2017年12月09日

陽射しの下で

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先週末、知り合いが運営する保育園の開園記念イベントと内覧会があったので出かけてみた。

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好天に恵まれ、多くの親子連れでにぎわっていたが、園庭に出てみると、最新の児童心理学などに基づいて作られたかのような(筆者の想像です)、カラフルでいかした遊具は意外にもガラガラで、

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子どもたちの多くは、ただ土を盛り上げて人工芝を敷いただけの小山がお気に入りの様子。何度も何度も、上から転げ落ちて、そしてまた登って、を繰り返しているのだった。

何となく、わかる。

まだ生まれて数年しか経たない彼ら彼女らは、「文明」よりも「自然」に近い存在である。したがって、より原初的なものに親近感を抱くのだ。最初はそう考えたが、しかしそれは、子どもだけでなく、ひょっとすると大人にも当てはまるのではないか。実は私も、知り合いに勧められるまま、その小山に登り、滑り落ちてみたのだが、なかなかにいい気分であった。しかし、すぐそばにある、作りこまれたカラフルな遊具で遊んでみようという気はついに起きなかった。

現代人は、今やその生活の大部分をPCやスマホといったテクノロジーに依存しており、その便利さ、快適さを当然のように享受しているが、その一方、どこかでもっと体感的なもの、原初的なものを求めているのではないのだろうか。などという独言を、デジカメで撮った画像を使い、PCに向かいながら打ち込んでみるのである。

※ちなみに、こういう話の流れになるとよく引き合いに出されるルソーの「自然に帰れ」だが、実は彼の著作にはそういう言葉は書かれていないという。ただ、ルソーの思想を端的に表現すると、「自然に帰れ」ということになるらしい。
posted by taku at 13:28| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月06日

リニューアル!『物理基礎』

先週の放送では肩透かしを食った『物理基礎』だが、今日の放送では、母親の不在について落とし前をつけたというか、番組がリニューアルしたことを冒頭できっちりアピールしていた。

この間のブログで、「連続ドラマなどで、Aという役を演じていた俳優Bが、何らかの事情で出演を続けることができなくなった場合、製作側の処置には、おおむね以下の4パターンが考えられる」と書いた。以下の4つである。

(1)Aを劇中で殺す
(2)Aを遠く(外国など)に行かせる(転勤などを含む)
(3)Aを俳優Bからほかの俳優に交代
(4)Aという役そのものを消滅させ、なかったことに(劇中でも語られない)

私は(2)か(4)ではないかと予想していたが、結論から言うと、(2)の、「遠くへ行かせる」パターンであった。しかし斬新だったのは、母親だけが家を離れたのではなく、父親も一緒だったこと。要するに父親は「新しい工場」(現状より広い)に付帯した家で暮らすことになり、一方、兄と妹は今までの家に2人だけで住むという。でもねえ、新しい工場が現状より広いところなら、普通一家揃って引っ越すんじゃないのか?

とにかく、父親は「ここからちょっと遠くなっちゃったけどね」と言いつつ、「でも、ちょくちょく戻ってくるから」と、事もなげに言う。要するに、「物理についての薀蓄を傾ける時だけは出かけてきますよ」ということだ。そして「お母さん」という単語は、ついに誰の口からも発せられることはなかった(そういう意味では「役そのものを消滅させ、なかったことに」のパターンでもある)。恐らく、母親は父親とともに新しい工場に行ったということなのだろうが、いくら口ではそう説明しても、3人だけの場面は妙にがらんとした雰囲気で、一家の華を失った寂寥感に包まれているようだった(収録現場ではどうだったのだろう)。

それにしても、これだけのトンデモ設定を冒頭のわずか30秒で説明してしまうとは、さすが物理(ものり)家の人々、やることにそつがない。それからは、いつもと変わらない流れで静電気と電流についての解説になったが、終盤の〆の言葉で、父親がいつになくしんみりと「共通の悲しい思い」について語ったのが印象的だった。親や教師は、いつか成長した子どもから「もういらない」と言われる日が来る。愛おしく、手放したくない子どもからそう言われるのは悲しいことだが、子どもをそこまで自立させるのが、子育てや教育の目的である、というもので、どうしてこんな、最終回で話すような内容を、ここにぶち込んできたのか大いに気になった。これはやはり、「愛おしく、手放したくなかった」けれど、こういう形にせざるを得なかった。それがみんなの「共通の悲しい思い」です、という、製作サイドから母親役だったS・Yへの秘めたるメッセージのように思えてならないのだが…。
posted by taku at 17:01| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月30日

むかしの話

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今年はほぼ『鎌倉アカデミア 青の時代』の宣伝と上映活動で明け暮れた感じだが、製作中のインタビューにおいても、上映イベントのトークショーなどでも、アカデミアで実際に学んだ方たちから、あの学校の教師たちが、人間としても、学者としても、いかに素晴しかったかを聞かされることが多く、その度に実にうらやましく感じたものだ。感受性豊かな10代後半から20代前半に、そうした優れた師と巡り合い、教えを受け、時間を共有したことは、一生を支える大きな精神の糧となることだろう。

顧みて、私自身はどうだったか。残念ながら、高校、大学時代とも、そういう師との出会いには、まったくと言っていい程恵まれなかった。大学時代については、私自身が積極的に「よき師」を探そうとしなかった怠慢も否定できないが、こちらが選択する余地のない高校時代の教師連中に関しては、まさに思い出すのもはばかられる「体たらく」であった。もっとも、教師のことに限らず、高校時代のことは全般的に自分の中の黒歴史なので、このブログでもそのころの話はほとんど記したことがない。しかし少し前、たまたま某質問サイトで、次のような質問を見かけたため、封印していた記憶がにわかに蘇り、そして改めて、当時の腐敗した状況にムラムラと怒りが湧き起こってきたのである。

都立高校の教員についてお聞きします。かれこれ30年近く前、都立高校の教員…完全週休二日(すでにこの制度が適用されていた…研究日の名目で)、予備校でのアルバイト(能力のある教員はかなりやっていた)、何かあると授業ボイコット(1時間目の授業の自習が多かった…ストなどで)、勤務時間のいい加減さ(授業終わると生徒と一緒に帰ってた)等々、結構好き勝手にやっていて、高校生だった自分は「あれで仕事になるなら…自由な人生が送れる」と思ったものでした。今でも都立高校の教員はそうなのでしょうか?(後略)(2011年2月)

この質問に対しては、「昔は週に1日、自宅研修日という制度があったが、10年ほど前になくなった。長期の休みも、夏休みや年末年始以外は有休を使う。今の都立高校は、タイムカードもあり、かなり管理が厳しい」との回答が寄せられていた。となると、予備校でのバイトも当然アウトだろう。あのころのいい加減な勤務形態が、完全に過去のものとなったのなら幸いである。

どうやら私が都立高校に通っていた1970年代後半から1980年代初めにかけては、都立のレベルが(学力、風紀とも)最も低かった時期のようで、学校全体にもまったく覇気がなく、教師は十年一日のごとく同じ授業をお経のように唱えるティーチングマシンと化し、しかもそれを学校内だけでなく、夕方以降の「副業の場」でも繰り返していたのだから呆れ返るほかない。私の通っていた都立X高校は(そのころは落ち目の最右翼だったが)、かつては府立○中と呼ばれたナンバースクールで、それなりに知名度があったためか、駿台、河合塾、代ゼミなどの大手予備校に、偽名を使って教えに行く教師がかなりの数存在した。言うまでもなく、都立高校の教員はれっきとした地方公務員なので、アルバイトは禁止である(昨年来、政府は正社員の副業を、原則禁止から原則容認へと方針転換し、それは公務員にも適応される可能性を帯びているようだが、上の事例は今から30年以上前の話)。

地方公務員法の第35条を見ると、
「職員は(中略)その勤務時間及び職務上の注意力のすべてをその職責遂行のために用い、当該地方公共団体がなすべき責を有する職務にのみ従事しなければならない」
と、職務に専念する義務を謳っているし、また第38条では、
「職員は(中略)自ら営利を目的とする私企業を営み、又は報酬を得ていかなる事業若しくは事務にも従事してはならない」
と、副業をはっきり禁じている。

にも関わらず、当時、教師が夕方以降、学校から予備校に足を向けるのは、生徒のみならず保護者にも公然の事実であった。本来なら、自分の勤務する学校での授業に全力を傾注し、少しでも生徒の学力をアップさせるのが教師の務めであるのに、手抜きの授業でお茶を濁し、体力気力を温存し、夕方以降は、予備校生相手の副業に精を出すのである。そんなに小遣いが欲しかったのだろうか。
うちの母などは、筋の通らないことが大嫌いな性格だったので、保護者会でそれを問題にしたことがあったのだが、事を荒立てることを好まない者が多数を占め(教師を敵に回して、あとあと内申書などで報復されることを恐れたのだろうか)、結局、教育委員会に提訴するなどの思い切った方策が講じられることもなく、3年が無風状態のまま過ぎていった。だから、少なくとも私が在学していた3年間は、教師は大手を振って副業に勤しんでいたし、その後も、すぐにその悪習がなくなったとは思えない。今思い返しても、ああいう不誠実な勤務態度には腹が立つし、そんな教師を尊敬しろと言われても無理な話だ。

一番タチが悪かったのは、3年の間私の担任だった△という教師で、自分自身もX高校の卒業生である△は、日頃から「母校に奉職できるのは何よりの幸せ」などとお題目のように唱えながら、その一方で平然と駿台に教えに行っていた。しかも彼は3年間ずっと学年担任(いわゆる学年主任)を務めており、8人いたクラス担任を統括すべき立場だったのである。しかし、上には上がいるもので、やはりX高校出身で△の後輩に当たる▽は、教務主任という教頭に次ぐ職責にありながら、悪びれもせず長年代ゼミの教壇に立っていた。もう何をかいわんやである。

そういう教師への不信もあり、卒業以降、ほとんど高校関係者と接触することはなくなっていたのだが、今から20数年前、最初の劇場用映画を撮った時、旧知の人たちに案内の通知を出したところ、その△という元担任は大層喜び、同窓会名簿の私の職業欄に、私に無断で「映画監督」と書き込むよう同窓会事務局に指示したらしい。あとでそれを知った私は、「1本撮っただけで監督を名乗るのはおこがましいので、職業欄は空欄にしてください」とあらためて事務局に頼んだのだが…。△という教師は、元文学青年を気取っていたものの、実際にはかなりの俗物で、肩書きを何よりありがたがる人種だということがその時はっきりわかった。

最近、△がある同窓会に招かれた時のことを、自費出版したエッセイ集に書いているのをネットで読んだのだが、ゆっくり話をしたのが「わがクラスでひとり東大に進んだ生徒」だったり、欠席だったけれど、「どうしても逢いたいな、と思う女生徒」が著名な文学賞を受賞した作家だったり、ここでも教え子を「東大」「文学賞」といった肩書きで品定めしているように感じた。教師が教え子の成功を喜ぶのは無理からぬことかも知れないが、「東大」も「文学賞」も所詮は通過点に過ぎず、それをわが身の栄光であるかのように浮かれ騒ぐのは鼻白む行為である。教育者というのはもっと長い目で、そして俯瞰的な視点から、生徒ひとりひとりの成長を静かに見守るべきではないだろうか。いや、「母校に奉職できるのは何よりの幸せ」と言いながら、嬉々として予備校での副業に励んでいた実利主義者の△先生には、そんな境地は生涯望むべくもなかったのだろう。

今、「生涯望むべく…」と書いたが、実は△という元担任は、しばらく前に亡くなっていた。私がそれを知ったのは昨日、同窓会のホームページにおいてである。高校の同窓会など一生行かないと決めているので、ホームページも実に久しぶりで見たのだ。
訃報を知った私は、自分が、自分でも意外なくらい何も感じないことに驚いた。いやしくも高校時代3年間担任だった人である。にも関わらず、私の心は微動だにしない。記憶力は悪くないはずなのに、ただひとつのエピソードさえ、はっきりと浮かんでこないのだ。こういうこともあるのか、と首を傾げながら、その無感動の原因を探ってみた。
そして、答えはすぐに出た。真に人間的な魅力に溢れた教師であれば、生徒とともに真理を探求し、感動を共有しようとする情熱を持った教師であれば、おのずから生涯忘れ得ぬ鮮明な印象を残してくれたはずである。しかし、△はそうした理想的な教師像からはあまりに遠かった。もっとも、ここで△だけを責めるのは少々酷というものだろう。「デモシカ教師」という言葉がまだ現役だった80年代、あの高校に在職していた教師のほとんどはただのサラリーマンで、教育者であるという自覚も矜持も、はなから持ち合わせてはいなかったからだ。

かえすがえす、鎌倉アカデミアに学んだかつての学生諸氏をうらやましく思う。当時一流の知識人が揃っていたアカデミアの教師陣は、財政難で閉校になるまで、1年近くほぼ無給で授業を続け、その一方、学校存続のための資金集めに奔走していたが、それは後年明らかになったことで、当の教師たちは、学生にそんな苦労は少しも見せなかった。結構な額の給料をもらいながら、なおも偽名まで使って小遣い稼ぎのバイトに励んでいたX高校の教師連中とは、人間としての品格も器の大きさもまるで違うではないか。
私が年を経るごとに鎌倉アカデミアに心酔していくのは、もしかすると、若いころ果たせなかった麗しき師弟関係への渇望のなせる業なのかも知れない。

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posted by taku at 18:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月29日

こう来たか!『物理基礎』

さてさて、ドキドキしながら本日の放送分を見たのですが、いやあ、思いきり肩すかしを食らいましたね。

今日のタイトルは、「物理の力でゲームに挑戦! 〜波〜」でして、これまでも何度かあった、高校の生徒さん参加のゲーム回。父親役の先生が現場まで出かけて進行を務めるのですが、これまでの放送ではスタジオ収録部分も必ずあって、一家で同様のゲームをしたり、解説を加えたり、勝敗を予想したり、と、それなりにキャストの出番もあったのですが、今回はそういう場面は一切なく、したがって母はもちろん、兄も妹も出演せず。いきなり母親不在の物理(ものり)家を描写するのを避け、ワンクッション置く作戦に出たのでしょうか。いやはや、現場スタッフの苦労がしのばれるというか…。

思い起こせば、「快傑ライオン丸」で虎錠之介役が変わった時も、「ウルトラマンタロウ」で白鳥さおり役が変わった時も、いきなり別の俳優が出てきたわけではなく、「ライオン丸」では2週、「タロウ」では3週のブランクがありました。それを考えると実に妥当な措置といえましょう。しかし、この番組におけるゲーム回は、ひとつの章の総まとめ的な位置づけで、今日の放送分で「波」は終わり。来週(12/6)からいよいよ新しい「電気」の章に突入です。となると、番組も通常パターンで進めざるを得ず、来週こそ、リニューアルした『物理基礎』を見ることができると確信します。さて、(1)〜(4)のいずれのパターンになるのか? 来週を楽しみに待ちたいと思います。
posted by taku at 18:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

どうなる?『物理基礎』

さて、気になるのは今日からの『物理基礎』である。今年の4月から父、母、兄、妹という4人家族の設定で番組が進んでいたが、母役のS・Yがもろもろの事情により先週(11/22)で降板となった。番組中ではっきりその告知がなされたわけではなかったが、報道によるとそうらしい。しかし、その後母役をどうするのかという情報はほとんど出てきていない。あと数時間で結果は明らかになるだろうが、それまでの間を使って、今後の番組がどうなるか推理してみたい。

連続ドラマなどで、Aという役を演じていた俳優Bが、何らかの事情で出演を続けることができなくなった場合、製作側の処置には、おおむね以下の4パターンが考えられる。

(1)Aを劇中で殺す
(2)Aを遠く(外国など)に行かせる(転勤などを含む)
(3)Aを俳優Bからほかの俳優に交代
(4)Aという役そのものを消滅させ、なかったことに(劇中でも語られない)


以下、思いつくまま、それぞれのパターンについて該当するもの(大部分が特撮、たまに一般ドラマ)を挙げてみたい。

(1)Aを劇中で殺す

これは、一番過激だがわかりやすい方法である。死んでしまったのでは、出てこないのも当然だ。有名なところでは、「仮面ライダー」で本郷猛役の藤岡弘がバイク事故を起こして出演の継続が困難になった時、テレビ版では平山亨Pの提案で、一文字隼人(演じるは佐々木剛)という第2の主人公を出し、本郷は外国に行ったと一文字に説明させたが、石森章太郎の原作版では、劇中で本郷をなぶり殺しにしている(当時小学2年の私にも、これは結構キツかった)。なぶり殺しといえば、「帰ってきたウルトラマン」における岸田森&榊原るみ(坂田兄妹)の惨殺もトラウマものである。降板させるにしても、もう少しやり方はなかったのかと今でも思う。また、「超電子バイオマン」の初代イエローフォーも、担当俳優が撮影現場に現れないという非常事態が起きたため、やむなくイエローはコスチュームのままで敵に殺され、絶命後も素顔を見せないという、いささか無理のある展開となっている。こういう事例は、特撮に限ったわけではなく、「太陽にほえろ!」のマカロニ刑事の殉職(厳密にいうと勤務中ではないため殉職ではなく殺害)も、役を演じた萩原健一が「そろそろ役を降りたい」と言ったことで決まったというし、「赤い激流」の緒形拳の場合は、翌年からの大河ドラマ「黄金の日日」とのスケジュールの兼ね合いで出演が難しくなったため、何者かに殺されたという話にして姿を消し、その犯人探しがドラマ後半の大きな柱となっていった。さらに言うと、赤いシリーズは、ひとつ前の「赤い衝撃」でも田村高広が、その前の「赤い運命」でも志村喬と前田吟が、割と唐突に劇中で死んで降板している。

しかし、この過激な方法が『物理基礎』で適応される可能性はほとんどないと思うので、以下のパターンに話を移そう。

(2)Aを遠く(外国など)に行かせる(転勤などを含む)

これは、(1)に比べればかなり穏便なやり方である。時間が経って俳優Bの「枷」がなくなれば復帰することもできるし、実際、このパターンでのドラマ降板はかなり多い。先ほど書いたように、「仮面ライダー」のテレビ版はこのやり方で、半年後に藤岡弘は見事番組に返り咲き佐々木剛と共演、ダブルライダーの雄姿をお茶の間に披露するに至った。ちなみにこの方法はこれが初めてではなく、やはり平山Pの担当番組である「悪魔くん」において、初代メフィストを演じた吉田義夫の体調不良により、二代目メフィスト・潮健児への主役交代が行われたことがあった。「仮面ライダー」でのダブルライダーのように、「悪魔くん」でもシリーズ後半、1話だけだが、ダブルメフィストの共演が実現している。なお「太陽にほえろ!」で石原裕次郎が病気治療のため長期に渡り欠場になった時の理由は「長期研修」で、石原は半年後に研修から戻ったという設定で復帰している。長寿番組などではこのパターンが結構あるかもしれない(「星雲仮面マシンマン」でも天本英世が一時期スペイン旅行のため番組を降板したが、劇中でもスペインに傷心の旅に出た、という設定にし、ラスト3話で復帰した)。
他にも、復帰はしなかったが、「キャプテンウルトラ」の小林稔侍(キケロのジョー)、「ウルトラマンタロウ」の三ツ木清隆(西田次郎隊員、降板後、1話だけゲスト的に出演)と東野孝彦(荒垣修平副隊長)「バトルフィーバーJ」のダイアン・マーチン(初代ミス・アメリカ)、「太陽戦隊サンバルカン」の川崎龍介(初代バルイーグル)などがこのパターンで画面から姿を消している。一般ドラマになるが、「湘南物語」における石立鉄男の途中降板も、この範疇に入れていいだろう(石立の遅刻をめぐって、石立と共演者のFが殴り合いの喧嘩をしたのが降板の理由、と当時の週刊誌に書かれたようだが真相はどうなのだろう。それにしてもこの番組の主役を演じたのが、今回の降板劇の当事者S・Yであるのも興味深い)。

さて、このパターンは、『物理基礎』でも通用しそうである。番組の冒頭で帰宅した信長(兄)かリコ(妹)が、居間にいた博(父)に向かって、
「あれ、お母さんは?」
と問いかけ、それに対して博がいつもの棒読み口調で、
「ああ、実は今朝電話があってね。お母さんは、田舎のおばあちゃんの具合があんまりよくないんで、しばらくは田舎でおばあちゃんの面倒を見ることになったんだよ」
と答える。それに対して2人は不満をもらすが、博は平然と、
「2人とももう子どもじゃないんだから、もっとしっかりしなくちゃあ。それはそうと、信長が今手に持っているのは、また新しい楽器かな。じゃあこれを使って、どんな音の波ができるか調べてみようか」
などと、強引に話を物理に持っていき、あとは一切、母については触れない。どうだろう、こういうのは一応ありじゃなかろうか。しかしこれでは、今までと比較して画面が明らかに殺風景である。そこで次のパターン。

(3)Aを俳優Bからほかの俳優に交代

まさかの俳優交代。いきなり違う人がその役になってしまう、視聴者ポカーンの、ある意味禁じ手である。しかし、これまでかなりの数のドラマが、この禁じ手を強行している。一番有名なのは、やはり「赤い疑惑」におけるヒロインの母親であろう。八千草薫が何の前振りもなく、いきなり7話から渡辺美佐子に交代。まったく似ていない。一応交代回の初めにテロップによるお断りは出たらしいが、キャラクターまで山手風から下町風に変わってしまい、多くの視聴者を困惑させたのは今も語り草である。最終的には渡辺母の下町風キャラの方が、深刻に傾きすぎるドラマにおいての救いになっていると高評価を得たのだが…。ほかにも、一時的に俳優が変わった「マグマ大使」のガム、前任者が急逝したため交代するしかなかった「快傑ライオン丸」の虎錠之介(タイガージョー)、前任者が逮捕されたため交代するしかなかった「バトルフィーバーJ」のヘッダー指揮官、前任者が演技に難がある(?)という理由で交代になったとも噂される「ウルトラマンタロウ」の白鳥さおり(実際は初代の女優さんの方が今も現役で、二代目はすでに活動していないようだが)、など次々浮かんでくる。一般ドラマでも、NHKの大河ドラマ「勝海舟」では主人公が病気のため交代になったこともある。果たして今回Eテレはこの方法を踏襲するのだろうか。しかし、シリーズが折り返しを過ぎてからの俳優交代は、視聴者に敬遠される危険性もある。となると、もう選択はひとつしかない。

(4)Aという役そのものを消滅させ、なかったことに(劇中でも語られない)

主役や準主役ならいささか厳しいが、三番手以降のポジションの場合、案外行われる方法である。
古くは「ウルトラマン」のホシノ少年で、前半あれだけ悪目立ちして、中盤では隊員にまで昇格するのに、突然姿を消し、何の説明もなし。「ジャイアントロボ」における片山由美子(U5)も、当初はユニコーン隊員のメインの一人だったが、桑原友美(U6)の登場以降影が薄くなり、後半はほとんど出番もなく最終回にも姿を見せていない。「仮面ライダー」の歴代ライダーガールズ&五郎や、「太陽にほえろ!」の歴代お茶くみ嬢も、ほぼ同様の扱いである(初登場時にはきちんと紹介されるのに、消える時はひっそりとフェードアウト)。一番ひどいのは「シルバー仮面」における松尾ジーナ(春日はるか)で、当初は春日5兄弟の末の妹という設定だったのに、いつの間にか単身大阪に行って、いつの間にかいなかったことにされてしまう(「シルバー仮面」は大変思い入れのある作品だけに、このあたりの「粗さ」がどうしても気になる)。同時期に放送された「変身忍者嵐」でも、ヒロインのポジションだった林寛子が、中盤からじわじわ出なくなり、ついに音もなく消滅したのは大変残念だった。こうした途中降板組は思いのほか多く、中堅&ベテラン俳優でも、「ジャンボーグA」の田崎潤(伴野大作)、「ウルトラマンレオ」の藤木悠(大村正司)、「時空戦士スピルバン」の伊藤克信(小山大五郎)、「仮面ライダーBlack」のセント(東堂勝)や久富惟晴(坂田代議士)、北見治一(大宮会長)などの顔が浮かんでくる。特撮ものはそれなりに重要なキャラクターを、説明なしに消しすぎるように思う。

と言いつつ、特撮に限らずテレビドラマ全般において、レギュラーキャラが消滅するのはいわば不文律のようなもので、俳優のスケジュールの都合で当然出るべき回に登場しない、などというのは珍しくない。「赤い激流」で岸恵子とともに特別出演待遇だった山口百恵は、当然最終回には顔を出すとほとんどの視聴者に思われていたが不登場だったし、同様に、「赤い衝撃」「赤い嵐」で特別出演待遇だった宇津井健も、かなり重要なポジションでありつつ、ラストで顔を見せなかった。同様の例はいくらもあるはずである。こうしたテレビドラマの歴史を振り返れば、今回『物理基礎』においてこの不文律を適応させても何の不思議もない。そうするとどうなるか。

今日の放送では、物理(ものり)家は、あたかも最初から3人家族であったように全員がふるまう。母の話は一切なし。そもそもこの家に母親はいるかいないのか、別居したのか離婚したのか死別したのか…そんなことは一切顧みず、今までどおり、居間で物理談義を戦わせる。

どうだろう。これが一番可能性としては高いように思うのだが…。

などと書いているうちにそろそろ放送時間である。さて、結果はいかに??
posted by taku at 14:09| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月30日

恐怖山荘(3) 闇を引き裂く怪しい物音

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アリ騒動、蚊の襲撃ときて、もはや生き物の脅威について書くこともないと思っていたが、ところがどっこい、2度あることは3度ある、台風5号が本州を縦断した次の日の晩、事件は起こった。

山荘のある信濃町というところは、台風が来ていても来ていなくても、どういうわけか夜の間に雨が降ることが多く、その晩もかなり勢いのある雨音が響いていた。そんな中、1時くらいに床に就いたのだが、ひと眠りして目を覚ますと、カサカサッ、カサカサッ、と隣のダイニングからなにやら物音がする(その物音で目が覚めたという方が正確かもしれない)。それは虫の羽音などではない、もっと生活感のある、人間に近い存在が発する音のように聞こえた。まさか、この山荘に侵入者が?(いやあ、これって結構怖いですよ。大声で助けを求めても誰か来てくれるような場所でもないし…)。
とにかく、その物音の主を確かめるべく、そっと、かつてはアリの巣だった引き戸を開け、ダイニングに向かったところ、物音は冷蔵庫とシンクの間に置かれた、高さ30センチ、直径24センチほどのブルーのくずかごから聞こえてきていた。

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この中で何物かがうごめいている。まずは人間ではなくてよかった、と胸をなで下ろしたが、では何か? 暗がりでちらっと姿を見る限り、ネズミのようだ。ゴミをあさっているようにも見えたが、実際にはくずかごにはゴミはほとんど入っていない。とすると、案外深いかごなので、入ったはいいが、自力では脱出できなくなり、それでもがいているのかも知れない。さて、この闖入者をどうしたものかと思いつつ、時計を見ると4時半。春風社の三浦衛社長なら起床時間かもしれないが(こちらを参照)、自分の感覚ではまだ真夜中である。ネズミの捕獲や観察などを本格的にやり始めては、貴重な睡眠時間が台無しである。というわけで、相手がくずかごの底でごそごそやっているその隙に、大きな段ボール箱で蓋をして、くずかごごと別室に移動した。これで敵は生け捕りの状態。朝になったらゆっくりとその姿を拝ませていただこう。

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そして9時。ついにご開帳である。おそるおそる段ボールの箱を取り去ると、そこにいたのは…

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やはりネズミでした。つぶらな瞳がなんとも可愛い。

先ほども書いたように、このくずかごにはほとんど何も入っていなかったのだが、どうやらヤツは、くずかごの上の方にぶら下げてある生ごみ系の袋から、フライパンの油を拭いたティッシュを引っ張りだし、それと一緒にくずかごに落下、そのままひと晩を過ごしたらしい(下画像参照)。

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「かなり深さがあるので、このかごからは出られないだろう」と、たかをくくって動画撮影を始めた時、事件は起きた!(下動画をご覧ください)



まさかの逃走である。一瞬の隙をつかれたというか何というか。一度逃がしてしまうと、人間がすばしっこいネズミを捕まえられるはずもなく。ヤツは冷蔵庫の裏に姿を隠し、その数分後、反対側の戸棚の影に移動したが、いつの間にかその戸棚の影からも姿を消し、それ以降は行方不明である。動画を見ていただくとわかるのだが、33秒あたりでヤツが窓に向かってダッシュする様子が映っている。だが、残念なことにそこは網戸になっていたのでヤツは外に出られず、室内を彷徨することになってしまったのだが、もし網戸でなく、普通に窓が開いていれば、今ごろは外に出ていたはずで、私も厄介ばらいができたということになるのだが…。

それにしても、ヤツはどこから来たのだろう。私の知らないうちに、この山荘に住み着いていたのか、それとも、どこかに抜け穴があって、自由に外との出入りを繰り返しているのか…。だとしたら、仮に外に放り出したとしても、また容易に侵入し、イタチごっこならぬネズミごっこがえんえん繰り返されるということになるのだろう。まあ、都心の住宅の屋根裏にもハクビシンが棲みつくくらいだし(私の実家にも数年間ハクビシンが棲んでいたが、東日本大震災を境に姿を消し、屋根裏には大量の糞だけが残された)、年代物の木造住宅には、小動物が出入りする穴などは無数に開いていると思っていた方がいいのかもしれない。

「この地球にいるのはわれわれだけではない。知らないうちに、異星人が侵入しているのだ」
とは特撮ドラマなどでさんざん言われていることだが、こんな僻地の山荘でも、
「この山荘にいるのはわれわれだけではない。知らないうちに、異生物が侵入しているのだ」
とつぶやかなければならないとは、なんとも難儀なことである。
posted by taku at 16:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月29日

恐怖山荘(2) 吸血地獄

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アリ騒動もひと段落し、ようやく平穏な高原の夏休みを満喫できると思ったのだが、どうも、大自然の懐(ふところ)は人間様に対しては優しくないことが多いようだ。時を空けず、今度は、さらに実害のある敵との戦いが始まった。

その敵とは、蚊。たかだか蚊とあなどるなかれ、このごろのヤブ蚊は凶暴化しており、衣類の上からでも刺してくるし、一度刺されると直径2センチほども赤く腫れ上がり、その痛み交じりの痒みは4、5日も続くのだ。一度痒みが引いてきた、と喜んでいると、数時間後にまたぶり返す、という繰り返しで、それが就寝中だったりするともはや拷問の域である。

外出の時は極力肌をさらさないようにしたり、歩きながら両腕をぶんぶん振り回して自主防衛をするものの、部屋の中ではどうしようもない。窓を開け放つ時には必ず網戸にしているのだが、それでも奴らは周到に入り込む。そして音もなく、姿も見せぬまま、吸血行為を繰り返すのだ。この恐ろしさ、おぞましさには戦慄するしかない。
「え、蚊って『プーン』ていう音がするし、姿も見えるでしょ?」
と突っ込んだアナタ、アナタは多分お若い(四十代までの)方なのでしょう。人間、半世紀以上生きてくると感覚器官もだいぶ錆びついてきて、蚊の飛ぶ音(モスキートノイズ)などの高周波を聞き分けることが困難になるし、目のピント調節機能も衰えるから、体長6〜7ミリ程度の蚊の姿をしかととらえて、両手でパチン!と打ち据えることなども至難の業となるのだ。

参考までに…(音量注意)

ちなみに私は13,000Hzまでしか聴き取れませんでした。

かくて、室内でこうして文章を打っている間にも、奴らの吸血は静かに続き、私は痛み交じりの痒みに悶え続けるのだ。昼夜を問わず、液体型の電気蚊取りは点けるようにしているのだが、蚊が床に落ちている姿がいまだ確認できていないところを見ると、あまり効き目はないのかも知れない(実際のところ、虫を殺すような有毒物を日常的に焚いているのもあまり気分のいいものではないので、数時間ごとに点けたり消したりを繰り返すものだから、ますます効果も薄まるのだろう)。

こうして、見えない吸血鬼を撃退する術(すべ)もないまま、日々ぶり返す痒みと新たな痒みに耐えつつ、北信濃での休日は過ぎていくのだった。

今回の話は、「人間というのは生まれながら罪深い生き物なので、どんな環境に身を置いても、すべてにおいて満たされた時間を持つことはできないのだ」という教訓のようである。

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2017年08月28日

恐怖山荘(1) 白と黒の悪魔

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そろそろ夏も終わりだが、今年の夏、黒姫の山荘で私が体験した、血も凍る恐怖の体験談をお届けしたいと思う。心臓の弱い方、臆病な方は、くれぐれもこの先を読まないことをお勧めする(一応警告)。

それは7月下旬のある日のこと。新幹線と北しなの線を乗り継いで日没のころに黒姫着。朝と夕方しか運転しない路線バスに揺られ、1年ぶりの山荘にたどり着いた。簡単な荷物整理と夕食を済ませ、今夜は早く休もうと23時ごろに床を取り、ダイニングと寝室の間の引き戸を閉めようとしたその瞬間、惨劇は起きた。

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バラバラバラッ、と、突然何かが頭上から降ってきたのだ。床に落ちた白い粒と黒い粒…黒い粒は動いている。アリだ。そして白いのは卵。アリが、何と引き戸の上の隙間に巣を作っていたのだ。

アリのほうも寝込みを襲われた感じでパニクっており、慌てて卵をどこかに避難させようとしている。向かう先がわかっているわけもないのだが、とにかく卵を守ろうとする本能が彼らを闇雲に動かしているのだろう。こちらも、しばらくは呆然とその様子をながめていた。しかし、ファーブルならいざ知らず、深夜にいつまでもこんな「観察」などしていられない。

それにしても、どうしてわざわざ人の家の中に巣を作るのか! 山のアリだったら普通に土の中に巣を作ればいいじゃないか! すでにお休みモードだったのに、一気に覚醒してしまい、その怒りも手伝って、この不法侵入者には速やかにお引取りいただくことにした。本来殺生は嫌いだが、放置してはこちらの安眠や穏やかな生活が妨げられるのは確実なので、心を鬼にして殺虫剤の噴霧である。やがて数十の白と黒の粒は動かなくなった。それらの躯(むくろ)は、掃除機に吸わせるのも気が進まなかったので、薄いビニールの袋(スーパーの品物を詰めるところに設置されているペラペラのやつ)にまとめて入れて捨てることにした。その際、アリの卵なるものに初めて触ってみたのだが、ぷにぷにして少し湿り気のある、いかにも生命の根源という感じの物質であった。この卵ひとつから、果たしてどれくらいの数のアリが生まれてくるのだろう?(注:後日ネットで調べたところ、基本的に卵ひとつからアリ1匹のようだ。それにしてはでかいなと感じるのは私だけ?)

その夜はそれで終わったが、翌朝、その引き戸を開閉するとまたバラバラバラッと白黒の粒が落ちてくるという前夜の状況がそっくりそのまま再現され、頭を抱えてしまった。これはもう「元から絶たなきゃダメ!」と一念発起し、お世辞にも立て付けのいいとは言えない引き戸をどうにかはずして、その上をじっくり見てみた。

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まあこんな状態で、まだかなりのアリと卵が存在している。今回の不法侵入に対しては、一網打尽で臨むという方針をすでに決定しているので、もはや躊躇することなく、前夜と同じ方法で、数十分後、ついに駆除は完了した。

この山荘でももうずいぶん寝泊りしているが、こんな経験は初めてである。木を食べる白アリならいざ知らず、どうして普通のアリが家の中に巣を作るに至ったかは大いなる謎である。また、アリのコミュニティには女王アリがいるはずだが、今回その女王を発見することはできなかった。もしや、女王は密かに逃げ延び、捲土重来を計っているのではないか。だとすると、私もまだまだ枕を高くして眠れないわけだが…。

最近ちまたでは、外来種であるヒアリの脅威が問題となっているようだが、見慣れた在来種のアリも、時として思いがけない脅威をもたらすことがあるのだ(このシリーズ、あと2回続きます)。
posted by taku at 18:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月12日

密会の映画館

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今月初めに降ってわいた女優S・Y(50歳にして再ブレイク中!)と同世代医師とのW不倫疑惑。『スケバン刑事』世代の自分としては、最近妙にきれいになって往年の輝きを取り戻したかに見えたS・Yに少なからずときめくものを感じ、『物理基礎』までチェックするようになっていたのだが、そんな矢先の週刊誌報道である。
「何でだよ〜」というガッカリ感とともに、ああ、ときめく相手がいると、やっぱり女性は美しくなるのね、と妙に納得するものもあった。

S・Yと医師は、果たして一線を越えたのか越えていないのか、みたいなことでワイドショーなどは騒いでいたようだが、実際どこまでの関係になっていたかは、これはもう本人同士にしかわからないことである。ただ、これは私見だが、男女とも五十代ともなると、その辺の行為そのものへの欲求は、若い人たちほど露骨ではなくなるのではないだろうか。私は現在54歳で噂の医師とほぼ同い年なのだが、二十代や三十代のころの性的エネルギー(フロイトの言うところのリビドー)と現在のそれとを比較してみると、その低下は圧倒的で、同じ人間でどうしてこうも変わるのかと首を傾げることが多い。もっとも、生殖年齢を過ぎれば性欲が減退していくのは自然の摂理でである。異性を求める気持ちは死ぬまで継続すると思うが、加齢とともに、プラトニックなものに回帰していくような気がする。したがって今回の件も、たしかに「恋人つなぎ」はしたかも知れないけれど、それはいわば双方の精神的な結びつき、親愛の情を示すものであり、ただちにドロドロの愛欲行為に直結するものではないように思われるのだ。もちろん、だからといって、既婚者同士がこういう形で密会していいということにはならない。いや実際のところ、瞬発的、火遊び的な激しい一夜の情事よりも、長期間(関係は5年におよぶという報道もあり)の深く静かな精神的結合の方が、双方の夫婦関係に大きなダメージをもたらすものとなるだろう。

S・Yと医師とは、これからどうしていくつもりなのか? それぞれの家庭は今後どうなっていくのか? いろいろと興味は尽きないが、私自身は独身で結婚歴もないため、配偶者以外を好きになる気持ちも、配偶者に裏切られる気持ちもリアルに想像することができない。この問題について論じるのはこの辺にした方がよさそうだ。

【追記】その後、S・Yと医師とは不倫関係を認め、S・Yは女優としての活動を自粛するに至った(『物理基礎』も11/22放送までとのこと。トホホ)。私は上に、「双方の結びつきは精神的なものではないか」というようなことを書いたが、それははかない一ファンの願望に過ぎなかったようだ。(10/6)

さて、この報道で私が興味をそそられたのは、大きく取り沙汰された別宅マンションでの密会ではなく、7月26日夜の「横浜の映画館デート」である。週刊誌によれば「準新作映画を上映する小さな映画館」とのこと。記事には「横浜・伊勢佐木町裏の路地に到着」などと書かれていたため、当初ネットなどでは、この映画館は伊勢佐木町の横浜ニューテアトルではないか、とささやかれていた。しかし、横浜ニューテアトルではその時期、2人が鑑賞したという『光をくれた人』は上映されていない。また、映画を見終わったあと、S・Yが先に劇場の階段を下り、入口でチラシを物色していたと書かれているが、横浜ニューテアトルは劇場が地下にあるので、映画を見終わったあとは、階段を上らなくてはいけない。
以上の2点から、映画館が横浜ニューテアトルでないことは明白である。となるとどこか。その時期に『光をくれた人』を上映していた横浜の映画館はひとつだけだったので、答えはすぐにわかった。それは、『濱マイク』シリーズの舞台になったことでも知られる「横浜日劇」のお隣りで旧「横浜名画座」、すなわち現在のシネマ・ジャック&ベティである。そう当たりをつけた上で例の「恋人つなぎ」写真を見直すと、たしかにチラシ置き場も入口外観も、シネマ・ジャック&ベティ以外の何物でもない。実は、拙作『鎌倉アカデミア 青の時代』が10月にこの劇場で上映されることになっており、最近も何度かここを訪ねて打ち合わせをしているので、チラシ置き場や入り口周辺などは、かなり見慣れた風景なのであった(ちなみに前作『影たちの祭り』は横浜ニューテアトルで上映されている)。

というわけで、私は今、自分の映画が公開される映画館が、時のスキャンダルの舞台となった事実、というより、あのS・Yが、何度となく足を向ける劇場であったという事実に、少なからず胸をときめかせている(チラシを物色するということは、次もまた観に来る意志があるということだ。できるなら『鎌倉アカデミア 青の時代』も観に来て欲しい!)。
最後に宣伝ぽくなってしまい恐縮だが、渦中のS・Yもお忍びで利用する横浜の映画館シネマ・ジャック&ベティにて、『鎌倉アカデミア 青の時代』が10/7〜13に公開となります。横浜近辺の皆様、どうぞお誘い合わせの上ご来場ください。
posted by taku at 17:52| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月29日

日下武史さんを偲ぶ会

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昨日(6/28)、「日下武史さんを偲ぶ会」に行ってきた。場所は浜松町から徒歩7〜8分の自由劇場。日下さんが出演する舞台を観に何度も通った場所だ。まさかそこで、最後のお別れをすることになろうとは…。

駅から劇場への道を歩くうちに、明らかにそれとわかる劇団関係の参列者の姿が増えていく。彼ら彼女らが一様にフォーマルな葬儀のいでたちであることに大きな不安を覚えた。会の案内には「平服にてお越しくださいますよう」と書いてあったが、それは建前で、やはりこういう場にはそれにふさわしい格好をしてくるもの、というのが暗黙の了解なのか。案内の言葉を真に受けて、思い切り平服(カジュアルシャツとチノパン)で来てしまった私は、劇場すぐそばの、海岸通りを右に折れる道に進むのをためらい、一度は通りを直進し、そのまま帰ってしまおうとした。
「こんなラフな格好で参列するのは、故人を偲ぶにはふさわしくないのでは? 何より、おごそかな会の調和を乱してしまうのでは?」
通りを行き過ぎたあと、道の片隅で立ち止まって5分弱あれこれ考えたが、やはりせっかく現地まで来たのだからと思い直し、外に出していたカジュアルシャツをチノパンの中に入れ直して劇場に向かった。

すでに一般参列時間の14時を回り、入り口は大勢の参列者でにぎわっている。とは言うものの、一般参列者は少なめで、大半が劇団もしくは芸能界関係者のように見えた。芳名用紙に記入し、それを受付で3ッ折のしおりと引き換えてもらって劇場の中へ。ステージ中央には花で形づくられた劇団四季の竪琴マーク、そしてそれに包み込まれるように、日下さんのご尊影が飾られていた。
参列者は一時客席で待機し、順番が来たら献花するという流れ。会場にはありし日の日下さんの名セリフの数々が流れている。10分弱くらいで順番が来て、白いカーネーションを手渡され、4人1組の列を作って献花。カーネーションを手向け、日下さんに最後のお別れをする。合掌の時間は、1分弱くらいだっただろうか。同じ列の人たちと無言のうちに呼吸を計り、そろって一礼し献花台を離れる(こういう「間合いを読む」という行為は日本人の得意技のように思う)。

こうして、おおやけの場でお別れをすませてしまうと、いよいよ日下さんが遠くに行ってしまったという感じがして、あらためて淋しさがこみあげる。

日下さんの思い出については、先月、こちらに書いたとおりだが、『火星のわが家』に出ていただいた1998年からわずか20年足らずで、劇団四季をめぐる状況も、ずいぶん変わってしまったものだと思う。あの年、四季はJR東日本の広大な敷地に「首都圏初の常設専用劇場」として、四季劇場[春]と[秋](場所は自由劇場の並び)を華々しく開場。同じころ、地方都市にも常設劇場が次々オープンし、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであった。

それから19年。[春]と[秋]は、竹芝エリア再開発のためという理由で一時休館となり、一方、創立以来劇団のトップを務めた浅利慶太氏は、2014年に経営者の座を離れ新事務所を設立、そして、もうひとりの創立メンバー日下さんは、四季に籍を置いたまま、異国の地でひっそりと旅立った。

世の中に常なるものはないとはよく言われることだが、時の流れは静かで、そして残酷である。

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日下武史さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。
posted by taku at 17:55| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする