
春風社の創立15周年イベント第2弾は一昨日の27日。春風社本社がある横浜市教育会館の4階ホールにて、「東北をきく」と題した記念パーティーが開かれました。
第一部は詩人の佐々木幹郎氏の講演からスタート。

2011年3月の大震災後、二代目高橋竹山氏とともに東北の各地を回り、被災された人たちの体験談を聞いて歩いたという佐々木氏は、中世の「語り物」の背後には、天災などで亡くなった多くの死者がいたこと、そして現在、もはや生まれないであろうと思われていた新たな「語り物」が、震災を背景に生まれてくるかも知れないことを示唆されていました。また、海によってさんざん痛みつけられたはずの現地の人たちが、誰も海を恨まず、逆に、竹山氏に海の歌(大漁節など)を所望した、というエピソードも印象に残りました。

「うた」は「うたた寝」に通じ、「現実」と「まぼろし」の狭間に立ち現れてくるものだという佐々木氏の話を受けて、ステージでは二代目高橋竹山氏の演奏が始まりました。

曲は「三味線さされ」「謙良節」と続く

阿利-ALI-氏による巫女舞(寿舞-kotohogimai-)

2010年に発表の「糸魚川ジオパーク音頭」(作詞:佐々木幹郎 作曲:小室等)を3人で唱和

第一部のしめくくりは高橋竹山氏による三味線の即興曲
第二部は、『大地の文学』『絶対無と神』『聖霊の神学』などの研究書を春風社から出されている清泉女子大学名誉教授の小野寺功氏の音頭で乾杯。グラスを上げる前のご挨拶で、最初の著作『大地の文学』刊行時の思い出を語ってくれました。

小野寺氏は当時の編集担当だった山岸信子氏に、
「私の本は売れないと思うので申し訳ない」
と、大変正直に心の内を吐露したところ、山岸氏は、
「ゴッホの絵は、生前一枚しか売れなかったんですよ」
と、さりげなくおっしゃったそうです。小野寺氏はその言葉に勇気付けられ、
「たとえその時に売れなかったとしても、売れないものにも意味はある。すべては時間の問題だ」
とおのれを鼓舞し、85歳になる今も、フル回転で研究活動を続けておられるとのこと。
「山岸さんがあの時ゴッホについて話して下さったことは、一生忘れないですね」
私はこのエピソードを聞いて、ビデオカメラを回している最中だったにも関わらず、涙が溢れてきてどうにもなりませんでした。売れない作家を親に持ち、自分も同じような境涯にいる人間としての共鳴というのでしょうか。うまく説明できませんが、しかしとにかく、この乾杯前のショートスピーチこそが、何よりも、春風社の精神を公に伝える、まさに記念パーティーにふさわしいものであったと思えてなりません(あくまで個人的な感想です)。
乾杯の少しあとに、私は山岸氏の姿を見つけて駆け寄り、
「小野寺さんのさっきのスピーチ、素晴しかったですねえ」
と声をかけたところ、何と、山岸氏本人は「(物販の)おつりが足りなくなった」とかいう理由で中座しており、そのスピーチを聞いていないとのこと。
「あーあ」
と思うと同時に、山岸氏らしいなとも感じました。そこで私は目をうるうるさせながら要点だけ話し、小野寺氏にお礼を申し上げては、と薦めるにとどめました。
私ごときがよそ様の会社についてあまり語るのもどうかと思うのですが、三浦氏が『出版は風まかせ』やいろいろなインタビューで述べておられるとおり、春風社は1999年に、当時の三浦氏の勤務先だった中堅出版社が倒産したため、その時の同僚2人と設立した会社です。すなわち創立メンバーは、
三浦衛(代表取締役)
石橋幸子(営業担当。通称「専務イシバシ」)
山岸信子(編集担当。通称「武家屋敷」)
の三氏。
当初の社屋は三浦氏の自宅マンションの1室で、あとの2人は毎日そこに出勤し、昼食は三浦氏みずからが買出しをして作っていたといいます。
それから15年。三浦氏は『出版は風まかせ』のあとも2冊の著書を顕わし、またそのキャラクターもあって、名物社長として確実に認知度を上げてきていますし、石橋氏もこの7月に出版したエッセイ集『人生の請求書』が岸田秀氏はじめ多彩な知識人からの賛辞を受けたり、大学の教科書に採用されたりと、かなり露出度がアップしています。そんな中にあって、山岸氏は一歩下がったところで、当時も今も黙々と仕事を続けているのですが、実は、組織というのは、こういう一見目立たない人の功績によって、存続し得ているのではないかと感じます。私の場合、『法隆寺』も『龍の星霜』も社長の三浦氏が直接編集を担当してくれたので、山岸氏と仕事をした経験はないのですが、彼女の持つ、落ち着いた気品のようなものが、学術系出版社としての春風社の「格」を支えているように感じられるのです。そんな山岸氏にこういう形でスポットが当たったという意味でも、「本当によかったなあ」と思ったわけです。

この日のパーティーには約100名が出席
最後は三浦氏が、やはり、というべきか『新井奥邃著作集』を片手に、
「『奥邃著作集』全10巻が、やっと全部なくなりそうです。15年かかって本を売るというのが、いいのか悪いのかよくわかりませんが、これからもみなさんに喜んでいただける本を作っていきたいと思います」
とご挨拶。晴れ晴れした表情で、2時間半におよぶ宴をしめくくりました。

ただ、おかしかったのは、
「1日昔を思い出すということは、10日逆行するということだ。1年昔の話をすることは、10年戻るのと同じことだ(だから過去を振り返ってはいけない)」
という奥邃の言葉を引用しつつ、
「でも今日くらいはいいじゃないですか、奥邃先生」
と、出席者に二次会への参加をうながしていらしたことです。

40歳過ぎての失業、そして会社設立。そこからの15年は、決して平坦な道のりではなかったでしょう。さまざまな思いが去来されたのか、出席者との談笑中、時おり涙ぐまれ、ハンカチで口元を押さえる姿も拝見しましたが、それでも、三浦氏の表情には妙にりきんだところも慢心のかけらもなく、あくまで自然体、まさに春風駘蕩の言葉がぴったり来るものでした。
対照的だったのが、司会進行を務めた編集長の岡田幸一氏で、慣れない仕事に、当初はだいぶコチコチになっている様子でしたが、その初々しさも、春風社がまだ「若い」出版社であることを思わせ、爽やかな印象を残してくれました。

司会進行の岡田幸一氏。『石巻』の橋本照嵩氏(右)はパーティー中も常に撮影モード

二次会の乾杯をする石橋幸子氏(左端)、三浦氏、数人おいて山岸信子氏(右端)
三浦衛社長はじめ春風社の皆様、この度は本当におめでとうございました。
会社がよい形で成長を続けていくこと(それは決して図体が大きくなることではありません)を、心より祈念しています。

