2019年01月21日

さらば竜宮城

katase_enoshima01.jpg

□「90年間、ありがとう」 片瀬江ノ島駅駅舎 1月に解体開始(神奈川新聞)

昨日、上の記事をネットで見つけてビックリ。あの慣れ親しんだ竜宮城型の駅舎が、今月中に解体されてしまうとは! あわててコンデジ片手に江ノ島まで出向き、間もなく姿を消す駅舎の姿をカメラに収めてきた。

katase_enoshima02.jpg

この駅舎ができたのは1929年(昭和4年)。世界恐慌の起きた年だ。日本はすでにその前々年に金融恐慌が起きており、当時はすさまじい不景気風が吹き荒れていたはず。そんな時代によくこのような、遊び心のある駅舎が作られたものだと感心する。

katase_enoshima03.jpg

katase_enoshima04.jpg

katase_enoshima05.jpg

katase_enoshima06.jpg

竜宮城をイメージしたそうだが、もちろん実際にそれを見た者はいないので、設計者はいろいろな神社仏閣を参考にしたのだろう。

katase_enoshima07.jpg

壁に掲示されていた1971年(昭和46年)の写真。右側の建物も、駅舎を模した形状である。ちなみに1971年というのは、「仮面ライダー」の放送が始まった年で私は小学2年だった。

katase_enoshima08.jpg

1994年(平成6年)、「鉄道の日」制定を記念して選ばれた「関東の駅百選」にも名を連ねているという。

katase_enoshima09.jpg

katase_enoshima10.jpg

katase_enoshima11.jpg

katase_enoshima12.jpg

katase_enoshima13.jpg

katase_enoshima14.jpg

多少の痛みは散見されるものの、早急に建て替えが必要とは思えない。

katase_enoshima15.jpg

90年の歴史を積み上げるには、当り前のことだが90年の歳月が必要だ。1年や2年では決してできない。しかし、90年の歴史を背負った建築物を壊すのは、それこそ一瞬だ。90年という時間が、一瞬で、無に帰する。これまで多くの人たちに愛され、親しまれ、その上、現状でもまだ充分に使えるものを、目先の利得のために、躊躇なくぶち壊す。どうにも納得の行かない話である。

katase_enoshima16.jpg

katase_enoshima17.jpg

しかし、駅舎の建て替えはすでに規定路線なので、四の五の言っても始まらない。

katase_enoshima18.jpg

この張り紙や、駅係員の話によれば、1月25日(金)の初電から新しい改札口が稼動するとのことなので、それに合わせて現駅舎の解体が始まると思われる。

katase_enoshima19.jpg

左の白い建物が新しい改札口。

katase_enoshima20.jpg

katase_enoshima21.jpg

というわけで、昭和初期に誕生した竜宮城の最後の姿を見ておきたい方は、どうぞお早めに。

katase_enoshima22.jpg

昨日の江ノ島。竜宮城が破壊されることを知った竜王が怒ったのか、海は大荒れ、まっすぐ歩けないほどの強風でした。
posted by taku at 14:21| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月29日

著作権保護期間、70年に延長

20181229.jpg

毎月送られてくる「文藝家協会ニュース」の中ほどのページに、上画像のような記事が。

なんと、これまでは作者の死後50年だった著作権保護期間が、TPP発効により、死後70年に延長されることになったという。それが実効となるのが、明日、12月30日から。

これって、結構大きな変更だと思うのだが、みなさん、知ってました?

ネット検索してみたところ、たしかにいくつかの記事がヒットしたが、マスコミや世論がこのことで大騒ぎした形跡はまったくなかった。今回の延長により、近々パブリックドメインになるはずだった村岡花子(2019年予定)、三島由紀夫(2021年予定)、志賀直哉(2022年予定)、川端康成(2023年予定)の著作権がそれぞれプラス20年存続ということになり、これらの作家の作品の二次使用(出版、映像化など)を狙っていた各方面には、少なからずの打撃となったはずなのだが……。

もはや確定事項なので、今さらことの是非を論じても始まらないが、ここで少しばかり個人的な心情を述べたい。
私の父は青江舜二郎という劇作家で、1983年、私が20歳の時に亡くなった。その時以来、私が著作権継承者となり、過去の著作が再刊されたり、脚本を書いた映画がDVD化されたり、という時には継承者として必要な事務手続きを出版社などと行ってきた。それから35年ほどが過ぎ、あと15年、つまり私が70歳になるであろう2033年で、そういった義務からすべて解放されると考えていたので、今回の延長は、思わぬ番狂わせであった。プラス20年となれば2053年、私が90歳(生きていればだが)の時まで、青江の著作権は存続することになる。それはあまりに長い。私としては、70歳で先代の残務処理はすべて終了し、それ以降、作品は公共の著作物として、誰にでも好き勝手に使われることを密かに望んでいたのだが……。

このあたりの心情は、当事者でないとなかなかわかってもらえないかも知れない。著作権管理はそれほど煩雑なものではないので、そういう事務手続きがわずらわしいということでは決してない。では何故かといえば、「作家の家族」というのは、目には見えないが、何ともいえず重たい宿命を背負わされているところがあり、それを誇らしく思う反面、早くその重圧から逃れ、自由になりたいと思っているものなのだ。著作権の消滅は、その絶好のきっかけと考えていたのだが、ずいぶん先に遠のいてしまった。
posted by taku at 11:51| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月30日

FAXは過去の遺物か

20181130.jpg

わけあって宅配のお弁当を頼むことになり、店舗に電話して、月替わりの献立表をFAXしてくれるよう、20代と思われる電話口の女性に頼んだのだが、40分以上経っても送られてこない。再度電話すると、まだ送っていないという。
「FAXくらいすぐ送れるでしょう?」と言うと、
「私、今日、臨時でこちらの事務所に来てまして、ここのことが何もわからないので……」とのこと。
「いや、わからないって言っても、FAXの送り方くらいわかりますよね」と聞くと、
「いえ、その……」と口ごもったまま。もう少ししたら店長が戻ってくるというので、じゃあ改めて電話します、と言い置いて電話を切ったのだが……。

「こんなことってあるの??」と首を傾げつつ、恐る恐るネットで
「若者 FAX 使えない」
と検索してみたところ……

結論。最近の若い人の多くはFAXが使えないそうです。メールやLINE世代には、もはや完全に過去の遺物だそうで。時代は変わるとしか言いようがない。先日は、最近の若者が電話で通話しなくなってきていることにかなりの衝撃を受けた私だが、またしても、頭をガツンとやられたようなショックに見舞われた。

「最近の若者は……」などというフレーズを多用するようになったら、老人に近づいた証拠と思って間違いないのだろうが、それにしても、ついこの間まで当たり前だったものが、若い世代にあっさり否定されてしまうのはかなりのダメージである。

しかしながら、今回の一件に話を戻せば、その宅配の弁当店は、献立表はメールではなくFAXで送るのがデフォルトというであり、であるならば、そこで働いている人間は、臨時とはいえ、FAXくらいは操作できないとまずいんじゃないの???

などと、いささか愚痴めいたことを綴ってしまいました。あまり楽しい話でなくて申し訳ありません。
posted by taku at 16:15| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

祝!「ナマハゲ」ユネスコ無形文化遺産登録

ナマハゲ「ウォー、登録されたどー」と雄たけび

秋田県男鹿市役所では29日、ユネスコの政府間委員会のインターネット中継動画を大型スクリーンに映し、集まった市民ら約100人が審議を見守った。「男鹿のナマハゲ」の無形文化遺産登録が決まると、拍手と歓声に包まれ、ナマハゲ姿の男性5人も「ウォー、登録されたどー」と雄たけびを上げて喜んだ。





というわけで、やりましたナマハゲさん。怪異な形相に出刃包丁という物騒な姿で、長きにわたって東北の幼児たちを恐怖のどん底に突き落としていたあの方々にスポットライトが。亡父・青江舜二郎の故郷の「まれびと」で、私なども幼少以来、正月の秋田物産展で何度となくお目にかかっていた異形の来訪神が、ついに国際的な存在として認知されたわけです。それを記念して、今から6年前にアップした動画を再度貼っておきます(男鹿真山伝承館で撮影したもの)。なお、この動画のナマハゲさんには角がありませんが、もともと彼らは「神」あるいは「神の使い」で鬼ではないため、本来角は生えていないそうです(角が生えた鬼の顔は、観光化にともなうアレンジだとか)。
posted by taku at 11:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月27日

1台のガラケーを10年使った結果

今を去ることちょうど10年前の2008年11月27日、45歳の時に、5年ぶりで携帯を機種変更した。その少し前の9月12日のブログには、
「2Gから3Gへの移行のためか、一部メールの受信がうまくできなくなり、いささか不便なことになっている。5年をメドに、そろそろ買い替えを考えなくてはならないのか……」
などと書かれている。

そして新たに手に入れたのがこれ。

20181127_01.jpg
SoftBank 821T(東芝製)

この年お目見えしたばかりの、ソフトバンク初のシニア向け端末。当時まだ40代なかばだったが、すでに老眼の兆しが見えていたため、文字の大きさに魅かれてこの機種を選んだのである。

それから、実に10年の歳月が流れ去り、その間に社会では、自民党が一度下野したり、東日本大震災が起きたり、東京オリンピックが決まったり、平成が終わることになったり、と実にいろいろなことがあった。
個人的には、この10年の間に、2度の引っ越しと実家の増改築があり、作品としては、『凍える鏡』のDVD化、秋田魁新報での「異端の劇作家 青江舜二郎 激動の二十世紀を生きる」の連載、その単行本化として評伝『龍の星霜』(春風社)の刊行、ドキュメンタリー映画『影たちの祭り』『鎌倉アカデミア 青の時代』の製作および公開、そして目下編集中の新作の撮影などがあった。
そして世間では、特に2010年以降、驚くほどの勢いですっかりスマホが普及&定着してしまったが、私の手元には、依然としてこの携帯だけが存在し、外部との貴重な連絡ツールとなっている。

20181127_02.jpg

10年フルに使った割には、それほど痛んでいないと思うのだが…


【よくある(ありそうな)質問】

Q1 10年もバッテリーが持つのか?
A1 持ちます。あまり携帯を重用していないかと言えばそういうこともなく、ごく普通に通話やメールを行っているのですが、1回充電すれば3日くらいは持つし、何の問題もなく使えています。

Q2 スマホに乗り換えようとは思わないのか?
A2 あまり考えていません。最近老眼が進んできたため、タブレットの細かい文字を見るのは辛いものがあり、ネットはPCでと決めています。

Q3 LINEとか出来ないと不便なのでは?
A3 使ったことがないのでどう不便なのかわかりません。この間、久しぶりに劇映画を撮って、若い(20、30代の)人たちとやりとりした時、彼ら彼女らはLINEが主体で、あまり電話というものもしなくなってきていると知り、少なからずカルチャーショックを受けましたが…

Q4 さすがにガラケーがなくなったらスマホにするでしょ?
A4 日本では携帯電話がかなり特異な進化を遂げており(だからガラパゴスなどと呼ばれる)、その使い勝手のよさゆえに手放せずにいるユーザーが一定数いると思うので、いきなりなくなることはないと思うのですが。最近も、下のような報道がなされているようですし…

■携帯市場の中古ガラケー販売、2018年1〜10月で過去最高に

Q5 最近のスマホのカメラの進化はすごいぞ。4K動画も撮れるぞ! そういうのに魅力を感じないのか?
A5 あまり感じません。カメラはカメラとして必要に応じて調達すればすむと思うので。たしかにスマホは、今や電話機能にとどまらず、カメラ、ビデオカメラ、テレビ&ラジオチューナー、レコーダー、プレーヤー、PC、交通カード等々、生活で必要なあらゆるニーズに応えてくれるように見えますが、何でもかんでもひとつの機械でこなす、というのは便利な反面、危険でもあると思います。先日、江ノ電のある無人駅で、ベンチにひっそりと置き忘れてあるスマホを見つけ、駅員さんのいる駅まで届けましたが、あれを落とした人は、手元に戻るまで生きた心地もしなかったことでしょう。リスクの分散を考えるなら、一極集中はNGです。そういう意味でも、携帯電話はあくまで電話として使うべきで、メールが打てて、一応のカメラが付いていれば、もうそれ以上望む必要はないと、個人的な意見ですが、思います。

20181127_03.jpg

10年前の携帯でも、このくらいの画像は撮れます。2年前の写真ですが、自宅の庭でなった柿です。

というようなわけで、今後も、おそらく壊れるまで、私はこの携帯を使い続けると思う。10年前のブログにも書いたが、携帯に限らず、機械、道具のたぐいは「壊れるまで使う」というのが個人的なデフォルトなので。それにしても、10年前に届いたメールがいまだにこの中に入っているというのはいささか切ないものである。中には(もろもろの事情で)もう連絡が取れなくなってしまった人もいるし……。でも、消せないんだよなあ……。
posted by taku at 14:08| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月10日

夏は終わった

20181010.jpg

まあ、実際には10月の半ばですし、とっくに終わっているんですが、私にとっては、一昨日(10/8)までは誰が何と言おうと夏でした。たとえ梨や柿やサンマがスーパーに並び、街がハロウィンの飾りで溢れ、来年のおせちの宣伝までが目に入るようになっても、私と、私の周囲の数人の心の中では、夏は静かに継続していたのです。

だが、その夏も、一昨日の夕方、ついに相模湾の彼方に、静かに姿を消していきました。これでようやく、人並みに秋を味わうことができます。

何か、よくわからない文章ですみません。端的に申しますと、夏という設定のある映像作品の撮影が、猛暑、酷暑、連続台風などの悪天候に翻弄され続けながら、ようやく終わったということです。

作品に関わってくださった皆様、本当にお疲れ様でした。
posted by taku at 12:11| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月20日

人が死ぬ暑さ 

20180720.jpg

ちょっとどうにかして欲しいんですけどホント。

連日、熱中症による死亡事故が報道されています。この暑さ、まさに人殺しです。

どうしてこういうことになるのか。天気予報では、太平洋高気圧は今月いっぱい居座るみたいなことを平然と言ってますけど、もうすべてが異常な夏。

この夏のうちに、あるプロジェクトを前に進めたいのに、基本、海での撮影なんですよ、これが(泣)。

この間も、あるお祭りを撮影したんですが、焼けつく陽射しの下、滝のような汗が流れて止まらず、そのうち息も苦しくなってきて、マジで死ぬかと思いました。

命を賭してプロジェクトに邁進するのか、少し暑さが収まるまで様子を見るのか。

実に実に悩ましいところです。
posted by taku at 13:42| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月11日

夏すぎる

20180711.jpg

風はおさまりましたが、毎日、とにかく暑いです。
7月の前半でこれですか。6月に梅雨が明けるとか、ホント、おかしいですよ。
この先が思いやられます。
posted by taku at 11:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月04日

狂った風

20180704.jpg

私はこの世に生まれて55年になりますが、
まるまる1週間以上、風が絶えず吹きまくるという狂った気象を経験したことはありません。

もうたくさんです。今すぐにでも、この風、止んでください。

外に出れば、容赦なく頬を打ち、
家に居れば、容赦なく窓を打つ。

ヒステリックに、狂った犬のように、わめき立てる風。
ひとときも、心休まる暇(いとま)がありません。

もうたくさんです。今すぐにでも、この風、止んでください。

本当に、この世の終わりではないかと思います。
posted by taku at 23:31| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月24日

森田童子 1981年コンサートレポート

19811205.jpg

前々回のブログで1981年に行われた森田童子のコンサートについて書いたが、何しろ37年も昔のことである。記憶もひどくおぼろで、アップしては見たものの、もやもやした感じが残っていた。せっかくなので、もう少し詳細に当時のことを振り返ってみたいと思い、一昨日実家に赴いて、当時の日記を探してきた。18歳当時のつたない文章だが、あのころの雰囲気を感じていただくため、原文のままここに再録することにする(ただし漢数字は数字表記にし、曲名の誤記は適宜修正)。

12月5日(土)

朝10時起床。
4時家を出る。途中定期を買ったりしたものだから現地(両国)に着いたのは5時半近かった。すぐ受付で整理券もらう。405番。かなりあとの方らしい。近くのラーメン屋でみそラーメン喰い、しばし待てば整列開始。入場開始は予定より20分遅れた6時50分。中はおどろくべし、畳じき! 暖房完備とは石油ストーブのこと。おそろしく狭いテント中に800人をつめこむのに又々時間をかなり費し、開演は7時半。しかもはじめはつげ義春の劇画の幻燈だったから、コンサートが始まったのは7時40分。森田童子はとくいのモジャラモジャラ頭と黒のグラサンで、顔なんかほとんどわからぬ。詩を朗読しているような喋り方の語りが曲と曲の合い間にしばしば入り、なんかきいてる方としては気が気でなく、はらはらしていると又曲になり、ほっとし、てなかんじで15曲うたって一応終り、アンコールかかって2曲うたい、又アンコールで1曲やり、さらにアンコールでもう1曲。合計19曲。終了は9時20分頃か。アンコールの頃は、足は氷の如くひえきって、又尻は不自然な座り方を長時間していたため痛みが走り、寒さ故ぼうこうは悲鳴をあげ、もー、なんたる三重苦! 終了するや否や尻をさすりつつ便所にかけこめば、際限なく、でるわでるわ、自分でこわくなっちった。

森田童子「ねじ式」
黒色テント劇場B
12月5日(土)於:国鉄両国駅西口構内

【曲目】

1. 菜の花あかり
2. きれいに咲いた
3. ぼくたちの失敗
4. 蒼き夜は
5. 春爛漫
6. 雨のクロール
7. ぼくと観光バスに乗ってみませんか
8. ふるえているネ
9. グリーン大佐答えて下さい
10. 水中花
11. ラスト・ワルツ
12. セルロイドの少女
13. ぼくを見かけませんでしたか
14. 憂鬱デス
15. 友よ泣かないのか
16. 風さわぐ原地の中に(アンコール)
17. 地平線(アンコール)
18. さよならぼくのともだち(アンコール)
19. センチメンタル通り(アンコール)

ま、なかなか興味深いコンサートだったと思いますね。いってよかった。ウン。もーれつに感動した、とかいうんじゃなかったけど、心に残るものがあった気がする。又、行きたい、と思う時があるかも知れん。しかし寒かったなあ。風邪を引いたよーです。

日記は以上である。前々回のブログと比較すると、人間の記憶がかなり不確かであることがよくわかる。寒かったものの、当日は雨ではなかったようだし、「ぼくと観光バスに乗ってみませんか」はアンコール曲ではなかった。コンサートが始まる前に、つげ義春の漫画「大場電気鍍金工業所」を投影して見せていたことなどもすっかり記憶から抜け落ちていた。ただ、アンコールのあたりで尿意を必死に耐えていたことは、ほぼ記憶のとおりであった。やはり肉体で味わった苦痛は、通常のエピソードなどより深く脳裏に刻まれるのであろうか。
それにしても、テント公演で800人の入場者というのはかなりのボリュームである。公演は5日行われたので、全日その入りだったとすると、4,000人動員ということになるのだが…(結構すごいぞ)。もっとも、この日は土曜ならではの大入りで、ほかの日はこれほどではなかったのかも知れない。ひとつ不思議なのは、どうして入場者が800人だと知ったかということ。当時の自分に問いただしてみたい。

1981chirashi.jpg

この時のコンサートのフライヤーがこちら(現物はたしかに所有していたのだが見つからなかったため、ネットに漂っていたものをお借りしました)。ここに、
「あと何年か後には、駅前にテントを建てる事は殆んど不可能になるでしょう。私たちのコンサートが不可能になっていく様を見て欲しいと思います。そして、私たちの歌が消えてゆく様を見て欲しいと思います」
という本人のコメントが記載されている。



最後に、森田童子に追悼の意を表して、私のギター&ボーカルで、「ぼくを見かけませんでしたか」をyoutubeにアップしてみた。といっても歌いおろしではなく、当時の弾き語りである(前々回のブログで「カセットデッキ2台を駆使して、ある曲のコピーに挑戦したのだが…」と書いたのがこれ)。大変つたないものだが、まだ森田童子が活動していた時代の息吹きを感じていただければ幸いである。
posted by taku at 20:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする