2016年03月28日

鎌倉アカデミア創立70周年記念イベント(1)

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桜の便りもあちこちで聞かれるころになってきました。桜と言えば春、春と言えば入学の季節です。
今からちょうど70年前、すなわち1946年の春、古都鎌倉で「鎌倉大学校」という民間の教育機関が産声をあげ、約250名の学生が入学しました。これが後の「鎌倉アカデミア」です。学校自体はわずか4年半しか存続しませんでしたが、いまだにそのユニークな「自由大学」を語り伝えようという動きは衰えていません。

今年はそんな「鎌倉アカデミア」の創立70年を記念し、複数のイベントが地元の鎌倉で開催されることになっています。

その第1弾となるのが、4月15日(金)〜17日(日)の3日間、鎌倉市川喜多映画記念館において行われる『影絵劇と映画≠楽しむ 劇団かかし座との3日間』。

劇団かかし座は、「鎌倉アカデミア」の演劇サークル「小熊座」を母体として、演劇科の第1期生だった故・後藤泰隆(現在の代表・後藤圭さんのお父上)が設立したもので、いわば「鎌倉アカデミア」は、かかし座のルーツともいうべき存在なのです。

イベントの詳細はこちらのページフライヤーをご覧下さい。

劇団かかし座のバックステージを描いた私の監督作『影たちの祭り』が連日上映されるほか、1957年に後藤泰隆によって制作された『アリババと40人の盗賊』や後藤圭さんの手による『やまなし』(原作:宮沢賢治)、さらに「千代太郎こども劇場」(1976〜81年にTBS系で放送された影絵番組。かかし座が制作を担当)の作品群が数十年ぶりにお蔵出し公開されます。しかも、今日では貴重なフィルム上映!

日替わりのトークショーも行われ、15日に後藤圭さん、16日は私こと大嶋拓、そして17日は「鎌倉アカデミア」演劇科の第2期生で、かかし座作品の脚本を多数手がけてきた劇作家の若林一郎さん、という顔ぶれ。また、16日には影絵制作のワークショップ(親子影絵教室)も行われます。

さて、先週の木曜日(3/24)、その鎌倉市川喜多映画記念館に、打ち合わせとチェック試写のために行ってまいりました。

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いつもにぎやかな小町通りをまっすぐ進み、次第にひとけが少なくなってきたあたりで左手を見ると…

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現在は「映画女優 原節子」と題した特別展が開催中(4月以降は上映やイベントも)。

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掲示板のすぐ先を曲がると、静かな裏通りに。この先が記念館です。

記念館では、キュレーターの増谷文良さん、かかし座の西垣勝さん、菊本香代さんと、おもにワークショップ(親子影絵教室)の実施場所や段取りの打ち合わせをしました。

三者協議の結果、ワークショップそのものは、ロビーとしても使われている「情報資料室」で行うことになりましたが、出来上がった影絵人形を投影するスクリーンを設置するスペースが確保できません。さて、どうしたものか…。

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真剣に話し合う御三方(別に顔出しNGではないのですが、全員後ろ姿になってしまいました)。

そこで、映画の上映スペースとして使用されている「映像資料室」の大スクリーンに、影絵人形の投影を行うことが決定。普段は小津安二郎、黒澤明、成瀬巳喜男などの名画が上映されている実際の映画スクリーンに、子どもたちの作った影絵が映し出されるわけです。何だかすごいですよね。講師を務めることになった菊本さんも、「こういう場所でのワークショップは初めてなので楽しみです」とおっしゃっていました。私としても、是非多くの方に参加してもらいたいと思うのですが、定員が20名のところ、すでに応募者が10名を超えているとのことなので、お申し込みはどうぞお早目に。

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上画像は、小型プロジェクターの位置を決めているところ。室内が暗く画面がブレブレのため、小さい画像をコラージュしてみました。

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なお、菊本香代さんには16日の、私が出演するトークショーにも特別ゲストで加わっていただくことになりましたので、こちらもどうぞご期待下さい。

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菊本香代さんは『影たちの祭り』のメインビジュアル(上画像)になっている方で、現在かかし座のトップ俳優のお一人です。6月にはスペインで行われる国際人形劇フェスティバルにも参加されるとか。いつも全力投球の姿勢が素敵です。

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こちらはドイツ製の、35mm&16mm兼用映写機。かかし座のフィルム作品はこの映写機で上映されます。『影たちの祭り』は素材がブルーレイなので、この映写機は使いませんが、DLPプロジェクターの画像もなかなか綺麗で、チェック試写は問題なく終了。これで準備は整いました。皆様方のご来場を心よりお待ちしております。

【追加情報】

《鎌倉アカデミア創立70周年記念祭》

日時:2016年6月4日(土)9:30〜16:30
会場:浄土宗大本山 光明寺(鎌倉市材木座6-17-19)
鎌倉アカデミア(鎌倉大学校)は1946年5月に、材木座光明寺にて開校しました。今年、2016年は創立70周年にあたります。このイベントでは卒業生や関係者のトーク、授業の再現、鎌倉アカデミアゆかりの人形劇団「ひとみ座」による公演などを行います。
posted by taku at 14:41| 鎌倉アカデミア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月25日

追悼 野崎茂氏

昨日(24日)調べ物があって、鎌倉市中央図書館の近代史資料室に足を運んだのだが、その際、資料室の平田恵美さんから、鎌倉アカデミア産業科1期生の野崎茂氏が最近亡くなったことを知らされた。1928年6月2日のお生まれだから、享年87ということになる。死因はわからないとのことだった。

野崎氏は1946年に鎌倉大学校(のちの鎌倉アカデミア)に入学。2代目校長・三枝博音の思想や人間性に深く傾倒し、卒業後は三枝の薦めで横浜市立大学経済研究所や東西文化交流研究所に勤務する。その後、日本民間放送連盟研究所に入所し、1980年に所長。1988年から1997年までは、東京女子大学現代文化学部コミュニケーション学科の教授を務めた。専攻は「メディア論」で、テレビ視聴における充足度調査システムを開発したという。「第2世代テレビの構想―VP,CATV,空中波」(1970)、「メディアの熟成―情報産業 成長史論」(1989)などの著書もある。

以上のような経歴の持ち主なのだが、どこのメディアも、今日までその訃報を一切取り上げていない。メディア発展のために力を尽くしてきた人間が、メディアによって黙殺されてしまうというのはいささかやりきれないものがあるので、この場を借りて公表させていただく。

私は野崎茂氏とは個人的な行き来はなかったが、鎌倉アカデミアの「創立60年記念祭」や毎年5月の「伝える会」などで、何度となくお目にかかっていた。「鎌倉アカデミアと三枝校長への思いの強さでは人後に落ちぬ」という強い気概が全身からみなぎっていて、ある年の「伝える会」では、平田さんが会のしめくくりに「三枝先生の思い出を一言」とマイクを向けたところ、「一言ではなくて、3500言ぐらいあります」と前置きした上で、えんえん語られていたお姿を思い出す。「我、三枝氏とともに行かん」という当時の日記の文言を披瀝されたのもその時だった。それくらい野崎氏にとって、三枝校長との人間的結びつきは濃密で、忘れがたいものだったのだろう。

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第7回「鎌倉アカデミアを伝える会」にて。左から野崎茂氏、若林一郎氏、一人おいて加藤茂雄氏(2013年5月18日)

野崎氏自身も、大学教授を務めている時に、学生との間でそのような濃密な関係を持とうと努力したそうだが、思ったような手応えは感じられなかったという(もっとも女子大では、教師と生徒が濃密な関係を持つのはいろいろな意味で難しいだろうが…)。「鎌倉アカデミアは学校の体裁をなしていなかった。あれはある種の文化運動だった」と後年野崎氏は語っている。

そんな野崎氏だったが、2013年11月25日に横浜市立大学で行われた「三枝博音先生没後50年記念講演」では、それまでの元気さが影をひそめ、声にも張りが失われているようだった。しかしそれでも、三枝校長との公私にわたる「つながり」をしめやかに語られており、それは恩師の顕彰の場を飾るにふさわしいものであったと記憶している。

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横浜市立大学での記念講演(2013年11月25日)

それが、公の場で野崎氏を見た最後であった。昨年の津上忠氏に続き、鎌倉アカデミアの草創期を知る証人がまた一人、黄泉路へと旅立った。しかし彼らが語った言葉、書いた文章は、確実に歴史の証言として永くこの世に残るであろう。

【追記】一期生の数は減ってきていますが、それでも「伝える会」の二大重鎮、加藤茂雄氏(演劇科1期・90歳)と服部博明氏(文学科1期・86歳)はお元気です。服部氏は図書館で資料整理やデジタル化を継続的に行っていますし、加藤氏に至っては、去る7日に池袋のライブハウスで朗読劇に出演、また12日には、由比ガ浜で漁師として地引網を行ったりと、まさに「浜役者、いまだ健在」といったところです。私は両日とも同行し、大変インパクトのある映像も撮ったのですが、それはまた折を見てということで。
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2015年05月17日

第9回 鎌倉アカデミアを伝える会

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昨日(5/16)、第9回鎌倉アカデミアを伝える会が、鎌倉市材木座の光明寺で開かれた。以下、ごく簡単に当日のレポートを。

今回のメインスピーチは『友を語る』。若林一郎氏(演劇科2期生)が「カンちゃんこと中野寛次」を、加藤茂雄氏(演劇科1期生)が「シナリオ作家 廣澤榮」を、それぞれ半世紀に及ぶ交遊を振り返りつつ、熱く語ってくれた。

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東北新社で「アンタッチャブル」や「大草原の小さな家」など多くの海外ドラマのアテレコを担当し、声優の養成にも尽力した中野寛次氏。そんな氏の若き日から晩年までを若林一郎氏が回想。還暦を過ぎてからともに紙芝居の劇団を立ち上げたという「秘話」も。

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加藤茂雄氏は、『日本の青春』『サンダカン八番娼館・望郷』などで知られる廣澤榮氏が、「鎌倉大学創立(一周年)記念祭」で上演する予定だった「天佑丸」のガリ版台本(下写真)を片手に、同作が幻に終わった経緯を説明。また、氏の東宝助監督時代のエピソードも多数披露してくれた。

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お茶休憩をはさみ、1980年代生まれの青年研究者・渕上皓一朗氏(岩波書店)による講話「アカデミアの思想 −三枝博音の技術哲学−」。三枝校長の思想がこういう若い世代にまで影響を及ぼしているという事実に軽い衝撃を受ける。

後半は、卒業生やゆかりの方たちがひとことずつ。

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服部博明氏(文学科1期生)から語られたのは、開校当時、光明寺のこの部屋(書院)で、服部之總教授の三女・梁子さんが病気療養していたが、回復することなく旅立ったという哀話。

第1回から今回まで皆勤という参加者お二人がそれぞれの「アカデミア愛」を語る一幕も。そのうちの一人は通信制大学のご出身で、そこで西郷信綱教授の指導を受けたとのこと。西郷教授から送られた書簡も公開された。

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影絵劇団かかし座の後藤圭代表。演劇科1期生だった父・後藤泰隆(とう・たいりう)氏が前田武彦氏らとともに作った劇団小熊座がかかし座の原点。後藤代表はこういう催しが長く続いて欲しいと挨拶。

ほかにも廣澤榮氏のご長男、三枝博音校長のお嬢さんとお孫さんなども短いご挨拶を。最後に全員で、恒例の「鎌倉アカデミア学生歌」を合唱し、名残を惜しみつつ閉会。

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司会進行は鎌倉市中央図書館の平田恵美氏。第1回からプログラム編成も担当。今年も本当にお疲れ様でした。

帰りは若林氏、後藤代表と鎌倉駅前の居酒屋で、生しらすやあさりの酒蒸しを肴に一杯。来年は鎌倉アカデミア創立70周年。「どんな催しが行われるのかなあ」と、あれこれ想像をたくましくしつつ、杯を傾けた。

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2015年04月26日

第9回 鎌倉アカデミアを伝える会 開催要項

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来たる5月16日(土)、すっかり恒例となった「鎌倉アカデミアを伝える会」が鎌倉の光明時で開かれます。
早いもので、今年で9回め。
鎌倉アカデミアは終戦の翌年(1946年)に生まれた「自由大学」で、わずか4年半の歴史ながら、戦後の日本文化芸能史に多くの足跡を残しています。どうぞお誘い合わせの上、ご参加下さい。

第9回 鎌倉アカデミアを伝える会

日時:2015年5月16日(土) 13:00〜16:30
場所:鎌倉市材木座 光明寺
(JR鎌倉駅より京急バス 小坪経由逗子行15分 「光明寺」下車)

プログラム:
■13:00〜 碑前祭(鎌倉アカデミア記念碑前にて)
■13:30〜 茶話会(書院にて卒業生らのショートスピーチ)
『友を語る』
加藤茂雄(演劇科1期)「シナリオ作家 廣澤榮のこと」
若林一郎(演劇科2期)「カンちゃんこと中野寛次」
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渕上晧一カ(岩波書店)「アカデミアの思想 −三枝博音の技術哲学−」

※資料代として1,000円が必要となります(当日受付にて)

主催:鎌倉アカデミアを伝える会(市民実行委員会)
資料提供・協力:鎌倉市中央図書館
お問合せ先:090-3007-9025(小泉)
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2014年10月14日

「鎌倉アカデミア」講座、無事終了

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以前このブログでも告知しておりました公開講座「鎌倉アカデミア 〜その足跡と卒業生の証言〜」が、去る10月11日(土)、鎌倉生涯学習センター(きらら鎌倉) で行われました。

講師は「鎌倉アカデミアを伝える会」から加藤茂雄さん(演劇科1期、俳優)、服部博明さん(文学科1期)、平田恵美さん(鎌倉市中央図書館)の御三方。私は進行役に徹し、今や貴重な在校時のエピソードをなるべく多く引き出すことに専念しました。

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「鎌倉アカデミアはどうして終戦の翌年という混乱期に、鎌倉に作られたのか?」そのあたりの「前説」(歴史的背景)は平田さんと私が担当。

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講座のメインはもちろん、卒業生お二人の談話です。上写真は、演劇科の第一回研究発表公演「春の目ざめ」(1948年)について語る加藤さん。写真中央が演出の村山知義、その右が加藤さんで、校長先生を演じたそうです。この時に人前で大声をあげて演技をした快感が忘れられず、俳優の道に進まれたとのこと。また服部さんは、廃校後も生涯私淑した三上次男教授のエピソードに触れ、当時の教師と生徒との精神的な絆がいかに強いものであったかを語られました。最後に、1992年から近代史資料室に勤務している平田さんが、鎌倉アカデミアの資料が鎌倉市中央図書館に寄贈されるまでの経緯を詳細に語り、「鎌倉アカデミアは今や鎌倉の『宝』のひとつだと思います」と締めくくられました。

2時間という限られた時間ではありましたが、開校から廃校までの主な出来事を時系列に紹介しつつ、その時々のエピソードをお二人に語っていただく形を取りましたので、当時の学校の生き生きとした様子とともに、なぜ鎌倉アカデミアが戦後すぐに誕生し、そしてわずか4年半でその歴史にピリオドが打たれたのかも、おぼろげながらおわかりいただけたのはないかと思います。そして、存在した時間は短くとも(あるいは、短かったが故に)、その後も学校の精神は生き続け、今日まで脈々と伝えられているということも。

講座終了後のアンケートには、「加藤さん、服部さんが楽しそうにお話しするのを、わくわくしてお聞きしました」「1回の講座ではもったいない」「もう少し時間が欲しい、もっと聞きたかった」等のご意見が寄せられたとのこと。進行役としては、どうにか大任を果たし、ほっとしているところです。

加藤さん、服部さん、平田さん、お疲れ様でした。また、この講座をコーディネイトして下さった鎌倉市生涯学習推進委員会のスタッフの皆様、どうもありがとうございました。

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講座を終えて記念撮影。左から服部博明さん、平田恵美さん、大嶋、加藤茂雄さん

【付記】
鎌倉アカデミア演劇科1期生で劇作家の津上忠さんが、9月28日、90歳で逝去されました。津上さんは「鎌倉アカデミアを伝える会」の常連で、今年5月の会にも出席されていただけに、その突然の訃報に驚いています。心からご冥福をお祈りいたします。
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2014年08月31日

「鎌倉アカデミア」〜その足跡と卒業生の証言〜

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「鎌倉アカデミア」〜その足跡と卒業生の証言〜

日時:2014年10月11日(土) 14:00〜16:00
場所:鎌倉生涯学習センター(きらら鎌倉)
   鎌倉市小町1-10-5
   JR鎌倉駅東口徒歩3分

講師:「鎌倉アカデミアを伝える会」
    ・加藤茂雄(演劇科1期、俳優)
    ・服部博明(文学科1期)
    ・平田恵美(鎌倉市中央図書館)
    ・大嶋拓(映画監督)

「鎌倉アカデミア」は戦後鎌倉にいち早く作られた自由大学で、光明寺を仮校舎として出発しました。
「大学」への道は4年半で閉ざされましたが、自由と新生を求める知識人と若者の熱い思いがここに凝縮し、この場を巣立った若者たちは映画・演劇界、放送界、小説家や学者など各界で活躍しました。
今回、卒業生の貴重な証言と共にその足跡を振り返ります。

主催:鎌倉市教育委員会
企画・運営:鎌倉市生涯学習推進委員会
問い合せ先:鎌倉生涯学習センター(きらら鎌倉)
      TEL.0467-25-2030

縁あって、上記の講座に参加することになりました。最年少の私は、おそらく司会進行のような役割になると思われます。
入場無料ですが、事前に往復ハガキでの応募が必要とのこと(10/6 必着)。
詳しくはこちらのページをご覧下さい。

鎌倉アカデミアの成り立ちや終戦直後の文化活動にご興味のある方は、定員50名ですので、どうぞお早めのご応募を!
個人的には、とにかく話が面白い加藤茂雄さんの生トークを聴ける貴重な機会であると思っています。

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加藤茂雄さんは「ゴジラ」などの特撮映画や黒澤明作品にも多数出演した日本映画黄金時代の生き証人
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2014年07月17日

宮林昭彦法主ご逝去

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第8回「鎌倉アカデミアを伝える会」で挨拶する宮林昭彦法主(2014年5月17日)
浄土宗大本山光明寺法主の宮林昭彦さん死去

宮林昭彦さん(みやばやし・しょうげん=浄土宗大本山光明寺法主、元全日本仏教会副会長)が10日、敗血症で死去、82歳。通夜は17日午後6時、密葬は18日午前11時から神奈川県鎌倉市材木座6の17の19の光明寺で。喪主は光明寺執事長の平野仁司(じんし)さん。

2014年7月10日18時41分 朝日新聞デジタル


昨日、鎌倉市中央図書館を訪ねた折、同館の平田恵美さんから訃報を知らされました。

宮林昭彦法主といえば、毎年光明寺で行われる「鎌倉アカデミアを伝える会」で、冒頭のご挨拶をされるのが恒例となっており、今年の5月17日にも、その温顔と軽妙な語り口で、来場者の心をほぐしていらしたのを私はその場で聴いています。まさかそれからわずか2ヵ月で、不帰の客となってしまわれるとは…。浄土宗の教えでは極楽往生こそ本懐と聞きますが、それにしても法主の「散り際の潔さ」には少なからず驚いています。

とは言え、5/21のブログで私は、
「…ご自身の健康がすぐれないということも織り交ぜて話されましたが、これまでになく、法主個人の心情が表に出ていらしたように感じられました」
と書き、これまでは大本山の「法主」として、その枠の中にきちんと納まるご挨拶をしてきた方が、わずかながら「個人」の体調や心模様まで披瀝したのは、何かの予兆かも知れない、と感じたりしたのでした。

以下に記すのは、記録として撮影したビデオから起こしたご挨拶の最後の部分です。

「…命は大事ですね。私も今医者通いして、毎週輸血をしているんですが、明日の命はわかりません。しかし、カラ元気で…。医者は『うまいものを食べて、好きなことをして、疲れたら寝なさい』と言うんですが、これはだいたいもう先が短い人に言うんですよ(客席爆笑)。私はまだ、使命感を持って、もう少しがんばらなきゃいかんな…と」
それに対して「伝える会」事務局の小泉親昂さんは、
「また来年も、ここでお話しをいただけるように、がんばっていただきたいと思います」
と激励し、法主も笑顔で、
「みなさんの方で約束してもらえれば…」
と応じています。これは多分、「来年もみなさんが『伝える会』をやりますよ、と確約してくれるなら、その日は自分もスケジュールを空けておきましょう」という意味合いだったと思われます。しかし、それは叶わぬことになってしまいました。

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にこやかに1年後の再会を約したが…

宮林法主が先代・戸松啓真台下の跡を継いで光明寺に入られたのが2001年。つまり2006年の鎌倉アカデミア「創立60周年記念祭」も、その翌年からの「伝える会」も、すべて宮林法主の時代のことです。したがって、2006年から光明寺にうかがうようになった私にとっては、光明寺の法主といえば、宮林昭彦さんをおいていないのです。残念ながら個人的にお話しをしたことはほとんどなく、会場でご挨拶を交わす程度だったのですが。

光明寺は鎌倉時代創建の古刹で、江戸時代には徳川家康が定めた浄土宗学問所の筆頭として、全国各地から学僧たちが集う教育と修行の中心寺院でした。そんな由緒ある大本山に、終戦直後、新たな時代の「学びの場」として、鎌倉アカデミア(当初は鎌倉大学校)が産声をあげたのです。こうした思いがけない歴史の巡り合わせを、宮林法主がとても興味深くとらえ、少なからぬ矜持も抱いていらしたことは、われわれ「伝える会」の関係者を、いつも大変好意的に迎えて下さるその態度からはっきり感じていました。

最後になった5月17日のご挨拶でも「伝統を後の世に伝えていくことの大切さ」を説かれ、予想を超えた多くの人の来場に、「これだけの方が関心を持って下さっているのなら」と安堵の表情を浮かべておいででした。来年、あの温顔に接することがもはやできないかと思うと、いささかの落涙を禁じ得ません。もっとも、そんな辛気臭いことを言っているのは俗世の人間だけで、法主ご本人の魂は、今こそ一切のしがらみから解放され、極楽浄土を満喫されている時分なのでしょう。
posted by taku at 19:36| 鎌倉アカデミア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月21日

第8回 鎌倉アカデミアを伝える会

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5月17日、第8回鎌倉アカデミアを伝える会が、鎌倉市材木座の光明寺で開かれました。私がこの催しに参加するのは2009、12、13年に続き、これで4回目(2009年の「伝える会」の様子はこちら)。2006年の「創立60年記念祭」を含めると5回目の光明寺となります。さすがに、スタッフの顔見知りも増え、今回初めて、鎌倉市中央図書館で行われた事前打ち合わせや設営のお手伝いなどにも加えていただきました。

昨年、一昨年に続き、この日の関東地方は朝から晴天、絶好の行楽日和に。鎌倉駅周辺は、午前中から大勢の観光客でごったがえしていました。ただ、会場となった浄土宗の古刹・光明寺は、中心部からはかなり離れているため、週末でも人影はまばらです。
そんな静けさの中で当日を迎えた「伝える会」。昨年秋、三枝博音校長の手になる扁額(演劇科第1期生の故・廣澤榮氏が長年大切に保管していたもの)が鎌倉市中央図書館に寄贈され、今年初めて光明寺に展示されることになったので、あわただしい準備の合間を縫って、当時架かっていた場所(本堂と開山堂の渡り廊下)にセッティングしてみる一幕も。これは「伝える会」事務局の小泉親昴氏の発案でした。

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「幾何学を学ばざる者 この門を入るべからず」とギリシャ語で彫ってあります

13時の時報とともに記念碑の前で碑前祭が始まり、寺のお坊様2人による読経、そして「伝える会」会長の加藤茂雄氏(演劇科第1期生)が参加者を代表して碑前で合掌、記念撮影と続きます(ここまでは例年どおり)。

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「ここに鎌倉アカデミアありき」の碑の前で読経。今年はいつになく花がカラフル

13時半からは会場を書院に移し、まずは加藤茂雄氏の挨拶。
「最初の1回で終わってしまうんじゃないかって心配していたんですが、鎌倉っていいところですねえ。鎌倉同人会の方々と、中央図書館の平田恵美さんを中心とするうら若き女性グループ、そして光明寺さんのおかげで、8回を数えるまでになりました。卒業生としてこんな嬉しいことはありません」。

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加藤茂雄氏(演劇科第1期生)と若林一郎氏(同第2期生)

続いて光明寺の宮林昭彦法主のご挨拶。鎌倉アカデミアとの関わりと言うことで、講師だった吉田健一と高見順にまつわる思い出、そして、宗教というものは混沌とした時代にこそ強く希求されるというお話。ご自身の健康がすぐれないということも織り交ぜて話されましたが、これまでになく、法主個人の心情が表に出ていらしたように感じられました。

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光明寺の宮林昭彦法主。「60周年記念祭」からこの催しを支援してきた

ここからは、毎年趣向を凝らしたショートスピーチで、今年は3つありました。

まず高橋寛人氏(横浜市立大学教授)が昨年秋に行われた同大学の「三枝博音回顧展」を話の枕に、鎌倉アカデミア校長であり、横浜市立大学学長であった三枝博音が、いかなるスタンスの教育者であったかを、本人の文章や演説を引用しつつ考察しました。岡邦雄は三枝博音について「彼は死んだ時は学長という肩書きだったが、その精神は生涯、民間学者であった」というようなことを語ったそうですが、そうした自由な在野精神こそ、アカデミアの精神そのものという気がしました。横浜市立大学もアカデミア同様、一時期廃校の危機に瀕していたが、どうにか乗り切ったという話は初耳でした。

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扁額を前にスピーチする高橋寛人氏(横浜市立大学教授)

次に、服部博明氏(文学科1期生)が、「三上次男先生の書斎から」と題して、生涯私淑した三上次男の書斎に飾られていた扁額や色紙(三枝博音や吉野秀雄の手によるもの)などを紹介。これらの品々は、昨年三上次男夫人が亡くなり、北鎌倉の自宅が閉じられるのに伴って服部氏がお預かりしたものだそう。ひとつひとつの由来を語る服部氏の姿から、時を経ても変わらぬ師弟間の心の結びつきが伝わってきます。また、若き日の服部氏が自作して三上に謹呈した香合(香を入れておく蓋つきの小さな容器)が、40年の歳月を経てふたたびご自身の手元に戻ったというエピソードは、思わず目頭が熱くなるものでした。

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アカデミア資料の整理にも尽力した服部博明氏(文学科1期生)

お茶休憩をはさんで、後半は、人形劇団ひとみ座の劇団員・友松正人氏と伴通子氏が登場。鎌倉アカデミア演劇科の第1期生だった清水浩二(渡辺信一)氏が地元の仲間たちと1947年に結成した劇団「鎌倉青年芸術劇場」が翌年ひとみ座になり、今日につながっているという話は、当日配布の資料でも触れられていましたが、1954年にひとみ座に入団した伴通子氏の話は、その後のひとみ座の知られざる歴史にもおよび、清水氏がひとみ座を離れることになったいきさつなども、かなり赤裸々に語ってくださいました(会場にいらしたお客様は、大変レアな話が聞けたと思います)。後半は、友松正人氏が「ひょっこりひょうたん島」のキャラクターたちを自在に操りながら、人形の仕掛けについてレクチャーをしてくれました。

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「ひょうたん島」の人形と友松正人氏、伴通子氏(人形劇団ひとみ座)

その後は、三枝博音のご子息である三枝利文氏とさらにそのご子息・新氏のご挨拶、卒業生の岩内克己氏(演劇科第1期生)、若林一郎氏(演劇科第2期生)のご挨拶(休憩前には演劇科第1期生の津上忠氏も)などがあり、最後に加藤茂雄氏が、演劇科学生たちのたまり場だった「耽美荘」(光明寺境内の掘立て小屋。ひとみ座創設者の清水浩二氏もそこの住人)の思い出を語り、しめくくりに全員で「鎌倉アカデミア学生歌」を歌って16時半に閉会。

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三枝利文氏と加藤茂雄氏

とまあ、実にボリュームたっぷりの内容で、終わった時には正直ぐったりしていました。でも、この数回の中では一番盛会だったと思います。参加者の数も、今までで一番多かったとのことですし。
時間とともに薄れる記憶もありますが、逆に、時間の流れとともに、より鮮明に現れてくる歴史もあるように思います。鎌倉アカデミアというのは、それだけ深い「文化の鉱脈」だと言えるのではないでしょうか。
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2014年05月09日

第8回 鎌倉アカデミアを伝える会、5/17に開催

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来たる17日、5月恒例の「鎌倉アカデミアを伝える会」が鎌倉の光明時で開かれます。

鎌倉アカデミアは終戦の翌年(1946年)に生まれた「自由大学」で、わずか4年半の歴史ながら、戦後の日本文化史上に多くの足跡を残しています。

「伝える会」は、2006年に同寺で行われた「創立60周年記念祭」の翌年、鎌倉市民の方々の呼びかけで始まり、今回で早くも8回目。私もここ数年は毎年参加しています。2年前のこの会で劇団かかし座の「Hand Shadows ANIMARE」の存在を知り、それが映画『影たちの祭り』として結実したわけですから、自分にとっては貴重な文化交流の場となっています(目的意識を持って参加すれば、得るものは必ずある会だと思います)。

鎌倉の近現代史、戦後の文化史などにご興味のある方は、是非お越し下さい。詳細は以下のとおりです。


第8回 鎌倉アカデミアを伝える会

日時:2014年5月17日(土) 13:00〜16:30
場所:鎌倉市材木座 光明寺
(JR鎌倉駅より京急バス 小坪経由逗子行15分 「光明寺」下車)

プログラム:
■13:00〜 法要(記念碑前にて)

■13:30〜 茶話会・ショートスピーチ(書院にて)
(1)横浜市立大学「三枝博音回顧展―大学と思想」をふりかえって
高橋寛人(横浜市大教授)

(2)三上次男先生の書斎から
服部博明(文学科1期生)

(3)人形劇団「ひとみ座」誕生と鎌倉アカデミア
友松正人・伴通子(劇団ひとみ座)

■卒業生・ゆかりの方々の座談会など

※資料代として1,000円が必要となります(当日受付にて)

主催:鎌倉アカデミアを伝える会(市民実行委員会)
資料提供・協力:鎌倉市中央図書館
お問合せ先:090-3007-9025(小泉)

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