2026年05月28日

岸田秀氏 追悼

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「ものぐさ精神分析」などの著作で知られ、独自の「唯幻論」を唱えた思想家で和光大名誉教授の岸田秀(きしだ・しゅう)さんが25日、老衰のため死去した。92歳。香川県出身。葬儀は近親者で行う。
 少年期に幻覚など神経症状に苦しんだ経験を踏まえて心理学を志し、1956年に早稲田大を卒業後、同大大学院を経てフランスに留学。ストラスブール大で精神分析を学んだ。
 帰国後、フロイトの精神分析学を基に「唯幻論」を展開。「人間は本能が壊れ、幻想の世界に迷い込んだ動物である」と主張し、自我や家族、宗教、国家や歴史、性など、人間に関わるあらゆる現象の解明を試みた。

岸田秀氏が亡くなった。氏の著書はそれほど多数は読んでいないが、定番の『ものぐさ精神分析』は大学時代、『性的唯幻論序説』は30代のころに読んだ記憶がある。一番強く印象に残っているのは、彼と自分の母(継母)との関係についてのエピソードと分析である。彼は、ある時期までは継母のことを、大変に愛情深い、息子思いの母親であると思っていたようだが、自分の神経症が悪化する中で、原因追求の自己分析を深め、ついにその元凶が継母であると確信する。それにはっきり気づいたのは、すでに継母の他界後であったようだが、氏は継母が自分に向けた感情について「わたしの自発的、主体的判断にもとづいて形成されたものではなく、母がわたしを支配し、利用するためにわたしに植えつけたものである」と、その愛情(に見えるもの)がことどとく欺瞞であったと断ずる。そして手元に残っていた写真などの類をすべて処分したらしい。これはまだ「毒親」などという言葉が世間に知られる前の記述であり、かなりインパクトがあった。寺山修司と母親の関係とも重なるが、あちらは血のつながりがあるので、もう少し理解しやすい。ともあれ、この、一見平和だが無数の目に見えぬ棘に覆われた歪んだ母子関係は、その後『凍える鏡』という映画のシナリオを執筆した際、おのずと思い返されることとなった。

さて、今日この小文を綴るに当たり、2019年に岸田秀氏が『唯幻論始末記 わたしはなぜ唯幻論を唱えたのか』を出版した時に受けたインタビューを読んでみたのだが、そこに書かれていた内容にも、少なからず衝撃を受けた。私は、氏の抱えていた継母との間の心理的葛藤は、その原因が明らかになったことでカタルシス(魂の浄化作用)が起き、ある程度は克服することができたように想像していたのだが、そうではなかったという。

 頭ではそう認識し、これを克服しようと、母の悪口を繰り返し書いてきたが、それは徒労に終わった。
 「母によって植え付けられた〈お前のためだけに生きてきた〉という観念に抵抗し、追っ払おうとしてきましたが、85歳の現在も消えることがありません。母は私が大学卒業直前に死んだにもかかわらず…」。岸田さんは諦観に満ちた表情で語る。
 「人生最後の本」と称する本書で母の悪口を繰り返したところで、岸田さんは母によって植え付けられた観念から自由になれないことを承知している。それでも書かざるをえなかったのだ。


いやはや、青少年期に受けた心の傷は、文字通り「一生もの」のようである。そんな十字架を背負わされた人生は、つくづくしんどいものだろうな、とため息が出るが、その一方、どうも運命は、相手を選んだ上で、そういう十字架を背負わせているようにも感じる。今ふっと思いついたのだが、漫画家の吾妻ひでお(1950〜2019)も、食べざかりの少年期に義母が家に来て、それからはあまり腹いっぱい食べられなかったと『失踪日記』に書いており、ある時期から継母との生活だったことが察せられるし(実母が死別か離別かは不明)、脚本家の市川森一(1941〜2011)も、10歳で母親を亡くし、継母にいじめられた経験を持つという。お二方とも私の敬愛する偉大な作家なのだが、ユーモラスな作品世界にどこか哀感が漂うのは、生い立ちの成せる技ではないかと改めて思う。

やはり人は、生れ落ちた瞬間からこの世を離れる瞬間まで、自分の背負わされた物から解放されることは難しいのだという現実を、再認識させられた今回の訃報であった。

岸田秀氏の長年にわたるご思索とご研究に敬意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈りします。
posted by taku at 13:11| レトロ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする