38号ほか。

前回の「現金(げんなま)カッパライ作戦」は、21世紀に入ってから単行本収録がなされているという点で、かなりレア度は低かったが、今回は本当に幻の作品。何しろ「ド超人ド3匹!」で検索をかけても、出てくる記事はほんの数件で、しかも、とりいかずよしの単独作品のように書かれているし、画像にしても、あがってくるのはキン肉マン関連の「超人」など関係ないものばかり(2015年9月11日調べ)。

掲載誌が、わずか1年半で廃刊になった『ぼくらマガジン』、しかも連載回数が極端に短かったこともあり、今やその存在を記憶している人もほとんどいないのではないか。しかも、フジオ・プロに所属していた複数の漫画家がリレー形式で執筆しているため、著作権の扱いも面倒くさそうで、もはやこの先再録や単行本といった形で世に出ることもないだろう。しかし、アナーキーな70年代初頭にパッと咲いてパッと散ったこの作品は、今一度顧みるべき魅力を備えていると思う。実際、このころ小学校1年生だった私は、連載第1回目で、この作品にかなり「シビレて」しまったのである。

まずは連載開始前の37号の予告ページから。

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「フジオ・プロ競作連載」とあり、長谷邦夫、古谷三敏、とりいかずよしの3人の名前が。1年前の「現金(げんなま)カッパライ作戦」でも顔を揃えていた、フジオ・プロの主要メンバーである。

イラストは左から、スケスケじじい(長谷邦夫担当)、そのむすめ(古谷三敏担当)、むすこ(とりいかずよし担当)。この3人がすなわちタイトルになっている「ド超人」のド3匹なのだが、キャラクターデザインにはそれぞれ若干変更が見られ、むすめのアラビアンスタイルは本編には登場せず、また、むすこも顔の露出がこれより多くなっている。まあ、新連載予告の時には、まだデザインが固まっていないというのはよくあることだが…。

ではいよいよ第1回(38号)のご紹介を。

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最初の数回はスケスケじじいがメインキャラなので作者表記は「長谷邦夫とフジオ・プロ」。以下、むすめメイン回(古谷三敏担当)、むすこメイン回(とりいかずよし担当)と続き、連載終了という流れであった。

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道の側溝(ドブ)を駆け抜けて颯爽と登場した「ド超人」のリーダー・スケスケじじいが読者にあいさつ。自分たちは「正しい社会をきずくため 神がこのけがれたる地球上につかわされたスーパーマン」であると語る。

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第1回ということで、スケスケじじいの超能力「ドスケール」(透視力)を使って登場人物全員の紹介(この透視力を使う時、必ず「ゲーテいわく、光あれ!」というのがミソ。私はこれがかなりお気に入り)。
トキワ荘チックなぼろアパートに、親子3人が住んでいるという設定で、スケスケじじいは押入れ、むすめはベッド、むすこはトイレ、という具合にシェアしている。

このように同一コマに複数の漫画家の絵が共存しているのは、タッチの違いもよくわかり、今あらためて見ると大変興味深い。分離する前の藤子不二雄作品(「オバケのQ太郎」「パーマン」など)を思い起こさせる。

このあとスケスケじじいは、顔見知りの警官に「大福を1こ買いたいが、どれが一番多くあんこが入っているか透視してくれ」と頼まれるが、「なんたる日本国家のだらく」と怒りの鉄拳制裁を下し、日本にはまだ大福も買えない貧しい人がいる、と考えて、通りがかりの主婦から無理やり350円の募金をくすねる。しかしそれを寄付するかと思いきや、「朝めしがまだじゃったい」と近所の食堂に入り…

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このあとも、一目ぼれした食堂の女店主をデートに連れ出すなどかなりむちゃくちゃ。そもそも、大福のあんこを透視してくれと言った警官のことを怒るくせに、自分も海老天の中を透視するという同レベルのことをやっているのだ。しかしスケスケじじいのアナーキーさは、どこかほのぼのしており、赤塚不二夫ほどの悪意や狂気は感じられず、ギャグとして安心して読んでいられる。実は私は、長谷邦夫の描くこういうキャラが割と好みである。だから「天才バカボン」などでも、長谷が代筆した話の方が正直肌に合うのだが、生粋の赤塚ファンからすれば、長谷の描く赤塚ワールドは毒が足りないということになるのだろう。

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さて、話はいよいよ佳境に。やりたい放題のスケスケじじいは、ヒッピー風の若者や、先ほどの警官や主婦に追い回されピンチに。家に戻ってむすめとむすこに加勢を頼む。

むすめの超能力は「ド・ベッタリキッス」。キスした人間を思うままにあやつることができる。
この娘、一見すると目元涼しい美人なのだが、マスクを取ったら実は…というビジュアルで、このあたりは口裂け女を先取りしているようにも思える。

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そして最終ページでやっとむすこが登場し、超能力「ジャンボうんこ」(とりいかずよしギャグ)でしめくくる。

こんな感じで、第1回めは顔見世興行的な要素もあって、かなり面白く読んだのだった。何より素晴しいのは、冒頭で、「正しい社会をきずくため、神がこのけがれたる地球上につかわされた」と言いながら、正しい社会を築くための行動をまったくしていないこと。「本人は善意を行っているつもりなのに、それが裏目に出て…」というパターンとも違い、まったくのナンセンスギャグで、このあたりはさすがフジオ・プロ作品という感じがする。当然、それ以降も期待して読んだのだが、古谷三敏担当のむすめメイン回は、なぜかむすめが偏執狂的な男に付きまとわれ四苦八苦するような話で、超人としての活躍場面もほとんどなく、ライトなギャグ路線とはほど遠かった(これはこれで作家の個性だと思うが)。また、とりいかずよし担当のむすこメイン回は、やはりというべきか「トイレット博士」と同系統で下ネタ率が高く、これまた「何か違う」という印象だった。結局、私は長谷邦夫の描くスケスケじじいの魅力にはまっただけで、ほかのキャラクターにはあまり思い入れることはできなかったのである。そうこうしているうち、連載はあっという間に終わってしまった。

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むすめメイン回の扉。作者表記は「古谷三敏とフジオ・プロ」。古谷三敏の描く女性は美しい!

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最終回の扉。むすこメイン回なので作者表記は「とりいかずよしとフジオ・プロ」。やっぱり古谷三敏の描く女性はとても魅力的。

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最終回前半部分。こうやって3人が部屋で話している場面は、先ほども書いたように、複数の漫画家の競作という感じが伝わってきて好ましい。

この回はご覧のとおりむすこメイン回で、ある事情から一度は自分の超能力を封印するのだが、最後にはやむを得ず「ジャンボうんこ」をひり出し事件を解決するというもの(かなり切ない話なのだが、これが最終回というのも…)。

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最終回の最終ページ。「ド3匹」の雄姿でしめくくってはいるが、実際にこの3人が「チーム」としてひとつの事件に挑むというエピソードは1回もなく、それが実に残念なところである(スケジュールの関係で真の競作というのは難しかったのだろうか)。しかし、今やそれぞれ一枚看板となった長谷邦夫、古谷三敏、とりいかずよしの3人が、フジオ・プロ時代にこういう画期的な試みを行っていたことは注目に値すると思う。最後に、この知られざる作品に今一度スポットが当たることを祈りつつ、
ゲーテいわく、光あれ!
posted by taku at 20:29| 漫画・アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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