2020年08月02日

加藤さんのいない八月

8月の訪れとともに関東地方は梅雨明けしたようですが、まあ、何とも気が晴れないこと。新型コロナの感染者は日増しに増え続け、それなのに国は何の指針も示さず、先行きがまったく見えません。政治家というのは、本来は国民の「僕」であるべきなのに、どうしてこんなに国民の気持ちに寄り添わないで平気でいられるのか、そういうメンタリティでどうして政治家なんかになることを選んだのか、と、考えるほどに腹が立って胸がムカムカしてきます。コロナに関しては、他にもいろいろと思うこと、感じることが山積しているのですが、それをここに書いても何の解決にもならないのでこれでやめておきます。

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昨日(8/1)の朝日新聞の夕刊「惜別」欄に、加藤茂雄さんの記事が掲載されました。こういう記事を目のあたりにすると、いよいよ加藤さんは遠くに行ってしまったんだ、という思いが強くなります。現実は無常です。

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去年の今ごろ(7/27〜8/2)はまさに、新宿ケイズシネマで『浜の記憶』が絶賛公開中でした。

加藤さんはほぼ連日劇場に顔を見せ、上映後には喜々として舞台挨拶をこなし、舞台を降りたあとも、ロビーでお客様と歓談していました。まさかあれが文字通り、加藤さんの俳優生活の掉尾を飾るイベントになってしまうとは…。(1年前のブログ→「『浜の記憶』東京公開終了」

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『浜の記憶』のフルキャスト。左から加藤茂雄さん、宮崎勇希さん、渡辺梓さん


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でも、もしも公開が1年遅れて今年になっていたら、こんなに賑やかにイベントを行うことは不可能だったわけで、加藤さんは、絶妙のタイミングで主演をし、公開まで持っていってくれたと考えることもできそうです。そういう意味では、とてもラッキーな方だったのかも知れません(去年の今ごろはまさか、人と人とが直接触れ合う舞台挨拶のようなイベントが、自由に行えなくなる日が来るとは、夢にも思いませんでした)。

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加藤さんのご葬儀は、6月18日、家族葬という形で行われましたが、その前日(6月17日)の夕刻に、ごく近しい関係者だけのお別れの儀がご自宅で営まれ、『浜の記憶』を代表して監督の私(大嶋)と宮崎勇希さんが参列し、最後のご挨拶をしてきました。棺の中の加藤さんは、ずいぶんお痩せになっていましたが、劇中でもかぶっていた愛用の帽子をかぶり、静かに眠っておられました。

お別れをすませたあと、足は自然と、歩いて数分の由比ヶ浜に向かっていました。今から2年前、『浜の記憶』の撮影で、連日のように加藤さん、宮崎さんと集ってながめた同じ海。でも、加藤さんはもういません。

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実は『浜の記憶』のラストには、宮崎さん演じるユキが、加藤さん演じるシゲさんに、「2年後」のことを話すシーンがあります。ユキは明日のことのようにさらっと語り、シゲさんはそれを永遠のように受け取るのです。若者と老人との、時間の感覚のギャップを表そうとしたのですが、しかしまさか、実際の「2年後」に、加藤さんがいなくなっているとは、完全に想像の外でした。自分はなんて罰当たりな台本を書いてしまったのだろうと、胸がしめつけられるようでした。

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今年の夏は、主だったイベントや祭りが軒並み中止となり、海水浴場も、神奈川県に関する限り、25箇所すべてが開設中止となっています。この由比ヶ浜も例外ではありません。
夏なのにひと気の絶えた浜、そして、そこに加藤さんもいない。この欠落は、容易に埋められそうにありません。

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ここは由比ヶ浜の隅っこにある、坂ノ下地区海浜公園です。ありし日の加藤さんは、よくここでドラマや舞台のセリフの練習をしていたそうです。

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源実朝の歌碑もあります。百人一首にも収められている、
世の中は 常にもがもな渚こぐ 海人の小舟の 綱手かなしも」。

「この世の中は、いつも変わらずにあるといいなあ。渚を漕ぐ漁師の小舟が綱に引かれていく、その当たり前の風景さえ愛おしい」
と、実朝は日常のささやかな幸せを詠んでいるのですが、われわれの目の前にある現実は、とてもこの歌のとおりにはいかないようです。

さて、8月10日から、加藤さんの追悼上映が、鎌倉市川喜多記念館で行われます。『浜の記憶』と『鎌倉アカデミア 青の時代』の2本立てです。ただ、こういうご時勢なので「ぜひご参加ください」とは言えません。「どうぞ、ご無理のない範囲で…」と申しあげるのみです。

『浜の記憶』(2018年/52分)
8月10日(月・祝)10:00、12日(水)14:00、13日(木)10:00、14日(金)14:00、15日(土)10:00、16日(日)14:00

『鎌倉アカデミア 青の時代』(2016年/119分)
8月10日(月・祝)14:00、12日(水)10:00、13日(木)14:00、14日(金)10:00、15日(土)14:00、16日(日)10:00

※『浜の記憶』上映前に「加藤茂雄、戦争体験を語る」(約30分)を上映します。2018年8月に「かまくら平和寿まつり」で開催されたトークイベントの記録映像です。

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加藤さんが自宅の障子に筆写していた大木惇夫の「戦友別盃の歌」

撮影:内田裕実 友井健人 宮崎勇希 大嶋拓
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2020年06月15日

IE11最後の日?

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かなり深刻な事態。ついに、IE(Internet Explorer)11が使いものにならなくなりつつある。今年1月にwindows7がサポートを終了した時点で予想はついていたのだが、自分にとっては長年肌になじんだ親しみやすいブラウザだったので、それ以降も使い続けていたのだ。

しかし、6月1日を境にTwitterが完全に見られなくなり、昨日あたりからyoutubeもまともに再生ができなくなってきた(Instaに至っては、数ヶ月前から閲覧不可)。これでは使い物にならない。やむなく、Edge、Firefox、Operaなどを使い始めたのだが、どれも今いちフィット感がない。個人的にはIE11は、「お気に入り」や「履歴」を右端にズラズラっと表示できるのが大変使いやすく、気に入ってきたのだが…(Firefoxでも似たようなことはできるのだが、ちょっとニュアンスが違うのだ)。

アナログ的な機械であれば、導入したままの状態で壊れるまで使えるのに、どうしてPCは、OSが変わったり、ブラウザが変わったりと、めまぐるしく使用環境が変化するのだろう。50代も後半になると、新しいシステムに慣れるまで結構時間がかかるので、今年に入ってからの「激変」には正直かなり困惑している。
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2020年04月05日

森を歩く

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気がついてみると、日本、いや世界中がとんでもないことになっていました。ほとんどの人が初めて味わう「非日常」なのだと思います。

これから先、一体どうなっていくのか。あと少し我慢すれば、事態は収束していくのか。それとも、もっともっと悪い方に向かうのか。まったくわかりません。わからないだけに、不安ばかりが募ります。

とりあえず、盛り場には行かず、なるべく人と会わないように生活していますが、あまり家の中に閉じこもっているのも心身の健康によくないので、最近は、歩いて15分ほどの森(林?)に出かけ、1時間ほど、木々のざわめきや鳥のさえずりの中に身を置いています。

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今、森はまさに芽吹きの時。日ごとに若々しい緑が木々を染め上げていきます。人の世の大騒動など、まるで別の世界の出来事のように。

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2020年04月02日

四月

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あちこちで桜が咲いています。でも、その花の下に、人の姿がありません。

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まるで書割りのような春の風景。

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2020年01月14日

さらばwin7

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2020年最初のブログですが、特にめでたいこともなく。というより、最近は心が萎えるような話ばかりでして。

実は先月、実家の母(88歳)が買い物に行く途中、学生の乗る自転車に追突され転倒、左手首を骨折して年末まで入院していました。手術で金属のプレートを埋め込み、術後の経過は順調、と書きたいところですが、年齢のせいかなかなか腫れが引かず、動きも以前のようにはいかず。現在も通院でのリハビリを継続中ですが、何かと気にかかることの多いこのごろです。

さて、今日でwin7のサポートが終了だそうで。サブで使っていたノートPCは、正月休みに7から10にどうにかアップグレードしましたが、メインのデスクトップは、入っているソフトの関係もあっていまだ7のまま。しばらくはノートをメインで使うことになるのでしょうか。7は2013年から7年間使ったので、いまだ10のオペレーションに慣れません。余計なお世話的機能が増えて、むしろ使いにくくなっているような気もします。しかし、人間の方がOSに慣れていくしかないのでしょうね。本当に、いろいろと面倒くさいことばかりです。
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2019年12月17日

『鰰 hadahada』を読む

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春風社代表の三浦衛さんの第二詩集『鰰 hadahada』を読む。

「鰰」は共通語的には「はたはた」と読むが、秋田弁では「はだはだ」と濁る。私は秋田生まれの父を持つので、「はだはだ」と濁った方が、ブリコ(卵)が腹いっぱいに詰まったあのビジュアルが鮮明に思い浮かぶのだが、関東地方において「はたはた」が滅多に手に入らない昨今では、それをわかってくれる人がどれだけいるだろう。

この詩集は、タイトルのみならず、本文も「秋田ネイティブ」の言葉が全開という、かなり挑戦的な1冊。かなり読者を選ぶものになっているのではないか、という不安が少なからずあったがそれは杞憂で、大変にすがすがしい気分で読み終え、同時にまた、新たな発見に預かることもできた。

三浦さんは一昨年還暦を迎え、私も現在56歳。出会った時からすでに10年が過ぎ、お互い知らぬ間にひたひたと老いが迫っている。年を数えるほどに人は郷愁の想いが強くなり、涙腺も緩みがちになるのだろうか。三浦さんはどうか知らないが、半分秋田人の私などは、何でもないような描写に、何度か「うるっと」きてしまった。

たとえば、「世界の淵」。この詩の中に、「八郎湖」という単語が出てくる。「八郎潟」がかつて湖であったことに触れているのだが、「世紀の大事業」と言われた八郎潟干拓からすでに半世紀、現在は大潟村と呼ばれるあの場所が、巨大な湖であったことを直接見知っている人がどれくらい残っているのだろう。

耕耘機のエンジン音が
さびしい秋空に吸い込まれてゆく

この2行を目にしただけで、大潟村のどこまでも続く直線道路と、稲刈り後の荒涼たる光景が眼前に浮かんできて、何とも切なくなる。短い言葉ほど、映像に変換しやすいのかも知れない。

「安心の川」も印象的だ。

右にころがれば
祖父
左にころがれば
祖母

幼年時代の三浦さんが、祖父母にいつくしまれて育ったことは何となく聞いていたが、これを読むと、本当に「川の字」で寝ていたことがわかる。そして、実際見たわけでもないのに、その情景がはっきり目に浮かんでくるのだ。

わだしは
安心の川にいで
気がかりなごどは毛ほどもながった

詩の最後には、今も三浦さんの寝室には、祖父母の写真が飾られているとの記述があり、私も実際にそれを見て知っているが、初めて「こういうことだったんだ」と納得した。と同時に、そこまでの安心感に抱かれて成長することができた三浦少年は、なんと幸せな子どもだったことか、と心底うらやましく思ったのも事実である(しかしその一方で、「とじぇね(寂しい)わらし」)でもあったそうだから、人間というのは複雑なものだ)。

私は、日常的に詩集をめくるということは滅多にしない。というか、思春期以降、詩に対する自身の感応力の低さに絶望し、詩というものにほとんど触れないまま現在まで過ごしてしまったのだが、今回この『鰰 hadahada』を読んでみて、こういう、詩集のようなスタイルのものこそ、PCのディスプレイではなく、紙の本で読んだ方がいいのではないか、と強く感じた。
ページをめくること、文字と余白を味わうこと、そっと本を閉じること、などは身体感覚をともない、それゆえ、活字(この本は実際に金属の活字で印刷されている)の言葉との間に何かしらの共振作用が生じるようなのだ。先ほど書いたように、言葉が少ないこととも関係しているのかも知れない。とにかく、PCのディスプレイで散文を読むのとは違うトリップ感覚を味わえるのはたしかなようで、この本を読んでいる間、外界の音や光、匂い、温度といった刺激はほとんど知覚されず、そこにはまさに本と私だけが在り、三浦さんの感じた秋田というあたたかい「何ものか」に包まれているような不思議な感覚であった(こうした感覚は、PCやスマホでの読書ではなかなか味わえないような気がする)。おそらく今後、紙の本はますます減っていくのだろうが、紙の本でなければ味わえない「醍醐味」もあるのだと、今さらのように感得した次第である。

秋田弁バリバリのこの詩集を、最初は「いささか無謀では?」と思いながらページをめくり始めた私だったが、知らぬ間に三浦さんの術中にはまったようで、今は正直「やられた」という気分である。
方言はれっきとした日本語であり、異国の言葉とは違う。その地域に深く根ざしており、背後には永い歴史が横たわっている。一度ではわからずとも、二読三読するうち自然と心に感応し、頭で理解する以上に深く、体の内側に浸み込んでいくものだ。
「もっとも優れて民族的なものが、もっとも優れてインターナショナルなのだ」
という亡父・青江舜二郎の言葉が、改めて思い出されてくる1冊であった。

【付記】この詩集に収載の詩すべてが秋田弁というわけではありません。後半のものは、秋田に材をとっていても、語り口はほぼ標準語です。
posted by taku at 18:25| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月12日

台風19号

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いや、もう、なんかとんでもないですよ。

叩きつけるような大雨と強風、おまけに地震。

テレビでは「生命を守ることを最優先してください」などと呼びかけているし、私の住む地域でも、避難指示や避難勧告が出て、隣の区では土砂くずれまで発生しているという。しかし、この荒れ狂う天気の中、外出するというのがそもそも…(最寄りの避難場所である小学校まで徒歩で10分近くかかるのだ)。

今はただ、少しでも早く台風が通り過ぎるのを待つばかりである。こういう時は、つくづく自然の猛威に対する人間の無力さを思い知らされる。
posted by taku at 19:12| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月03日

『浜の記憶』東京公開終了

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映画『浜の記憶』は、7月27日(土)に東京・新宿ケイズシネマで封切りとなり、昨日、8月2日(金)で、つつがなく公開を終了しました。
暑い中ご来場くださった皆様、本当にありがとうございました。

……というわけで、今日は久々に自宅でのんびり。昨日も、おとといも、その前も……、初日から最終日まで、日替わりでイベントを行ったので、1週間連続、いや、厳密に言うと公開日前日の7月26日も、劇場に展示パネルやプレゼント用の貝殻などを納品しに行ったので、実に8日連続で新宿に通ったことになる。いやあ、毎日暑かった!

8時までには起床し、映画を観る時は10時20分くらいまでに、観ない時は11時10分くらいまでに劇場に行くという、まるで勤め人のような毎日。それが、公開が終わった今は、自宅でまったりとYouTubeで「世界忍者戦ジライヤ」などをながめている。何の余韻もない。昨日まで映画を公開していたのが嘘のようだ。加藤茂雄さんの言葉を借りるなら、「真夏の夜の夢」から醒めた後ということになるだろうか。

こういうのは毎度経験しているので今さら驚きはないが、私が作るような比較的小規模な映画の公開というのは本当に何年かに一度のお祭りのようなもので、公開中は日常と明らかに異なる「ハレ」の時間が流れる。
連日10時30分から、52分の映画(本編)の上映。引き続き、20〜30分程度の舞台挨拶やトークなどのイベントを行い、それが終わるとロビーで、来てくれたお客様との歓談のひととき。あわただしくいろいろな人が眼前に現れ、去っていく。初めてお会いする方もいれば、懐かしい顔もある。写真撮影や、時にはサインを求められることもあり、そして、数十分もすれば、ロビーは空になる。関係者一同ひと息つき、そのまま解散か、あるいは軽く昼食を取って解散。スマホを持っていない私は、あわただしく自宅に戻ってPC前で待機、助監督の内田裕実さんらが撮影したイベント写真の圧縮データを受け取ると、それを解凍し、画像を数点選んでリサイズ。しかるのち、ツイッターでその日のイベントの報告、および翌日のイベント告知を行い明日に備える。それを約1週間繰り返す。いやあ、われながらよくがんばりました。

では、あらためて、この7日間のイベントをさくさく振り返ってみると……

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7/27は初日舞台挨拶。加藤茂雄さん、宮崎勇希さん、渡辺梓さんと私。やはり初日は緊張しますね。女優さんお二人は封切りにふさわしい艶やかな出で立ちでした。宮崎さんの若々しいきらめきと渡辺さんの成熟した美貌、どちらも目に焼きついて、もう……。

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特撮好きの私としては、やはりマジマザーとご一緒できたという喜びが大きかったです。ロビーはさながら撮影会の賑わい。

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7/28はトークショー【東宝特撮の舞台裏】。「特撮秘宝」などで健筆をふるわれているフリー編集者・友井健人さんを聞き手に、加藤茂雄さんが出演した特撮作品の舞台裏や本多猪四郎監督のエピソードなどをうかがいました。会場には何と、ひし美ゆり子さんのお姿も!

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いやあ、マジマザーの次はアンヌですよ!! やっぱり長いこと生きてるとこういうこともあるんですねえ(わからない方のために書いておくと、マジマザーは『魔法戦隊マジレンジャー』に、アンヌは『ウルトラセブン』に登場します)。

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7/29は未公開映像特別上映。宮崎勇希さんと私の生コメンタリー付きでお届け。撮影前の読み合わせ風景、まぼろしの海水浴シーン、クライマックス&エンドロールの舞台裏、クランクアップ直後の主演2人のインタビュー、等々、DVD発売にでもならない限り、もう見ることのできないマル秘映像の数々でした。

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7/30はトークショー【黒澤明監督との40年】。『生きる』『七人の侍』から『まあだだよ』までの撮影現場を振り返りつつ、加藤茂雄さんに知られざる巨匠との関わりを語っていただきました。この日は、加藤さんの半生が7ページにわたって掲載された『女性自身』も発売に。(上の写真は7/28のものです)

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7/31はトークショー【新人女優は見た!】。宮崎勇希さんが、オーディションを受けたきっかけ、加藤さんの初対面の印象、撮影現場でのエピソード、私もうなずく名言「本番は3テイクまで」など、作品を通じて素直な思いを語ってくれました。宮崎さんはこの日も、お気に入りのライトブルーの衣裳で登壇。去年の撮影時よりずいぶん大人っぽくなりましたね。

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8/1はトークショー【94歳現役俳優が語る健康長寿の秘訣】。読んで字の如くのテーマですが、加藤茂雄さんは映画の話をされたかったようで、後半は『大地の子守歌』での原田美枝子さんとのエピソードも。ちなみに就寝や起床時間は適当で、昼寝もたっぷりするそうです。

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8/2は最終日舞台挨拶。加藤茂雄さん、宮崎勇希さんと私。初日からだいぶ回数をこなしたおかげで、一番まとまりがよかったように思います。エンドロール映像が、宮崎さんのインスピレーションから生まれた、という意外な事実も明らかに。この日のロビーも、サイン書きや写真撮影などで賑わいました。

以上ですべてのイベントが終了。

最終日は、もう翌日の心配がないので、お客様を送り出したあと、軽い打ち上げを兼ねて、関係者7人(加藤さんとお嬢さん、宮崎さん、内田さん、友井さん、鎌倉市中央図書館の平田恵美さん、私)で、伊勢丹のレストラン街までおそばを食べに行く。

ひとときの解放感。連日の猛暑の影響もあってか、動員数は目標に少し届かなかったものの、ご覧になったお客様の反応はおおむね好評だったようで、関係者の表情もなごやかだった。
主演の加藤さん、ヒロインの宮崎さん、そして作品をサポートしてくれたスタッフ、協力者諸氏、本当にお疲れ様でした。

現地解散ののち、劇場スタッフに最後の御挨拶をするためケイズシネマに戻ってみると、あら不思議、すでにロビーのポスターは明日から上映の作品に貼り替えられ、さっきまで置いてあったはずのチラシも消えている。これまでのことがすべて夢だったように感じられ、現実に引き戻される瞬間だが、この、一切余韻を引かないところが、劇場公開の潔さのような気もする。

ケイズシネマで映画を公開するのは、『影たちの祭り』(2013年)、『鎌倉アカデミア 青の時代』(2017年)に続き、この『浜の記憶』で3本目となるが、いつもこんな感じだった。終わってしまうと、実にあっけない。しかし、空虚な思いにとらわれているわけではない。支配人のSさん、副支配人のIさん、No.3のNさん、そして受付や映写担当の方に至るまで、このケイズシネマは人員の入れ替えがほとんどなく、内装はリニューアルしても、スタッフの顔ぶれは10年以上、ほとんど変わっていない。受付のAさんは、「20歳も30歳もここで迎えました」と笑う。だから、ここのスタッフ諸氏の大多数とはもう3回目のお付き合いということになる。

さらに言うなら、S支配人は、今から24年前、あの中野武蔵野ホールの番組担当者で、私の長編第1作『カナカナ』の上映を決めてくれた人である。そしてその『カナカナ』を一般客として中野で観たYさんが、現在もケイズの受付で働いているという。24年前といえば、宮崎勇希さんが生まれた年である。大変な歳月である。

それで何が言いたいかと言えば、作品ひとつひとつは終わっていくが、人のつながりはどこかで続いていくということだ。もちろん、先はどうなるかわからないが、映画の製作や公開を通して、人と人とがつながり得るという事実を、昔よりは意識するようになってきたと思う。以前は、一作品終わるごとに、故意にすべてをリセットしていたのだが、それだと自分が細るだけだと、いつのころからか感じるようになってきたのだ。まあ、それだけ自分も年を取ったということだろうか。

何だかまとまりのない文章ですが、公開終了翌日の所感でした。

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撮影:内田裕実 友井健人 宮崎勇希
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2019年04月30日

平成の終わりに

今日で平成も終わりである。節目の日でもあるので、この30年の映画製作の変遷を、個人の目線でざっくり振り返ってみたいと思う。

平成元年は1989年。今からちょうど30年前だ。当時の自分はまだ、映画製作は8mmフィルムで行っていたが、すでに8mmカメラは生産が終了しており、ハードとして過去のものになりつつあったため、そのころ台頭してきていたS-VHS-Cのビデオカメラを初めて購入したのがこの年だった。そのカメラで撮ったのが、『とおい渚』という40分の作品。鎌倉の海でロケを行った。この時もほぼノースタッフ。『浜の記憶』とあまり変わっていない。ただ、その当時のS-VHS-Cの画質はとうてい劇場で公開できるクオリティではなく、この作品も、S-VHSで完パケしたあと、ほとんど人に見せることもなく終わった。そのころ劇場で公開するには、最低でも16mmフィルムで撮影することが必要で、だから、1993年(平成5年)に撮った『カナカナ』も、1998年(平成10年)に撮った『火星のわが家』も、16mmで撮影している(『火星のわが家』は、スーパー16mmで撮影したあと35mmにブローアップ)。16mmフィルムカメラは専門性が高いので、自分がカメラを回すことは難しく、プロのカメラマンにお願いした。

ただ、この2作品のあいだ、1995年(平成7年)にソニーがDCR-VX1000というデジタルビデオカメラを発売し、これが、デジタルシネマの普及にひと役買ったように思う。自分も、1996年(平成8年)にこのカメラを購入(当時、16万円くらいだった)、同じ年に撮った作品は、ヨコシネディーアイエーでデジタルキネコ(ビデオ映像を16mmフィルムに変換すること)を行って、劇場公開の可能性を模索したりした。

2000年(平成12年)以降はもっぱらこのカメラで作品を撮り、劇場公開ではなくオリジナルビデオ作品として発表した。そのうち、世はデジタルシネマが本格化し、2007年(平成19年)の『凍える鏡』はパナソニックが開発したP2カード記録方式のハイビジョンカメラAG-HVX200で撮影している。仕上げもパソコンで行い、上映はHDカムで行った。このあたりから、フィルムで撮らない映画が増えてくる。

そして現在、映画用フィルムの国内生産は終了し、ほぼすべての映画はフィルムで撮られなくなった。自分が最近劇場で公開した『影たちの祭り』(2013・平成25年)、『鎌倉アカデミア 青の時代』(2017・平成29年)、この夏公開する『浜の記憶』は、いずれもハンディタイプのハイビジョンカメラで撮影したもので、カメラも軽く操作も簡単なため、カメラマンのお世話になることなく、すべて自分でこなしている。はるか昔、中学、高校、大学と8mmフィルムで作品を撮ったころに回帰している感じだ。

平成の30年は、映画がフィルムという記録媒体から完全に訣別した歳月だったといえると思う。メディアがフィルムからビデオへと変化したことで、パーソナル化が進み、手軽に映画作品が作れるようになったのはたしかだが、その反面、画面がどこか日常的になり、迫力や風格、虚構性が乏しくなってきた感は否めない。

明日から新しい元号が始まる。映画はこの先、どのようなメディアと混交し、いかなる変遷、発展をとげていくのだろう。

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2019年04月23日

追悼 川久保潔さん

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声優の川久保潔さんが16日に亡くなった。享年89。

川久保さんとの付き合いはとても長い。物心ついたころからであるから50年以上だろうか。鎌倉アカデミア演劇科の第2期生で、私の父・青江舜二郎の教え子。学校がなくなったあとも、数人の教え子たちが、年に何回かわが家に遊びに来ていて、それは青江が病気で倒れるまで続いたが、その中に川久保さんの顔もあった。川久保さんの低音の声はひときわよく通り、その笑い声が家じゅうに響きわたっていたのをよく覚えている。

当時はテレビが家庭での娯楽の王様。わが家でもゴールデンタイムはほとんどテレビ三昧だった。その時見ていたテレビのアニメや洋画の吹き替えなどで思いがけず川久保さんの声を聴くと、家族で「ああ、出た!」と、大いに盛り上がったものである。あまり特撮ものには出なかった川久保さんだが、「ロボット刑事」(1973)では敵組織・バドーの首領の声をやっている。そのころ家に遊びにきた時には、私のカセットテレコに、
「今週はスプリングマンと、ロッカーマンが出てくるよ」などと首領の声のトーンで語ってくれたこともある。

時は流れて1983年。青江が亡くなった時には通夜、葬儀ともに駆けつけ、焼き場から骨が戻った際は、
「あの青江先生が、こんなに小さくなってしまうんだからなあ…」
と、祭壇に向かってつぶやいていた姿も忘れられない。

それから10年後の1993年に私が『カナカナ』という最初の劇映画を撮った時は、ヒロインの父親役で、ノーギャラで出演してくれたり、さらに、2004年に録音した、青江の生誕100年記念のボイスドラマ『水のほとり』でも、日下武史さん、柳澤愼一さんと絶品の声の芝居を聴かせてくれた。

2015年の暮れには『鎌倉アカデミア 青の時代』にインタビュー出演という形で出ていただき、当時のエピソードを2時間以上お話ししてくださった。さらに、この映画が公開された一昨年の5月には、アフタートークのゲストとして、若林一郎さんとともにK's cinemaのステージにも登壇してくれている(上写真)。ステージでは元気を装っていらしたが、この時にはすでにお痩せになっており、終わったあと楽屋で、「実は、この間、肺がんのステージ4と宣告されてね…」と、声を落とされていた。いきなりの話でこちらも驚いたが、なんと声をかけてよいのかわからなかった。そばにいた若林さんは、「まあ、年寄りのがんは進行も遅いから…」と慰めていらしたのだが…。

令和の改元を待たずして、いろいろな人がいなくなっていく。実に淋しいものである。
謹んで、川久保潔さんのご冥福をお祈りいたします。
posted by taku at 11:39| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする