このごろは
トレースパクリと
噂され
罪認めよと
皆がざわめく
(縦読みでどうぞ)
近ごろのネット界隈は、あるイラストレーターの話題で、オリンピック以上に賑わっているようだ。その人物は著作権者の許可を得ることなく、多数の写真画像をモチーフに作品を制作し発表、さらには販売までしていた疑いがあるという。ネット探偵たちの連日の捜索により次々と証拠画像が発見され、それらを解析した結果、当初は模写かトレスでは、と言われたが実はトレスですらなく、画像処理ソフトを使っていただけらしい、という推測までなされている。
今後の展開にも目が離せないところだが、ひとつ気になったのは、そんなに簡単に写真からイラストに変換できるものなのか?ということである。そこで、手近にあった写真画像と、かなり旧バージョンのphotoshopを使って、実際どの程度写真をイラストや絵画に近づけられるのか試してみた。photoshopはかれこれ20年近く使っているが、作業のほとんどは色調や濃度の補正、レタッチ、そしてサイズの調整ぐらいで、画像そのものの「定義」を変更するというのはほぼ初めて。かなり新鮮で刺激的な体験であった(使用した写真はすべて、ホームページや作品のためにモデルさんを使って自分で撮影したものです)。
↑まずはこちら。何も言わなければイラストと認識されると思うが、
↑これが元の写真。
↑これも、なんとなくイラスト風味だが、
↑元はこんな感じ。
ここからは、元写真、イラスト風、そして話題の人が好んで用いる「左右反転」という順でご紹介。
元写真
イラスト風
左右反転
元写真
イラスト風
左右反転
元写真
イラスト風
左右反転
元写真
イラスト風
左右反転
元写真
イラスト風
※左右反転は省略
かなりの枚数試してみてわかったのは、どんな写真でもうまくいくわけではないということ。やってみなくてはわからないのだが、まあ、基本ワンクリックですから。あるフィルターをかけて、そのあと細部のアラをコピースタンプツール等で修正する感じ。
ここまではペン画風だったが、以下は絵画(筆絵)風。
元写真
絵画風
※左右反転は省略
元写真
絵画風
左右反転
元写真
絵画風
左右反転
元写真
絵画風
左右反転
元写真
絵画風
左右反転
元写真
絵画風
左右反転
もちろん小動物も一発変換。
まあ、これらは古いソフトを使って「なんちゃって」で作った、いうなればお遊びの域である(と言いつつ、結構ハマってしまい丸2日潰れてしまった)。現在ではもっと高性能なソフトが出ているはずだから、写真のイラストへの加工は一層容易になり、表現のバリエーションも豊富になっていることだろう。しかしそうなると、もはやイラストレーターはいなくても、元の写真とグラフィックデザイナー(ないしはオペレーター)がいれば、ほとんどの商用ニーズは満たせるのではないだろうか。そんな考えはいささか飛躍が過ぎるかも知れないが、写真画像とイラストとの境界は、21世紀以降どんどん曖昧になってきているような気がする(最近はスマホのアプリなどでも、原型が残らないくらいの画像補正が可能なようだし)。
2022年02月08日
2015年09月19日
復活!Seesaaブログ
一昨日(9/17)の18時あたりから、GoogleやYahooなどの検索結果に、Seesaaブログのページが表示されないという不具合が起こっていましたが、先ほど(9/19の18時前後)復旧したようです。私は一昨日の夜、帰宅してから異変に気づき、最初は、もしや自分のブログだけ何らかの理由でペナルティが課せられたのでは? とかなり気をもみましたが、一夜明けて、どうやらSeesaaブログ全般にわたる障害らしいとわかって少し安心し、でも、連休に入ることでもあるし、復旧にはかなり時間がかかるのではないかと、なかば諦めの境地でした。思ったより早く正常に戻って正直ほっとしています。
【衝撃】SeesaaブログがGoogleからペナルティを食らって全ブログが検索結果から消滅
ある人がある時ある検索ワードを打ち込んで、その表示結果からこのブログにたどり着き、記事を読むことで私の存在を知ってくれる、というのは、ネットならではの「出会い」であり、ささやかな励みでもありました(その人の姿は見えないものの、アクセス解析などからわかります)。ですから17日の夜、ブログのタイトルやいろいろな検索ワード(たとえば「大船観音」と「シルバー仮面」、「鎌倉アカデミアを伝える会」、「文學者之墓」等々)を打ち込んでも、自分のページが一切表示されないという事実に、少なからずショックを受けました。2008年3月にブログを立ち上げて以来、こんな現象は初めてのことです。少し大げさですが、何か計り知れない力によって、自分の存在がきれいさっぱり消されてしまったような、ある種の心細さを感じたと言うか…。しかし、ドメインを取り、レンタルサーバーに料金を払って運営している公式サイトと違って、このブログは無料サービスなので、何が起こっても文句は言えません。Seesaaは広告を非表示にできるし、カスタマイズも自由度が高いので結構気に入っていたのですが、今後、同じような現象が起きるようなら、公式サイト内にブログを置くなど、運営スタイルを変えることも必要になってくるのでしょう(個人的には、公式サイトとブログはやや立ち位置が違うので、一緒にしたくないんですよね〜)。
さて、ちょっと変わった張り紙や看板などを紹介する画像特集第2弾。
歩行者からのメッセージ
川崎市多摩区にて。大変幅が狭い道路なので、言わんとしていることはわかるのですが…
へりくだり過ぎ
長野県内のとあるビジネスホテルで。「もちろん無料」だそうですが、何となく躊躇したくなります。
観光地?
よく読むと、ちゃんと五七五調の標語になっています。最大の疑問は、これが小田急線の向ヶ丘遊園駅構内に現在も設置されていること。まあ、遊園地があったころは観光地だったのかも知れませんが…
神の怒り
かなり怒ってます。したがってユーモアを交える余裕もなく、大変ストレート。まあ、この張り紙があったのは神社のすぐそばですし、気持ちはわかります。これも川崎市多摩区にて。
始末されないために
横浜市保土ヶ谷区で発見。「何を」始末するのかわかりかねますが、「長寿会」というのは多分老人会でしょうから、そうすると、若い世代に向けての切実なメッセージとも受け取れます。しかし今のご時勢、年寄りの方が金もパワーもありますから、その心配はないでしょう。ちなみに、漢字が「始未」になっています。
なんか、字ばっかりで写真として面白みに欠けるので、最後に、街で見かけた非常事態の光景を。
パトカーが止まって建物は立ち入り禁止。何か事件か? と思ってふと上を見ると、
ビルのガラス窓が1枚、落下したようです。たしかに、非常事態ではあります。静岡県三島市にて。
【衝撃】SeesaaブログがGoogleからペナルティを食らって全ブログが検索結果から消滅
ある人がある時ある検索ワードを打ち込んで、その表示結果からこのブログにたどり着き、記事を読むことで私の存在を知ってくれる、というのは、ネットならではの「出会い」であり、ささやかな励みでもありました(その人の姿は見えないものの、アクセス解析などからわかります)。ですから17日の夜、ブログのタイトルやいろいろな検索ワード(たとえば「大船観音」と「シルバー仮面」、「鎌倉アカデミアを伝える会」、「文學者之墓」等々)を打ち込んでも、自分のページが一切表示されないという事実に、少なからずショックを受けました。2008年3月にブログを立ち上げて以来、こんな現象は初めてのことです。少し大げさですが、何か計り知れない力によって、自分の存在がきれいさっぱり消されてしまったような、ある種の心細さを感じたと言うか…。しかし、ドメインを取り、レンタルサーバーに料金を払って運営している公式サイトと違って、このブログは無料サービスなので、何が起こっても文句は言えません。Seesaaは広告を非表示にできるし、カスタマイズも自由度が高いので結構気に入っていたのですが、今後、同じような現象が起きるようなら、公式サイト内にブログを置くなど、運営スタイルを変えることも必要になってくるのでしょう(個人的には、公式サイトとブログはやや立ち位置が違うので、一緒にしたくないんですよね〜)。
さて、ちょっと変わった張り紙や看板などを紹介する画像特集第2弾。
歩行者からのメッセージ
川崎市多摩区にて。大変幅が狭い道路なので、言わんとしていることはわかるのですが…
へりくだり過ぎ
長野県内のとあるビジネスホテルで。「もちろん無料」だそうですが、何となく躊躇したくなります。
観光地?
よく読むと、ちゃんと五七五調の標語になっています。最大の疑問は、これが小田急線の向ヶ丘遊園駅構内に現在も設置されていること。まあ、遊園地があったころは観光地だったのかも知れませんが…
神の怒り
かなり怒ってます。したがってユーモアを交える余裕もなく、大変ストレート。まあ、この張り紙があったのは神社のすぐそばですし、気持ちはわかります。これも川崎市多摩区にて。
始末されないために
横浜市保土ヶ谷区で発見。「何を」始末するのかわかりかねますが、「長寿会」というのは多分老人会でしょうから、そうすると、若い世代に向けての切実なメッセージとも受け取れます。しかし今のご時勢、年寄りの方が金もパワーもありますから、その心配はないでしょう。ちなみに、漢字が「始未」になっています。
なんか、字ばっかりで写真として面白みに欠けるので、最後に、街で見かけた非常事態の光景を。
パトカーが止まって建物は立ち入り禁止。何か事件か? と思ってふと上を見ると、
ビルのガラス窓が1枚、落下したようです。たしかに、非常事態ではあります。静岡県三島市にて。
2015年09月15日
必殺の2.85秒/ほか3本
先週以来、「赤塚不二夫生誕80周年ネタ」で予想外にエネルギーを使ってしまったので、しばらくは超手抜き企画を。
今からちょうど10年前の2005年に、公式サイトの方で「旅路の果てに人生あり」という、ちょっと変わった張り紙や看板などを紹介する画像特集をやったのですが、それの続編みたいなものです。
必殺の2.85秒
数年前、川崎市多摩区の専修大学図書館内のトイレで見かけた張り紙。
3秒ではなく2.85秒! オリンピック記録なみの精度が要求されているわけですね。ハードルが高すぎたのか、現在は張られていません。なお、タイトルは『ウルトラセブン』第36話「必殺の0.1秒」のもじりです。
カラスの餌食
同じく川崎市多摩区の多摩川のほとりにて発見。書かれていることは本当なんでしょうか。だとすれば結構怖いです。
駅長に告ぐ
かなり前、東西線早稲田駅にあった伝言板。小学生(多分)の駅長への直訴文です。左隅で、「イタズラされるから最低限しか置かんだけでしょ」と回答しているのは、駅長ではなく通りすがりの人だと思いますが…。こういう伝言板も、最近はめっきり見なくなりました。
駅前ホルモン
最後は、調布市国領町の、昭和の封切映画風レトロ看板「駅前ホルモン」。どう見ても森繁、伴淳とフランキーですが、許可関係はクリアしたんでしょうか? この店舗は2011年に閉店し、今は少し場所を変えて「もつやき処い志井」国領店として営業しています。
こんな感じで次回につづく(多分)。
今からちょうど10年前の2005年に、公式サイトの方で「旅路の果てに人生あり」という、ちょっと変わった張り紙や看板などを紹介する画像特集をやったのですが、それの続編みたいなものです。
必殺の2.85秒
数年前、川崎市多摩区の専修大学図書館内のトイレで見かけた張り紙。
3秒ではなく2.85秒! オリンピック記録なみの精度が要求されているわけですね。ハードルが高すぎたのか、現在は張られていません。なお、タイトルは『ウルトラセブン』第36話「必殺の0.1秒」のもじりです。
カラスの餌食
同じく川崎市多摩区の多摩川のほとりにて発見。書かれていることは本当なんでしょうか。だとすれば結構怖いです。
駅長に告ぐ
かなり前、東西線早稲田駅にあった伝言板。小学生(多分)の駅長への直訴文です。左隅で、「イタズラされるから最低限しか置かんだけでしょ」と回答しているのは、駅長ではなく通りすがりの人だと思いますが…。こういう伝言板も、最近はめっきり見なくなりました。
駅前ホルモン
最後は、調布市国領町の、昭和の封切映画風レトロ看板「駅前ホルモン」。どう見ても森繁、伴淳とフランキーですが、許可関係はクリアしたんでしょうか? この店舗は2011年に閉店し、今は少し場所を変えて「もつやき処い志井」国領店として営業しています。
こんな感じで次回につづく(多分)。
2015年08月24日
黒姫 2015年夏
前回はミヤマクワガタの画像しか載せなかったので、今回はそれ以外の黒姫での写真を紹介していきましょう。前にも書いたように、幼少期から毎年のように訪れている場所なので、もはや新鮮なまなざしは失われているのですが…。
まずは、駅近くの道沿いの風景。ひまわりとコスモス、そして背後にはトウモロコシ畑。
この土地では、梅雨の花アジサイと、秋の花コスモスが、ごく普通に同居しています。
国道には、電信柱と道祖神が隣り合わせ(特撮ファンなら、『怪奇大作戦』の「霧の童話」のラストを思い出すかも)。
築40年弱のわが山荘。ボロが目出つので画像は小さめ。
夏でも涼風が吹きぬける黒姫高原。
で、こちらは地元の信濃町が運営する黒姫童話館。1991年開館ですからもう24年が経ちます。何回くらいここに通ったか、もはや思い出せません。
おや、この見慣れない柵は…?
レトロなポストまで設置されている…ということは、もしや…
やっぱり、郵便屋さんとしても認知されているヤギさんでした。
もろもろの事情で、長年行われてきた牛の放牧が中止になり、そのリリーフ(?)として今年からお目見えしたとのこと。
黒姫童話館といえば、ミヒャエル・エンデの常設展示などが有名ですが、私にとっては、今年2月に亡くなった松谷みよ子氏の足跡を展示した「松谷みよ子の世界」がとりわけ印象深く、いつもかなり長い時間をこのコーナーで過ごします。
松谷氏は戦後間もない1947年、この黒姫高原の野尻湖畔に坪田譲治を訪ね、自作童話を書いたノートを手渡したことが作家デビューのきっかけとなります。そして松谷氏本人も1980年ごろに黒姫に別荘を建て、この地でも執筆を行うようになるのです。
私の父・青江舜二郎も同じように黒姫に山荘を持ち、夏はこの土地で仕事をするのが恒例になっていたので、松谷氏には勝手に親近感を抱いておりました。また、青江の教え子である劇作家・若林一郎氏が、一時期松谷氏の童話の脚色を何本も手がけたという「つながり」もあって、今から10年ほど前、東京・練馬の「本と人形の家」をお訪ねした折には、黒姫の生活事情などについて、心安くお話させていただいたこともあります。
「山桑(地名)は普通は『やまくわ』って読むんでしょうけど、あっちの人たちはみんな『やまっか』って呼んでるんで、私もそれにならって『やまっか』って言うの。なんかその方が可愛いでしょう」
「最近は熊を見たっていう知り合い人が何人もいるから、私も、散歩の時には熊よけの鈴をつけるようにしてるの。森の中で熊さんと出会うなんて本当に童話みたいで、ちょっと面白そうな気もするけれど、いきなり襲われるのはねえ」
などと目を細めてながらお話しされる温顔が、今も目に浮かびます。
実は松谷氏には、ある映画を製作した時に、大変なお力添えをいただいたこともあるのです。非公式な協力ということもあって、その作品名をここで明らかにすることはできないのですが、松谷氏のご協力がなければ、その映画が完成することは不可能であったと今でも思っています。
もはや天上の存在となってしまわれましたが、あらためてあの時のご厚情に感謝し、そしてご冥福を祈るべく、深く頭(こうべ)を垂れました。
童話館を訪ねた翌日、東京に戻りました。上の写真は2015年8月17日の黒姫駅です。
去る3月にアップした「さらばJR黒姫駅」という文章に、
「今年の夏、黒姫駅に降り立った時に、自分はその変化をどのように感じるのだろう。何がどう変わって、何が変わっていないか―それをきちんと見届けるのも、長く生きて来た人間の務めのような気がしている」
などと書きました。もちろんこれは、黒姫がJR線の駅でなくなることに伴う変化のことを言っているのですが、結論から言うと、「北しなの線」に変わっても駅前の風景はほとんど以前のままでした。まあ、赤字路線の悲しさで、改修整備をする費用などないのでしょうから、当然のことと言えばそれまでですが。
「3.14開業」ののぼりが北しなの線への移管を物語る程度。
駅の看板も、2011年に架け替えた時のまま。
券売機と改札。こちらも大きな変化はない。
ただ、ホームのプレートだけは、JRとの訣別がはっきり示されていた。
北しなの線カラーに塗り直されたワンマン運転の車両が入線。
山並みに幾重にもたれこめる雲をながめつつ、黒姫は遠ざかっていくのでした。
まずは、駅近くの道沿いの風景。ひまわりとコスモス、そして背後にはトウモロコシ畑。
この土地では、梅雨の花アジサイと、秋の花コスモスが、ごく普通に同居しています。
国道には、電信柱と道祖神が隣り合わせ(特撮ファンなら、『怪奇大作戦』の「霧の童話」のラストを思い出すかも)。
築40年弱のわが山荘。ボロが目出つので画像は小さめ。
夏でも涼風が吹きぬける黒姫高原。
で、こちらは地元の信濃町が運営する黒姫童話館。1991年開館ですからもう24年が経ちます。何回くらいここに通ったか、もはや思い出せません。
おや、この見慣れない柵は…?
レトロなポストまで設置されている…ということは、もしや…
やっぱり、郵便屋さんとしても認知されているヤギさんでした。
もろもろの事情で、長年行われてきた牛の放牧が中止になり、そのリリーフ(?)として今年からお目見えしたとのこと。
黒姫童話館といえば、ミヒャエル・エンデの常設展示などが有名ですが、私にとっては、今年2月に亡くなった松谷みよ子氏の足跡を展示した「松谷みよ子の世界」がとりわけ印象深く、いつもかなり長い時間をこのコーナーで過ごします。
松谷氏は戦後間もない1947年、この黒姫高原の野尻湖畔に坪田譲治を訪ね、自作童話を書いたノートを手渡したことが作家デビューのきっかけとなります。そして松谷氏本人も1980年ごろに黒姫に別荘を建て、この地でも執筆を行うようになるのです。
私の父・青江舜二郎も同じように黒姫に山荘を持ち、夏はこの土地で仕事をするのが恒例になっていたので、松谷氏には勝手に親近感を抱いておりました。また、青江の教え子である劇作家・若林一郎氏が、一時期松谷氏の童話の脚色を何本も手がけたという「つながり」もあって、今から10年ほど前、東京・練馬の「本と人形の家」をお訪ねした折には、黒姫の生活事情などについて、心安くお話させていただいたこともあります。
「山桑(地名)は普通は『やまくわ』って読むんでしょうけど、あっちの人たちはみんな『やまっか』って呼んでるんで、私もそれにならって『やまっか』って言うの。なんかその方が可愛いでしょう」
「最近は熊を見たっていう知り合い人が何人もいるから、私も、散歩の時には熊よけの鈴をつけるようにしてるの。森の中で熊さんと出会うなんて本当に童話みたいで、ちょっと面白そうな気もするけれど、いきなり襲われるのはねえ」
などと目を細めてながらお話しされる温顔が、今も目に浮かびます。
実は松谷氏には、ある映画を製作した時に、大変なお力添えをいただいたこともあるのです。非公式な協力ということもあって、その作品名をここで明らかにすることはできないのですが、松谷氏のご協力がなければ、その映画が完成することは不可能であったと今でも思っています。
もはや天上の存在となってしまわれましたが、あらためてあの時のご厚情に感謝し、そしてご冥福を祈るべく、深く頭(こうべ)を垂れました。
童話館を訪ねた翌日、東京に戻りました。上の写真は2015年8月17日の黒姫駅です。
去る3月にアップした「さらばJR黒姫駅」という文章に、
「今年の夏、黒姫駅に降り立った時に、自分はその変化をどのように感じるのだろう。何がどう変わって、何が変わっていないか―それをきちんと見届けるのも、長く生きて来た人間の務めのような気がしている」
などと書きました。もちろんこれは、黒姫がJR線の駅でなくなることに伴う変化のことを言っているのですが、結論から言うと、「北しなの線」に変わっても駅前の風景はほとんど以前のままでした。まあ、赤字路線の悲しさで、改修整備をする費用などないのでしょうから、当然のことと言えばそれまでですが。
「3.14開業」ののぼりが北しなの線への移管を物語る程度。
駅の看板も、2011年に架け替えた時のまま。
券売機と改札。こちらも大きな変化はない。
ただ、ホームのプレートだけは、JRとの訣別がはっきり示されていた。
北しなの線カラーに塗り直されたワンマン運転の車両が入線。
山並みに幾重にもたれこめる雲をながめつつ、黒姫は遠ざかっていくのでした。
2015年03月15日
フォトギャラリー完成
今年の初めにリニューアルした私の公式サイトですが、フォトギャラリーに関しては、とりあえず冬の情景を12枚アップするという暫定処置でしのいでいました。本当なら、これまで撮りためた写真をカテゴリごとに分類して閲覧できるようにしたかったのですが、写真の選別とレタッチに思った以上に時間がかかり、とても年頭に間に合わなかったのです。
そのフォトギャラリーが、この度、何とか完成いたしました。
こちらです≫ フォトギャラリー|大嶋拓 公式サイト
ページのトップに、季節に合った写真を1枚あしらい、その下にカテゴリ別のポートフォリオを配置しています。ちなみにカテゴリというのは以下のとおり。
自然・風景(40枚)
廃墟(40枚)
猫(28枚)
カラーポートレイトT(40枚)
カラーポートレイトU(40枚)
白黒ポートレイト(32枚)
今回特筆するべきは、「猫」を単独のカテゴリにしたことでしょうか。一昨年の秋まで住んでいた賃貸住宅の庭は、猫たちのたまり場になっていたので、必然的にそこで撮ったものが多くなっています。
ほかのカテゴリについて簡単に述べておくと、「自然・風景」はいわゆるネーチャーフォトで、これは特に説明の必要もないと思います。一応、春夏秋冬を意識して並べてみました(あくまで雰囲気で)。
「廃墟」については、私の中の廃墟熱もだいぶ冷めてきていますし、「自然・風景」の中に組み込んでもいいかなとも考えましたが、やはり自然とも風景とも根本的に異質な被写体であるため、旧takurama photo galleryに続き、今回も単独カテゴリとしました。一部、旧ギャラリーの廃墟系との重複もありますが、半数以上は今回初めて公開するものです。
一方、「ポートレイト」に関しては、最近あまり熱心に撮影を行っていないので、旧ギャラリーで公開したものの再掲が多くなっています。しかしながら、今回の公開に当たり、すべての画像の色調や濃度等を再調整しました。再度ネガからスキャンし直したものもあります。したがって、以前公開したものより、画質のクオリティは上がっていると思われます。ちなみにTはフィルム撮影、Uは前半をのぞきデジタルカメラ撮影です。白黒は、そのほとんどが20世紀に撮影したものなので、当然フィルム撮影です(数点例外あり)。
全部で220点ありますので、一度にご覧になるのは大変かも知れません。つれづれのお慰みにでも、お役立ていただければ幸いです。
こちらからどうぞ≫ フォトギャラリー|大嶋拓 公式サイト
2014年07月29日
以倉いずみさんを偲ぶ
※2016年7月29日に追加記事を書きました ≫ 夏のはじめに
いくらあなたに逢いたいと
暮れゆく空に祈っても
落日はただ消え去りて
命の定め思い知る
ずっと昔のあの春の
短き旅も幻か
漢字混じりだとわかりにくいかも知れません。ひらがなで書くと下のようになり、各行の最初の文字を「縦読み」すると、ある人の名前が浮かび上がります。
いくらあなたにあいたいと
くれゆくそらにいのっても
らくじつはただきえさりて
いのちのさだめおもいしる
ずっとむかしのあのはるの
みじかきたびもまぼろしか
以倉いずみさんは1974年7月29日に生を受け、それからわずか35年後の2009年8月27日に、あっけなくこの世を去っていきました。
今年、2014年は、彼女が誕生してちょうど40年、亡くなってから5年に当たります。
以倉いずみさんと私との関わりについては、亡くなってまだ日も浅いころ、当時のブログにある程度詳しく書きましたので、ここでは繰り返しません。あれから5年、あっという間のようにも思うし、同時にかなり長い時間が過ぎた気もします。
人間というのは、遅かれ早かれ必ず最期の時は来るわけで、そんな当たり前の事実に、いちいち過剰反応していても仕方がないのですが、やはり、自分より年長ならいざしらず、ひと回り以上も若い人がさっさといなくなってしまうのは、いささかキツイものがあります。ましてや以倉さんは女優さんで、非常に華のある存在でもあったため、まさに「佳人薄命」という言葉がふさわしく、それ故、今でもその死をクールに受け止めることができません。
そして、そんな風に感じているのは私だけではないようで、このブログにも、「以倉いずみ」の名前で検索してアクセスしてくる人が、最近でも少なからずいらっしゃいます。彼女を慕っていた人、今も懐かしく思い出す人の数は、私が思っているよりずっと多いのでしょう。
私の手元には、2003年から2005年ごろの以倉さんの写真と映像が、今もしっかりと残っています。もはやこの世で彼女と再会することは叶いませんが、写真の中の彼女は10年前の姿のままで微笑んでいますし、映像を再生すれば、あの日の彼女がいきいきと動き、語りかけてきます。
2014年夏。以倉いずみさんの生誕40年を祝い、そして没後5年に哀悼の意を込め、彼女のありし日の姿を今一度振り返ってみたいと思います。その御霊(みたま)が、とこしえに安からんことを祈りつつ…。
【写 真】
URLをクリックすると別ウインドウでアルバムが開きます。
右上にあるボタンをクリックすると、フルスクリーン(全画面)でご覧になれます。
早春の鎌倉にて(1)
http://www.takurama.net/ikura2003_01/index.html
早春の鎌倉にて(2)
http://www.takurama.net/ikura2003_02/index.html
2003年3月29日、ホームページのギャラリー掲載のために撮影したものです。鶴岡八幡宮を皮切りに、来迎寺、明月院、浄智寺、七里ヶ浜と1日かけて回りました。以倉さんの東洋的な顔立ちは古都の風景と実によくなじみ、時として、まるで菩薩が降臨したかのような「この世ならぬ」表情を見せてくれました。上の詩に書いた「あの春の短き旅」とはこの日のことを指しています。10年以上前のネガからスキャンしたため、発色が今ひとつなものもありますがご了承下さい。
営子覚醒(「実験室」より)
http://www.takurama.net/ikura2005/index.html
2005年2月14日、DVD「実験室」のジャケット、およびパブリシティ用に撮影したものです。「実験室」の映像は下のyoutubeで作品の一部をご覧いただけます。以倉さんはこの作品で、流行作家との道ならぬ恋に溺れる人妻を演じており、劇中の着物をまとってのフォトセッションとなりました。撮影場所は登録有形文化財にも指定されている荻窪の旅館西郊と、新宿ゴールデン街のとある店の2階の小部屋です。
【映 像】
ドラマ・リーディング「崖」リハーサル風景
https://www.youtube.com/watch?v=8y1BxRnxEl8
青江舜二郎生誕百年イベントで上演した朗読劇のリハーサルの模様。朗読といいつつ、前半は普通にお芝居をしています。
DVDドラマ「実験室」本編映像(中盤の展開)
https://www.youtube.com/watch?v=wWZBeqACk6o
本編はトータル75分ですが、その中から、一番登場人物たちが熱く語っている15分をピックアップ。以倉さんの長ゼリフも堪能できます。
DVDドラマ「実験室」アフタートーク
https://www.youtube.com/watch?v=5OTBcxpwY6Q
青江舜二郎生誕百年イベントでのトークの模様。上記の「実験室」をダイジェストで上映したあと、メインキャスト3人が登壇しました。
私はかれこれ40年にわたって写真と映像に関わってきました。常に「現在」進行形である演劇や舞踊、音楽の生演奏などと違い、写真も映像も、撮影した瞬間から容赦なく「過去」のものとなります。そういう、「止まった時間」とだらだら関わることに何かしら陰鬱なものを感じ、一瞬で弾けて消える「ライブ」の潔さに魅かれた時期もありました。しかし今回、以倉さんの写真と映像を整理していて気づいたのは、それらは「過去」であり「止まった時間」の中を生き続けるがゆえに「永遠」であるということです。本人がこの世にいなければ、その人が出る芝居は当然上演できませんが、映像ならば時を選ばず「再生」することができるのです(映像のプレイバックを「再生=再び生きる」と約した日本語のセンスは秀逸だと思います)。こうして以倉さんは、写真と映像の秘めたる力を、私に強く再認識させてくれたのでした。
いくらあなたに逢いたいと
暮れゆく空に祈っても
落日はただ消え去りて
命の定め思い知る
ずっと昔のあの春の
短き旅も幻か
漢字混じりだとわかりにくいかも知れません。ひらがなで書くと下のようになり、各行の最初の文字を「縦読み」すると、ある人の名前が浮かび上がります。
いくらあなたにあいたいと
くれゆくそらにいのっても
らくじつはただきえさりて
いのちのさだめおもいしる
ずっとむかしのあのはるの
みじかきたびもまぼろしか
以倉いずみさんは1974年7月29日に生を受け、それからわずか35年後の2009年8月27日に、あっけなくこの世を去っていきました。
今年、2014年は、彼女が誕生してちょうど40年、亡くなってから5年に当たります。
以倉いずみさんと私との関わりについては、亡くなってまだ日も浅いころ、当時のブログにある程度詳しく書きましたので、ここでは繰り返しません。あれから5年、あっという間のようにも思うし、同時にかなり長い時間が過ぎた気もします。
人間というのは、遅かれ早かれ必ず最期の時は来るわけで、そんな当たり前の事実に、いちいち過剰反応していても仕方がないのですが、やはり、自分より年長ならいざしらず、ひと回り以上も若い人がさっさといなくなってしまうのは、いささかキツイものがあります。ましてや以倉さんは女優さんで、非常に華のある存在でもあったため、まさに「佳人薄命」という言葉がふさわしく、それ故、今でもその死をクールに受け止めることができません。
そして、そんな風に感じているのは私だけではないようで、このブログにも、「以倉いずみ」の名前で検索してアクセスしてくる人が、最近でも少なからずいらっしゃいます。彼女を慕っていた人、今も懐かしく思い出す人の数は、私が思っているよりずっと多いのでしょう。
私の手元には、2003年から2005年ごろの以倉さんの写真と映像が、今もしっかりと残っています。もはやこの世で彼女と再会することは叶いませんが、写真の中の彼女は10年前の姿のままで微笑んでいますし、映像を再生すれば、あの日の彼女がいきいきと動き、語りかけてきます。
2014年夏。以倉いずみさんの生誕40年を祝い、そして没後5年に哀悼の意を込め、彼女のありし日の姿を今一度振り返ってみたいと思います。その御霊(みたま)が、とこしえに安からんことを祈りつつ…。
【写 真】
URLをクリックすると別ウインドウでアルバムが開きます。
右上にあるボタンをクリックすると、フルスクリーン(全画面)でご覧になれます。
早春の鎌倉にて(1)
http://www.takurama.net/ikura2003_01/index.html
早春の鎌倉にて(2)
http://www.takurama.net/ikura2003_02/index.html
2003年3月29日、ホームページのギャラリー掲載のために撮影したものです。鶴岡八幡宮を皮切りに、来迎寺、明月院、浄智寺、七里ヶ浜と1日かけて回りました。以倉さんの東洋的な顔立ちは古都の風景と実によくなじみ、時として、まるで菩薩が降臨したかのような「この世ならぬ」表情を見せてくれました。上の詩に書いた「あの春の短き旅」とはこの日のことを指しています。10年以上前のネガからスキャンしたため、発色が今ひとつなものもありますがご了承下さい。
営子覚醒(「実験室」より)
http://www.takurama.net/ikura2005/index.html
2005年2月14日、DVD「実験室」のジャケット、およびパブリシティ用に撮影したものです。「実験室」の映像は下のyoutubeで作品の一部をご覧いただけます。以倉さんはこの作品で、流行作家との道ならぬ恋に溺れる人妻を演じており、劇中の着物をまとってのフォトセッションとなりました。撮影場所は登録有形文化財にも指定されている荻窪の旅館西郊と、新宿ゴールデン街のとある店の2階の小部屋です。
【映 像】
ドラマ・リーディング「崖」リハーサル風景
https://www.youtube.com/watch?v=8y1BxRnxEl8
青江舜二郎生誕百年イベントで上演した朗読劇のリハーサルの模様。朗読といいつつ、前半は普通にお芝居をしています。
DVDドラマ「実験室」本編映像(中盤の展開)
https://www.youtube.com/watch?v=wWZBeqACk6o
本編はトータル75分ですが、その中から、一番登場人物たちが熱く語っている15分をピックアップ。以倉さんの長ゼリフも堪能できます。
DVDドラマ「実験室」アフタートーク
https://www.youtube.com/watch?v=5OTBcxpwY6Q
青江舜二郎生誕百年イベントでのトークの模様。上記の「実験室」をダイジェストで上映したあと、メインキャスト3人が登壇しました。
私はかれこれ40年にわたって写真と映像に関わってきました。常に「現在」進行形である演劇や舞踊、音楽の生演奏などと違い、写真も映像も、撮影した瞬間から容赦なく「過去」のものとなります。そういう、「止まった時間」とだらだら関わることに何かしら陰鬱なものを感じ、一瞬で弾けて消える「ライブ」の潔さに魅かれた時期もありました。しかし今回、以倉さんの写真と映像を整理していて気づいたのは、それらは「過去」であり「止まった時間」の中を生き続けるがゆえに「永遠」であるということです。本人がこの世にいなければ、その人が出る芝居は当然上演できませんが、映像ならば時を選ばず「再生」することができるのです(映像のプレイバックを「再生=再び生きる」と約した日本語のセンスは秀逸だと思います)。こうして以倉さんは、写真と映像の秘めたる力を、私に強く再認識させてくれたのでした。