
今回の引用元は『少年キング』1974年40号。表紙はジョージ秋山の「スターダスト」。この号からの新連載だった。

この当時『キング』では赤塚不二夫本人が「オッチャン」を連載中。だが、「フジオ・プロ内では大評判!!」などというキャッチが書かれていることから察するに、あまり一般の評判は高くなかったようだ。

内容はこんな感じ。右ページ下の大ゴマは、おそらくアシスタント椎屋光則によるものと思われる。
さて、今回ご紹介したいのはこの「オッチャン」ではなく、長谷邦夫、古谷三敏、とりいかずよしらとともにフジオ・プロの黄金時代を支えた北見けんいちの「マンバカまん」。

「代原が傑作なので連載に!」「ついに連載13回目…」というキャッチを読むと、この漫画の置かれた状況が何となくわかる。最初は誰かほかの作家が空けた穴を埋めるためのピンチヒッターだったのが、意外と評判がよかったため、そのまま連載という流れになったのだろう。

私は、この時代の『キング』はこの号しか持っていないので、前後の状況はよくわからないのだが、どうやら主人公の駆け出し漫画家は、夏休みで民宿を営む実家に帰省している模様。そこに、たまたま休暇を取って海に来た『少年ピング』の坂本記者が現れる、というお話。

全部で7ページという小品で、大したひねりもない楽屋オチギャグなのだが、すでにフジオ・プロに入って10年を数えるだけに、北見のペンタッチは安定しており、登場人物の動きなども御大の赤塚より生き生きしているように思える。

※この画像は「まんだらけ」の通販サイトからお借りしました
この「マンバカまん」はかなりの長期連載となり、翌1975年には曙出版から単行本も発売されているので、幻の作品と呼ぶのは御幣があるのだが、なぜか、ネットの百科事典などを見ると、北見けんいちのデビュー作は1979年の「どじょっこふなっこ」ということになっている。そうなるとこの「マンバカまん」は、どういう位置づけになるのだろう。「絵柄が現在のものと異なる」からだともネットの百科事典には書かれていたが、上の絵を見る限り、もうかなりの完成形ではないかと思うのだが。何より、本人名義の単行本が世に出ていながら、それがデビューに当たらないというのはどう考えても納得がいかない。このあたりは、何か特別な事情でもあるのだろうか。
しかも、さらにさかのぼって、こんな本まで見つけてしまった。

『トランプの遊び方』(1972年・集英社)
「まんが版入門百科」というシリーズの1冊なのだが、御厨さと美の描いた表紙をめくってみると、

この見覚えのある絵柄は、間違いなく北見けんいち。

巻末には「北見けん一」と表記されていたが、これなども、入門書とはいえ単行本を1冊きっちり描ききっているわけだから、もはやこの時点でプロデビューしていると言っても間違いではないと思うのだが…。
さて、北見けんいちと言えば、もちろん代表作は「釣りバカ日誌」ということになるのだろうが、私は「釣りバカ」はまったく読んだことがないので何もコメントすることができない。しかし、もうひとつの代表作と言うべき「元気くん」(中日新聞・東京新聞のサンデー版で25年間連載)は、東京新聞を長年取っていたので週に1度きっちり読んでいた。その「元気くん」の中で、フジオ・プロ時代のエピソードがしばしば語られていたのが今となっては懐かしい(元気のいとこ・とおるが赤塚不二夫のアシスタントをしているという設定だった)。
もはや伝説のエピソードとも言うべき、赤塚、長谷、古谷、北見らの銀玉鉄砲事件も、長谷邦夫の『赤塚不二夫 天才ニャロメ伝』(2005年・マガジンハウス)ではこんな感じだが、


「元気くん」では、藤子・F・不二雄に怒られたあとのことにも触れられており、ご丁寧に「よい子の皆さんは絶対にマネしないでね」との注意書きが添えてある。


また、北見が買った車に赤塚が「おそ松くん」のキャラクターを描いたエピソードも。

これらの「元気くん」は2008年9月7日掲載のもの。同年8月2日に他界した赤塚に哀悼の意を表した、しんみりした幕切れだった。


