2015年03月13日

さらばJR黒姫駅

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早春の黒姫山

長野と金沢を結ぶ北陸新幹線があす(14日)開業する。
これにともなって、長野以北の信越本線・長野−妙高高原間(長野、北長野、三才、豊野、牟礼、古間、黒姫、妙高高原の8駅)はJR東日本から切り離され、第3セクターのしなの鉄道がその経営を引き継ぐことになった。新名称は「北しなの線」で、私が毎年夏を過ごす山荘がある黒姫もその中に入っている。これにはさすがに一抹の淋しさを感じずにいられない。

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北しなの線(長野・妙高高原間)路線図

黒姫駅は、長野駅と同じ1888年の開業で、実に120年以上の歴史がある。当初は柏原という駅名で、1968年に現在の黒姫に改名している。

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ちなみにうちの山荘は、私が生まれる数年前に亡父・青江舜二郎が、「南洋のデパート王」の異名を持つ岡野繁蔵氏から購入したものである(岡野氏は戦前、インドネシアのスラバヤで「トコ・千代田」という百貨店を経営し、貿易商として大成功を収めた立志伝中の人物)。
1963年生まれの私は、その年以降毎年山荘に連れて来られていたから、柏原時代の記憶もうっすら残っている。そして駅名が変わった時、5歳の私は、「何となくかっこいい名前になったなあ」という印象を抱いたものだ。

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黒姫(柏原)は俳人・小林一茶の生誕地としても知られる(駅から徒歩5分の小丸山公園にて)

駅名変更の少し前から、当時の国鉄は黒姫山周辺を冬はスキー場として、夏は高原や湖(野尻湖)のある快適な避暑地として、大々的に宣伝し始めた。そうした広告戦略もあり、1970〜80年代の黒姫は、上野始発の特急あさま号や白山号で、都心から乗り換えなしで到着できる、大変メジャーな北信濃の駅だったのである(80年代には新宿発着の特急もあった)。

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夏の黒姫高原(黒姫童話館からの眺望)

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晩秋の野尻湖。中央に見える鳥居の島が弁天島

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雪に覆われた真冬の黒姫山

しかしそれも今は昔。1997年の長野新幹線開通とともに、特急が停車することもなくなり、黒姫駅は信越本線の一ローカル駅に「降格」となった(すでにこの時点で、ゆくゆくはJR東日本から経営分離されることは規定路線だったようである)。それからはまさに雪山を転げ落ちるような「寂れ方」で、静かな環境を好む私でさえ、最近の夏の黒姫駅周辺、野尻湖周辺の人の少なさにはため息がこぼれる。JRからの分離で、今後さらに乗降客が減っていくようなことになれば、観光地としては死活問題ではないだろうか。

なお、2008年公開の映画『凍える鏡』はドラマの主要部分をこの黒姫で撮影したのだが、その中で以下のようなやりとりが出てくる(シナリオより抜粋)。

○香澄の山荘・リビングダイニング

  由里子(冨樫真)と香澄(渡辺美佐子)が話をしている。
由里子「……長野までの新幹線は早かったんだけど、そのあとの各駅が全然来なくて」
香澄「そうよ、あの電車、一時間に一本だもん」
由里子「前はここも特急が停まってたのに」
香澄「そんなのずいぶん前の話じゃない」

このあたりのセリフは、私自身のぼやきでもある。

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『凍える鏡』の一場面。左から田中圭、冨樫真、渡辺美佐子

明日、黒姫駅では「北しなの線」の開業記念列車の到着に合わせてイベントを予定しているという。9時55分の記念列車到着を「お出迎え」するという主旨だ。
私がその場に立ち会うことは恐らくないと思うが、今年の夏、黒姫駅に降り立った時、自分はその変化をどのように感じるのだろう。何がどう変わって、何が変わっていないか―そういうことををきちんと見届けるのも、長く生きて来た人間の務めのような気がしている。

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古間を出て黒姫に向かう信越本線(2002年12月撮影)
posted by taku at 18:00| レトロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月19日

フランス映画社破産

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大学のころから、このマークがオープニングに入った映画をどのくらい観ただろう。ハリウッド映画に代表される、いわゆる大作映画にほとんど魅力を感じなかった自分にとって、一番肌に合ったのが、フランス、ドイツ、イタリアなどのヨーロッパ映画だった。そしてそれらの多くが、この会社の配給だったのだ。

ミニシアターブームの終焉と言われて久しいが、確実にひとつの時代が幕を閉じたのを感じる。

フランス映画社が破産 「勝手にしやがれ」配給

フランスなど欧州で製作された映画の老舗配給会社、フランス映画社(東京)が東京地裁から破産手続きの開始決定を受けていたことが19日、分かった。負債総額は約3,800万円。

1968年に設立。「ベルリン・天使の詩」「勝手にしやがれ」「ストレンジャー・ザン・パラダイス」など往年の名作を国内のミニシアターを中心に配給してきた。(中略)

しかし近年は映画ファンがハリウッド大作や国内の娯楽映画に傾斜し、苦戦を強いられていた。ことし8月末から事業を停止していたという。

2014年11月19日13時27分 共同通信
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2014年07月11日

ゲームとルパンと特製ネクタイ

前回は、押入れに眠っていた物たちの中から、特撮関係に絞り込んでご紹介しましたが、今回は、それ以外のジャンルのガラクタ、もしくはお宝をお目にかけることにいたしましょう。

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「ゲゲゲの鬼太郎」のプレイパズル(エポック社)
ジグソーパズルの簡略版みたいなものです。わが家では「絵パズル」をもじって「絵ばっちょる」などと呼び、夕食後のお楽しみのひとつでした。

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同じく「ファイトだ!!ピュー太」のプレイパズル(エポック社)
私は当時「鬼太郎」以上にこの「ピュー太」にハマッてまして、DVD-BOXが出ているというのを最近知り、今年になってついにヤフオクでゲットしました(現在17話まで視聴済みですが、やっぱり面白い!)。

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裏面はこんな感じ。悪役ワルサーのご先祖さまが大好きで、よくこうやって書いていたものです。

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ほんものそっくり!!スマートボール(バンダイ)
小学校低学年のころ、パチンコとかコリントゲームとか、やたらそういった玉入れゲームに凝り、このたぐいのおもちゃをいくつか持っていました。今でも動くかどうかは不明。

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箱の正面イラスト。ガキどものドヤ顔がたまりません。

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箱の側面。正面とは異なり、こちらのガキは何やらサイケなタッチ。

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トリップル(エポック社)とニューレーダー作戦ゲーム(タカラ)
トリップルはオセロの進化版のようで難易度が高く、ほとんどやりませんでした。レーダー作戦ゲームの方は結構盛り上がった記憶あり。

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こどものせかい(至光社)
通園していたカリタス幼稚園で定期購読していたもの。いわさきちひろの「あかちゃんのくるひ」と「あめのひのおるすばん」。

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怪盗ルパンシリーズ(ポプラ社ほか)
小学校4〜5年にかけて激しくハマッたルパンシリーズ。コンプリートとはいきませんでしたが、ピーク時は1日1冊のハイペースでシリーズの半分以上を読破しました。なぜかホームズにはそれほど熱くならず。

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小学校時代の教科書(光村図書出版ほか)
中学、高校、大学のものもほとんど残っています。こういうのは、皆さん処分してるんでしょうか?

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特製雉(きじ)ネクタイ(北海道上士幌町振興公社)
中学1年の夏、黒姫の山荘近くのロッヂのお土産売り場で発見してひと目惚れ。夏休みの間、毎日井戸の水汲みをすることを条件に3,000円(だったか?)を親から前借りしてゲットした思い出の逸品。しかしあまり着用の機会はありませんでした。この商品、ネットで検索しても数件しかヒットせず、しかも「気持ち悪い」「リサイクルショップでも引き取りを拒否された」など評判はさんざんのようです。

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とても丁寧に作られていると思うのですが…

いかがでしたでしょうか。
押入れの整理は、当分終わる気配がありませんので、また何か面白いものが出てきたら、適宜ご紹介していきたいと思います。
posted by taku at 21:03| レトロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月10日

サザエさんをさがして「火星の土地を買う」

本日(5月10日)、朝日新聞beの名物コラム「サザエさんをさがして」に、かつて実際に行われていた火星の土地分譲と、そこから着想を得て製作した映画『火星のわが家』のことが取り上げられています。私のコメントも、取材に応える形で掲載されました。

また、亡父(青江舜二郎)が1957年に実際に購入した証拠である「火星土地分譲予約受付証」も紙面を飾っています。

宇宙時代の到来に沸き立っていたあの時代の息吹きを感じたい方は、是非ご一読下さい。
記事は、朝日新聞のウェブページでもお読みいただけます(無料登録が必要)。
posted by taku at 20:13| レトロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月02日

ムーランルージュと中村屋

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新宿K's cinemaで「ムーランルージュの青春」を観る。

芝居とレビューを提供する常設劇場として1931年に開館し、戦後日本のエンターテインメントの礎を築いたムーランルージュ新宿座の実像や歴史に迫るドキュメンタリー。戦争を挟み20年間にわたってオリジナルのドラマを発信し続けた伝説の劇場の全ぼうを、延べ20人に及ぶ劇場出身者や関係者の貴重な証言とともに再構築。(「シネマトゥデイ」解説ページより)

実際に舞台に立っていた俳優やスタッフ、その家族などをコツコツ訪ね歩くインタビューと、当時の舞台の再現で構成されており、場面転換の際にはジオラマによる赤い風車の外観も登場。大変丁寧に作られたドキュメンタリー作品だった。

宣伝文によると「バラエティ」という言葉はこの劇場から始まったそうだが、現在テレビでたれ流されている白痴的なバラエティ番組よりは、はるかに娯楽性と多様性に富んだものが上演されていたようだ。

この作品の最大の見せ場は、何と言っても劇場のトップアイドルとして一世を風靡した明日待子のインタビューだろう。90歳を過ぎてなお矍鑠(かくしゃく)としており、現在も札幌で日舞の師匠を続けているという。お弟子さんの発表会で踊りを披露する場面も収録されていた。女は強し、である(公開初日には1人で札幌から上京し舞台挨拶をされたとのこと。その時に行けばよかった!)。

なお、ムーランルージュ新宿座のあった場所は現在の国際劇場付近(下写真参照)。ピンク映画の常設館で、紳士淑女にとっては、立ち止まったりするのが少々はばかられるところではある。作品中、当時の関係者5人がそこを訪ねてみるのだが、現在の建物の前で一同困惑したような表情を浮かべ、ある元女優は「悲しい…」と、本当に悲しそうな声をあげる。その悲しみは、思い出の場所が成人映画館になっていたからか、それとも、街全体の変貌ぶりによるものなのか…。

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ついでに言うと、この映画が上映されているK's cinemaはその国際劇場からわずか100メートル。まさに「ご当地」でのロードショーなのである。私は新宿高校に通っていたので、毎日のように歩いていた場所なのだが、そんな歴史に名を残す劇場がこの界隈にあったとは知る由もなかった。最近はこういう歴史の発見に胸をときめかすことが多くなった。そういう年代になってきたということなのだろう。

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新宿通りに出てみると、中村屋は建て替えのため休業中。戦後の昭和史とともに生きてきたこの建物も、ついにその役目を終えたということか。
レストランが店を閉めるのは知っていたが、カリーパンやピロシキなどの販売もすべて休止するとは思わなかった(中華まん同様、どこかで作って売るとばかり…)。私は中村屋のカリーパン&ピロシキの隠れ愛好者だっただけに、これは結構「悲しい」出来事であった。
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2011年07月28日

橋口五葉展

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千葉市美術館で開催されている「橋口五葉展」に行ってきた。わずか41年(正確には39年と2カ月)の生涯ながら、日本画、洋画、図案、装丁、浮世絵(版画)など実に多彩な創作活動を行った人で、展示された作品も400点以上! 実に見ごたえのある展覧会だった(もっと時間に余裕を持って出かければよかったと悔やまれる)。

彼の作品には女性をモチーフにしたものが大変多く、活動した時代や仕事の幅の広さなどからも竹久夢二との類似を感じたりしたが、ある評論家の方の意見では、夢二の描く女性像からは、男女間の情念というか、そのモデルと夢二との間の交情が浮かび上がってくるのに対し、五葉の作品にはそれが感じられないとのこと。なるほど、言われてみれば、五葉はあくまでフォルムの美しさの追求のためにモデルと対峙していたような印象を受けた(生涯独身を貫いた彼がつけていた家計簿には、ひんぱんにモデルにギャラを払っていたことも記されている。もし男女の関係にあったなら、このあたりはもっとアバウトになっていたのではないだろうか)。

まあしかし、どちらの画家の描く女性像も、私などは大変好みなのだが。とりわけ印象に残ったのは西洋画の技法で東洋的な主題を描いたという「孔雀と印度女」(1907)。同時期の作品に羽衣伝説に材を取った「羽衣」というのがあるそうだが、こちらは現在所在不明で、下絵しか展示されていないのが残念だった。

晩年の五葉は西洋画とも装丁とも距離を置き、浮世絵版画に創作欲のすべてを注ぎ込むようになる。その成果も多数展示されていた。晩年といっても三十代後半のことで、彼とて自分の寿命は知らなかったはずなのに、その若さで六十代の作品と言っても不思議ではない、まさしく「晩年の成熟」を体現したことに、しばし言葉を失った。もし彼が現在の日本人の平均寿命(80歳前後)まで生きたとしたら、もう一度ぐらい西洋画への回帰があったのでは? などと想像をたくましくしてしまった。

ひととおり作品を見終えたあとで、この展覧会の企画構成を担当した学芸員の西山純子さんとお目にかかり、いろいろとご教示いただいたことも貴重な収穫だった。この橋口五葉展、関東では今月いっぱいだが、その後北九州、鹿児島でも開催されるとのこと。大正期の美人画(今見ても全然古臭くない!)を堪能できる絶好の機会だと思うので、ご興味のある方は是非!

■千葉市美術館「橋口五葉展」
posted by taku at 13:40| レトロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月30日

さらばウェンディーズ

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米ウェンディーズ・アービーズ・インターナショナルは11日、日本のハンバーガー店「ウェンディーズ」全71店舗を31日に閉店すると発表した。日本でフランチャイズ(FC)展開しているゼンショーが10日、契約を更新しないと発表していた。
(2009年12月11日 毎日新聞)

というわけで、最後に一度味わっておこうと、閉店前日のウェンディーズに行って来た。駆け込み需要というべきか、店内は結構にぎわっており、カウンターには途切れることなく並ぶ人の姿が。
今さらながら「え、そうだったの?」と思ったのが店舗数。上の記事を見ると、全国でわずか71店しかなかったとのこと。私の地元では、ダイエーのすぐ脇でずいぶん前から店を構えていたし、新宿三越の近くなどにもあったから、全国的に、もっと手広く事業展開していると思っていたのだ。

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久しぶりに食べた、チーズバーガーとチリ。ここ数年、ファーストフード(新聞表記ではファストフード)はほとんど食べていなかったので、「ああ、そうそう、こういう味だったっけ」と懐かしく思い出した。ウェンディーズのパティは作りおきしないのが売りで、どこぞの大手ハンバーガーチェーンのものより手作り感があって割と好きだったのだ。それからチリ。程よい辛さが食欲を増す。ミネストローネなんかも好きだった(今回は注文しなかったが)。もう食べられないかと思うと感無量。「もう少し足繁く通えばよかった」と今さらながら思ったりする。
だいたい閉店ということになった場合、多くの人が同じようなことを考えるものだが、その時はもう遅い。親が死んだ後に「もっと大事にしてやればよかった」と悔やむのと同列で、先に気づくということはまずないのだ。これもまた、人生の縮図であろうか。

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2008年09月30日

さらばナショナル

週末、3週間ぶりに訪ねた黒姫の山荘は秋真っ盛り、というか一足飛びに冬の気配で、早速煙突ストーブのお世話になる。そして、お湯もすぐに出て欲しいなと思い、約30年前の瞬間湯沸かし器を、新しいものと交換してもらった。壊れていたわけではないのだが、あまりにも年式が古く、一酸化炭素中毒の危険があるから交換しろと、前からガス会社に言われていたのだ。交換キャンペーンとかで、本体と工事費、そして古い製品の処分を全部合わせて1万円。かなりお値打ちだったと思う。それでもって、その年代物の湯沸かし器のロゴをよくよく見ると、何とNationalの文字が…。

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ナショナルが湯沸かし器を作っていたなんて知らなかったし、いろんな意味で骨董的価値があるようにも思ったが、手元に置いておくのもかさばるので、涙をのんで処分してもらうことにした。折しも、松下電器は今日でその看板を下ろし、長年親しまれた「National」のブランド名も、ついに過去のものとなる。湯沸かし器に限らず、冷蔵庫、洗濯機、掃除機、電子レンジ、懐中電灯…すべてのナショナル製品が、遠からず骨董的、歴史的な存在になろうとしているのだ。幼少期から家電といえばほとんどナショナル製品だった自分にとっては、またひとつ、ともに時代を生きてきた仲間がいなくなるようで一抹の淋しさを覚える。さらばNational
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2008年04月04日

30年後の同窓会

キャンディーズが解散して、今日でまる30年だという。
1978年の4月といえば、私は中学3年にあがったばかり。当時、男子生徒の間では、ピンクレディー派とキャンディーズ派がはっきり分かれており、どちらかというとピンクレディー派の方が優勢であった。私はそのころアイドルといえば太田裕美ひとすじだったから、そういう二大政党(?)の争いとは距離を置いていたのだが、どちらかを選べ、と言われれば、迷わずキャンディーズを選んだ。

こういうのは好みに属することなので、別に理由づけをしても始まらないのだが、ピンクレディーについては、阿久悠のケレン味たっぷりな歌詞と、まるでキャバレーのホステスのような(当時は見たことないけど)過剰なお色気路線が、どうにも受け容れられなかったというのが正直なところだ。対するキャンディーズも、まあ、ピンクレディーと似たり寄ったりの衣裳をつけていた時もあるが、セクシーというよりはキュートで、歌や踊りも安心して見ていられる、正統的アイドルグループであったと思う。また、当時毎週見ていた「8時だョ!全員集合」にレギュラー出演しており、コントや体操のコーナーなどでおなじみという親近感もあった。「春一番」や「暑中お見舞い申し上げます」など、思わず口ずさみたくなるヒットナンバーも多い。ちなみに個人的に一番のお気に入りだったのは「哀愁のシンフォニー」で、今でもあのイントロの「ダバダ〜」を聞くと、軽い陶酔感を覚えるのである。

というようなわけで、それなりにポイントが高かったキャンディーズだが、当時はなにしろまだ中学生であり、後楽園球場でのファイナルカーニバルに足を運ぶということは思いもよらなかった(しかし何故か、同じ年の5月13日に横浜スタジアムで行われたかぐや姫の復活コンサートには出かけている)。実際、あの解散コンサートに熱狂した若者の多くは大学生だったようで、私より4〜5歳くらい年上なのではないだろうか。

そして、あの日からちょうど30年が過ぎ、記念のイベントが水道橋で開かれたらしい。以下はネット記事より抜粋。

イベントには約2000人が参加。スクリーンに解散コンサートの様子が再生されると、40−50代と見られるファンは「ランちゃーん!」など太い掛け声と共にスクリーンへ紙テープを投げ、若き日の熱狂を再現した。
 (読売新聞)


50歳前後のオヤジらファン約2000人が集結、青春時代にタイムスリップした。解散コンサートのフィルム上映でイベントで、ファンたちは「ラン、スー、ミキ!」と、3人の名前を絶叫コール。
 (共同通信)


50歳前後になったオヤジらファン約2000人が集結、青春時代にタイムスリップした。開演前から掛け声の練習に盛り上がり、「春一番」「微笑がえし」などの映像に3人の名前を絶叫コール。普通のオヤジには戻れない、とばかりに紙テープを投げ、30年分のときめきを爆発させた。
 (スポーツニッポン)


何か、オヤジ、オヤジのオンパレードである。記事の論調から、うっすら悲哀が漂うのは、書いている記者たちもおそらく同じオヤジ世代だからだろうか? それにしても、「普通のオヤジには戻れない」なんて誰が言ったんだ?

なお、そのイベントに、予想どおり3人の姿はなかった。キャンディーズの電撃的な解散はいくつかの謎に包まれているが、とにかくこれくらい再結成をしない、いや、それを口にすることさえタブーになっているグループというのも世の中には珍しいのではないか。しかも3人のうち2人は現役の芸能人(女優)である。なのに彼女たちは、再結成はおろか、キャンディーズ時代の思い出を語ることさえ拒み続けている。ここまで徹底した黙秘戦略は、誰か影のプロデューサーでもいるのか、それとも、3人の断固たる総意に基づくものなのか? 当時人気を二分していたピンクレディーが、解散後も何度となく再結成を繰り返し、当時と変わらぬ衣裳と振り付けで営業を続ける姿には圧倒されるばかりで、これはこれで大変なプロ根性を感じてしまうのだが、とにかく、70年代を彩った2つのアイドルグループは、どこまでも正反対の歴史を刻んでいくようだ。

candies.jpg 1977年9月号「明星」の付録。折り目が残念!
posted by taku at 23:57| レトロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする