
少しご報告が遅れてしまいましたが、去る4月30日に、私にとって初めての著書『龍の星霜』が刊行されました。もっとも、大型連休がはさまってしまったため、
アマゾンなどに情報が上がってきたのは5月10日前後です。
さて、これは一体どういう本なのでしょう。ここでは、初めて読む方にもわかりやすいように、なるべく懇切丁寧に説明したいと思います。
タイトルと表紙の印象だと、ちょっと歴史小説風ですが、その下に赤い字で「異端の劇作家 青江舜二郎」という副題があって、どうやら伝記のたぐいらしいということがわかります。その言葉どおり、青江舜二郎という劇作家の一生を描いた本で、ジャンルとしてはノンフィクションということになるでしょうか。
なお、タイトルは「りゅうのせいそう」と読みます。「龍」は、青江舜二郎が辰年だったので、それにちなみました。実際、青江は架空の生物である「龍」にふさわしく大変な理想主義で、現実との折り合いに最後まで苦労した人でした。また「星霜」は「幾星霜」などという言葉もあるように、年月、歳月のことですが、どう読むのですかと、何人かの方に聞かれました。奥付けだけでなく、表紙にもルビをふるべきだったかも知れません。ふたつを合わせ、「龍(=青江舜二郎)の生きた年月」という意味あいです。
青江舜二郎というのは1904年に生まれて1983年に亡くなっており、20世紀のほぼ全般を生きた人です。和暦でいうと、生まれたのが明治時代後半、大正時代に青春期を送り、昭和が終わる6年前に他界しています。
ご存知のとおり、20世紀というのは世界全体が激しい変化を遂げた時代です。青江が生まれる30何年か前まで日本は江戸時代で、武士がちょんまげを結って刀を差して歩いていたのに、青江が40代の時にテレビが出来て、60代になるころにはロケットが月まで到達していました。そしてそんな文明の驚異的進歩の狭間には2度の世界大戦があり、多くの犠牲が払われたのです。
青江の生涯を振り返ると、そんな時代のうねりが否応なく見えて来ます。関東大震災、経済恐慌、満洲事変、日中戦争から敗戦、戦後の復興、高度経済成長…。
「個人の行動は純粋にその人間の自由意志に基づく」なんていうのは大いなる幻想で、実際はその時代その時代の波をモロにかぶって、その中でもがきながら、どうにか、最良と思われる選択をしているに過ぎないということが、彼の人生を追ってみるとよくわかります。
青江舜二郎この評伝はもともと、2009年4月から2010年3月まで、
秋田魁新報という秋田の新聞に連載した文章に手を入れて、1冊にまとめたものなのですが、大震災が起きた3月11日以降にあらためて読み直すと、ひとつひとつのエピソードが一層胸に迫ってくるように感じます。あの震災までの日本は、経済的には停滞が続いていたものの、どうにも「ぬるい感じ」が蔓延していて、人生や日々の生活について真摯に考えてみるという雰囲気はありませんでした。しかし今は、日本人全部に、きわめて深刻な問題が突きつけられています。「目先の便利さや快適さに目を奪われて、われわれは大事なものを見失っていたのではないか」「人生において、真によりどころとすべきは、一体何であるのか」。そんな問いに対して、青江の生涯は何かしらの示唆を与えてくれるようにも思っています。
この本は、ノンフィクションではあるものの、青江の人生がかなり波乱に富んだものであるため、これでもかというくらいドラマティックな展開になっています。登場人物も、教科書でおなじみの新劇の父¥ャ山内薫からアジアの歌姫・李香蘭、国際俳優の早川雪洲、プロレスの王者・力道山、人間国宝の女形・花柳章太郎、そして劇作家で俳人の久保田万太郎など多士済々。
久保田万太郎が青江の戯曲「一葉舟」を自作と偽って発表したため起きた著作権を巡る民事事件は、当時あまりマスコミが取り上げなかったので、本書で初めて詳細を知るという方も多いのではないでしょうか。劇壇の大ボスだった久保田を訴えたことにより、青江は日本演劇界で居場所を失ってしまうのですが、そのことが後に、演劇とは異なるジャンルで大きな成果をもたらすのですから、「禍福はあざなえる縄の如し」とはよく言ったものです。
申し遅れましたが、青江舜二郎というのは私の父です。年の差が59歳もあるので、よく祖父と間違われるのですが、れっきとした父親です。とは言うものの、いわゆる作家の子どもが書いた「私的な回想録」とはかなり違ったものになっていると思います。ベースになったのは、青江がまだ幼かった私のために書き残した「父の略歴」という手記と断片的な随想など。しかしそれだけでは客観性に乏しいので、国会図書館など複数の図書館を回って、昔の新聞や雑誌を閲覧したり、直接青江を知る方に話をうかがいに行ったり、「裏を取る」ための時間をかなり費やしました。何しろ青江舜二郎の評伝はこれが初めてのものなので、青江の人生行路をなるべく誤りなく記録し、後の世に伝えたいと考えたのです。
私は小学生の時から8ミリカメラを回してきて、それがそのままダラダラ続いた結果、現在では「映画監督」とか「映画作家」という肩書きを使わせてもらうことが多いのですが、そもそも8ミリカメラを手にするようになったのは青江の影響です。その意味では青江は父というよりは「師」と呼んだ方がふさわしいと感じます。そのあたりのことは本書の後半に書きました。また
「火星のわが家」という映画の成立にも、青江は深く関わっています。
青江舜二郎のことをもう少し知りたい方は、その名前で検索していただければ、ウィキペディアにも記載がありますし、
青江舜二郎電子資料室というサイトもあります。アマゾンでも何十冊かの書籍がヒットしますが、その大半は評伝や研究書などのノンフィクションで、劇作家といいつつ、戯曲以外の執筆活動もかなり広汎に行った人であることがわかります。今回帯に推薦文を書いて下さった北海道大学准教授の中島岳志さんは、青江の仏教研究者としての部分にかなり興味を抱かれたようで、5/15の
ツイッターで、「青江の『仏教に於ける人間の探究』を古書店で購入して読んでみたが、かなり面白い」と発言されています。このように本書を通し、青江の業績がさまざまな角度から再検証されることは、大変に嬉しいことです。と同時に、青江のひたむきな生き方が、お読みいただいた方の心に、少しでも勇気や元気のようなものをもたらすことができれば、著者としてこれ以上の喜びはありません。
龍の星霜 大嶋拓著
春風社 四六判並製 224頁 1,575円(税込)
ISBN 9784861102745 刊行日 2011/4/30