2017年01月13日

謹賀新年

気がつけば1月もなかば。正月気分もすっかり消えてしまいましたが、遅ればせながら、今年もよろしくお願いいたします。

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さて、新春にふさわしく、縁起のいい鶴・亀・海老の細工をご覧いただいたが、なんとこれらはすべて正絹(しょうけん)の紐で作られているとのこと。日本の伝統的な結び方を駆使して制作されたそうだ。

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昨年末に、熱海の起雲閣で展示されているものを拝見したのだが、鎧兜や雛人形、四季折々の花など多くの作品があり、いずれも形、色艶ともに美しい。何より、多彩な紐の結び方を作品制作に「結び」つけたその着想に脱帽させられた。制作者の岩澤文子さんの書かれた挨拶文いわく、日本において「紐を結ぶ」という文化は、神事や仏事などの宗教的儀式から発生し、それが公家社会、武家社会の中で発達していった。現代では「結ぶ」という行為は少なくなったが、今日まで伝承されてきた結びの文化には、日本人の精神性や先人の計りしれない知恵、美意識などが内包されており、感心するばかりである とのこと。そこから「ひも遊び」と称する作品づくりが始まったということらしいが、伝統的な「形」が新たな「姿」へと結実した見事な作品郡を間近に見ることができ、とても豊かな気分になった。

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岩澤文子・山田妙子 二人のひも遊び展(1月29日まで)展覧会の詳細はこちら

岩澤さんは着付けと礼法の指導教室を30年以上やって来られた方なので、着付けを通して「結ぶ」という行為には親しみが深いのだろう。着付けといえば、今年初夏に公開の映画『鎌倉アカデミア 青の時代』の中に、菊池寛の「父帰る」の舞台を再現した場面があるのだが、その収録の際、女性出演者の帯の結び方について、あれこれ調べ、思案したことを思い出した。何しろ、思った以上に種類が多いのだ。(参考サイト:帯の結び方

女性の帯の結び方といえば、今では「お太鼓結び」が一般的なようだが、実はその歴史は意外に浅く、江戸時代末期に深川の芸者が考案し、明治40年(1907年)以降、庶民にも広まったものだという。そして「父帰る」の時代設定も、まさにそれと同時期の明治40年(1907年)ごろ。とすれば、関東圏ならともかく、作品の舞台となる南海道の小都市には、まだ「お太鼓」は普及していなかったと考えるのが自然ではないのか。…という判断で、今回の再現映像では、もっと以前から普及していた「貝の口」という結び方を採用することにした。その時にも、「結ぶ」という日本文化の繊細さ、奥深さを垣間見た気がしたものである。

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「父帰る」舞台再現場面より。左の女性の帯の結びが「貝の口」
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2016年09月30日

窓辺のあいつ

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しばらく前から、昼夜を問わず、わが家のキッチンの窓辺にたたずむ「あいつ」。

どうやらヤモリのようである。ヤモリは「家を守る」と書くとおり、昔から縁起のいい生き物だという。実際、蚊や蝿などの害虫を食べてくれるという利点もあるらしい。

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たしかに夜などは、部屋の明かりに誘われて窓辺に集まってくる虫を、一瞬にしてパクリとやるシーンを何度か目撃した。

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一方、昼間はシルエットになるせいか、そのフォルムは造形物のような美しさ(尻尾のカールが絶品!)。

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しかし、いつも窓に貼り付いているせいで、見るのは決まってお腹側、彼(彼女?)の背中側というか、いわゆる一般的な全身像は、まだ一度も見たことがないのであった。

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こちらは『仮面ライダー』に登場したヤモゲラス(たのしい幼稚園新案カードより)。こういう感じで天井にでも貼り付いててくれると全体がよくわかるのだが…。
posted by taku at 20:19| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月29日

夏のはじめに

夏のはじめのこんな時分に、あの人は生まれてきたのだなあ、と日が落ちる方角を見ながら思います。今さら、亡くなった人のことについてあれこれ語る必要もないのですが、今朝、このブログのアクセス解析を見たら、「以倉いずみ」さんのお名前で検索してきた方がひとりならずいらっしゃいました。それなら、1年に1度、生まれた日くらいは、彼女のことを思い出してもバチは当たらないだろうと考え直し、手持ちの画像を紹介しつつ彼女を偲びたいと思います。

【関連記事】
 ある訃報(2009年9月9日)
 以倉いずみさんを偲ぶ(2014年7月29日)

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上の写真は、完全に初公開のスナップ。私が初めて撮った以倉さんの写真です。当時の彼女は、某俳優事務所のマネージャー兼女優という立場でしたが、あるご縁からホームページのギャラリー用写真のモデルをお願いすることになり、その打ち合わせで渋谷でお会いした際に写したものです。(2003年3月19日)

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その10日ほど後、鎌倉まで出向いてギャラリー用に撮った2枚。表情の振り幅の大きさに驚かされました。(2003年3月29日)

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映画「いくつもの、ひとりの朝」の衣装合わせ。(2004年3月23日)

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朗読劇「崖」の本番直前、楽屋にて。共演の八幡朋昭氏と。(2005年7月9日)

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以倉さんは、実は結構いろいろなCMにも出ています。上の画像は、2004年オンエアのユザワヤのCMより。旦那と二人でリビングルームに「ベルギー製の素敵なカーテン」を吊るす若奥様の役でした。

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https://www.youtube.com/watch?v=YBG2ANg8ki4

こちらは、最近youtubeで発見した、森永チョコボールのCM。小学生の母親役です。2008年にアップロードされたものですが、オンエアは2007年だったと思います。

これ以外にも2005年ごろ、四国化成の塗り壁のCMに、赤ちゃんを抱いた母親の役で出演していました。「健康や環境にやさしい」ということをアピールするため、母子ともども生まれたままの姿(!)という、ちょっとドキドキするビジュアルでした(こちらはスチールも動画も手元にありません)。

このように、CMなどでは若奥様や若い母親を何度も演じた彼女でしたが、残念ながら現実においては、そうした姿を私たちに見せることなく旅立っていったのでした。

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posted by taku at 18:24| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月19日

映画『彦とベガ』トークショーレポート

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昨日(7/18)、少し前に告知した、映画『彦とベガ』のトークショーに参加して参りましたので、簡単にそのご報告を。まだ映画をご覧になっていない方のために、ネタバレ部分は白文字にしてあります。

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『彦とベガ』は、認知症の妻(原知佐子)と、彼女を献身的に介護する夫(川津祐介)、そしてその家に訪問介護のため訪れる若い男性(柳谷一成)の織り成す、ひと夏の物語です。脚本・監督は、現役の介護福祉士でもある谷口未央さん。

三連休の最終日、上映館のK's cinemaはほぼ満席。私は去年の夏に一度拝見していましたが、細かいところは記憶が曖昧なため、確認も含めて、今一度客席で鑑賞しました。

皆さん、本当に静かに、真剣にご覧になっていて、上映中は物音ひとつしません。携帯の着信音など、絶対に鳴らないという空気です。こういうおとなしい、日常を切り取った映画の場合、15分を過ぎたくらいから寝息を立て始める不心得者もいたりするのですが、今回はそういう方も皆無でした。それくらいお客様を劇中に引き込んで、ラストまで一気に見せて(魅せて)しまう映画を、谷口未央さんが、映画製作の勉強を始めてからわずか6年で作ったことに心から感嘆しました。

念のため申し添えますと、谷口さんは、2008年4月に関西から上京して、映画監督になるべく、ニューシネマワークショップという映画学校のクリエイターコース「ベーシック」に通い始めるのですが、その時の担当講師が私でした。そういうわけで、前回このブログで告知した時は、偉そうに「教え子」などと書いたのですが、実際には基本的なシナリオの書き方の講義と、個別に書いてきたシナリオの講評、出来上がった短編作品の講評をしたくらいで、手取り足取り映画製作について教えたわけではまったくありません。しかも、その時の講評では、私は彼女の短編について、割と辛口のことを言ったらしいですし…(双方とも、あまり具体的に覚えていないのです)。

そんなことを前フリに、トークは始まったのでした。

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『彦とベガ』のワンシーン

介護をめぐる家族の話、ベテラン俳優相手の演出の工夫、陰影を生かした画面作り、音楽に頼らないストイックな仕上げ、等々、製作準備から完成まで、話は多岐に及びましたが、実はこれらの点は、私がかつて製作した『火星のわが家』と通じるものがあり、また、『彦とベガ』同様『火星のわが家』にも天体観測のシーンが登場し、そこで彦(アルタイル)とベガの話が出てくるなど、思いのほか共通点が多く(製作した時の年齢も三十代なかばとほぼ同じ)、その不思議な「相似」で話は思いのほか盛り上がりました。ただ、お客様は『彦とベガ』はご覧になっていても、『火星のわが家』は見てらっしゃらないので、そのあたりは多少加減しましたが…。それから、実は『火星のわが家』も、初めは一家の主人が脳梗塞で倒れて認知症になってしまうという設定でした。これは実際の私の父のケースを元に最初の脚本を書いたのですが、やはり当事者の目線だと辛すぎて映像化は無理だと判断し、左半身麻痺という設定に変更していたのです。それに対し、谷口さんのご両親はいまだご健在で、今回の『彦とベガ』は、純粋に介護士という第三者の視点で発想したとのこと。だからこそ、認知症としっかり向き合うことができ、暖かさと客観性を併せ持った映画が作れたのでしょう。

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『火星のわが家』のワンシーン

トークの後半では、認知症の病態(ここがどこか、今がいつか、といった見当識の障害は進んでも、善悪の判断や感情は比較的失われない)や、認知症をめぐる周囲のケアのあり方などの話も出ました。家族にとっては、自分が敬愛していた配偶者や親が変貌していく過程を見るのは忍びないもので、ついつい否定的にとらえてしまうのですが、介護職は、それを「肯定」するところから始まる、という谷口さんの言葉には剋目させられました。しかし、それなら介護のプロに任せれば万事解決かといういうと、そういう簡単なものでもなく、介護も映画製作と同じ、正解のない永い永い営みであると痛感させられました。また、『彦とベガ』のラストについて、これはかなり多義的な解釈ができるもののように思えたのですが、谷口さんに言わせると、「お互いがお互いを誰だかわからなくなっても、すぐそばにいる―そういう夫婦の姿を見て欲しかったし、見たかった」とのことです。

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トークは25分ほどでしたが、谷口さんも私もそれでは話し足らず、劇場から歩いて数分のレトロな喫茶店に場所を移し、後半は撮影を担当した佐藤遊さんも加わって、日が落ちるころまで、お互いの作品やこれからの活動のことなどを語り合いました。

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左から私、監督の谷口未央さん、そして特別ゲストのエスパー伊東…ではなく撮影の佐藤遊さん

『彦とベガ』は22日、今週の金曜日までの上映です。まだご覧になっていない方は、だまされたと思って、是非ご覧になってみて下さい。今や誰にとっても他人事ではないテーマを、声高にならず、押しつけがましくもなく、ただ、真摯に、前向きに表現しています。

いや、こういったテーマ云々はひとまず置いて、純粋に1本の映画としても、大変見どころの多い作品です。私などは、川津祐介氏といえば「ワイルド7」における草波のハードボイルドなイメージが強かったので、氏がこれほど内面の繊細な演技に長けているとは予想外でした。愛する妻が、訪問介護の男を若い時の夫だと誤認して、次第になついていく様子を見つめる表情はあまりに切なく、私は何度も落涙を禁じ得ませんでした。そしてまた、かの「赤い疑惑」では三浦友和の母として、「赤い衝撃」では義理の姉として、山口百恵をいびりまくった名ヒール・原知佐子氏が、「可愛い?」を連呼する、実際可愛い認知症の老婦人を演じ(というより、その人生を生きている感じ)、生涯初めて(!)のヌードシーンを(2度も)披露。これだけでもびっくりですが、さらにそれが一瞬にして16歳の少女の裸身に変貌するという禁断のエロティシズム! まさに演出と編集の妙で、ここらあたりには谷口さんの隠れた変態性(?)がにじみ出ており見逃せません。とにかく、上映日はあと3日しか残っていませんので、どういう動機づけでも結構ですから、劇場にお越しいただければと思います。

映画監督というのは実に因果な仕事で、長い間苦労してやっと完成した作品をお客様に見ていただいて、ひとこと「よかった」「面白かった」というお言葉をいただく時以外、人生の喜びはないのです。かつての「教え子」が人生の時間の大半を捧げて作った第一回の劇場公開作品です。重ねてよろしくお願い申し上げます。

『彦とベガ』(2014年・64分)
7月22日(金)まで。連日13:00〜
劇場:新宿K's cinema

■映画『彦とベガ』公式サイト
posted by taku at 16:27| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月07日

ダイヤモンド富士

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昨日(4/6)、鎌倉・材木座海岸で遭遇した、富士山頂に沈む夕日。少し右にずれていますし、また雲がかかっていたため太陽の形がはっきりわかりませんが、それでも、なかなか印象的な情景だと思います。通称「ダイヤモンド富士」というそうです。

富士山頂から太陽が昇る瞬間と夕日が沈む瞬間に、まるでダイヤモンドが輝くような光景が見られることがあり、この現象をダイヤモンド富士といいます。富士山と光輝く太陽が織りなす光景は、まさに自然の芸術といえます。
富士山が見える地域なら、どこからでもダイヤモンド富士が見られるというわけではありません。富士山が東か西の方向に見える場所で、気象条件がよければ、年に2回、ダイヤモンド富士が見ることが出来ます。

(国土交通省関東地方整備局ホームページ「ダイヤモンド富士」より)

上のサイトによると、茅ヶ崎海岸周辺=4月4日、鎌倉海浜公園稲村ヶ崎地区=4月4〜5日、逗子海岸=4月5〜6日が、春の観測可能日となっていて、まさに昨日は、湘南地区における数少ないシャッターチャンスの日だったというわけです。しかし、私はそういうことはまったく頭にありませんでした。ただ単に、久々に晴れ間がのぞいたので、「桜が散ってしまわないうちに、鎌倉アカデミアの最初の校舎である光明寺の春の風景を撮影しておこう」と鎌倉まで出かけただけです。

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こちらが光明寺の桜。すでに葉桜になりかけている木もありました。

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そしてその帰り、「せっかくだから、海に沈む夕日も撮っておこうか」と光明寺近くの海岸に出て、日没までビデオカメラを回し続けました。つまり、上の画像(動画をキャプチャしたもの)を撮影した時点では、私は「ダイヤモンド富士」なる言葉も、その意味するところもまったく知りませんでした。

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では、どこでそれを知ったのかというと、撮影を終え、光明寺前のバス停に向かったところ、時刻は18時16分少し前で、すでにバスの到着時刻になろうとしていましたが、一向に来る気配がありません。そこで、先に並んでいた初老の紳士に、
「16分のバスはもう行ってしまいましたか」
と聞くと、
「まだ来ていないと思いますよ。遅れているんじゃないかな」
との返事。会話は一旦そこで途切れましたが、彼は私が手にしていたビデオカメラに目を留め、
「これで撮影していたんですか? よく撮れましたか?」
と聞いてきました。続いて、自分は光明寺の上の展望台から狙っていたのだが、あまりよく撮れなかった、年に2回しかないチャンスなのに残念だった、などと語り始め、その話に耳を傾けるうち、昨日がこのエリアで「ダイヤモンド富士」をおがめる貴重な日だったと知ったわけです。その紳士とは、その後もバスの中で、写真の話にいろいろ花が咲き、鎌倉の駅で別れました。

そんないきさつですから、昨日の夕方「ダイヤモンド富士」と対面したのはまったくの偶然ですし、また、バス停で偶然この紳士に話しかけなければ、私は自分が撮影した映像を、今も「ダイヤモンド富士」とは知らないままでいたことでしょう。2つの奇妙な偶然によって、珍しいものに巡り合えた、53歳の誕生日でした。
posted by taku at 14:41| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月08日

かかし座快進撃


(C)かかし座

2016年になって初めてのブログです。

何やらあわただしくしているうちに1月が終わり、立春も過ぎ、空を仰げば陽射しも少しずつ暖かさを増してきています。春はもうすぐといった感じですね。

さて、2012〜13年に『影たちの祭り』というドキュメンタリー映画を製作して以来、懇意にさせていただいている影絵の専門劇団「かかし座」ですが、ここのところテレビへの出演が相次いでいます。この劇団の唯一無二の影絵表現が少しずつ各方面に浸透してきた証しなのでしょうか。

先月は、1月29日(金)に日本テレビ系「ネプ&イモトの世界番付」で新作の手影絵作品を披露。


(C)日本テレビ

その翌々日の31日(日)には、テレビ東京系「モヤモヤさまぁ〜ず2」でさまぁ〜ずが稽古場を訪問、劇団員たちと即興で「桃太郎」を演じたりもしました。


(C)テレビ東京

実は、この2つの番組は偶然にも同じ日に収録だったそうで、「ネプ&イモト〜」には飯田周一、澤谷未来、櫻本なつみ、原田愛海の4氏、一方「モヤさま2」は石井世紀、菊本香代、鈴木愛加、岩田百代の4氏がそれぞれ出演、かかし座のお家芸ともいうべき華麗な手影絵を披露して喝采を浴びていました。

この劇団の成長を影ながら見守り続けている私としては、当然どちらも嬉しく拝見したのですが、ここで注目すべきは、『影たちの祭り』の撮影当時は、高度なテクニックが要求される手影絵パフォーマンス「Hand Shadows ANIMARE」を演じることができるグループはひとつしかなかったということです(そのころのメンバーは飯田、石井、菊本、櫻本の4氏でした)。

それが、わずか数年のあいだに2グループに増え、同日に2箇所でパフォーマンスを行うことができるまでに全体のレベルがアップしたわけです。かかし座は近年、独自に手影絵の検定制度を取り入れるなどして、技術の研鑽に一層力を入れるようになったそうですが、その成果が確実に現れているということでしょう。

そして、今月に入ってもメディアへの出演は続き、明日、2月9日(火)の朝8時〜の情報番組「羽鳥慎一 モーニングショー」でも、かかし座が取り上げられます。何と、メインキャスターの羽鳥慎一氏みずからが稽古場を訪ね、華麗なパフォーマンスの裏にある、過酷なトレーニングを、体験も交えてレポートするそうです。
正直、これは必見じゃないでしょうか。というのは、私は『影たちの祭り』でさんざん手影絵パフォーマンスと、それを演じる人たちの姿を撮影してきましたが、そのパフォーマンスを支えるであろう基礎的なトレーニングについては、まったくカメラに収めていなかったのです(これは大きな手落ちであったと作品の編集時に気づきました)。ですから、明日の放送は、私にとっても、これまでの2つ以上に興味のあるところです。


(C)テレビ朝日

何だか、かかし座のスポークスマンのような記事になってしまいましたが、実は、私はある事情で、今年に入ってからほぼ週に2回のペースで同劇団にお邪魔しております。こんなに足しげく通うのは『影たちの祭り』撮影時以来でしょうか。実は明日放送の番組が収録された先週金曜日も、私は劇団に行く用事があり、ちょうど玄関に到着した時、入れ違いにロケ隊の車が駐車場を出ていくところでした(ですから、残念ながら収録の様子はまったく見ておりません)。

さて、一体どういう事情でそんなに頻繁に「かかし座詣で」をしているのでしょう?

これはですね〜、実は大変に画期的なプロジェクトが今現在進行しつつありまして、それはもう、大変にアトラクティブ、イマジネイティブかつファンタスティック、いい年をして胸のわくわくどきどきを押さえ切れないくらい魅惑的なもので、ここで一気に全貌を明かしたくて仕方がないのですが、まだどういう形にまとまるか誰にもわからないので、今は強いて沈黙を守りたいと思います。でも、こういう書き方は非常に読む人をもやもやした気持ちにさせると思うので、少しだけビジュアル情報を載せておきましょう。



台の上に干し草…なぜ、こんなものが稽古場に?



十字架?



この古い写真は一体…?

ヒント。今年は鎌倉にあった「幻の大学」の創立70周年です。

いつかこのプロジェクトの全貌を明らかにする日も来ると思いますので、どうぞお楽しみに。

では、まずは明日の「羽鳥慎一 モーニングショー」を是非ご覧下さい!
posted by taku at 18:03| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月19日

深山のミヤマクワガタ

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8月中旬から1週間ほど、北信濃・黒姫の山荘に滞在していたのだが、関東に帰る日の朝、まるで見送ってくれるかのように、ミヤマクワガタがベランダに現れた。

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ミヤマクワガタ(深山鍬形)は文字通り深い山、すなわち標高の高い山間部に生息するクワガタで、頭部に独特の突起があり、フォルムも美しい。帰りの列車の時間も迫っていたのだが、この夏初めての大物昆虫との遭遇だったため、静止画と動画の両方でその勇姿を撮りまくった。

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以下は動画だが、動きは速いものの、どういうわけか後ろ足(特に右側)はほとんど動いていない。ケガでもしているのだろうか。


https://www.youtube.com/watch?v=obw-T9Lzh6k


人間や動物なら治療してくれる医者もいるが、昆虫の医師というのは聞いたことがない。そうなると昆虫が足などを負傷した場合、自力で回復する以外に道はないということになるが、一度機能不全になった足はずっとそのままなのか、時間とともに自然治癒することもありうるのか、いささか気になるところである。
posted by taku at 20:13| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月08日

合体木の不思議

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上記画像2点は、実家の増改築を行っていた昨年8月に撮影(業者がどこかバレバレですな)

実家の裏庭にひっそりと立つ2本のビワの木。

幼稚園に通っていたころだったろうか、父が町で買ってきたビワがあまりに美味だったので、その種をいくつか埋めてみたところ、やがて芽を出し、いつのまにか立派に実をつけるまでに成長した。日当たりの悪い場所なので、ご覧のとおりひょろひょろだが、さすが遺伝子のなせる業で、その実は心底甘く、例年6月は高枝切りハサミで鈴なりの実を収穫するのが、わが家の恒例行事となっていた。

gattai03.jpg 例年こんな感じでたわわに実がついていた(2013年)

しかし、実をつけるようになって30年近くが過ぎ、少しずつ樹勢も衰え、ついにそのうちの1本が立ち枯れてしまったという(私は現在実家に住んでいなので、後日母から知らされた)。枯れたまま放置しておくのも、という母の判断で、造園業者に右側の1本を根元近くから切ってもらったということだったが、先日実家を訪ね、その木を改めて見て、面白いことに気づいた。

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もともとは完全に2本の木だったはずなのに、いつの間にそうなったのか、現在は、根元のところがつながっているのだ。それに、木の間の距離も、種を蒔いた当初よりもずいぶん狭くなっているような気がする。

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ネットで調べてみたところ、このような状態を「合体木」「合体樹」といい、長い年月のうちに木と木が融合してしまう現象なのだという。しかし、ネットでの例を見る限り「樹齢何百年」といった感じの老木巨木が多く、それに対しわが家のビワはせいぜい樹齢45年で、老木というほど年を重ねてはいないのだが…。

これは勝手な推測だが、「日当たりの悪い裏庭で生きていくには、1本ずつではパワーが足りない」と考えた両方の木が、心を合わせて短期間のうちに合体を強行したのではないだろうか。さらに写真をよく見ると、枯れた木の下の方からも新しい枝と葉が出てきており、これなども、根が左の木と合体しているためではないかと思えてくる。植物に意志があるとはしばしば言われることだが、まったく不思議な現象である。

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posted by taku at 16:04| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月25日

たてかべ和也氏追悼

ドラえもんのジャイアン役で知られ、18日に急性呼吸器不全のため80歳で死去した声優・たてかべ和也(本名・立壁和也=たてかべ・かずや)さんの葬儀・告別式が24日、東京・青山葬儀所で営まれた。

この日は、「ドラえもん」のスネ夫の声を務め、55年来の付き合いがあった声優の肝付兼太(79)や山寺宏一(53)ら関係者約600人が参列。前日の通夜に続いて肝付が弔辞を読み「55年という長い間、友達でいてくれて本当にありがとうございました。どんな話しでも耳をかたむけてくれたかべさん、僕の自慢の親友です」。最後には「ジャイアーン!」とスネ夫の声で別れを惜しむように呼びかけた。(後略)
2015年6月24日15時59分 スポーツ報知

たてかべ和也氏といえば一般的にはやはり「ドラえもん」のジャイアンか、タイムボカンシリーズにおける「三悪」の筋肉ポジションの人、というイメージなのだろうが、私のようにアニメ版「タイガーマスク」を愛する者としては、タイガーマスク(=伊達直人)の親友・大門大吾の印象がとりわけ深い。一度は「虎の穴」の刺客として送り込まれながら、その後組織を裏切って影のようにタイガーをフォロー、やがて「ミスター不動」となってリングに上がり善戦、最後はタイガーをかばうように、場外乱闘の末絶命する…。

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時には主役のタイガーを喰う存在感を見せた大門。たてかべ氏の熱演が光る
(C)梶原一騎・辻なおき/講談社・東映アニメーション



大門大吾は原作コミックには登場しない、アニメ版だけの屈指のサブキャラクターである。最近久しぶりに全編を再視聴して、あらためてその存在の大きさを認識したのだが、それと同時に、大門を演じたたてかべ氏の声が、心に沁みるとてもソフトな美声であり、後年の、たとえばトンズラーのようなダミ声とはまったく違っているのに驚いた。声の質だけでなく、その声を通して伝わってくる「人物像」も完全に異なる。やはりあの世代の声優は、キャラクターをきちんと演じわけられるのである。

そもそも、たてかべ氏が声の仕事を始めたころは、まだ「声優」が専業として確立していない時代であり、彼も当然「俳優」としての訓練をきっちり受けていたのだから、驚くには当たらないのだろう。経歴を見ればわかるとおり、彼は日本大学芸術学部演劇学科の出身である。

さて、日大の演劇学科といえば、亡父の青江舜二郎が20年近く奉職していた大学だが、昨年、実家の増改築を行った際、青江の遺品が入った段ボールの中から、大量の芝居のパンフレット類が見つかり、その中に、きわめて興味深いものがあった。

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日本大学芸術学部公演「毒薬と老嬢」(1958)

アメリカで1944年に映画化もされた「毒薬と老嬢」。日本大学芸術学部公演とあるが、下の方をよく見ると、会場は札幌市民会館、「主催 日大芸術学部北海道々人会」とあり、札幌限定の公演であったらしい。当然、出演者・スタッフも、北海道出身の学生やOBが多かったようだ。青江は北海道と直接の関係はないが、東北(秋田県)出身という「北」つながりのためか、この作品の演出を担当。

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そして出演者には、若き日の立壁和也、小林清志、鈴木泰明、そして田中康夫(田中康郎)らの名前が…。

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1934年生まれの立壁和也はこの年24歳。おそらくもう日大は卒業していたと思われるが、北海道出身者ということで、この公演に参加したのだろう。なお、小林清志、鈴木泰明、田中康夫の三氏はいずれも東京や神奈川の出身で、北海道と直接のつながりは見出せない。それにしても、「タイガーマスク」ファンとしては、「タイガー」が製作されるはるか昔に、大門大吾(立壁和也)とミスター・カミカゼ(小林清志)、そしてタイガー・ザ・グレート(鈴木泰明)が同じ舞台に立っていたという事実にある種の陶酔を覚える。この3人はいずれも、タイガーマスクとほぼ同等の実力を持つ、忘れがたい好敵手なのだ(ちなみに、やはり強豪として知られたスター・アポロンブラックVも、それぞれ鈴木泰明、小林清志が演じている)。

話を「毒薬と老嬢」に戻そう。このパンフの後半ページには「皆んなで唄いましょう」というコーナーがあり、共演者同士がそれぞれの印象を簡明に記しているのだが、そこでたてかべ氏は以下のように書かれている。

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立壁和也ちゃん(アインシュタイン)

いつも妙な事を思いつきいたずらすることに飽きない、イタズラ坊主。遊び疲れて子供のように満足して寝る大人。それで皆を遊ばしているつもりがミソ。


この印象はそのまま「ドラえもん」のジャイアンを彷彿とさせ、微笑ましい。私はたてかべ氏とは一面識もなかったが、私が生まれる5年ほど前、亡父の演出のもとで札幌の舞台に立っていた時代があったことを思うと、ひときわ親しみが募る。謹んでご冥福をお祈りいたします。

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「黄金バット」のダレオくんも大好きなキャラでした
(C)第一動画
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2015年05月14日

今年も旬の竹の子ネタ

昨年4月28日のブログに、アスファルトを押し上げるように顔を出した若竹のものすごいパワーのことを書いたが、今年同じ場所を訪れてみたところ、去年のような現象には残念ながらお目にかかれなかった。代わりに、アスファルトの奥の竹やぶから、頃合いの若竹が顔を出しているのを発見。持ち帰って、久しぶりに旬の食材を調理してみた。

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やや小ぶりだが、鮮度は抜群。

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本当は皮を着けたまま切り込みを入れるらしいが、時間短縮のため皮を剥いて2つ切りに。

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米糠は手元になかったので、米のとぎ汁で1時間ほど茹でてアクを取る。

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茹で上がり。このままかじりつきたくなるがしばし我慢。

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白菜のキムチと炒めて塩で味を調節。茹で立ての竹の子は、ほのかな苦味と爽やかな歯ごたえがまさに絶品で、水煮の状態で市販されているものとはまったく別物。ちょうどいい酒の肴になりました(何か今回は、ごくごくありがちなブログですな)。
posted by taku at 18:17| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする